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昭和時代の鉄道全盛期時に大活躍した急行列車の変り種やつわものを思い出してみました。
参考は昭和48年時刻表です。キロは営業距離です。
私見ですが5列車ほど順番にとりあげてみたいと思います。
盛り上がらないままついに第1位です。

大社号
栄光?の第1位は急行大社号です。

この列車は意味不明、複雑怪奇、何のために?どのような経緯で運行が始まったのかきわめて理解に苦しむ列車です。
それくらい変り種で、ほかに類似したパターンの列車は昔も今も存在しないと私は思っています。
また一部編成は途中山間部のスイッチバック等ではないのに三回も方向転換するというところも変り種のひとつです。

とにかく国鉄、JR史上まれに見る異色列車であったと思っています。

運行は名古屋・金沢〜出雲市(下りは大社まで)
運行内容を下り列車で説明すると、
列車は全9両編成ですが、1〜5号車は金沢始発、6〜9号車は名古屋始発です。
車両は当時のキハ58などの一般急行型の気動車です。(形式は明確にわかりません・・)

・金沢発
朝の9時20分に金沢を列車は出発します。北陸本線を走り、敦賀に11時11分着、ここで名古屋発の列車と合流、併結されます。

・名古屋発
金沢発より一足早く、9時10分に出発します。東海道線で米原に10時19分に到着、ここで第1回目の方向転換をします。
10時25分に発車して北陸本線で敦賀に。金沢発より先の11時02分に到着して金沢発の編成を待ちます。

・敦賀から併結
名古屋からの編成はここで第二回目の方向転換になります。
敦賀から併結され9両の長い編成になった大社号は11時28分に敦賀を発車します。
ここからは小浜線に入ります。そして東舞鶴から舞鶴線で一駅の13時09分に西舞鶴に到着します。

西舞鶴からは宮津線に入ります。そして15時18分に豊岡着です。
ここでまた再度名古屋編成は第三回目、金沢編成は第一回目の方向転換をします。
豊岡を15時18分発で、ここからは一路出雲地方を目指し、山陰本線に入ります。

・途中で編成をスリムに
列車は山陰本線をひた走り16時54分に鳥取に到着します。
するとここで金沢からの編成のうち1・2号車を切り離してしまいます。

7両編成になって出発して18時32分に米子着です。
ここでさらに金沢からの残りの編成3・4・5号車も切り離してしまいます。
ということは金沢方面から乗車して米子以遠に行く人はここで名古屋からの編成に乗り換えなければならなくなります。

そういうお客さんがいたらの話ですが・・

そして5両編成になった大社号は19時41分に出雲市に到着します。
ここで急行列車としての運行は終わりになり、普通列車として大社線に入り119時56分に終点の大社に到着します。
名古屋から延々10時間46分の旅がここで終わります。

上りも全く同様ですが、始発は大社ではなく出雲市になっています。

なぜこんな列車が、誰が乗るの?
ここが一番不可解なのですが、思うに昔は成田さんとか、創価学会の富士宮詣とか大きな神社、仏閣、宗教団体などは全国に信者が散らばっているのでそのような人たちの参詣用に始まった列車なのではと想像します。
成田さんなどは今でもそのような列車が臨時ですが多数運転されています。

たとえばなぜ宮津線なのか?というのも、この間ツアーで山陰を回ったときに丹後地方は出雲地方の文化が広く浸透していて家のつくりなどでもその名残が残っているとガイドさんが説明していました。
つまり信者が比較的多い地域を通るためにわざわざ遠回りしてでも運行するというかんじなのかも知れません。

またこの付近は天橋立など著名な観光地もあり、金沢や名古屋からだとこのダイヤであれば観光列者としても使えたのではと思います。

あとは地域都市間の輸送列車としての役割も担っていたのでは思います。
ひとつの運用で金沢ー敦賀、名古屋ー米原〜敦賀。敦賀ー小浜・舞鶴、豊岡ー鳥取ー米子ー松江ー出雲などです。
長距離運転なので相当な数の都市間輸送に対応できるのではと思います。

そして下りは出雲市から大社までの大社線の通勤通学用帰宅用の普通列車としても機能します。

参詣列車としての当初の目的があるとすれば、少なくとも往路にあたる下りは大社まで行かないと意味がなくなるので下りのみ大社行きというのもうなずけます。

逆に上りは出雲始発で、大社発ではありませんが、これは運行距離が長く朝に出発しなければならず、朝イチで大社からの帰りの参詣客が乗車するニーズはほとんど無いと想像できるのでこれも納得できる話です。

大社線はすでに廃止になりました。前述のツアーで出雲大社にも行きましたが、大社に到着寸前に廃止になった大社駅の堂々たる駅舎をバスの車窓から眺めることができました。
国の重要文化財になっているそうです。

大社号という名前でありながら上りは大社からではなく出雲市発というこの変り種列車ですが出雲大社自体日本の神社の代表格であり、出雲市発着というだけでも十分大社号と名乗ってもいいくらいなのかもしれませんね。

結局主体になっていた名古屋編成は昭和57年に廃止されてしまいました。

その後は金沢編成も含め、一部区間だけ別列車に分割されてしまいましたが、全国的な急行列車の衰退や小浜線電化の流れで派生的に残っていた部分も廃止されてしまいました。

こんな列車が今も存在したら結構楽しいですし、それが逆に目玉になって人が集まるかもしれないと、私はそんなふうに思います。