サイト運営者日記「ぶらぶらうだうだ」&レトロ中心鉄道のコラボサイト

「タウンクリニックドットコム・時代文化ネット」を運営をするアナログ管理人の日記&趣味のレトロ中心の鉄道のコラボサイトです。

(最新更新日:2024年3月16日 掲載日:2008年11月19日)

2008年にスタートした「アナログなサイト管理人日記」と「レトロ中心の鉄道サイト」のコラボサイトです
特急はくたか豪画像1・越後湯沢駅

趣味のレトロ中心の鉄道の話題を中心に、サイト管理人が以前勤めていた証券など金融、競馬、野球などテーマにこだわらない雑感や日記を綴ったコラボサイトです。サイト管理人は2007年から地域情報サイト「タウンクリニックドットコム」を立ち上げ、2014年頃から同時並行で独自の文化資料やテーマ等で文化記録を目指す「時代文化ネット」の運営管理者です。(実は超アナログ人間ですが・・・)

当サイトの本文中の画像、文言等は諸法律に沿って使用しております。またタイトル画面は埼玉県幸手市権現堂(本人が撮影:2012年4月)。またすぐ上の写真は越後湯沢駅に停車中の特急はくたか号(本人撮影:2013年3月)。いずれも無断での転載、転用をかたく禁じます。


jidailogo3 

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日記 に参加中!
少し前に「どれにしようかな〜〜」のことを掲載しましたが、ついでに思い出したことをまた記載します。

小さい頃育った埼玉県鳩ケ谷(昭和42年市制、平成の大合併で川口市に編入)で、表題の「♪お弁当粒つけてどこいくの♪」という歌がありました。このフレーズには続きがあって「♪大宮公園ひとまわり♪」と続きました。

少し前に「どれにしようかな♪」の話を書いた時に、それも思い出して、少し調べてみました。
するとやはりネットにはそれに関係することが結構出ていました。

どこの町の話かは不明ですが・・
ネットによると・・
「お弁当付けてどこ行くの」というフレーズと
「ご飯粒付けてどこいくの」というフレーズが存在するようでした。

私が子供のころに聞いたフレーズはその中間という感じでした。

最後の
「大宮公園ひとまわり」というところはすべて共通のようでした。

大体「お弁当粒」ということばは当時も日常に使った記憶はなく、鳩ケ谷では両方のフレーズが入ってきて、そのうち両方がまざってしまい、このようなフレーズになったのかもしれないと思いました。

埼玉県は当時(昭和40年代)はまだそれほど都市化はされていなくて、実は鉄道のない鳩ケ谷にいたっては、「大宮公園」も遠い存在で、名前は有名だったので知っていましたが、私も小学5年の時に初めて行くまでは、実際には行ったことすらありませんでした。

行くと、公園というよりは、埼玉県ではどの町にもあるくらいの、あの「氷川神社」の総本社の「裏庭」、というか敷地に隣接したところのように感じました。そこに公園や野球場など運動施設などがあるという感じだったみたいです。

個人的な想像ですが、考えるに、きっと「大宮公園」は、当時の埼玉県民にとっては、民間信仰のシンボルだったのかもしれません。

小さいころは「大宮公園」自体を知る前に、この歌をおぼえるというくらい、一般的な歌に感じていました。

もしかしたらよその土地でも。「大宮公園」の部分が他の地名や施設に置き換わって、存在しているのかもしれないですね。

あれからかなりの年月が経ちますが、引っ越して東京にいますが、以来今だに「大宮公園」にはいっていませんが、たまたま、活動の一環で歯科医院をまわっていたら、紹介で東武野田線の大宮公園駅の近くの歯科医院に行く機会はありました。
すると今は知りませんが、大宮公園駅も駅の格からは想像もできないほど、駅舎本屋も立派な建物でびっくりしたのをおぼえています。

当時から埼玉県民は秩父地方以外は、県民意識やふるさと意識のかけらもない県民とよく言われていますが、唯一この歌のように「大宮公園」は数少ない県民意識のあらわれなのかもしれません。

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【公式】誰かに話したい"プチ自慢" に参加中!
「誰かに話したいプチ自慢」というお題ですが、自慢というのはどんな事情があっても、聞いた方はどう思うのか?は結構明白で、大体ろくなことはありません。でもあえて今までのことを思い返して考えてみました。

それは「地理の話」です。
私は結構「地理系おたく」で、普通の地理、気象、自然地理、鉄道など関連した分野の話は大体好きで、子供の頃から色々なことに嵌っていました。もちろんそういう方面の仕事をとも考えていましたが、よほど学業が優秀な人は気象や自然地理に行けましたが、すでにそのような競争からは脱落していました。

そしてそれ以外には仕事自体の選択肢はそんなにありませんでした。身の回りからも、「飯が食えるような世界じゃないから、たいがいにしときなさいよ」ともいわれていました。自分でも「そのとおーりっ」と思っていました。

この時点で、すでに「自慢」というより「カミングアウト」的な心理状態になっています。
はたして、皆が好意的に聞いてくれる「プチ自慢」として成立するか?になるかどうか不安になっています。

さて、この「地理」好きは大学受験の時も続いていました。
総合的な成績はあまりよくなく、当然のように浪人するはめになりました。

そして予備校の試験まで受からなくて、新宿の近くにある大手予備校の一般クラスに在籍していました。在籍しながらも、体調を崩したり、新宿の近くの最寄りの駅で下車しても予備校の近くの「色々な・・店?」に入り浸っていたり、予備校に行っても「授業」ではなく「自習室」に入り浸っていました。

何の話かわからなくなってきたので、本題にもどします。

予備校では年に何度も「模試」というのがあります。
上記のような生活や態度なので、何度も受けましたが、ほぼろくな成績にはなりませんでした。

ところが個別には、もちろん1度だけですが、自分でも目を疑うような結果が出たことがありました。
それが「地理」です。

私大受験の本番は文系であれば、英語、国語は必須ですが、もう1科目の社会や数学は個人で科目を選択できます。

もちろん私は地理があれば、地理を選択していました。そして模試も同様でした。

その時もたしか「全国総合模試」とか、何とかという名前の試験だったと思いますが、他の科目はメロメロでした。

ところが、地理だけは、何と偏差値が75と表示されていました。全国で地理の受験者が約8千人くらいいて、その中の百数十番目という順位でした。

受験の科目でいうと、「地理」というのは特殊な科目で、大学よっては受験科目から外しているところもあるくらいです。また受ける人たちは私のように地理好きか、事情のある人が多いのでは?と想像します。だから他の模試の時も、そんなに成績がよかったこともありませんでした。つまり苦手な人は受けない科目なのです。

トータルでいうと、絶望的な結果で、周りの誰からも賞賛されませんでしたが、実は自分自身はひそかに満足して、ほくそ笑んでいました。

しかし模試での「地理」の好成績もその1回きりでした。

この話はこれだけですが、本番の受験では、どこの大学も結構難しい試験で、地理の試験もそんなに楽な試験ではなかったことを付け加えておきます。そしてただ1校、試験を通った私立大学に入学しました。もちろん有名私大ではありませんが・・。

でもその大学には、私のような「半端者」を受け入れていただき、今でも大変感謝しています・・。

どうですか?
「プチ自慢」になっていますか?
結局あまり人に語りたくないような、少なくとも社会的にもプラスにならないような、心の内を白状しただけの話になってしまったようにも思いますが・・。

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【公式】なんだか記憶に残っている人 に参加中!
公式テーマにまた投稿します。
「表題のなんだか記憶に残っている人」というと、どちらかというと「プラス」の話を連想しますが、今回の私の投稿はそうではありません。しかも表題のように2人です。
もちろん同じテーマです。

私は今は何とか50代で、この話は35〜6歳くらいの普通のサラリーマンのころの話です。
仕事は営業で外回りが中心でした。
都内勤務が多く車ではなく電車の移動が中心で、池袋に勤務していたころのことです。
ストレスが多い仕事で、元から少しあった白髪が増えて、わりと目立つようになっていました。
多分年齢以上にやつれて見える状態だったと思います。

