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プロ野球では強いのに灰色の球団といわれた地味なチームカラーとちがい、阪急は電車では関西ではつねにトップの座を守っています。
まず梅田駅は多分私鉄の駅では日本最大のターミナル駅だと思っています。
昔からライバルと常にスピードとサービスでし烈な競争を続けてきたため、早くから洗練され、発展を続けてきたのだと思います。

そんな阪急の中できわめて地味ですが、味がある路線が今津線です。

阪急宝塚から今津までそんなに長い路線ではありませんが、福知山線が電化されるまでは、宝塚付近と西宮など神戸方面をショートカットした唯一の路線でした。

私は今津線に実際に乗ったことは2回しかありません。
というのも競馬ファンでもない限り、今津線の沿線に用事がないかぎり乗る機会はほとんどありません。

豊中など宝塚沿線から甲子園など神戸方面に行く時は梅田に出るのが普通で、池田あたりまでは当然の経路でした。
宝塚線の急行は石橋からは各停になるので時間がかかるというのもありました。これは今も一緒だと思います。

ところが一度だけ甲子園の高校野球を見るのに思い切って今津線経由で行ってみようと思い、実行しました。思い立った日が吉日です。

とにかく一度乗ってみたかったからです。通常とは逆に最初は豊中から宝塚にでました。

さてそこから今津線に乗り換えです。
そこにはもう本線からはほとんど姿を消していた旧型車が停まっていました。

阪急の車両は昔から旧型も新型もすべてマルーンという色で、一色の車両に統一されています。
JRなどの旧型電車と似ている塗装ですが、少しむらさきがかっていて独特の色です。
そして車内も新旧同様で木目調の壁に統一されています。
新型の場合は金属を木目調にしたような明るい感じですが、旧型車は木材を使ったものでしかもよく研かれていて、ボロイという感じではなく重厚な、歴史を感じる豪華な感じでした。
よく洋館などである木目調の家具のようなイメージです。

宝塚線なども昔はたくさん旧型車が走っていましたが、その当時は箕面線や能勢電軌などくらいで長い路線で旧型車はほとんどなくなりつつありました。
当時今津線はすべて旧型車で運行していたようです。

電車は宝塚を出るとすぐ宝塚歌劇場やファミリーランドなど遊戯施設の敷地内を走ります。

阪急はもとより、小林オーナーが宝塚劇場のために同時に鉄道会社をつくり電車を開通させたといわれいいるくらい「宝塚」というのは阪急発祥の地でもあるわけです。

ファミリーランドは今は時代の流れもあり閉園してしまいましたが、私は2回ほど遊びに行ったことがあります。

一度は今北新地で焼き鳥屋をやっている従兄弟と行きました。
もう一回は母の友人のご子息がいろいろ身体の都合もあり、どうしても甲子園で野球が見たいということでわざわざ横浜から大阪に来た時に案内しました。
その時はたしか野球は阪神戦がなく、ウェスタンリーグの阪神戦を案内しました。詳しいことは忘れましたがそのときに別の日ですがなぜか宝塚も行ったと記憶しています。

宝塚ファミリーランドは東京でいえば花やしき遊園地みたいなところで絶叫マシンなどを楽しむのではなく、本当の昔ながらの遊園地でした。
しょぼい乗り物ばかりで、すぐ目が回る臆病な私には最適の遊園地だったといえます。

個人的に一番の目玉は今津線が敷地内を通っているのではと思うくらい近いところを通るので、それが他の遊園地などとは決定的にちがっていました。
本当の鉄道がまるで遊園地の中の乗り物と思えるくらいでした。

ところで宝塚は遊興施設だけでなく、昔は大きな温泉地でした。都会の近くで大きな温泉旅館が立ち並ぶ場所は多分宝塚を置いて他にはなかったのではと思います。
ただ今はこちらもかなり衰退してしまったようで、一部のホテル以外はほとんどなくなってしまったようです。

そんなこんなで電車は武庫川を渡り、南下します。

しばらく何駅か行くと、今度は山陽新幹線の高架をくぐります。
今は電化された宝塚線(福知山線・当時は非電化単線で殆どは長距離の客車列車で短距離で乗る人はほとんどいませんでした、というより乗った人の話も聞いたことがありません)などあるので、新幹線など珍しくなくなりました。
しかし当時は北急・御堂筋線は新大阪に直接着くので、新幹線の高架を見れて頻繁に走っている線は京都線の並行区間とこの線だけでした。伊丹線もそうですが現地に用事がないと乗る機会は殆どありません。
走っている新幹線に出会える可能性のある数少ない路線でした。
阪急神戸線や阪神や京阪から新幹線はみれません。

さてそして今津線最大のクライマックスです。

西宮北口駅が近づきます。

北口は阪急神戸線の主要駅で特急も停まります。
今津線は南北、神戸線は東西の路線で当然交差しますが、普通の鉄道は所沢のように合流して分かれるか秋葉原のように立体交差をします。

ところが当時は多分日本でここだけだったと思いますが、平面で線路が交差するという駅でした。

つまり今津線の線路と神戸線の線路が直接十字に交差していました。

交差が近づくと電車は超徐行になります。そして「ゴト、ゴト」と音をたてて神戸線の線路を渡っていきます。
もちろん神戸線も同様だったのですが、今津線に乗っているほうがはるかに臨場感を味わえました。その光景は今でも鮮明に憶えています。

また北口の駅前には当時甲子園球場に次ぐ収容人員を誇った、西宮球場がありました。周りの建物も大きな球場なので駅前にそびえるその姿は迫力がありました。

私は大の阪急ファンでしたが、実際に西宮球場で野球を見たことはありませんでした。
阪急ファンはそんな人種が多かったと思います。というよりあまり阪急ファン自体にめぐり合うことがなかったのですが・・。
心の中だけ熱狂的なファンという感じです。

そして北口を出ると、ほどなく終点の今津です。そこから阪神に乗り換え甲子園に行きました。

普通に行くより多分30分以上は余計にかかったはずです。
でも大満足でした。

しかし今は旧型電車も、宝塚ファミリーランドも、平面交差もすべてなくなってしまいました。
おまけにその関係で宝塚から今津に行く直通もすべてなくなり、事実上宝塚ー北口間と北口ー今津の別路線になってしまったようです。

★追記(2022年2月24日)
2022年の追記ですが、現在サイトをテーマ別に分けて制作していて、下記のサイトで現在も鉄道関係の記事の掲載を開始しています。もしよろしかったらですが閲覧ください。