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前回書いた「鳩ヶ谷市消滅」において山野氏よりご指摘をいただきました。

私が、”安行が昔鳩ヶ谷同様一旦川口に編入された旨”および”安行が村から途中で町に昇格した”の二件は違っていて、安行は川口に編入され、分離をした事実はなく、その後の編入時に町に昇格しないまま編入された、とうことです。

まずはいい加減な記載をしたことをお詫びいたします。

これはどの県や町でも学校で自分の住んでいる町や県のことを専用の教科書で学習すると思いますが、私も同様の授業を受けました。そのときに教科書で勉強した内容を、憶えているつもりで書いたものでした。

まったくでたらめに書いているわけではありませんでしたが、かなりいい加減な過去の記憶を元に検証などをしないで書いてしまいましたのでこのような記載をしてしまいました。

具体的には埼玉県民の方は皆知っていると思いますが、「郷土さいたま」という教科書と地元だけの「はとがや」という教科書のおぼろげな記憶をもとに書いたわけです。
昭和35〜40年ころの再編は当時は住民にとっても周知の部分もあり大きな間違いは無いと思いますが、昔の再編は取り違えて間違って憶えていたということです。

いずれにしてもひじょうにお詳しいですね。他のコメントを読んだ範囲では地縁のある方ではないようなのでよく勉強されているのですばらしいと感じた次第です。

私も地理的なことはひじょうに好きだったので、一時地名辞典などを買って自分で勝手に研究したこともあります。
特に川や土地利用などについての関心が高く、地方に行く列車に乗るときはどの川をどこで渡るか、など他の人には同でもいいようなことにも興味がありました。
土地利用も同様で、首都圏や関西圏などの国土地理院の地形図などを買い23区内にどれくらい農地が残っているかなどを調べたこともあります。

マニアックな話はそれくらいにして、今日は表題のテーマで少し、十分マニアックですが・・

東京の西多摩に多摩川の支流で秋川という川があります。
この川の呼び方は、これだけ情報が行き渡った現在でもかなり誤認されているように思います。

都内でもこの川の名前を「あきかわ」と呼ぶ人がきわめて多いからです。
最近はNHKなどでは徹底していますが、民放では下手するとアナウンサーでも「あきかわ」と呼ぶのを見かけます。

この川の正式名称は「あきがわ」です。
地元では皆かならず「あきがわ」といっています。この川を「あきかわ」というと西多摩ではもぐりだと思われる一番の指標になるくらいです。

私はたまたま立川の職場で7年くらい働いていました。
しかもお客さんの多くがこの地域(福生、秋川、八王子)に集中していたのと、これもたまたまですが、地域内に住んでいる女性と何年かお付き合いしていたというのもあり当時はその文化にどっぷりつかっていました。

八王子から青梅に抜ける国道411号も「あきがわかいどう」、旧秋川市も「あきがわし」(現・あきるの市)です。

一番よく間違われるパターンはテレビなどで「あきかわけいこく」という人がきわめて多いことです。
でもそのほうが言いやすいですし、ゴロもいいよな、とは思います。

人名も秋川さんという人は殆どというか皆「あきかわ」さんであり、逆になぜこの川の名前だけ「あきがわ」なのかどちらかというとそのほうが不思議なくらいです。
そういえば秋川市も消滅したんだった・・

それから道路や特殊な地名の地元での呼び方(通り名、通称)も結構面白い(俺だけ?)と思っています。

たとえば前述の多摩地区でいうと、
府中市に分倍河原という駅がありますが、地元の学生や地元に密着している人、ほぼ全部に近いくらいの人が「ぶばい」と呼んで、下の「かわら」つけないで呼んでいます。
もとから難読の駅名のひとつですが、これには大きなわけがあり、
分倍河原という駅名はいわゆる「分倍河原の合戦」の部分をとっているのではと思われるからです。
この地域は多摩川が暴れ川だったため、あちこち流れを変えていたようで、下河原、中河原、宿河原など河原がつく地名がたくさんあります。

ただ現実には地元の町名や字名などでは中河原、分倍河原、下河原などという名前はもう存在しなくなっています。

分倍河原近辺には分梅(ぶばい)町という地名が残っています。

そのため地元では今流行の略式などではなく、逆に今の正式な町名も含めていることと、近辺に河原という地名が多くいちいちつけると面倒くさいので「ぶばい」と呼んでいるというところだと思います。

ここまで読んで「そんなことどうでもいいじゃない・・」と思う方が殆どだと思いますが、
これが不思議なもので、よそから来た人も皆その「ぶばい」という呼び方が心地いいみたいで
慣れてきたり、一回でもそういうやり取りをすると殆どの人は「ぶばい」といういうようになるから不思議です。

地名なども心地良く言えるということも大切なのかもしれませんね。

また話が飛びますが、大阪の国道で大阪市内から、池田、宝塚付近をぬけて、三田、篠山、福知山から舞鶴方面に「国道176号線」という道路があります。
ナンバー国道ではありませんが、宝塚から先の山間部は山が険しくこの区間を抜ける大きな道路はこの道しかなく、また休日でなくても慢性渋滞でも有名になっています。

実は三田や宝塚辺りの人たちはこぞってこの道を「いなろく」と呼んでいるようです。
176だから「いなろく」たしかに、うまい言い方です。

東京近辺では街道名や、たとえば20号線、246とかそのままストレートで呼ぶのがほとんどなので、やはり関西の人たちは少しでもアレンジして呼ぶという文化なのでしょうか。

これもご存知の方が多いと思いますが、東京の多摩東部に「東八道路」というのがあります。
これはいわゆる公式な通称で、認定された通り名なのですが、以前この道路のすぐ近くの高校に通っていましたが、当時地元では「東八道路」という人はほぼ皆無で、皆「30メートル道路」と呼んでいました。

だから今、ほぼすべての人が「東八道路」という状態になってもすごく違和感があります。

また鳩ヶ谷の話になりますが、国道122号(日光御成街道)が東北自動車道につながるようになって便利になりましたが、当時東北自動車道を地元では東北自動車道とよぶひとはいませんでした。
なんと呼んでいたかというと「東北縦貫」と呼んでいました。

今はそんな呼び方をする人はまったくいないと思いますが・・。

そんなこんなでまたどうでもいい話に終始してしまいました。
もう夜が明ける・・・