サイト運営者日記「ぶらぶらうだうだ・・」

「タウンクリニックドットコム」「時代文化ネット」などサイト運営をするアナログ脱サラ(いつのまにか・・)親父のブログの何でも日記風ブログです。

当ブログは2018年3月よりURLが、
http://blog.livedoor.jp/chikao1216/
から
http://burauda.blog.jp/
に変わりました。サブドメインのため旧URLでアクセスしてもリダイレクトしてアクセスできます。
また名前も「サイト運営者日記・ぶらぶらうだうだ」に変わりました。

内容は「時代文化ネット」制作者が運営する日記で特にテーマはありません。
日常のサイト活動などにおいて見聞きした内容や、現在の社会や自身の生活などを通して感じたことなどをそのまま記載する形にこのたびリニューアルしました。
現在の掲載記事は以前の「穴狙い千ちゃん〜」「ちかお日記」に掲載されている記事をそのまま残してあります。
旧記事は「改修前」のカテゴリになっていて、「人気」???と記載があるのは人気があるかどうかは知りませんが、自分でまあまあ気に入っていた記事です。

地震

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自然現象全般(気象、地震など何でも) に参加中!

久しぶりです。

今日の午後道を歩いていたら、東南東方面(千葉方面)に白い小さな竜巻上の縦長の雲が見えました。

あまりに変わっているので、気になり、ネットで調べると、

なんと地震雲のひとつの種類の画像にそっくりでした。

先日のアウターライズ地震から間もないタイミングです。

気をつけて・・

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地震。。。 に参加中!

先日このブログでもリンクで紹介した、東日本大震災をある程度感知していたとされるブログ「地震くるみる」 (個人で地震予知を研究されている方の日記)では、まだ日本においてもかなり大きな地震の発生を警戒されているような感じの記事が続いています。

そんな中皆さんご存知だと思いますが、今度は先日トルコで大地震が発生しました。
内陸型で建物が多数倒壊して大きな被害になっているようです。

建物の様子などを見ていると相当な揺れだっとのではと思います。

私は阪神大震災は経験しませんでしたが、親戚が殆ど関西にいるのであの地震の3ヵ月後に見舞いも兼ねて関西を訪問しました。
最初は別の用事があったので特に被害はなかった大阪狭山でしたが、次に宝塚と三田(住所は北区鹿の子台ですが)の親戚に行きました。

そのとき車で宝塚(といっても雲雀丘です)から三田まで車で向かう途中は完全に倒壊したままの家などがそのままになっていて大変驚きました。

目の前で見るとテレビなどで見る印象とはまったくちがうショッキングな情景でした。

当時幸いにも三田の家は大丈夫で、宝塚の家は多少の被害を受けたようです。
一番被害があったのは甲子園にいた親戚で、たしか屋根が落ちて怪我をされたというようなことを聞きました。

また元実家があった豊中(といっても伊丹空港の近くです)は大阪府ですがかなり被害を受けていました。
当時はもう空き家でしたが、数年後に用事で家の中に入ると2階などは外側からもわかるような亀裂が入り、中の家具が倒れて鏡などは割れていました。

トルコではまだ救助が続いているようですが、生還者が多くいらっしゃることを祈っています。

そんなこんなで地震のことをまたいろいろ考えるようになってしまいました。

たびたびブログ内でもふれていますが、私地震も今回たまたまいわき市小名浜で震災に遭ってしまいました。

あの時3月15日にやっと東京に戻ってきて数日後に「3月11日の日記」という題でそのことを書きました。
内容的には大部分は地震にあうまでの経緯と地震前後の様子を中心に書きました。

その後のことは諸事情もありあまり詳細は書きませんでした。

一部は正確に憶えていませんが、その後のことをここで思い出してみたいと思います。

地震後に、
「どうやって帰るの?」と言われ
どの程度の状況か当時まったくわからない状態だったので、取引先の事務所の固定電話で必死に何回もダイヤルして地元のビジネスホテルになんとか連絡をつけましたが、
「休業しております」「電話に出ない」など泊まれる、泊まれない以前の状況のようでした。

