サイト運営者日記「ぶらぶらうだうだ・・」

「タウンクリニックドットコム」「時代文化ネット」などサイト運営をするアナログ脱サラ(いつのまにか・・)親父のブログの何でも日記風ブログです。

当ブログは2018年3月よりURLが、
http://blog.livedoor.jp/chikao1216/
から
http://burauda.blog.jp/
に変わりました。サブドメインのため旧URLでアクセスしてもリダイレクトしてアクセスできます。
また名前も「サイト運営者日記・ぶらぶらうだうだ」に変わりました。

内容は「時代文化ネット」制作者が運営する日記で特にテーマはありません。
日常のサイト活動などにおいて見聞きした内容や、現在の社会や自身の生活などを通して感じたことなどをそのまま記載する形にこのたびリニューアルしました。
現在の掲載記事は以前の「穴狙い千ちゃん〜」「ちかお日記」に掲載されている記事をそのまま残してあります。
旧記事は「改修前」のカテゴリになっていて、「人気」???と記載があるのは人気があるかどうかは知りませんが、自分でまあまあ気に入っていた記事です。

東日本大震災

ブログネタ
話題のニュース に参加中!
追記分(6月19日AM7時22分)
夕方に一旦インフラが回復したように報道されていましたが、夜以降朝の報道ではまだかなり水道などが止まっているようです。新たに欠陥が見つかり止ったところもあるようです。


今朝、朝食を食べていたらいきなり緊急地震速報がありました。
昨日も函館スプリントSのゴールくらいに急に緊急地震速報があり、群馬で地震があったばかりでした。
また方向は違いますので関係ないかもしれませんが、函館の最終レースはどの馬も枠入り後にすごい興奮状態でそのうちの一頭(実は私が買っていた馬でした・・)はゲート内で暴れて怪我をして出走取り消しになったほどです。長年競馬を見ていますが、これほど多くの馬がゲートで同時に興奮するのはあまり見たことはなく、すごく違和感を感じていました。

それはともかく、前日の群馬の地震などと比べると、今日の地震ははるかに規模が大きく、人的にも大きな被害がでました。

お悔やみ、お見舞い申し上げます。

私は親戚の殆どは関西人と北陸で地震のあった地域付近にも複数住んでいます。家族が連絡をとったところは大部分の人は大丈夫だったようですが、個人的に子供の頃からすごく近い従兄弟が豊中南部の庄内というところに単身で住んでいたはずで、昼間では連絡が取れていないようで大丈夫だったか心配していました。ただニュースなどでは大丈夫そうなので、電話も混乱しているようなので追加連絡はしていません。
彼は店が変わっていなければ阪急線の駅(東淀川区)の近くの飲食店の店長をやっているはずなので店も大変かもしれません。
以前東日本の時に東京でレストランをしていた人が地震で食器などの多くが破損して、結局閉店に追い込まれた、という話をきいたことがあります。

また祖父母の実家が以前は長年この地域の豊中の上野(吹田市や千里に近い地域)というところに祖父母の実家があり、当時子供時代は一年に何ヶ月もすごていました。
今は取り壊されてありませんが、阪神の震災の後は家具が倒れたり、壁に大きなひびが入ったりしていたのをおぼえています。阪神大震災は神戸というイメージが強いのですが、豊中あたりはすぐ2〜3キロくらいで伊丹空港がありかなり揺れがひどかったようです。今回は高槻や枚方あたりが震源区域と思われますが、大阪付近は結構狭いので近隣の兵庫県や京都府でも被害が出ているようです。

それから私自身も東日本震災で仕事でいわきの小名浜漁港の近くで被災しました。
当時いわきは震度6弱だったらしいのですが、当時自分では震度6など経験したことはなく、緊急地震が鳴って揺れはじめてからの出来事は今でも忘れられません。

ごおおおおっ、という轟音とともに、ミシミシッ、という建物などがきしむ音がして、その音が今でも耳に残っているくらいです。
周りの家が大きくバウンドするような感じになり、そのうち瓦がすごい音を立てて大量に落ちました。
あとで片付けの時に瓦はすごく重いことがわかり、こんなのに当たったら大変だと思いました。
しばらくするとあちらこちらでサイレンが鳴り始め、となりの大きな駐車場付のパチンコ屋さんにも救急車が来て誰かを搬送して行きました。パチンコ屋さんの大きな建物の屋根の一部が崩落した関係だと思います。
と、急に薄暗くなりいきなり雪が降り出しました。

ほどなく目の前の港から常磐線の泉駅に向かう道路は大渋滞になりました。津波から避難する車が殺到したためだと思われます。

大きな揺れで外に飛び出しましたが、地震の揺れはすごくて地力では立っていられないくらいでした。駐車場のトラックにずっとしがみついていました。揺れがおさまり仕事先の工場の事務所に戻ると中はヒッチャカメッチャカになっていました。

先程テレビで見たら、やはり同じようにコンビニなど店舗の硝子が割れ落ちたりしていました。
当時車も宿泊先もない状態なので避難させてもらえるということで、訪問していた会社の常務の実家に車で連れて行ってもらった途中も、道路が大きく隆起して電柱はことごとく傾いていました。

当時首都圏では余り知られていないかもしれませんが、電気が回復したので翌日のニュースでは福島県内では大規模な土砂崩れ(白河)やため池の決壊(須賀川)などがありかなりの人数の方が犠牲になりました。地元テレビでは何時間も救出活動を中継していました。ただその後段々と判明した津波の被害があまりにひどかったことや原発事故の関係もあり、それ以後はあまり詳しく報道されませんでした。

結局海と事務所の間に大きな工場があり防波堤代わりになったので私のいたところは津波で浸水は免れましたが、その後1年くらいは海に近いところに行けませんでした。

これからしばらく余震に悩まされると思いますが、当時はとにかく水が大事だと感じました。
普段は余り気付きませんが、手を洗えない、トイレが使えないなどはそのことだけではなく、メンタル面も含め体調不良の大きな原因になります。

今回は電気はほぼ復旧、水道もおおかた大丈夫になりつつあるようですが、長時間の電車の立ち往生、エレベーターに閉じ込められるなど都会ならではの被害も多かったようです。私は閉所恐怖症なので考えただけで具合が悪くなりそうです。

すでに大きな被害が出ていますが、これ以上拡大しないことを祈っています。
本当にいつも大きな地震は意表をつくように起きるので驚いています。

ブログネタ
自然現象全般(気象、地震など何でも) に参加中!

たまにブログで紹介している、微動を調査して地震予知を研究しているブログ「地震くるみる」
によれば、ここ数日、規模の大きな微動が起きているということでかなりの規模の地震の前兆ではないかと予測をしています。

現在はまだ微動は継続しているそうですが、停止してから2〜3週間のくらいの間が一番可能性が高いということで雰囲気的には5月の中旬〜下旬という感じみたいです。

このブログを読み始めてから一番緊迫した書き方になっています。

これに加え、道端にミミズやかえるが出てきたり、鳥が大騒ぎしたり、急にいなくなったりしたら本格的に警戒したほうがいいのでは、と思っています。

先日スマトラでまた大地震がありましたが、連続してアメリカ、メキシコで大地震があり、短期間(2〜3日)の間にいろいろな地域で大規模な地震が同時多発するのは私が記憶ではおぼえがありません。

完全に地球全体が活発な活動期に入ったのではと思っています。

この記事を書いている最中に地震がありました。
千葉で震度4です。

気をつけましょう・・。

☆☆☆☆☆

ブログネタ
地震。。。 に参加中!

昨年の3月11日の13時35分くらいに福島県いわき市の常磐線・泉駅の売店で何気なく福島銘菓の「ままどおる」を買いました。

「ままどおる」は福島県郡山市の三万石の製造する銘菓で、県内ではゆべしと並ぶ、全国区のお菓子です。


小名浜には学生時代に友人の関係でよく遊びにいっていましたがそれからしばらくはほとんどご無沙汰していました。
脱サラしてからしばらくして、仕事でいわき市に頻繁に行くようになりました。
多分2〜30回は行っているのではと思います。


しかし私は名前は聞いたことがある程度で「ままどおる」のことはほとんど知りませんでした。
一応県内ということで泉駅の売店に置いてあるのを見てたまに買うようになりました。
妻は以前からこのお菓子を知っていたみたいで、土産に買っていくと喜ぶのでというのもありました。

2010年の秋に郡山経由で会津に日帰り旅行に行ったときなどは、郡山はご当地なので夫婦で「ままどおる」の違うバージョンなどもさがしてごっそり買い込んだくらいでした。


ですからこの日も何気なく土産に買うつもりだったわけです。

ところが・・
一時間後にあの大震災が起こってしまいました。

たまたまその日は財布にはそこそこのお金、バッグにはタバコが3箱くらい入っていました。
偶然ですがタバコは前日に買ったものがそのままで、お金は集金したお金がまだ家に入れる前という状態でした。

でも食料は二日酔いで食べ残した調理パンが半分くらいしかありませんでした。

地震の後しばらく知人の家で避難生活を送りましたが、東京もそうだったようですが食べ物、飲み物はほとんど手に入らない状態でかばんの中にあった「ままどおる」はいわば心の支えになりました。

でも避難させてもらいお世話になっているので、地震の翌日にスーパーに長時間並んで買出しをした後に、皆さんでどうぞと差し上げました。
当然といえば当然の話ですが・・

3日ほど滞在して出発、東京を目指し1泊2日かけてなんとか帰り着くことができました。

それから昨年の7月、今年の1月、2月と3回ほど小名浜を訪ねていますが、いずれも駅の売店で「ままどおる」を必ず買っています。

だからどうだという話ではないのですが、大震災から11日で一年になりますが、直接的な話では「ままどおる」を見ると震災を思い出してしまいます。

でも地震の後に少しでも私の心の安心にも寄与してくれ、そして食料が全く底をつき長期的にも確保が難しい環境になった状態で他の家に避難させてもらったときに少しでも貢献してくれたわけですから「ままどおる」には助けてもらったと思っています。

ミルクたっぷりでしかもシンプルな美味しさ、甘い物は苦手ですが、これは結構美味しいと思っています。

「ままどおる」万歳!

