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三陸沖の地震、大丈夫でしたか? に参加中!

前日遅かったので、少し寝坊。今日は水産加工業者さんと打ち合わせや新規でHPを依頼したいという業者さんと面会がありました。
本来青春18きっぷでと思っていましたが、間に合いそうもなく急いで出発。
上野駅に着くと、ちょうど10時30分発フレッシュひたち間に合ったので、乗車。
水戸で降りて、ここから18きっぷ使用で12時13分発普通列車に乗車しました。
13時34分に泉駅着、今日はバスで直接うかがうことになっていたので、バスに乗り業者さんの会社に14時くらいに到着しました。

早速サイト、HP、アンテナショップの話などをしていましたが、しばらくすると常務さん(先方)の携帯が何度か鳴りました。
「あ、電話ですか?」
「いや、地震だ」
「??」
実は私は携帯の緊急地震速報を知りませんでした。
テレビなどで見ていると、最近よくこの速報があり、たまにはあまりたいした地震でない場合もあります。
このあいだも東北で地震があり、余震が続いていたのでその関係かな?などと思っていると、
警報どおり少し揺れ始めました。
すぐおさまるかな?と思っていると、結構大きく揺れ始めました。
「え?大きいぞ」
常務と私はすぐ会社の事務所から外へ出ました。

外へ出ても揺れはおさまらずどんどんひどくなってきました。
そのうち大きな振幅の横揺れに変わってきました。
これはもしかしたら相当大きな地震か?

などと思っていると、今度は急に激しい横揺れに変わってきました。
「ひやーっ」
ごぉ〜と地面が鳴るような音がしてきました。
ほとんど立っていられない状態になりました。

目の前にある和風の立派な民家もガシャガシャと音をたてて、上下にバウンドするように揺れ始めました。
地面のうなる音と、民家のバウンドする轟音があたりにひびきわたりました。
もしかしたらこの家は倒壊するのでは・・?

とんでもない大きな地震になってしまった・・。
その轟音と揺れがピークになったとき、目の前の家も大きくバウンドして屋根の瓦がバラバラと落ちて、下に止めてあった車に降りかかりました。
車のガラスが割れる音が響き渡りました。

と同時にやっと揺れはおさまりました。
「何があったんだ?」

ほとんど腰を抜かしそうでしたが、我に返り工場の裏側に様子を見に行きました。
となりのパチンコ屋さんの大きな屋根の一部も崩落していました。

常務さんは工場の状態を見に行き、ほかの従業員の方と片付けを始めました。
工場は壊れた物は少ないようですが、一部破損したものもあるようでした。

いっせいに町中のあちこちでサイレンがなり始め、目の前の呉羽の工場が火災になったみたいで煙がモクモクではじめました。
「これは大変なことになった・・」

「津波は大丈夫ですか?」
「どれくらいの地震だったんですかね?」
全く状況はわかりません。

「大丈夫だよ。ここは海から少しあるし、ここまでくるのは相当な津波だよ」

といわれていました。
いずれにしても私はこの辺の地勢などは全くわからないし、このあたりは小高いところは相当行かないとないので逃げようもありません。
工場の前の道には車が殺到してきて動かなくなりました。

海(小名浜港)からはだいたい1キロ半くらいだそうです。
地図( http://www.mapfan.com/m.cgi?MAP=E140.53.17.8N36.56.46.0 )
「大丈夫なんだろうか?」

とにかくどうにもならないので津波が届かないことを祈り、運を天にまかせました。

その時、隣のパチンコ屋さんに救急車が来て、しばらくすると発車していきました。
けが人が出たのでしょうか。

そのうち急に空に黒雲がたちこめ真っ暗になってきました。そして冷たい強い風が吹き始めました。
そして雪が降り始めました。
天気も急変したようです。

やっと従業員の方の車のラジオからニュースを聞くことが出来ました。
震源は宮城県沖、マグニチュード8.4
各地に大津波警報です。津波は10メートル以上です。
「え??」
これを聞いた常務たちもびっくり。
「10メートルだとここもくるぞ!」

と話していいると、また大きな揺れがおこりました。
余震です。かなりの揺れです。
町のサイレンもなりっぱなしです。

またしばらくすると大きな余震です。
「ガタガタガタ」

「なんでこんなことになってしまったんだ・・」
といってもはじまりませんが。


でもなぜかこの場所には津波はきませんでした。
「よかった。生きのびた・・」
本当に真剣にそう思いました。

その日からしばらくは、危険な上に当然列車も動いているはずもなく、常務さんの家に置いてもらうことになりました。

それから間断なく続く余震と、水が出ない毎日に悩まされ、やっと3/14の朝に津波注意報も解除されたので、東京に帰るために出発しました。
ところが燃料や渋滞、津波の恐怖の問題などもあり、タクシーは国道6号で日立方面に行くのは難しいようでした。

やっと行ってくれるタクシーがありいわきを出発しました。
運転手さんがいい方で、さらに水戸まで延長して乗せてくれました。

テレビではあまり触れませんが、国道6号線はいわきから水戸までは全部通行できるようです。

ただ磯原から高萩〜日立にかけては海岸沿いは津波にやられた家や町がそのままになっていて、今大きな地震があったらどうしようというような区間が続きかなり恐怖を感じます。
電気もまだのようで、おまけにガソリン渋滞も拍車をかけて渋滞が続きます。
磯原駅近くにはダイヤでいうと14時過ぎにいわきを出た普通電車がそのまま線路上で立ち往生していました。
地震と同時に停車したようです。

水戸まで約4時間。水戸も町はかなり被害を受けていました。立派な駅ビルも危険ですべて立ち入り禁止になっていました。
そこからつくばセンターまで2時間バスに乗り、計画停電の関係でつくばEXがないのでバスでひたち野牛久に。
そこで竜ヶ崎の知人の家に泊めてもらいました。

翌日バスで取手に。そこからやっと電車に乗れて、なんとか東京に帰ってきました。

この数日間のことは一生忘れない、というより忘れられないと思います。
置いてくれた常務さん一家、親切なタクシーの運転手さん、泊めてくれた竜ヶ崎の知人に感謝です。

早くの復興をお祈りいたします。そして守っていただいたことを忘れずに何かの時に、お手伝いできることはしていきたいと思っている次第です。