サイト運営者日記「ぶらぶらうだうだ・・」

「タウンクリニックドットコム」「時代文化ネット」などサイト運営をするアナログ脱サラ(いつのまにか・・)親父のブログの何でも日記風ブログです。

(最新更新日:2022年6月24日 掲載日:2008年11月19日)
当サイトのタイトルや本文中の画像、文言等は管理者が独自に撮影、制作したもの、および所有者や著作権所有者の方の許可を得るなど諸法律に沿って使用しております。無断での転載、転用をかたく禁じます。タイトル画面は近鉄奈良駅前商店街の「鹿屋」(閉店)でかつて販売していた「鳴き鹿」、奈良公園の鹿です。

2005年にスタートした「穴狙い千ちゃんの旅行記」〜2008年に別URLでリニューアルした「穴狙い千ちゃんの旅行記2」をそのまま現在のタイトルに変えて掲載を続けています。ほとんどITには縁のなかった証券マンがたまたま転職した先でウェブサイトを運営するグループに所属し、その流れでこのような「アナログオヤジの日記」を続けております。
宜しくお願い致します。

なお私は一応、「タウンクリニックドットコム・時代文化ネット」というサイトの運営管理者でもあります。

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埼玉東南部編(鳩ヶ谷、安行、大門)

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少し前に「どれにしようかな〜〜」のことを掲載しましたが、ついでに思い出したことをまた記載します。

小さい頃育った埼玉県鳩ケ谷(昭和42年市制、平成の大合併で川口市に編入)で、表題の「♪お弁当粒つけてどこいくの♪」という歌がありました。このフレーズには続きがあって「♪大宮公園ひとまわり♪」と続きました。

少し前に「どれにしようかな♪」の話を書いた時に、それも思い出して、少し調べてみました。
するとやはりネットにはそれに関係することが結構出ていました。

どこの町の話かは不明ですが・・
ネットによると・・
「お弁当付けてどこ行くの」というフレーズと
「ご飯粒付けてどこいくの」というフレーズが存在するようでした。

私が子供のころに聞いたフレーズはその中間という感じでした。

最後の
「大宮公園ひとまわり」というところはすべて共通のようでした。

大体「お弁当粒」ということばは当時も日常に使った記憶はなく、鳩ケ谷では両方のフレーズが入ってきて、そのうち両方がまざってしまい、このようなフレーズになったのかもしれないと思いました。

埼玉県は当時(昭和40年代)はまだそれほど都市化はされていなくて、実は鉄道のない鳩ケ谷にいたっては、「大宮公園」も遠い存在で、名前は有名だったので知っていましたが、私も小学5年の時に初めて行くまでは、実際には行ったことすらありませんでした。

行くと、公園というよりは、埼玉県ではどの町にもあるくらいの、あの「氷川神社」の総本社の「裏庭」、というか敷地に隣接したところのように感じました。そこに公園や野球場など運動施設などがあるという感じだったみたいです。

個人的な想像ですが、考えるに、きっと「大宮公園」は、当時の埼玉県民にとっては、民間信仰のシンボルだったのかもしれません。

小さいころは「大宮公園」自体を知る前に、この歌をおぼえるというくらい、一般的な歌に感じていました。

もしかしたらよその土地でも。「大宮公園」の部分が他の地名や施設に置き換わって、存在しているのかもしれないですね。

あれからかなりの年月が経ちますが、引っ越して東京にいますが、以来今だに「大宮公園」にはいっていませんが、たまたま、活動の一環で歯科医院をまわっていたら、紹介で東武野田線の大宮公園駅の近くの歯科医院に行く機会はありました。
すると今は知りませんが、大宮公園駅も駅の格からは想像もできないほど、駅舎本屋も立派な建物でびっくりしたのをおぼえています。

当時から埼玉県民は秩父地方以外は、県民意識やふるさと意識のかけらもない県民とよく言われていますが、唯一この歌のように「大宮公園」は数少ない県民意識のあらわれなのかもしれません。

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小さい時に、何個かあるものから、ひとつを選ぼうとするときに、
「どれにしようかな、天神様のいうとおり、おべべのべ」
と言っていました。

なぜいきなりそんなんことを書いたのかというと、昨日テレビ番組の「ヒロシのぼっちキャンプ」で、彼がものを選ぼうとする場面があって、その時に「○▲※□×◎△〜〜・・」と何かの呪文のように、言っていて、画面には「彼が熊本県出身である」旨が表示されました。

「そういえば・・」
こういう時に、私も無意識にかならず冒頭のようなことを言っていたのを思い出しました。
正直テレビを見るまでは、そんなことはすっかり忘れていました。

思い出しついでに、自分の言っていた言葉は、全国でどのような位置づけになっているのか、興味がでてきてネットで調べてみました。

ちなみに私は生まれたのは大阪で、親は北陸、親戚や文化はほとんど関西や北陸ですが、育っていたのは埼玉県です。埼玉は今は東京と地続きのような存在ですが、私が育った当時はそこまでは都市化されていませんでしした。

調べてみると、
やはり、この「どれにしようかな・・」の言い方が色々出ていました。

すると、まず表題の言葉は「どれにしようかな」ではなく「どちらにしようかな・・」と出ていました。

さらに真ん中の部分はこれは全国ほぼ共通ですが、「天神様のいうとおり」になっていました。
そして、そこから後はどの地方も、まったくと言っていいぐらい、地方ごとに違っていました。

