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FM世田谷番組「坂井賢太郎の昭和バンザイ」の1月26日、2月2日の放送は「永井みゆき」が新曲「秘蛍(ひめぼたる)」のPRも兼ねてリモート出演します。放送は下記通常放送の他にリアルタイムのみインターネットラジオ「リスラジ」でお聴きになれます。ぜひともご拝聴ください。
・放送局:FM世田谷・・83.4MHz
・放送日:2023年1月26日(木)および2023年2月2日(木)の22:00〜22:30
・再放送:2023年1月27日(金)および2023年2月3日(金)の22:30〜23:00

※通常のラジオ聴取可能エリア:東京都23区西部(世田谷区、杉並区、中野区、渋谷区、練馬区、新宿区など)および多磨東部地区(武蔵野市、三鷹市、調布市、狛江市など)
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「秘蛍」You tube動画(テイチクエンタテインメントから承諾を得ています)

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さてここからは「鉄道サイト」の記事です。

上野発客車普通列車「一ノ関行123列車」
(1978年10月1日)

※撮影・所有はサイト管理者でスキャンして掲載

一関行客車普通列車5
(行き先のサボ)
国鉄は1978年10月2日に大規模なダイヤ改正を行いました。当時私は高校1年で野球部に入っていたので、元来の趣味だった鉄道関係からはかなり離れた状態でした。高校入学後は自宅近くの南武線の72系電車引退時は分倍河原駅に見物に行きましたが、鉄道を第一目標に見物するようなことはなくなりました。

ただこの年の夏休みには高校の友人(鉄道ファンではありませんが・・)と信州を列車でまわりました。小諸や大町、木曽、伊那などを巡りましたが、途中で小海線の旧型気道車、大糸線や飯田線の旧型国電列車、中央西線の80系電車などに乗車することができました。というような旅行に行くことはできました。

でもこの改正で上野発の長距離客車普通列車としてならしていた「一ノ関行123列車」がついに廃止になるということがわかり、幸い日曜日だったので久しぶりに上野駅に駆けつけました。
一関行客車普通列車4
(牽引するEF58、ヘッドマークはファンの手製)
この列車の存在はかなり以前から知っていました。私は昭和49年までは埼玉県に住んでいました。ちょうど姉が通っていた公立の中学の林間学校は那須高原だったのですが、大宮からこの「一ノ関行」に乗車して列車で現地近くの駅(たしか黒磯だったと思います・・)まで行くという予定表だったのをおぼえています。

この53年の改正の目玉は紀勢本線・和歌山ー新宮間の電化でした。
特急くろしおがついに電車化され気道車区間の新宮ー名古屋間は廃止されました。「特急くろしお」には当時は先進的な車両で中央西線「しなの」で活躍が始まっていた381系「振り子型電車」が投入されました。カーブでも通常よりも減速しなくてすむ電車だったと記憶しています。また武蔵野線の新松戸ー西船橋間が開通しました。他には表題の上野発客車普通列車が大幅に整理されました。最長距離の表題の「一ノ関行」以外に10時52分発の高崎行、また夕方に出発する福島行、また常磐線の全線を走破する仙台行がこの改正で廃止になり、上野発の客車普通列車は「風前の灯」になりました。

この5年後に東北・上越新幹線が大宮発で暫定開業して、特急や急行列車の多くが整理されました。
それに先立ったような感じでこの改正で、旧型客車の長大編成で長距離を走るような列車が廃止になったんだ、と後になって感じました。

すでに時代は戦後の面影を残すようなレトロなものが淘汰され、その後に起こる近代化が進む「平成」の文化に進もうとしていたのかもしれません。

客車普通列車は基本的に扉は車両の両側の2ヶ所のデッキにありますが、走行中も扉はあいたままです。そんな危険な列車はきょう日はありえませんが、当時は地方にいけば多くの列車がそうだったと思います。

さて、下記の写真が123列車「一ノ関行」の最終日の様子です。私は上野駅の13番ホームで撮影を始め、大宮まで旧型客車に乗車して、大宮で降車してまた撮影をしました。もちろん素人のうえ、腕も悪く、さらに安いカメラのハーフサイズだったので、とても見れたものではない写真ばかりですが、文化資料としては若干意味があるかもしれないと思っています。

一関行客車普通列車3一関行客車普通列車2
一関行客車普通列車10
一関行客車普通列車8
一関行客車普通列車6
一関行客車普通列車11
一関行客車普通列車7
一関行客車普通列車9
一関行客車普通列車1