サイト運営者日記「ぶらぶらうだうだ・・」

「タウンクリニックドットコム」「時代文化ネット」などサイト運営をするアナログ脱サラ(いつのまにか・・)親父のブログの何でも日記風ブログです。

当ブログは2018年3月よりURLが、
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から
http://burauda.blog.jp/
に変わりました。サブドメインのため旧URLでアクセスしてもリダイレクトしてアクセスできます。
また名前も「サイト運営者日記・ぶらぶらうだうだ」に変わりました。

内容は「時代文化ネット」制作者が運営する日記で特にテーマはありません。
日常のサイト活動などにおいて見聞きした内容や、現在の社会や自身の生活などを通して感じたことなどをそのまま記載する形にこのたびリニューアルしました。
現在の掲載記事は以前の「穴狙い千ちゃん〜」「ちかお日記」に掲載されている記事をそのまま残してあります。
旧記事は「改修前」のカテゴリになっていて、「人気」???と記載があるのは人気があるかどうかは知りませんが、自分でまあまあ気に入っていた記事です。

関西

ブログネタ
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スモールさんの八尾の記事を見て、またパクり気味ですが・・

八尾といえば、もうかれこれ20年前の夏を思い出します。

後輩と一緒に大阪に行くことになり、

後輩が勤めている会社の営業車で迎えに来ました。

ちょうど台風が来ていて、とんでもない暴風雨の中、夜の10時頃に出発、中央道に。

彼は「運転好きなので大丈夫ですよ」と言い、台風の中をひたすら運転。

ほとんど休みなく、120キロくらいで進み、

なんと夜中の2時くらいに大阪に到着。

彼の実家は八尾、
といってもこの時間なので、日本バルカーの工場に入り込み車で朝まで仮眠しました。

翌朝、彼の実家に行くとお父さんがむかえてくれました。

家は裕福ではなく、どこかの事務所風の建物の2階の間借りの借家で、一部屋と台所、玄関の踊り場というような感じでした。

彼には弟がいてプロボクサーでした。

大阪、特に南部や河内地方の少年はたいてい野球選手になるのが夢で、
それがかなわないとボクサーやお笑いへというのがパターンといわれています。

ボクサーであは赤井、井岡、亀田など・・
お笑いのジミーちゃんも高校までは野球少年だったそうです。

彼も八尾など河内地区では野球でならしていたそうで、同じ区域の桑田は同級でよく試合などであったそうです。
彼にいわせると、桑田や一つ下の野茂などは当時から化け物級の存在だったそうです。

彼も天理高校などから誘いがあったそうですが、家庭の事情で公立校にすすんで、高校以降は野球はやめてしまったそうです。

さてお父さんが、
「よう来てくれたね、泊まっていくか?」
みたいな事をいいました。

すると彼は
「泊まるとこはあるの?」

なんでそんなこと聞くのかな?
と思っていると、

お父さんは、
「いやあ、昨日あいつ(弟)にな、領地を取られてな、今は玄関までやられてな・・、そのうち玄関もやられて追い出されるかもな・・」

????

彼は
「そうか、それじゃ無理だな。よそにするわ」

「千○さん、聞いての通りだから、ほかさがそうや」

なんだ?なんだ?

聞いてみると、この家では常に家の中で領地争いが起きていて、今は弟がどんどんお父さんの領地を侵攻して、ついに玄関以外をすべて制圧してしまったとのこと。

つねに稼ぎやなんやらで、勝負が行われ、代償で家の中を支配しているそうです。

その日は王将でご飯を食べ、私の狭山のおばさんの家に二人で泊めてもらいました。

おばの家には女の子の従兄弟がいたのですが、彼のワイルドな感じが気に入ったのか、3人で一晩中話していました。

八尾、そんな町でした。

☆☆☆☆☆

さきほど競馬のグリーンチャンネルの競馬場の達人を見ていたら、なんと、昔の阪急ブレーブス(現オリックスで近鉄に吸収される)の主軸の長池、加藤秀がゲストで出演していました。

私は小学校で野球を始めましたが、当時からずっと阪急のファンでした。特に黄金時代の昭和46年〜53年の時期は熱狂的?なファンであったと思っています。リーグ優勝6回、日本一3回とまさに当時よく言われた「人気のセ、実力のパ」をほうふつとさせる時期でした。

灰色の球団、関西にも殆どファンがいないチームといわれた地味なチームカラーが大好きでした。

そもそもなぜファンになったかというより、幼少の頃に身の周りで見たり聞いたりするのは、バスも電車もタクシーも阪急で、馴染みがあって親しみを持っていたせいだと思います。

何をかくそう、私は小学校の途中まで、野球などというものは全く興味がありませんでした。
住宅のせまい広場で、カラーボールというおもちゃのボールで仲間と、たまに遊んでいたくらいでした。

ところがある日、住宅の中のこわいこわい大先輩たちが、野球遊びをしていた私たちを呼び出したのです。
「おい、おまえら今日から野球部に入れ、明日の日曜日から練習だから朝5時に広場に来いよ!

