サイト運営者日記「ぶらぶらうだうだ」&レトロ中心鉄道のコラボサイト

「タウンクリニックドットコム・時代文化ネット」を運営をするアナログ管理人の日記&趣味のレトロ中心の鉄道のコラボサイトです。

(最新更新日:2024年4月10日 掲載日:2008年11月19日)

2008年にスタートした「アナログなサイト管理人日記」と「レトロ中心の鉄道サイト」のコラボサイトです
特急はくたか豪画像1・越後湯沢駅

趣味のレトロ中心の鉄道の話題を中心に、サイト管理人が以前勤めていた証券など金融、競馬、野球などテーマにこだわらない雑感や日記を綴ったコラボサイトです。サイト管理人は2007年から地域情報サイト「タウンクリニックドットコム」を立ち上げ、2014年頃から同時並行で独自の文化資料やテーマ等で文化記録を目指す「時代文化ネット」の運営管理者です。(実は超アナログ人間ですが・・・)

当サイトの本文中の画像、文言等は諸法律に沿って使用しております。またタイトル画面は埼玉県幸手市権現堂(本人が撮影:2012年4月)。またすぐ上の写真は越後湯沢駅に停車中の特急はくたか号(本人撮影:2013年3月)。いずれも無断での転載、転用をかたく禁じます。


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ダイヤ改正

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いよいよ明日はJRダイヤ大改正です。

巷の話題はのぞみ300系の引退、寝台特急日本海と夜行急行きたぐにの廃止がメインになっているようです。
16日の指定券などは発売と同時に売り切れたようです。

本当に用事のある人には災難ですが(一昨年に急遽親戚のお葬式に行くのに北陸の券が取れなくて大変でした・・)

あとはあさぎりのJR371系、小田急の車両ともに廃止になるのも話題のようです。
先週仕事で真鶴に行く時にロマンスカーに乗ったら、沿線はカメラを持ったファンを線路際でたくさん見かけました。

この中でさみしく消えたり、大幅に減らされる車両もあります。

それは国鉄時代から活躍していた車両たちです。

一番は飯田線で単独で運用されていた119系です。
飯田線は以前は旧型国電の博物館といわれた線区でした。
その当時に一回ほぼ全線を何度か乗り換えて乗りとおしました。
そのあともたまたま友人の田舎が駒ヶ根で行った時にも乗ることができました。
その後はいわゆる湘南電車の80系がしばらく走っていましたが、新性能化ということで専用に登場したのがこの車両です。

また185系を使用した踊り子や草津号、また189系使用の妙高号なども大幅に削減されるようです。
このあたりはあまりまだ注目されていないようですが、観光の低迷もありもう時間の問題かなと感じています。

さらにいえば国鉄型車両が唯一大量に残っている北陸線もこれから急速に車両の淘汰が進みそうです。
特に急行型で唯一主力でたくさん運用されていた475系も一気に淘汰される流れになるのではと危惧しています。

懐古趣味の男より・・

★追記(2022年2月24日)
2022年の追記ですが、現在サイトをテーマ別に分けて制作していて、下記のサイトで現在も鉄道関係の記事の掲載を開始しています。もしよろしかったらですが閲覧ください。

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表題のように久しぶりにJTBのダイヤ改正の時刻表を買いました。

何年振りでしょうか?

今回の改正はかなり大掛かりでJRの方向性が大きく見えてくるようなものと感じました。
すでに他の詳しい方のつくるサイトなどで情報は得ていますし、多くの方はご存知だと思うので詳細はそのようなサイトやニュースをご覧になればと思います。

そのようなサイトやJRの案内でも周知されていますが、今回周遊きっぷのかなりのゾーンが3月いっぱいで販売中止になります。

周遊きっぷは前身はいわゆる周遊券です。
これはオールドファンのみならず、以前は一般の方にも広く知られていたきっぷです。

自分で作ったオーダーメイドの旅行ルートをそのまま綴りのきっぷにしてしまうという形です。
これがこのきっぷの原型で、当初は一般周遊券といわれていました。

・旅行の条件としては国鉄(当時)を201キロ以上利用すること。
・同じ駅に戻ってくること。
・国鉄の指定する周遊指定地(観光地)を2ヵ所以上まわること。

などが主な条件でした。もちろん料金も割引になりました。

これに当時は一般的だった国内新婚旅行用に「ことぶき周遊券」というものも販売が行われました。
これは国鉄を601キロ以上利用、原則グリーン車(1等車)を利用する形です。

