サイト運営者日記「ぶらぶらうだうだ・・」

「タウンクリニックドットコム」「時代文化ネット」などサイト運営をするアナログ脱サラ(いつのまにか・・)親父のブログの何でも日記風ブログです。

当ブログは2018年3月よりURLが、
http://blog.livedoor.jp/chikao1216/
から
http://burauda.blog.jp/
に変わりました。サブドメインのため旧URLでアクセスしてもリダイレクトしてアクセスできます。
また名前も「サイト運営者日記・ぶらぶらうだうだ」に変わりました。

内容は「時代文化ネット」制作者が運営する日記で特にテーマはありません。
日常のサイト活動などにおいて見聞きした内容や、現在の社会や自身の生活などを通して感じたことなどをそのまま記載する形にこのたびリニューアルしました。
現在の掲載記事は以前の「穴狙い千ちゃん〜」「ちかお日記」に掲載されている記事をそのまま残してあります。
旧記事は「改修前」のカテゴリになっていて、「人気」???と記載があるのは人気があるかどうかは知りませんが、自分でまあまあ気に入っていた記事です。

改修前記事地理・気象

ブログネタ
自然現象全般(気象、地震など何でも) に参加中!

2月8日と2月14日の2回にわたって関東甲信越地方、特に内陸部を中心に記録的な大雪が降りました。

通常太平洋側では季節風の関係で冬場は雪はあまり降りませんが、たまに南岸低気圧によって降雪があります。10センチも積もれば大雪となり、交通機関はマヒ状態になり、普段慣れていない雪道を歩くことで多くのけが人がでます。

ところが昨今の異常気象のせいか、今年は南岸低気圧と強い寒気の影響で、信じられないような大雪に見舞われました。

多分数十年に一度クラスの降雪でもあり、多くの死者や負傷者がでています。

孤立地区も2月21日現在で山梨県を中心に埼玉、東京(西多摩地区)、群馬、長野西部などでまだ数多く残っています。このあたりは山地の標高が高く2000〜2500メートルの険しい山岳地帯が続き、谷も深く、このような災害に見舞われると深刻な状況になる自然環境です。

中学時代に東京と隣接する山梨県上野原に毎年キャンプに行っていました。
上野原から北にバスで1時間ほど山間に入った地域で山深いところで山を越えると東京の桧原村というところでした。
どうも今回はそこも同じような状況になっているようです。

特に後半の2月14日の雪は雨に変わるかもという予想が大幅に遅れ、夜半から明け方にかけて大変な量の積雪になりました。

その積雪量も山梨県河口湖で140センチ超、甲府市で114センチ、埼玉県秩父で90センチ超、熊谷市で63センチ、群馬県前橋市で73センチなどと雪国でもドカ雪と呼ばれるくらいの量になりました。
多摩地区でも八王子市で60センチ、青梅市や奥多摩町、桧原村などは1メートルに迫るような積雪になったとのことです。

ちなみに私の自宅から直線距離で7〜8キロの東京競馬場では一説によると最初の大雪で33センチ、2回目の大雪で48センチの積雪だったとのことです。そのため2月8,9,15,16日の期間中の開催がすべて中止になりました。
また直線距離で10キロくらいの府中市中河原の実家では2回目の大雪で木が雪の重みで倒れてしまい、業者に来てもらって撤去したとのことです。

しかもこの量の雪がほとんど一晩で一気に降ったということで、これは雪国でもそうそう頻繁にあることではなく、さらに日本でも有数の厳しい自然条件を加味すればこれはたまりません。

おそらく身近な地域では観測史上まれに見る大雪になったと思います。そこでこの大雪の様子を写真に撮り記録として残す意味も含め、掲載することにしました。

私は両親が雪国の育ちなので、冬場に北陸に行くことが多く、50〜60センチの積雪は経験していますが、まさか自分の住んでいる場所でこのようなことがおこるとは・・、本当にびっくりです。

まだ孤立している地区もあるようで、早くの復旧をと思っています。
それからこの異常気象の流れでこれから毎年のようにこのようなことが起きないことを願っています。
2月8日最初の大雪の降り始め
今回は相当な積雪になるという予報どおり、土曜日は一日中雪が降り、夕方からは風雪状態に
関東甲信越大雪201402081

夜には相当積もりました。すでに20センチくらいはあるか
関東甲信越大雪201402082

2月9日朝の様子
約30センチくらいの大雪に都知事選当日なのにまったく人通りはない状態
関東甲信越大雪201402091

車もすっぽり雪に覆われました
関東甲信越大雪201402092

2月10日大雪の2日後雪はなかなかとけず
仕事に行く道すがら、小金井市内
関東甲信越大雪201402101
畑の雪もかなり残っています
関東甲信越大雪201402102

2月14日2回めの大雪の降り始め
またまた雪が降り始めました。小金井市内
関東甲信越大雪201402141

仕事先の国立市矢川駅付近も積もりはじめました。
関東甲信越大雪201402142

帰宅するころには道も真っ白に、小金井市内
関東甲信越大雪201402143

東小金井駅も前回の雪の残りの上に積もりはじめました。
関東甲信越大雪201402144

帰宅してしばらくすると本格的な雪に、鉄道も止まりはじめました。
関東甲信越大雪201402145

前回の大雪をこえてしまいそうな状況に
関東甲信越大雪201402146

2月15日日付がかわりましたが雪はさらに激しくなりました
夜になるとさらに降りかたがはげしくなり、完全に前回の積雪を越えました。ガードレールの脚の部分がほとんど見えない状態です。夜0時15分頃
関東甲信越大雪201402151