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東日本大震災に対して「何か」できること に参加中!

土曜日
土曜日は福島県いわき市に仕事で出張しました。
大国馬上建築様とホームページの打ち合わせをしました。

打ち合わせの後、社長の息子さんと食事などのために車で小名浜から北の海岸沿いを少し車でまわりました。

私自身も東日本大震災当日、小名浜港近くで地震にあい数日間現地で避難していましたが、当時は危険な状態だったので海岸や港に近付くことができませんでした。

また昨夏に訪問した時も時間の関係もあり、港には行きませんでしたのでその惨状を目にすることはありませんでした。

もう一年近く経っているので小名浜港はほぼ観光施設なども大方営業を再開していました。
ただよく見ると漁港近くの店や旅館、民家などは大きなダメージを受けた状態のままになっているようでした。

看板やシャッターなどは津波のために大きくへこんだり、破損しているところがたくさんありました。
息子さんの話だと、こちらでも家の一階が完全に水没するところまで浸水したとのことです。

以前ブログにも書きましたが、息子さんは消防団に入っていたので地震直後に海岸沿いの民家で救助活動を行っているところに津波の大きな第二波がきて、胸の辺りまで水につかってしまい危うく難を逃れたとのことでした。

私のサイトに掲載いただいている魚市場の向かいの飲食店も一階が全滅で9月ごろにやっと営業再開にこぎつけたそうです。
月曜日に電話で話しましたが、漁もまだ禁止になっているとのことでまだまだ大変な状況が続いているとのことです。

魚市場付近から、三崎公園という突端で少し高台になっているところを過ぎて北側に行くと、さらに大きな被害を受けた地域になります。
永崎海岸から中之作、江名という地域になります。
このあたりは山が急に海岸になっていて、その間のせまい平地に民家などがたくさんありますが、津波の直撃を受けてかなりの被害を受けました。

車で走っていくと、民家のうちあちらこちらに何もない更地になっているところがかなりありました。
津波で流されたり、全壊になった家だということです。

道路の標識やガードレールなどもいまだに大きく傾いたり、大きくへこんだままになっていました。

また永崎海岸は夏はこの近辺では大きく賑わう海水浴場なのですが、地震と津波によって砂浜が完全に消滅してしまいました。

息子さんによるともっと北に行くと塩屋崎、そして久ノ浜という地域でここはさらに甚大な被害を受けたそうです。
津波で流されたうえに、火災が発生してほとんどの民家が大きな被害を受け、人的な被害も甚大だったそうです。

小名浜の中心街も地震、津波のあとにさらに大きな余震が続き、住宅も転居が必要な方がたくさんいる状況です。
私がホームページを管理しているお店もその一軒です。

原発の風評被害の問題も加わりまだまだ問題は山積みですが、一刻も早い復興を願います。


日曜日
日曜日は今度は逆にいわき市の外郭団体である社団法人いわき観光まちづくりビューロー様が東京にいらっしゃいました。
というのもメディア関係の知人の手配でラジオに出演することになり、そのお取次ぎをしたので私も収録に立ち会いました。

出演されたのはいわゆる「観光大使」のような仕事をされている女性で、その部署の方も付き添いでいらっしゃいました。その女性の家も津波で流されて大きな被害を受けてしまったそうです。

昨年から復興のためにフラガールと一緒に全国各地をめぐっているとのことです。

また今回名産のイチゴを持ってきていただきました。放送用でしたが私もお土産にいただきひじょうに美味しかったです。

2月8日には「フラガール」でおなじみのスパリゾートハワイアンズも新しいホテルも加えグランドオープンになります。

まだまだ完全復活には時間はかかるかもしれませんが、一歩一歩復興に近づけて行くしかないのでできることはお手伝いさせていただければと思っています。

ブログネタ
地震。。。 に参加中!

先日このブログでもリンクで紹介した、東日本大震災をある程度感知していたとされるブログ「地震くるみる」 (個人で地震予知を研究されている方の日記)では、まだ日本においてもかなり大きな地震の発生を警戒されているような感じの記事が続いています。

そんな中皆さんご存知だと思いますが、今度は先日トルコで大地震が発生しました。
内陸型で建物が多数倒壊して大きな被害になっているようです。

建物の様子などを見ていると相当な揺れだっとのではと思います。

私は阪神大震災は経験しませんでしたが、親戚が殆ど関西にいるのであの地震の3ヵ月後に見舞いも兼ねて関西を訪問しました。
最初は別の用事があったので特に被害はなかった大阪狭山でしたが、次に宝塚と三田(住所は北区鹿の子台ですが)の親戚に行きました。

そのとき車で宝塚(といっても雲雀丘です)から三田まで車で向かう途中は完全に倒壊したままの家などがそのままになっていて大変驚きました。

目の前で見るとテレビなどで見る印象とはまったくちがうショッキングな情景でした。

当時幸いにも三田の家は大丈夫で、宝塚の家は多少の被害を受けたようです。
一番被害があったのは甲子園にいた親戚で、たしか屋根が落ちて怪我をされたというようなことを聞きました。

また元実家があった豊中(といっても伊丹空港の近くです)は大阪府ですがかなり被害を受けていました。
当時はもう空き家でしたが、数年後に用事で家の中に入ると2階などは外側からもわかるような亀裂が入り、中の家具が倒れて鏡などは割れていました。

トルコではまだ救助が続いているようですが、生還者が多くいらっしゃることを祈っています。

そんなこんなで地震のことをまたいろいろ考えるようになってしまいました。

たびたびブログ内でもふれていますが、私地震も今回たまたまいわき市小名浜で震災に遭ってしまいました。

あの時3月15日にやっと東京に戻ってきて数日後に「3月11日の日記」という題でそのことを書きました。
内容的には大部分は地震にあうまでの経緯と地震前後の様子を中心に書きました。

その後のことは諸事情もありあまり詳細は書きませんでした。

一部は正確に憶えていませんが、その後のことをここで思い出してみたいと思います。

地震後に、
「どうやって帰るの?」と言われ
どの程度の状況か当時まったくわからない状態だったので、取引先の事務所の固定電話で必死に何回もダイヤルして地元のビジネスホテルになんとか連絡をつけましたが、
「休業しております」「電話に出ない」など泊まれる、泊まれない以前の状況のようでした。

頼み込んでその取引先のご自宅に何とかなるまで、いさせていただくことになりました。

ただご主人はそれどころではなく、まず破損した工場の片付けや、水が止まってしまったので水の確保に走っていました。

津波は小名浜では浸水したのは一部を除いては海岸から1キロ前後のところまでしか浸水しなかったようです。
後で調べてみたり、地元の人に聞いたところでは私がいたところは地震発生と同時に火災になった道の向こうの大きな工場のおかげで来なかったとのことです。
工場が盾のような感じになったようでした。

ご主人の車に同乗して家に向かう途中も道は大きく隆起して、電柱も傾いているものが多かったのを憶えています。
ただ全部が倒壊しているような家はなかったと思います。

家に着いても10〜20分に一回くらいは「ガタ、ガタ、ガタ」
と余震が襲いました。当日はほぼ一晩中そのような状態が続き、多分被災地域の人で無事だった人も眠れた人は殆どいなかったのではと思います。
余震は多くはだいたい震度3〜4くらい?という感じでした。

皆急に地震に見舞われたので、そのような備えをしている人はやはり少ないと思いますが、地方なのでそれなりに備蓄のある方が多いようで近所や知人などと協力して水や食料の確保につとめているようでした。

ただお世話になった家でも夕方の段階でまだ全員と連絡がついていないようでした。

高校生の息子さんがまだ帰ってきていないようでした。

その高校は小名浜と永崎というところの間の小さな岬のようなところの高校のようでした。

実際に後で動画の記録で見たのですがもちろん小名浜も大きな被害を受けましたが、永崎以北はさらに大変な被害があったようです。

その家にはその地区に家がある親戚もすでに避難してきていて、第一波のあとに家に戻ろうとしたらさらに大きな第二波に見舞われ危なく流されるところだったと言っていました。
足くらいまで水につかったと言っていました。

ちなみにネットでだれかが撮影したいわき市永崎の津波の様子の動画がありましたので、参考までに。
http://player.video.search.yahoo.co.jp/video/8c1aa2030109ebeb26ee2df4d1385aea?p=%E3%81%84%E3%82%8F%E3%81%8D%E5%B8%82%20%E6%B4%A5%E6%B3%A2&b=1&of=&dr=&st=&s=&pd=&ma=&rkf=1&from=srp

そして夜前くらいに親戚などはほぼ無事が確認できたようでした。

幸い電気は回復していたのでその後はひたすらテレビをつけっぱなしの状態で、皆ある食料で食事をして、こたつを囲んで一晩をすごしました。

私も家の人に「遠慮しないで食べてね」
とは言われましたが、この先どういう状態がどれくらい続くかもわからないので、遠慮してしまい殆ど食事には手をつけませんでした。

お茶だけはなぜか地震直後に破損したパチンコ屋の自動販売機が稼働していたので、一本買ってありましたのでそれをチビチビ飲んでいました。

ところが夜から朝にかけてのニュースなどを見ると、とんでもない状態になっていることがだんだんわかってきました。
「いつ東京に帰れるのだろうか」

仕事の期限などもありましたが、それ以上に家族と地震直後の固定電話以来まったく連絡が取れなくなっていたので津波には遭わなかったことも連絡できていませんでした。

でもテレビなどではるかに深刻な状況になっている地域がたくさん放映され、これぐらいの状況であれば自分のことは自分で何とかするしかないんだということを自覚しました。

翌日はスーパーの買出しを手伝いました。
後で聞いたら東京も同様だったようですが、パニックが起きて食料の争奪戦がおこっていました。

レジに約2時間くらい並びました。当然水や米などは皆無です。
並んでる時も比較的大きな余震があり店の屋根からぶら下がっている大きなガラスがゆれました。
店員はあわててガラスの下にいる人をその場所からずれてもらうように誘導していました。

