サイト運営者日記「ぶらぶらうだうだ・・」

「タウンクリニックドットコム」「時代文化ネット」などサイト運営をするアナログ脱サラ(いつのまにか・・)親父のブログの何でも日記風ブログです。

当ブログは2018年3月よりURLが、
http://blog.livedoor.jp/chikao1216/
から
http://burauda.blog.jp/
に変わりました。サブドメインのため旧URLでアクセスしてもリダイレクトしてアクセスできます。
また名前も「サイト運営者日記・ぶらぶらうだうだ」に変わりました。

内容は「時代文化ネット」制作者が運営する日記で特にテーマはありません。
日常のサイト活動などにおいて見聞きした内容や、現在の社会や自身の生活などを通して感じたことなどをそのまま記載する形にこのたびリニューアルしました。
現在の掲載記事は以前の「穴狙い千ちゃん〜」「ちかお日記」に掲載されている記事をそのまま残してあります。
旧記事は「改修前」のカテゴリになっていて、「人気」???と記載があるのは人気があるかどうかは知りませんが、自分でまあまあ気に入っていた記事です。

鉄道

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表題のように国鉄時代末期に製造され東海道線などを中心に広く幹線を走っていた211系電車が4月23日で東海道線から引退したそうです。

ある駅のJRのチラシコーナーにそのサヨナラ運転もかねたツアーのチラシがありそれを知りました。

ネットなどで調べるとJR東日本の社長は国鉄時代の車両を近年注に一掃するという方針のようです。

私ががっかりしたのは211系の話ではなく、それによって余剰の車両が中央東線や長野、新潟地区の115系と置き換えられるという話のほうでした。

段階的のようですが中央線の高尾以遠の列車は順次、この211系(東海道および房総半島で使用されていた車両)に変わってしまうそうです。

中央線高尾以遠は115系の天下で旅情を感じさせる昭和の車両でした。
色も長野色、スカ色の両方が存在していました。

こういうの残してほしい、って思っている人は相当いると思うんだけどね・・・

残念です・・

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いつもブログでも愚痴っていますが、夜行列車など何十年も愛され利用されてきた交通手段などがどんどん淘汰されていく中で現状で残されたものを守り、利用して、さらに楽しんだり、運営者にもその恩恵がいくことを目的とした究極の懐古趣味サイトを作ろうと考えています。

内容の多くは公表できませんが、下調べをしているうちにさまざまな分野で同じ現象が起こっているのに気付きました。

ブルートレイン(寝台特急日本海など)みたいに派手にさわがれればまだいいほうで、乗り物などに限らずあらゆる分野で、しかも加速度的におこっているのを感じました。

これは情報通信技術を中心に経済停滞による集約化、即効性と模倣による商業ベース優先主義などさまざまな要因によって起こっているのではと推測しています。

通信機器や電化製品などは大きな変化がなくてもどんどん買い換えなくては立ち遅れたり、支障が生じるように半分はあおられているという感さえあります。
大きな必要性がなかったり、淘汰される合理的な理由がないばかりか、まだニーズが沢山ある世界でもどんどんその動きが強まっています。

人間の中身さえその早い動きに翻弄されているのではと感じるほどです。

というより、本来人間が持っていた動物的な機能や生命力、精神力などはむしろ衰退し始めていると感じています。

もちろん自分もその一人であるのですが・・・

と能書きと理屈が長くなりましたが、その一部を鉄道など乗り物中心に挙げると・・

◆鉄道
・夜行列車など各社相互乗り入れ列車の衰退
これは実際にニーズがあるし、もしくは無くなりつつあっても運賃の問題や新たなニーズを容易に構築できそうなのにほぼ全廃にむかって突き進んでいる感があります。

JRが民営化され分割化されたことで、特別な事情やニーズのある優等列車(本州と四国・北海道連絡や中京と北陸・信州、上越新幹線から北陸方面)などを除くとJR複数社相互間の乗り入れはどんどん減少しています。

たとえば東海道線では以前は東京から沼津や静岡、御殿場などに直通列車(普通、特急、急行)が数多く走っていましたが、現在は修善寺方面の特急の三島まで以外は完全になくなっています。(※)

特にムーンライトながらや特急東海は専用に(他にも多少ローカル特急で使用されていますが・・)に新造された快適な車両もその車両の寿命とはほぼ関係なく乗客が減ったなどの理由をかこつけてすべて廃止になりました。
※朝晩だけわずかに東京ー沼津間の普通列車が残っていました。失礼しました。(後記)

実際にはどちらも乗客がわざわざ減るようにする戦略をとっているとしか思えないように感じていました。

また現在でも残る大きな地域的な事情の存在しないJR各社相互乗り入れ運行の昼行列車では「特急北越」のほか一往復のみですが大阪乗入れの「ひだ」「しなの」が残っていますが、前者はおそらく北陸新幹線開通とともに廃止され、後者も時間の問題だと思っています。

・路面電車
北陸などではライトレールという新しい形の路面電車が登場して話題になっていますが、全国的に見るとこれも衰退の一途です。

これは交通渋滞や慢性的な赤字など致し方ない部分もあるのかもしれませんが、ここまで減ってくると逆にそれ自体を観光資源などとして活用できる部分もあるのではと感じています。

特に通常の鉄道からはほとんど消滅した釣り掛け駆動車(発車する時「ガーー」とに大きなモーター音がする一般的いえば昔風の車両)が路面電車は車格が小さいためかかなり残されています。

これからもどんどん減っていくでしょうから残されたものは逆に文化財的な価値が出てくるとさえ思っています。

・ケーブルカー・ロープウェイ
これも高尾山や箱根登山、アルペンルートなど一部の注目度の高いものを除き今後はどんどん減少していくと考えています。

料金が高いというのもありますが、それ以前に観光地が世界遺産やミシュラン、山ガールのメディア報道など特定の価値観によって支配されている感があり、それにはずれたところは閑古鳥が鳴いているというのが現状のようです。

近年、有名観光地として長年親しまれ伝統のある四国・屋島のケーブル秩父の三峰山のロープウェイなどが廃止されました。

特に秩父などは自然環境的にもほかの地域と比べて劣っているとも思えませんし、むしろ国立公園内で東京から最短距離で行ける深い自然を堪能できる地域です。
三峰神社など県内でも有数の神社があるばかりか、昔キャンプをしたときに河原で特別天然記念物である蝶の「オオムラサキ」を見ることさえできました。
またロープウェイ山頂駅からの眺めは高尾山などとは桁違いの雄大な眺望が楽しめ、特に紅葉の季節は絶景です。

ほかもそのようなところはたくさんあるはずでそのようなところをどんどん探し出せればと思っています。

・フェリーや航路
高速1000円・無料化や連絡橋など政策的な部分や地元の人の生活に関した部分もあり一概なことは言えませんが、他の交通手段にくらべると一番加速して淘汰されている分野であると感じています。

生活路線としても、今の風情を残した状況で目的やニーズを絞り込んで運行するということでなんとか残してほしいというふうに思っています。

特に瀬戸内海航路は多くの島々の絶景を見ることができ、使い方によっては観光資源としても存在価値が大きいのではと思っています。

また北海道などに行く長距離航路は夜行列車が大幅になくなった今そのような旅行者たちには貴重なニーズであると思っています。

過去私は青函連絡船、東京湾フェリー、神戸ー淡路、淡路ー深日(和歌山)、琵琶湖、十和田湖、芦ノ湖しか船に乗ったことはありませんが今後は少しでも存続に協力できればと考えています。

このほか駅舎や駅弁、駅そばなど長年の伝統あるものや地域業者のオリジナルがどんどん失われつつあります。

名産品や土産物さえも道の駅やサービスエリアなどが完全に主導し、ご当地グルメなどに集約されつつあります。

そんな感じで思っている今日この頃です。

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いよいよ明日はJRダイヤ大改正です。

巷の話題はのぞみ300系の引退、寝台特急日本海と夜行急行きたぐにの廃止がメインになっているようです。
16日の指定券などは発売と同時に売り切れたようです。

本当に用事のある人には災難ですが(一昨年に急遽親戚のお葬式に行くのに北陸の券が取れなくて大変でした・・)

あとはあさぎりのJR371系、小田急の車両ともに廃止になるのも話題のようです。
先週仕事で真鶴に行く時にロマンスカーに乗ったら、沿線はカメラを持ったファンを線路際でたくさん見かけました。

この中でさみしく消えたり、大幅に減らされる車両もあります。

それは国鉄時代から活躍していた車両たちです。

一番は飯田線で単独で運用されていた119系です。
飯田線は以前は旧型国電の博物館といわれた線区でした。
その当時に一回ほぼ全線を何度か乗り換えて乗りとおしました。
そのあともたまたま友人の田舎が駒ヶ根で行った時にも乗ることができました。
その後はいわゆる湘南電車の80系がしばらく走っていましたが、新性能化ということで専用に登場したのがこの車両です。

また185系を使用した踊り子や草津号、また189系使用の妙高号なども大幅に削減されるようです。
このあたりはあまりまだ注目されていないようですが、観光の低迷もありもう時間の問題かなと感じています。

さらにいえば国鉄型車両が唯一大量に残っている北陸線もこれから急速に車両の淘汰が進みそうです。
特に急行型で唯一主力でたくさん運用されていた475系も一気に淘汰される流れになるのではと危惧しています。

懐古趣味の男より・・

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JTB時刻表平成24年3月ダイヤ改正号
表題のように久しぶりにJTBのダイヤ改正の時刻表を買いました。(写真)

何年振りでしょうか?

