サイト運営者日記「ぶらぶらうだうだ・・」

「タウンクリニックドットコム」「時代文化ネット」などサイト運営をするアナログ脱サラ(いつのまにか・・)親父のブログの何でも日記風ブログです。

当ブログは2018年3月よりURLが、
http://blog.livedoor.jp/chikao1216/
から
http://burauda.blog.jp/
に変わりました。サブドメインのため旧URLでアクセスしてもリダイレクトしてアクセスできます。
また名前も「サイト運営者日記・ぶらぶらうだうだ」に変わりました。

内容は「時代文化ネット」制作者が運営する日記で特にテーマはありません。
日常のサイト活動などにおいて見聞きした内容や、現在の社会や自身の生活などを通して感じたことなどをそのまま記載する形にこのたびリニューアルしました。
現在の掲載記事は以前の「穴狙い千ちゃん〜」「ちかお日記」に掲載されている記事をそのまま残してあります。
旧記事は「改修前」のカテゴリになっていて、「人気」???と記載があるのは人気があるかどうかは知りませんが、自分でまあまあ気に入っていた記事です。

東北関東大震災

ブログネタ
.気になったニュース36 に参加中!

センバツもベスト4が一部決まってきました。スモールさんの久我山は残念でしたが地元の日大三高がベスト4に進出です。
その一方で震災の影響で開催が危ぶまれていた、春の東京都高校野球が本大会のみ開催されることになりました。
ブロック予選は中止になってしまったので、秋の新人戦の本大会進出の学校47校がそのまま同じメンバーで戦うことになりました。

我が母校・調布北高も登場します。秋の本大会は2回戦で敗れているのでなんとしても初戦を突破してくれればと思っています。
試合は4/4(月)に神宮第二球場で法政大高と対戦です。
手強い相手ですが健闘を祈っています。

そういえばプロ野球セリーグの開幕も結局、4/12に延期になりました。
情勢を考えれば当然のことと思いますが、それが決定したときの記者会見で
「選手たちの気持ちを汲んで、延期することにしました」
と言っていたのを聞いて、お客さんや世の中の情勢はどこにいったの?
と思ってしまいました。
自家発電設備でも自分で開発して、試合やれば!
という感じです。ずれてるのもここまでくるとあきれてしまいます。
おまけに早期開幕を主導していたのがどうも、某報道機関の球団ということで(スポーツ紙などの報道によれば)、・・・です。

3/11を境に日本は変わってしまったのだから認識を新たにしてほしいものです。
あまり悪口は書きたくありませんが、あまりにびっくりしたので書いてしまいました。

かわってしまったといえば、地震の影響の話になりますが、
先日駅でタバコを買おうとしたら、売店のおばちゃんが
「たばこが注文しても全然来なくてこまってるんだよね」とのこと。

その晩にある方と食事をして聞いてみたらどうもJTの工場が福島や栃木にあり、加工や原料の問題もありしばらく製造中止になるようだとのことでした。
製造を再開しても今までどおりの生産や輸送は難しく、本当に品薄になる見込みだそうです。

考えてみれば私が地震にあってしまった小名浜の水産関係は津波で壊滅的な被害にあわれていて、今の避難状態だけでなくこの先どう商売をしたらいいのかが全くメドが立たない状態に追い込まれてしまっている状況ではないかと思っています。
今回このような状態の町は岩手〜茨城まで日本、特に首都圏の台所を担っていた主力の漁港がほとんどそうなっている状態と思われます。

たとえば小名浜で加工している水産物も多くは宮城県沖などの良好な漁場で採れた原料に多くを依存しています。
中でも気仙沼、石巻、塩釜、大船渡など首都圏で販売されている大衆的な水産加工品の大部分を製造していところで、
今後普段当たり前のように食べていた食品が当分はほとんど手に入らなくなる可能性が高いと思っています。

これは漁業のみではなく原発の問題も考えれば、すべての食材や製品に影響がでてくるのではと危惧しています。
さらにこの電力不足です。

そしてこれから大きな問題として、米の生産が出来るかどうかという問題も浮上しそうです。

今は円高ですがそのうち円がとんでもなく売られて、価値を失うような時代が来るかもしれない、とも思っています。
あんまりネガティブなことを書くといろいろ問題なのでこのくらいにしておきます。