そしてその時がやってきました。
ある日池袋から埼京線に乗り、乗り替えるために新宿で下車しようとした時です。
降りるときに女子高生と少し交錯しました。
そんな激しくぶつかったわけでもなく、通常はお互いに「あっ、失礼」みたいな感じで終わるくらいに感じました。

ところが相手の女子高生は、もしかしたらもっと激しくぶつかった、ように感じていたのか?、または私があまり真剣に謝らなかったことに腹を立てたのか?その辺はわかりませんが、
離れ際に、
「何すんだよ!、じじいっ、気をつけろよ!」
と言われました。

「はあっ?」
とも思いましたが、何よりもまだ30代半ばなのに、「じじい」はないだろ・・
内容の問題よりも「じじい」にやられた感じです。


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そしてまた7〜8年くらいたったころ、またその時はやってきました。
休みの日に実家の府中市から立川を経由して、中央線に乗り換えるような用事がありました。
いつものように分倍河原で南武線に乗りました。
休日なので昼間とはいえ、車内は結構混雑していました。
でも乗車した時に席に少し隙間があったので、そこに座りました。

となりには若い男が座っていました。
彼はザックを膝の上に置いていました。
ところがよくあることですが、その紐が私の膝の上にも乗ってきたのです。
そんなに大したことでもないのですが、ずっと膝の上に紐が乗っているのも気になるので、しばらくして紐を手で取って、相手の膝の上にもどしたのです。

相手も急に行動でそうされたので。少しムッとした感じでしたが、そのままことはおさまりました。
ところが、終点の立川に着いた時のことです。

皆降りるので、座席から立ち上がり、降りようとしたした、その時に彼は、

「悪かったな!おっさん!」

捨て台詞を吐き捨てるように言うと、すぐ席を立って下車してすたすた行ってしまいました。
私はもちろん、周りの乗客にも聞こえたのでしょうか?、近くの人も皆「目が点」状態でした。

これも内容はどうでもいいのですが、要は「おっさん・・」
これは結構ダメージがありました。

「やられた!」


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今は「親父」状態にも慣れましたが、事態はさらに悪化しています。
自分でも自覚していますが、今、同じようなことがあったらどうなるのでしょうか?
コロナや他のストレスで、当時よりはるかに老けているので・・

南武線のお兄ちゃんは、

「悪かったな!じいさん!」

となり、

そして池袋の女子高生にいたっては、

「何すんだよ!じいさんよ!、怪我しないうちに早く家に帰って寝てろよ!!」
「今、ここで寝かしてやろうか! ああっ?」

というに違いありません・・・

バキッ、ボキッ、バキッ

「ぎゃああ、ぐええっ」


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令和時代がはじまり、ニュースや出来事にひとこと に参加中!
大した話ではありませんが、少し気になったので・・

近年、気象災害が急増して、色々と警報などの文言が改定されたようです。

最近よく聞くのは、表題の2つで、特にこれからの季節は多くなることが多いようです。

どちらも人命にかかわる切迫した、気象情報だと感じています。
相当頭脳明晰な方が、頭をひねって、考えだしたのでは?と想像します。
もちろん意味的には、適切な文言だとは思いますが・・、

表題の2つの気象情報の文言って、たとえばすべての国民が簡単に、瞬時に理解できる言葉なのでしょうか?

一般論ですが、特にこのような災害で多く犠牲になるのは、高齢者や小さな子供です。
「アラート?」「顕著?」

区分9b

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小さい時に、何個かあるものから、ひとつを選ぼうとするときに、
「どれにしようかな、天神様のいうとおり、おべべのべ」
と言っていました。

なぜいきなりそんなんことを書いたのかというと、昨日テレビ番組の「ヒロシのぼっちキャンプ」で、彼がものを選ぼうとする場面があって、その時に「○▲※□×◎△〜〜・・」と何かの呪文のように、言っていて、画面には「彼が熊本県出身である」旨が表示されました。

「そういえば・・」
こういう時に、私も無意識にかならず冒頭のようなことを言っていたのを思い出しました。
正直テレビを見るまでは、そんなことはすっかり忘れていました。

思い出しついでに、自分の言っていた言葉は、全国でどのような位置づけになっているのか、興味がでてきてネットで調べてみました。

ちなみに私は生まれたのは大阪で、親は北陸、親戚や文化はほとんど関西や北陸ですが、育っていたのは埼玉県です。埼玉は今は東京と地続きのような存在ですが、私が育った当時はそこまでは都市化されていませんでしした。

調べてみると、
やはり、この「どれにしようかな・・」の言い方が色々出ていました。

すると、まず表題の言葉は「どれにしようかな」ではなく「どちらにしようかな・・」と出ていました。

さらに真ん中の部分はこれは全国ほぼ共通ですが、「天神様のいうとおり」になっていました。
そして、そこから後はどの地方も、まったくと言っていいぐらい、地方ごとに違っていました。

さらに私が使っていた、最後の文句の、
「おべべのべ」
という部分は、たとえば埼玉県、群馬県、新潟県では共通して「あべべのべ」というふうに載っていました。

「おべべのべ」ではなく「あべべのべ」でした。

そこで私が使っていた「おべべのべ」というのを調べてみると、総合的に判断するとやはり埼玉県や群馬県の一部ではそのように使われているような感じでした。

ちなみに「おべべのべ」というのはどのような意味なのでしょうか?
当時は無意識に使っていたので当然そんなことは考えませんでしたが、不思議な言葉で、意味不明です。

また他の地方での言い方も、「天神様のいうとおり」の後は、意味不明な文句の地方が多く、特に自分が使っていない言葉の多くには違和感を感じました。

そもそも、何でほぼ全国で「天神様」なのでしょうか?
たとえば埼玉で私の住んでいた街には、私の知る限り「天神様」はありませんでした。あったのは「氷川神社」です。

私の認識では天神様とは、天満宮のことで、菅原道真が祀られてという認識ですが、

もしかしたら「天神様」が全国を行脚して、布教活動をしたのかな?
その名残りなのかな?とも思いました。

当時は当たり前のように使っていましたが、
不思議な言葉で、謎につつまれています。


区分9b

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【公式】思い出に残る旅行 に参加中!
まだ私が小学校4〜5年くらいのころだと思いますが、いつも夏休みになるとずっといた大阪府豊中市の祖父母の実家にいた時のことです。いつもは母と姉と私だけだったのですが、めずらしく父も来ていて、さらにめずらしく「海水浴でもいくか」と言いました。自分の実家なのに仕事の関係もあり、めったに顔を出さないばかりか、やはり仕事が不規則な上に多忙だったので、家族旅行もほとんど行ったことがなかったのに、意外にあっさり出た発言でした。

海水浴と言えば、当時は小さい頃やはり千葉の九十九里海岸に行ったことがあり、また父抜きでは父の妹の家族が知多半島に住んでいたので、大阪からわざわざそこに行ったくらいでした。

めったにないことなので、父の気が変わったり、急に仕事が入ったりしないうちに、と思い、姉も私も賛成しました。

場所はと言うと、「琵琶湖」と「洲本」はどっちがいい?と聞かれました。
「琵琶湖」は知っているけど、「洲本」ってどこ?と思い、「琵琶湖」と答えました。

でも実際に行ったのは「洲本」でした。
大人になれば皆ご存知と思いますが、「洲本」は淡路島でした。

途中の経過や、詳細は忘れましたが、実はすでに「洲本」の旅館まで予約してありました。
それが行くことが決まってからなのか、事前にその予定だったのかは今となっては判然としません。

ということで出発しました。
まず阪急電車で十三で乗り換えて、三宮に出ました。
そして神戸港から船で、淡路島に渡りました。
船は大きくありませんでしたが、大阪湾や瀬戸内海なので穏やかで、楽しい船旅でした。

そして1時間半くらいで洲本港に到着しました。
着てみると、船旅があったりで、こちらでよかったと思いました。

洲本は海水浴場がある海岸沿いに旅館などがならび、そこにすぐに低い山がありました。
旅館はたしか「三熊館」というところで、結構大きな旅館でした。
けっこう観光地なんだな、と思いました。