さらに私が使っていた、最後の文句の、
「おべべのべ」
という部分は、たとえば埼玉県、群馬県、新潟県では共通して「あべべのべ」というふうに載っていました。

「おべべのべ」ではなく「あべべのべ」でした。

そこで私が使っていた「おべべのべ」というのを調べてみると、総合的に判断するとやはり埼玉県や群馬県の一部ではそのように使われているような感じでした。

ちなみに「おべべのべ」というのはどのような意味なのでしょうか?
当時は無意識に使っていたので当然そんなことは考えませんでしたが、不思議な言葉で、意味不明です。

また他の地方での言い方も、「天神様のいうとおり」の後は、意味不明な文句の地方が多く、特に自分が使っていない言葉の多くには違和感を感じました。

そもそも、何でほぼ全国で「天神様」なのでしょうか?
たとえば埼玉で私の住んでいた街には、私の知る限り「天神様」はありませんでした。あったのは「氷川神社」です。

私の認識では天神様とは、天満宮のことで、菅原道真が祀られてという認識ですが、

もしかしたら「天神様」が全国を行脚して、布教活動をしたのかな?
その名残りなのかな?とも思いました。

当時は当たり前のように使っていましたが、
不思議な言葉で、謎につつまれています。


区分9b

話は違いますが、
私は上記のように「タウンクリニックドットコム・時代文化ネット」では複数のサイトで様々な文化情報というと、立派ですが、自分の記載したい分野の情報を発信しています。ちなみに近々に下記の情報を別サイトにアップしました。もしよろしければ・・。

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偶然ネットで知人の歌手のスケジュール表を見ていたら、30日になんと鳩ヶ谷でライブステージがあると書いてありました。たまたまその方から別件のライブ情報件でメールの連絡が来た後だったので郷土自慢ではありませんが、どうでもいいようなメールを返信してしまいました。

私が鳩ヶ谷に住んでいたのは、年がばれるのであまり言いたくありませんが、昭和40年前後?から約10年以上でした。(曖昧な表現ですみません・・)個人的には生まれは大阪で、埼玉に移った後も小さい頃はかなり長い期間大阪に入り浸っていましたが、事実上鳩ヶ谷が出身地でもあり、育ったところといえるのかもしれません。

当時のことは記憶からかなり消えていますが、とにかく周りはほぼ完全に農業地域だった、という印象です。
住んだ場所は里というところの西公団という住宅でした。
ただ今の団地とちがい、2階建ての一応鉄筋ではありましたが、一軒一軒はせまい長屋風で、内装も白壁、木、石のたたき、くもりガラスというような造りでした。

住宅が出来たのは昭和33年で、当時は木造平屋やバラックしかない時代だったのでそれなりに新しかったのでしょう。
まだ鳩ヶ谷町だった時分の里という地区の端の、川口の西新井宿という地区との境の田んぼが切れて野山(安行など大宮台地の端?)が始まるところの丘の上に住宅は建っていました。
件数は120軒くらいで、公的な高校や病院以外は近所には田んぼと野山以外にはありませんでした。

子供は皆鳩ヶ谷小学校に通っていましたが、ほどなく山を降りた田んぼの中に里小学校ができて、私はそこに通いました。姉は2年までは鳩小に通っていました。里小はまわりはすべて田んぼで、通学の時は特に梅雨時だととにかくかえるの声がすごくうるさかったのを覚えています。

なぜそんなに遅れていたのかといえば、鉄道がなくどこの駅にもバスで30分くらいかかる場所でした。
同様に隣接している今も日本一の植木の産地で有名な川口市安行(昭和にはいり安行町から川口市に編入)やさいたま市緑区の大門(昭和40年手前くらいまで美園村でその後浦和市に編入。今はスタジアムのある浦和美園駅のある近辺です)なども武蔵野線が開通した後も農村のままでしたが、近年埼玉高速鉄道という都心直通の鉄道が開通すると急に大きく発展を始めました。

いつも出身は埼玉で、「ハトガヤ」というと「えっ?」「クマガヤ?」「コシガヤ?」といわれていました。
そして遂には平成の町村合併で消滅して川口市に編入されてしまいました。

育った頃は「陸の孤島」といわれていたようで、けっこう方言もありました。
人に会う時などは大阪弁は結構かっこうも評判もいいので、もとから関西の家系なのもあり幼少時に聞いていた片言の関西弁くらいはたまに調子に乗って話しますが、鳩ヶ谷で使っていた言葉は、結構はずかしく、いじめられるのではないかと思い、ほぼ完全に東京に来た時点で長年封印してしまいました。

近年方言ブームみたいなものがあって、懐かしさもありたまに口に出すようなことも出てきました。

距離的にあんな東京に近いのに、本当?
と思うかもしれませんが、本当です。それくらい周囲の地域と隔絶していました。

東京に転校していちばん驚いたのは、鳩ヶ谷では全校生徒で3〜4人くらいしか通っていなかった学習塾というものが、東京ではちゃんと近所などあちこちにあり、クラスの半分以上の人が当たり前に通っていたことです。
その時鳩ヶ谷では浦和とかの学習塾にバスで通っている生徒は、それを知られないように隠していたくらいで、ばれると「ガリベン」とか色々いじめられるネタにされていたくらいです。

10年位前に本当に久しぶりに仕事のついでに鳩ヶ谷に行ったときは、すでにもうありきたりな住宅都市になっていました。

今回のイベントも川口市鳩ヶ谷宿(昔日光御成街道の宿場でした)の〜イベントという、題名でした。

自宅だった住宅がすでに取り壊されていることもあり、懐かしい反面、少し寂しい気持ちにもなりました。

実際現在は鳩ヶ谷に関係した人はほぼ誰ともつながりが残っていません。
といいつつも他にも友達の絶対数が少ないので、もとからあまり多くのつながりはありませんが・・。

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