今はまだ捜索や被災された方の支援も進まない状態で、まずそれが何よりも最優先ですが、被災された方から見ると経済的な復興も大変な難問になっているはずだと思っています。

私自身も出来るお手伝いなどほとんどない状態ですが、せめて今やっている活動などを通して、微力ですが何かできれば、と思っています。

そういえば福島の原発の問題に地元のかたは、
「そもそも自分たちの地域は東北電力なのに、なんでこんなことになるの?」
というようなことをおっしゃっていました。
また一昨日東電の会長さんがやっと記者会見されていましたが、
東電や関係会社の社員や自衛隊、消防の関係者が何日も前からみな命がけで作業しているのに、今頃?という感じです。
ご心労はわかりますが、周辺の方はもちろん、一円の農家や漁業関係者、さらには部下である作業関係者の家族の心労を考えたら、??という感じです。

あと小名浜の建築会社の専務さんに無事でしたか?と連絡したら、
「あなたも無事でよかったね。私も大丈夫だったよ、ただうちのほうは近くの川が津波であふれて床下くらいまで水がきたよ。本町通りも水浸しで魚が跳ねていたね」と言っていました。
しかしよくよく聞いてみると彼は消防団に入っているのですが、その時も地震で家が壊れて挟まって動けなくなったご老人を救助しに行ったら、津波の第二波がきて腰まで水がきてしまって「死ぬかもしれない」と思ったそうです。

ほかにも第一波がおさまって、避難するために家に戻り荷物を運び出そうとしたら、第二波が来て荷物を全部放り出してダッシュで逃げてなんとか助かった、という方もいました。

ちなみに昨晩にニュースやっていましたが、いわき市の津波の高さは最大で9.2メートルだったそうです。
そのときに南三陸や陸前高田は15メートルというふうに言っていました。
15メートル、ビルの何階くらいでしょうか。想像を絶する高さです。

ブログネタ
三陸沖の地震、大丈夫でしたか? に参加中!

前日遅かったので、少し寝坊。今日は水産加工業者さんと打ち合わせや新規でHPを依頼したいという業者さんと面会がありました。
本来青春18きっぷでと思っていましたが、間に合いそうもなく急いで出発。
上野駅に着くと、ちょうど10時30分発フレッシュひたち間に合ったので、乗車。
水戸で降りて、ここから18きっぷ使用で12時13分発普通列車に乗車しました。
13時34分に泉駅着、今日はバスで直接うかがうことになっていたので、バスに乗り業者さんの会社に14時くらいに到着しました。

早速サイト、HP、アンテナショップの話などをしていましたが、しばらくすると常務さん(先方)の携帯が何度か鳴りました。
「あ、電話ですか?」
「いや、地震だ」
「??」
実は私は携帯の緊急地震速報を知りませんでした。
テレビなどで見ていると、最近よくこの速報があり、たまにはあまりたいした地震でない場合もあります。
このあいだも東北で地震があり、余震が続いていたのでその関係かな?などと思っていると、
警報どおり少し揺れ始めました。
すぐおさまるかな?と思っていると、結構大きく揺れ始めました。
「え?大きいぞ」
常務と私はすぐ会社の事務所から外へ出ました。

外へ出ても揺れはおさまらずどんどんひどくなってきました。
そのうち大きな振幅の横揺れに変わってきました。
これはもしかしたら相当大きな地震か?

などと思っていると、今度は急に激しい横揺れに変わってきました。
「ひやーっ」
ごぉ〜と地面が鳴るような音がしてきました。
ほとんど立っていられない状態になりました。

目の前にある和風の立派な民家もガシャガシャと音をたてて、上下にバウンドするように揺れ始めました。
地面のうなる音と、民家のバウンドする轟音があたりにひびきわたりました。
もしかしたらこの家は倒壊するのでは・・?

