サイト運営者日記「ぶらぶらうだうだ・・」

「タウンクリニックドットコム」「時代文化ネット」などサイト運営をするアナログ脱サラ(いつのまにか・・)親父のブログの何でも日記風ブログです。

(最新更新日:2022年8月17日 掲載日:2008年11月19日)
当サイトのタイトルや本文中の画像、文言等は管理者が独自に撮影、制作したもの、および所有者や著作権所有者の方の許可を得るなど諸法律に沿って使用しております。無断での転載、転用をかたく禁じます。タイトル画面は近鉄奈良駅前商店街の「鹿屋」(閉店)でかつて販売していた「鳴き鹿」、奈良公園の鹿です。

2005年にスタートした「穴狙い千ちゃんの旅行記」〜2008年に別URLでリニューアルした「穴狙い千ちゃんの旅行記2」をそのまま現在のタイトルに変えて掲載を続けています。ほとんどITには縁のなかった証券マンがたまたま転職した先でウェブサイトを運営するグループに所属し、その流れでこのような「アナログオヤジの日記」を続けております。
宜しくお願い致します。

なお私は一応、「タウンクリニックドットコム・時代文化ネット」というサイトの運営管理者でもあります。

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自然災害(気象、地震など)

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先週の日曜日に能登半島の先端の珠洲市で大きな地震がありました。
震度6弱だったようです。そして翌日にまた震度5強の地震がありました。
現状では人的には死者が出るような被害にはなっていないようですが、まだ地殻が不安定な状況のようで、しばらくは警戒が必要なようです。

私は個人的には東日本大震災の時に福島県いわき市小名浜港の近くの水産加工品の製造業者と打ち合わせをしていた関係で、それなりの状況を経験しました。詳しくは下記をご覧ください。

3月11日の日記


3月11日以降の日記


私は地震が起こった珠洲市とは直接地縁はありませんが、石川県は両親とも同じ金沢の高校の出身で、どちらも複雑な部分のある家庭ですが北陸の家の人間です。私も結婚までは本籍地は住んだこともない金沢市東山というところでした。

能登にも、親戚はいて、父親の従弟で父親同様もう他界しましたが、志賀町の能登金剛に近い「巌門」という観光地で海鮮料理や土産物を出す「ロードパーク女の浦」というドライブインを家族が引き続きやっています。ちょうど「鷹の巣岩」という岩のあるところです。

店は近年まではやっていましたが、コロナ以降はどうなっているかは正確にはわかりません。
※冬は休業ですが、今時期はやっていれば開店しているはずです。

金沢は用事などで頻繁に行っていますが、能登に行ったのはそう何回もありません。
最近では東日本大震災からちょうど2年経った2013年3月11日に用事で、その「巌門」の店に行きました。その時に2007年の能登半島地震のことや1993年の奥尻島の地震のことを聞きました。2007年は店の駐車場のコンクリートが隆起して大変だったそうです。また1993年の奥尻の地震のときには、はるか遠い北陸にも津波が押し寄せ、家の伝馬船がこわれたそうです。

それから今回地震があった珠洲市は大学時代に友人と、親戚にはお忍びで旅行に行った時に1泊だけ宿泊したところで、行ったのはその1回きりです。もちろん私のことなので友人は男性です。「お忍び」というのは金沢では現地に行った時は親戚などにだまっていると怒られるからで、変な意味はありません。その時は自由に旅行がしたかったからです。

真冬でしたが、夜行列車で金沢に行き、そこからいきなり列車で輪島に行き1泊、そしてバスや歩きで能登半島北岸を移動して禄剛崎灯台まで行き、そこで日が暮れて、輪島もそうでしたが、旅館を予約していたわけでもなく、困り果てていたら、灯台の近くにユースホステルがあり、そこに泊めてもらいました。