この先どうなるだろう?本当に心配になってきました。

家に帰ると落ちた瓦の掃除を手伝いました。落ちた分だけでなく、緩んでいる物もすべてはずしてしまわないと危険なのだそうです。
屋根に上っている人から屋根の横にはしごで登り、瓦を受け取り、下の人に渡す役をしましたが、そのときも余震が起こったらどうしようとかなり恐怖でした。
幸い作業中に余震はありませんでした。

その晩大きな余震がありました。震度5でした。
本震ほどではありませんが、恐怖感が残っていて思わず飛び出しそうになりました。

またその日の午後福島第一原発で爆発事故が起きました。
現地のみならずいわき市あたりでも放射能漏れの恐怖も襲いました。
当時はまだどの程度の事故かまったくわからない状態だったので、比較的近い地域の人は皆同じように思われたと思います。

大津波警報はなかなか解除されませんでした。
そのとき地元の知人が言っていたのですが、津波はずっと押し引きを繰り返し続いていたようで、翌日の明け方まで続いていたようです。
ネット動画などで津波の様子が流れていますが、実際には救助など関係の人以外は海岸近くには一切近寄れない状態が翌々日くらいまで続きました。

その時聞いた話では、私がサイトなどでも掲載している水産関係の飲食施設などはほとんど全滅状態とのことでした。
安否の話もまったくわからないようでした。
皆自分の身内の安否を確認するのが精一杯だったようです。

そして問題はいつ電車が動くかということでした。
JR常磐線はいわき以北はとてつもない被害を受けたようでした。電車や駅が津波に流されているニュースなどもやっていました。
いわきから水戸の間のことはテレビなどではほとんど触れませんでした。

結局取手以北でも1ヶ月近く、水戸以北はさらに数週間不通だったようです。

3月13日の段階ではどうにもならなくて当たり前だったようです。

しかもこれに加え、計画停電のニュースが流れ、さらに交通手段が制約されることになりました。

3月14日の朝、とにかく東京に向けて出発することにしました。
帰り方はわかりませんでしたが、むこうの家の人は、
「福島空港で臨時便が出るニュースをやってたから、タクシーでいけるところまで行って避難所で泊まって空港まで行ってみたら。キャンセル待ちみたいだけどね」
と教えてくれました。

そうするしかないかな、とも思いましたが、ニュースでやってるということは相当の人たちが押しかけているに違いないし、キャンセルなんて出るのだろうか?
とも思い、国道6号線が通じているかわかりませんが、このルートは逆に北に行く必要もないし、もしかしたら水戸まで行ければ何とかなるかもしれないと思いそちらのルートで帰ることに決めました。

そして以前にも書きましたが、家の固定電話を借りてタクシー会社に片っ端から電話をして交渉をしました。

燃料不足、渋滞、北茨城付近の津波被害がすごくまだ海岸沿いは危険などの状況で、なかなか交渉は成立しませんでした。

「一社だけ日立までならいいよ」という会社があらわれました。
よかった!

とにかく1キロでも東京に近づきたい気持ちでした。

タクシーに乗るとけっこう順調に進みました。

6号バイパスから勿来で6号に入り、海沿いに入りました。
実際のところはわかりませんが見た目には勿来は想像していたほどの被害には見えませんでした。

ところがそこから北茨城の大津港、磯原と進むとすごい光景に豹変しました。

特に海岸沿い付近は家が何軒も連続して完全につぶれている状態のところもありました。
また流れてきた材木のようなものなどがそこらへんじゅうに散乱しているところもありました。
目をおおうような光景です。

またいわきは地震後すぐに電気は回復しましたが、こちらは皆停電しているようでした。

そして3/11日記に書いたように駅間の線路上に電車が停車したままでした。かなり海岸に近いところで地震と同時に停車したようでした。
乗客は皆電車を降りて避難したのでしょうか。

しばらく行くと6号線はようやく海岸沿いから離れました。
少しほっとしました。この日もタクシー乗車中に茨城で震度5の余震がありました。

高萩から日立もみな停電していました。信号が消えていて大きな交差点には警官が出ていました。

東京も含め当時ガソリンスタンド渋滞というのが発生していて、この地域も買出しとGS渋滞でいたるところで大渋滞が起こっていました。

「日立に着くけど、どうする?」
「水戸までなんとかお願いできませんか?」
「いいよ、このさいだから。困っているみたいだしね」

ありがたい言葉でした。
私を乗せた運転手さんは元は東京の人で、たまたまいわきに長年勤めそこで退職したのでまだ働こうということで現地でタクシーの運転手をはじめたようです。

また渋滞の中で6号線を進みました。
よく見るとこのあたりも揺れは相当ひどかったようで、数メートルもあるような神社の大きな石碑がそのまま倒れていたり、国道沿いの石塀が100メートルくらいにわたって全部倒れているところもありました。

ひたちなかからバイパスに入ると国道も道が数十センチ単位で隆起して大変な状況でした。
なんだかんだでやっと水戸に到着しました。
水戸駅の近くで車を降りました。時間は12時すぎ。小名浜を出発して約4時間くらい経っていました。

水戸の町は静まり返っている感じでした。
パッと見では大きな被害に見えませんでした。

まず泊まるところを確保しようと重い荷物を抱え駅西側のホテル街を歩いてまわりました。
ところがよく見ると皆玄関や入口のアプローチなどが大きく破損していて、人の気配はありませんでした。
思っている以上に水戸の町も地震で被害を受けていることがわかってきました。

結局ホテルどこも休業しているようでした。

「まずい」
それで駅を越えてターミナルのほうへ行こうとしました。
ところが水戸駅は立ち入り禁止になっているようでした。
水戸駅は最新の駅ビルが完成して、自由通路や陸橋で駅の両側が結ばれていましたが、大きく破損して危険な状態になっているとのことでした。

反対側まで歩くしかありませんが、駅の地図によると「千波湖」の方の橋まで線路を渡るところはないようです。
これが歩いてみると大変な距離でした。
約30分かけて反対側の中心街のほうに着きましたが、そこはさらに厳しい状態でした。

駅前のビルはガラスが割れたビルがたくさんあったようで歩道のいたるところが立ち入り禁止になっていました。

まず宿泊施設をさがしましたが、先程同様まったくだめでした。
タクシーの運転手に聞いたら15分くらいの知り合いの旅館はやっているよ、と親切に調べてくれました。
ただ木造というのを聞いて、正直このときは頑丈な建物でないと泊まる気分にはなれませんでした。

交番に相談に行くと、
「それならこの近くの三の丸小学校というところに避難所があるからそこに行ってくれ」といわれました。
最終的にはそうするしかないと覚悟しました。

まだ寒かったので野宿出来るような状態ではありませんでしたし、かなり衰弱していたので危険だと思ったからです。

ただ幸い水戸は水が一部出始めていて、トイレにはいることができました。

いわきではトイレは自宅でタンクに貯めた水で流す以外は屋外のトイレはすべて閉鎖されていました。
そういうこともあり人の家のトイレを使うのは気が引けて、ずっと我慢していました。

そしてもしかしたら路線バスを乗り継いで土浦あたりまでいけるかもしれないと思い、ターミナルで調べてみました。
しかし地域の路線バスは動き始めていましたが、友部までが精一杯のようでした。

最後の望みをかけて携帯の残り少ないバッテリーで茨城の知人に電話をかけてみました。
と、なんと出てくれました。
ただ彼もガソリンが入手できなくて、牛久あたりまでしか出られないとのことでした。

話の中で「つくばに行く臨時バスは出てる」というと。
それなら「つくばから牛久方面にまたバスがあるはずだからもし大丈夫だったらもう一回連絡してくれ」
とのことでした。

まだつくばのバスは間に合う時間でした。

あわてて今度はタクシーで反対側にまわり、つくば行きの臨時バスに乗ることにしました。
「何時間くらいかかりますか?」
「そうね、だいたい3時間くらいはかかるよ。下道だし渋滞がひどくてね」
「トイレは?」
「ないからここで済まして」
と言われました。

あまり何日も用を足していなかったうえに、食べ物もほとんど食べていなかったので、小用だけ足して乗車しました。

バスはどれくらい乗っていたのかあまり記憶がありません。乗ったらとにかく眠くて熟睡してしまいました。
考えてみたらこの3日間合計しても何時間くらい寝たのでしょうか。

つくばに着くと運良くひたち野うしく行のバスに乗ることができました。
つくばから都心へのつくばエクスプレスは計画停電でこの日は午前中しか運転していませんでした。

やっと首都圏に帰ってきました。
もう夕方の6時をまわっていました。

そこから車で龍ヶ崎の知人の家に泊めてもらいました。
このあたりもかなり地震もひどかったのと、水もやっとこの日に出始めたとのことでした。

カレーを出してもらいましたが、あまりの空腹と衰弱で体調が悪く残してしまうような状態でした。

翌朝彼の通勤と一緒に出るので、朝5時半過ぎに出発、関鉄の龍ヶ崎駅まで田んぼ道を約40分歩きました。

そこからバスで取手に出るとのことでした。

地震の影響で取手からの常磐線はまだ不通でした。本当だったらバスで佐貫に出るのだそうです。

バスは出発からほぼ満員でした。取手行きはこの後午前10時くらいまでないそうです。

佐貫、藤代とバスは進みましたが途中であふれるくらいの人がバス停にいましたが、途中からは満員通過になってしまいました。
私も立っていて大きな荷物があったのですがどうにもならないくらいの混雑でした。
あの人たちはいつになっらバスに乗れたのだろうか、今でも気になっているくらいです。

バスは約1時間で取手に着きました。
今度はふだんでも混雑するので有名な常磐線です。
常磐線は取手から先は牛久付近から先で線路が大きく破損したそうで当分開通できない状態のようでしたが、
取手以南は地震の被害は少ないので開通していましたが、計画停電の関係で各駅停車は運休、快速も約30分毎という乗客数からしたら考えられないような間引き運転でした。

電車も取手でほぼ満員でした。
天王台、我孫子、柏、松戸と駅に着くたびに並んでいる人たちだけで満員になるような人数の乗客が駅にあふれていました。

体が一ミリも動かせないくらいの状態で北千住に到着、たまらず降りてしまい、日比谷線へ。

日比谷線はなぜかそれなりの本数を運転しているうえ、逆に計画停電の関係ですべて始発でした。
おかげで座ることもでき、恵比寿までずっと日比谷線で行きました。

間引きのない山手線、中央線を乗り継ぎやっと東小金井に到着しました。
家に着いたのはお昼少し前くらいでした。

家に帰り固定電話で家族や親戚に無事の連絡しました。
皆ほっとされているようでした。

ふだん私たちはいろいろなサービスを当たり前のように使ったり、受けたりしています。
今回それがどれくらいありがたいものなのかを身にしみて感じることができました。

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思った事 に参加中!