今回の改正はかなり大掛かりでJRの方向性が大きく見えてくるようなものと感じました。
すでに他の詳しい方のつくるサイトなどで情報は得ていますし、多くの方はご存知だと思うので詳細はそのようなサイトやニュースをご覧になればと思います。

そのようなサイトやJRの案内でも周知されていますが、今回周遊きっぷのかなりのゾーンが3月いっぱいで販売中止になります。

周遊きっぷは前身はいわゆる周遊券です。
これはオールドファンのみならず、以前は一般の方にも広く知られていたきっぷです。

自分で作ったオーダーメイドの旅行ルートをそのまま綴りのきっぷにしてしまうという形です。
これがこのきっぷの原型で、当初は一般周遊券といわれていました。

・旅行の条件としては国鉄(当時)を201キロ以上利用すること。
・同じ駅に戻ってくること。
・国鉄の指定する周遊指定地(観光地)を2ヵ所以上まわること。

などが主な条件でした。もちろん料金も割引になりました。

これに当時は一般的だった国内新婚旅行用に「ことぶき周遊券」というものも販売が行われました。
これは国鉄を601キロ以上利用、原則グリーン車(1等車)を利用する形です。

また同時期くらいに、均一周遊券というきっぷが発売されました。
これが今の周遊きっぷの原型です。

一般周遊券は決められたルートでしかも人によって皆違うプランです。
いちいち作成していると大変効率が悪いばかりか、旅行者も自由に現地で行ったり来たりができないという不便がありました。

そこである地域の鉄道や国鉄バスをフリーパスにしてしまうという、旅行者にも販売側にもたいへん効率のいいきっぷが発売されました。

これは学割もきき、当時はどこに行っても走っていた急行列車の自由席に乗り放題だったのもあり、大好評だったようです。

特に北海道周遊券は20日間くらい北海道の鉄道がすべて乗り放題で、夏休みなどを使い鉄道で北海道をまわる旅行者が急増して、社会現象になるほどだったようです。

私の中学の時の教師もその思い出を学校で懐かしそうに語っていました。

大きなリュックを背負い、列車の通路をヨコ歩きする。いわゆる「カニ族」という旅行者です。
皆ほとんどが携行品に寝袋があり、「駅ネ」という、いわゆる駅の待合室や軒下で一晩過ごすというのも流行りました。

当時は北海道の鉄道はまだまだかなり残っていて、多くの路線で普通にSLが走っていたことや、異国的な風景を眺められるというのも魅力のひとつだったのではと思います。

これは鉄道好きとかそういう次元を越えた当時の若者の登竜門のひとつであったのではと思っています。

均一周遊券はその後ワイド周遊券と名前が変わりました。

この頃にちょうどミニ周遊券というのも発売がはじまりました。
これは均一周遊券のように大きなゾーンではなく、一部の人気ゾーンに絞り込んだフリーパスでした。

今回販売が中止になる周遊きっぷの多くのゾーンはこのミニ周遊券が原型になっているのではと思います。

私が旅行に興味をもちはじめたころは、まだ一般・ことぶき周遊券があり、均一周遊券という名前のころでミニ周遊券が発売になったばかりの頃だったと記憶しています。

特に出張族などに多用されていたのが、京阪神と東京のミニ周遊券でした。
両地域のいわゆる国電区間が7日間すべてフリーパスになるのに、料金は往復の料金程度でしたので重宝されて当然かもしれません。

そのあと一時期ですが、一般周遊券の煩雑さをかいしょうするためか、ルート周遊券なるものが登場しました。
これは人気ルートがあらかじめ綴りになっているきっぷで、オリジナリティーはありませんが、使い勝手がいいうえ、ルート上の私鉄や民営バス、ケーブルカーなどのきっぷまでセットになっていました。

特に当時売り出しになったばかりの「立山黒部アルペンルート」や「萩、津和野、秋芳洞方面」のルート周遊券は人気だったようです。

これはあまり広く知られていませんでしたが、萩津和野方面のルート周遊券はルート旅行用のきっぷでありながら、当時人気だった同地域のミニ周遊券とほぼ同じ地域が乗り放題になる機能もついていて、有効期間も長いことから一部の人たちの間では大好評だったようです。

そんなこんなで全盛期には社会にも深く浸透していた周遊券も、JR民営化の後は衰退の一途をたどることになってしまいました。

民営化での分割が一番大きな理由であると思われますが、急行列車の衰退や、青春18きっぷの登場などもその要因のひとつかもしれません。

私個人は、高校時代に信州周遊券、大学時代に北海道周遊券、信州周遊券、北近畿ワイド周遊券などを利用して旅行をした記憶があります。
また大学のサークル活動で信州に民話の調査に行ったときも皆で信州周遊券を使いました。

信州周遊券
当時まだこの地域の路線は旧型国電という戦前製の車両などがたくさん走っていました。

高尾から中央線で小淵沢にでて、小海線の旧型ディーゼルカーで小諸へ、さらに篠ノ井経由で松本に折り返してそこから戦前車両の宝庫といわれていた大糸線にのり木崎湖に行きました。

そして次は松本から中央西線で当時ブームだった木曽路に行きましたが、中央線はまだ現役でユーミンのアルバムでも有名な「流線型80」いわゆる初代の湘南電車が走っていました。
車両は2ドアで昔の客車と同じで、ニスの匂いがする車両ですが、日本の鉄道に革命をもたらしたといえるくらい登場時はもてはやされた車両が都落ちして走っていました。

そして最後は飯田線です。
この線は戦前の京阪神鈍行のエースだった流線型のクモハ52など旧型電車の博物館といわれるくらいの線区でした。

天竜峡で天竜下りに乗ったり、何度か乗り換えて辰野から豊橋まで乗りとおしました。
クモハ52も途中の交換で眺めることができました。

北海道周遊券
上野から急行十和田で、さらに函館からまた夜行と、夜行列車、駅の待合室、友達の下宿泊を繰り返し、14日ほど行っていましたが旅館には一回も泊まりませんでした。
今は廃止になった勇網線や深名線、広尾線、名寄本線などにも乗車しました。

また台風の影響を受けましたが、青函連絡船に生まれてはじめて乗ることもできました。
(その後も結局2回しか乗りませんでしたが・・)

鉄道旅行を楽しむというよりは、友人と一緒だったので、向こうで知り合いをつくったり、サバイバル旅行を楽しんだという感じでした。

北近畿周遊券も京都と鳥取が自由周遊区間に入っていて、当時残っていた普通列車の夜行列車・山陰号を宿替りに2回も乗車しました。また当時は日本でも有数の旧型客車鈍行が走っている路線の山陰線の客車列車にも多数乗ることができました。

その後勤めてからは周遊券を使うような長期の大掛かりな旅行をすることがなくなり、ほとんどご無沙汰していました。

ところが一昨年の秋に実家の法事の関係で金沢に行った時、他のサイトの用事もあり特殊なルートになるので、どうしても周遊きっぷのほうが便利だったので、周遊きっぷの富山・高岡ゾーンというのを利用しました。

品川駅のびゅうプラザで、他のきっぷと一緒に周遊きっぷを組んでもらいましたが、大体1時間くらいかかってしまいました。
女性の駅員さんが担当してくれましたが、嫌な顔ひとつせずに対応していただき本当に感謝しています。

でも実際に買って利用してみると、この煩雑さは本当にお互いの効率を悪くするばかりなので、廃止の方向もやむをえないのかもしれませんね。

このようなニーズのある人は観光客などには考えられないし、ほんの一部の人に限られると思いますし・・

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私見ですが、日本の観光はきわめて一元的な思考だと思っています。

何かがヒットするとすぐにそれにあやかろうとすべてがそれに群がる・・
そんなことを繰り返してきたように思います。

先日テレビのある番組で伊豆熱川温泉の惨状がルポされていました。
テーマパークが流行れば、美術館が流行れば、昭和の後半にかけて雨後の筍のようにあちらこちらにできました。

