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火曜日の夜、いつもお世話になっているシステム会社の人と荻窪で食事をしました。
毎月私のお客さんのところで集金しているので、そのお金を渡すということもあるのですが、単に飲みに行きたいというパターンになっています、
最初はいつものように花屋で料理もろくに注文せずに飲みまくっていたのですが、そのうち酔いが回ってきて、
先日キャンディーズのスーちゃんが亡くなったのもあり、カラオケに行こうということになりました。
年初も同じパターンで八幡山で電車がなくなってしまっても歌って、タクシーのお世話になりました。
今日はそんなことはないように・・、と思っていたのですが、
またまた電車の時間を通り過ぎてしまい、今度は私は大丈夫だったのですが、相手の方は歩いて帰る目にあわせてしまいました。
申し訳ないと思っています。
カラオケを出る、少し前くらいに、LAT.43°N(北緯43度)という歌がどうしても歌いたくなって、入れましたが、
曲名でさがすと、最近りばいばるさせた歌手のしかなくて、入れてみるとスローなバラード調にアレンジされたものでした。
どうしても本家本元が歌いたくて、歌手名で探そうとしたのですが、
ドリカムの名前を度忘れしていて、どうしても思い出せなくなってしまいました。
「うーん??」
年のせいなのですか、どうしても思い出せません。
数分くらい考えて、やっと思い出しました。
この歌自体、私は知らない歌でした。
もう20年近く前ですが、ある女の子が、一緒に飲んだ時に歌ってくれたことで初めて知りました。
私は当時何年も付き合った女性と別れたばかりでした。
私を知る人はよくご存知だと思いますが、女遊びをするというタイプ、いわゆる軟派では全くないのですが・・、
まだ若かったので、さみしくて、だれか一緒にいてくれる女性を求めていたのかもしれません。
当時学生時代の友人が結婚をする前に、彼と彼女と私の三人で、新宿で飲むことになりました。
最初は三人で仲良く飲んで楽しい一時でしたが、だんだん酔ってくると、
彼と彼女と二人きりで話し込むことが多くなってきました。
だんだんつまらなくなってきました。
私も相当酔っていたので、つむじがまがってきました。
ふと、横を見ると、三人組で飲みに来ている若い女の子のグループがいました。
途中の記憶が飛んでいるので、そのあとのいきさつは覚えていないのですが、
気が付くと私はその娘たちのテーブルで飲んでいました。
たしか三人とも二十歳くらいで、
普通だとこんな酔っ払いのあやしいお兄さん(当時は)が乱入してきたら、「こわーい」とか「きもい」
とか思われてしまうところですが、なぜかわかりませんが、彼女たちはよほど退屈していたのか、
私を受け入れてくれました。
ほかの二人はあまりどういう娘か記憶がないのですが、一人だけそのグループで中心になっていた娘が気になりました。
「まどか」と皆が呼んでいました。
そのまま一緒に飲んでいると、
友人のカップルが
「俺たち帰るけど、お前は?」
と言ってきましたが、少し不愉快に思っていたのもあり、
「じゃあな、俺はまだいるから」
とそのまま彼女たちと一緒に飲んでいました。
結局朝まで飲んで、明け方にファーストフードで食事をして別れました。
本来はそれだけの話なのですが、
なぜか家に帰ってみると、まどかという娘の連絡先だけ残っていました。
しばらくはそのまま生活していて、記憶も薄れてきましたが、
そのうちまた一人でいると、さみしくなってきました。
「そういえば・・」
私はその「まどか」に連絡してみようと思い、電話してみました。
彼女は秋葉原の大きな電気屋さんで店員をやっていました。
「また会えないかな?」
185%断られると思っていると、
「いいわよ」
意外にもあっさりOKでした。
彼女は伊豆七島の出身で故郷の友人なども紹介してくれて、
一緒に飲みにいくこともありました。