頼み込んでその取引先のご自宅に何とかなるまで、いさせていただくことになりました。

ただご主人はそれどころではなく、まず破損した工場の片付けや、水が止まってしまったので水の確保に走っていました。

津波は小名浜では浸水したのは一部を除いては海岸から1キロ前後のところまでしか浸水しなかったようです。
後で調べてみたり、地元の人に聞いたところでは私がいたところは地震発生と同時に火災になった道の向こうの大きな工場のおかげで来なかったとのことです。
工場が盾のような感じになったようでした。

ご主人の車に同乗して家に向かう途中も道は大きく隆起して、電柱も傾いているものが多かったのを憶えています。
ただ全部が倒壊しているような家はなかったと思います。

家に着いても10〜20分に一回くらいは「ガタ、ガタ、ガタ」
と余震が襲いました。当日はほぼ一晩中そのような状態が続き、多分被災地域の人で無事だった人も眠れた人は殆どいなかったのではと思います。
余震は多くはだいたい震度3〜4くらい?という感じでした。

皆急に地震に見舞われたので、そのような備えをしている人はやはり少ないと思いますが、地方なのでそれなりに備蓄のある方が多いようで近所や知人などと協力して水や食料の確保につとめているようでした。

ただお世話になった家でも夕方の段階でまだ全員と連絡がついていないようでした。

高校生の息子さんがまだ帰ってきていないようでした。

その高校は小名浜と永崎というところの間の小さな岬のようなところの高校のようでした。

実際に後で動画の記録で見たのですがもちろん小名浜も大きな被害を受けましたが、永崎以北はさらに大変な被害があったようです。

その家にはその地区に家がある親戚もすでに避難してきていて、第一波のあとに家に戻ろうとしたらさらに大きな第二波に見舞われ危なく流されるところだったと言っていました。
足くらいまで水につかったと言っていました。

ちなみにネットでだれかが撮影したいわき市永崎の津波の様子の動画がありましたので、参考までに。
http://player.video.search.yahoo.co.jp/video/8c1aa2030109ebeb26ee2df4d1385aea?p=%E3%81%84%E3%82%8F%E3%81%8D%E5%B8%82%20%E6%B4%A5%E6%B3%A2&b=1&of=&dr=&st=&s=&pd=&ma=&rkf=1&from=srp

そして夜前くらいに親戚などはほぼ無事が確認できたようでした。

幸い電気は回復していたのでその後はひたすらテレビをつけっぱなしの状態で、皆ある食料で食事をして、こたつを囲んで一晩をすごしました。

私も家の人に「遠慮しないで食べてね」
とは言われましたが、この先どういう状態がどれくらい続くかもわからないので、遠慮してしまい殆ど食事には手をつけませんでした。

お茶だけはなぜか地震直後に破損したパチンコ屋の自動販売機が稼働していたので、一本買ってありましたのでそれをチビチビ飲んでいました。

ところが夜から朝にかけてのニュースなどを見ると、とんでもない状態になっていることがだんだんわかってきました。
「いつ東京に帰れるのだろうか」

仕事の期限などもありましたが、それ以上に家族と地震直後の固定電話以来まったく連絡が取れなくなっていたので津波には遭わなかったことも連絡できていませんでした。

でもテレビなどではるかに深刻な状況になっている地域がたくさん放映され、これぐらいの状況であれば自分のことは自分で何とかするしかないんだということを自覚しました。

翌日はスーパーの買出しを手伝いました。
後で聞いたら東京も同様だったようですが、パニックが起きて食料の争奪戦がおこっていました。

レジに約2時間くらい並びました。当然水や米などは皆無です。
並んでる時も比較的大きな余震があり店の屋根からぶら下がっている大きなガラスがゆれました。
店員はあわててガラスの下にいる人をその場所からずれてもらうように誘導していました。

この先どうなるだろう?本当に心配になってきました。

家に帰ると落ちた瓦の掃除を手伝いました。落ちた分だけでなく、緩んでいる物もすべてはずしてしまわないと危険なのだそうです。
屋根に上っている人から屋根の横にはしごで登り、瓦を受け取り、下の人に渡す役をしましたが、そのときも余震が起こったらどうしようとかなり恐怖でした。
幸い作業中に余震はありませんでした。

その晩大きな余震がありました。震度5でした。
本震ほどではありませんが、恐怖感が残っていて思わず飛び出しそうになりました。

またその日の午後福島第一原発で爆発事故が起きました。
現地のみならずいわき市あたりでも放射能漏れの恐怖も襲いました。
当時はまだどの程度の事故かまったくわからない状態だったので、比較的近い地域の人は皆同じように思われたと思います。

