ブログネタ
鉄道 に参加中!

JTB時刻表平成24年3月ダイヤ改正号
表題のように久しぶりにJTBのダイヤ改正の時刻表を買いました。(写真)

何年振りでしょうか?

今回の改正はかなり大掛かりでJRの方向性が大きく見えてくるようなものと感じました。
すでに他の詳しい方のつくるサイトなどで情報は得ていますし、多くの方はご存知だと思うので詳細はそのようなサイトやニュースをご覧になればと思います。

そのようなサイトやJRの案内でも周知されていますが、今回周遊きっぷのかなりのゾーンが3月いっぱいで販売中止になります。

周遊きっぷは前身はいわゆる周遊券です。
これはオールドファンのみならず、以前は一般の方にも広く知られていたきっぷです。

自分で作ったオーダーメイドの旅行ルートをそのまま綴りのきっぷにしてしまうという形です。
これがこのきっぷの原型で、当初は一般周遊券といわれていました。

・旅行の条件としては国鉄(当時)を201キロ以上利用すること。
・同じ駅に戻ってくること。
・国鉄の指定する周遊指定地(観光地)を2ヵ所以上まわること。

などが主な条件でした。もちろん料金も割引になりました。

これに当時は一般的だった国内新婚旅行用に「ことぶき周遊券」というものも販売が行われました。
これは国鉄を601キロ以上利用、原則グリーン車(1等車)を利用する形です。

また同時期くらいに、均一周遊券というきっぷが発売されました。
これが今の周遊きっぷの原型です。

一般周遊券は決められたルートでしかも人によって皆違うプランです。
いちいち作成していると大変効率が悪いばかりか、旅行者も自由に現地で行ったり来たりができないという不便がありました。

そこである地域の鉄道や国鉄バスをフリーパスにしてしまうという、旅行者にも販売側にもたいへん効率のいいきっぷが発売されました。

これは学割もきき、当時はどこに行っても走っていた急行列車の自由席に乗り放題だったのもあり、大好評だったようです。

特に北海道周遊券は20日間くらい北海道の鉄道がすべて乗り放題で、夏休みなどを使い鉄道で北海道をまわる旅行者が急増して、社会現象になるほどだったようです。

私の中学の時の教師もその思い出を学校で懐かしそうに語っていました。

大きなリュックを背負い、列車の通路をヨコ歩きする。いわゆる「カニ族」という旅行者です。
皆ほとんどが携行品に寝袋があり、「駅ネ」という、いわゆる駅の待合室や軒下で一晩過ごすというのも流行りました。

当時は北海道の鉄道はまだまだかなり残っていて、多くの路線で普通にSLが走っていたことや、異国的な風景を眺められるというのも魅力のひとつだったのではと思います。

これは鉄道好きとかそういう次元を越えた当時の若者の登竜門のひとつであったのではと思っています。

均一周遊券はその後ワイド周遊券と名前が変わりました。

この頃にちょうどミニ周遊券というのも発売がはじまりました。
これは均一周遊券のように大きなゾーンではなく、一部の人気ゾーンに絞り込んだフリーパスでした。

今回販売が中止になる周遊きっぷの多くのゾーンはこのミニ周遊券が原型になっているのではと思います。

私が旅行に興味をもちはじめたころは、まだ一般・ことぶき周遊券があり、均一周遊券という名前のころでミニ周遊券が発売になったばかりの頃だったと記憶しています。

特に出張族などに多用されていたのが、京阪神と東京のミニ周遊券でした。
両地域のいわゆる国電区間が7日間すべてフリーパスになるのに、料金は往復の料金程度でしたので重宝されて当然かもしれません。

そのあと一時期ですが、一般周遊券の煩雑さをかいしょうするためか、ルート周遊券なるものが登場しました。
これは人気ルートがあらかじめ綴りになっているきっぷで、オリジナリティーはありませんが、使い勝手がいいうえ、ルート上の私鉄や民営バス、ケーブルカーなどのきっぷまでセットになっていました。

