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私が個人的につながりのある医療機関や士業、事業者さんなどを順に紹介していきます。
2回目は、
「医療法人社団歯優会・神田今川橋歯科クリニック」 です。
TEL:03-5209-2555

医院はJR・東京メトロ銀座線の神田駅から中央通りを新日本橋駅方面に少し進み、すぐ左に曲がったところで、駅からは徒歩約2〜3分くらいのところにあります。また新日本橋駅からも徒歩で約5分で交通は至便です。

このクリニックを運営する医療法人の理事長とは2005年くらいに知り合いました。すでにかれこれ18年くらいの知人です。私は医療の専門家ではないので詳細なことはわかりませんが、少なくとも現在まで友好関係を続けさせていただいています。もちろん医療とはいえ、事業者なので未来永劫にわたって、双方の色々な事情がかみ合うかはわかりませんが、私が見る限りではこの診療所ではスムーズに医療活動が継続しています。

デジタルレントゲン、デジタル映像のモニターを完備しています。また新型コロナウイルスに限らず感染症や院内感染防止のために医療器具等、現在の情勢で出来る限りの対策を行っているようです。詳細は医院オフィシャルサイトに記載してありますのでご覧ください。
※体調や体質には個人差があること、また対策や成果は絶対的なものではないことをご承知おきください。

ちなみにインターネット診療予約ができ、診療は各種健康保険適用です。
診療予約サイト医院専用ページ(EPARK)

それから医院の特色としては、まずは診療室がプライバシー保護には有効なすべて半個室の形態になっています。それから歯科衛生士3名を配して、専用の機材を活用した歯の定期的なクリーニングなど予防歯科には以前から大変力を入れているようです。

それからTwitterなどで最新の情報を患者さんのみならずSNS上でも発信しているようです。
・当サイト今川橋歯科クリニックのサテライトページ


※上記の診療内容や対策は2023年4月現在のものです。今後状況の変化や施策の変更等の可能性がありますのでご承知おきください。
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さてここからは鉄道の記事です。

ー鉄道写真・現役も含むレトロ駅舎・懐かしの駅舎1ー 
※下記の写真の中には現役の駅舎も含まれます。また随時一部ずつ駅舎や駅の施設、鉄道施設の写真を公開していきます。

・鎌倉駅旧駅舎(横須賀線、1978年)
友人と鎌倉というか、江ノ電の極楽寺駅に行った時に撮影したものです。鉄道とは直接関係なく友人が当時流行っていたテレビドラマ「俺たちの朝」に出演していた女優のファンでドラマの舞台だった下記の「極楽寺駅」を訪ねた時に乗り換えたので、下車した時に撮影しました。江ノ電の車両も結構撮影したので次回の掲載の時にそれ以前のものも含めて紹介しようと思っています。現在の鎌倉駅は写真の旧駅舎と同じスタイルで建て替えられたもので、一瞬「今の駅舎では?」と思われるかもしれませんが、今の駅舎は1984年に改築されたものです。その後も仕事で客先がありこの駅には頻繁に訪問しましたがすでに新駅舎になっていました。
1978年鎌倉駅旧駅舎写真1
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・極楽寺駅旧駅舎(江ノ島鎌倉観光ー現江ノ島電鉄、1978年・保存)
上記の通りですが、この「極楽寺駅」の駅舎も改築されたみたいなので掲載しました。
1978年江ノ電極楽寺駅旧駅舎写真1
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・小諸駅旧国鉄の駅名看板(信越本線、1978年)
この写真は単なる国鉄時代の信越本線・小諸駅のホームの駅名の看板です。なんてことない写真と思っていたら、少なくとも私がネットでGoogieの画像検索で小諸駅の駅名看板の写真を調べたら、JR移行後の「カラー看板」か「しなの鉄道」に移行後の駅名看板しか掲載されていませんでした。実際にはこの手の写真は複数存在していると思われますが、ネット上ではある意味希少な写真であることがわかり自分でも驚いています。この写真は特に意味もなく撮影したものですが、以前掲載しましたが高校1年の時に信州ワイド周遊券を使用して友人と3人で信州を鉄道で回る旅行に行った時のものです。
1978年国鉄時代の小諸駅の駅名表写真1
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・軽井沢駅旧駅舎(信越本線、1983年・保存および他社により運用中)
これは他サイトにも掲載しましたが、大学3年の時に大学の文化会「民話愛好会」で長野県の民話の採集訪問の合宿に行った時に、最終日に皆で軽井沢に寄り、半日くらい遊んだ時に駅で駅舎をバックに記念写真を撮った時のものです。現在は長野新幹線開業とともに最新の橋上駅舎が完成し、旧駅舎は一時移設され見学だけできるようになっていましたが、前出の第三セクターの「しなの鉄道」の軽井沢駅舎として別の場所で復活して使用されているようです。古くから有名観光地でもあり、建築物には凝った地域なので、かなり歴史のある由緒ある駅舎のようです。
1983年軽井沢駅旧駅舎写真2
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・高尾駅の駅舎(中央本線、1978年・現役)
こちらはつい最近まで現役の駅舎として有名な駅舎でした。ところが中央線でいうと国分寺駅と同様に駅の両側を通過できる自由通路がなく、大変不便だということでどうも最近都市計画の一端として建て替えらる予定になっています。東京五輪やコロナ等で着工が遅れましたが、着工のめどが立ったようです。完成すれば写真の旧駅舎は近所の移設されて保存され、公的な施設として利用される予定のようです。

