サイト運営者日記「ぶらぶらうだうだ・・」

「タウンクリニックドットコム」「時代文化ネット」などサイト運営をするアナログ脱サラ(いつのまにか・・)親父のブログの何でも日記風ブログです。

当ブログは2018年3月よりURLが、
http://blog.livedoor.jp/chikao1216/
から
http://burauda.blog.jp/
に変わりました。サブドメインのため旧URLでアクセスしてもリダイレクトしてアクセスできます。
また名前も「サイト運営者日記・ぶらぶらうだうだ」に変わりました。

内容は「時代文化ネット」制作者が運営する日記で特にテーマはありません。
日常のサイト活動などにおいて見聞きした内容や、現在の社会や自身の生活などを通して感じたことなどをそのまま記載する形にこのたびリニューアルしました。
現在の掲載記事は以前の「穴狙い千ちゃん〜」「ちかお日記」に掲載されている記事をそのまま残してあります。
旧記事は「改修前」のカテゴリになっていて、「人気」???と記載があるのは人気があるかどうかは知りませんが、自分でまあまあ気に入っていた記事です。

ニュースにひとこと

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またまた騒動がおきました。
ここのところ政治やスポーツ界などを中心にパワハラ、セクハラなど不当な行動をしたと、いう事例が相次いでいます。
問題の真偽や内容の詮索に興味ありませんが、政治なども含めたここのところのこれらの騒動はすべて人間社会がかかえている本質的な問題が表面化している大事な問題ではないかと感じました。

これらの問題はいずれも原則は権限を持っているといわれている方々が標的になっています。

先日の某政治家のAS氏によれば、「セ○○ラ罪」という犯罪はないなどと、発言し、要は法律では取り締まれないということをいいたかったのでしょうが、「不謹慎だ」と世間の顰蹙をかった人もいます。
実際彼の発言は責任者としては軽率で偏っているといわれてもしょうがないと思いますが、本人の発言趣旨に関係なく、今に始まったことではないかもしれませんが、人間社会に潜む大きな問題点を象徴的にあぶりだしているのかもしれません。

そうです。それが好意であろうが、悪意であろうが人の心の中は他の人には最終的にはわかりませんし、ましてや法やルールで取り締まることはできません。逆にどうあろうと人の生き方や考え方は原則はよほどの具体的な被害を与えないかぎり自由なので、もしそれを取り締まる法やルールが出来るとある意味、人権侵害に該当する可能性さえあるのではとさえ思います。
たとえば法やルールを作る人たちにも何らかの恣意が存在する可能性があるのでは?とさえ思います。

当たり前ですが、私は完全にこれらの騒動には無関係なので正誤や、善悪、真偽についてコメントは控えたいと思います。

ただ個人的な印象ですが、ひとつだけ共通点を感じます。

当事者、というか加害者?とされている側の見解や、意見などを聞いていると、ほぼ同じ反応をしている点があります。

それは問題勃発の初期の段階の話ですが、程度や論点は様々ですが、
自分たちの問題とされた行動を「正当化」するか、「非を認めない」ことから騒動が大きくなっているように感じます。

それが真実かどうかはその事例ごとの話であり、当事者以外に真実は不明なので、内容についてコメントはしませんが、すぐ認めたり、すぐ謝罪したりする姿をあまり見たことがありません。

でも多くはその後騒動が大きくなり、結局違う対応をせざるを得なくなっています。
今回もそうですが、結局謝罪や辞任に追い込まれています。
ということは最初に否定した時は嘘を付いていたのか、もしくは自身の保身や防衛のために真実とは違うけれど謝罪をせざるを得なくなったのでしょうか?

人間はピンポイントではある程度は正当性を取り繕うことは可能かもしれません。
しかし、もし少しでも取り繕っているところがあると、時系列で長期間の行動に照合するとすべてのつじつまを合わせるのはかなりの困難を極めます。なぜかというとすべて真実であれば事実をつなぐだけなのでそもそもつじつまをあわせる必要がなく、虚偽が混入している場合は過去の行動や発言の記録をすべて憶えていないといけなくなります。
そんなことはまず不可能では?と思います。
多くは本人で過去から記録を取っていることは稀なので、矛盾にさえなかなか気付きません。

またここがかなり重要と思うのですが、人間は口では何とでも言えるのです。ところが行動はそうはいきません。
途中までは行動もごまかしていたとしても、最終的には行動は自然と本人の心に反映した行動を取る、と思っています。
言動と行動に温度差があればあるほど、不信感は高まります。
さらに狡猾な輩だと、しばらく行動も相手にとって正義に満ちているのに、ある日突然豹変することもあるので、絶対はありませんが・・

また今回のアメフト謝罪会見でもそう感じましたが、些細なことほど本音が露出しやすいと長年の経験で感じています。
本分である謝罪文の内容にいくら抜かりがなくても、名前を間違ったり、謝罪の姿勢で人々の不信や不快感をさらに助長させてしまいました。後に述べますが、心の中の真偽は不明ですが、本分である謝罪文の部分はまったく抜かりなく作られていても、それ以外の直接謝罪内容と関係ないちょっとした不謹慎な発言や態度があの会見では一見かなり不誠実に映りました。

ただこれはこの発言や態度だけで人間性や真偽を問うのは早計だと思っています。
本来外面的にはたまたまそういう人で、悪意など全くないのに、表現や言葉がたりなかったり、大きな悪意はないが、詳細には心の機微に気が付かないこともよくあるからです。

