サイト運営者日記「ぶらぶらうだうだ・・」

「タウンクリニックドットコム」「時代文化ネット」などサイト運営をするアナログ脱サラ(いつのまにか・・)親父のブログの何でも日記風ブログです。

当ブログは2018年3月よりURLが、
http://blog.livedoor.jp/chikao1216/
から
http://burauda.blog.jp/
に変わりました。サブドメインのため旧URLでアクセスしてもリダイレクトしてアクセスできます。
また名前も「サイト運営者日記・ぶらぶらうだうだ」に変わりました。

内容は「時代文化ネット」制作者が運営する日記で特にテーマはありません。
日常のサイト活動などにおいて見聞きした内容や、現在の社会や自身の生活などを通して感じたことなどをそのまま記載する形にこのたびリニューアルしました。
現在の掲載記事は以前の「穴狙い千ちゃん〜」「ちかお日記」に掲載されている記事をそのまま残してあります。
旧記事は「改修前」のカテゴリになっていて、「人気」???と記載があるのは人気があるかどうかは知りませんが、自分でまあまあ気に入っていた記事です。

鉄道旅行

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以前JRが国鉄時代に首都圏の近郊区間内「初乗りきっぷの旅」というのが流行りました。
当時いくらだったか忘れましたが、近郊区間内は途中下車をしなければ最短区間の料金で大回りしても同じ駅を二度通らなければ乗り通せるというルールでした。
それを逆手にとって大回り旅行を格安で楽しむという一種のマニアックな遊びでした。

たしか高校に入ってしばらく経ったころ、中学の友達と一緒に挑戦してみたことがあります。

当時私は野球部だったので、日曜日もなかなか時間が作れませんでしたが、あるとき大丈夫な時があったのでその日に合わせて友人と出かけました。

区間は府中本町から分倍河原で行いました。
記録にこだわるという気はなく、1日楽しむということになったので、無理な大回りはしませんでした。
ただ途中で検札がきたときに説明するのが面倒くさいので、必ず乗った車両を記録するということになりました。

府中本町から武蔵野線で当時の終点であった新松戸に一気に乗りました。武蔵野線は当時は今のような本数はなく昼間は1時間に2〜3本しかなく、宅地開発もまだまだだったのでのんびりした郊外の風景が楽しめました。

新松戸からは常磐線で我孫子に出ました。我孫子からは成田線で成田に。

成田はまだ成田空港が開港する前で一言で言うと本当に田舎の風景が見られました。
以前は電化されていない路線で客車列車なども走っていましたが、私たちが乗ったときは電化されていて常磐線の快速車両でした。

常磐線の快速車両はほかの国電車両とまったく同じ車両ですが、独特のエメラルドグリーンのカラーでした。
他の路線では一切見ることができない塗装で、その時に初めて乗ることができました。

成田からは成田線(本線)で佐倉にでました。

ここで昼食を食べようということになり、佐倉駅で売っていた「焼き鳥弁当」というのを買いました。
値段は350円くらいだったと思います。特に大きな期待はしていなかったのですが、食べてみるとこれがひじょうに美味しくて今でもその美味しさだけは記憶に残っています。
ご飯に甘だれをたっぷりかけた鳥の照り焼きがのっていて、漬物がついている程度のシンプルな内容でした。
それなのになぜ美味しかったかというと、ご飯が温かかったのと、鶏肉がやわらかくてとにかく美味しかったのをおぼえています。

後で知ったのですが、佐倉駅のこの弁当はかなり有名で最近は復刻された時期があるほどだったそうです。
残念ながらかなり前に無くなってしまったそうです。

佐倉からは総武本線で成東に、そこから東金線で大網に。さらに外房線で千葉にでました。
房総地区は以前は内房線以外は電化されていなくて、SLもかなりの時期まで走っていたそうです。

昭和47年7月に外房線や総武線・成田線の成田までが電化されました。そのとき初めて特急列車(さざなみ、わかしお)が走ることになりました。
また錦糸町から東京駅まで総武新線(当時はそう呼んでいました)が開通、画期的な進歩を遂げました。
逆に房総方面への基点だった秋葉原や両国は駅としてはさびれてしまいました。

この時は乗車した区間はすべて113系という新性能電車でしたが、
昭和47年の改正時はこの区間はすべて非電化で、総武線の急行は犬吠号、成田線は水郷号でディーゼル列車でした。
普通列車には客車列車もかなり残っている状態でした。(1973年1月時刻表で再度確認しました)

