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高校野球の話になったので、ついでに制服の話です。
今となってはどうでもいいような話ですが、当時は制服は高校ではひじょうに重要な問題でした。
埼玉にいたはるか昔の時代は隔離された町に住んでいたというのもあるのでしょうが、中学や高校では男子は普通の学生服、女子はセーラー服というのが当たり前だと思っていました。
というより、他の制服を見たことすらありませんでした。
ところが東京に来たら当時から華やかでとりどりの制服がありました。
うちの姉などは中学でも埼玉時代のセーラー服をそのまま着ていて、逆にそれがすごく目立っていました。
本当に紺地に白いラインが入った普通のセーラー服で東京では当時でもほとんど見かけることはありませんでした。
私の中学は府中市の中でも新しいほうで他の中学はすべて学ランでしたが、標準服というブレザーの制服でした。
でもよその上級生は入学が近隣の中学なので前の中学の制服を着ていて、私の学年でもなぜかクラスで何人かは学ランを着ていました。
そして高校を受験することになるわけですが、
多摩地区の都立高校は範囲が広く、7・8・9学区といっていました。
古い高校は学校群といって2〜3校がグループになり合格するとどこの高校に行くかはわからないというシステムでした。
でもそれらの高校の多くは私服通学が出来る学校で、レベルも高いところが多く、
学力上位順からいえば72群立川・国立、74群三鷹・武蔵、75群府中・神代、73群北多摩・昭和など・・
これらのほかに単独校というのが多数ありほとんどは新設校でした、
国分寺など一部をのぞくと学力的には難しい学校は少なく、ほとんどの生徒は地元に近い単独校に行くという雰囲気でした。
単独校のなかでは唯一歴史が古い町田高校は私服校でした。
私は私服の学校を受けようとしましたが、学力が足りないからやめろと学校からとめられました。
それで調布北を受験したのですが、この学校はできて間もなかったのですがそんな簡単に入れる感じではなく実はヒヤヒヤもんでした。
また大きな特徴は制服が変わっている、ということでした。
なんと茶色のブレザーにグレーのズボンという異様な色の制服でした。
(現在は紺とグレーという一般的なものに変わってしまいましたが)
最初はけっこう、とういうよりかなり抵抗がありましたが不思議なものですぐ慣れてしまいました。
また当時の都立は皆自由な校風が多く、Tシャツや色シャツなどを皆自由に着ていて、靴も革靴でなくても大丈夫でした。
当時の東京西部や多摩の都立校はほとんどが私服かブレザーでしたが、まだ一部学ランの学校が残っていました。
谷保の五商、八王子の二商、八王子工業、府中工業、多摩などは学ランでした。
高校時代やそれ以降も二商の友人とよく遊びに行きましたが、学ランを着ていると男っぽく見えて、かっこいいのでうらやましかったのをおぼえています。
今は私服だった南多摩や北多摩、神代などもブレザーの制服ができているようで制服が好まれる時代になって来たのかもしれません。
大学時代に荻窪高校から来た人が、「荻窪は私服でなくて学ランだよ」と言っていました。
都立では珍しいパターンです。
今でも小山台高校は都立では数少ない学ランの制服みたいです。
またビックリしたのでは板橋区にできた新設の都立高は制服が学ランになっているようです。
学ランといってもPL学園や明星のような紺のボタンなしのおしゃれな学ランみたいです。
時代とともに文化や流行もどんどん変わっているようです。
今の流行はどんな感じなのでしょうか?