海はあまりきれいではありませんでしたが、波は穏やかで、さらにわりと遠浅に感じました。
ただ海に入ると、一旦少し深い、脊の立たないところがあり、そこをこえるとまた浅瀬になり、不思議な感じでした。

またクラゲがすごく多くて、最初は海に入っているとたくさんいて、気持ち悪い、と思っていましたが、そのうち慣れました。
それからヤドカリなどもたくさんいました。

そして時間はあっという間に過ぎて、帰りの船に乗ることになりました。
神戸に戻るのか、と思っていたら、理由はわかりませんが、和歌山の深日(ふけ)港に行く船に乗りました。

船は往きとちがい、紀伊水道を通っている関係か、結構ゆれました。
船も神戸からの船より、小さかったように感じました。
そしてゆれは縦というよりは横に揺れたような気がします。

しばらく走り、すでに暗くなり、船はやっと深日港に着きました。
すこしホッとしました。でもこれからまだ長い道のりでした。

当時は南海電車に深日港から、灘波に行く急行のような列車があり延々とそれに乗りました。
「こうや号」みたいにロマンスカーみたいな列車ではなく、中長距離列車仕様の席でしたが、普通の車両でした。

灘波から御堂筋線・北急で桃山台に出て、さらにバスでやっと夜遅くに帰宅しました。

父と旅行に行ったのは、その後も何回かありましたが、父が50代で病気で倒れしょうがい者になるまでの、健常者の父と旅行に行ったのは、以後これ以外には2回しかありませんでした。

それにしてもあの唐突な「海水浴に行こうか?」という言葉は「どういう気持ちだったのか?」が今でも不思議です。

当時はそのような家庭はすごく多かったと思いますが、その時の言葉の中にあった父の気持を知りたいと、今でも思っています。

旅行って、どこに行ったか、よりどんなシチュエーションで、誰と行ったか、とか誰と出会ったか、のほうがよほどよくおぼえていて、重要な話なのかもしれません。

このお題を見て、何かあるかな?と考えていたら、普段は忘却の彼方になっていた、このことを思い出しました。

ちなみに父はしょうがい者になってからは、逆に車いすが乗る車を借りたりしてわりとよく旅行に行くようになりました。

そして24年間はそんな生活が続き、父は平成25年に他界しました。

当然そんな当時のことは私も忘れていて、彼が存命中にそのことを聞くことすら、忘れていました。
※失語症もありましたが、人の話はちゃんと聞ける状態でした。

区分9b

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区分9b


ニュースで皆さんも承知と思いますが、山口県阿武町で、国からの住民へのコロナ給付金がある一人の住民にまとめて「誤送金」され、その受取人がそのお金を返還せずに、大騒動になった件は、だんだんと解決に近づいたようです。

すでにテレビで詳細が報道され、私は専門家でも、関係者でもないので、正誤や真偽、賛否についての言及は避けますが、部分的に感じたことはあります。もちろん事実関係がわかっていない部分もあり、憶測や推測でものを語ってはいけないので、下記の記載は「個人的な妄想」ということをご承知おきください。

私は長年証券や保険など金融関係に勤務経験があり、よくお金に関するトラブルを見る機会がありました。当時も当事者ではないし、その関係の仕事でもなかったのでくわしいしくみはわかりませんが、このようなトラブルや案件は、担当している弁護士さんの「知恵」が問われると感じていました。

前述の今回の件も、もしかしたらそのような水面下での交渉で、解決に向かっているのかな?
と感じました。つまり当事者同士だとなかなかことが進まないことも、別の角度から考えることで活路が見えてくるということかもしれません。

また少なくとも皆が現在の状況よりは少しは改善されるような状況ができれば、双方が納得するということが、ある意味、普段の生活や、仕事でも応用できるのかもしれないと思いました。

でもこれを別の角度から考えると、以下のように感じたこともあります。

早いスムーズな解決を優先したことは大変結構なことだと思いますが、根本的にこのような問題が今後も起きないようにすることはどうなっているのだろうか、とも感じています。多分追々論議にはなるのでは?とは思っていますが・・。

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今世界でコロナ騒動での、マスクの有無の論争が起きています。
日本でも同様ですが、日本では?

民間の一部で敷地や施設内での規制はあるようです。
これは民間なので憲法などから、よほどずれていない限りルール設定の自由という部分もあると思います。

これからの世の中、自由と責任が背中合わせになっているような多数の勘案の賛否が問われる機会が増えそうです。

でも公共の空間には、そもそも強制力のある「マスク規制」はあるのでしょうか?

付記:
このテーマって「なんかおぼえてるなー」と思い、よく投稿をさかのぼって見てみたら、一番最初の記事は私が記載したものでした。その投稿以来私はほったらかしでした。


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何でもOK日記 に参加中!
表題は、何と「てしまこうえんプール」と読むそうです。
豊中市の阪急宝塚線の曽根駅から歩いて少しのところにありました。

小学生のころ、豊中の上野小学校のちかくの祖父母の実家からプールに行く時に、よく行ったプールです。当時は車がないのが普通で我が家も例外ではなく、バスで豊中駅に出て、電車で2駅乗り曽根駅に出てそこから歩いて行きました。まだ近隣以外の地名などはよくわからなかったので、「としま」か「とよしま」かどちらかなのか?と勝手に考えて、現在に至りました。

ところが、現在この「てしまこうえん」にはプールはなくなっているようです。
というよりはホームページで見た範囲では、近くに温水プールができたみたいです(事実関係の詳細は不明です・・)。またいつ閉鎖になったのかは定かではありません。

このプールに初めて行ったのは多分小学校の2〜3年生のころだと思います。
親戚のおばちゃんなどと皆で一緒に行きました。
プールは屋外で、子供用の浅いプールと大人用の普通のプールが共存していました。
プール沿いに阪急電車の線路があり、泳いで?(当時はほとんど泳げませんでしたが・・)いると、頻繁に電車が通ったのをおぼえています。

ある時に、いとこが集まって、子供たちだけで行こう、ということになりました。
知多半島に住む父の妹の子供の兄弟(年上)、私と姉、それから初芝の父の他の妹の息子(1年下)のメンバーで出発しました。

当時曽根駅からプールまでの正確な道順を知っている人はいなくて、大人に連れていってもらった時の記憶をたよりに「現地に行けば何とかなるだろう」というのが、皆の考えで、私も「大丈夫だろう」と思っていました。

ところが、実際に駅について歩き始めると、道というのは目的地に直接つながっているわけでもなく、遠くからでも見えるような目立つ「タワー」のような目印もなく、道順は完全にわからなくなってしまいました。

よく山で道に迷うと、動けば動くほど道がわからなくなってしまうことがあるそうですが、状況はそこまで危険ではありませんが、同じような状況になってしまいました。

また皆は早くプールに行きたいので、そのうちに他のプールでもいいから、他もさがそうよ、ということになり、ひたすらその周辺を歩いてまわりました。当然前述の「山の道迷い」のように「今どこにいるのか」もわからなくなっていました。

どれくらい時間がかかったのかはわかりませんが、ついに阪急線からはかなり離れた「服部緑地」のほうまで来ているようでした。すると誰かがおぼろげな記憶で「それなら、服部緑地にはたしかプールがあったと思うよ」というようなことを言いました。「ほんまかいな?」とも思いましたが、皆疲れ果てていたので、それでも何でもいいから早くそこに行こう、と思いました。

正直もうプールなどどうでもよくなっていました。
腹も減ってきて、早くこのスパイラルから抜け出したいと、思っていました。

でもしばらく我慢してさがしながらさ迷っていると、温水の室内プールのような建物が見つかりました。
そこで一番上の従兄弟たちが、プールの事務所か何かで話を聞きに行きました。
しばらくして、帰ってくると「ここはだめだ、深いらしいよ」といいました。
上の父の妹の子供の兄弟は当時知多半島に住んでいて、いつも海で泳いでいるので、あまり関係ないのですが、他の私と姉や、もう一人の従弟は少なくとも海の近くには住んだこともなく、私に至っては前述のように事実上の「かなづち」でした。

