サイト運営者日記「ぶらぶらうだうだ」&レトロ中心鉄道のコラボサイト

「タウンクリニックドットコム・時代文化ネット」を運営をするアナログ管理人の日記&趣味のレトロ中心の鉄道のコラボサイトです。

(最新更新日:2024年4月10日 掲載日:2008年11月19日)

2008年にスタートした「アナログなサイト管理人日記」と「レトロ中心の鉄道サイト」のコラボサイトです
特急はくたか豪画像1・越後湯沢駅

趣味のレトロ中心の鉄道の話題を中心に、サイト管理人が以前勤めていた証券など金融、競馬、野球などテーマにこだわらない雑感や日記を綴ったコラボサイトです。サイト管理人は2007年から地域情報サイト「タウンクリニックドットコム」を立ち上げ、2014年頃から同時並行で独自の文化資料やテーマ等で文化記録を目指す「時代文化ネット」の運営管理者です。(実は超アナログ人間ですが・・・)

当サイトの本文中の画像、文言等は諸法律に沿って使用しております。またタイトル画面は埼玉県幸手市権現堂(本人が撮影:2012年4月)。またすぐ上の写真は越後湯沢駅に停車中の特急はくたか号(本人撮影:2013年3月)。いずれも無断での転載、転用をかたく禁じます。


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全然知らなかったのですが、今晩ニュースで表題の話が流れ大変びっくりしました。
というより少しショックです。

最近の大きな市町村合併・統合の流れでしょうか、埼玉県の鳩ヶ谷市が10/11から川口市に吸収合併されることになりました。

私は特に故郷もない人間でこのようなことをいうのもおこがましいのですが、鳩ヶ谷市では多感?な少年時代を10年以上過ごしました。

「君は育ちはどこなの?」といわれれば、
「え・え〜っと」と少し考えながらも「やはり埼玉県の鳩ヶ谷市ですかね」
というと思います。

といいながらも流れ者の私は東京都在住は30年を超え、人から見たら正真正銘の東京人であるとは思いますが・・

以前仕事で浦和の美園に行った時、自分の昔住んでいた住宅が取り壊されて高層住宅になっていたことをブログにも書いたことがあります。
当時は昭和30年代にできたコンクリ(とは言いがたいバラック風のものでしたが・・)長屋風の建物でした。多分当時から住んでいる人は殆どいないのではと思います。

そのときに続き、街の名前さえも市町村名からは消えてしまうことになったわけです。

これからは
「君は育ちはどこなの?」といわれたときは、
「え・え〜っと、何て言ったらいいかなあ」と独り言を言いながら
「埼玉県の川口市の、あの、知ってます?昔は独立していたんですが・・、鳩ヶ谷っていうところを?」

と言わなくてはならなくなりました。

今はそこそこ知られているでしょうが、10年も経てば

「はあ??、何それ?知らねえな、詳しくわかるように説明しろよ!」
と言われるでしょう。

それでなくとも昔から、
「鳩ヶ谷です」というと
「ああ、ああ、わかる熊谷ね」

とよく言われました。

今回川口市に併入されましたが、この地域は数奇な運命をたどっています。

もちろん大昔は殆どの町は細かく区分けされた地域別の町や村で構成されていたようです。
ただ川口市というのはご存知の通り、昔から鋳物が盛んで、県内でもいち早く市制が施行されたようです。

その時は当然川口駅を中心とする中心部だけだったみたいです。

今川口市になっている北部や東部の農村部、いわゆる安行地区はまったく別で安行村など全然別の共同体でした。

戦後すぐの大きな町村合併などで安行や今回の鳩ヶ谷も含む地域もすべて一旦すべて川口市になりました。

もとから鳩ヶ谷市は足立区の入谷地区以外は県内ではすべて川口市と隣接していて、川口市の中にすっぽり入っている形でしたので当然と言えば当然のことだと思います。

ところがその後一度鳩ヶ谷は川口から分離、北足立郡鳩ヶ谷町となりました。安行などもそのとき一回分離出され北足立郡安行村(のちに安行町)になりました。

それがまた高度成長の大きな市町村合併で安行が再度川口市に編入されました。多分昭和40年になる寸前くらいだと思われます。
そのときに浦和東部でいわゆる大門といわれていた地域で独立していた美園村も浦和市に編入されたようです。