野田総理大臣が施政方針演説をして事実上スタートしました。
その矢先にいろいろあったみたいですが・・

★たばこ700円説
新しい某大臣よりまたまた「たばこ700円説」が浮上しました。
それはそれで一理あるし、予測できる事態ではありましたが・・、

たいした問題ではありませんが、一言だけ、
これも自分がタバコをやめられないという弱い人種であるということを露呈することになりますが・・

そもそもタバコ自体は違法行為でもなんでもないので、喫煙自体に重圧をかけるのは、いかがなものかと思っております。
問題の本質は喫煙者のマナーの問題でもあると思っています。
マナーを守らない人を厳しく取り締まるのは大賛成です。
ある意味健康に重大な影響を及ぼすものなので、刑事罰にしてもいいのではと思います。

極論、離婚理由などでも認定対象でもいいと思っています。
そうなると私自身もかなりやばいことになりますが・・

喫煙に嫌悪感をもつのも、喫煙をするのも人それぞれ、
人に迷惑をかけることに問題があり、喫煙者は絶対に他人に煙が行かない環境以外では吸わせないというのが一番個人を尊重したやり方に思えます。

たしかに現状はマナーの悪い人も多いですし、少なからず副流煙被害にあわれている方も多いと思うので、それに対し徹底した政策をとればと思います。
欧米がどうのこうの、という論理で言われているようですが、欧米は今大ピンチ、見習う相手ですかね?

問題の本質が少し違うのでは、と思いました。

また「あなたの健康を考えて言ってるんだよ」と言われるかもしれません。
全くそのとおりですが、
「本当にそうなの?本気で人の心配しているような言い方じゃなかったよね?自分の持論を状況にかこつけてここぞとばかりに押し付けてる感じだったよね」
と返したいところです。

いずれにしてもこう書いていても自分の意見に全く説得力のかけらも感じません。やっぱりいずれは禁煙かな?

★経産相発言
経産相のあの失言、暴言は問題外ですが、その責任の一端をマスコミのちくりに振った某カンジ・チョウさんはもっと信用ならないと思いました。

★総理の演説は?
震災の時の悲しいできごとを例に復興への協力を呼びかけ、かなりの人の心に残った話だったと思います。

私も同様に思いましたので、微力ですが、出来ることは協力したいと思っています。

ただあの話で少し感じたのは、

公務員だって人間、皆生きていたいはずです。
家族もいて、大事な人もいたはずです。
たとえ公的な立場の方であってもこのような犠牲者を二度と出さないような政策の舵取りをしていきたい、と言ってほしかったです。

まずは何よりも、命の大切さを一番に考えてほしいと思いました。

私も小名浜で地震に遭いましたが、仕事関係の知人も消防団員で、救助に行ったために津波にながされそうになって、危うく死ぬところだった、と言われていました。
今後も何か起きれば、誰かが危険を顧みずに救助活動をしなければいけないという現実はあるので、本当に難しい問題だと思います。

ただよほど特殊な状況の方でない限り、生きていることを上回る幸せはないと思っています。

「どんなことが起きても皆無事に生きていけるような社会を目指しましょう」
難しいことかもしれませんが、こう言ってほしかったです。

総理ご自身もおそらくそんなことは承知されいていると思いますが。
というよりそれがわかっているから、そういう話をされたのだと信じたいところです。

外野で関係ない人間が余計なことを言うべきではないのかもしれませんが、感じたことなので書いてしまいました。

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地震。。。 に参加中!

最近このような話ばかりで恐縮ですが、
一昨日ねずみが近くの道路で1匹車にはねられているのを見かけました。

妻によると他にももう1匹そのようなねずみを見たそうです。

数日前にヤフーニュースで岐阜県でいのししが9匹道路を走ってきて車と衝突した話が出ていました。

ここに転居して十年以上経ちますが、今までねずみのこのような姿を見たことは一度もありませんでした。

私は専門知識もありませんし、あおるようなこともしたくはありませんが、偶然かもしれませんが動物の異常行動が数多く出たときは自然災害に注意が必要だと思っています。

先日もみみずやカエルが地上や路上に出ているのを見かけると、決まって数日内にそこそこの規模の地震がありました。

また今夏で特に感じているのは、虫や鳥が異常に少ないことです。
原発事故の遠い影響かもしれませんが、カラスや羽虫さえも最近はあまり見かけません。

これってうちの近くだけなのでしょうか?

そういえばここ数日に限ればセミの声も聞かないし、だからといって秋の虫の声もあまり聞きません。

この間行った山陰は台風直後でしたがセミがたくさん鳴いていました。また東京(この近辺)でも数日前まではかなりセミの声を聞きました。

東日本大震災やその後の余震によって、うわべ上は大丈夫そうな建物でもそれなりのダメージを受けている可能性もあります。

私は専門知識だけではなく、人より抜けた第六感や霊感もありません(多分)ので、このくらいにしておきますが、
倒れやすい家具対策や水や非常食の確保はしておこうかな、と感じました。

とにかく困るのは水です・・。
トイレが一番問題ですが、ほかにもいろいろな問題がおきます。
たとえば手を洗えない・・、などです。手を洗えないとひじょうに困ることがわかりました。

あとティッシュなどのちり紙やレジ袋などの袋類も無いとひじょうに困ります。

それから外出時には特にですが、携帯電話の充電器も重要です。大地震の時は携帯電話はほとんど使えなくなります。
それではなぜ充電器をというのは、
実は夜中に携帯メールが通じる時間帯があったからです。
ところが電池切れになるリスクがこわくて最低限の連絡も出来ない状態になりました。
そして携帯の電源が切れると人の連絡先の電話番号自体がほぼ全部わからなくなってしまいます。
また電源さえあれば、交通関係など情報をとるのにも役立ちます。

今や公衆電話は化石と化しましたが、テレホンカードなども役に立つかもしれません。

食料はレトルトと缶詰がきわめて有効です。水分と塩分と栄養を同時に摂れて、しかも冷蔵や調理をしなくてもそのまま食べられます。
またチョコレート、ビスケットなどのお菓子類もかなり有効です。チョコレートは2切れくらい食べれば半日以上もちます。
飲み水は常備しても限界があるので、ロングライフの牛乳やペットボトルのお茶も合わせるとバランスもよくなります。

ちなみに以前このブログで大震災を事前に予測したと本で紹介されたブログ「地震くるみる」は今晩になって”相当な警戒の記事”を掲載していました。

警戒しすぎということはない話なので、気をつけなければ、と思います。

ただどうしたらいいのか?とか仕事の行き先も日々変わるので難しい話ではありますが・・。

いずれにしてもまずは何も起きないことを祈っています。

☆☆☆☆☆☆☆

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日々の出来事 に参加中!

先日の地震予知の話にご紹介した、東日本大震災を事前に察知したというブログをその後も継続して見ていますが、まだかなり警戒しているようです。

そのような話を読んだので、ヤフーの天気情報の中の地震情報で今年の大震災以降の余震を含む国内の有感地震がどれくらいあったのかをざっと調べてみました。

ヤフーのデータは過去5000件まで閲覧できるようになっています。1ページが100件で50ページまでという内容ですが、3月11日の東日本大震災は先週末現在ですでにもう42ページ目になっていました。

ということはそれ以降国内で有感地震が4000回以上観測されているということになります。調べたわけではありませんが、文明が発達して以来はこんな現象は初めてかもしれないのではと思っています。

また東日本大震災の前に三陸沖で3/9と3/10にそこそこの規模の地震があり、3/11の明け方くらいまでは同じ地域で小規模な地震が連続して続いていたようですが、あの本震の前だけは6〜7時間国内で有感地震はなく文字通り嵐の前の静けさのようだったみたいです。

余震が続いた後、急に静かになった時も注意なのかもしれません。

スマトラの時も大雑把な記憶ですが、本震後の数年以内に相当な規模の地震が何回か起こったのを憶えています。

今回の震災は一部地域の断層などの関係で起こったのではなく、地球レベルの原因で起こったというような分析が出ていますし、その規模もとてつもないものであるということですのでしばらくは警戒が必要かもしれませんね。

といってもどういうふうに警戒したらいいのかは難しいところです。いつも安全な場所にいるわけにもいきませんし。

ただ先日の動物の異常行動などはかなり信ぴょう性が高そうですから、虫や鳥、動物などを急に見かけなくなったり、異常な行動をするのを見たら注意したいと思います。

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地震。。。 に参加中!