皆もうどうでもよくなりました。
いわゆる「戦意喪失」状態です。

さてここから曽根駅に戻るには、どうしたらいいか?
皆必死に道をさがしました。途中で人に聞いたかもしれません。

そんなこんなでやっと曽根駅にたどりつき、帰ろうとした時です。
多分そこで再度また誰かに聞いたのかもしれません。
そしたら、たしか駅の反対側だったようにおぼえていますが、問題の「豊島公園プール」には簡単に行けることがわかったように記憶しています。たしかその後そのプールで少し遊んで、帰ったのをおぼえています。

この話は「オチ」はなく、これでおしまいですが、どちらかというと他のどのプールよりも詳細ではありませんがその時の経緯の記憶が残っていて、印象深いできごとであり、プールでした。

しかし読み方を「てしまこうえんプール」と読むのは、今の今まで知りませんでした。
たぶんここまでこのプールにこだわった人たちの中でも上位に入るような思いでがあるのに、です。

自分でもそう思う理由はよくわかりませんが、、「閉鎖」されたのをきわめて残念に思っています。

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素朴な疑問??? に参加中!
以前からずっと不思議だったのは、
昨年に検察庁の人事の話で、定年延長のニュースがありました。このニュース自体は政治的な色々な思惑や戦略で行われているのではないか?という一般の見解へも同感でしたし、人が集まれば、そのような画策があっても不思議ではないし、一般社会でも正誤は別にして、よく見かけるようなことだと感じていました。

たしかあの時にtwitterで大きな波が起きて、結局この法案は廃案になったのでは?という記憶があります。これも最近はたまにある出来事という印象でした。

ところが私の個人的疑問はその後です。
この問題でまな板の上に乗ってしまった、当事者の検察の幹部の方は、いろいろ言われた揚句、「賭けマージャン」をしたというニュースが流れ、その責任を取ってそのまま退職されてしまったのです。もちろん退職金も支払われたそうです。

私の疑問は、その「賭けマージャン」の行為そのものです。
当時それだけ騒がれ、国民的な話題の渦中にあった法律家の幹部が、果たして自宅で「賭けマージャン」などするでしょうか?

この問題が起きたとたんに、彼やそのまわりにいた権力者たちに対する、「それまでの検察人事を責め立てるような報道」は影をひそめ、この「賭けマージャン」に対する報道が殆どになってしまったという印象があります。多分私のように感じた人は少なくないのでは?と感じています。しかも一緒に「賭けマージャン」をしていたのは社員か元社員かはともかく皆ジャーナリストでした。

これは別の話であくまでも個人的な印象ですが、
世の中にでたまに見かける「大きな問題を鎮めるために、小さかったり、ダメージが限定的な問題にすり替える」ということを、ひとつの戦法としてたまにそう感じることがありますが・・。

実際のところは多分先々もわからないと思います。

それはさておいて、
「賭けマージャン」
あんな状況下で最高峰のプロの法律家がそんな不謹慎な行動をするでしょうか?

本当に不思議です???

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令和時代がはじまり、ニュースや出来事にひとこと に参加中!
お久しぶりです。(といっても、誰にいってるの??)

昨年夏に10年来一緒にサイト構築だけでなく、私的な部分でも自分的には「親友」と思っていた友人&仕事の相棒が病気で亡くなってしまいました。当時2年半前くらいから患らわれていたのですが、急に病状が悪化してしまったようです。

すでに私の父親や仕事や学生の知人など近しい人は複数他界していますが、このたびは肉親ではないのですが同年代で現在進行形で活動していて、生活や活動の一部みたいな方だったので、その後しばらくは受け入れること自体できない状態でした。

依頼されていたり、直接プライベート関係ないことは通常通りに続けていましたが、個人的な日記みたいなものを書く気にはなれず約1年間更新していませんでした。

特に大きな理由はありませんが、やっと復活しようと思い、記事を記載します。

先週末は中央競馬で禁止薬物問題が勃発して激震が走りました。何と2日間で156頭もの出走除外が発生しました。

月曜日の朝刊によれば今週の出走予定馬も場合によっては対象になるのでは?という記事と同時にJRAが先週の除外馬は今週のレースに優先出走権をあたえるという救済措置の発表の記事がでていました。

前者は薬物は10日ほど体内に残る可能性がある、ということです。もし検出されれば事実上先週と同じことになるのでしょう。

後者には個人的にかなり違和感がありました。

優先出走権といっても同じ条件のレースなど殆どなく、また再度調整や輸送をすることになります。
たとえば芝1200の重賞は今週はありません。

またこの措置自体がそもそも競争馬側の関係者に落ち度や悪意があれば救済措置など必要ないのに、あえてこのような措置をすること自体が主催者側も競争馬管理側には大きな落ち度はないと認めているのでは?と想像します。

厩舎側では飼料の表示には「問題なし」と書かれていたそうで、これでは気付く手段もないはずです。
また真偽は不明ですが飼料を提供した業者は少なからず主催者のJRAと関係があるような話が出ていました。

それと今までお構いなしだったということは検査の体制はどうだったのでしょうか?
多分関係者皆が早期収束をはかりたいのでしょう。

真実はわかりませんので、この話はこのへんにしておきます。

※参考資料
日曜日および月曜日の日刊スポーツ記事を参考

さて話し変わりますが、

昔サラリーマンだった時の話です。
先述の件とはかなり内容は違いますが、今回個人的に思い出したことがあります。
昔山一證券が倒産した後に、しばらくして発行していた同社の転換社債が無事に繰上償還されました。
保有していた投資家は心配していたのでみな「ほっ」としたと思います。
ところがその後山一は粉飾決算をしていたことが明らかになりました。

そしてそのような余資はなかったことが判明しました。
つまりこの件が発覚した後には残された債務は帳簿上もそうですが殆ど自力では弁済不能になりました。

実は私たちはどちらかというと現場で投資家さん側にいたので、立場上償還自体は内心は同様に「ほっ」としました。

ところが実際に払われた償還金はいったいどのように調達というか、どこから払ったのでしょうか?
またそれを誰が弁済したのでしょうか?たしか相当な発行額(数百億円)だったと記憶しています。
山一の問題は今でも時々メディアなどで話題になりますが、その部分については個人的にはいまだに霧の中です。

そして誰も触れないままひそかに収束していった、という印象でした。
もしかしたら何らかの解決に至っているかもしれません。
私は帳簿や法律の専門家でもないのでこれ以上余計なコメントはひかえますが、あれだけ騒がれたニュースで業界にいたのに、どうなった、とかの記憶がぜんぜんないので、いまだに感じている個人的な不思議のひとつです。
※すべて当時の一般のニュースなどを参考にしていて、私自身はこの出来事の経緯・理由などの詳細は承知していませんので悪しからず・・。

そして今回も競馬の問題も、よくよく考えると、すごく不思議です。問題や責任の所在の核心が一般のファンにはぼんやりとしか見えない状態です。ほんのわずかですが皆馬券を買って、運営に協力しているのですが・・・(私はボンビーなのでせいぜい1回ウン百円ですが・・)

まあいいか、今週は宝塚記念です。せいぜい負けないようにがんばります!

