サイト運営者日記「ぶらぶらうだうだ・・」

「タウンクリニックドットコム」「時代文化ネット」などサイト運営をするアナログ脱サラ(いつのまにか・・)親父のブログの何でも日記風ブログです。

当ブログは2018年3月よりURLが、
http://blog.livedoor.jp/chikao1216/
から
http://burauda.blog.jp/
に変わりました。サブドメインのため旧URLでアクセスしてもリダイレクトしてアクセスできます。
また名前も「サイト運営者日記・ぶらぶらうだうだ」に変わりました。

内容は「時代文化ネット」制作者が運営する日記で特にテーマはありません。
日常のサイト活動などにおいて見聞きした内容や、現在の社会や自身の生活などを通して感じたことなどをそのまま記載する形にこのたびリニューアルしました。
現在の掲載記事は以前の「穴狙い千ちゃん〜」「ちかお日記」に掲載されている記事をそのまま残してあります。
旧記事は「改修前」のカテゴリになっていて、「人気」???と記載があるのは人気があるかどうかは知りませんが、自分でまあまあ気に入っていた記事です。

甲子園

ブログネタ
高校野球 に参加中!

約2年3ヶ月ぶりに音楽ブログ「かくれた名曲をさがして」の記事を復活しました。第1回目は「広谷順子・古都めぐり」と映画「コクリコ坂から」の主題歌の原曲「森山良子・さよならの夏」です。

さて夏の甲子園もいよいよあと数時間で決勝戦になります。

地元西東京の日大三高が見事に決勝に進みました。たまたま以前からの仕事の仲間と電話で打ち合わせをしましたが、彼は日大三高出身で大変喜んでいました。

実は今の主力メンバーが新チーム結成したばかりの時に、仕事の合間に、都大会の日大三高の試合を神宮第二球場に二人で見に行きました。

その時は、まだこんなに強いチームには映りませんでした。ところがどんどん強くなって、選手もテレビで見たらひとまわりもふたまわりも大きくなっているように見えました。

日大三高・・

私が始めて高校野球を見た記憶にテレビの最初の試合は、たしかセンバツの決勝で「日大三対大鉄(大阪)」でした。
そこで優勝した翌年もセンバツで決勝に進み、相手は当時好投手「ジャンボ・中根(近鉄)」を擁した同じ東京の日大桜ヶ丘でした。
その時は負けて準優勝でした。

その後低迷が続いたようですが、都心の赤坂から学校が町田に移り再度また強豪に復活しました。

町田といっても忠生という農村に近いような広い敷地で専用野球場も持っているようなすばらしい環境に変わりました。

考えるに特に強くなった大きな理由は、数年前に東京の東西の地域割りの見直しが行われ、世田谷区が東東京に移ったことではないかと考えています。

東東京はもとから強豪ひしめく地区で帝京、二松学舎、関東一、修徳などがありますが、それに加え国士館、駒大高、世田谷学園なども東になりました。

高校野球の優秀な生徒さんは甲子園に出ることが一番の目標です。

東東京ではどこに行ってもきびしい予選が待ち構えています。西であれば日大三がかなりの確率で出れるのでは、と考えるのが普通なのでしょう。

東京都中から優秀な生徒が集まりだし、さらには同様にきびしい予選になる神奈川県の相模原地区の生徒も集まったのではと思います。

私の高校も高校二年のときに西東京大会2回戦で当時やはり優勝候補だった日大三と当たりました。
私の高校も一年先輩はかなりレベルの高い選手がいたのですが、その試合の光景は忘れられません。

シートノックでもすごい返球ですでに試合前から圧倒されていたのですが、圧巻はその後で、
最初のバッターは背番号14、都立相手ですから当然ですが、彼はなんと初球を「カキーン!」と打って三塁打でした。

さらに皆打ち続け、ノーアウトのままで3失点になりました。
結局試合は5回コールドで10対0でした。

その年日大三はそのまま甲子園に出場しましたが、天理高校に1点差で惜敗しました。

当時関西の私立はとんでもないレベルだったのですが、三高と神奈川の横浜あたりはほぼ互角に渡り合える実力がありました。

考えて見れば、今回の相手の光星学院は青森の八戸ですが、実際はほとんどの選手が関西と沖縄出身です。
特に大阪の選手がほぼ主力になっているようです。

当時の天理なども学校は奈良ですが、距離も近いので大阪の野球どころの八尾や東大阪地区からたくさん選手が入っていたので今回は願ってもない雪辱の機会になるかもしれません。

いわゆる全東京+相模地区対野球どころ大阪の戦いになるわけです。

見ものの一戦です。


★★★

ブログネタ
高校野球 に参加中!
WBCの制覇で盛り上がりましたが、選抜高校野球大会もそろそろベスト8が出そろいそうです。
優勝候補がまた敗れました。PL学園です。9回までノーヒットノーランに押さえながら延長戦で敗れました。

また選抜に出場していない大半の高校はもう夏に向けて春の地方大会が始まっています。

私の母校・東京都立調布北高校野球部も春の都大会・ブロック予選に出場しました。
1回戦は府中西港に快勝しましたが、2回戦で昭和第一に敗れました。残念です。

また今回WBCで原監督が優勝監督として脚光を浴びたことで、昭和33年生まれ世代の選手が注目されています。
実はこの年代の活躍した甲子園大会は私自身もひじょうに印象に残っている大会です。

昭和51年の第58回全国高校野球選手権大会です。 当時私は中二でした。当時野球部に入っていましたが、どちらかというとチンタラやっていました。

ただ高校野球の試合を見るのは好きで、地方予選や甲子園には結構足を運びました。
地方大会は西東京大会で3回戦の国学院久我山ー錦城戦、駒大高ー国立高戦、そして終盤大逆転になった決勝の桜美林ー日大二高戦を観戦しました。

また甲子園では、金沢の祖母の弟と一緒に星稜高校の応援団として入場して、天理高校戦、桜美林戦などを観戦しました。

この年はひじょうにレベルが高いとされた選手が多く出場していました。
結局決勝はどちらもノーマークだった桜美林とPL学園の組み合せになり桜美林が劇的なサヨナラ勝ちで優勝しました。
おもな出場選手で後にプロで活躍したおもな選手は今回話題になった東海大相模の原辰徳選手、そして私が応援で入場した星稜には速球王の小松投手がいました。
当時星稜は全国的にはまったく無名で石川県の高校がベスト4になるなどとは大会前には誰も予想していませんでした。

ほかにも天理の鈴木康友選手、柳川商の立花選手、銚子商の宇野選手など多彩な好選手が出場していました。

このころから高校野球がひじょうに一般にも注目され始めたと記憶しています。

 WBCや高校野球のニュースなどを見ながら、そんなことを思い出し懐かしんでいます。

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