今はかなり多様化しているとはいえ、ゆるキャラ、道の駅、ご当地B級グルメ、駅弁、サービスエリア、工場見学など・・

商業ベースに乗せるためには致し方ないのかもしれませんが、全国どこもかしこも皆一緒です。

これではすぐ飽きてしまいます。

多様化への対応が、一極化にかわってしまう繰り返しになって、結局衰退への道を早めているような気がしてなりません。

そのために古い施設を取り壊して新しい施設に変えてしまいます。
一回取り壊してしまった古い施設はもう取り返しがつきません。
なぜかと言えば仮に建て替えてもそれはすでに新しい物であり、古きを好んだり、文化財的な価値はまったくないからです。

日本の長年培った伝統の文化をそのまま残す、そんな考え方をシンプルに実行している感があるのが表題の大井川鉄道と秩父鉄道です。

単にSLを復活運転しているだけではなく、引っ張る客車やほかの車両、駅舎なども出来る限り昔のままの状態を保全しようとしている努力が見えます。

単なる金儲けの観光客誘致とちがう視点がそこには見えます。
多分老朽化などに対応するために大変な努力をされているのでは、と思っています。

それが逆に一般の観光客からも大きな支持を得ています。
しかもどちらも地方交通線という地域社会の生活も支えています。

最近テレビなどで海外の保存鉄道が多々紹介されています。
欧米だけでなく、アジアなどでも一度保存しようとしたものについては、出来る限り手を加えずに残そうというシンプルが気概が感じられます。
今いろいろ言われている隣の大国でさえ、文化保全については日本より進んでいると感じます。

商業ベースにしようという目先の視線と人の繁栄やアイディアにあやかろうとする短絡的な思考がかえって今の衰退を招いている根源のように思えてしかたありません。

伊豆の熱川にはバナナワニ園という全国でも珍しく歴史もひじょうに古いテーマパークがあります。
今でも健在です。
私も3回くらい行きましたが、飾り立てた要素が少ない分、シンプルに楽しめます。

何年か前にハウステンボスの運営会社が倒産したというニュースが流れました。
引き継いだ経営者が優秀で、今も立派に存続させているようで、その努力が広く知られ始め、今度テレ東のカンブリア宮殿でも取り上げられるみたいです。

昭和の後半にかけて全国で星の数ほど存在したテーマパークも今は風前の灯火で、残された施設もいずれは文化財に近い価値を生み出すのではと思っています。

前出のバナナワニ園、明治村、館山フラワーパークなど今も残っている施設の踏ん張りを期待したいところです。
流行の施設に飽き飽きした人たちには全然次元の違う感動や、楽しみを与えてくれると思っています。

話が大幅にそれましたが、今度の3月17日のダイヤ改正によって昔懐かしい特急「日本海」や急行「きたぐに」などが廃止になり夜行列車自体もほとんど壊滅状態に追い込まれます。

もちろん安全確保や老朽化への対応など高いハードルがたくさんありますが、のぞみ300系の最終列車の指定券が30秒で完売になったことなどを考えても、評価されているものは評価するべきではないかと感じます。

たとえばブルートレイン、これは外国の豪華列車をヒントに大衆の人も利用できるように考えられ、デザインのよさもあり永遠にこの人気は失われることはないと思います。

この間上野駅の大連絡橋の上の駅ナカを見てビックリ。すべて若い女性向けの値段の高い施設に変貌していました。

上野駅にはそのよさや人気の意味があったはずで、どこの駅にいってもあるような施設をいまさらつくって、しかも値段も高くなり、はるか先まで存続すると思っているのでしょうか?

商業ベースに乗せようとすればするほど、衰退する、そんな気がしてなりません。

お客さんは本物や他では見れないオリジナリティーを求めているのですから・・

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あさぎり号371系1
先週の木曜日に仕事で真鶴方面に行きましたが、往路に今度の3月17日ダイヤ改正で姿を消す371系電車の特急あさぎり号で途中まで行きました。

この電車はJR東海の車両で以前は御殿場急行と言われていたあさぎり号(小田急線内は特急)が、特急になり沼津まで延長された時にJR側の車両として登場したという記憶があります。
約20年間活躍してきました。
あさぎり号371系2
小田急の車両と基本的には同じ車両なのですが、JR車両(371系)は車両のカラーが青と白という東海道新幹線と同じカラーということもあり高いグレード感が漂い人気の車両でした。

しかも同型の車両としてはJRでも大変珍しいのですがわずか1編成(7両)しか存在しないという貴重な車両でした。

私もこの車両は大好きでした。といっても眺めてばかりでしたが・・。

今回沼津延伸も御殿場どまりに変わり、減便されすべて小田急の車両になるということで、新宿から松田まで乗車しました。

新宿駅ではもう見れなくなるのがわかっているからか、平日の午前中だというのに結構ファンが写真を写しにきていました。

松田の手前では目の前に雪で真っ白になった大きな富士山が迫り絶景も見ることができました。

写真は上が新宿駅、下が松田駅でのものです。

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これは懐古趣味になるかもしれませんが、単線の鉄道に乗ると無条件に旅情を感じてしまいます。
特に非電化であればなおさらです。

近年に八高線という路線が八王子ー高麗川間だけ電化されましたが、以前は仕事などで中央線に乗って八王子が近付くと途中で架線もない単線のレールが合流してきました。

これが八高線の線路なのですが、ちょっと地方に来たかな?とささやかな旅情を感じることができました。(ちなみに八高線はいまだ単線です)

立川で働いていた時はたまに車が確保できなかった時に小宮という八王子のお客さんのところに行くのに八高線を利用しました。
まだディーゼル列車でした。そのころは中央線の列車(高尾以遠の甲府方面行)も立川発着だった時なので、八王子までは列車に乗り、そこから八高線のディーゼルに乗ることもありちょっとした旅行気分でした。

首都圏の鉄道はほとんどの路線で電化は完了していますが、複線化は意外に進んでいないのが現状です。
複線化は用地買収や送電設備の問題もあり簡単に進まないようです。

また旅客ニーズも大幅に変化しているわけではないので、本数を大幅に増やす必要性自体がなくなっている部分もあるのではと思います。

私の住んでいる近くの話をすれば西武多摩川線もいまだに単線です。
12分ごとのダイヤになっていますが、駅間距離に大きな差がないため交換が容易であるので大きな不便は感じません。

また西武では国分寺や東村山、小平付近に沢山小さな支線がありますが大半はまだ単線です。(国分寺ー恋ヶ窪間は複線)
今後複線化が必要になる状況も考えにくく、用地買収も難しそうなので当分は単線のままであると思われます。

また意外ですが横須賀線の逗子以遠もいまだに単線でした。
こちらも上手にダイヤをやりくりしているようです。

それから東武亀戸線も単線のようです。
都心から一番近い単線の鉄道かもしれません。

そして意外に知られていないのは青梅線の複線は東青梅まででそれ以遠は単線だということです。
とういのも現在では沿線の人口増加もあり青梅線は青梅まではかなりの本数が運転され、ほとんどは10両の長い編成になっています。
また東京直通も多く、青梅特快という特別快速も頻繁に運転されています。

ところがなぜかいまだに東青梅ー青梅間は単線です。
この区間は市街地を通るため今から用地買収なども難しいのでしょうか。

以前は青梅線の電車は東京直通以外は編成も短く、1時間に1〜2本くらいは奥多摩行の4両の短い電車もありました。
電車も今の中央線と同じ最新式ではなく時代を感じさせる車両でほのかな旅情を感じることができました。
またいまだに完全単線で完全なローカル線に格下げされた感もある五日市線の直通や青梅・五日市の混成編成の電車などもありバラエティーに富んでいました。

あとこれはかなり前の話にもどりますが、横浜線も以前は原町田(現在の町田で数百メートル東神奈川よりでした)ー八王子間も単線でした。
小田急で町田(当時の新原町田)を過ぎ高架で横浜線を跨線橋でまたぐときに単線だったのを記憶しています。
橋本ー八王子間もかなりの時期まで単線だったようです。

たまに仕事で相原駅に行きましたが、山間の小駅という昔ながらの雰囲気で西多摩方面以外の幹線の駅とは思えない雰囲気でした。

ほかにもまだまだ単線の路線はあると思いますが、時代の波もあり周囲の環境は激変しているようです。

関西では福知山線が出雲市方面など長距離の旧型の客車列車が走る完全なローカル線から、線路を付け替えたうえに電化、複線化をして大変身したのが有名な話です。

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新年おめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

昭和時代の鉄道全盛期時に大活躍した急行列車の変り種やつわものを思い出してみました。
参考は昭和48年時刻表です。キロは営業距離です。
私見ですが5列車ほど順番にとりあげてみたいと思います。
盛り上がらないままついに第1位です。

大社号
栄光?の第1位は急行大社号です。

この列車は意味不明、複雑怪奇、何のために?どのような経緯で運行が始まったのかきわめて理解に苦しむ列車です。
それくらい変り種で、ほかに類似したパターンの列車は昔も今も存在しないと私は思っています。
また一部編成は途中山間部のスイッチバック等ではないのに三回も方向転換するというところも変り種のひとつです。

