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先日来年春のJRダイヤ改正の話を書きましたが、昭和時代の鉄道全盛期時に大活躍した急行列車の変り種やつわものを思い出してみました。

参考は昭和48年時刻表です。キロは営業距離です。
これから私見ですが5列車ほど順番にとりあげてみたいと思います。今回はまず第5位です。

5位・下り紀州1号・2号 名古屋ー天王寺
下りと特記したのは上りは途中駅始発のためです。
名古屋から関西本線で亀山を経て、紀勢本線で和歌山、阪和線で天王寺に至る列車です。走行距離は500キロにおよび、時間は9時間24分かかりました。

当時この区間は特急くろしおの一部や普通列車もほぼ同区間を走行していて、通しで乗る人はわずかと思いますが、なぜか長距離列車が数多く残っていました。

これは思うに、名古屋近辺は高山線、中央西線とも気動車急行の牙城で、紀伊半島は関西線、紀勢線、参宮線ともまったく電化されていませんでしたので車両運用もある程度柔軟性を持たせることが可能だったのかもしれません。

また学生などは県境の関係で新宮を越えて乗る人が少なかったのではと思いますが、特急や急行は新宮や紀伊勝浦ですべての乗客が入れ替わるとは限らず優等列車はそのほうが効率よく運行できたのではと思っています。

そしてリアス式海岸が続くため開発が遅れ、高速道路網や道路整備が遅れ、鉄道に大きく依存していたのかもしれません。

今は天王寺ー新宮が電化され、関西に近いこともあり電化区間は大きく便利になりましたが、逆に非電化の新宮ー亀山間は当時よりさらに不便になった感があります。

たとえば名古屋ー天王寺間では
名古屋を5時55分に普通列車和歌山市行(921レ)が出発、ついで8時19分に急行紀州1号天王寺行が出発、さらに9時35分に特急くろしお5号天王寺行が出発しました。

途中、11時50分ごろ尾鷲の2つ先の九鬼駅で急行紀州号は普通列車を追い越します。
次に普通列車は13時25分に新宮に到着、約30分ほど停車します。ここで後発の特急くろしおに追い抜かれます。

結局急行紀州号はくろしおに追い抜かれることなく16時32分に和歌山、17時43分に終点の天王寺に到着します。
特急くろしおは17時15分に和歌山、18時10分に天王寺に到着。
普通列車(921レ)は19時26分和歌山に、そして終点和歌山市には19時37分に到着します。

距離で言えば後に「南紀」と名付けられた寝台車連結の夜行の普通列車は天王寺ー名古屋を走っていたのでそちらのほうが長距離走行でしたが紀伊半島の昼間の客車普通列車では最長でした。

さて当時はそんな長距離の特急や急行がたくさん走っていたため、天王寺駅は数多いホームを持ち、しかも東京でいえば上野駅のような昔の風情を残した情緒ある駅でした。
関西は昔は近距離は圧倒的に私鉄が栄えていたのですが、長距離になると断然国鉄でした。
特に天王寺はこれも上野駅同様に長距離列車用の行き止まりのホームがたくさんありこれも旅情をさそいました。

十数年前に見たときはまだ昔の風情を残す駅でしたが、今も残っているのでしょうか?
残っているとするとある意味取り残されてしまったともいえるのですが・・。

今では1時間で走ってしまう(当時もそうでしたが)名古屋ー大阪(市内)を9時間以上かけて走っていた急行列車でした。