選抜高校野球
春の東京都高校野球大会、調布北高本大会へ
またまた高校野球の季節が始りました。
巷では春の選抜高校野球大会もだいぶん盛り上がってきましたが、甲子園出場校以外も春の地方大会が始まり、熱戦を繰り広げています。
春の大会は優勝しても、地方大会で終わりで、甲子園に出場できるわけではありませんが、夏の予選のシード校を決める戦いでもあり、決勝まで行けば関東大会もあるので有力校はかなりかなり力を入れていると思われます。
東京都は以前は秋の新人戦のブロック予選、優勝と準優勝校のみが出場する比較的マイナーな大会でしたが、最近は秋同様全校が出場するようになりました。
大会はブロック予選と本大会に分かれていて、秋の成績の悪かった学校はブロックを勝ちぬいて、本大会に進むシステムです。
前置きが長くなりましたが、私の母校・都立調布北高校(一応野球部OBです)もブロック予選から参加でしたが、見事勝ち抜いて本大会に進出となりました。
ブロック予選では初戦の豊多摩高校を2対1で、決定戦で日比谷高校を10対9で勝利しました。
本大会は初戦は4月3日に小平西高校と対戦します。勝てば全都ベスト64となりシード校の二松学舎付属との対戦になります。
なんとか頑張ってほしいと思っています。
第58回全国高校野球選手権大会
WBCの制覇で盛り上がりましたが、選抜高校野球大会もそろそろベスト8が出そろいそうです。
優勝候補がまた敗れました。PL学園です。9回までノーヒットノーランに押さえながら延長戦で敗れました。
また選抜に出場していない大半の高校はもう夏に向けて春の地方大会が始まっています。
私の母校・東京都立調布北高校野球部も春の都大会・ブロック予選に出場しました。
1回戦は府中西港に快勝しましたが、2回戦で昭和第一に敗れました。残念です。
また今回WBCで原監督が優勝監督として脚光を浴びたことで、昭和33年生まれ世代の選手が注目されています。
実はこの年代の活躍した甲子園大会は私自身もひじょうに印象に残っている大会です。
昭和51年の第58回全国高校野球選手権大会です。 当時私は中二でした。当時野球部に入っていましたが、どちらかというとチンタラやっていました。
ただ高校野球の試合を見るのは好きで、地方予選や甲子園には結構足を運びました。
地方大会は西東京大会で3回戦の国学院久我山ー錦城戦、駒大高ー国立高戦、そして終盤大逆転になった決勝の桜美林ー日大二高戦を観戦しました。
また甲子園では、金沢の祖母の弟と一緒に星稜高校の応援団として入場して、天理高校戦、桜美林戦などを観戦しました。
この年はひじょうにレベルが高いとされた選手が多く出場していました。
結局決勝はどちらもノーマークだった桜美林とPL学園の組み合せになり桜美林が劇的なサヨナラ勝ちで優勝しました。
おもな出場選手で後にプロで活躍したおもな選手は今回話題になった東海大相模の原辰徳選手、そして私が応援で入場した星稜には速球王の小松投手がいました。
当時星稜は全国的にはまったく無名で石川県の高校がベスト4になるなどとは大会前には誰も予想していませんでした。
ほかにも天理の鈴木康友選手、柳川商の立花選手、銚子商の宇野選手など多彩な好選手が出場していました。
このころから高校野球がひじょうに一般にも注目され始めたと記憶しています。
WBCや高校野球のニュースなどを見ながら、そんなことを思い出し懐かしんでいます。
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優勝候補がまた敗れました。PL学園です。9回までノーヒットノーランに押さえながら延長戦で敗れました。
また選抜に出場していない大半の高校はもう夏に向けて春の地方大会が始まっています。
私の母校・東京都立調布北高校野球部も春の都大会・ブロック予選に出場しました。
1回戦は府中西港に快勝しましたが、2回戦で昭和第一に敗れました。残念です。
また今回WBCで原監督が優勝監督として脚光を浴びたことで、昭和33年生まれ世代の選手が注目されています。
実はこの年代の活躍した甲子園大会は私自身もひじょうに印象に残っている大会です。