しかし時代は流れ、この時乗車した113系電車も2011年8月いっぱいで房総地区を最後に、JR東日本からはセミクロスシート車両(向かい合わせボックス席と国電のロングシートが混在している車両)はすべて引退になったそうです。

さて千葉からふたたび総武線快速に乗車して、開通当時は大きな話題になった錦糸町〜東京間を乗車して東京駅に。

そこから東海道線に乗り換え、一気に茅ヶ崎まで行きました。

本当は南武支線や鶴見線に乗ろうということになっていましたが、さすがに疲れてきてとばしてしまいました。

当時南武線支線や鶴見線には戦前に造られた車両(通常の車両は長さが20メートルですが、17メートルしかない車両で希少価値がありました)が走っていました。
ひじょうに興味深かったのですが、そのうち乗るだろう、などと考え乗りませんでした。

ところが結局それからまったく乗る機会はなく乗らずじまいのまま引退してしまいました。

高校時代は野球の練習、大学時代は劇の練習やバイト、就職後は多忙に加え車やバイクに興味が移ってしまったことも一因です。

そして疲れた体で茅ヶ崎からは橋本まで相模線のディーゼルカーに乗りました。

相模線は今は電化されましたが、かなり後まで非電化路線でした。
最初に乗ったときはまだ旧型の向かい合わせボックス式の車両でしたが、その時はもう国電のような長い一列シートの車両でした。
それでも単線で、駅はひなびていてローカル線の風情を楽しむことができました。

橋本からは横浜線で八王子に、そして中央線で立川に、南武線で分倍河原と乗り継ぎました。

分倍河原に着いたときはもう夕暮れでした。

先日日経の土曜版でこの「初乗りの旅」が紹介されていました。
今頃?と思いましたが、よく考えてみたら、今はエキナカがひじょうに充実しています。
改札口を出なくてもかなり楽しめるようになったので別に鉄道に興味がない人でもさまざまな楽しみを見つけることが出来るようになりました。

また違う視点で「130円きっぷ初乗りの旅」を楽しんでみたいところです。
でもなかなか難しそうです。

カネはなくてもOKなのですが、ヒマも余裕もないので・・。

貧乏ひまなし・・・

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土曜日に用事で福島に行ってきました。
約束が午前中だったので、行きは東北新幹線(写真)のMaxやまびこで行きました。
100904福島新幹線
土曜日ということでビジネス以外のお客さんでかなり混み合っていました。
約1時間半で到着。福島駅に降り立つのは今回が初めてです。
写真は福島市内の様子です。
100904福島市街
面談が終わり、先方の方にお昼ご飯をご馳走していただきました。

そして帰路、帰りは時間に余裕があるので、青春18きっぷを使用しました。
福島発の普通列車で郡山に。ここでまた黒磯行きに乗り換えです。

以前とちがい東北線も昼間の列車の本数はそこそこあるのですが、みな編成が短く、2〜3両編成ばかりです。
郡山までは空いていましたが、郡山発の列車はすし詰めの混雑でした。
中には今がシーズンなので青春18きっぷを使っていると一目でわかる旅行者もかなりいました。(私もそうですが・・)

時間に余裕があったのと、混雑がいやで白河駅で途中下車。
ここは以前に一回訪れたことがありましたが、あまりくわしく覚えていませんでしたが、
白河駅の駅舎はなんと、文化財級と思えるようなレトロ駅舎でした。(写真)
100904白河駅
またホームからは目の前にお城が見えて、すばらしい景観でした。(写真)
100904白河城
駅舎だけでなく駅のホームや待合室、駅設備などもまったく昔のままで、タイムスリップしたような空間でした。

しばらく駅を見物して次の列車で黒磯に。そして宇都宮駅にでました。(写真)
100904宇都宮駅
ここでやはり暑さにまけてしまい、ショートカットして新幹線で大宮まで出てしまいました。(写真)
100904大宮駅新幹線
相変わらず根性だけは自信がありません・・。

あとグルメに続き、旅行・鉄道関係のブログも一両日中に復活させますので、こちらでくわしい内容をご覧下さい。
右のリンク欄からご覧になれます。

 