先週の金曜日に関東地方で震度5の地震がありましたが、その少し前に妻が道端でみみずが何匹も地上に出ていたのを見たと言っていました。

滅多なことを言ってはいけませんが、一般的な話として巷では地震の前にみみずが地上に出てくるという話は多く聞かれているようです。

先週の地震自体は大きな被害もありませんでしたので、このことだったのか、という感じでいましたが、

今晩(木曜日)また妻が「またミミズが出ていたよ、あとカエルもね。カエルは何匹もだったよ」
と言いました。

東日本大震災の前にもカエルが何匹も道端に出てきて干からびていたと言っていたのを思い出しました。

そういえば今朝は少しカラスの鳴き声は聞きましたが、例年のようなたくさんのカラスの声や朝の小鳥のさえずりはいまだほとんど聞いていません。

そう、セミもまだほとんどいないようです。
セミについては今年は春以降の平均気温が低いせいで遅れているようなことをテレビで言っていましたが・・。

実際に動物の第六感や予知能力などというものがあるのかどうかも明確にわかりませんし、科学的に証明することも難しいと思います。

ただ現実に動物が地震などの災害を予測した実話は無数に存在していますし、このようなデータを徹底的に調査することも無駄にはならないと思います。

たとえば身近な例ですが、真夏などでひどい雷雨になる寸前に急にセミの鳴き声が止んでしまったと感じたことはありませんか?
これが何を意味するか、またどこに行っているのかは定かではありませんが、大体もうおさまったかな?と思うタイミングになるとまたいっせいに鳴きだしたりします。
セミは木にとまって鳴いていますから、木に雷が落ちるとひじょうに危険です。そんなことも関係あるのかなと思ったりもします。

今回またミミズやカエルが何かを予知して行動したのかどうかは、数日以内に何かあるかどうかで判断するしかないと思いますが、もし2〜3日以内にそこそこの規模の地震など災害があったりしたらかなり信憑性が出てくるかもしれません。

といいつつも当然そんなことにならないことを祈っていますが・・。

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WIN5を楽しむ に参加中!

【第一部・いわき、真鶴日記】
7/4月曜日に真鶴を訪問しました。アンテナショップやグルメ観光サイトの関係での訪問です。
古くからの知り合いである鮮魚点の二藤商店さんを訪ねました。
震災以降真鶴も観光客が激減しているそうです。

真鶴は直接型の観光地ではありません。釣り好きの方の間では有名な場所ですが、観光客となると箱根や熱海、湯河原のついでに立ち寄る方が多いそうですが、この付近では小田原に続く規模の漁港があり、特に周辺は良好な漁場が多いため魚が抜群に美味しいところとして知られています。

また真鶴漁港は東京から一番近いひなびた漁村の風情を残していますし、真鶴半島は海の絶景が望めるところでもあります。

ほかにも江戸時代につくられた原生林のような森や地元で芸術活動を続けた日本有数の画家・中川一政氏の専用の美術館もあります。

現在二藤商店さんのご協力もあり私設・真鶴観光サイトを作成中(一部は完成)ですが、他地域も含めたポータルサイトを作るつもりです。

そして7/8金曜日にはいわき市を訪ねました。
アンテナショップを開業予定の会社の社長さんも同行しました。
いわきは3/11の震災にあって何日か当地に足止めされて以来の訪問になります。

最初に湯本駅近くの石炭化学館に移転した「(社)いわき観光まちづくりビューローさん」を訪問しました。

主題はアンテナショップ関係の打ち合わせです。いわき市の観光関係の出先機関でもあり業者さんを統括しているので、ご協力をいただきたいということと、ご存知の通り地震や原発の風評被害などで甚大な被害をうけている地域なのでそのような方面で何かお手伝いできることはないかということも含めての訪問でした。

先方のお話では小名浜の中心的な観光施設・ららミュウは11月頃に再開の予定だそうです。
ハワイアンズは4月にも再開予定だったそうですが、4月の大きな余震でふたたび被害を受けてしまい、再開が延期されいているそうです。

地元のタクシーの運転手さんの話なども含めると、湯元の温泉街や小名浜泉、平のビジネスホテルなどは現在原発関係の仕事の関係者と原発地域から被害されている方が使用しているそうです。

そしてそのあといつもうかがっている小名浜の水産関係の業者さんを訪ねました。

小名浜は地震時以来です。地震の時もそうでしたが港や被災地域には行きませんでした。
地震直後は津波が危険で一般の人は当然近寄れませんでしたし、今も関係者以外は片付けやがれき処理などをしている方の邪魔になるので地元の業者さんも用事がない限りはあまり近寄らないそうです。

ネットなどで地震直後にそのような地区を車でまわり撮影した動画が大量にアップされていました。誰が撮影したのかわかりませんが・・・。

今回も金曜日の早朝にそこそこの地震があり(東京も揺れました)、また私が行くと大きな地震が起きるなどということになったらどうしようと思いましたが、幸いその後はほとんど余震はありませんでした。

地震直後はひじょうに大きな余震が何回かあり、その晩から翌日の朝にかけては、半端ではない数の余震がありまったくこわくてまったく眠れませんでした。
大体5分おきくらいに震度3〜4くらいの地震が延々と続きました。
翌日も震度5級の余震が何回かあり一回は外に飛び出したくらいです。

用事が終わり特急で東京に戻りましたが、軽く飲みたくなり荻窪のはなやに、そして勢いで少しだけいつものスナックに寄りました。

業者さんによれば、いろいろイベントや支援企画なども行われているけど、三陸の海に沈んだタンクの油などの汚染なども解決するには気の遠くなるような期間がかかりそうだとのことで、この地域は他の問題も加わって皆が長期的にどう生きていけばいいのか、という深刻な問題に直面している状態だということです。

何の目的であんなことを言ったのかわかりませんが、某復興担当のおやじみたいな輩が政治の道具にしている現状を考えると地元の人たちも相当頭が痛いのでは、と思った次第です。

【第二部・藁しべ長者.9】
※解説(レバタラの世界です)
中央競馬予想日記で触れましたが、新しい試みです。
「藁しべ長者」という昔話のように一攫千金を元手に財産を構築できるかの実験です。WIN5以外にも運用方法は自由です。

◆WIN5
・比良山特別
ロードオブザリング、パワーエース

・茂原特別
ハッピーダイアリー、オクルス

・巴賞
ブリッツェン

・プロキオンS
ダノンカモン

・七夕賞
アドマイヤメジャー、アニメイトバイオ

以上800円。

★三連単(200円)
京都11RプロキオンS
・ダノンカモン1着、ケイアイガーベラ2着付け、アーリーロブスト、シルクフォーチュン流し2点

以上合計1000円。

◆2011年の成績
★7/10の購入金額・・1000円
★7/10までの購入金額・・9000円
★7/3の的中金額・・0円
★7/3現在の残金・・0円

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東日本大震災復興 に参加中!

久しぶりに競馬以外で更新します。
本当は明朝(あと2時間後くらいしたら)、震災があった3月11日以来で仕事でいわきに行くことになっていましたが、私の不徳のせいで延期になりました。
同行する業者様にはご迷惑をおかけしてしまいました。

向こうではかなりの施設は復旧してきたようですが、ページを載せている魚市場の横の「レストランまるかつ」さんでは2Fの食堂が営業を再開したようです。
地震の直後の津波で店の1Fは全滅状態だったのを聞いていたのですごいことだと感じました。
まるかつさんの奥様と今回の訪問のスケジュールの話をしていたら、今週あたりは一部ツアーも入ってきているとのことです。
地震や津波の問題だけではない地域なので大変だと思います。22〜23日は複合観光施設「ららミュウ」の片付けだとのことで、「ららミュウ」も再開するのかと思っていましたが、
観光協会の人の話では当分再開はできないとの話でした。

7月上旬にあらためて訪問となります。

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おっと!思ったニュース に参加中!

スモールさんお見事でした。私は沈没でした・・。
ただ「藁しべ・・」は他のブログを作って続けようかと思っているくらいで、今のところやる気満々です。

ところで内閣不信任案を提出してしまう話が浮上しているというニュースが流れました。
難しい政治的なことはわかりませんが、要は原発問題、震災復興など問題山積みで今の内閣ではついていけないので、引きずりおろしてしまおう、というふうに感じました。

たしかにいろいろな問題が行き詰まり、そうしたほうがいいのかもしれません。

では、それを提出する人たちには、何か秘策があるのでしょうか?
もしあるのなら先にそれを世間に問うてほしいところです。

公開する手段は無数にあります。
名案であれば、世間は賛同します。
自然と信頼はそちらに向かいます。

もし今政権の中央にいる人たちが聞く耳を持つ人であれば、取り込み、発案者を重用することになるはずです。

人の責任を追求するために、政治家になっているのではなく、皆国政に参加するためになっているのが原点なのではと思います。

権力を取れないと何もできないというのであれば、権力を取ってもその権力を守ることがハードルになってしまい、本末転倒になります。

このようなことを語ると、いろいろと反論されるかもしれません。
「世の中きれい事じゃないだろ」とか
「じゃああんたが立候補しろよ」とか
「皆立場やしがらみがあるんだよ」とか

その通りだと思います。
それだったら今まで通りのやり方で、このようなときでも不信任案を出して引きずりおろして名案もないのにまた同じように喧々囂々を繰り返せばいいのだと思います。

先ほど述べたようなやり方で、出所や正誤はともかく実際に世間の支持を得た人たちも出てきています。
たとえばあちらこちらの県知事さんや某大都市の市長さんです。

「きれい事じゃない」のは、自身の心のあり方の問題で、商売や活動を正当にちゃんとやっている人は五万といらっしゃいます。

「立場やしがらみを守ること」が過去に国や、政府や会社などで起きた問題をずっと悪化させて引きずってきた一番大きな原因だと思います。

世の中を潤滑に、活発にするにはより多くの人の賛同と協力が必要になると思います。
また人はさまざまであり、人間はほぼ間違いなくいいところと、悪いところを両方持ち合わせているはずです。
そして先のことはだれもわかりません。