とにかく国鉄、JR史上まれに見る異色列車であったと思っています。

運行は名古屋・金沢〜出雲市(下りは大社まで)
運行内容を下り列車で説明すると、
列車は全9両編成ですが、1〜5号車は金沢始発、6〜9号車は名古屋始発です。
車両は当時のキハ58などの一般急行型の気動車です。(形式は明確にわかりません・・)

・金沢発
朝の9時20分に金沢を列車は出発します。北陸本線を走り、敦賀に11時11分着、ここで名古屋発の列車と合流、併結されます。

・名古屋発
金沢発より一足早く、9時10分に出発します。東海道線で米原に10時19分に到着、ここで第1回目の方向転換をします。
10時25分に発車して北陸本線で敦賀に。金沢発より先の11時02分に到着して金沢発の編成を待ちます。

・敦賀から併結
名古屋からの編成はここで第二回目の方向転換になります。
敦賀から併結され9両の長い編成になった大社号は11時28分に敦賀を発車します。
ここからは小浜線に入ります。そして東舞鶴から舞鶴線で一駅の13時09分に西舞鶴に到着します。

西舞鶴からは宮津線に入ります。そして15時18分に豊岡着です。
ここでまた再度名古屋編成は第三回目、金沢編成は第一回目の方向転換をします。
豊岡を15時18分発で、ここからは一路出雲地方を目指し、山陰本線に入ります。

・途中で編成をスリムに
列車は山陰本線をひた走り16時54分に鳥取に到着します。
するとここで金沢からの編成のうち1・2号車を切り離してしまいます。

7両編成になって出発して18時32分に米子着です。
ここでさらに金沢からの残りの編成3・4・5号車も切り離してしまいます。
ということは金沢方面から乗車して米子以遠に行く人はここで名古屋からの編成に乗り換えなければならなくなります。

そういうお客さんがいたらの話ですが・・

そして5両編成になった大社号は19時41分に出雲市に到着します。
ここで急行列車としての運行は終わりになり、普通列車として大社線に入り119時56分に終点の大社に到着します。
名古屋から延々10時間46分の旅がここで終わります。

上りも全く同様ですが、始発は大社ではなく出雲市になっています。

なぜこんな列車が、誰が乗るの?
ここが一番不可解なのですが、思うに昔は成田さんとか、創価学会の富士宮詣とか大きな神社、仏閣、宗教団体などは全国に信者が散らばっているのでそのような人たちの参詣用に始まった列車なのではと想像します。
成田さんなどは今でもそのような列車が臨時ですが多数運転されています。

たとえばなぜ宮津線なのか?というのも、この間ツアーで山陰を回ったときに丹後地方は出雲地方の文化が広く浸透していて家のつくりなどでもその名残が残っているとガイドさんが説明していました。
つまり信者が比較的多い地域を通るためにわざわざ遠回りしてでも運行するというかんじなのかも知れません。

またこの付近は天橋立など著名な観光地もあり、金沢や名古屋からだとこのダイヤであれば観光列者としても使えたのではと思います。

あとは地域都市間の輸送列車としての役割も担っていたのでは思います。
ひとつの運用で金沢ー敦賀、名古屋ー米原〜敦賀。敦賀ー小浜・舞鶴、豊岡ー鳥取ー米子ー松江ー出雲などです。
長距離運転なので相当な数の都市間輸送に対応できるのではと思います。

そして下りは出雲市から大社までの大社線の通勤通学用帰宅用の普通列車としても機能します。

参詣列車としての当初の目的があるとすれば、少なくとも往路にあたる下りは大社まで行かないと意味がなくなるので下りのみ大社行きというのもうなずけます。

逆に上りは出雲始発で、大社発ではありませんが、これは運行距離が長く朝に出発しなければならず、朝イチで大社からの帰りの参詣客が乗車するニーズはほとんど無いと想像できるのでこれも納得できる話です。

大社線はすでに廃止になりました。前述のツアーで出雲大社にも行きましたが、大社に到着寸前に廃止になった大社駅の堂々たる駅舎をバスの車窓から眺めることができました。
国の重要文化財になっているそうです。

大社号という名前でありながら上りは大社からではなく出雲市発というこの変り種列車ですが出雲大社自体日本の神社の代表格であり、出雲市発着というだけでも十分大社号と名乗ってもいいくらいなのかもしれませんね。

結局主体になっていた名古屋編成は昭和57年に廃止されてしまいました。

その後は金沢編成も含め、一部区間だけ別列車に分割されてしまいましたが、全国的な急行列車の衰退や小浜線電化の流れで派生的に残っていた部分も廃止されてしまいました。

こんな列車が今も存在したら結構楽しいですし、それが逆に目玉になって人が集まるかもしれないと、私はそんなふうに思います。

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昭和時代の鉄道全盛期時に大活躍した急行列車の変り種やつわものを思い出してみました。
参考は昭和48年時刻表です。キロは営業距離です。
これから私見ですが5列車ほど順番にとりあげてみたいと思います。
あまり盛り上がらないままですが、今回は第2位です。

◆五葉、そとやま
この列車はどちらも同じ区間で運転されていました。ただ五葉号の運転経路の正反対がそとやま号となっていました。
何のことかきわめてわかりにくいと思います。

というのもどちらも始発駅、終着駅とも盛岡です。

どういうことかというと盛岡から山田線・釜石線を経由してまた盛岡に戻ってくるという循環列車だったということです。
片方は釜石からまわり、片方は宮古からまわるという形です。

★五葉号
この列車の経路は、
盛岡12時35分発(東北本線)→花巻13時10分(釜石線)→釜石14時59分(山田線)→宮古16時17分→18時24分盛岡着
というダイヤでした。

★そとやま号
この列車の経路は、
盛岡8時54分発(山田線)→宮古11時13分→釜石12時25分(釜石線)→花巻14時13分(東北本線)→14時47分盛岡着
というダイヤでした。

もちろん実際に一周すべて乗車する一般客などは存在するわけもなく、なぜこのような運行形態になったのかを考えてみました。

結局たまたまこの地域は大きく循環する形で鉄道が敷設されていたので、さまざまなニーズにこたえる条件の列車をすべてまとめて一周してしまうことにより運用効率を上げようというのでないかと思っています。

現在もこの地域は原則的には鉄道の需要や、周辺の都市の状況は変わっていないうえにさらに過疎化や鉄道離れが進んでしまい、
そしてご存知のとおり今年の3月に東日本大震災がおこり甚大な被害が生じました。

この列車の沿線では宮古は特に大きな町ですが、ここはほかの地域からの交通事情がひじょうに悪く、山田線の中でも盛岡ー宮古間は山深い北上山地を越えるため時間もかかり現在もそれは解消されていないようです。

昔、学生時代に陸中山田出身の友人がいて、正月などに実家に帰るのも大変だったそうです。
ある年などは大晦日の夕方の6時すぎくらいに電話があり、「もうこの時間だと帰れなくなった、どうしよう」と言っていたのをおぼえています。
結局新幹線で盛岡まではかなりの時間まで大丈夫なのだそうですが、問題はその盛岡からみたいでした。

特急や普通列車も含めこのような循環型の列車は山手線、環状線以外では、武蔵野線がありますが、定期列車では地方交通線においては現在も過去にもほかにはほとんど例がないのではと思います。

震災で大きな被害があった山田線の釜石ー宮古間はいまだに開通していない状況が続いています。

早くの復興を祈っております。

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昭和時代の鉄道全盛期時に大活躍した急行列車の変り種やつわものを思い出してみました。
参考は昭和48年時刻表です。キロは営業距離です。
これから私見ですが5列車ほど順番にとりあげてみたいと思います。今回は第3位です。

◆ちどり3号
今回は広島から松江方面へ運行されていた急行ちどり3号です。

この列車がなぜ変り種かというと、当時は珍しかった地方都市相互発着の夜行列車だったということです。
ちどり1・2号は昼間の列車でとりたてて大きな特徴はありませんでしたが、この3号は夜行列車としては異色の存在だったといえると思います。
またさらに珍しいのは急行列車として走行する部分のほとんどの部分が幹線ではなく、地方ローカル線であったということです。

当時は中国山地越えの路線や山陰線は気動車や客車列車ばかりの地域で、朝晩の通勤通学輸送と空いた時間(夜中)の車両の効率運用に役立っていたのかもしれません。
また広島県と島根県は人的な交流が多いとの事で輸送の需要も大きかったのだと思います。

それにしても現在の芸備線の三次以遠や木次線は当時からは考えられないくらい鉄道としては寂れてしまった感があります。
芸備線の交通の要衝である備後落合は元からジャンクションとしては大事な駅でしたが、街は小さく、この間偶然テレビで見たらさみしい山の中の駅という風景でした。