また同時期くらいに、均一周遊券というきっぷが発売されました。
これが今の周遊きっぷの原型です。

一般周遊券は決められたルートでしかも人によって皆違うプランです。
いちいち作成していると大変効率が悪いばかりか、旅行者も自由に現地で行ったり来たりができないという不便がありました。

そこである地域の鉄道や国鉄バスをフリーパスにしてしまうという、旅行者にも販売側にもたいへん効率のいいきっぷが発売されました。

これは学割もきき、当時はどこに行っても走っていた急行列車の自由席に乗り放題だったのもあり、大好評だったようです。

特に北海道周遊券は20日間くらい北海道の鉄道がすべて乗り放題で、夏休みなどを使い鉄道で北海道をまわる旅行者が急増して、社会現象になるほどだったようです。

私の中学の時の教師もその思い出を学校で懐かしそうに語っていました。

大きなリュックを背負い、列車の通路をヨコ歩きする。いわゆる「カニ族」という旅行者です。
皆ほとんどが携行品に寝袋があり、「駅ネ」という、いわゆる駅の待合室や軒下で一晩過ごすというのも流行りました。

当時は北海道の鉄道はまだまだかなり残っていて、多くの路線で普通にSLが走っていたことや、異国的な風景を眺められるというのも魅力のひとつだったのではと思います。

これは鉄道好きとかそういう次元を越えた当時の若者の登竜門のひとつであったのではと思っています。

均一周遊券はその後ワイド周遊券と名前が変わりました。

この頃にちょうどミニ周遊券というのも発売がはじまりました。
これは均一周遊券のように大きなゾーンではなく、一部の人気ゾーンに絞り込んだフリーパスでした。

今回販売が中止になる周遊きっぷの多くのゾーンはこのミニ周遊券が原型になっているのではと思います。

私が旅行に興味をもちはじめたころは、まだ一般・ことぶき周遊券があり、均一周遊券という名前のころでミニ周遊券が発売になったばかりの頃だったと記憶しています。

特に出張族などに多用されていたのが、京阪神と東京のミニ周遊券でした。
両地域のいわゆる国電区間が7日間すべてフリーパスになるのに、料金は往復の料金程度でしたので重宝されて当然かもしれません。

そのあと一時期ですが、一般周遊券の煩雑さをかいしょうするためか、ルート周遊券なるものが登場しました。
これは人気ルートがあらかじめ綴りになっているきっぷで、オリジナリティーはありませんが、使い勝手がいいうえ、ルート上の私鉄や民営バス、ケーブルカーなどのきっぷまでセットになっていました。

特に当時売り出しになったばかりの「立山黒部アルペンルート」や「萩、津和野、秋芳洞方面」のルート周遊券は人気だったようです。

これはあまり広く知られていませんでしたが、萩津和野方面のルート周遊券はルート旅行用のきっぷでありながら、当時人気だった同地域のミニ周遊券とほぼ同じ地域が乗り放題になる機能もついていて、有効期間も長いことから一部の人たちの間では大好評だったようです。

そんなこんなで全盛期には社会にも深く浸透していた周遊券も、JR民営化の後は衰退の一途をたどることになってしまいました。

民営化での分割が一番大きな理由であると思われますが、急行列車の衰退や、青春18きっぷの登場などもその要因のひとつかもしれません。

私個人は、高校時代に信州周遊券、大学時代に北海道周遊券、信州周遊券、北近畿ワイド周遊券などを利用して旅行をした記憶があります。
また大学のサークル活動で信州に民話の調査に行ったときも皆で信州周遊券を使いました。