※おことわり
上記の記事はすでに公開されたニュース報道などに個人的な印象を述べたもので、対象事業者などを誹謗・中傷するつもりは一切ありません。少なくとも捏造した情報等は一切ありません。

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偶然ネットで知人の歌手のスケジュール表を見ていたら、30日になんと鳩ヶ谷でライブステージがあると書いてありました。たまたまその方から別件のライブ情報件でメールの連絡が来た後だったので郷土自慢ではありませんが、どうでもいいようなメールを返信してしまいました。

私が鳩ヶ谷に住んでいたのは、年がばれるのであまり言いたくありませんが、昭和40年前後?から約10年以上でした。(曖昧な表現ですみません・・)個人的には生まれは大阪で、埼玉に移った後も小さい頃はかなり長い期間大阪に入り浸っていましたが、事実上鳩ヶ谷が出身地でもあり、育ったところといえるのかもしれません。

当時のことは記憶からかなり消えていますが、とにかく周りはほぼ完全に農業地域だった、という印象です。
住んだ場所は里というところの西公団という住宅でした。
ただ今の団地とちがい、2階建ての一応鉄筋ではありましたが、一軒一軒はせまい長屋風で、内装も白壁、木、石のたたき、くもりガラスというような造りでした。

住宅が出来たのは昭和33年で、当時は木造平屋やバラックしかない時代だったのでそれなりに新しかったのでしょう。
まだ鳩ヶ谷町だった時分の里という地区の端の、川口の西新井宿という地区との境の田んぼが切れて野山(安行など大宮台地の端?)が始まるところの丘の上に住宅は建っていました。
件数は120軒くらいで、公的な高校や病院以外は近所には田んぼと野山以外にはありませんでした。

子供は皆鳩ヶ谷小学校に通っていましたが、ほどなく山を降りた田んぼの中に里小学校ができて、私はそこに通いました。姉は2年までは鳩小に通っていました。里小はまわりはすべて田んぼで、通学の時は特に梅雨時だととにかくかえるの声がすごくうるさかったのを覚えています。

なぜそんなに遅れていたのかといえば、鉄道がなくどこの駅にもバスで30分くらいかかる場所でした。
同様に隣接している今も日本一の植木の産地で有名な川口市安行(昭和にはいり安行町から川口市に編入)やさいたま市緑区の大門(昭和40年手前くらいまで美園村でその後浦和市に編入。今はスタジアムのある浦和美園駅のある近辺です)なども武蔵野線が開通した後も農村のままでしたが、近年埼玉高速鉄道という都心直通の鉄道が開通すると急に大きく発展を始めました。

いつも出身は埼玉で、「ハトガヤ」というと「えっ?」「クマガヤ?」「コシガヤ?」といわれていました。
そして遂には平成の町村合併で消滅して川口市に編入されてしまいました。

育った頃は「陸の孤島」といわれていたようで、けっこう方言もありました。
人に会う時などは大阪弁は結構かっこうも評判もいいので、もとから関西の家系なのもあり幼少時に聞いていた片言の関西弁くらいはたまに調子に乗って話しますが、鳩ヶ谷で使っていた言葉は、結構はずかしく、いじめられるのではないかと思い、ほぼ完全に東京に来た時点で長年封印してしまいました。

近年方言ブームみたいなものがあって、懐かしさもありたまに口に出すようなことも出てきました。

距離的にあんな東京に近いのに、本当?
と思うかもしれませんが、本当です。それくらい周囲の地域と隔絶していました。

東京に転校していちばん驚いたのは、鳩ヶ谷では全校生徒で3〜4人くらいしか通っていなかった学習塾というものが、東京ではちゃんと近所などあちこちにあり、クラスの半分以上の人が当たり前に通っていたことです。
その時鳩ヶ谷では浦和とかの学習塾にバスで通っている生徒は、それを知られないように隠していたくらいで、ばれると「ガリベン」とか色々いじめられるネタにされていたくらいです。

10年位前に本当に久しぶりに仕事のついでに鳩ヶ谷に行ったときは、すでにもうありきたりな住宅都市になっていました。

今回のイベントも川口市鳩ヶ谷宿(昔日光御成街道の宿場でした)の〜イベントという、題名でした。

自宅だった住宅がすでに取り壊されていることもあり、懐かしい反面、少し寂しい気持ちにもなりました。

実際現在は鳩ヶ谷に関係した人はほぼ誰ともつながりが残っていません。
といいつつも他にも友達の絶対数が少ないので、もとからあまり多くのつながりはありませんが・・。

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追記分(6月19日AM7時22分)
夕方に一旦インフラが回復したように報道されていましたが、夜以降朝の報道ではまだかなり水道などが止まっているようです。新たに欠陥が見つかり止ったところもあるようです。


今朝、朝食を食べていたらいきなり緊急地震速報がありました。
昨日も函館スプリントSのゴールくらいに急に緊急地震速報があり、群馬で地震があったばかりでした。
また方向は違いますので関係ないかもしれませんが、函館の最終レースはどの馬も枠入り後にすごい興奮状態でそのうちの一頭(実は私が買っていた馬でした・・)はゲート内で暴れて怪我をして出走取り消しになったほどです。長年競馬を見ていますが、これほど多くの馬がゲートで同時に興奮するのはあまり見たことはなく、すごく違和感を感じていました。

それはともかく、前日の群馬の地震などと比べると、今日の地震ははるかに規模が大きく、人的にも大きな被害がでました。

お悔やみ、お見舞い申し上げます。

私は親戚の殆どは関西人と北陸で地震のあった地域付近にも複数住んでいます。家族が連絡をとったところは大部分の人は大丈夫だったようですが、個人的に子供の頃からすごく近い従兄弟が豊中南部の庄内というところに単身で住んでいたはずで、昼間では連絡が取れていないようで大丈夫だったか心配していました。ただニュースなどでは大丈夫そうなので、電話も混乱しているようなので追加連絡はしていません。
彼は店が変わっていなければ阪急線の駅(東淀川区)の近くの飲食店の店長をやっているはずなので店も大変かもしれません。
以前東日本の時に東京でレストランをしていた人が地震で食器などの多くが破損して、結局閉店に追い込まれた、という話をきいたことがあります。

また祖父母の実家が以前は長年この地域の豊中の上野(吹田市や千里に近い地域)というところに祖父母の実家があり、当時子供時代は一年に何ヶ月もすごていました。
今は取り壊されてありませんが、阪神の震災の後は家具が倒れたり、壁に大きなひびが入ったりしていたのをおぼえています。阪神大震災は神戸というイメージが強いのですが、豊中あたりはすぐ2〜3キロくらいで伊丹空港がありかなり揺れがひどかったようです。今回は高槻や枚方あたりが震源区域と思われますが、大阪付近は結構狭いので近隣の兵庫県や京都府でも被害が出ているようです。

それから私自身も東日本震災で仕事でいわきの小名浜漁港の近くで被災しました。
当時いわきは震度6弱だったらしいのですが、当時自分では震度6など経験したことはなく、緊急地震が鳴って揺れはじめてからの出来事は今でも忘れられません。

ごおおおおっ、という轟音とともに、ミシミシッ、という建物などがきしむ音がして、その音が今でも耳に残っているくらいです。
周りの家が大きくバウンドするような感じになり、そのうち瓦がすごい音を立てて大量に落ちました。
あとで片付けの時に瓦はすごく重いことがわかり、こんなのに当たったら大変だと思いました。
しばらくするとあちらこちらでサイレンが鳴り始め、となりの大きな駐車場付のパチンコ屋さんにも救急車が来て誰かを搬送して行きました。パチンコ屋さんの大きな建物の屋根の一部が崩落した関係だと思います。
と、急に薄暗くなりいきなり雪が降り出しました。

ほどなく目の前の港から常磐線の泉駅に向かう道路は大渋滞になりました。津波から避難する車が殺到したためだと思われます。

大きな揺れで外に飛び出しましたが、地震の揺れはすごくて地力では立っていられないくらいでした。駐車場のトラックにずっとしがみついていました。揺れがおさまり仕事先の工場の事務所に戻ると中はヒッチャカメッチャカになっていました。

先程テレビで見たら、やはり同じようにコンビニなど店舗の硝子が割れ落ちたりしていました。
当時車も宿泊先もない状態なので避難させてもらえるということで、訪問していた会社の常務の実家に車で連れて行ってもらった途中も、道路が大きく隆起して電柱はことごとく傾いていました。

当時首都圏では余り知られていないかもしれませんが、電気が回復したので翌日のニュースでは福島県内では大規模な土砂崩れ(白河)やため池の決壊(須賀川)などがありかなりの人数の方が犠牲になりました。地元テレビでは何時間も救出活動を中継していました。ただその後段々と判明した津波の被害があまりにひどかったことや原発事故の関係もあり、それ以後はあまり詳しく報道されませんでした。

結局海と事務所の間に大きな工場があり防波堤代わりになったので私のいたところは津波で浸水は免れましたが、その後1年くらいは海に近いところに行けませんでした。

これからしばらく余震に悩まされると思いますが、当時はとにかく水が大事だと感じました。
普段は余り気付きませんが、手を洗えない、トイレが使えないなどはそのことだけではなく、メンタル面も含め体調不良の大きな原因になります。