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今レトロな駅舎が注目されています。
NHK衛星放送でも全国の木造駅舎を訪ねる番組が定期的に放送されています。

ここでは、今は改築されてしまった、あの駅のレトロ駅舎の写真をご紹介します。
基本的に駅舎が偶然写っていたものもありますので、ご了承下さい。
国立駅旧駅舎写真
★中央線国立駅
少し前にこのブログでも書きましたが、中央線高架化にともない、いったん取り壊され、復元予定だそうですが財政難もありどうなるかわからない状況のようです。
軽井沢駅旧駅舎写真
★信越線軽井沢駅
民話の取材の時の集合写真を偶然駅舎をバックに撮ったものです。
他の写真も共通ですが、本人以外はプライバシー保護のために加工してあります。
昭和59年のものです。当時は信越線の駅でしたが、今はしなの鉄道および北陸新幹線の駅です。
函館駅旧駅舎写真
★函館駅
これは旧駅舎が改築される前年くらいの頃の写真です。
鎌倉駅旧駅舎写真
★鎌倉駅
前代の駅舎で、今の駅舎もこの形に似ています。旧駅舎の時計は保存されているそうです。昭和53年頃です。

老朽化やメインテナンス、トイレなど衛生の問題などたくさんのハードルもありますが、門司港や日光など観光資源として活用している例もあり、文化財的な価値も大きいそうですから、今残っているレトロ駅舎も何とか残ってほしいと願っています。

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上野駅に到着する急行八甲田号の写真
前回の客車普通列車で、思い出したのですが、北海道に行ったときに昭和58年に網走ー北浜間の普通列車と多分平成5年くらいにやはり北海道で快速ですが、「海峡号」に乗ったのを思い出しました。大したことではありませんが・・
さて今回は風前のともしびになった、急行列車についてです。
今、JRで現役で定期運用で走っている急行列車は、札幌ー青森間の「はまなす号」と大阪ー新潟間の「きたぐに号」だけということです。
ともに夜行列車ですが、いずれは淘汰される運命かな、と感じています。
写真は上が東京駅に到着した大阪からの銀河号(当時は20系でヘッドマークなし)、下が上野に到着した青森からの八甲田号(旧型客車編成)でともに本人撮影です。

昔鮎川哲也氏の推理小説に「急行出雲」というのがありました。話は忘れましたが、かなり昔は東京駅からでも個性豊かな急行列車が数多く発着していました。行き先別に愛称が違っていて、それぞれがその地方出身者の思いが詰まっている、というくらい地域とも密着していたようです。
編成も長く、バラエティに富んだ車両を連結していました。
私が子供の頃に見た時刻表で憶えている範囲でいえば(間違いがあったらすみません)、
近距離では、静岡行東海号(ごてんば号併結)、伊豆方面行きは伊豆号(全車指定席)とおくいず号(自由席中心)
遠距離では、大阪行銀河1号および紀伊号(併結で紀伊勝浦行)、銀河2号、浜田行出雲号、宇野行瀬戸号
出雲や瀬戸は47年くらいに特急になってしまいましたが、急行時代は食堂車まで連結している列車でした。
そして極めつけは桜島・高千穂号です。旧型の10系中心の客車編成でどちらも西鹿児島行(鹿児島線・日豊線経由)でした。
この列車はグリーン車以外はすべて普通車自由席で長大編成でしたが、東京を10時くらいに出発、終点には桜島が翌日の11時くらい、高千穂はなんと翌日の14時くらいだったのでは、と思います。もちろん日本一の長距離急行でした。
実際に乗ることは出来ませんでしたが、東京ー大阪間はどちらも朝出の夕方着で、利用できる時間帯だったので一度は乗ってみたいと思っていました。

新幹線と併行しているこの区間でさえ、これくらいの種類が走っていたので、他の地域はまさに急行天国という感じでした。
いつの頃からか、特急が発達して、快速とのコンビで全国にネットワークが出来始め、急行列車はどんどんと衰退していきました。
またまた私事ですが、乗ったことのある急行列車を思い出せる範囲で出来るかぎり書いてみます。順不同です。