とんでもない大きな地震になってしまった・・。
その轟音と揺れがピークになったとき、目の前の家も大きくバウンドして屋根の瓦がバラバラと落ちて、下に止めてあった車に降りかかりました。
車のガラスが割れる音が響き渡りました。

と同時にやっと揺れはおさまりました。
「何があったんだ?」

ほとんど腰を抜かしそうでしたが、我に返り工場の裏側に様子を見に行きました。
となりのパチンコ屋さんの大きな屋根の一部も崩落していました。

常務さんは工場の状態を見に行き、ほかの従業員の方と片付けを始めました。
工場は壊れた物は少ないようですが、一部破損したものもあるようでした。

いっせいに町中のあちこちでサイレンがなり始め、目の前の呉羽の工場が火災になったみたいで煙がモクモクではじめました。
「これは大変なことになった・・」

「津波は大丈夫ですか?」
「どれくらいの地震だったんですかね?」
全く状況はわかりません。

「大丈夫だよ。ここは海から少しあるし、ここまでくるのは相当な津波だよ」

といわれていました。
いずれにしても私はこの辺の地勢などは全くわからないし、このあたりは小高いところは相当行かないとないので逃げようもありません。
工場の前の道には車が殺到してきて動かなくなりました。

海(小名浜港)からはだいたい1キロ半くらいだそうです。
地図( http://www.mapfan.com/m.cgi?MAP=E140.53.17.8N36.56.46.0 )
「大丈夫なんだろうか?」

とにかくどうにもならないので津波が届かないことを祈り、運を天にまかせました。

その時、隣のパチンコ屋さんに救急車が来て、しばらくすると発車していきました。
けが人が出たのでしょうか。

そのうち急に空に黒雲がたちこめ真っ暗になってきました。そして冷たい強い風が吹き始めました。
そして雪が降り始めました。
天気も急変したようです。

やっと従業員の方の車のラジオからニュースを聞くことが出来ました。
震源は宮城県沖、マグニチュード8.4
各地に大津波警報です。津波は10メートル以上です。
「え??」
これを聞いた常務たちもびっくり。
「10メートルだとここもくるぞ!」

と話していいると、また大きな揺れがおこりました。
余震です。かなりの揺れです。
町のサイレンもなりっぱなしです。

またしばらくすると大きな余震です。
「ガタガタガタ」

「なんでこんなことになってしまったんだ・・」
といってもはじまりませんが。


でもなぜかこの場所には津波はきませんでした。
「よかった。生きのびた・・」
本当に真剣にそう思いました。

その日からしばらくは、危険な上に当然列車も動いているはずもなく、常務さんの家に置いてもらうことになりました。

それから間断なく続く余震と、水が出ない毎日に悩まされ、やっと3/14の朝に津波注意報も解除されたので、東京に帰るために出発しました。
ところが燃料や渋滞、津波の恐怖の問題などもあり、タクシーは国道6号で日立方面に行くのは難しいようでした。

やっと行ってくれるタクシーがありいわきを出発しました。
運転手さんがいい方で、さらに水戸まで延長して乗せてくれました。

テレビではあまり触れませんが、国道6号線はいわきから水戸までは全部通行できるようです。

ただ磯原から高萩〜日立にかけては海岸沿いは津波にやられた家や町がそのままになっていて、今大きな地震があったらどうしようというような区間が続きかなり恐怖を感じます。
電気もまだのようで、おまけにガソリン渋滞も拍車をかけて渋滞が続きます。
磯原駅近くにはダイヤでいうと14時過ぎにいわきを出た普通電車がそのまま線路上で立ち往生していました。
地震と同時に停車したようです。

水戸まで約4時間。水戸も町はかなり被害を受けていました。立派な駅ビルも危険ですべて立ち入り禁止になっていました。
そこからつくばセンターまで2時間バスに乗り、計画停電の関係でつくばEXがないのでバスでひたち野牛久に。
そこで竜ヶ崎の知人の家に泊めてもらいました。

翌日バスで取手に。そこからやっと電車に乗れて、なんとか東京に帰ってきました。

この数日間のことは一生忘れない、というより忘れられないと思います。
置いてくれた常務さん一家、親切なタクシーの運転手さん、泊めてくれた竜ヶ崎の知人に感謝です。

早くの復興をお祈りいたします。そして守っていただいたことを忘れずに何かの時に、お手伝いできることはしていきたいと思っている次第です。

↑このページのトップヘ