また木次線も今はレールバスのみの運行されるような線区になってしまっているようです。
この地区は道路の発達で鉄道需要は大幅に落ち込んでしまったようです。

さてちどり3号の運行内容を説明すると、
広島からの列車は、山陽本線岩国発で22時56分に岩国を出発します。広島までは普通列車です。
広島から急行になり23時55発、芸備線経由で三次を経て、備後落合から木次線に入り宍道に5時2分着、ここから山陰本線になり5時22分に松江に到着します。
さらにここから普通列車になり終点の鳥取には7時57分着です。

また反対方向は米子22時40分発で松江までは普通列車で同じ経路で終点広島には5時ちょうどに到着です。

つまり木次線と山陰線のだぶって運行している区間は厳密には山陰線で、この区間以外はすべてバリバリのローカル線のみの運転ということになります。

当時も現在も全国でもこのような夜行列車はきわめてめずらしい存在だったといえると思います。

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昭和時代の鉄道全盛期時に大活躍した急行列車の変り種やつわものを思い出してみました。
参考は昭和48年時刻表です。キロは営業距離です。

これから私見ですが5列車ほど順番にとりあげてみたいと思います。今回は第4位です。

ニセコ3号
この列車は不思議な列車で、上り下りともまったく異質な列車といってもいいでしょう。

上りニセコ3号 根室ー函館間(釧路ー札幌間は季節運転)
当時のファンの間では有名だった列車です。車両は気動車で、何といっても全国でも指折りの長距離急行でした。

8時30分に根室を出発、釧路には11時着。釧路から根室本線をひた走り滝川から函館本線に。
18時02分に札幌、小樽を経て山線経由で終点函館には何と23時05分着でした。

走行距離は815キロにおよび、時間は14時間35分にもなりました。

昭和48年時刻表では釧路ー札幌間は季節運転になっていましたが、当時は長距離急行の変り種として話題になった列車です。

この列車がなぜニセコという愛称だったのかは理解に苦しむところもありますが、当時は函館から札幌方面の山線経由の急行はニセコ、海線経由はすずらんというふうに分けられていたのではと思います。
複数の列車の集合体というところでしょうか。

ただ本当に根室や釧路方面から札幌以遠に用事がある場合は有効な列車のひとつだったといえるかもしれません。
というのも特に冬は顕著ですが、当時の北海道の道路事情はきわめて悪く列車で行くしかない状況が容易に想像できるからです。

私も以前鉄道で北海道を何回か回りましたが、その当時は稚内から札幌や釧路方面から札幌以遠はバスなどもほとんどなく、列車が安価なうえに一番便利な手段だったと記憶しています。
今は大幅に改善しているとは思いますが・・。

下りニセコ3号 函館ー札幌間
こちらはオーソドックスな山線経由の列車でしたが、この3号だけの大きな特徴がありました。

それは客車列車だったということです。
車両運用の都合もあるのでしょうが、昼間の定期列車の急行で客車列車は昭和48年でも珍しい存在になっていました。

私は昭和51年に松本ー大阪間のちくま1号という客車急行に乗りましたが(名古屋ー大阪間は新幹線に乗ってしまいましたが・・)季節運転のうえ、12系になっていました。

このニセコはずっと昔ながらの旧型客車で運行していたようです。

そしてオールドファンには懐かしい、あのSL牽引だったそうです。

私は実際に乗車したり、撮影したりの経験は全くありませんが、文字通りニセコ越えに挑む雄姿を撮影しにファンが通ったというような記事を雑誌でよくみかけました。

いつまでSLが引いていたのかは私自身は知りませんが、昭和40年代に入っても続いていたようです。

このへんはあまり詳しくないので、詳しい方がいたら教えていただきたいと思っています。

昭和59年頃に北海道に行ったときも函館ー札幌を夜行で往復したのを憶えていますが、何に乗車したかはもう忘れてしまいました。
夏場でどの列車もひじょうに混雑していたのは憶えています。

私はそのころの定番だった北海道ワイド周遊券を使用しましたが、そのような旅行者が大量にあふれていてどの列車も座れないことが多く、床にかばんを置いてそれを枕にして寝ていました。

その時も道内だけで夜行列車に7〜8回(7〜8泊)は乗車しました。
でも同じ条件で同年代の人ばかりで男も女もなくけっこうその場限りの友達ができ、すごく楽しかったのを憶えています。

いまや北海道も列車でまわること自体至難の業になりつつあります。

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先日来年春のJRダイヤ改正の話を書きましたが、昭和時代の鉄道全盛期時に大活躍した急行列車の変り種やつわものを思い出してみました。

参考は昭和48年時刻表です。キロは営業距離です。
これから私見ですが5列車ほど順番にとりあげてみたいと思います。今回はまず第5位です。

5位・下り紀州1号・2号 名古屋ー天王寺
下りと特記したのは上りは途中駅始発のためです。
名古屋から関西本線で亀山を経て、紀勢本線で和歌山、阪和線で天王寺に至る列車です。走行距離は500キロにおよび、時間は9時間24分かかりました。

当時この区間は特急くろしおの一部や普通列車もほぼ同区間を走行していて、通しで乗る人はわずかと思いますが、なぜか長距離列車が数多く残っていました。

これは思うに、名古屋近辺は高山線、中央西線とも気動車急行の牙城で、紀伊半島は関西線、紀勢線、参宮線ともまったく電化されていませんでしたので車両運用もある程度柔軟性を持たせることが可能だったのかもしれません。

また学生などは県境の関係で新宮を越えて乗る人が少なかったのではと思いますが、特急や急行は新宮や紀伊勝浦ですべての乗客が入れ替わるとは限らず優等列車はそのほうが効率よく運行できたのではと思っています。

そしてリアス式海岸が続くため開発が遅れ、高速道路網や道路整備が遅れ、鉄道に大きく依存していたのかもしれません。

今は天王寺ー新宮が電化され、関西に近いこともあり電化区間は大きく便利になりましたが、逆に非電化の新宮ー亀山間は当時よりさらに不便になった感があります。

たとえば名古屋ー天王寺間では
名古屋を5時55分に普通列車和歌山市行(921レ)が出発、ついで8時19分に急行紀州1号天王寺行が出発、さらに9時35分に特急くろしお5号天王寺行が出発しました。

途中、11時50分ごろ尾鷲の2つ先の九鬼駅で急行紀州号は普通列車を追い越します。
次に普通列車は13時25分に新宮に到着、約30分ほど停車します。ここで後発の特急くろしおに追い抜かれます。

結局急行紀州号はくろしおに追い抜かれることなく16時32分に和歌山、17時43分に終点の天王寺に到着します。
特急くろしおは17時15分に和歌山、18時10分に天王寺に到着。
普通列車(921レ)は19時26分和歌山に、そして終点和歌山市には19時37分に到着します。

距離で言えば後に「南紀」と名付けられた寝台車連結の夜行の普通列車は天王寺ー名古屋を走っていたのでそちらのほうが長距離走行でしたが紀伊半島の昼間の客車普通列車では最長でした。

さて当時はそんな長距離の特急や急行がたくさん走っていたため、天王寺駅は数多いホームを持ち、しかも東京でいえば上野駅のような昔の風情を残した情緒ある駅でした。
関西は昔は近距離は圧倒的に私鉄が栄えていたのですが、長距離になると断然国鉄でした。
特に天王寺はこれも上野駅同様に長距離列車用の行き止まりのホームがたくさんありこれも旅情をさそいました。

十数年前に見たときはまだ昔の風情を残す駅でしたが、今も残っているのでしょうか?
残っているとするとある意味取り残されてしまったともいえるのですが・・。

今では1時間で走ってしまう(当時もそうでしたが)名古屋ー大阪(市内)を9時間以上かけて走っていた急行列車でした。

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プロ野球では強いのに灰色の球団といわれた地味なチームカラーとちがい、阪急は電車では関西ではつねにトップの座を守っています。
まず梅田駅は多分私鉄の駅では日本最大のターミナル駅だと思っています。
昔からライバルと常にスピードとサービスでし烈な競争を続けてきたため、早くから洗練され、発展を続けてきたのだと思います。

そんな阪急の中できわめて地味ですが、味がある路線が今津線です。

阪急宝塚から今津までそんなに長い路線ではありませんが、福知山線が電化されるまでは、宝塚付近と西宮など神戸方面をショートカットした唯一の路線でした。

私は今津線に実際に乗ったことは2回しかありません。
というのも競馬ファンでもない限り、今津線の沿線に用事がないかぎり乗る機会はほとんどありません。

豊中など宝塚沿線から甲子園など神戸方面に行く時は梅田に出るのが普通で、池田あたりまでは当然の経路でした。
宝塚線の急行は石橋からは各停になるので時間がかかるというのもありました。これは今も一緒だと思います。