高尾駅は高尾山の観光の玄関口であるとともに、最近出来た近所の大学の駅、また始発駅ということで都心から距離があるにも関わらず「通勤時に座れる駅」、そして「酔っ払いの終着駅」として有名な駅です。以前は「浅川」という駅名で、天皇の墓などがある「多摩御陵」の最寄駅として知られていたということです。駅舎もその関係でこのような駅舎になったみたいです。写真は上記の小諸駅の管馬を撮影した旅行の時に最初に普通列車に乗車したのが高尾駅でその時に撮影したという記憶があります。
高尾駅駅舎1978写真2
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・国立駅旧駅舎(中央線、2005年・保存)
国立はご存知の通り一橋大学や桐朋学園、国立高校などの学園と高級住宅街の街として、古くから整備された街です。学園や古くからの高級住宅街は南口に集中しています。駅前には大きなロータリー、さらにそこから一直線にのびる広い大通りがあります。写真は国立南口の名物だった旧駅舎です。2006年に駅舎としての使命を終え一旦解体されましたが、地元住民の要望などもあり、駅の再開発事業の一環として高架になった駅や線路に対応した新駅舎の近くに2020年に復元され、現在は「旧国立駅舎まち案内所」などに利用されているようです。
国立駅1
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・四方津駅旧駅舎(中央本線、2010年)
写真は2010年に「青春18きっぷ」を使用して家族と勝沼に電車で遊びに行き、帰り道に電車内から撮影したものです。中央本線は近年は大月までは「通勤路線」として東京行の快速電車などが運行されています。沿線の人口も急増していますが、実は桂川(相模川)が急激に山間に入るような険しい区間です。この駅の近くには有名な中央高速道路の「談合坂サービスエリア」があります。以前に隣りの上野原駅からバスで1時間ぐらい山奥に入ったところに何回かキャンプのようなことをしに行きました。また災害に絡んだ道路渋滞で「談合坂サービスエリア」に車を置いてきた時に、車を取りに行くために仕事が終わってから夜遅くに下車したことがある駅です。今は駅より一段高いところにある住宅街に直通のエレベーターも完成、新駅舎とともに利用されているようです。
四方津駅舎1
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・日光駅の駅舎(JR日光線、1995年くらい?・現役)
家族と日光に遊びに行った時に撮影しました。関東で育った人間には珍しく30歳を超えて初めて日光に行きました。浅草も同様です。さらにこれは自慢ではなく、、自虐に近い話ですが、東京タワーに上ったこともなく、東京ディズニーランドも1回も中に入ったことはありません(湾岸の渋滞で車がオーバーヒートしそうになり、引き返したことはあります・・)。

歴史のある古い駅舎でしたが、実際は客の大半は東武鉄道の有料特急を利用するようです。
宇都宮ー日光間のJR日光線車内も、駅構内も観光客はまばらでした。そして駅には以前からの歴史や施設が展示されていて、博物館のような感じでした。すでに時代の遺物というか、一種の文化財なのかもしれませんね。
日光駅駅舎写真1
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・日野駅の駅舎(中央線、2017年・現役)
この駅舎はなぜかまだ現役のまま運用されているはずです。今後どうなるなどの情報はまったくわかりません。ネットなどによれば民家風の建物らしいのですが、詳しいことはわかりません。ちょうど中央線が多摩川を渡り低い土地から少し標高の高い崖上にかかったところでちょうど駅が作られたのでは?というイメージです。ですからというわけではありませんが、駅の改修は簡単にできないのか?、それとも市の中心駅でありながら乗降客も比較的少ないのでは?と色々想像してしまいます。
「お前が余計な心配するなよっ!」と言われてしまいそうです。
日野駅舎3
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・函館駅旧駅舎(函館本線、2003年)
証券会社のサラリーマンの営業社員だった私が無鉄砲にも退社して、外資系保険会社、いわゆる歩合制のセールスマンの世界に飛び込んだ年に、私の家族が自分の家族とツアー旅行に行った時に函館市内をバスで移動中に撮影した写真とのことです。私は当時は旅行に行くような心の余裕はなく、辞退しました。

もちろんそれ以前に青函連絡船を利用した時などこの駅をよく利用しましたので、個人的にも馴染みのある駅舎ではあります。特に1983年の北海道旅行の時は台風の直撃を受けて、帰りにこの駅で青函連絡船が出航すれば命がけ?(昔の洞爺丸台風のように・・)か、もしくは出航しなければ函館に足止めされて、資金が底をつく可能性があり、こちらも困った事態になるのでどちらにしても大変な選択を迫られた思い出がありました。結局船は出航して大きく揺れましたが無事に青森に着くことができました。

今は新幹線が函館まで開通して、函館駅は新幹線の駅はできませんでしたが、この駅も地域の中心駅として立派な駅舎に生まれ変わりました。