鳩ヶ谷、特に、私が住んでいた里(大字の名前です。いかにも・・という名前ですが)はこの安行は歩いてすぐで、大門(美園)などもひじょうに身近な地域でした。

そして安行や美園が消滅したことで鳩ヶ谷だけが独立した状態で川口や浦和などがどーん、とある中でぽっかり存在していました。
もう孤立していると言ったほうがいいのかもしれません。

そしてついに今回の合併です。いかにも合理的でなるべくしてなったという話でしょうがないとは思いますが、やはり少しだけさみしい話ですね。

鳩ヶ谷は埼玉高速鉄道が開通するまで、長年鉄道がなく、経済的にも文化的にも大きく遅れをとっていました。

サイギン以外まともな都銀やスーパーもできたのはだいぶ後でした。

一番驚いたのは、会社に入った後にたまたま赤羽にいた友達と遊びに行き相当振りに当時の住宅の友人に紹介して会ったとき、国道(122号)沿いのデニーズが23時で閉店してしまったことです。
都内では当時はありえない話でした。

言葉は東京に近いので殆ど東京弁ですが、当時は隔世された閉鎖社会なので実は地元では下記のようなことばを使っていました。

「あいけんえし」「とりとり」「みったねえ」「はっとばす」などなど

これが方言なのかはわかりませんが、ほぼこれが全国共通の言葉と信じ当たり前に日常使っていました。
大体はわかると思いますが、意味わかります?

以前一部はこのブログでも触れましたが、最初のことばはネットで調べたら、なんと「埼玉県鳩ヶ谷市で使われていることば」とあるサイトに出ていました。

「ええ?他の町でも使っていないんだ、うちの町だけなんだ」

これにはびっくり、会社の同僚で浦和の原山のやつがいたので、聞いてみたら
「はあ?知りませんよ、そんな言葉」
と言われてしまいました。

そういえば与野も同じ運命だったね、でも与野は政令指定都市だからね・・

「鳩ヶ谷、頑張れ!、鳩ヶ谷万歳!!」

もう手遅れです・・


☆☆☆☆☆

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立川駅の中村亭の幻の名駅弁「多摩弁(旧かながないので悪しからず)」をネットで調べていたら、多摩弁、いわゆる方言の話ばかりが出ていました。
今は東京も含め、全国で言われるようになった言葉も多く、もはや方言とはいえない言葉がほとんどですが、私が育った??年前の多摩や埼玉で当時皆が普通に使っていた言葉や文化を思い出してみました。
といってもかなり忘却の彼方なので、一部ネットの助けも借りて思い出してみました。

◆多摩
・ぶっつく(ぶつかる、行き当たる)
・かったしい(だるい、かったるい)
・うざってー、うざったい(これは今皆が使ううざいと同じですが、うざいとは言いませんでした)
・あんだよ(なんだよ)
・やくい(やばい)
・ふんぶす、ふんづぶす(ふんづける)
・〜するようだろ(〜しなくちゃいけないだろ)
・〜するだよ、〜しねーだよ(神奈川や山梨も言うみたいです)
・ちゃっちい(ちっぽけとかそんな意味です)
などです。

◆埼玉
・しゃっけー(つめたい)
・はっとばす(張り飛ばす)
・みったねえ(みっともないとかそんな意味です)
・おっぺす(押す)
・きない(こない)
などです。

「そうだろ」、などという場合、多摩や神奈川は「そうだべ」ということが多いですが。関東は「そうだんべ」
と言っていたと思います。

ちなみにかなりは今は首都圏で広く使われているものもあるかなと思います。

考えてみると殆ど東京弁と変わらないから、ベッドタウンになるとすぐ融合して当然ですね。
今東京に住んでいる人や、多摩や埼玉に住んでいる人も「えーっ?信じられない」と思うかもしれませんが、
その程度前でも地元の子供たちは日常本当に使っていたんです。
私自身も今その地を離れ、殆ど会うこともなくなったので全く使うことはなくなりました。
やはり今は皆と一緒で「うざい」と言ってしまいます。

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