ちょうど真冬でもあり、他の客は関西から来ていた女性2人だけで、その時限りでしたが、結構楽しいひとときを過ごしたのをおぼえています。翌日明るい禄剛崎をもう一度見物して、能登線の始発駅から出る金沢行きの急行能登路号に乗車しました。
輪島も金沢からは結構離れていますが、珠洲はそれ以上に離れていて、朝9時ごろ発の急行に乗車したのに、金沢に着いたのは昼過ぎでした。

そして金沢の街を素通りして、宇奈月温泉に直行してそこに泊まりました。

私の親戚の志賀町とこの珠洲市も同じ県とは思えないくらい離れていて、特に今は輪島に行く七尾線の穴水以北や、能登線の穴水〜蛸島間もすべて廃止になり、車のない人は観光バスやツアーでない限り、ほぼ観光もできないくらいの状況になっています。

そういえばあまりこれらの話とは関係ありませんが、金沢市のコンビニなどでも普通に買える「宗玄」という酒はたしか珠洲市の醸造会社が造る酒で、金沢で以前洋菓子屋を経営していた親戚の方が「宗玄はうまいよ。俺は一番好きな酒や」と言っていました。

大きな地震が起きると。まずは「水」「トイレ」「手を洗う手段」そして「医薬品」だと思っています。もちろんそれ以外にも必要なものはたくさんありますが、最初に困るものや、体調が悪くなった時の対応がまず必要だと思っているからです。
あとは他の人や自治体などと連絡を取る手段である通信機器やラジオなどという気がします。

しかも「お弁当忘れても、傘忘れるな」といわれる雨雪の多い、北陸地方です。
特に能登は「釉薬瓦」が黒く映えるような降水量の多い地域です。
シーズン的にも雨にも注意だと思います。

被災地の皆さんにはお見舞い申し上げるとともに、これ以上大きな地震が起きないように、と祈っております。

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話は違いますが、
「タウンクリニックドットコム・時代文化ネット」では複数のサイトで様々な文化情報というと、立派ですが、自分の記載したい分野の情報を発信しています。ちなみに近々に下記の情報を別サイトにアップしました。もしよろしければ・・。

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大した話ではありませんが、少し気になったので・・

近年、気象災害が急増して、色々と警報などの文言が改定されたようです。

最近よく聞くのは、表題の2つで、特にこれからの季節は多くなることが多いようです。

どちらも人命にかかわる切迫した、気象情報だと感じています。
相当頭脳明晰な方が、頭をひねって、考えだしたのでは?と想像します。
もちろん意味的には、適切な文言だとは思いますが・・、

表題の2つの気象情報の文言って、たとえばすべての国民が簡単に、瞬時に理解できる言葉なのでしょうか?

一般論ですが、特にこのような災害で多く犠牲になるのは、高齢者や小さな子供です。
「アラート?」「顕著?」

区分9b

話は違いますが、
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追記分(6月19日AM7時22分)
夕方に一旦インフラが回復したように報道されていましたが、夜以降朝の報道ではまだかなり水道などが止まっているようです。新たに欠陥が見つかり止ったところもあるようです。


今朝、朝食を食べていたらいきなり緊急地震速報がありました。
昨日も函館スプリントSのゴールくらいに急に緊急地震速報があり、群馬で地震があったばかりでした。
また方向は違いますので関係ないかもしれませんが、函館の最終レースはどの馬も枠入り後にすごい興奮状態でそのうちの一頭(実は私が買っていた馬でした・・)はゲート内で暴れて怪我をして出走取り消しになったほどです。長年競馬を見ていますが、これほど多くの馬がゲートで同時に興奮するのはあまり見たことはなく、すごく違和感を感じていました。

それはともかく、前日の群馬の地震などと比べると、今日の地震ははるかに規模が大きく、人的にも大きな被害がでました。

お悔やみ、お見舞い申し上げます。

私は親戚の殆どは関西人と北陸で地震のあった地域付近にも複数住んでいます。家族が連絡をとったところは大部分の人は大丈夫だったようですが、個人的に子供の頃からすごく近い従兄弟が豊中南部の庄内というところに単身で住んでいたはずで、昼間では連絡が取れていないようで大丈夫だったか心配していました。ただニュースなどでは大丈夫そうなので、電話も混乱しているようなので追加連絡はしていません。
彼は店が変わっていなければ阪急線の駅(東淀川区)の近くの飲食店の店長をやっているはずなので店も大変かもしれません。
以前東日本の時に東京でレストランをしていた人が地震で食器などの多くが破損して、結局閉店に追い込まれた、という話をきいたことがあります。

