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今日は仕事の急用で横須賀に行きました。
横須賀は久里浜フェリーに何回か乗った時や、以前夜仕事で郊外の駅に行った時に通過しましたが、実際町中を訪ねたのはなんと、幼少時(何十年前??)以来です。(もちろん2回目です)
横須賀市三笠公園写真
物心がつく前の記憶というのは大人になってしまうとほとんど忘れてしまうものだと思います。
ところが何十年経っても心に焼き付いて離れない、情景の記憶というものが一部残っている方も多いのではないでしょうか。
その情景はどこなのか、またいつのことで、どういうことがあった時なのかは全く思い出せないけれど、記憶のスクリーンにその景色や光景だけが鮮やかに残っている、そんな情景の記憶がいくつか私にも残っています。

私事で恐縮ですが、横須賀の情景の記憶もそのひとつでした。
横須賀の他には大阪の淀川の夕方の風景、心斎橋の飲食店(後で聞いたらかに料理屋だったはずです)から川を見下ろした風景などです。
どれもかなり強烈で日常的ではない個性的な風景ばかりですが詳細は全く憶えていません。
横須賀市ウ゛ェリーニ公園写真
横須賀の記憶とはこんな内容です。

私の母は金沢の学校を出たのですが、戦中戦後の混乱時期で母親(祖母)と姉妹(叔母・伯母)は当時横浜に住んでいたそうです。社会に出てしばらくして私の母親も上京して結婚して大阪に引っ越すまでは横浜で一緒に住んでいたそうです。

当時戦後すぐのバタバタの時期で日本中大混乱だったようです。
そんな時代だったので、前述の叔母・伯母(母の姉妹)は二人とも当時横須賀にいたアメリカ駐留軍の軍人さんと結婚しました。結局両家族ともアメリカに行ってしまったのですが、私が生まれてしばらくの幼かったころまで叔母の家族は横須賀の基地に住んでいました。

もちろん滅多に会うこともなかったのですが一回だけ私も連れられて、みなで会いに横須賀に行ったことがあります。
その時の細かい記憶はほとんど無いのですが、米軍基地の中の住宅(行ったことありませんがアメリカにいるような・・)で義理の伯父(アメリカ人です)に抱いてもらったら、私は怖がって泣き叫んだそうです。そしてしばらく泣き叫んだままだったそうです。
抱かれて泣いたことは殆どおぼえていませんが、異国のような風景はおぼろげに憶えています。
横須賀駅・駅舎写真
そしてここからが強烈に記憶に残っている情景です。
面会が終わり、帰路につくために駅で電車に乗ったのですが、母親もまったく初めての場所で間違えて反対方面(久里浜方面?)の電車に乗ってしまいました。
私はすでにもう散々泣いていたのですが、電車を間違えてことでまたさらに大泣きしてしまったそうです。
というのも、その記憶の情景は今の横須賀の街のような華やかな情景ではなく、どちらかというとさみしくうす暗い駅のホームがあり、ホームからはすぐトンネルになっている、そんな情景でした。
異国的な情景とそのさみしい風景が合わさって、しかも間違えたという、当時の幼児にとっての「恐怖」も重なり、ホームからの情景だけ強烈に記憶に残ってしまったのでは、と今になると思います。

今日掲載した3枚の写真は上から中心部の三笠公園とJR横須賀駅前にあるヴェリーニ公園の横須賀駅の昔のままの駅舎の写真です。

JR横須賀駅は町中の大きな駅なのかと思っていたら、写真のように古いままで、街からを遠く離れた軍港のすぐ近くの海沿いにありました。
そして、JR横須賀駅のホームに立った時に「あっ」と気付きました。

私が幼少時からずっと憶えていたあの強烈な情景は、このJR横須賀駅のホームから見た風景でした。
いまも当時から大きく変わっていない、少しさみしい風景でした。

と、普通はこれで話は終わりですが、この日は都心に戻ってまた夕方から業者の人と会う約束をしていました。
ところが夕方過ぎに山手線や埼京線が止まってしまい、その関係でお会いするまでに予定より約二時間くらいかかってしまいました。

最初は新宿の予定でしたが、その関係で下北沢になりました。よく電車が止まって混乱することがありますが、この日の混乱はかなりのものでした。ひどい目にあった方もいらっしゃると思います。

★追記(2022年2月24日)
2022年の追記ですが、現在サイトをテーマ別に分けて制作していて、下記のサイトで現在も鉄道関係の記事の掲載を開始しています。もしよろしかったらですが閲覧ください。