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「さあっ、学校も終わったし、これから川に遊びにいくぞ!」
僕は開放感のあるこの瞬間が一番好きです。

「川に行くのはいいけど、河童に引っ張り込まれないように気を付けなよ!」
お母さんがいいました。

「いつの話をしているんだよ。今どき河童なんかいるもんか」

「いるんだよ!」
僕の母はいまだに河童がいると信じています。

そんなこんなで川に遊びに行くと、あいにく今日は友達は来ていませんでした。
一人じゃつまんないなあ、と思い少し上流に向かっていって水際でジャブジャブ遊んでいました。
折角来たのでいつも遊んでいる場所と違うところに行ってみようと思ったのです。

本来ならここで「河童」が登場するはずですが、河童は出てきません。
「ほら、いないじゃないか。河童なんているわけがないんだよ」

仮にもし期待に応えて河童が出てきたとしても、河童の話はだいたいこんな感じで終わってしまいます。
そこで引っ張り込まれそうになり、なんとか逃げ帰るとか、そんな感じです。

河童は昔話によく出てくる、いわゆる「妖怪」です。
当たり前の話ですが、見た目から考えてもほぼ実在はしないと考えます。

でも他の妖怪と違ってひじょうに不思議、不可解な部分が多いと個人的に感じています。

妖怪といえば「ゲゲゲの女房」でおなじみの水木しげるさんが有名ですが、河童はあまり個性もなくもっとシンプルです。
河童伝説は日本中ほぼあらゆるところに存在しているようです。

学生時代に長野県で民話の調査をしましたが、私の知る限り河童の話で面白い話はほとんどありませんでした。

大体先ほどの話のような感じです。

きつねやたぬきにばかされる話などのほうがいろいろバリエーションがあって面白い話が多いと思いました。
この種の話は山で道に迷うことの危険を戒めた話が多いようですが・・。

ところがきつねやたぬきは動物そのものですが、河童や鬼、天狗、竜などは実際に実在しない「妖怪」です。

私は少しかじった程度なので専門知識はありませんが、たとえば天狗は外国人なのでは?という説もあるそうです。

また鬼は潜在的ないわゆる「魔」というか、たとえば疫病とか災害などよくないことをあらわしているのではと想像します。

竜はその容姿からも想像できますが、洪水とか鉄砲水をあらわしているように思っています。
少なくとも長野県で取材した範囲ではそのように感じました。

ところが河童は何を参考にあの容姿が考えられたのか?・・不思議です。

前回の記事で私は「宇宙人は人間の想像の産物である」という個人的な見解をのべましたが、
民話の場合は長年の生活の中で自然に培われた現実の出来事の積み重ねから出来上がっているはずで、そういう意味では本当に不思議な生物です。

もちろん誰でもおわかりだと思いますが、河童は本来「川の危険」を戒めるための話であると思っています。

水はすべての生命の源でもありますが、同時に大変危険なものでもあるということを知らしめるためにこのような話があるのだと思います。
なぜかと言えば人間は川がいくら危険でも、川の近くでなければ生きていけなかったからではないでしょうか?

それではいったい何の生き物に似ていいるのか?
かいもく見当がつきません・・。

「君はどこからきたんだ?」
「いったい何者なんだ?」

「私は河童です」
とこたえるしかありません。

さらにもっと不思議なのは、昔はそんなに人の行き来が多くなく、普通の村人は一生村を出ることがなかったと思うのに、全国どこでも「河童」は同じ姿をしています。

たとえば竜や天狗のように何か他の姿をもじってできた妖怪であれば理解できるのですが、

河童はもとから何をもじってできたかわからないのに、日本全国ほぼ共通の容姿です。

「もしかしたら昔は河童は本当にいたのかもしれない」
そう考えるほうがつじつまが合います。

ゆえに「河童は実在したのかもしれない」というのが私の個人的な見解です。
少し乱暴ですが・・。

それでは当時の河童は今はどう過ごしているのでしょうか?
河童はおそらく、陸にあがって人間と融合してしまったのかもしれません。

なぜかそんな気がします・・・