昭和51年の第58回全国高校野球選手権大会です。 当時私は中二でした。当時野球部に入っていましたが、どちらかというとチンタラやっていました。
ただ高校野球の試合を見るのは好きで、地方予選や甲子園には結構足を運びました。
地方大会は西東京大会で3回戦の国学院久我山ー錦城戦、駒大高ー国立高戦、そして終盤大逆転になった決勝の桜美林ー日大二高戦を観戦しました。
また甲子園では、金沢の祖母の弟と一緒に星稜高校の応援団として入場して、天理高校戦、桜美林戦などを観戦しました。
この年はひじょうにレベルが高いとされた選手が多く出場していました。
結局決勝はどちらもノーマークだった桜美林とPL学園の組み合せになり桜美林が劇的なサヨナラ勝ちで優勝しました。
おもな出場選手で後にプロで活躍したおもな選手は今回話題になった東海大相模の原辰徳選手、そして私が応援で入場した星稜には速球王の小松投手がいました。
当時星稜は全国的にはまったく無名で石川県の高校がベスト4になるなどとは大会前には誰も予想していませんでした。
ほかにも天理の鈴木康友選手、柳川商の立花選手、銚子商の宇野選手など多彩な好選手が出場していました。
このころから高校野球がひじょうに一般にも注目され始めたと記憶しています。
WBCや高校野球のニュースなどを見ながら、そんなことを思い出し懐かしんでいます。
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選抜高校野球と甲子園球場
いよいよ選抜高校野球が開幕します。
私は高校時代は野球部でしたが、無名校のうえ、たいしてうまくもなく、高校を卒業してからは、野球自体ほとんどした覚えがありません。今ではグローブさえ持っていない状態です。
一説によると今年は昨年の明治神宮大会を制した慶応高校と関西の雄・PL学園の下馬評が高いそうです。
また今年は新装の甲子園球場で行なわれる点も注目です。
甲子園といえば、蔦に覆われたイメージが強く、現在三田に住んでいる叔母が結婚してしばらく甲子園に住んでいました。そのため夏などはよく他の従弟と連れ立って泊まりに行きました。 当時は阪神甲子園駅からさらに浜甲子園という所まで阪神のチンチン電車が走っていました。
また甲子園に隣接して阪神パークという遊園地がありました。私は阪神パークに行くのが結構楽しみでした。そこには当時日本に一匹しかいないという『レオポン』というライオンとヒョウのあいの子がいました。
しばらくしてレオポンは死んでしまいましたが、その後今度は『タイポン』というトラとライオンのあいの子がいました。
当時も野球はやっていましたが、どちらかというと阪神パークのほうが楽しみでした。 時代も変わりいつの間にか阪神パークは閉園になり、次いでこれも何度か足を運んだ宝塚ファミリーランドもなくなり、ついに万博のときに出来たエキスポランドさえも、例の事故のせいもあって閉園になってしまいました。
あれ、何の話でしたっけ?そう選抜の話でした・・。
選抜大会は予選がありません。秋の新人戦で地方大会で活躍した高校が選ばれる形になるので、新人戦が事実上の予選になります。ただ地域性とか地方による出場枠に格差があったりで、グレーな部分がまなり存在すると思っています。
大会が夏ほど盛り上がらない理由もそこにあるのではと思っています。もっと明確な出場基準というのを作った方がと思います。大体夏の大会が終わり新チームを組んで2ヶ月もしないうちに次の半年後の大会の事実上の予選が行なわれるって少し変ですよね?
他のスポーツではあまり聞いたことがないような気がしますが・・。
『じゃぁ、どうすればいいんだよ?』と言われてしまうと『・・』何のアイディアもないのですが・・。
選抜と甲子園と聞くと、昔の感傷にひたり、さらにこんなごたくを並べてしまうのでした。以上でおじさんのたわごとでした。
写真はこの話と関係ない在りし日の国立駅の駅舎です。文化財級の歴史があり、高架完成時に復元予定でしたが、緊縮財政で実現しない可能性も出てきたみたいです。
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