当時はかなり恐いと恐れられていた先輩方で、絶対服従の命令でした。

そうこうしているうちに結構野球が楽しくなってきて、先日書いたように大してうまくはなりませんでしたが、高校までは続けました。

その当時の阪急の3番が加藤秀で4番が長池で、私にとっては雲の上のスパースターだったわけです。

加藤はとにかく2ストライクまでは雑なバッティングなのに2ストライクになると豹変して渋太いバッティングを見せました。常に首位打者を争っていました。

長池はそのときのパリーグでは一番のホームランバッターで他チームの大杉や張本、野村、永淵などをしのぐバッターでしたが、バッターボックスに入ると、必ず左肩の上にアゴを引っ掛けて、くぃっ、とアゴを引き寄せるポーズをするので、子供たちの間ではこれが結構うけて皆でまねをしたりしていました。

話が長くなりましたが、彼らは引退以来殆ど公衆の前に顔を見せることはなかったので、ビックリというより、大変な驚きでした。

しかも何で競馬場の達人なの?という感じです。

ビックリ・・ビックリ・・です。

先日偶然NHKの番組『日曜美術館』で有名な建築家のヴォーリズの特集をやっていました。

有名な方で日本のレトロな洋館を数多く作った方ということでした。
私は全然知らなかったので、新鮮な気持ちで拝見しました。 神戸女学院や関西学院、山の上ホテルなどが有名らしく、ビックリしたのは私の家から結構近くいつも車窓から見ていた、日本獣医生命科学大学(旧獣畜大)の一部の校舎もヴォーリズの作品であることを知りました。

また彼はメンタームの近江兄弟社の生みの親でもあるそうで、これも当然初めて知りました。

 テレビで彼の建築の様式を紹介していたのを見て、大阪の祖父の家を思い出しました。
それはその家にあった、洋間があまりにヴォーリズの作品の洋室の雰囲気と似ていたからです。

祖父は最初は港湾関係の会社だったので大阪港近くに住んでいて、そのうち西成区の天神ノ森というところに居を構えました。
かなりの大家族だったのですが、私の父が東京に転勤になりひと家族出て行き、またひと家族出ていき人数が減り、ほどなく豊中の上野というところに引っ越しました。
私も天神ノ森の家のことはほとんど憶えていません。

豊中の家は関西にはよくある溜め池のほとりにあるかなり古い家でした。
対岸は東豊中という地域でそこそこの住宅街でした。
いつも祖母が池の向うに(現在ははぐれ刑事純情派でお馴染みの)藤田まことさんが住んでいるといっていました。
当時は関西の喜劇役者だったと思います。

家の話にもどりますが、家の周りは船板塀といって、関西の家ではよく見られる、船の甲板の板を塀にした頑丈な囲いで中もほぼ純和風でした。
長い縁側があり、雨戸も木でいつも夕方は雨戸を閉めるのに大変でした。
また井戸もあって、すいかを冷やしたりするのに使っていましたが、大阪は水がきれいではないので、決して飲むことはありませんでした。
風呂も五右衛門風呂だったのを憶えています。夕方になると祖父が薪をくべていました。

そして問題の洋室ですが、そんな純和風の家には似つかわしくない、レトロではありますがおしゃれな洋室で、祖父母の寝室に使っていました。
当時和風な臭いというのは、どこに行ってもありましたが、その洋室は独特な香りがして、不思議な空間でした。

私が就職するころまでは、祖父母はそこに住んでいましたが、体が大変で三田の叔母の家に同居してしまい、晩年はずっとそこですごしました。

祖父が亡くなる少し前に阪神大震災があり、大阪とはいえ伊丹とすぐ近いこの地域はけっこう被害を受けて、家が一部壊れてしまいました。

祖父が亡くなり、形見分けするというので父代わりに久々に豊中の家に行きました。
地震のあとそのままにしていたので、家具が倒れていたり、壁に亀裂が入っていたりしていましたが、家はまだしっかり建っていました。

その時にやはりあの洋室が気になって、というよりあの香りを嗅ぎたくて部屋に入ると、少しカビ臭かったですが、あの香りはしっかり残っていて『よかった』と思ったのを憶えています。

結局その後家ごと取り壊してしまいましたのでそれっきりです。

私自身いろいろと転々と住んでほとんど故郷や幼なじみとなどとは無縁です。
一番長かった埼玉の住宅も最近久しぶりに行ってみたら住宅ごと取り壊されていたことを思うと、あの古くさい洋室の臭いや、井戸のポンプの音、木の雨戸を一斉に閉める音など今でも出来ることなら、もう一回聞いたり、嗅いだりしてみたい、と思いました。

ヴォーリズの特集はそんな記憶をよみがえらせてくれて感謝しています。

機会があったら近江八幡や五個荘も今度行ってみたいと思います。船板塀と洋館と両方観に行きたいと思います。

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