今回は電気はほぼ復旧、水道もおおかた大丈夫になりつつあるようですが、長時間の電車の立ち往生、エレベーターに閉じ込められるなど都会ならではの被害も多かったようです。私は閉所恐怖症なので考えただけで具合が悪くなりそうです。

すでに大きな被害が出ていますが、これ以上拡大しないことを祈っています。
本当にいつも大きな地震は意表をつくように起きるので驚いています。

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承知だと思いますので、内容は端折りますが、

当初「全部私の責任です。言い訳はしません」などと言い経緯さえ説明しなかったのが。
当事者の加害学生部員が、自分の非も含め、おそらく真実に近いと思われる経緯を公表すると、

一転、急遽、言い訳がましい会見を開催しました。
これは背景には学校の立場を代弁しているのかもしれません。

この結果、双方の主張からこの問題は下記の3点(1、2ーa,b)に絞り込んでもいいのでは、と思いました。

1、「潰す=けがをさせる」
これは学生部員の言うことがかなり信憑性が高い話です。彼(学生部員)は自分の非も認めていて、嘘をつく理由はありません。となると一部虚偽を語っているのは学校及び監督側ということになります。

2、「勘違い」
a,
これは学校や監督の主張もみとめた形ですがかなりたちが悪いパターンで、要は「インプレイ中」にやれというつもりだったというパターンです。要は怪我をさせても試合の流れの中なら不可抗力に見せかけることが可能です。これは後述で考えます。

b,
これは学校や監督の言うように本当に双方に温度差があった場合です。そうなると一見選手だけが貧乏くじを引く形のように思えますが、学校側にとっては一番根の深い問題に発展する可能性があります。というのもそのように解釈されるということは、元来本人(学生)がよほど偏った人物でなければなぜそのような状況に追い込まれたのか、という根の深い問題になります。いわゆるパワハラの問題で、しかも今回の現場は国が認定して、多数の有力社会人を世に出している教育機関でその運営者(大学役員)が監督です。刑事罰はなくても話が人権侵害に及ぶ可能性もあります。これは学校にとって回復するのに困難をきわめるような大きなダメージになります。また教育のあり方という国全体の問題になる可能性もあります。

つまり現段階で考えられると思われる、上記のいずれでも監督や学校に逃げ道はほぼないと思われます。
結局誠心誠意をこめて早急に謝罪し、この件をきちんと償う方が自身にとってもはるかに適切だったことは明らかでは?と考えます。

もちろん双方とも内容の非の比率はが100対0に限定されるかは不明です。
行動の経緯を報道の範囲で見るかぎり取り繕っているのは圧倒的に学校側のほうだと感じました。一貫性に欠けるからです。

おおかた弁護士かだれかのアドバイスでも受けたのでは?という印象を受けました。
民間の弁護士は業務的にまずは刑事罰を回避する、組織を守ることが主眼になる可能性があると思うからです。

とにかくもう言い訳はやめて出来るかぎり早く、心から謝罪をして、きちんと裁きをうけて、すべて自分たちの主張を取り下げて、撤退したほうがいいのでは?と感じました。

自分のことを棚に上げますと、個人的な感覚では、
報道を見るかぎりは、実績はともかく人間的にはつまらん人たちだということが露呈しかけているいるので、
「考え方を少しはあらためてはどうですか?」としか感じなくなりました。

ところで、
前述の部分で出てきた、「インプレイ中」の話ですが、これは結構可能性はあると感じています。特に集団プレイのゲームに関係している運動部出身の人は皆そう感じているのではないでしょうか?

私は高校時代野球部でした。最近はあまり強くありませんし自分は下手くそで体を張って野球をしているタイプではありませんでしたが、野球部としては、当時(〜数年後にかけて)は都立ではそこそこのレベルでした。
というのも一年先輩のA氏は周りがどうあろうが我が道を行くタイプで、野球の虫でした。
練習は厳しく、「いらねえよ、帰れよ」などは口癖でした。
彼は卒業後に当時かなり強かった日体大に進学、さすがに通用しないだろうと思っていたら、何と一年でベンチ入りしてしまいました。さらに卒業後に体育教師になり、高校野球の監督になりました。
そしてしばらく経って遂に監督として都立J高校を甲子園に出場させるにいたりました。現在東京都の高校野球界では彼は有名人になっているくらいです。
でもそういう変な指示をすることは一度もなかったと記憶しています。
そういうかげりは一点も感じませんでした。

ただ試合相手の当時都大会でベスト8に行くような私立は練習試合などですさまじい光景を暴露していました。
たとえばエラーする、見逃し三振などをすると皆の面前で相手のベンチまで音が聞こえるようなすごい「けつバット」を受けていました。された人は泣いている人もいました。
また準レギュラー以上のメンバークラスで練習試合で負けたりすると、これは大変です。ダブルヘッダーなどでボロボロになっている状態で学校の敷地を50周ランニングなどのペナルティを食らっていました。
見ていると寒気がしました。

試合などで監督やコーチなどから「ちょっと脅かしてやれ」と強制され、内角高めギリギリにわざと投げる、みたいな話は全く根拠はありませんが、耳にした記憶はあります。

もちろんこの話は証拠や根拠がないですし、この事例とはなんら関係はない話で、個人的な想像の域をでません。むしろそうでない可能性のほうが高いかもしれません。
ゆえにこれは可能性の部分としてはありうる、という程度に解釈していただければと思います。逆にいえばこの時代にそんなことがないことを祈っています。

ただ、と言いながらも、もしかしたらですが、と今回もそんなノリだった可能性はゼロではないと頭をかすめてしまいました。


それから勤めていた会社でも色々ありました。
業界的にそういう雰囲気が当たり前の業界で、そもそも運動部や応援団出身者などがひじょうに多く、根性主義みたいな部分を感じました。
でも人間味を感じる人も多く、若い頃は仮に殴られてもすごく慕える上司も沢山いて、退社後も暫く複数の方と交流していたほどです。
ところが中間管理職になって赴任したある職場で、とんでもない目にあいました。
そうです。本格的なパワハラを受けたのです。心は大丈夫でしたが、ある事情があり訴えることもしませんでした。
時代も今ほど整備されていませんでした。
その関係で体の方は無理に無理をかさね疲弊して、結構危険な症状が出たりもしました。

しばらくしたら転勤になりそこからは逃れることが出来ました。
ただすでに会社に嫌気がさして、大して仕事の実力はありませんでしたが、あるときいい機会があったので思い切って会社をやめてしまいました。
退社後しばらくして一回だけ知人の役員から連絡があり、会社に出向いて面会すると、「同じポジションで復活させるから戻らないか?」と話がありましたが、その厚意には感謝しましたが、当時は二つ返事で断ってしまったくらいです。

パワハラは冷静な判断力を奪います。加えている加害者は権限を持っているうえ、ほぼ必ず何か失敗や成績がイマイチなタイミングをねらって嫌がらせを仕掛けてきます。真剣に活動や仕事に取り組んでいればいるほど、その術中に嵌りやすくなります。パワハラをしている人は外部的とか事後に必ずといっていいほど同じ言い訳をします。
「君のためを思ってやっていたんだよ」
他に逃げ道がない行為だから、他に説明が付かないからです。
逆にそのセリフが出てくると「これは完全なパワハラをしているやつだな」と確信するくらいです。

今回も彼らはその言葉を口にしました。
パワハラはなかなか法的に取り締まれませんが、実際の行為は犯罪に近い行為です。
もちろん受けている方が完璧に間違っていない、ということではありませんが、そもそも突っ込む理由ができた時にそれを多義名分に仕掛けられるので、組織の中だけで個人で反抗するのは至難の業ですし、大きなリスクを背負います。
これは彼等(パワハラをする人たち)の常套手段です。(自分の行為を正当化するという意味で)

この問題は今の日本(世界かもしれません・・・)全体の、たかだか大学の部活のトラブルなどではなく、皆に起こりうる深刻な問題として向き合い、今後何らかの方向性を作り出すことが必要だと思いました。