ところが一度だけ甲子園の高校野球を見るのに思い切って今津線経由で行ってみようと思い、実行しました。思い立った日が吉日です。

とにかく一度乗ってみたかったからです。通常とは逆に最初は豊中から宝塚にでました。

さてそこから今津線に乗り換えです。
そこにはもう本線からはほとんど姿を消していた旧型車が停まっていました。

阪急の車両は昔から旧型も新型もすべてマルーンという色で、一色の車両に統一されています。
JRなどの旧型電車と似ている塗装ですが、少しむらさきがかっていて独特の色です。
そして車内も新旧同様で木目調の壁に統一されています。
新型の場合は金属を木目調にしたような明るい感じですが、旧型車は木材を使ったものでしかもよく研かれていて、ボロイという感じではなく重厚な、歴史を感じる豪華な感じでした。
よく洋館などである木目調の家具のようなイメージです。

宝塚線なども昔はたくさん旧型車が走っていましたが、その当時は箕面線や能勢電軌などくらいで長い路線で旧型車はほとんどなくなりつつありました。
当時今津線はすべて旧型車で運行していたようです。

電車は宝塚を出るとすぐ宝塚歌劇場やファミリーランドなど遊戯施設の敷地内を走ります。

阪急はもとより、小林オーナーが宝塚劇場のために同時に鉄道会社をつくり電車を開通させたといわれいいるくらい「宝塚」というのは阪急発祥の地でもあるわけです。

ファミリーランドは今は時代の流れもあり閉園してしまいましたが、私は2回ほど遊びに行ったことがあります。

一度は今北新地で焼き鳥屋をやっている従兄弟と行きました。
もう一回は母の友人のご子息がいろいろ身体の都合もあり、どうしても甲子園で野球が見たいということでわざわざ横浜から大阪に来た時に案内しました。
その時はたしか野球は阪神戦がなく、ウェスタンリーグの阪神戦を案内しました。詳しいことは忘れましたがそのときに別の日ですがなぜか宝塚も行ったと記憶しています。

宝塚ファミリーランドは東京でいえば花やしき遊園地みたいなところで絶叫マシンなどを楽しむのではなく、本当の昔ながらの遊園地でした。
しょぼい乗り物ばかりで、すぐ目が回る臆病な私には最適の遊園地だったといえます。

個人的に一番の目玉は今津線が敷地内を通っているのではと思うくらい近いところを通るので、それが他の遊園地などとは決定的にちがっていました。
本当の鉄道がまるで遊園地の中の乗り物と思えるくらいでした。

ところで宝塚は遊興施設だけでなく、昔は大きな温泉地でした。都会の近くで大きな温泉旅館が立ち並ぶ場所は多分宝塚を置いて他にはなかったのではと思います。
ただ今はこちらもかなり衰退してしまったようで、一部のホテル以外はほとんどなくなってしまったようです。

そんなこんなで電車は武庫川を渡り、南下します。

しばらく何駅か行くと、今度は山陽新幹線の高架をくぐります。
今は電化された宝塚線(福知山線・当時は非電化単線で殆どは長距離の客車列車で短距離で乗る人はほとんどいませんでした、というより乗った人の話も聞いたことがありません)などあるので、新幹線など珍しくなくなりました。
しかし当時は北急・御堂筋線は新大阪に直接着くので、新幹線の高架を見れて頻繁に走っている線は京都線の並行区間とこの線だけでした。伊丹線もそうですが現地に用事がないと乗る機会は殆どありません。
走っている新幹線に出会える可能性のある数少ない路線でした。
阪急神戸線や阪神や京阪から新幹線はみれません。

さてそして今津線最大のクライマックスです。

西宮北口駅が近づきます。

北口は阪急神戸線の主要駅で特急も停まります。
今津線は南北、神戸線は東西の路線で当然交差しますが、普通の鉄道は所沢のように合流して分かれるか秋葉原のように立体交差をします。

ところが当時は多分日本でここだけだったと思いますが、平面で線路が交差するという駅でした。

つまり今津線の線路と神戸線の線路が直接十字に交差していました。

交差が近づくと電車は超徐行になります。そして「ゴト、ゴト」と音をたてて神戸線の線路を渡っていきます。
もちろん神戸線も同様だったのですが、今津線に乗っているほうがはるかに臨場感を味わえました。その光景は今でも鮮明に憶えています。

また北口の駅前には当時甲子園球場に次ぐ収容人員を誇った、西宮球場がありました。周りの建物も大きな球場なので駅前にそびえるその姿は迫力がありました。

私は大の阪急ファンでしたが、実際に西宮球場で野球を見たことはありませんでした。
阪急ファンはそんな人種が多かったと思います。というよりあまり阪急ファン自体にめぐり合うことがなかったのですが・・。
心の中だけ熱狂的なファンという感じです。

そして北口を出ると、ほどなく終点の今津です。そこから阪神に乗り換え甲子園に行きました。

普通に行くより多分30分以上は余計にかかったはずです。
でも大満足でした。

しかし今は旧型電車も、宝塚ファミリーランドも、平面交差もすべてなくなってしまいました。
おまけにその関係で宝塚から今津に行く直通もすべてなくなり、事実上宝塚ー北口間と北口ー今津の別路線になってしまったようです。

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以前JRが国鉄時代に首都圏の近郊区間内「初乗りきっぷの旅」というのが流行りました。
当時いくらだったか忘れましたが、近郊区間内は途中下車をしなければ最短区間の料金で大回りしても同じ駅を二度通らなければ乗り通せるというルールでした。
それを逆手にとって大回り旅行を格安で楽しむという一種のマニアックな遊びでした。

たしか高校に入ってしばらく経ったころ、中学の友達と一緒に挑戦してみたことがあります。

当時私は野球部だったので、日曜日もなかなか時間が作れませんでしたが、あるとき大丈夫な時があったのでその日に合わせて友人と出かけました。

区間は府中本町から分倍河原で行いました。
記録にこだわるという気はなく、1日楽しむということになったので、無理な大回りはしませんでした。
ただ途中で検札がきたときに説明するのが面倒くさいので、必ず乗った車両を記録するということになりました。

府中本町から武蔵野線で当時の終点であった新松戸に一気に乗りました。武蔵野線は当時は今のような本数はなく昼間は1時間に2〜3本しかなく、宅地開発もまだまだだったのでのんびりした郊外の風景が楽しめました。

新松戸からは常磐線で我孫子に出ました。我孫子からは成田線で成田に。

成田はまだ成田空港が開港する前で一言で言うと本当に田舎の風景が見られました。
以前は電化されていない路線で客車列車なども走っていましたが、私たちが乗ったときは電化されていて常磐線の快速車両でした。

常磐線の快速車両はほかの国電車両とまったく同じ車両ですが、独特のエメラルドグリーンのカラーでした。
他の路線では一切見ることができない塗装で、その時に初めて乗ることができました。

成田からは成田線(本線)で佐倉にでました。

ここで昼食を食べようということになり、佐倉駅で売っていた「焼き鳥弁当」というのを買いました。
値段は350円くらいだったと思います。特に大きな期待はしていなかったのですが、食べてみるとこれがひじょうに美味しくて今でもその美味しさだけは記憶に残っています。
ご飯に甘だれをたっぷりかけた鳥の照り焼きがのっていて、漬物がついている程度のシンプルな内容でした。
それなのになぜ美味しかったかというと、ご飯が温かかったのと、鶏肉がやわらかくてとにかく美味しかったのをおぼえています。

後で知ったのですが、佐倉駅のこの弁当はかなり有名で最近は復刻された時期があるほどだったそうです。
残念ながらかなり前に無くなってしまったそうです。

佐倉からは総武本線で成東に、そこから東金線で大網に。さらに外房線で千葉にでました。
房総地区は以前は内房線以外は電化されていなくて、SLもかなりの時期まで走っていたそうです。

昭和47年7月に外房線や総武線・成田線の成田までが電化されました。そのとき初めて特急列車(さざなみ、わかしお)が走ることになりました。
また錦糸町から東京駅まで総武新線(当時はそう呼んでいました)が開通、画期的な進歩を遂げました。
逆に房総方面への基点だった秋葉原や両国は駅としてはさびれてしまいました。

この時は乗車した区間はすべて113系という新性能電車でしたが、
昭和47年の改正時はこの区間はすべて非電化で、総武線の急行は犬吠号、成田線は水郷号でディーゼル列車でした。
普通列車には客車列車もかなり残っている状態でした。(1973年1月時刻表で再度確認しました)

しかし時代は流れ、この時乗車した113系電車も2011年8月いっぱいで房総地区を最後に、JR東日本からはセミクロスシート車両(向かい合わせボックス席と国電のロングシートが混在している車両)はすべて引退になったそうです。

さて千葉からふたたび総武線快速に乗車して、開通当時は大きな話題になった錦糸町〜東京間を乗車して東京駅に。

そこから東海道線に乗り換え、一気に茅ヶ崎まで行きました。

本当は南武支線や鶴見線に乗ろうということになっていましたが、さすがに疲れてきてとばしてしまいました。

当時南武線支線や鶴見線には戦前に造られた車両(通常の車両は長さが20メートルですが、17メートルしかない車両で希少価値がありました)が走っていました。
ひじょうに興味深かったのですが、そのうち乗るだろう、などと考え乗りませんでした。