まずは北から、
★サロベツ号・稚内ー旭川間
もしかしたら礼文号かもしれません。昭和60年の冬に北海道の友人と車で流氷を見に行き、稚内で皆と別れ先に帰るために乗車。とにかく窓の外は雪原が続き退屈だったのを憶えています。
★利尻号(臨時)・旭川ー稚内間
昭和58年夏に友人と北海道をまわったとき、旭川から定期の利尻に乗れず、臨時に詰め込まれました。夜行列車なのに近郊型のデッキのない古びたディゼルカーでしかも座れず、床で一晩すごしました。
★大雪号・札幌→網走、網走→旭川間
どちらも夜行でたしか14系座席車でした。同上の昭和58年夏に宿代わりに2回利用しました。帰りは混んでいて座れず、やはりデッキにしゃがんで寝ました。
★十和田1号上野ー青森間
これも昭和58年夏の北海道行で往きに利用。12系客車でした。当時約12時間近くかかったのを憶えています。さすがに座れたのでよかったです。
★くりこま号(青森ー仙台間)およびときわ号(仙台ー上野間)
同上の北海道の帰り、以前書きましたが台風直撃の関係でやっと動いた青函連絡船で明け方に青森に着き、そこから急行を乗り継いで東京に戻りました。朝一で出て、上野に18時くらい着でした。455系でした。
★はまなす号札幌ー青森間
平成8年に北海道に行った時に寝台車を利用。今やカーペットカーなどで人気列車ですが、当時は寝台と座席のみでした。車内もガラガラでした。
★ゆけむり号上野ー水上間
これは何度か乗りました。関東の人にはなじみのある列車でしたが、いつも混んでいるのが難点でした。
★信州号上野ー篠ノ井間、長野ー軽井沢間
昭和58年民話の調査のために長野に行った時に利用。
★アルプス号新宿ー松本・白馬間ほか多数
こちらも昭和57年(大町方面)と昭和59年(塩尻・木曽方面)に同じ民話の調査のときに利用。以後多摩地区に住んでからはいつもなじみのある列車でした。また昭和63年冬にスキーに行く時に仕事の関係で後から行ったので夜行のアルプスで白馬まで行きました。このときはもう夜行のみの運用で特急型車両でした。
★よねやま号越後湯沢ー大宮間
昭和60年冬、苗場にスキーに行ったときに先に帰ることになり利用。急行券を買わないまま乗っていましたが、熊谷を過ぎて検札が来てしまいました。
★伊豆号東京ー伊豆熱川間
伊豆旅行で利用。
★内房号両国ー館山間
昭和54〜55年頃に乗車。たしか当時野球部に入っていて、なかなか休みがなくて一日ぽっかり休日が出来たので、理由もなく乗りに行ったおぼえがあります。帰りは浜金谷からフェリーに乗りましたが、この日は波が荒く、私が乗った便の後は欠航になってしまったと思います。船の売店の女の子が船酔いになってしまい、ぐたぐたになっていたのをおぼえています。
★立山号福井ー京都間
昭和53年に友人と北陸に行き、福井の待合室で野宿しようとしていたら、家出と間違われ警察に連れて行かれ、とにかく列車に乗れ、ということになり真夜中の2時くらいに乗車、京都には5時くらいに着いてしまいました。
★ちくま1号松本ー名古屋間
昭和51年夏に松本へ友人の実家(農家)に遊びに行きましたが、往きは「特急しなの」の切符が取れたのですが、帰りは「しなの」が取れず、この列車に乗車しました。本来は大阪行なので大阪まで乗ってもよかったのですが、客車列車なので、旧型で冷房がなかったらいやなので、名古屋で降り、新幹線に乗りかえるように券を取りました。
ところが乗ってみたら12系で冷房はガンガン効いていてしかもガラガラで快適でした。失敗しました。
★東海号静岡ー東京間
名門列車です。これはもう東海号に乗りたくて、わざわざ新幹線を降りて乗車しました。時期は忘れてしまいましたが、急行で残っていたのでかなり前です。またその後友人と旅行の時にも一度利用した記憶があります。廃止になってしまったのは残念ですが、特急になった後も夫婦で旅行の時に熱海から何度か乗りましたがいつも空いているというイメージがあり、廃止もやむを得ないのかも知れません。
★銀河号東京ー大阪間
家の事情で平成になってから特に大阪に頻繁に行く用事が増え、会社が終わってから乗れるので、かなりの回数利用しました。またたまに運行のタイミングが合った時や、結婚の前に妻を当時健在だった祖父に会わせるために三田に行った時に銀河51号(14系座席車)も利用しました。寝台に乗るとどうしても飲み過ぎてしまい、いつも大阪に着くと二日酔いでした。
★能登号金沢ー上野間、上野ー金沢間、上野ー糸魚川間
家が北陸の家なので、特急北陸号とともにかなり利用しました。以前は旧型客車(10系中心)編成でそのころも利用しました。そのあと14系になり従弟の結婚式で寝台で帰った時はちょうどGWで、となりの普通車を見たらデッキまで人が立っている状態でした。立ったまま寝ている人がいました。
そのあとは489系の座席車のみになり、上野から高崎までは本来だめなはずですが、通勤客(当然酔っぱらい)でごった返していて、すごい状態でした。でもなかなか検札も出来ない状態みたいで、かなりの人がただで乗車出来ているようでした。
★きたぐに号新潟ー大阪間
以前は青森ー大阪という日本海縦貫線を走る名門列車でしたが、私が乗った時はすでに新潟発でした。583系の寝台電車で、以前はくつる号で最上段できつい思いをしたので、その時は下段を取りました。ただ実際は空いていて、不気味なくらいでセキュリティも心配なくらいでした。
★かすが号奈良ー名古屋間
平成13年用事で関西に行き、奈良によって東京に戻る時に利用。デッキの無い快速「みえ」と同じ車両でした。