大津波警報はなかなか解除されませんでした。
そのとき地元の知人が言っていたのですが、津波はずっと押し引きを繰り返し続いていたようで、翌日の明け方まで続いていたようです。
ネット動画などで津波の様子が流れていますが、実際には救助など関係の人以外は海岸近くには一切近寄れない状態が翌々日くらいまで続きました。

その時聞いた話では、私がサイトなどでも掲載している水産関係の飲食施設などはほとんど全滅状態とのことでした。
安否の話もまったくわからないようでした。
皆自分の身内の安否を確認するのが精一杯だったようです。

そして問題はいつ電車が動くかということでした。
JR常磐線はいわき以北はとてつもない被害を受けたようでした。電車や駅が津波に流されているニュースなどもやっていました。
いわきから水戸の間のことはテレビなどではほとんど触れませんでした。

結局取手以北でも1ヶ月近く、水戸以北はさらに数週間不通だったようです。

3月13日の段階ではどうにもならなくて当たり前だったようです。

しかもこれに加え、計画停電のニュースが流れ、さらに交通手段が制約されることになりました。

3月14日の朝、とにかく東京に向けて出発することにしました。
帰り方はわかりませんでしたが、むこうの家の人は、
「福島空港で臨時便が出るニュースをやってたから、タクシーでいけるところまで行って避難所で泊まって空港まで行ってみたら。キャンセル待ちみたいだけどね」
と教えてくれました。

そうするしかないかな、とも思いましたが、ニュースでやってるということは相当の人たちが押しかけているに違いないし、キャンセルなんて出るのだろうか?
とも思い、国道6号線が通じているかわかりませんが、このルートは逆に北に行く必要もないし、もしかしたら水戸まで行ければ何とかなるかもしれないと思いそちらのルートで帰ることに決めました。

そして以前にも書きましたが、家の固定電話を借りてタクシー会社に片っ端から電話をして交渉をしました。

燃料不足、渋滞、北茨城付近の津波被害がすごくまだ海岸沿いは危険などの状況で、なかなか交渉は成立しませんでした。

「一社だけ日立までならいいよ」という会社があらわれました。
よかった!

とにかく1キロでも東京に近づきたい気持ちでした。

タクシーに乗るとけっこう順調に進みました。

6号バイパスから勿来で6号に入り、海沿いに入りました。
実際のところはわかりませんが見た目には勿来は想像していたほどの被害には見えませんでした。

ところがそこから北茨城の大津港、磯原と進むとすごい光景に豹変しました。

特に海岸沿い付近は家が何軒も連続して完全につぶれている状態のところもありました。
また流れてきた材木のようなものなどがそこらへんじゅうに散乱しているところもありました。
目をおおうような光景です。

またいわきは地震後すぐに電気は回復しましたが、こちらは皆停電しているようでした。

そして3/11日記に書いたように駅間の線路上に電車が停車したままでした。かなり海岸に近いところで地震と同時に停車したようでした。
乗客は皆電車を降りて避難したのでしょうか。

しばらく行くと6号線はようやく海岸沿いから離れました。
少しほっとしました。この日もタクシー乗車中に茨城で震度5の余震がありました。

高萩から日立もみな停電していました。信号が消えていて大きな交差点には警官が出ていました。

東京も含め当時ガソリンスタンド渋滞というのが発生していて、この地域も買出しとGS渋滞でいたるところで大渋滞が起こっていました。

「日立に着くけど、どうする?」
「水戸までなんとかお願いできませんか?」
「いいよ、このさいだから。困っているみたいだしね」

ありがたい言葉でした。
私を乗せた運転手さんは元は東京の人で、たまたまいわきに長年勤めそこで退職したのでまだ働こうということで現地でタクシーの運転手をはじめたようです。

また渋滞の中で6号線を進みました。
よく見るとこのあたりも揺れは相当ひどかったようで、数メートルもあるような神社の大きな石碑がそのまま倒れていたり、国道沿いの石塀が100メートルくらいにわたって全部倒れているところもありました。

ひたちなかからバイパスに入ると国道も道が数十センチ単位で隆起して大変な状況でした。
なんだかんだでやっと水戸に到着しました。
水戸駅の近くで車を降りました。時間は12時すぎ。小名浜を出発して約4時間くらい経っていました。

