サイト運営者日記「ぶらぶらうだうだ・・」

「タウンクリニックドットコム」「時代文化ネット」などサイト運営をするアナログ脱サラ(いつのまにか・・)親父のブログの何でも日記風ブログです。

当ブログは2018年3月よりURLが、
http://blog.livedoor.jp/chikao1216/
から
http://burauda.blog.jp/
に変わりました。サブドメインのため旧URLでアクセスしてもリダイレクトしてアクセスできます。
また名前も「サイト運営者日記・ぶらぶらうだうだ」に変わりました。

内容は「時代文化ネット」制作者が運営する日記で特にテーマはありません。
日常のサイト活動などにおいて見聞きした内容や、現在の社会や自身の生活などを通して感じたことなどをそのまま記載する形にこのたびリニューアルしました。
現在の掲載記事は以前の「穴狙い千ちゃん〜」「ちかお日記」に掲載されている記事をそのまま残してあります。
旧記事は「改修前」のカテゴリになっていて、「人気」???と記載があるのは人気があるかどうかは知りませんが、自分でまあまあ気に入っていた記事です。

日大アメフト危険タックル事件

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承知だと思いますので、内容は端折りますが、

当初「全部私の責任です。言い訳はしません」などと言い経緯さえ説明しなかったのが。
当事者の加害学生部員が、自分の非も含め、おそらく真実に近いと思われる経緯を公表すると、

一転、急遽、言い訳がましい会見を開催しました。
これは背景には学校の立場を代弁しているのかもしれません。

この結果、双方の主張からこの問題は下記の3点(1、2ーa,b)に絞り込んでもいいのでは、と思いました。

1、「潰す=けがをさせる」
これは学生部員の言うことがかなり信憑性が高い話です。彼(学生部員)は自分の非も認めていて、嘘をつく理由はありません。となると一部虚偽を語っているのは学校及び監督側ということになります。

2、「勘違い」
a,
これは学校や監督の主張もみとめた形ですがかなりたちが悪いパターンで、要は「インプレイ中」にやれというつもりだったというパターンです。要は怪我をさせても試合の流れの中なら不可抗力に見せかけることが可能です。これは後述で考えます。

b,
これは学校や監督の言うように本当に双方に温度差があった場合です。そうなると一見選手だけが貧乏くじを引く形のように思えますが、学校側にとっては一番根の深い問題に発展する可能性があります。というのもそのように解釈されるということは、元来本人(学生)がよほど偏った人物でなければなぜそのような状況に追い込まれたのか、という根の深い問題になります。いわゆるパワハラの問題で、しかも今回の現場は国が認定して、多数の有力社会人を世に出している教育機関でその運営者(大学役員)が監督です。刑事罰はなくても話が人権侵害に及ぶ可能性もあります。これは学校にとって回復するのに困難をきわめるような大きなダメージになります。また教育のあり方という国全体の問題になる可能性もあります。

つまり現段階で考えられると思われる、上記のいずれでも監督や学校に逃げ道はほぼないと思われます。
結局誠心誠意をこめて早急に謝罪し、この件をきちんと償う方が自身にとってもはるかに適切だったことは明らかでは?と考えます。

もちろん双方とも内容の非の比率はが100対0に限定されるかは不明です。
行動の経緯を報道の範囲で見るかぎり取り繕っているのは圧倒的に学校側のほうだと感じました。一貫性に欠けるからです。

おおかた弁護士かだれかのアドバイスでも受けたのでは?という印象を受けました。
民間の弁護士は業務的にまずは刑事罰を回避する、組織を守ることが主眼になる可能性があると思うからです。

とにかくもう言い訳はやめて出来るかぎり早く、心から謝罪をして、きちんと裁きをうけて、すべて自分たちの主張を取り下げて、撤退したほうがいいのでは?と感じました。

自分のことを棚に上げますと、個人的な感覚では、
報道を見るかぎりは、実績はともかく人間的にはつまらん人たちだということが露呈しかけているいるので、
「考え方を少しはあらためてはどうですか?」としか感じなくなりました。

ところで、
前述の部分で出てきた、「インプレイ中」の話ですが、これは結構可能性はあると感じています。特に集団プレイのゲームに関係している運動部出身の人は皆そう感じているのではないでしょうか?