こうやって思い出してみても意外に急行には乗っていないのだ、ということに気が付きました。やはり新幹線の威力はすごいということですね。

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鉄道ジャーナル1982年写真
昭和の古い映画や時代ものの映画やドラマでたまに汽車のシーンがでてきます。
もちろん多くは昭和初期の蒸気機関が牽引する「本物の汽車」ですが、そのレトロな部分の多くは蒸気機関車よりも引かれている「客車」のほうに負うところが大きいのでは、とさえ感じます。
「木のニス塗りの内装、座席、床など・・」映画の場面などでも多くはその車内の様子で時代を感じてもらうような構成になっています。
金曜日に新橋に行った時に少し時間が空いていたので、SL広場のところで開催されていた古本市で懐かしいものを見つけました。
1982年に発行された「鉄道ジャーナル」でした。内容は「長距離鈍行特集」。値段が300円と安いので思わず買ってしまいました。
客車の普通列車というのは、いつのころからどんどん減っていき数年前にはレジャー用の臨時列車をのぞきほぼ全滅してしまいました。
懐古趣味ではありませんが、人間は本能的に木でできたものには癒されると思っています。
昭和の中頃までに作られた車両の多くは内部(内装、座席など)は木で出来ていました。
40代以上の地方出身の方はこんな車両は昔は当たり前みたいに乗っていたのではと思いますが、今ではほぼ姿を消してしまいました。
わずかに大井川鉄道で観光用ですが定期運用が残っている程度だと思います。映画やドラマの撮影もここで行なわれているようです。
最近このようなレトロブームが起こり、木の香りがする旧型客車の臨時列車が走ったりすると、大きな話題になったりします。
写真は上が昭和53年10月の改正で廃止になった、上野発一ノ関行の普通列車の車内の様子です。(本人撮影)
下が金曜日に買ってきた「鉄道ジャーナルー長距離鈍行特集」です。

