ブログネタ
鉄道 に参加中!

昭和時代の鉄道全盛期時に大活躍した急行列車の変り種やつわものを思い出してみました。
参考は昭和48年時刻表です。キロは営業距離です。

これから私見ですが5列車ほど順番にとりあげてみたいと思います。今回は第4位です。

ニセコ3号
この列車は不思議な列車で、上り下りともまったく異質な列車といってもいいでしょう。

上りニセコ3号 根室ー函館間(釧路ー札幌間は季節運転)
当時のファンの間では有名だった列車です。車両は気動車で、何といっても全国でも指折りの長距離急行でした。

8時30分に根室を出発、釧路には11時着。釧路から根室本線をひた走り滝川から函館本線に。
18時02分に札幌、小樽を経て山線経由で終点函館には何と23時05分着でした。

走行距離は815キロにおよび、時間は14時間35分にもなりました。

昭和48年時刻表では釧路ー札幌間は季節運転になっていましたが、当時は長距離急行の変り種として話題になった列車です。

この列車がなぜニセコという愛称だったのかは理解に苦しむところもありますが、当時は函館から札幌方面の山線経由の急行はニセコ、海線経由はすずらんというふうに分けられていたのではと思います。
複数の列車の集合体というところでしょうか。

ただ本当に根室や釧路方面から札幌以遠に用事がある場合は有効な列車のひとつだったといえるかもしれません。
というのも特に冬は顕著ですが、当時の北海道の道路事情はきわめて悪く列車で行くしかない状況が容易に想像できるからです。

私も以前鉄道で北海道を何回か回りましたが、その当時は稚内から札幌や釧路方面から札幌以遠はバスなどもほとんどなく、列車が安価なうえに一番便利な手段だったと記憶しています。
今は大幅に改善しているとは思いますが・・。

下りニセコ3号 函館ー札幌間
こちらはオーソドックスな山線経由の列車でしたが、この3号だけの大きな特徴がありました。

それは客車列車だったということです。
車両運用の都合もあるのでしょうが、昼間の定期列車の急行で客車列車は昭和48年でも珍しい存在になっていました。

私は昭和51年に松本ー大阪間のちくま1号という客車急行に乗りましたが(名古屋ー大阪間は新幹線に乗ってしまいましたが・・)季節運転のうえ、12系になっていました。

このニセコはずっと昔ながらの旧型客車で運行していたようです。

そしてオールドファンには懐かしい、あのSL牽引だったそうです。

私は実際に乗車したり、撮影したりの経験は全くありませんが、文字通りニセコ越えに挑む雄姿を撮影しにファンが通ったというような記事を雑誌でよくみかけました。

いつまでSLが引いていたのかは私自身は知りませんが、昭和40年代に入っても続いていたようです。

このへんはあまり詳しくないので、詳しい方がいたら教えていただきたいと思っています。

昭和59年頃に北海道に行ったときも函館ー札幌を夜行で往復したのを憶えていますが、何に乗車したかはもう忘れてしまいました。
夏場でどの列車もひじょうに混雑していたのは憶えています。

私はそのころの定番だった北海道ワイド周遊券を使用しましたが、そのような旅行者が大量にあふれていてどの列車も座れないことが多く、床にかばんを置いてそれを枕にして寝ていました。

その時も道内だけで夜行列車に7〜8回(7〜8泊)は乗車しました。
でも同じ条件で同年代の人ばかりで男も女もなくけっこうその場限りの友達ができ、すごく楽しかったのを憶えています。

いまや北海道も列車でまわること自体至難の業になりつつあります。