一緒に飲みに行くと明け方まで、限界まで飲みました。
一度荻窪で飲んだとき、二件目で日之出街という西口の古い飲み屋街の中の、地下のパブのような店に行った時に
彼女が歌った歌が、「LAT.43°N」でした。
実はドリカムが歌っていたと知ったのは、それから十年くらい後のことです。
誰の歌かわからないけど、いい曲だな、とその時感じて、
それから誰が歌っているのか、なんという曲なのか、など調べた時期もありましたが、まったくわかりませんでした。
その歌を歌った日は彼女は飲みすぎて、街中でしゃがみこんでしまうほどでした。
私は彼女が年の離れた妹みたいに思えて、えらそうに人生相談ではありませんが、お兄さんみたいな感じで話していました。
彼女は当時彼氏がいたのですが、うまくいっていないのかある時電車が無くなった時間にいきなりアパートに電話をかけてきて
「今から行ってもいい?」
と言いました。
来てみると、やはり彼氏とうまくいっていないような話を繰り返ししていました。
その晩もずっといろいろと話していました。
皆そういうのってあると思いますが、話が続く人とそうでない人ってありますが、その娘とはなぜか話が続きました。
なんとなく、もしかしたら・・
と思っていたころ、たまたま会社の同期の人から、合コンみたいな集まりをするのに人数が足りないから来てくれといわれ、
行ってみると、そのメンバーに今の妻がいました。
私も勝手な話になりますが、自分がさみしいというのもありましたし、さらには家庭環境も急変や自分の身辺もいろいろな問題をかかえていたので、
結婚自体あきらめかけていたころだったので、思い切って今の妻に
自分の状況をありのままに説明して、モーションをかけてみました。
これも絶対断られるだろうな、と思ったのに、
意外にもとんとん拍子で話が進んでいきました。
その最中もよく彼女(まどかさん)とは電話で話したりしていました。
もちろん結婚を前提にお付き合いをしている、ということは秘密にしていました。
でもクリスマスか何かの日に、たまたま妻が部屋に来ていたときに、
彼女から電話がありました。
「わたしもスキーの板とウェアー買ったの。行こうよ」
前々から私がスキーが好きだという話をしていたので、やっと買って電話をしてきたのだと思います。
「いや、今ちょっと、実は俺結婚するかも知れないんだ」
とそのまま言ってしまいました。
彼女はすぐ電話を切り、それから現在にいたるまで一度も話すらした事もありません。
よく別れた後も抵抗なくそういうことをできる相手って、いると思いますが、
その状況や相手との接し方によるものなのだと思います。
きざっぽく言えば苦い青春の1ページの記憶になりました。
それから数年後、奇しくも荻窪に勤めることになり、行きつけのスナックの女の子がこの歌を歌ってくれました。
この店は今でもありますが、お客が何時間も来ない時もあり、当時貸し切り状態で、店の女の子と世間話をしながら歌い放題という状態でした。
こちらが頼んだわけでもないのにこの歌を歌ってくれました。
それでドリカムの歌ということを知りましたが、酔っていたので曲名まで聞くのを忘れてしまい、
これを調べるのも大変でした。
長々とくだらない話を読んでいただいた方には頭が下がります。
ただ誰でも人生の転機のような瞬間ってあると思うんです。
そのときにその記憶を一番象徴するのって、音楽だったすることってよくあると思います。
結局結婚してくれた妻にもいろいろなことで大きな苦労を背負わせてしまいました。
あのとき「LAT.43°」の歌にほれ込んで、うまくいくかもわからないけど、もうひとつの選択にチャレンジしていたらどうなっていたのでしょうか?
あっさりその場で振られていたかもしれませんね・・。
男女関係に限らず人の気持ちや好意をかけてくれる人たちに正面から向き合って、少しは応えられるように成長した自分になっているのでしょうか?
当時とあまり変わっていない、いいかげんな自分が大勢を占めているような気がします。