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表題は、何と「てしまこうえんプール」と読むそうです。
豊中市の阪急宝塚線の曽根駅から歩いて少しのところにありました。

小学生のころ、豊中の上野小学校のちかくの祖父母の実家からプールに行く時に、よく行ったプールです。当時は車がないのが普通で我が家も例外ではなく、バスで豊中駅に出て、電車で2駅乗り曽根駅に出てそこから歩いて行きました。まだ近隣以外の地名などはよくわからなかったので、「としま」か「とよしま」かどちらかなのか?と勝手に考えて、現在に至りました。

ところが、現在この「てしまこうえん」にはプールはなくなっているようです。
というよりはホームページで見た範囲では、近くに温水プールができたみたいです(事実関係の詳細は不明です・・)。またいつ閉鎖になったのかは定かではありません。

このプールに初めて行ったのは多分小学校の2〜3年生のころだと思います。
親戚のおばちゃんなどと皆で一緒に行きました。
プールは屋外で、子供用の浅いプールと大人用の普通のプールが共存していました。
プール沿いに阪急電車の線路があり、泳いで?(当時はほとんど泳げませんでしたが・・)いると、頻繁に電車が通ったのをおぼえています。

ある時に、いとこが集まって、子供たちだけで行こう、ということになりました。
知多半島に住む父の妹の子供の兄弟(年上)、私と姉、それから初芝の父の他の妹の息子(1年下)のメンバーで出発しました。

当時曽根駅からプールまでの正確な道順を知っている人はいなくて、大人に連れていってもらった時の記憶をたよりに「現地に行けば何とかなるだろう」というのが、皆の考えで、私も「大丈夫だろう」と思っていました。

ところが、実際に駅について歩き始めると、道というのは目的地に直接つながっているわけでもなく、遠くからでも見えるような目立つ「タワー」のような目印もなく、道順は完全にわからなくなってしまいました。

よく山で道に迷うと、動けば動くほど道がわからなくなってしまうことがあるそうですが、状況はそこまで危険ではありませんが、同じような状況になってしまいました。

また皆は早くプールに行きたいので、そのうちに他のプールでもいいから、他もさがそうよ、ということになり、ひたすらその周辺を歩いてまわりました。当然前述の「山の道迷い」のように「今どこにいるのか」もわからなくなっていました。

どれくらい時間がかかったのかはわかりませんが、ついに阪急線からはかなり離れた「服部緑地」のほうまで来ているようでした。すると誰かがおぼろげな記憶で「それなら、服部緑地にはたしかプールがあったと思うよ」というようなことを言いました。「ほんまかいな?」とも思いましたが、皆疲れ果てていたので、それでも何でもいいから早くそこに行こう、と思いました。

正直もうプールなどどうでもよくなっていました。
腹も減ってきて、早くこのスパイラルから抜け出したいと、思っていました。

でもしばらく我慢してさがしながらさ迷っていると、温水の室内プールのような建物が見つかりました。
そこで一番上の従兄弟たちが、プールの事務所か何かで話を聞きに行きました。
しばらくして、帰ってくると「ここはだめだ、深いらしいよ」といいました。
上の父の妹の子供の兄弟は当時知多半島に住んでいて、いつも海で泳いでいるので、あまり関係ないのですが、他の私と姉や、もう一人の従弟は少なくとも海の近くには住んだこともなく、私に至っては前述のように事実上の「かなづち」でした。

皆もうどうでもよくなりました。
いわゆる「戦意喪失」状態です。

さてここから曽根駅に戻るには、どうしたらいいか?
皆必死に道をさがしました。途中で人に聞いたかもしれません。

そんなこんなでやっと曽根駅にたどりつき、帰ろうとした時です。
多分そこで再度また誰かに聞いたのかもしれません。
そしたら、たしか駅の反対側だったようにおぼえていますが、問題の「豊島公園プール」には簡単に行けることがわかったように記憶しています。たしかその後そのプールで少し遊んで、帰ったのをおぼえています。

この話は「オチ」はなく、これでおしまいですが、どちらかというと他のどのプールよりも詳細ではありませんがその時の経緯の記憶が残っていて、印象深いできごとであり、プールでした。

しかし読み方を「てしまこうえんプール」と読むのは、今の今まで知りませんでした。
たぶんここまでこのプールにこだわった人たちの中でも上位に入るような思いでがあるのに、です。

自分でもそう思う理由はよくわかりませんが、、「閉鎖」されたのをきわめて残念に思っています。