いずれにしても全く関係ないのにえらい目にあったK学院の選手の一日も早い回復と、無事に競技への復帰がかなうことを願うばかりです。

人間社会は奇麗事ではないのはわかっていますが、個人の感情や性格、組織の利害などを振り回して周囲に迷惑や波紋を広げる行為は出来るだけ謹んで、全体においても人権など大事な権利を守るという前提で上手に抑止する規制をする必要もあるかもしれませんね。
そういう意味で学力や仕事力だけでなく、難しいかもしれませんが出世や取引・契約過程での人格など別次元の精査や、権限者を選ぶ方法なども少しでも改良することが結局国や社会全体を長く栄えさせるのでは?と感じます。

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またまた騒動がおきました。
ここのところ政治やスポーツ界などを中心にパワハラ、セクハラなど不当な行動をしたと、いう事例が相次いでいます。
問題の真偽や内容の詮索に興味ありませんが、政治なども含めたここのところのこれらの騒動はすべて人間社会がかかえている本質的な問題が表面化している大事な問題ではないかと感じました。

これらの問題はいずれも原則は権限を持っているといわれている方々が標的になっています。

先日の某政治家のAS氏によれば、「セ○○ラ罪」という犯罪はないなどと、発言し、要は法律では取り締まれないということをいいたかったのでしょうが、「不謹慎だ」と世間の顰蹙をかった人もいます。
実際彼の発言は責任者としては軽率で偏っているといわれてもしょうがないと思いますが、本人の発言趣旨に関係なく、今に始まったことではないかもしれませんが、人間社会に潜む大きな問題点を象徴的にあぶりだしているのかもしれません。

そうです。それが好意であろうが、悪意であろうが人の心の中は他の人には最終的にはわかりませんし、ましてや法やルールで取り締まることはできません。逆にどうあろうと人の生き方や考え方は原則はよほどの具体的な被害を与えないかぎり自由なので、もしそれを取り締まる法やルールが出来るとある意味、人権侵害に該当する可能性さえあるのではとさえ思います。
たとえば法やルールを作る人たちにも何らかの恣意が存在する可能性があるのでは?とさえ思います。

当たり前ですが、私は完全にこれらの騒動には無関係なので正誤や、善悪、真偽についてコメントは控えたいと思います。

ただ個人的な印象ですが、ひとつだけ共通点を感じます。

当事者、というか加害者?とされている側の見解や、意見などを聞いていると、ほぼ同じ反応をしている点があります。

それは問題勃発の初期の段階の話ですが、程度や論点は様々ですが、
自分たちの問題とされた行動を「正当化」するか、「非を認めない」ことから騒動が大きくなっているように感じます。

それが真実かどうかはその事例ごとの話であり、当事者以外に真実は不明なので、内容についてコメントはしませんが、すぐ認めたり、すぐ謝罪したりする姿をあまり見たことがありません。

でも多くはその後騒動が大きくなり、結局違う対応をせざるを得なくなっています。
今回もそうですが、結局謝罪や辞任に追い込まれています。
ということは最初に否定した時は嘘を付いていたのか、もしくは自身の保身や防衛のために真実とは違うけれど謝罪をせざるを得なくなったのでしょうか?

人間はピンポイントではある程度は正当性を取り繕うことは可能かもしれません。
しかし、もし少しでも取り繕っているところがあると、時系列で長期間の行動に照合するとすべてのつじつまを合わせるのはかなりの困難を極めます。なぜかというとすべて真実であれば事実をつなぐだけなのでそもそもつじつまをあわせる必要がなく、虚偽が混入している場合は過去の行動や発言の記録をすべて憶えていないといけなくなります。
そんなことはまず不可能では?と思います。
多くは本人で過去から記録を取っていることは稀なので、矛盾にさえなかなか気付きません。

またここがかなり重要と思うのですが、人間は口では何とでも言えるのです。ところが行動はそうはいきません。
途中までは行動もごまかしていたとしても、最終的には行動は自然と本人の心に反映した行動を取る、と思っています。
言動と行動に温度差があればあるほど、不信感は高まります。
さらに狡猾な輩だと、しばらく行動も相手にとって正義に満ちているのに、ある日突然豹変することもあるので、絶対はありませんが・・

また今回のアメフト謝罪会見でもそう感じましたが、些細なことほど本音が露出しやすいと長年の経験で感じています。
本分である謝罪文の内容にいくら抜かりがなくても、名前を間違ったり、謝罪の姿勢で人々の不信や不快感をさらに助長させてしまいました。後に述べますが、心の中の真偽は不明ですが、本分である謝罪文の部分はまったく抜かりなく作られていても、それ以外の直接謝罪内容と関係ないちょっとした不謹慎な発言や態度があの会見では一見かなり不誠実に映りました。

ただこれはこの発言や態度だけで人間性や真偽を問うのは早計だと思っています。
本来外面的にはたまたまそういう人で、悪意など全くないのに、表現や言葉がたりなかったり、大きな悪意はないが、詳細には心の機微に気が付かないこともよくあるからです。

だから彼の今までの行動の蓄積と今後の行動がすべて答えを出すのでは?と思っています。

私自身も例外ではなく、過去に嘘をついたこともありますし、自分の保身に走ったことも幾度となくあります。
逆に言えば、皆もそうかもしれませんが、だからこそ、そういう部分には敏感に反応します。
将棋盤ではありませんが、自分のことには意外に気付かず、人のことはあっさり見えたりします。

私は証券界の営業畑で17年働き、さらに保険で10年、別途に活動していた自営も加えると約30年を超え、殆ど数え切れないくらいの事業者、協力者や顧客を見てきました。期間も長いのでその後どうなったのかも結構見ています。

もちろん相手から見れば私も同類であり、同じ目にさらされています。

たとえば証券界が顕著ですが、真実は何回でも同じことが正確に言えますし、嘘をついていないので単にありのままに振る舞い、行動すれば時系列にしても整合性があります。
ところが本心とは別の次元で言ったり、行動したことはすべては長い時間が経過すると正確に憶えていません。
生身の人間はよほどのことがないかぎり通常はそんな張り詰めた緊張感を長期間維持すること自体困難だと思っています。

ところがお客さんから見たら私は一人の担当者の言ったことなのでかなり正確に憶えています。こちらは何百人の中の一人なので、日ごろの言動や行動に、それが整合しているかどうかなど四六時中正確には把握できません。別に整合性のために生きているわけではないのですから・・。

このことはその後の業界でも、今の自営でもそれは大差はありません。
これは自分も含め他人事ではないのです。

かなり前(十数年前)の話ですが、あるとき○×生命(某日本社)のプロセールスマンがふっと言っていました。
セールスの世界で生き残りたいなら「一点のかげりでもあったらだめだね」
当時どういう意味かわかりませんでした。欠点のない人などいないのですから・・

しかし適確かどうかは不明ですが、さらに経験を重ねた近年になり少し意味がわかってきたような気がします。
それは「俺の中でその人間を信用できるかどうか、という部分において」
と前置きすれば、ということなのでは?と感じています。

そして今ではこういうことを教えてくれた人に感謝しています。

他にも違う人でそのような発言録が沢山あり、機会があったら、何年かかかって、やっと5秒聞いた、というような、個人的感性でに「これは名言だ」と思った発言をブログ内でお伝えしたいと思います。(正誤はわかりませんが・・)
長年業界や仕事に現場で従事していた経験に基く発言や感性、知恵というのは本当に貴重な財産だと思っています。
いわゆる「勘」という物もその部類の結晶なのかもしれません。
もちろん私自身はショボイ、しがない、儲かっていない、自営のダメオヤジなので、悪しからず・・。

さて今回の件は、最初に書いたとおり、部外者なので真偽や、正誤などに言及する気はまったくありませんが、
少なくとも名前間違いとあの謝罪の姿勢が単に性格的なものなのか?、誠実ではないのか?はこれからの彼の行動が答えを出していくのでは?と想像しています。
これはご本人が長い積み重ねの中でまねいた結果であり、また今回も本人が選ぶ選択です。
生き方は自由なので・・・。

どんなにしくみや法を整備しても、このようなことは人間の中身にかかわることなので、起こりうる、ということですね。
これは今回に限らず社会生活を行っている全ての人にいえることなのかもしれないと感じました。
しかも明確な答えなどないので、一生のテーマかも知れないと思いました。