◆当時乗車した客車鈍行
・東北本線上野発福島行列車
かなり昔で埼玉に住んでいる時、何かの用で東京に行き、たまたま上野駅から帰りに高崎線・東北線の列車に乗ろうとしたらこの列車に乗りました。たしか16時くらいだったと思います。ドアが開いたままのデッキにいました。
・北陸本線糸魚川ー富山間
昭和53年3月に北陸方面に普通列車で旅行、中央線で松本に、大糸線の旧型国電と旧型ディーゼルを乗り継いで糸魚川から乗車、富山まで。客車の中は昔の映画に出てくるような木のニス塗りの古めかしい車両でした。車内は夕方で高校生で満員。夕暮れが過ぎた親不知付近では灰色の日本海が続いていたのが印象的でした。
・北陸本線富山ー金沢間(同上昭和53年3月)
その翌朝、富山駅を5時台に乗車。朝早くでガラガラなのにかなり長い編成でした。途中から通勤列車に変身、金沢手前では立ち客が出るほどの混雑でした。
・東北本線上野発一ノ関行普通列車で上野ー大宮間乗車(昭和53年10月)
当時上野駅から発着していた旧型客車普通列車はこの一ノ関行が最長で有名でしたが、ほかに前出の福島行、常磐線経由仙台行、高崎行がありました。これらがすべてこのダイヤ改正で廃止になりました。
当日は鉄道ファンが押しかけて大変な混雑でしたが、今のように大きく報道されることはありませんでした。
・山陰本線京都ー鳥取間「山陰号」(昭和59年9月)
友人と旅行に行き利用、以前はこのような愛称のある夜行普通列車が各地に存在していました。すでにこの時は12系というブルートレイン色の客車になっていて、冷房もガンガンに効いていたのを憶えています。車内はかなり混雑していてボックスは定員どうりで夜は足の置き場に皆困っていました。
・山陰本線京都ー福知山間(昭和59年9月)
前出の旅行で再び京都を朝5時代に出る浜田行の客車普通列車に乗車。木の匂いのするかなり旧型の客車でしたが、途中綾部までツッパリ高校生の集団で超満員とでビビって乗車していたのを憶えています。
・磐越西線会津若松ー新津(昭和61年12月31日) また友人と会津に旅行、彼はいわきなので現地で別れ私は大阪に向かうために乗車、大晦日ということもあり車内は混雑、寒い地域なので暖房が効きすぎてかなり不快でした。約4時間かかり新津に到着、ここで当時まだ走っていた青森から大阪に向かう特急白鳥に乗車しました。会津若松を8時くらいに出て、大阪に着いたのは夕方の6時過ぎで疲労困憊でした。もうこの時期は旧型客車は相当減っていて、この列車も50系という赤い客車でした。
以上実際に客車の普通列車に乗車したことはこれくらいしかなく、当時も時間の余っている人以外は長距離で乗り通す人はあまりいなかったのではと思います。北海道を列車でまわった時もほとんどはディーゼルカーで客車列車に乗った記憶はありません。

長距離移動にも耐えられる車内設備がありノスタルジックな旅情を誘う客車列車はもう最上の贅沢と化してしまったようです。唯一定期運用が残っている大井川鉄道には頑張って欲しいと思っています。

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中央線201系卒業記念弁当写真
今日は新宿駅の近くに仕事で行ったので、『中央線201系卒業記念弁当』なる限定駅弁を買いました。
このあと表参道で仕事があったので、昼は東口改札横の立食いそばの『信州そば・本陣』で食べました。
西口にも『箱根そば・本陣』という店があり紛らわしいが実はどちらも美味しいと思います。
箱根そばはあちこちにありますが、なぜかこの店だけは違うそばに思えます。

さて本題の駅弁ですが、中央線で永らく走っていた201系という車両が6月に引退するというのでその記念に売り出されたとのことです。
値段は1000円と少々高く、本来安いものしか買わないのですが、今回は期間限定ということで買ってしまいました。
まあ、こんな企画だから味は??とあまり期待していませんでした。
ところが家まで持ち帰りかなり時間が経ったものを食べて、「あれ、かなり美味しい!」
と少しビックリしました。
中身は立川の名産のうどなど沿線の特産物をおかずに、ベースは昔新宿駅で名物駅弁だった鳥めしを真似たそぼろご飯というありきたりの内容でしたが、一つ一つも美味しいのですが、何よりもご飯がおいしいと感じました。
1000円も払ったのに「ああ、損した」などとは少しも感じませんでした。
この弁当はしばらくは新宿駅南口、八王子駅、あずさ号車内などで販売されるとのことです。

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前の記事のように木曽路を旅行しましたが、
たまたま奈良井のバスの駐車場のとなりを中央線の線路で、電車が通ったので写真を撮ってみました。
本数もわずかなローカル列車ですが、最新の車両になっていました。(写真下)
中央線0911

以前旅行に行った時はいわゆる旧型国電という車両でした。
写真は相当前の写真ですが、一般的には湘南電車とよばれた80系という車両で昔は東海道線などを主力で走っていた車両が都落ちして走っていました。(写真下1978年頃・・南木曽駅にて)
中央線78

 でも今の時代、レトロや昭和ブームになっていて、こんな車両が走っていると、鉄道ファンばかりでなく、昔を懐かしむ観光客などがたくさん来て結構にぎやかになっているかも知れませんね。

車両は昔のほうが、さみしい物悲しい感じですが、実際は今の方が旅行者も少なくて、さみしい感じでした。

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