私は高校時代野球部でした。最近はあまり強くありませんし自分は下手くそで体を張って野球をしているタイプではありませんでしたが、野球部としては、当時(〜数年後にかけて)は都立ではそこそこのレベルでした。
というのも一年先輩のA氏は周りがどうあろうが我が道を行くタイプで、野球の虫でした。
練習は厳しく、「いらねえよ、帰れよ」などは口癖でした。
彼は卒業後に当時かなり強かった日体大に進学、さすがに通用しないだろうと思っていたら、何と一年でベンチ入りしてしまいました。さらに卒業後に体育教師になり、高校野球の監督になりました。
そしてしばらく経って遂に監督として都立J高校を甲子園に出場させるにいたりました。現在東京都の高校野球界では彼は有名人になっているくらいです。
でもそういう変な指示をすることは一度もなかったと記憶しています。
そういうかげりは一点も感じませんでした。

ただ試合相手の当時都大会でベスト8に行くような私立は練習試合などですさまじい光景を暴露していました。
たとえばエラーする、見逃し三振などをすると皆の面前で相手のベンチまで音が聞こえるようなすごい「けつバット」を受けていました。された人は泣いている人もいました。
また準レギュラー以上のメンバークラスで練習試合で負けたりすると、これは大変です。ダブルヘッダーなどでボロボロになっている状態で学校の敷地を50周ランニングなどのペナルティを食らっていました。
見ていると寒気がしました。

試合などで監督やコーチなどから「ちょっと脅かしてやれ」と強制され、内角高めギリギリにわざと投げる、みたいな話は全く根拠はありませんが、耳にした記憶はあります。

もちろんこの話は証拠や根拠がないですし、この事例とはなんら関係はない話で、個人的な想像の域をでません。むしろそうでない可能性のほうが高いかもしれません。
ゆえにこれは可能性の部分としてはありうる、という程度に解釈していただければと思います。逆にいえばこの時代にそんなことがないことを祈っています。

ただ、と言いながらも、もしかしたらですが、と今回もそんなノリだった可能性はゼロではないと頭をかすめてしまいました。


それから勤めていた会社でも色々ありました。
業界的にそういう雰囲気が当たり前の業界で、そもそも運動部や応援団出身者などがひじょうに多く、根性主義みたいな部分を感じました。
でも人間味を感じる人も多く、若い頃は仮に殴られてもすごく慕える上司も沢山いて、退社後も暫く複数の方と交流していたほどです。
ところが中間管理職になって赴任したある職場で、とんでもない目にあいました。
そうです。本格的なパワハラを受けたのです。心は大丈夫でしたが、ある事情があり訴えることもしませんでした。
時代も今ほど整備されていませんでした。
その関係で体の方は無理に無理をかさね疲弊して、結構危険な症状が出たりもしました。

しばらくしたら転勤になりそこからは逃れることが出来ました。
ただすでに会社に嫌気がさして、大して仕事の実力はありませんでしたが、あるときいい機会があったので思い切って会社をやめてしまいました。
退社後しばらくして一回だけ知人の役員から連絡があり、会社に出向いて面会すると、「同じポジションで復活させるから戻らないか?」と話がありましたが、その厚意には感謝しましたが、当時は二つ返事で断ってしまったくらいです。

パワハラは冷静な判断力を奪います。加えている加害者は権限を持っているうえ、ほぼ必ず何か失敗や成績がイマイチなタイミングをねらって嫌がらせを仕掛けてきます。真剣に活動や仕事に取り組んでいればいるほど、その術中に嵌りやすくなります。パワハラをしている人は外部的とか事後に必ずといっていいほど同じ言い訳をします。
「君のためを思ってやっていたんだよ」
他に逃げ道がない行為だから、他に説明が付かないからです。
逆にそのセリフが出てくると「これは完全なパワハラをしているやつだな」と確信するくらいです。

今回も彼らはその言葉を口にしました。
パワハラはなかなか法的に取り締まれませんが、実際の行為は犯罪に近い行為です。
もちろん受けている方が完璧に間違っていない、ということではありませんが、そもそも突っ込む理由ができた時にそれを多義名分に仕掛けられるので、組織の中だけで個人で反抗するのは至難の業ですし、大きなリスクを背負います。
これは彼等(パワハラをする人たち)の常套手段です。(自分の行為を正当化するという意味で)