信州周遊券
当時まだこの地域の路線は旧型国電という戦前製の車両などがたくさん走っていました。

高尾から中央線で小淵沢にでて、小海線の旧型ディーゼルカーで小諸へ、さらに篠ノ井経由で松本に折り返してそこから戦前車両の宝庫といわれていた大糸線にのり木崎湖に行きました。

そして次は松本から中央西線で当時ブームだった木曽路に行きましたが、中央線はまだ現役でユーミンのアルバムでも有名な「流線型80」いわゆる初代の湘南電車が走っていました。
車両は2ドアで昔の客車と同じで、ニスの匂いがする車両ですが、日本の鉄道に革命をもたらしたといえるくらい登場時はもてはやされた車両が都落ちして走っていました。

そして最後は飯田線です。
この線は戦前の京阪神鈍行のエースだった流線型のクモハ52など旧型電車の博物館といわれるくらいの線区でした。

天竜峡で天竜下りに乗ったり、何度か乗り換えて辰野から豊橋まで乗りとおしました。
クモハ52も途中の交換で眺めることができました。

北海道周遊券
上野から急行十和田で、さらに函館からまた夜行と、夜行列車、駅の待合室、友達の下宿泊を繰り返し、14日ほど行っていましたが旅館には一回も泊まりませんでした。
今は廃止になった勇網線や深名線、広尾線、名寄本線などにも乗車しました。

また台風の影響を受けましたが、青函連絡船に生まれてはじめて乗ることもできました。
(その後も結局2回しか乗りませんでしたが・・)

鉄道旅行を楽しむというよりは、友人と一緒だったので、向こうで知り合いをつくったり、サバイバル旅行を楽しんだという感じでした。

北近畿周遊券も京都と鳥取が自由周遊区間に入っていて、当時残っていた普通列車の夜行列車・山陰号を宿替りに2回も乗車しました。また当時は日本でも有数の旧型客車鈍行が走っている路線の山陰線の客車列車にも多数乗ることができました。

その後勤めてからは周遊券を使うような長期の大掛かりな旅行をすることがなくなり、ほとんどご無沙汰していました。

ところが一昨年の秋に実家の法事の関係で金沢に行った時、他のサイトの用事もあり特殊なルートになるので、どうしても周遊きっぷのほうが便利だったので、周遊きっぷの富山・高岡ゾーンというのを利用しました。

品川駅のびゅうプラザで、他のきっぷと一緒に周遊きっぷを組んでもらいましたが、大体1時間くらいかかってしまいました。
女性の駅員さんが担当してくれましたが、嫌な顔ひとつせずに対応していただき本当に感謝しています。

でも実際に買って利用してみると、この煩雑さは本当にお互いの効率を悪くするばかりなので、廃止の方向もやむをえないのかもしれませんね。

このようなニーズのある人は観光客などには考えられないし、ほんの一部の人に限られると思いますし・・

★追記(2022年2月24日)
2022年の追記ですが、現在サイトをテーマ別に分けて制作していて、下記のサイトで現在も鉄道関係の記事の掲載を開始しています。もしよろしかったらですが閲覧ください。

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来年の3月のJRのダイヤ改正は大がかりなものになりそうです。
特に私のような懐古趣味の人間には残念なものとなりそうです。

まずテレビなどでも報道されていますが日本海縦貫線を走る長距離のブルートレイン「特急日本海」が廃止になります。

日本海は最初は急行でしたが、特急に昇格後は最盛期には2往復が走っていました。
一時は人気列車で寝台券も取りにくかったようです。

また同時に現在大阪ー新潟間を走っている、これも伝統の急行「きたぐに」も廃止になることになりました。
デビュー時はもてはやされた月光号でお馴染みの電車寝台列車(583、581系)も完全になくなります。

車両としても北陸線でこの春に姿を消した寝台電車改造車両(419系)につづいての廃止で磐越西線を走る快速の運用以外で、この寝台電車車両も定期運用からはほぼ全廃になります。