友好的な関係を多く築き、出来る限り多くの意見や状況に耳を傾け、先々のリスクを想定できる限りの能力で予測して対策を打つということが必要なのではと思います。

ですのでいくら名案を持っていても、人の協力をより多く得られる状況を作ることができなければ効果は薄れるはずです。

ということは不信任案などというやり方では、また新たな火種や対立の構図ができることになる可能性があります。相互に補完し、アドバイスできる対立関係にはなりえないと思います。

お互いに歩み寄って、相手の意見を聞いて、正しいと思えばそれを認めてあげる、
それにはケンカを売ってしまうと全部破壊されてしまいます。

対立しあって嫌っている相手の指示に心から従う人はいません。法律などの強制力を使って言うことを聞かせる、ということになってしまいます。

法律は絶対的なルールですが、それが先にあるのではなく、話し合いで解決できないギリギリのラインを超えたものを解決させるのが法律というルールなのではと感じています。

すでにその時点で、その名案?は効果のない案に変わってしまっています。
また話し合いで解決してしまえば、法改正の必要があっても簡単に出来るはずです。

いいアイディアも大切ですが、人間同士の友好関係や信頼関係を拡張するほうがよほど先決の問題だと思います。

商売でどうしても食い込みたい組織などに提案をするのに、事前にご紹介をいただいたり、潤滑にできるように根回しをすることがあります。
これは当然必要なことなのですが、相手はどう思うかというと、
「○○さんの紹介だから話を聞いてあげなくちゃいけないな」とか「○○さんの顔をつぶすわけにいかないからな」
と、いずれにしてもストレスになります。
とすると本当にその人たちが私を必要としているかということがひじょうにあいまいになってしまいます。
最終的には無理に契約してもらっても、いい関係にはなりにくくなってしまいます。
いい関係をつくるには、本当に必要でなければ、
「今は必要じゃないみたいですから、また必要な時やこちらでお役に立てると思われることがあったらお声をかけてください」
と言ってしまったほうが得策であるといわれています。
もちろん本当に必要なタイミングであれば、堂々と提案すればいいわけです。

無理やり紹介されて売りつけられた、というのが最悪です。
このような関係になるとほぼ間違いなく相手は心を開かなくなり、本当に必要な時もよそと契約してしまうことが多いと思います。

不信任案は相手を裁判で訴えるのとほぼ同じと考えます。
仮に成立しようがしまいが修復不可能な対立関係を生んでしまいます。

たとえは違いましたが、自分を最大限に活かしたいのなら相手を本当のところで思いやり、本当の友好関係を築くのが一番の近道ではないでしょうか。
そしてしがらみや立場に執着することが一番の遠回りになってしまうのではと考えます。

大体一般の大多数の国民にとっては何党であるか?などということはほとんど関係なく、実際に何をしてどういう結果を出したかだけが問題だと思っていると思います。
何党?とかに縛られている人はしがらみや立場に縛られて生活や仕事を組み立てている人なのかもしれません。
言い換えれば、しがらみが介在しても、その中で真の信頼を得ていればこわがる必要は少ないし、それで壊れる関係はもとからしがらみつながりだったということだと思います。

〜あまり儲かっていない自営業者のたわごと

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経済 に参加中!

以前長年証券会社で営業をしていましたが、私が入社したのはバブルが始まる寸前の1986年春でした。
入社以来3年半は株価は異常に上がり続きました。
当時個人の株取引は事実上非課税で、0・55%の売却時の取引税だけでした。(ただ同一銘柄を大量に保有すると当然配当に対する税がかかり、支払い調書が出てしまいましたが)
当然個人の株式投資資金には不穏な資金もかなり流入していたと思われます。

税務当局はそのような事態の改善と税収アップなどを狙ってか、株取引の利益に税をかけるために、段階的にいわゆる現在の申告分離に移行していきました。

問題は施行のタイミングでした。
というのも実際にその移行政策を実行しはじめたのは、いわゆるバブルがはじけて大暴落が始まった後でした。

そして完全に申告分離に移行が完了した前後で日本株は一旦当時の大底(最安値)を記録しました。

どんな的確な政策でも施行するタイミングを誤ったり、ずれたりすると意味がないどころか、無意味な足かせになってしまいます。
それからひととき大きく株価は戻しましたが、さまざまな要因で右肩上がりとは程遠い流れは続いています。

金融界は当時欧米とくらべ約20年くらい遅れているといわれていました。
さらにこれは多くの日本人の体質といわれていますが、他人と違うことを出来る人が少ない、とか、結果が出ないと施策を実行できないという風土がありこれが拍車をかけていたように思います。
一般論ですが金融のマーケットや相場ではこのような部分は著しく不利になるといわれています。
理由は簡単で、たとえば株は誰も見向きもしないつまりまだ結果も出ていない周りの人が誰も買っていないよう時期に安い値段で入手して、大半の人が注目したような結果が出て、周りの人が皆買っているような時期の高い値段で売ることが一番大きな利益を生むからです。
つまり早く先回りした者が明らかに有利になるわけです。
どんな優良な企業の株でも買うタイミングによっては大きな損害をこうむるわけです。
そしてなによりも日本市場が世界に解禁され、そんな日本の金融界の総合力の弱さを見透かされて、外人投資家にいいように振り回されてしまったというのが当時の印象です。
もちろん私もその末端の一員でしたが・・
つまり競争力の高い自動車や電機などの日本企業の強さ、世界的なレベルの有能な日本人科学者、器用でコツコツ頑張り高いパフォーマンスをつくった日本が誇るものづくりの数々の中小企業などとは完全に別物であるということを金融界は思い知らされました。
それは日本という国が優秀なのではなく、前述の彼ら自身が職業人として優秀であり、そして強い人間力だったのだということです。
そのあとはご存知の通り、星の数ほどあった金融機関はどんどん統合、縮小を続け、今はかなり凝縮してしまいました。

証券税制やバブルの問題はその象徴的な例で、器を超える、中身が形成されてしまうと、その中身自身がまた新たな大きな火種になったり、問題を引き起こしてしまい、結局当初考えていたよりはるかに大きな犠牲をはらうという結果になってしまう、ということが現実におこりました。

先日もふれましたが、テレビなどを通して今の震災やさまざまな状況を見ていて、ふと思いました。
もしかしたらすでに日本は現在の許容量を超える過剰な数の企業や事業、設備になってしまっているのでは、と・・
特に今回は人間にとってもっとも大事な尊い人命や、健康、食料、生活、そして自然の脅威などという根源的な問題もかかえています。
金融などという一業界の話ではありません。

今当たり前と思っていることを、大きく状況が変わった今、先を読んですべて見直してみる、
ということも必要なのかもしれない、と感じました。
当然自分自身もその一人ですが・・
結果がでてから対応しても手遅れになりますし、

今の器に、すべて入りきるのか?、入りそうならそれでよし。
もし入らないなら今の入れ物の大きさを正確に知り、
思い切って今の器にはいる量に一回縮小できるものはしてしまう。
あふれ出してしまえば、それは共倒れになることです。
そのうえで将来的に入れ物を大きくするにはどうしたらいいのか?
を真剣に考え、実行する。

リーダーにはそんな先読みの力と勇気と早い決断が求められているように思います。
さらに早急な復興対策や緊急な災害対策も求められているわけですから、相当大変ですね。

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おっと!思ったニュース に参加中!

スモールさんの記事にもありましたが、先日K首相から突然浜岡原発の運転停止要請のニュースが流れました。
それにともない東海地震が30年以内に87%の確率で起こる、という研究機関のデータが公表されました。
それ自体は先のことはだれもわからないわけで、しょうがないことなのかもしれないと思いました。

とすると、
ほかにもさまざまな問題が起こる可能性があります。
たとえば三重県から和歌山県にかけてや伊豆半島のリアス式海岸や伊勢湾岸や三河湾岸の津波対策は大丈夫か?
今回これだけの津波被害がおきたのですから、こちらも早急な対策が必要なのではと感じますが・・
また石油コンビナートは?ビルのガラス対策は?
さらにこのようなデータを発表してしまうこと自体が地域経済に与えるダメージに対する対策はどうなるのでしょうか?

もし本当に大規模な東海地震が起こってしまったら、原発はもちろん、
東海地区や周辺に甚大な被害が生じ、新幹線や高速は分断、工場や燃料、資材の製造、輸送の大半は麻痺状態と日本経済に致命的なダメージが生まれる可能性があると思っています。
特にしばらくは東日本大震災の復興もままならない状態ですから、それもあわせて考えると計り知れない損失になるはずです。

そして今回の地震に誘発されると予想されている広い意味での巨大余震の確率も相当な確率のようなので、そちらのほうは?
というふうにも感じます。

警戒をすればきりがないのですが、実際にここ20年で起こった大地震はすべて予見されないでおきてしまっているわけで、日本全国に対策を打ったほうがいいのではと思っています。
世界的にもそうなのでしょうが、実際に今の科学では大地震は事前に予見できないに近いという現実があるのですから、
ここは大丈夫とか、ここは大丈夫でないとかを選択するより、一刻も早く対策に着手するほうが先の様な気がします。

今ならマニュフェスト通りか?だの、子供手当てはどうした?などといわれることもなく、
政策を転換できるタイミングでもあるし、あの日を境に日本は本当に切迫した状況になっているのですから、
いますぐ、ほかの災害対策も実施されてもと感じます。

地震予知に関しても、今の科学では事前の予見には限界があることがわかっているわけですから、先日書いた話ではありませんが、動物の行動や自然事象などもふくめあらゆるデータを蓄積して、風評やデマ、パニックが起きない程度に公表するべきではと思っています。

正直今回の発表も、世界や世間から騒がれているから、対応をしたという印象をぬぐえません。
しかも与える影響に対する配慮も感じないほど突発的で、もしそんなに緊急性があるのなら前述の対策も今すぐ必要なはずではと感じてしまいました。

まあ当事者としてはあらゆることを配慮して、決断を求められているわけで大変な状況ではあるのかもしれませんね。

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随筆・ノンフィクション・自由研究 に参加中!