この問題は今の日本(世界かもしれません・・・)全体の、たかだか大学の部活のトラブルなどではなく、皆に起こりうる深刻な問題として向き合い、今後何らかの方向性を作り出すことが必要だと思いました。

いずれにしても全く関係ないのにえらい目にあったK学院の選手の一日も早い回復と、無事に競技への復帰がかなうことを願うばかりです。

人間社会は奇麗事ではないのはわかっていますが、個人の感情や性格、組織の利害などを振り回して周囲に迷惑や波紋を広げる行為は出来るだけ謹んで、全体においても人権など大事な権利を守るという前提で上手に抑止する規制をする必要もあるかもしれませんね。
そういう意味で学力や仕事力だけでなく、難しいかもしれませんが出世や取引・契約過程での人格など別次元の精査や、権限者を選ぶ方法なども少しでも改良することが結局国や社会全体を長く栄えさせるのでは?と感じます。

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またまた騒動がおきました。
ここのところ政治やスポーツ界などを中心にパワハラ、セクハラなど不当な行動をしたと、いう事例が相次いでいます。
問題の真偽や内容の詮索に興味ありませんが、政治なども含めたここのところのこれらの騒動はすべて人間社会がかかえている本質的な問題が表面化している大事な問題ではないかと感じました。

これらの問題はいずれも原則は権限を持っているといわれている方々が標的になっています。

先日の某政治家のAS氏によれば、「セ○○ラ罪」という犯罪はないなどと、発言し、要は法律では取り締まれないということをいいたかったのでしょうが、「不謹慎だ」と世間の顰蹙をかった人もいます。
実際彼の発言は責任者としては軽率で偏っているといわれてもしょうがないと思いますが、本人の発言趣旨に関係なく、今に始まったことではないかもしれませんが、人間社会に潜む大きな問題点を象徴的にあぶりだしているのかもしれません。

そうです。それが好意であろうが、悪意であろうが人の心の中は他の人には最終的にはわかりませんし、ましてや法やルールで取り締まることはできません。逆にどうあろうと人の生き方や考え方は原則はよほどの具体的な被害を与えないかぎり自由なので、もしそれを取り締まる法やルールが出来るとある意味、人権侵害に該当する可能性さえあるのではとさえ思います。
たとえば法やルールを作る人たちにも何らかの恣意が存在する可能性があるのでは?とさえ思います。

当たり前ですが、私は完全にこれらの騒動には無関係なので正誤や、善悪、真偽についてコメントは控えたいと思います。

ただ個人的な印象ですが、ひとつだけ共通点を感じます。

当事者、というか加害者?とされている側の見解や、意見などを聞いていると、ほぼ同じ反応をしている点があります。

それは問題勃発の初期の段階の話ですが、程度や論点は様々ですが、
自分たちの問題とされた行動を「正当化」するか、「非を認めない」ことから騒動が大きくなっているように感じます。

それが真実かどうかはその事例ごとの話であり、当事者以外に真実は不明なので、内容についてコメントはしませんが、すぐ認めたり、すぐ謝罪したりする姿をあまり見たことがありません。

でも多くはその後騒動が大きくなり、結局違う対応をせざるを得なくなっています。
今回もそうですが、結局謝罪や辞任に追い込まれています。
ということは最初に否定した時は嘘を付いていたのか、もしくは自身の保身や防衛のために真実とは違うけれど謝罪をせざるを得なくなったのでしょうか?

人間はピンポイントではある程度は正当性を取り繕うことは可能かもしれません。
しかし、もし少しでも取り繕っているところがあると、時系列で長期間の行動に照合するとすべてのつじつまを合わせるのはかなりの困難を極めます。なぜかというとすべて真実であれば事実をつなぐだけなのでそもそもつじつまをあわせる必要がなく、虚偽が混入している場合は過去の行動や発言の記録をすべて憶えていないといけなくなります。
そんなことはまず不可能では?と思います。
多くは本人で過去から記録を取っていることは稀なので、矛盾にさえなかなか気付きません。

またここがかなり重要と思うのですが、人間は口では何とでも言えるのです。ところが行動はそうはいきません。
途中までは行動もごまかしていたとしても、最終的には行動は自然と本人の心に反映した行動を取る、と思っています。
言動と行動に温度差があればあるほど、不信感は高まります。
さらに狡猾な輩だと、しばらく行動も相手にとって正義に満ちているのに、ある日突然豹変することもあるので、絶対はありませんが・・