また祖父母の実家が以前は長年この地域の豊中の上野(吹田市や千里に近い地域)というところに祖父母の実家があり、当時子供時代は一年に何ヶ月もすごていました。
今は取り壊されてありませんが、阪神の震災の後は家具が倒れたり、壁に大きなひびが入ったりしていたのをおぼえています。阪神大震災は神戸というイメージが強いのですが、豊中あたりはすぐ2〜3キロくらいで伊丹空港がありかなり揺れがひどかったようです。今回は高槻や枚方あたりが震源区域と思われますが、大阪付近は結構狭いので近隣の兵庫県や京都府でも被害が出ているようです。

それから私自身も東日本震災で仕事でいわきの小名浜漁港の近くで被災しました。
当時いわきは震度6弱だったらしいのですが、当時自分では震度6など経験したことはなく、緊急地震が鳴って揺れはじめてからの出来事は今でも忘れられません。

ごおおおおっ、という轟音とともに、ミシミシッ、という建物などがきしむ音がして、その音が今でも耳に残っているくらいです。
周りの家が大きくバウンドするような感じになり、そのうち瓦がすごい音を立てて大量に落ちました。
あとで片付けの時に瓦はすごく重いことがわかり、こんなのに当たったら大変だと思いました。
しばらくするとあちらこちらでサイレンが鳴り始め、となりの大きな駐車場付のパチンコ屋さんにも救急車が来て誰かを搬送して行きました。パチンコ屋さんの大きな建物の屋根の一部が崩落した関係だと思います。
と、急に薄暗くなりいきなり雪が降り出しました。

ほどなく目の前の港から常磐線の泉駅に向かう道路は大渋滞になりました。津波から避難する車が殺到したためだと思われます。

大きな揺れで外に飛び出しましたが、地震の揺れはすごくて地力では立っていられないくらいでした。駐車場のトラックにずっとしがみついていました。揺れがおさまり仕事先の工場の事務所に戻ると中はヒッチャカメッチャカになっていました。

先程テレビで見たら、やはり同じようにコンビニなど店舗の硝子が割れ落ちたりしていました。
当時車も宿泊先もない状態なので避難させてもらえるということで、訪問していた会社の常務の実家に車で連れて行ってもらった途中も、道路が大きく隆起して電柱はことごとく傾いていました。

当時首都圏では余り知られていないかもしれませんが、電気が回復したので翌日のニュースでは福島県内では大規模な土砂崩れ(白河)やため池の決壊(須賀川)などがありかなりの人数の方が犠牲になりました。地元テレビでは何時間も救出活動を中継していました。ただその後段々と判明した津波の被害があまりにひどかったことや原発事故の関係もあり、それ以後はあまり詳しく報道されませんでした。

結局海と事務所の間に大きな工場があり防波堤代わりになったので私のいたところは津波で浸水は免れましたが、その後1年くらいは海に近いところに行けませんでした。

これからしばらく余震に悩まされると思いますが、当時はとにかく水が大事だと感じました。
普段は余り気付きませんが、手を洗えない、トイレが使えないなどはそのことだけではなく、メンタル面も含め体調不良の大きな原因になります。

今回は電気はほぼ復旧、水道もおおかた大丈夫になりつつあるようですが、長時間の電車の立ち往生、エレベーターに閉じ込められるなど都会ならではの被害も多かったようです。私は閉所恐怖症なので考えただけで具合が悪くなりそうです。

すでに大きな被害が出ていますが、これ以上拡大しないことを祈っています。
本当にいつも大きな地震は意表をつくように起きるので驚いています。

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