ところが結局それからまったく乗る機会はなく乗らずじまいのまま引退してしまいました。

高校時代は野球の練習、大学時代は劇の練習やバイト、就職後は多忙に加え車やバイクに興味が移ってしまったことも一因です。

そして疲れた体で茅ヶ崎からは橋本まで相模線のディーゼルカーに乗りました。

相模線は今は電化されましたが、かなり後まで非電化路線でした。
最初に乗ったときはまだ旧型の向かい合わせボックス式の車両でしたが、その時はもう国電のような長い一列シートの車両でした。
それでも単線で、駅はひなびていてローカル線の風情を楽しむことができました。

橋本からは横浜線で八王子に、そして中央線で立川に、南武線で分倍河原と乗り継ぎました。

分倍河原に着いたときはもう夕暮れでした。

先日日経の土曜版でこの「初乗りの旅」が紹介されていました。
今頃?と思いましたが、よく考えてみたら、今はエキナカがひじょうに充実しています。
改札口を出なくてもかなり楽しめるようになったので別に鉄道に興味がない人でもさまざまな楽しみを見つけることが出来るようになりました。

また違う視点で「130円きっぷ初乗りの旅」を楽しんでみたいところです。
でもなかなか難しそうです。

カネはなくてもOKなのですが、ヒマも余裕もないので・・。

貧乏ひまなし・・・

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姨捨車窓
今年は結局最後までバタバタで大晦日にやっと投稿です。
年初から身の回りで想定外のさまざまなことが起こり、おまけに仕事も所属している会社が変わったりでてんやわんやでした。
あげくのはてには帯状疱疹などという病気になってしまいました。
来年もおそらく大変な一年になるだろうとは思いますし、仕事もいろいろな逆風にあおられることは確実ですが、こう生きていこう、という方針は固まったので頑張って行きたいと思います。

昔から悪い時代にのみ大きな発展の芽が出て、慢心の時に破滅の種が植えられるという古今東西変わらない原理を考えれば絶好のチャンスでもあるということで、無理やりそういうことにしておきたいと思います。
また以前、ナンパの友人のぜ座右の銘?であった「来る者は拒まず、去る者は追わず」という格言?しっかり守って頑張っていきたいと思います。

さて競馬の話になりますが、有馬記念も終わった、小倉の最後のレース「2010アンコールS」というレースがありましたが、このレースで52キロの軽ハンデだったヤマカツマリリンという馬が人気薄で2着に入りました。
本来この馬には田島翔騎手が騎乗予定でしたが、当日のレースで落馬負傷して他の騎手に乗り替わっていました。

田島騎手は小島貞厩舎の所属でほぼこの厩舎の馬にしか乗りません。ですからなかなか活躍のチャンスもないのですが、苦労人の小島貞調教師は田島騎手のために今回目一杯馬を仕上げて出走させたのではと思っていました。
ヤマカツマリリンはこのような条件のレースではひじょうに良い成績をあげていました。
特にオープンに昇格して、ハンデ戦であれば軽量で騎乗できる流れだったので、ここは人気はありませんでしたが、かなり期待できるかな?という感じだったと思います。

また田島騎手は体重が52キロと比較的重く、今回の52キロ騎乗は馬装具などの加減を考えると減量が必要だったはずで、勝負をかけるじょうけんだったはずです。
それが寸前のレースの落馬負傷で、乗れなくなってしまったわけです。競馬にはつきものですが、来年は名前のように大きく羽ばたいてもらいたいと思っています。

あと話は鉄道の話になりますが、来週の九州新幹線全通にあわせたダイヤ改正で、485系特急の雷鳥が全廃に、また九州の特急列車の一部で使用されていた485系車両が定期運用から引退することになるそうです。

485系といえば特急雷鳥、そして東ではひばり、やまびこなどはじめ名門列車に全国的に大量に使用され、鉄道網の黄金時代を築いた名車両です。
わたしも雷鳥には何度か乗車しました。最近では約3年前の冬に大阪から金沢まで乗車しましたが、当時はボンネットの車両でした。
ただトイレは和式で時代を感じさせる車両で居住性や体の不自由な方や高齢の方にとっては早く改善すべきだったはずで、これも時代流れだと思っています。

いすみ鉄道で近々にキハ52が復活する話があるようですが、485系もどこかのきとくな方が保存鉄道で残してくれればと願っています。
今回は北陸と九州だけですが、全国に広がってくるのは確実だと感じています。

写真は北陸の帰りに特急しなのから見た姨捨付近の絶景です。

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これも先週ですが、ネットで古い時刻表(1973年1月号)を買いました。(写真)
1973年1月時刻表1
というのも神田で古本市のニュースを見て、急に欲しくなったからです。

調べたら私が最初に時刻表を見るようになった、新幹線岡山開業のころのものが1500円で売っていました。
見ると当時の懐かしい内容が出ていました。
1973年1月時刻表東海道線
1、東海道線(写真)
寝台急行銀河がまだ二往復のころで、1号は紀伊も併結していました。
1973年1月時刻表中央西線
2、中央西線(写真)
まだ電化前で、特急しなのは気動車、急行きそも同様、普通列車も多くは客車列車でした。
客車普通列車が長野県から遠路名古屋まで乗り入れていました。はるか昔はSL列車だったころもあったそうです。
1973年1月時刻表東海道山陽線
3、東海道・山陽線(写真)
岡山まで新幹線が延びましたが、京阪神や名古屋からは九州方面に多数の遠距離列車が出ていました。
特に急行日南は寝台列車で宮崎までの長距離でした。ほかにも雲仙、天草、西海、つくし、阿蘇などの夜行急行が出ていました。
1973年1月時刻表中央東線
4、中央東線(写真)
写真は臨時列車ですが、特急あずさは当時はまだとき同様、181系のこだま型で183系や189系になる前で、食堂車を連結していました。
また新宿から数本旧型客車の長野行の普通列車が出ていました。高尾以遠の普通列車はいわゆる旧横須賀線の70系という旧型電車でしたが、元1等車の車両などもそのまま連結していたはずです。

写真は以上ですが、交通公社の大型時刻表のはかに、鉄道弘済会発行のコンパクトなコンパス時刻表というのもあり(現在もありますが)、これには当時はSL列車にはSLマークがつていました。
北海道や九州にはSL牽引の普通列車が残っていました。
私の学校の先生が北海道に旅行に行ったら、函館本線でD51牽引の普通列車に乗ったと言っていたのを憶えています。

たまに眺めて、懐古趣味にひたりたいと思っています。

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仮眠をとっていたら寝過ごして見ることが出来ませんでしたが、凱旋門賞でナカヤマフェスタが僅差の2着に入着したとヤフーのニュースに出ていました。
蛯名騎手はまたもや二宮厩舎の馬で惜しい2着で、ある意味すごいことですが、ご本人は複雑かもしれません。
いずれにしても土曜日のレッドディザイアのG13着など、4歳牝馬両馬とそれを宝塚で差し切ったナカヤマフェスタは馬場状態に関わらず世界レベルだということがはっきりしました。
次はレッドディザイアがBCで本番です。ゼニヤッタ級の馬たちとの戦いでどんなレースをするか楽しみです。

東京都高校野球秋季大会は順調に日程が消化されていますが、ほとんど私立校が勝ち進む中、ひとつだけ異色のブロックが出現しました。
というのもブロック内で唯一有力私立だった成立学園(ここ最近夏はベスト8常連)が都立昭和に敗れてしまったのです。
これによってこのブロックはすべて4校の都立高によってベスト8をかけての戦いになります。
都立葛飾野ー都立昭和、都立大泉ー都立国立の勝者同士がベスト8をかけ対戦します。

それからこの間ある有力な鉄道情報サイトで見たのですが、新幹線青森開業にあわせて行われるダイヤ改正で首都圏で大きな編成替えが行われます。
それは昨今の情勢も鑑みての話だと思いますが、さざなみ号や踊り子号の減便、そしてみなかみ号の廃止などです。
首都圏地域は不況での旅行客減少や高速道路低料金化に加え、リーズナブルな高速バスの浸透、そして世界遺産などの観光地のブランド化の余波をうけて以前とは比べ物にならないくらい利用客が減少しています。

これは新幹線、特急、快速のネットワーク化が進みすぎてしまった部分もあるのではと思っています。
もちろん車両や設備保守などの問題も絡んでいるとは思いますが、特急昇格にによる実質的な値上げや快速化による車両設備の低下で、以前のような低料金で中長距離をそれなりの設備で走る列車が大幅に減って旅行者の選択肢がほとんどなくなってしまったことも大きな要因だと思っています。