これは有名な話ですが、スマトラ沖地震の後、インド洋対岸のスリランカではゾウや水牛などがいっせいに高台に向かって駆け出したそうです。
動物は地震や津波を事前に予知して異常行動(というか避難行動だと思いますが)をとるといわれています。

それでは私たち人間はどうなのでしょうか?

人によっては霊感が鋭く、何かあるときに事前に察知した話はネットなどでも多々報告されています。
ただ実際に地震などの前にそれが大きく取り上げられたことは、今まではあまり見かけませんでした。

今回私は福島県いわき市で東日本大震災に遭遇してしまいました。
なぜいわき市に行くことになったかというと、私が運営・管理しているサイトやホームページの打ち合わせがあったのですが、今回はかなり変則的な要因がありました。

というのも某NPO法人さんに私のサイトをプレゼンして、それを現地の業者さんでご要望のある方にご紹介するということも目的のひとつでした。
そのプレゼンというのは地震の前日3/10の夜に行われました。

プレゼンの時に、
「明日いわきの掲載者様に○○法人様のご紹介もかねて訪問します」
と付け加えて、話しました。そしてだれに言われたわけではないのですが、
「地震が少し心配ですが・・」
とさらに付け加えました。
聞いている方たちは、「?」
少しきょとんとしていました。

たしかに2日ほど前に三陸沖で震度5の地震があり、津波注意報などが出たりして、その後も若干余震があったりしていましたが、特にけが人が出たりもせず、大きな津波もありませんでした。

その後は比較的平穏で、地震のことを気にしているような雰囲気はありませんでした。
私自身もそんなことはあまり気にしていなくて、どうやって向こうで話をしようかとそのことで頭が一杯でした。

ところがなぜか発表中に意に反して、そんなことを言ってしまったというのが本当のところです。
大体明日いわきに行くことなど、聞いている人たちにはどうでもいいことで、なぜ初対面の人にいちいち自分の細かいスケジュールを話してしまったのかも今考えてもよくわかりません。

今の話は予知などというおおげさな話ではないかもしれませんが、この関係の話でもうひとつ不思議な話があります。

私のサイトでは、現地の人にご紹介いただいて、東京・新橋にあるいわき市のアンテナショップのご案内ページを作らせていただいていましたが、
昨今の事業仕訳などの関係でしょうか、今年の春に閉店してしまいました。
実はその閉店日がなんと3/11だったのです。
これもたまたまの話だとは思うのですが、お店の方の話では当初は3月末日まで営業予定になっていたそうです。

それが後に入るお店の都合などの関係で早まったそうです。
そしてなぜか3/11に閉店のはこびとなったそうです。
だれが何の理由でこの日にしたのか?
ほとんど偶然の話だとは思いますが、地震がおきてみて少し気味が悪くなりました。

私は霊感者ではありませんし、強烈な予知体験などがあるわけではありませんが、過去にも多少、少し薄気味悪くなる体験があります。

前にもブログに書いたことがあるので、だぶって読んだ方はご容赦ください。

ひとつは、1985年大学生で就職活動をしていた夏のこと、
8月の上旬に就職が決まり、大阪の祖父母になぜか急に報告しに行こうと思い立ちました。
それが8月12日の夕方です。

もう夕方なので、新幹線で行くとかなり遅い時間になってしまいます。
飛行機は?
でも時期はお盆時期で今から席をとるのは不可能でした。

しょうがなく新幹線で大阪に出発、たしか18時半くらいに東京をでたと記憶しています。
いつもならそのまま大阪まで一本で行くのに、なぜかその日は突発的に急に思い立って出たので、名古屋で途中降車して、駅から東京の親と向かっている先に電話しました。

すると母親が。
「えっ?大阪に向かってるの?」
「そうだよ」
「今、大阪行きの日航機が行方不明になって大変なことになってるよ」
と言いました。

それまでの経緯を考えたら、こちらのほうがよほどびっくりしました。

なんでこんなタイミングなんだろう?
そもそもなぜ急に行こうと思ったんだろう?
急ぐ用事などなにもありませんでした。

大体なぜ名古屋で降りてまで電話したのか、一時間もすれば大阪につくのでそこで電話すればよかったのですが、
今考えても、なぜそんな行動をとったのかくわしく思い出せません。
一つ目はそんな話です。

あともうひとつは、
これもかなり前ですが、
東京で春なのに大雪が降って、ひじょうに湿った雪がかなり積もったことがあります。

そのときたまたま出かけていた私は、当時の自宅、京王線の中河原駅から家に向かって歩いていました。
普通に歩道をあるいていたのですが、
ふと急に車道のほうに出て歩き始めました。

道はかなりビシャビシャでどちらかというと歩道のほうがあるきやすかったのではと記憶しています。

車道を歩き始めて、数秒くらいしたときでしょうか、
突然、「ドサッ、ドサッ」
と大きな音がしました。
ビックリして見てみると、
「ドーンッ」
とすごい轟音とともに歩道の上に、雪の重みに耐えられなくなった電線がそのまま落下してきました。

そのまま歩道を歩いていたらどういうことになったのか、と今考えても寒気がします。

これが二つ目の経験です。

皆さんの中にもいろいろとこのような体験をお持ちの方もいらっしゃると思います。

人間も動物で、太古の時代から、進化しながらも自然と戦って生きてきました。
当然遺伝子にもそのような記憶がインプットされていると思われます。

動物の異常行動だけでなく、冷静さを欠いて無意味に不安をあおらないという前提で考えれば、人間の感じた情報というのももしかしたら参考になるものがあるかもしれないと思います。
特に無意識にとってしまった行動や言動などは、意外に何かを感じ取って防衛的に表現されたものかもしれないと思っています。

そういう研究がすすんで何か防災などに役立つ日がくればという気持ちです。

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地震 に参加中!

今年は本当にぶったまげるようなことがたびたびおこっています。
その中でも本当に驚いたのは、

東日本大震災の時に小名浜港の近くにいたときのことです。

車のラジオで、大津波がくるから避難するようにとニュースが流れ町は大混乱におちいりました。
あちこちでサイレンは鳴りっぱなし、
逃げる車で大渋滞、

交通整理や藤原川の堤防を見張るためか、おまわりさんと消防の人がおおぜいでていました。

近くに高台もなく、近くの消防署は混乱中で入れてももらえず(当然ですが・・)、

あー、どうしようと焦っていたときです。

ふと見ると、一人の高齢のご婦人が道を歩いていました。
慌てている様子もなく、ゆっくり歩いていました。

と、見ると、
なんと犬を連れて散歩をさせていました。

様子を見に行くという感じでもありません。
いつもの散歩の時間なのでしょうか。
いずれにしても肝がすわっているのか、
とにかく驚きました。

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K総理が被災地の石巻市を訪問、「漁港の復興は石巻を最優先することを約束」という報道が流れました。
この発言はNHKの夜のニュースでは決して流されることはありませんでした。
この先被害を受けた他の漁港の人たちに、何て言うのか・・??
「あなた方は石巻の次ね・・」
とでも言うのでしょうか???

当選を果たしたI知事が当選確実がでたインタビューでいきなり、
「パチンコ屋は電気沢山使ってるんだから自粛しろ」発言、これも全国に報道されました。
たしかに言うとおり、生きていくのに絶対必要なものではないので、営業時間や電力使用量を絞るなど一部は自粛する必要はあるかもしれないと私も思います。
パチンコ屋さんも商売、今はお金の問題ではなく、電力が不足しているのだから、行政もそれなりの交渉の余地もあるはずですが、
頭ごなしに「自粛しろ」と声を荒げて命令口調でまくし立ててしまえば、
「はい、そうします」とはなかなかいえなくなるはず。
それを悪の権化のように言ってしまっては・・・?

生きるために絶対に必要でない物はほかにいくらでもあります。
喫茶店、たばこ、ゲーム、トランプ、カラオケ、ラブホ、野球、すもう・・・・・無限etc、まあ一部は電力とは関係ありませんが・・

もちろん前記のものはすべて世の中では重要な役割を担っている部分もあるけど、衣食住、医療のようなものとは明らかに違います。
職業や遊び道具に格の上下などなく、権限を持っている人の発言がどのくらい影響があるか・・

今回の風評被害などを考えれば、簡単にわかることなのですが・・
携わっている人は皆生活がかかっているのですから、もう少し言い方があると思います。

世の中騒然としてきた感があり、そのほうがよほど不安です。
起きなくてもいい騒ぎが勃発しなければいいな、と思っています。
一番大変で辛抱している被災地の人たちではない、外野の人たちが興奮してどうするのでしょうか。しかも頭が・・。

皆が自分が出来ることを協力する、それだけのことなのでは。
それをスムーズに行えるようにサポートするのが政治家さんなのでは、と感じた次第です。

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センバツもベスト4が一部決まってきました。スモールさんの久我山は残念でしたが地元の日大三高がベスト4に進出です。
その一方で震災の影響で開催が危ぶまれていた、春の東京都高校野球が本大会のみ開催されることになりました。
ブロック予選は中止になってしまったので、秋の新人戦の本大会進出の学校47校がそのまま同じメンバーで戦うことになりました。

我が母校・調布北高も登場します。秋の本大会は2回戦で敗れているのでなんとしても初戦を突破してくれればと思っています。
試合は4/4(月)に神宮第二球場で法政大高と対戦です。
手強い相手ですが健闘を祈っています。

そういえばプロ野球セリーグの開幕も結局、4/12に延期になりました。
情勢を考えれば当然のことと思いますが、それが決定したときの記者会見で
「選手たちの気持ちを汲んで、延期することにしました」
と言っていたのを聞いて、お客さんや世の中の情勢はどこにいったの?
と思ってしまいました。
自家発電設備でも自分で開発して、試合やれば!
という感じです。ずれてるのもここまでくるとあきれてしまいます。
おまけに早期開幕を主導していたのがどうも、某報道機関の球団ということで(スポーツ紙などの報道によれば)、・・・です。