水戸の町は静まり返っている感じでした。
パッと見では大きな被害に見えませんでした。

まず泊まるところを確保しようと重い荷物を抱え駅西側のホテル街を歩いてまわりました。
ところがよく見ると皆玄関や入口のアプローチなどが大きく破損していて、人の気配はありませんでした。
思っている以上に水戸の町も地震で被害を受けていることがわかってきました。

結局ホテルどこも休業しているようでした。

「まずい」
それで駅を越えてターミナルのほうへ行こうとしました。
ところが水戸駅は立ち入り禁止になっているようでした。
水戸駅は最新の駅ビルが完成して、自由通路や陸橋で駅の両側が結ばれていましたが、大きく破損して危険な状態になっているとのことでした。

反対側まで歩くしかありませんが、駅の地図によると「千波湖」の方の橋まで線路を渡るところはないようです。
これが歩いてみると大変な距離でした。
約30分かけて反対側の中心街のほうに着きましたが、そこはさらに厳しい状態でした。

駅前のビルはガラスが割れたビルがたくさんあったようで歩道のいたるところが立ち入り禁止になっていました。

まず宿泊施設をさがしましたが、先程同様まったくだめでした。
タクシーの運転手に聞いたら15分くらいの知り合いの旅館はやっているよ、と親切に調べてくれました。
ただ木造というのを聞いて、正直このときは頑丈な建物でないと泊まる気分にはなれませんでした。

交番に相談に行くと、
「それならこの近くの三の丸小学校というところに避難所があるからそこに行ってくれ」といわれました。
最終的にはそうするしかないと覚悟しました。

まだ寒かったので野宿出来るような状態ではありませんでしたし、かなり衰弱していたので危険だと思ったからです。

ただ幸い水戸は水が一部出始めていて、トイレにはいることができました。

いわきではトイレは自宅でタンクに貯めた水で流す以外は屋外のトイレはすべて閉鎖されていました。
そういうこともあり人の家のトイレを使うのは気が引けて、ずっと我慢していました。

そしてもしかしたら路線バスを乗り継いで土浦あたりまでいけるかもしれないと思い、ターミナルで調べてみました。
しかし地域の路線バスは動き始めていましたが、友部までが精一杯のようでした。

最後の望みをかけて携帯の残り少ないバッテリーで茨城の知人に電話をかけてみました。
と、なんと出てくれました。
ただ彼もガソリンが入手できなくて、牛久あたりまでしか出られないとのことでした。

話の中で「つくばに行く臨時バスは出てる」というと。
それなら「つくばから牛久方面にまたバスがあるはずだからもし大丈夫だったらもう一回連絡してくれ」
とのことでした。

まだつくばのバスは間に合う時間でした。

あわてて今度はタクシーで反対側にまわり、つくば行きの臨時バスに乗ることにしました。
「何時間くらいかかりますか?」
「そうね、だいたい3時間くらいはかかるよ。下道だし渋滞がひどくてね」
「トイレは?」
「ないからここで済まして」
と言われました。

あまり何日も用を足していなかったうえに、食べ物もほとんど食べていなかったので、小用だけ足して乗車しました。

バスはどれくらい乗っていたのかあまり記憶がありません。乗ったらとにかく眠くて熟睡してしまいました。
考えてみたらこの3日間合計しても何時間くらい寝たのでしょうか。

つくばに着くと運良くひたち野うしく行のバスに乗ることができました。
つくばから都心へのつくばエクスプレスは計画停電でこの日は午前中しか運転していませんでした。

やっと首都圏に帰ってきました。
もう夕方の6時をまわっていました。

そこから車で龍ヶ崎の知人の家に泊めてもらいました。
このあたりもかなり地震もひどかったのと、水もやっとこの日に出始めたとのことでした。

カレーを出してもらいましたが、あまりの空腹と衰弱で体調が悪く残してしまうような状態でした。

翌朝彼の通勤と一緒に出るので、朝5時半過ぎに出発、関鉄の龍ヶ崎駅まで田んぼ道を約40分歩きました。

そこからバスで取手に出るとのことでした。

地震の影響で取手からの常磐線はまだ不通でした。本当だったらバスで佐貫に出るのだそうです。

バスは出発からほぼ満員でした。取手行きはこの後午前10時くらいまでないそうです。

佐貫、藤代とバスは進みましたが途中であふれるくらいの人がバス停にいましたが、途中からは満員通過になってしまいました。
私も立っていて大きな荷物があったのですがどうにもならないくらいの混雑でした。
あの人たちはいつになっらバスに乗れたのだろうか、今でも気になっているくらいです。