ご覧になっている方がいたら、今日はたいした内容でもないのに長々と失礼しました。

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今日(日付が変わってしまいましたが)衝撃的なニュースが流れました。
僕らの世代では子供の頃からアイドル、芸能人の代表格だった西城秀樹さんが亡くなった、とのことです。
2度にわたる脳梗塞で大変な後半の人生だったらしい。

脳梗塞といえば、私の父も、平成になった年に50代である日突然脳梗塞になってしまいました。
生死の境をさまよい、なんとか命は助かりましたが、右半身と言語が全く機能しなくなってしまいました。
それ以後社会に復帰することはできませんでしたが、約24年間介護生活を続け生き続けることができました。
結局5年前に肺炎で他界してしまいました。

当時父は保険嫌いなのか、保険は殆ど使えず、もとから裕福ではなかったので経済的にも大変でした。(今も・・・ですが・・)
その後会社を辞めて、保険の仕事をしたのも何か関係あったのかもしれません。(当時は全く関連付けて考えていませんでしたが・・・)

当時父もまだ働き盛りだったので、倒れた当初はやはり社会復帰にむけて過酷なリハビリを続けていました。
ただ症状が重く、二度と社会に戻ることはできませんでした。

西城さんはどうだっったのか?
相当なものだったのでは?と想像します。
社会に復帰、特にあんなハードなステージをこなすためにとてつもない、一般的な人からは考えられないような、つらいリハビリを重ねていたに違いないと思います。

周りの家族も含めて、いつか完全に症状が回復する日を夢見てつらいリハビリの日々に耐えていたのかと思うと、さぞ無念だったと思います。

ちょうど私が埼玉県の小さな町から、東京に引っ越すくらいのころ、彼の曲が流行っていて、彼の曲を聴いているとそのころの記憶がセットで思い出されました。

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今日はパソコン関係は何でもご相談に乗っていただける、という専門事業者に面会してもらいました。
ご紹介いただいたのはある歯科医院の先生です。
私が管理している歯科医院のホームページでサーバやドメインがきわめて複雑な事態に陥り、その時は私が一緒に管理しているその方面にすごく詳しいウェブ技術者の方の協力で事なきを得ました。
ただ当時から多少不安を感じていた先生がその方にご相談をされていたのだそうです。
その後、メールの件で先生が困った時に相談されたのが実際に知り合ったきっかけとのことでした。

PCの故障や不具合、ホームページやサーバ、ドメインなどほぼ何でも相談に乗れるそうです。

でも逆に困ってしまうこともあるそうです。
というのも、何でも何とかなる、とか思っている方、困った時の何でも屋みたいに考えている方なども結構いらっしゃるそうです。
人によっては怒り出すような方もいるそうで、料金を払っているのである意味もっともだとは思いますが、人間と人間なので明らかに落ち度があれば別ですが、けんか腰になってしまえばいい関係は続きません。
どこかで落としどころを作り、お互いに歩み寄ることも必要かもしれませんね。

機械に詳しい方、というのでバリバリの合理派かと思っていたら、何よりも人間味を重視いているように感じました。

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今日はFM世田谷のラジオ番組収録の立会いで三軒茶屋に行ってきました。ほぼ毎回の収録に参加しています。
今回ご紹介した出演者は磯崎みおさんでこの番組のご出演は2回目です。
一昨年の秋にCDアルバムを発売したのですが、個人的には「潮騒」をはじめかなり気に入っています。

私が気に入っている=皆が気に入る=大ヒット、というわけではないので、私の感性がどれくらいのレベルかは計り知れませんが、私と同じような好みの人は大抵気に入るのでは?と思っています。

男女関係や食べ物などもそうですが、なんで人の好みは大きく違うのか?
これは実は調査は可能ですが、くわしいメカニズムはいまだにわかっていないどころか、誰も深堀しようとしない領域と感じています。

無事収録が終わり、吉祥寺と荻窪に寄ってお客さんのスナックに立ち寄り、酔っ払って遅くに帰宅しました。

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広報をしている美術団体・(一社)アートシップインターナショナルが主催した愛知県安城市での展覧会「パリと三河の風」に現地の会員さんの知人ということで一般から出品されたU氏に先日連絡をしました。

というのも出品内容が競馬の写真だったからです。
私は長年の中央競馬のファンで、もうすぐ30年になります。
最初は当時府中競馬場の地元であった関係で、競馬場でバイトをしていました。

会社に入り、たまたま就職先が証券会社だったこともあり、競馬好きの人たちと交流が深まりこの世界に足を突っ込みました。色々ありましたが、競馬は今でも続けています。昔は大枚はたいてみたいな時期もありましたが、今は予想を楽しみながらPATなどで100円玉で遊んでいます。

今回の展覧会の出品者の内容を見て、そこから商売柄ネットで色々調べるとU氏は単なる競馬の写真家でないことがわかってきました。
くわしく話が聞きたくなり、知人で団体会員のY氏に連絡して、思い切ってご本人に連絡しました。

U氏はそこそこくわしい競馬ファンなら誰でも知っているような競馬ライターなどと学生時代も含め長年交流を続けている本格的なフリーのプロ競馬写真家だったのです。
昔欠かさず買っていた「競馬ブック」の馬券記事を長年書いている作家さん(お一人は最近他界されたようです)たちとは頻繁に会われているようです。

G1レースでは写真を取りに競馬場に来場されるようなので、できればご挨拶だけでもさせていただければと思っています。

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色々考えるところもあり、以前から続けていたブログを活動日記として復活します。
内容は個人の生活や活動日記などが中心で一時期書いていたクライアントや関係者のPR的な記事ではありません。

今日は以前南三陸町で行政に携わっていて今も東京で社会活動を続けている知人のS氏のご紹介で、S氏と一緒に秋葉原のある会社の社長さんと面会しました。私の活動と大きく重なる部分は現状では少ないので今後も双方の情報を交換させていただくような形でお願いしました。ただ一点だけ具体的に関東地方のある行政体で施設の活用についての案件もあるそうで、採用されるかはわかりませんが、興味がありそうな方へ申し送ることになりそうです。

その後銀座の老舗額縁店「古径」の社長と面会しました。昨年は色々あり頻繁にお会いしましが、今回は久しぶりです。
ここ最近は個人的にも色々ありましたのでありのままに周辺も含め現況の報告などをして、以前からご相談させていただいている件でお話をしました。

ついでに社長の芸術観などにつての話を伺いました。
社長は商売柄、長年にわたり日本、いや世界を代表するような名画を数多く観てきたそうです。
また名うてのクラシック音楽のレコードコレクターでもあります。

彼は美術に限らず芸術家は、技術だけでは及ばない、人の心を揺さぶるような作品を制作できることが必要だと考えている、とのことです。それは描く対象とどれだけ真剣に向き合っているかというところから始まり、それをどれだけ真剣に描いたか、ということのようです。

例えば私の身近な画家の話になり、以前その画家が大変な状況の中で制作した作品には心を動かされたという話をされました。それは台風のような嵐の中で危険な海岸近くに車で滞在して命がけで書いた海の絵だそうです。
「多分現地で体を張って必死に書いたんだろう。その迫力が作品全体からあふれていて、見ている私にも伝わってきた」
そうです。
社長は前述のように有名な絵画を数知れず観ていますが、社会の評判の大小などには全く気にしないで本当に良いと思うものはどんな人が描いていてもそれは伝わるものだ、ということを言われていました。

音楽もまったく一緒だそうです。ある著名な曲をある名指揮者がレコーディングのために演奏したそうですが、その曲が他の指揮者の演奏とはまったく違う、オリジナルの曲に聴こえるそうです。それでも本人は納得がいかず何回もレコーディングを繰り返したそうです。

私もクラシックとはいきませんが、歌謡曲などのポピュラーな分野のレコードコレクターですが、歌謡曲でも同じかもしれません。売れたとかそういうことではなく、人の心を打つ曲や歌詞、歌唱はやはり気持ちが本当に入っていないとなかなか聴いている人たちに伝わりません。

せっかくこういう活動をしているので、本当の本物、そして人間(もちろん自分も含めて)においてもそう感じることができる感性を身に付けられるようにしたいと感じました。

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