3/11を境に日本は変わってしまったのだから認識を新たにしてほしいものです。
あまり悪口は書きたくありませんが、あまりにびっくりしたので書いてしまいました。

かわってしまったといえば、地震の影響の話になりますが、
先日駅でタバコを買おうとしたら、売店のおばちゃんが
「たばこが注文しても全然来なくてこまってるんだよね」とのこと。

その晩にある方と食事をして聞いてみたらどうもJTの工場が福島や栃木にあり、加工や原料の問題もありしばらく製造中止になるようだとのことでした。
製造を再開しても今までどおりの生産や輸送は難しく、本当に品薄になる見込みだそうです。

考えてみれば私が地震にあってしまった小名浜の水産関係は津波で壊滅的な被害にあわれていて、今の避難状態だけでなくこの先どう商売をしたらいいのかが全くメドが立たない状態に追い込まれてしまっている状況ではないかと思っています。
今回このような状態の町は岩手〜茨城まで日本、特に首都圏の台所を担っていた主力の漁港がほとんどそうなっている状態と思われます。

たとえば小名浜で加工している水産物も多くは宮城県沖などの良好な漁場で採れた原料に多くを依存しています。
中でも気仙沼、石巻、塩釜、大船渡など首都圏で販売されている大衆的な水産加工品の大部分を製造していところで、
今後普段当たり前のように食べていた食品が当分はほとんど手に入らなくなる可能性が高いと思っています。

これは漁業のみではなく原発の問題も考えれば、すべての食材や製品に影響がでてくるのではと危惧しています。
さらにこの電力不足です。

そしてこれから大きな問題として、米の生産が出来るかどうかという問題も浮上しそうです。

今は円高ですがそのうち円がとんでもなく売られて、価値を失うような時代が来るかもしれない、とも思っています。
あんまりネガティブなことを書くといろいろ問題なのでこのくらいにしておきます。

今はまだ捜索や被災された方の支援も進まない状態で、まずそれが何よりも最優先ですが、被災された方から見ると経済的な復興も大変な難問になっているはずだと思っています。

私自身も出来るお手伝いなどほとんどない状態ですが、せめて今やっている活動などを通して、微力ですが何かできれば、と思っています。

そういえば福島の原発の問題に地元のかたは、
「そもそも自分たちの地域は東北電力なのに、なんでこんなことになるの?」
というようなことをおっしゃっていました。
また一昨日東電の会長さんがやっと記者会見されていましたが、
東電や関係会社の社員や自衛隊、消防の関係者が何日も前からみな命がけで作業しているのに、今頃?という感じです。
ご心労はわかりますが、周辺の方はもちろん、一円の農家や漁業関係者、さらには部下である作業関係者の家族の心労を考えたら、??という感じです。

あと小名浜の建築会社の専務さんに無事でしたか?と連絡したら、
「あなたも無事でよかったね。私も大丈夫だったよ、ただうちのほうは近くの川が津波であふれて床下くらいまで水がきたよ。本町通りも水浸しで魚が跳ねていたね」と言っていました。
しかしよくよく聞いてみると彼は消防団に入っているのですが、その時も地震で家が壊れて挟まって動けなくなったご老人を救助しに行ったら、津波の第二波がきて腰まで水がきてしまって「死ぬかもしれない」と思ったそうです。

ほかにも第一波がおさまって、避難するために家に戻り荷物を運び出そうとしたら、第二波が来て荷物を全部放り出してダッシュで逃げてなんとか助かった、という方もいました。

ちなみに昨晩にニュースやっていましたが、いわき市の津波の高さは最大で9.2メートルだったそうです。
そのときに南三陸や陸前高田は15メートルというふうに言っていました。
15メートル、ビルの何階くらいでしょうか。想像を絶する高さです。

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三陸沖の地震、大丈夫でしたか? に参加中!

前日遅かったので、少し寝坊。今日は水産加工業者さんと打ち合わせや新規でHPを依頼したいという業者さんと面会がありました。
本来青春18きっぷでと思っていましたが、間に合いそうもなく急いで出発。
上野駅に着くと、ちょうど10時30分発フレッシュひたち間に合ったので、乗車。
水戸で降りて、ここから18きっぷ使用で12時13分発普通列車に乗車しました。
13時34分に泉駅着、今日はバスで直接うかがうことになっていたので、バスに乗り業者さんの会社に14時くらいに到着しました。

早速サイト、HP、アンテナショップの話などをしていましたが、しばらくすると常務さん(先方)の携帯が何度か鳴りました。
「あ、電話ですか?」
「いや、地震だ」
「??」
実は私は携帯の緊急地震速報を知りませんでした。
テレビなどで見ていると、最近よくこの速報があり、たまにはあまりたいした地震でない場合もあります。
このあいだも東北で地震があり、余震が続いていたのでその関係かな?などと思っていると、
警報どおり少し揺れ始めました。
すぐおさまるかな?と思っていると、結構大きく揺れ始めました。
「え?大きいぞ」
常務と私はすぐ会社の事務所から外へ出ました。

外へ出ても揺れはおさまらずどんどんひどくなってきました。
そのうち大きな振幅の横揺れに変わってきました。
これはもしかしたら相当大きな地震か?

などと思っていると、今度は急に激しい横揺れに変わってきました。
「ひやーっ」
ごぉ〜と地面が鳴るような音がしてきました。
ほとんど立っていられない状態になりました。

目の前にある和風の立派な民家もガシャガシャと音をたてて、上下にバウンドするように揺れ始めました。
地面のうなる音と、民家のバウンドする轟音があたりにひびきわたりました。
もしかしたらこの家は倒壊するのでは・・?

とんでもない大きな地震になってしまった・・。
その轟音と揺れがピークになったとき、目の前の家も大きくバウンドして屋根の瓦がバラバラと落ちて、下に止めてあった車に降りかかりました。
車のガラスが割れる音が響き渡りました。

と同時にやっと揺れはおさまりました。
「何があったんだ?」

ほとんど腰を抜かしそうでしたが、我に返り工場の裏側に様子を見に行きました。
となりのパチンコ屋さんの大きな屋根の一部も崩落していました。

常務さんは工場の状態を見に行き、ほかの従業員の方と片付けを始めました。
工場は壊れた物は少ないようですが、一部破損したものもあるようでした。

いっせいに町中のあちこちでサイレンがなり始め、目の前の呉羽の工場が火災になったみたいで煙がモクモクではじめました。
「これは大変なことになった・・」

「津波は大丈夫ですか?」
「どれくらいの地震だったんですかね?」
全く状況はわかりません。

「大丈夫だよ。ここは海から少しあるし、ここまでくるのは相当な津波だよ」

といわれていました。
いずれにしても私はこの辺の地勢などは全くわからないし、このあたりは小高いところは相当行かないとないので逃げようもありません。
工場の前の道には車が殺到してきて動かなくなりました。

海(小名浜港)からはだいたい1キロ半くらいだそうです。
地図( http://www.mapfan.com/m.cgi?MAP=E140.53.17.8N36.56.46.0 )
「大丈夫なんだろうか?」

とにかくどうにもならないので津波が届かないことを祈り、運を天にまかせました。

その時、隣のパチンコ屋さんに救急車が来て、しばらくすると発車していきました。
けが人が出たのでしょうか。

そのうち急に空に黒雲がたちこめ真っ暗になってきました。そして冷たい強い風が吹き始めました。
そして雪が降り始めました。
天気も急変したようです。

やっと従業員の方の車のラジオからニュースを聞くことが出来ました。
震源は宮城県沖、マグニチュード8.4
各地に大津波警報です。津波は10メートル以上です。
「え??」
これを聞いた常務たちもびっくり。
「10メートルだとここもくるぞ!」

と話していいると、また大きな揺れがおこりました。
余震です。かなりの揺れです。
町のサイレンもなりっぱなしです。

またしばらくすると大きな余震です。
「ガタガタガタ」

「なんでこんなことになってしまったんだ・・」
といってもはじまりませんが。


でもなぜかこの場所には津波はきませんでした。
「よかった。生きのびた・・」
本当に真剣にそう思いました。

その日からしばらくは、危険な上に当然列車も動いているはずもなく、常務さんの家に置いてもらうことになりました。

それから間断なく続く余震と、水が出ない毎日に悩まされ、やっと3/14の朝に津波注意報も解除されたので、東京に帰るために出発しました。
ところが燃料や渋滞、津波の恐怖の問題などもあり、タクシーは国道6号で日立方面に行くのは難しいようでした。

やっと行ってくれるタクシーがありいわきを出発しました。
運転手さんがいい方で、さらに水戸まで延長して乗せてくれました。

テレビではあまり触れませんが、国道6号線はいわきから水戸までは全部通行できるようです。

ただ磯原から高萩〜日立にかけては海岸沿いは津波にやられた家や町がそのままになっていて、今大きな地震があったらどうしようというような区間が続きかなり恐怖を感じます。
電気もまだのようで、おまけにガソリン渋滞も拍車をかけて渋滞が続きます。
磯原駅近くにはダイヤでいうと14時過ぎにいわきを出た普通電車がそのまま線路上で立ち往生していました。
地震と同時に停車したようです。

水戸まで約4時間。水戸も町はかなり被害を受けていました。立派な駅ビルも危険ですべて立ち入り禁止になっていました。
そこからつくばセンターまで2時間バスに乗り、計画停電の関係でつくばEXがないのでバスでひたち野牛久に。
そこで竜ヶ崎の知人の家に泊めてもらいました。

翌日バスで取手に。そこからやっと電車に乗れて、なんとか東京に帰ってきました。

この数日間のことは一生忘れない、というより忘れられないと思います。
置いてくれた常務さん一家、親切なタクシーの運転手さん、泊めてくれた竜ヶ崎の知人に感謝です。

早くの復興をお祈りいたします。そして守っていただいたことを忘れずに何かの時に、お手伝いできることはしていきたいと思っている次第です。

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