バスは約1時間で取手に着きました。
今度はふだんでも混雑するので有名な常磐線です。
常磐線は取手から先は牛久付近から先で線路が大きく破損したそうで当分開通できない状態のようでしたが、
取手以南は地震の被害は少ないので開通していましたが、計画停電の関係で各駅停車は運休、快速も約30分毎という乗客数からしたら考えられないような間引き運転でした。

電車も取手でほぼ満員でした。
天王台、我孫子、柏、松戸と駅に着くたびに並んでいる人たちだけで満員になるような人数の乗客が駅にあふれていました。

体が一ミリも動かせないくらいの状態で北千住に到着、たまらず降りてしまい、日比谷線へ。

日比谷線はなぜかそれなりの本数を運転しているうえ、逆に計画停電の関係ですべて始発でした。
おかげで座ることもでき、恵比寿までずっと日比谷線で行きました。

間引きのない山手線、中央線を乗り継ぎやっと東小金井に到着しました。
家に着いたのはお昼少し前くらいでした。

家に帰り固定電話で家族や親戚に無事の連絡しました。
皆ほっとされているようでした。

ふだん私たちはいろいろなサービスを当たり前のように使ったり、受けたりしています。
今回それがどれくらいありがたいものなのかを身にしみて感じることができました。

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地震。。。 に参加中!

最近このような話ばかりで恐縮ですが、
一昨日ねずみが近くの道路で1匹車にはねられているのを見かけました。

妻によると他にももう1匹そのようなねずみを見たそうです。

数日前にヤフーニュースで岐阜県でいのししが9匹道路を走ってきて車と衝突した話が出ていました。

ここに転居して十年以上経ちますが、今までねずみのこのような姿を見たことは一度もありませんでした。

私は専門知識もありませんし、あおるようなこともしたくはありませんが、偶然かもしれませんが動物の異常行動が数多く出たときは自然災害に注意が必要だと思っています。

先日もみみずやカエルが地上や路上に出ているのを見かけると、決まって数日内にそこそこの規模の地震がありました。

また今夏で特に感じているのは、虫や鳥が異常に少ないことです。
原発事故の遠い影響かもしれませんが、カラスや羽虫さえも最近はあまり見かけません。

これってうちの近くだけなのでしょうか?

そういえばここ数日に限ればセミの声も聞かないし、だからといって秋の虫の声もあまり聞きません。

この間行った山陰は台風直後でしたがセミがたくさん鳴いていました。また東京(この近辺)でも数日前まではかなりセミの声を聞きました。

東日本大震災やその後の余震によって、うわべ上は大丈夫そうな建物でもそれなりのダメージを受けている可能性もあります。

私は専門知識だけではなく、人より抜けた第六感や霊感もありません(多分)ので、このくらいにしておきますが、
倒れやすい家具対策や水や非常食の確保はしておこうかな、と感じました。

とにかく困るのは水です・・。
トイレが一番問題ですが、ほかにもいろいろな問題がおきます。
たとえば手を洗えない・・、などです。手を洗えないとひじょうに困ることがわかりました。

あとティッシュなどのちり紙やレジ袋などの袋類も無いとひじょうに困ります。

それから外出時には特にですが、携帯電話の充電器も重要です。大地震の時は携帯電話はほとんど使えなくなります。
それではなぜ充電器をというのは、
実は夜中に携帯メールが通じる時間帯があったからです。
ところが電池切れになるリスクがこわくて最低限の連絡も出来ない状態になりました。
そして携帯の電源が切れると人の連絡先の電話番号自体がほぼ全部わからなくなってしまいます。
また電源さえあれば、交通関係など情報をとるのにも役立ちます。

今や公衆電話は化石と化しましたが、テレホンカードなども役に立つかもしれません。

食料はレトルトと缶詰がきわめて有効です。水分と塩分と栄養を同時に摂れて、しかも冷蔵や調理をしなくてもそのまま食べられます。
またチョコレート、ビスケットなどのお菓子類もかなり有効です。チョコレートは2切れくらい食べれば半日以上もちます。
飲み水は常備しても限界があるので、ロングライフの牛乳やペットボトルのお茶も合わせるとバランスもよくなります。