また今回のアメフト謝罪会見でもそう感じましたが、些細なことほど本音が露出しやすいと長年の経験で感じています。
本分である謝罪文の内容にいくら抜かりがなくても、名前を間違ったり、謝罪の姿勢で人々の不信や不快感をさらに助長させてしまいました。後に述べますが、心の中の真偽は不明ですが、本分である謝罪文の部分はまったく抜かりなく作られていても、それ以外の直接謝罪内容と関係ないちょっとした不謹慎な発言や態度があの会見では一見かなり不誠実に映りました。

ただこれはこの発言や態度だけで人間性や真偽を問うのは早計だと思っています。
本来外面的にはたまたまそういう人で、悪意など全くないのに、表現や言葉がたりなかったり、大きな悪意はないが、詳細には心の機微に気が付かないこともよくあるからです。

だから彼の今までの行動の蓄積と今後の行動がすべて答えを出すのでは?と思っています。

私自身も例外ではなく、過去に嘘をついたこともありますし、自分の保身に走ったことも幾度となくあります。
逆に言えば、皆もそうかもしれませんが、だからこそ、そういう部分には敏感に反応します。
将棋盤ではありませんが、自分のことには意外に気付かず、人のことはあっさり見えたりします。

私は証券界の営業畑で17年働き、さらに保険で10年、別途に活動していた自営も加えると約30年を超え、殆ど数え切れないくらいの事業者、協力者や顧客を見てきました。期間も長いのでその後どうなったのかも結構見ています。

もちろん相手から見れば私も同類であり、同じ目にさらされています。

たとえば証券界が顕著ですが、真実は何回でも同じことが正確に言えますし、嘘をついていないので単にありのままに振る舞い、行動すれば時系列にしても整合性があります。
ところが本心とは別の次元で言ったり、行動したことはすべては長い時間が経過すると正確に憶えていません。
生身の人間はよほどのことがないかぎり通常はそんな張り詰めた緊張感を長期間維持すること自体困難だと思っています。

ところがお客さんから見たら私は一人の担当者の言ったことなのでかなり正確に憶えています。こちらは何百人の中の一人なので、日ごろの言動や行動に、それが整合しているかどうかなど四六時中正確には把握できません。別に整合性のために生きているわけではないのですから・・。

このことはその後の業界でも、今の自営でもそれは大差はありません。
これは自分も含め他人事ではないのです。

かなり前(十数年前)の話ですが、あるとき○×生命(某日本社)のプロセールスマンがふっと言っていました。
セールスの世界で生き残りたいなら「一点のかげりでもあったらだめだね」
当時どういう意味かわかりませんでした。欠点のない人などいないのですから・・

しかし適確かどうかは不明ですが、さらに経験を重ねた近年になり少し意味がわかってきたような気がします。
それは「俺の中でその人間を信用できるかどうか、という部分において」
と前置きすれば、ということなのでは?と感じています。

そして今ではこういうことを教えてくれた人に感謝しています。

他にも違う人でそのような発言録が沢山あり、機会があったら、何年かかかって、やっと5秒聞いた、というような、個人的感性でに「これは名言だ」と思った発言をブログ内でお伝えしたいと思います。(正誤はわかりませんが・・)
長年業界や仕事に現場で従事していた経験に基く発言や感性、知恵というのは本当に貴重な財産だと思っています。
いわゆる「勘」という物もその部類の結晶なのかもしれません。
もちろん私自身はショボイ、しがない、儲かっていない、自営のダメオヤジなので、悪しからず・・。

さて今回の件は、最初に書いたとおり、部外者なので真偽や、正誤などに言及する気はまったくありませんが、
少なくとも名前間違いとあの謝罪の姿勢が単に性格的なものなのか?、誠実ではないのか?はこれからの彼の行動が答えを出していくのでは?と想像しています。
これはご本人が長い積み重ねの中でまねいた結果であり、また今回も本人が選ぶ選択です。
生き方は自由なので・・・。

どんなにしくみや法を整備しても、このようなことは人間の中身にかかわることなので、起こりうる、ということですね。
これは今回に限らず社会生活を行っている全ての人にいえることなのかもしれないと感じました。
しかも明確な答えなどないので、一生のテーマかも知れないと思いました。

ご覧になっている方がいたら、今日はたいした内容でもないのに長々と失礼しました。

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