サイト運営者日記「ぶらぶらうだうだ」&レトロ中心鉄道のコラボサイト

「タウンクリニックドットコム・時代文化ネット」を運営をするアナログ管理人の日記&趣味のレトロ中心の鉄道のコラボサイトです。

(最新更新日:2024年3月16日 掲載日:2008年11月19日)

2008年にスタートした「アナログなサイト管理人日記」と「レトロ中心の鉄道サイト」のコラボサイトです
特急はくたか豪画像1・越後湯沢駅

趣味のレトロ中心の鉄道の話題を中心に、サイト管理人が以前勤めていた証券など金融、競馬、野球などテーマにこだわらない雑感や日記を綴ったコラボサイトです。サイト管理人は2007年から地域情報サイト「タウンクリニックドットコム」を立ち上げ、2014年頃から同時並行で独自の文化資料やテーマ等で文化記録を目指す「時代文化ネット」の運営管理者です。(実は超アナログ人間ですが・・・)

当サイトの本文中の画像、文言等は諸法律に沿って使用しております。またタイトル画面は埼玉県幸手市権現堂(本人が撮影:2012年4月)。またすぐ上の写真は越後湯沢駅に停車中の特急はくたか号(本人撮影:2013年3月)。いずれも無断での転載、転用をかたく禁じます。


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大阪

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スモールさんの八尾の記事を見て、またパクり気味ですが・・

八尾といえば、もうかれこれ20年前の夏を思い出します。

後輩と一緒に大阪に行くことになり、

後輩が勤めている会社の営業車で迎えに来ました。

ちょうど台風が来ていて、とんでもない暴風雨の中、夜の10時頃に出発、中央道に。

彼は「運転好きなので大丈夫ですよ」と言い、台風の中をひたすら運転。

ほとんど休みなく、120キロくらいで進み、

なんと夜中の2時くらいに大阪に到着。

彼の実家は八尾、
といってもこの時間なので、日本バルカーの工場に入り込み車で朝まで仮眠しました。

翌朝、彼の実家に行くとお父さんがむかえてくれました。

家は裕福ではなく、どこかの事務所風の建物の2階の間借りの借家で、一部屋と台所、玄関の踊り場というような感じでした。

彼には弟がいてプロボクサーでした。

大阪、特に南部や河内地方の少年はたいてい野球選手になるのが夢で、
それがかなわないとボクサーやお笑いへというのがパターンといわれています。

ボクサーであは赤井、井岡、亀田など・・
お笑いのジミーちゃんも高校までは野球少年だったそうです。

彼も八尾など河内地区では野球でならしていたそうで、同じ区域の桑田は同級でよく試合などであったそうです。
彼にいわせると、桑田や一つ下の野茂などは当時から化け物級の存在だったそうです。

彼も天理高校などから誘いがあったそうですが、家庭の事情で公立校にすすんで、高校以降は野球はやめてしまったそうです。

さてお父さんが、
「よう来てくれたね、泊まっていくか?」
みたいな事をいいました。

すると彼は
「泊まるとこはあるの?」

なんでそんなこと聞くのかな?
と思っていると、

お父さんは、
「いやあ、昨日あいつ(弟)にな、領地を取られてな、今は玄関までやられてな・・、そのうち玄関もやられて追い出されるかもな・・」

????

彼は
「そうか、それじゃ無理だな。よそにするわ」

「千○さん、聞いての通りだから、ほかさがそうや」

なんだ?なんだ?