ちなみに以前このブログで大震災を事前に予測したと本で紹介されたブログ「地震くるみる」は今晩になって”相当な警戒の記事”を掲載していました。

警戒しすぎということはない話なので、気をつけなければ、と思います。

ただどうしたらいいのか?とか仕事の行き先も日々変わるので難しい話ではありますが・・。

いずれにしてもまずは何も起きないことを祈っています。

☆☆☆☆☆☆☆

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日々の出来事 に参加中!

先日の地震予知の話にご紹介した、東日本大震災を事前に察知したというブログをその後も継続して見ていますが、まだかなり警戒しているようです。

そのような話を読んだので、ヤフーの天気情報の中の地震情報で今年の大震災以降の余震を含む国内の有感地震がどれくらいあったのかをざっと調べてみました。

ヤフーのデータは過去5000件まで閲覧できるようになっています。1ページが100件で50ページまでという内容ですが、3月11日の東日本大震災は先週末現在ですでにもう42ページ目になっていました。

ということはそれ以降国内で有感地震が4000回以上観測されているということになります。調べたわけではありませんが、文明が発達して以来はこんな現象は初めてかもしれないのではと思っています。

また東日本大震災の前に三陸沖で3/9と3/10にそこそこの規模の地震があり、3/11の明け方くらいまでは同じ地域で小規模な地震が連続して続いていたようですが、あの本震の前だけは6〜7時間国内で有感地震はなく文字通り嵐の前の静けさのようだったみたいです。

余震が続いた後、急に静かになった時も注意なのかもしれません。

スマトラの時も大雑把な記憶ですが、本震後の数年以内に相当な規模の地震が何回か起こったのを憶えています。

今回の震災は一部地域の断層などの関係で起こったのではなく、地球レベルの原因で起こったというような分析が出ていますし、その規模もとてつもないものであるということですのでしばらくは警戒が必要かもしれませんね。

といってもどういうふうに警戒したらいいのかは難しいところです。いつも安全な場所にいるわけにもいきませんし。

ただ先日の動物の異常行動などはかなり信ぴょう性が高そうですから、虫や鳥、動物などを急に見かけなくなったり、異常な行動をするのを見たら注意したいと思います。

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.気になったニュース37 に参加中!

金曜日の出来事です。

朝の9時半くらいでしたか、お客さんとのアポがあり準備をしていた時のことです。
何か外が騒がしいように思いました。

犬がやたら吠えています。

「わんわんわわん、わん、わん」
誰か人が通ったりして吠えているのかな、と思っていました。
しばらく5分くらい吠えていたら、静かになりました。

そしてまた5分くらいたったころ、

「わんわんわわん、わん、わわん、わんわん」
また始まりました。
特に車や人がいる感じではないようです。
「カアー、カアー、カアー」
今度は烏も鳴き始めました。
犬も先程よりはるかに激しく吠えています。
「わんわんわわん、わん、わぉーん」

と、部屋のサッシが「ガタガタ」と音をたてはじめました。
「ガタガタガタッ」
地震です。
揺れは大きくはありませんが、少し長そうです。

しばらくして揺れはおさまりました。

それにしても実際のところはわかりませんが、なぜ犬と烏が鳴いたのか・・

地震がおさまったあとは犬も烏もまったく静かになりました。

地震は茨城県などで震度4で大きな地震ではありませんでしたが、マグニチュードは5.8でそこそこの規模のようでした。

たまたまかもしれませんが動物たちは地震を感知して騒いだのでしょうか?

単にその地震を予知した話であればいいのですが、また大きな余震が起きたりしないことを願っています。

私:「君たちは地震がきそうなので鳴いてたの?」
「わんわんわわん、わん、わん」
「カアー、カアー、カアー」

私:「君たちは僕に地震がくるのを教えてくれたの?」
「わんわんわわん、わおーん、わん、わん」
「カアー、カアー、カアー」

私:「君たちは予知能力があるの?」
「わんわんわわん、わわん、わおーん」
「カアー、カアー、カアー」

動物語がわからないので真相は謎のままです。

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