だから彼の今までの行動の蓄積と今後の行動がすべて答えを出すのでは?と思っています。

私自身も例外ではなく、過去に嘘をついたこともありますし、自分の保身に走ったことも幾度となくあります。
逆に言えば、皆もそうかもしれませんが、だからこそ、そういう部分には敏感に反応します。
将棋盤ではありませんが、自分のことには意外に気付かず、人のことはあっさり見えたりします。

私は証券界の営業畑で17年働き、さらに保険で10年、別途に活動していた自営も加えると約30年を超え、殆ど数え切れないくらいの事業者、協力者や顧客を見てきました。期間も長いのでその後どうなったのかも結構見ています。

もちろん相手から見れば私も同類であり、同じ目にさらされています。

たとえば証券界が顕著ですが、真実は何回でも同じことが正確に言えますし、嘘をついていないので単にありのままに振る舞い、行動すれば時系列にしても整合性があります。
ところが本心とは別の次元で言ったり、行動したことはすべては長い時間が経過すると正確に憶えていません。
生身の人間はよほどのことがないかぎり通常はそんな張り詰めた緊張感を長期間維持すること自体困難だと思っています。

ところがお客さんから見たら私は一人の担当者の言ったことなのでかなり正確に憶えています。こちらは何百人の中の一人なので、日ごろの言動や行動に、それが整合しているかどうかなど四六時中正確には把握できません。別に整合性のために生きているわけではないのですから・・。

このことはその後の業界でも、今の自営でもそれは大差はありません。
これは自分も含め他人事ではないのです。

かなり前(十数年前)の話ですが、あるとき○×生命(某日本社)のプロセールスマンがふっと言っていました。
セールスの世界で生き残りたいなら「一点のかげりでもあったらだめだね」
当時どういう意味かわかりませんでした。欠点のない人などいないのですから・・

しかし適確かどうかは不明ですが、さらに経験を重ねた近年になり少し意味がわかってきたような気がします。
それは「俺の中でその人間を信用できるかどうか、という部分において」
と前置きすれば、ということなのでは?と感じています。

そして今ではこういうことを教えてくれた人に感謝しています。

他にも違う人でそのような発言録が沢山あり、機会があったら、何年かかかって、やっと5秒聞いた、というような、個人的感性でに「これは名言だ」と思った発言をブログ内でお伝えしたいと思います。(正誤はわかりませんが・・)
長年業界や仕事に現場で従事していた経験に基く発言や感性、知恵というのは本当に貴重な財産だと思っています。
いわゆる「勘」という物もその部類の結晶なのかもしれません。
もちろん私自身はショボイ、しがない、儲かっていない、自営のダメオヤジなので、悪しからず・・。

さて今回の件は、最初に書いたとおり、部外者なので真偽や、正誤などに言及する気はまったくありませんが、
少なくとも名前間違いとあの謝罪の姿勢が単に性格的なものなのか?、誠実ではないのか?はこれからの彼の行動が答えを出していくのでは?と想像しています。
これはご本人が長い積み重ねの中でまねいた結果であり、また今回も本人が選ぶ選択です。
生き方は自由なので・・・。

どんなにしくみや法を整備しても、このようなことは人間の中身にかかわることなので、起こりうる、ということですね。
これは今回に限らず社会生活を行っている全ての人にいえることなのかもしれないと感じました。
しかも明確な答えなどないので、一生のテーマかも知れないと思いました。

ご覧になっている方がいたら、今日はたいした内容でもないのに長々と失礼しました。

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今日(日付が変わってしまいましたが)衝撃的なニュースが流れました。
僕らの世代では子供の頃からアイドル、芸能人の代表格だった西城秀樹さんが亡くなった、とのことです。
2度にわたる脳梗塞で大変な後半の人生だったらしい。

脳梗塞といえば、私の父も、平成になった年に50代である日突然脳梗塞になってしまいました。
生死の境をさまよい、なんとか命は助かりましたが、右半身と言語が全く機能しなくなってしまいました。
それ以後社会に復帰することはできませんでしたが、約24年間介護生活を続け生き続けることができました。
結局5年前に肺炎で他界してしまいました。

当時父は保険嫌いなのか、保険は殆ど使えず、もとから裕福ではなかったので経済的にも大変でした。(今も・・・ですが・・)
その後会社を辞めて、保険の仕事をしたのも何か関係あったのかもしれません。(当時は全く関連付けて考えていませんでしたが・・・)

当時父もまだ働き盛りだったので、倒れた当初はやはり社会復帰にむけて過酷なリハビリを続けていました。
ただ症状が重く、二度と社会に戻ることはできませんでした。

西城さんはどうだっったのか?
相当なものだったのでは?と想像します。
社会に復帰、特にあんなハードなステージをこなすためにとてつもない、一般的な人からは考えられないような、つらいリハビリを重ねていたに違いないと思います。

周りの家族も含めて、いつか完全に症状が回復する日を夢見てつらいリハビリの日々に耐えていたのかと思うと、さぞ無念だったと思います。

ちょうど私が埼玉県の小さな町から、東京に引っ越すくらいのころ、彼の曲が流行っていて、彼の曲を聴いているとそのころの記憶がセットで思い出されました。

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