そもそも旅行とは癒しもふくめて、さまざまな非日常を求めての行動であり、高性能化することだけで満たされる物ではありません。
その証拠に今NHK衛生などで「木造駅舎」の番組などがロングランで放送されています。B級グルメなどもそうで、以前は見向きもされなかったものが注目を集めています。
ただこれらのネタも即商売に利用され、自治体などが先導してどんどんおおげさな企画になっていくことが目に見えています。

一般の愛好者が何を望んでいるかなどは、そこからは微塵も感じられません。
以前秩父の芝桜を見に行った時に、その地で有名な「道の駅」に立ち寄りました。
ところがもうそこは単なる土産センターでしかなく、一部地元産野菜なども売っていましたが、当初の道の駅のイメージからはほど遠いものでした。
たぶん、道の駅は絶対儲かるから、参入競争になり、有力な業者が資金や人的ネットワークにものをいわせて入り込もうという、構図が見え見えt、いうふうに感じてしまいました。

もちろん当初のセオリーどおりにやっているところもまだたくさんあるとは思いますが、とにかく利用者が何を期待しているかなどほとんどお構い無しに、儲かると思ったやり方に殺到してしまい、結局大きな資金がはいりすぎてしまい、ピークを過ぎると維持できなくなる、という繰り返しになっているように思います。

経済活動ですからある意味当然だとは思いますが、テーマパークではありませんが、やりすぎれば料金も高料金になるし、ピークを過ぎれば維持できないということはすでに学んでいるのに、また?という感じです。
スモールさんの話の北海道ではありませんが、根強いニーズやファンが存在するものは残してあげる、とか何事もやり過ぎない、ということも大事なのではないでしょうか。
末長く継続させる秘訣だと思うのですが・・。
そういう意味では今回の改正で寝台特急あけぼのが存続されるのは大きなことだと思っています。
利用率もありますが、地元も協力しているみたいで、感心しました。
日本に残っているブルートレインは「あけぼの」「北斗星」「はまなす」「日本海」「トワイライトエクスプレス」ですがすべて青森駅で見られるという現象になっていて、これが一つ人が集まることにもいずれはつながるかもしれません。

今日も長くなりましたが、日曜日のG1で降着がありました。
2着に入った馬が4着の馬の進路妨害をしたということになりましたが、実はこれに救われました。
競馬ブログではサンカルロの馬連と書いて予想しましたが、ここのところ本当にダメで弱気だったので寸前でワイドに変えてしまっていたのです。
サンカルロから勝った馬、2着の馬に両方ワイドを持っていたので、降着があったおかげで2着の馬は沈みましたが、勝った馬とのワイドは逆に的中となりました。
予想の回収率は沈むばっかりですが、財布は少し救われほっとしています。
ただあの場合、完全に進路がなくなっているところで二頭の馬が伸びてきたので、他の進路は考えられず、川田騎手は少し不運だったとも思いました。
また競馬ブログでたまに書いていますが、先に馬場入場をした馬が勝負をかけているケースがある、というパターンは今回も該当したと思っています。
キンシャサノキセキとサンカルロは先に馬場入場していたのです。今後も注意が必要だと思いました。
あと勝った馬は大変強かったですが、これで人気だったもう一頭とは4戦4勝で、なぜ今回こんなに人気がなかったのでしょうか?不思議です。

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土曜日に用事で福島に行ってきました。
約束が午前中だったので、行きは東北新幹線(写真)のMaxやまびこで行きました。
100904福島新幹線
土曜日ということでビジネス以外のお客さんでかなり混み合っていました。
約1時間半で到着。福島駅に降り立つのは今回が初めてです。
写真は福島市内の様子です。
100904福島市街
面談が終わり、先方の方にお昼ご飯をご馳走していただきました。

そして帰路、帰りは時間に余裕があるので、青春18きっぷを使用しました。
福島発の普通列車で郡山に。ここでまた黒磯行きに乗り換えです。

以前とちがい東北線も昼間の列車の本数はそこそこあるのですが、みな編成が短く、2〜3両編成ばかりです。
郡山までは空いていましたが、郡山発の列車はすし詰めの混雑でした。
中には今がシーズンなので青春18きっぷを使っていると一目でわかる旅行者もかなりいました。(私もそうですが・・)

時間に余裕があったのと、混雑がいやで白河駅で途中下車。
ここは以前に一回訪れたことがありましたが、あまりくわしく覚えていませんでしたが、
白河駅の駅舎はなんと、文化財級と思えるようなレトロ駅舎でした。(写真)
100904白河駅
またホームからは目の前にお城が見えて、すばらしい景観でした。(写真)
100904白河城
駅舎だけでなく駅のホームや待合室、駅設備などもまったく昔のままで、タイムスリップしたような空間でした。

しばらく駅を見物して次の列車で黒磯に。そして宇都宮駅にでました。(写真)
100904宇都宮駅
ここでやはり暑さにまけてしまい、ショートカットして新幹線で大宮まで出てしまいました。(写真)
100904大宮駅新幹線
相変わらず根性だけは自信がありません・・。

あとグルメに続き、旅行・鉄道関係のブログも一両日中に復活させますので、こちらでくわしい内容をご覧下さい。
右のリンク欄からご覧になれます。

 

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今日は仕事で浅草に行きました。
浅草といえば、「東京スカイツリー」です。建設中ですが・・
浅草からの東京スカイツリー写真
写真は東武伊勢崎線の鉄橋のバックに見える、スカイツリーです。
一般的には吾妻橋からアサヒビールと一緒に見える、スカイツリーが有名のようです。
そちらの写真も撮りました。
浅草仲見世人形焼の三鳩堂写真

下の写真は仲見世通りです。
三鳩堂で人形焼を買いました。

夜は荻窪で知人と中華料理の花屋で食事をしました。

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まず、昨日の客車鈍行の記事で、53年10月のダイヤ改正で常磐線の仙台行も廃止されたと書いてしまいましたが、常磐線の客車列車はまだ廃止されませんでした。失礼致しました。ほかに平(現いわき)行もありました。

★ダービーの怪
今回競馬ブログで書いたダービー予想はやはりはずれてしまいましたが、ダービーの過去の優勝馬をよくよく見るとあることに気付きました。
ここ20〜30年の間の優勝馬はことごとく個人の馬主さんの所有馬であることです。
一部サクラチヨノオーのような法人馬主の馬も勝っていますが、特に共同馬主の馬は勝てないレースになっています。
例外はダイナガリバーとネオユニヴァースだけで、いずれも社台RHです。
JRAの最高峰レースであるダービーはひじょうに世間やマスコミからも注目されます。
当然馬主さんもその対象になるわけで、最近ですと3年前(勝馬はウォッカ)に安倍首相、昨年は麻生首相がプレゼンターとして表彰式に参加しました。
そもそもJRAの馬主資格の査定基準はひじょうに厳格で当然所得の制限もありますし、それ以外にもさまざまなハードルがあるそうです。
JRA自体が農水省が管轄している国営事業であることも考えると当然ですし、ダービーのようなレースは外国のメディアからも注目されるわけで、スポーツの勝負の世界ではありますが・・なぜか前述のような結果になっています。
もちろん最上級の実力のある馬しか勝っていませんが、個人的には法人のダイワの馬や共同のラフィアンの馬、同じ社台系でもサンデーR(今回惜しかったですが)やキャロットの馬も頑張って、いつか栄冠を掴んで欲しいと思っています。

★ログインてんやわんや
そういえば金曜日にいきなりいつもブログを更新しているパソコンがブログのログインが出来なくなってしまいました。どうしようもないので、ライブドアのサポートにメールを出しました。
しばらく返事がなかったのですが、今晩やっと返事が来て、「弊社のほうでログインはできました。異常はありません。」という返信がありました。
「え?」
それがこちらでは出来ないから何が原因を知りたくてメールをしたのですが・・と思いましたが、
なるほどもっともな部分もあり、こちらのパソコンというかブラウザに何か原因があるということだけはわかりました。
またその中に親切にFIrefoxで試してみてください、とリンクが貼られていました。こちらでは普通のInternetExplorerだったのでインストールして試してみたら、何と!ちゃんとログインできました。
この件はもうなかばあきらめていたので、もうひとつ持っているMacほうのSafariで試してみたら使えたのでこちらで更新していました。
とりあえずよかった、と思っていたら今度は更新しているパソコンのウィンドウズのほうのスタート画面がすべてFIrefoxになってしまい、家族で共用していた今までのInternetExplorerがかくれてしまいました。
げっ、怒られてしまう、どうしよう、とガチャガチャやっているうちにまた元のスタート画面が出るようになったのでほっと一息です。

いろいろとサイトなどを作ってはいますが、もとからパソコン自体はそんなにくわしくなかったので、何かおかしくなるとこんな感じでいつもてんやわんや、パニック状態になり、冷や汗、あぶら汗でストレスパンパンなります。
あ〜、疲れた。
結局今もMacのSafariで更新しています。

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