きたぐに号は一度乗車しました。もう電車化された後ですが、新潟から大阪までB寝台に乗車しました。
私が乗ったときはすでにかなりガラガラでこわいほどでした。

きたぐにはご年配の方だと、大惨事になった昭和47年の北陸トンネルでの食堂車火災でおぼえている方も多いと思います。(私もそちらに近いほうですが・・)

この年は偶然名古屋^熊本間の夜行急行阿蘇も火災をおこしていて、これらの事故以降、当時は急行でも長距離列車では当たり前だったのですが、旧型車両による食堂車はどんどん営業休止になったのをおぼえています。

考えてみれば昭和の後半は日本海縦貫線は優等列車の宝庫で、大阪ー青森間に前述の日本海、昼行の特急白鳥、桜島・高千穂廃止後には日本一の長距離急行だった前述のきたぐに、新潟行きの寝台特急つるぎ(前身は急行)、金沢ー青森の長距離昼行急行しらゆきなど個性豊かな列車がたくさんありました。

このほかに夜行で富山ー大阪間に昼も走っている急行立山3号というのもありました。こちらには相当昔ですが福井から京都まで乗ったことがあります。
たまたま北陸に行き、翌日京都で人と待ち合わせをしていたので利用したのですが、
でも出る時間は遅すぎ、着く時間も早すぎでやはり日本海やきたぐにが優先されるダイヤでした。

特急白鳥も新津から大阪まで乗りました。ひたすら乗り続け、いい加減飽きてしまい早く着いてくれ、というくらいでした。
全線を乗りとおす人などいたのでしょうか?

この改正で残るブルートレインはあけぼの、北斗星だけになるそうですが、厳密には急行はまなすと不定期ですがグリーントレインのトワイライトエクスプレスになります。

また急行列車も前述のはまなすを残すのみになります。

結局今走っているブルトレはすべて青森駅を通過するので、揃い踏みなどはないにしても日本海縦貫線にファンが大挙して集まりそうです。

北陸がなくなるとき、たまたま金沢に急用ができたのですが、当然寝台券が取れず困ったことがありますが、同様のことがまた起きるかもしれません。

世の中懐古趣味に人や旅情好きの人はかなり多いと思うのですが、逆手に取ってビジネスにする手段は本当に尽きていたのかは正直疑問が残ります。

JRは何を目指しているのでしょうか?このまま先細りの運営をするのでしょうか。
多分机上で論議しているところですべて結論が出てしまっていると思いますが、
やったことないけど、やってみようか!、このまま世情に押し流されて縮小の一途をたどるのが到達点なのでしょうか?

といっても平日はガラガラで、下手すると夏休みでも空席だらけではしょうがないのかもしれませんね。

ほかにも個人的には昨年金沢の帰りに利用した189系あさま色の妙高号が半減、草津号も半減、あさぎり号は御殿場止まりになり私がきわめて好きだったJRの車両(白と青の車両)のほうが廃止になるそうで、これもひじょうに残念です。

さらには新幹線の100系、300系もなくなり、北陸線で国鉄型急行車両として唯一活躍する475系も新車の投入が進み大幅に淘汰されそうです。

背景には老朽化と東日本大震災の後の大きな利用客の減少ということなのでしょう。

この間話した能登の親戚の人も困り果てていましたが、震災以降観光客が大幅に減ってどうしようもない状態が続いているそうです。

他の線区も通勤時間帯の増結以外は後ろ向きな大幅な合理化の改正のようです。

乗りたい方、見たい方、写したい方は今のうちかも・・

また線路、駅など膨大な敷地と大きな利便性を有するこの設備を利用すれば、前例にとらわらなければ、さまざまな活用が可能なのではと思います。
車両の中の使い道そのものを民間に委託して、安全に運行するだけという利用法もありうるわけで、いろいろ検討の余地はあると思います。

鉄道ほど大きな利便性や安全性を有し、旅情を提供して、大規模な輸送も可能な手段は他にないわけで、革新的な利用法が出てくるのを願っています。

★追記(2022年2月24日)
2022年の追記ですが、現在サイトをテーマ別に分けて制作していて、下記のサイトで現在も鉄道関係の記事の掲載を開始しています。もしよろしかったらですが閲覧ください。

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