特に当時売り出しになったばかりの「立山黒部アルペンルート」や「萩、津和野、秋芳洞方面」のルート周遊券は人気だったようです。

これはあまり広く知られていませんでしたが、萩津和野方面のルート周遊券はルート旅行用のきっぷでありながら、当時人気だった同地域のミニ周遊券とほぼ同じ地域が乗り放題になる機能もついていて、有効期間も長いことから一部の人たちの間では大好評だったようです。

そんなこんなで全盛期には社会にも深く浸透していた周遊券も、JR民営化の後は衰退の一途をたどることになってしまいました。

民営化での分割が一番大きな理由であると思われますが、急行列車の衰退や、青春18きっぷの登場などもその要因のひとつかもしれません。

私個人は、高校時代に信州周遊券、大学時代に北海道周遊券、信州周遊券、北近畿ワイド周遊券などを利用して旅行をした記憶があります。
また大学のサークル活動で信州に民話の調査に行ったときも皆で信州周遊券を使いました。

信州周遊券
当時まだこの地域の路線は旧型国電という戦前製の車両などがたくさん走っていました。

高尾から中央線で小淵沢にでて、小海線の旧型ディーゼルカーで小諸へ、さらに篠ノ井経由で松本に折り返してそこから戦前車両の宝庫といわれていた大糸線にのり木崎湖に行きました。

そして次は松本から中央西線で当時ブームだった木曽路に行きましたが、中央線はまだ現役でユーミンのアルバムでも有名な「流線型80」いわゆる初代の湘南電車が走っていました。
車両は2ドアで昔の客車と同じで、ニスの匂いがする車両ですが、日本の鉄道に革命をもたらしたといえるくらい登場時はもてはやされた車両が都落ちして走っていました。

そして最後は飯田線です。
この線は戦前の京阪神鈍行のエースだった流線型のクモハ52など旧型電車の博物館といわれるくらいの線区でした。

天竜峡で天竜下りに乗ったり、何度か乗り換えて辰野から豊橋まで乗りとおしました。
クモハ52も途中の交換で眺めることができました。

北海道周遊券
上野から急行十和田で、さらに函館からまた夜行と、夜行列車、駅の待合室、友達の下宿泊を繰り返し、14日ほど行っていましたが旅館には一回も泊まりませんでした。
今は廃止になった勇網線や深名線、広尾線、名寄本線などにも乗車しました。

また台風の影響を受けましたが、青函連絡船に生まれてはじめて乗ることもできました。
(その後も結局2回しか乗りませんでしたが・・)

鉄道旅行を楽しむというよりは、友人と一緒だったので、向こうで知り合いをつくったり、サバイバル旅行を楽しんだという感じでした。

北近畿周遊券も京都と鳥取が自由周遊区間に入っていて、当時残っていた普通列車の夜行列車・山陰号を宿替りに2回も乗車しました。また当時は日本でも有数の旧型客車鈍行が走っている路線の山陰線の客車列車にも多数乗ることができました。

その後勤めてからは周遊券を使うような長期の大掛かりな旅行をすることがなくなり、ほとんどご無沙汰していました。

ところが一昨年の秋に実家の法事の関係で金沢に行った時、他のサイトの用事もあり特殊なルートになるので、どうしても周遊きっぷのほうが便利だったので、周遊きっぷの富山・高岡ゾーンというのを利用しました。

品川駅のびゅうプラザで、他のきっぷと一緒に周遊きっぷを組んでもらいましたが、大体1時間くらいかかってしまいました。
女性の駅員さんが担当してくれましたが、嫌な顔ひとつせずに対応していただき本当に感謝しています。

でも実際に買って利用してみると、この煩雑さは本当にお互いの効率を悪くするばかりなので、廃止の方向もやむをえないのかもしれませんね。

このようなニーズのある人は観光客などには考えられないし、ほんの一部の人に限られると思いますし・・