聞いてみると、この家では常に家の中で領地争いが起きていて、今は弟がどんどんお父さんの領地を侵攻して、ついに玄関以外をすべて制圧してしまったとのこと。

つねに稼ぎやなんやらで、勝負が行われ、代償で家の中を支配しているそうです。

その日は王将でご飯を食べ、私の狭山のおばさんの家に二人で泊めてもらいました。

おばの家には女の子の従兄弟がいたのですが、彼のワイルドな感じが気に入ったのか、3人で一晩中話していました。

八尾、そんな町でした。

☆☆☆☆☆

先日偶然NHKの番組『日曜美術館』で有名な建築家のヴォーリズの特集をやっていました。

有名な方で日本のレトロな洋館を数多く作った方ということでした。
私は全然知らなかったので、新鮮な気持ちで拝見しました。 神戸女学院や関西学院、山の上ホテルなどが有名らしく、ビックリしたのは私の家から結構近くいつも車窓から見ていた、日本獣医生命科学大学(旧獣畜大)の一部の校舎もヴォーリズの作品であることを知りました。

また彼はメンタームの近江兄弟社の生みの親でもあるそうで、これも当然初めて知りました。

 テレビで彼の建築の様式を紹介していたのを見て、大阪の祖父の家を思い出しました。
それはその家にあった、洋間があまりにヴォーリズの作品の洋室の雰囲気と似ていたからです。

祖父は最初は港湾関係の会社だったので大阪港近くに住んでいて、そのうち西成区の天神ノ森というところに居を構えました。
かなりの大家族だったのですが、私の父が東京に転勤になりひと家族出て行き、またひと家族出ていき人数が減り、ほどなく豊中の上野というところに引っ越しました。
私も天神ノ森の家のことはほとんど憶えていません。

豊中の家は関西にはよくある溜め池のほとりにあるかなり古い家でした。
対岸は東豊中という地域でそこそこの住宅街でした。
いつも祖母が池の向うに(現在ははぐれ刑事純情派でお馴染みの)藤田まことさんが住んでいるといっていました。
当時は関西の喜劇役者だったと思います。

家の話にもどりますが、家の周りは船板塀といって、関西の家ではよく見られる、船の甲板の板を塀にした頑丈な囲いで中もほぼ純和風でした。
長い縁側があり、雨戸も木でいつも夕方は雨戸を閉めるのに大変でした。
また井戸もあって、すいかを冷やしたりするのに使っていましたが、大阪は水がきれいではないので、決して飲むことはありませんでした。
風呂も五右衛門風呂だったのを憶えています。夕方になると祖父が薪をくべていました。

そして問題の洋室ですが、そんな純和風の家には似つかわしくない、レトロではありますがおしゃれな洋室で、祖父母の寝室に使っていました。
当時和風な臭いというのは、どこに行ってもありましたが、その洋室は独特な香りがして、不思議な空間でした。

私が就職するころまでは、祖父母はそこに住んでいましたが、体が大変で三田の叔母の家に同居してしまい、晩年はずっとそこですごしました。

祖父が亡くなる少し前に阪神大震災があり、大阪とはいえ伊丹とすぐ近いこの地域はけっこう被害を受けて、家が一部壊れてしまいました。

祖父が亡くなり、形見分けするというので父代わりに久々に豊中の家に行きました。
地震のあとそのままにしていたので、家具が倒れていたり、壁に亀裂が入っていたりしていましたが、家はまだしっかり建っていました。

その時にやはりあの洋室が気になって、というよりあの香りを嗅ぎたくて部屋に入ると、少しカビ臭かったですが、あの香りはしっかり残っていて『よかった』と思ったのを憶えています。

結局その後家ごと取り壊してしまいましたのでそれっきりです。

私自身いろいろと転々と住んでほとんど故郷や幼なじみとなどとは無縁です。
一番長かった埼玉の住宅も最近久しぶりに行ってみたら住宅ごと取り壊されていたことを思うと、あの古くさい洋室の臭いや、井戸のポンプの音、木の雨戸を一斉に閉める音など今でも出来ることなら、もう一回聞いたり、嗅いだりしてみたい、と思いました。

ヴォーリズの特集はそんな記憶をよみがえらせてくれて感謝しています。

機会があったら近江八幡や五個荘も今度行ってみたいと思います。船板塀と洋館と両方観に行きたいと思います。

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