朝には雨に変わりましたが、焼け石に水で、町は雪に埋まってしまいました。40センチ以上は積もっているようです。
関東甲信越大雪201402152

マンションから出るのもひと苦労です
関東甲信越大雪201402153

道は大量の雪とタイヤの跡と雨でとけた部分で歩行が難しい状態です。小金井市内
関東甲信越大雪201402154
同様に東小金井駅に向かう道、小金井市内
関東甲信越大雪201402155

東小金井駅は一部は雪かきがされていましたが、殆どはそのままの状態です。
関東甲信越大雪201402156

2月17日大雪から2日たちましたが雪はなかなかとけません
仕事に行く道すがら、小金井市内
関東甲信越大雪201402171

東小金井駅前の雪もなかなかとけません。
関東甲信越大雪201402172

2月19日武蔵境駅前もまだ雪が残っています。
所要で武蔵野市の武蔵境駅を通りましたが、まだだいぶ雪が残っている状態です。
関東甲信越大雪201402191

畑の雪もとけません。ハウスの合間の日陰にはまだ20センチ以上の雪が残っています。
武蔵野市内
関東甲信越大雪201402192

住宅街も雪かきした雪の山がそのままです。
関東甲信越大雪201402193

マンションの入り口にもまだ大量の雪が残ったままです。
関東甲信越大雪201402194

2月20日大雪からすでに一週間近くたちましたが、マンションの前の道はまだ歩道が使いにくいほど雪が残っている状態です。
関東甲信越大雪201402201

畑の雪も少し減りましたがまだまだ残っています。
関東甲信越大雪201402202

東小金井駅前の雪も若干減った程度でまだかなり残っています。
関東甲信越大雪201402203

住宅街でも雪はまだかなり残っています。小金井市内
関東甲信越大雪201402204


ブログネタ
自然現象全般(気象、地震など何でも) に参加中!

火曜日は夕方から夜に昔からの知人が昨秋にお亡くなりになったという話を聞き、その娘さんにお会いしてお線香をあげさせていただきました。

その後同行した人(元同じ会社の人)と別の客先に行き、さらにその後中野で遅くまで飲んでいました。
前職時代から大変お世話になっていたので、大変残念でした。

そして一晩たち、起きると一面の銀世界。

朝の段階で家の近くの道は雪が積もっている状態でした。

前日の朝の天気予報では南岸低気圧が発生するが、雨か雪のような予報で、
「もう春も近いのかな?」

などと甘く考えていました。

ところが思いのほか冷気が残っていたようでこのありさまです。

この日は昼前に多摩地区、国立、立川に用事があり午前中に準備をして出発しましたが、
この時間には靴がスボッと埋まるくらい積もっていました。

苦労して駅まで歩くと、中央線は遅れているとのことで大変でしたが、なんとか仕事を終えて戻りました。

簡単に測ってみると大体10センチ以上は積もっていたようです。
雪201202291
写真は家と駅の間で撮影しました。
雪201202292

上が道路に完全に積もっている様子で、下はジブリの前あたりです。

もう気温も高いので夕方には半分以上溶けてしまいました。

上記の南岸低気圧はたびたび春先の日本に大きな被害をもたらしてきました。
私が子供のころにはこの低気圧のことを気象の本などでも”台湾坊主”と記載していて天気予報などでもそのようにいっていたのをおぼえています。

過去の日本の行いの問題もあったのでしょうか?この言い方は適切でないということになったのでしょうか、その後は南岸低気圧という言い方に変わっています。

2月はまだシベリア高気圧(冬の寒気をもった大陸の高気圧)が優性で、日本付近には冷たい空気がたまっていますが、台湾付近には気圧の谷が出来やすくなり、ちょうどこの付近に坊主の頭のような形に等圧線が丸みを帯びたところで発生するのがこの南岸低気圧です。

それで前述のような呼び方になりました。

名前のユーモラスさとはうらはらにこの低気圧は大変な暴れ低気圧で、南岸沿いに北上してくるときに元からある寒気と南からの湿った暖気が交錯して急速に発達します。

それで冬はめったに雪の降らない太平洋岸にも大雪を降らせます。

くわしくは下記のURLをご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%B2%B8%E4%BD%8E%E6%B0%97%E5%9C%A7

今回は都心ではあまり積もりませんでしたが、山梨、多摩地方、埼玉、群馬などで一時十数センチ〜20センチくらいの積雪になりました。

親は雪国育ちですが、私は温暖な都会育ち、転びこそはしませんでしたが、悪戦苦闘、
特に立川駅前の踏み固められてしかも溶けかかった圧雪は手強かったです。

スキー場とは違いますね。

一雨ごとに春が近付いているということもいえるのでしょう。

ブログネタ
.気になったニュース38 に参加中!

全然知らなかったのですが、今晩ニュースで表題の話が流れ大変びっくりしました。
というより少しショックです。

最近の大きな市町村合併・統合の流れでしょうか、埼玉県の鳩ヶ谷市が10/11から川口市に吸収合併されることになりました。

私は特に故郷もない人間でこのようなことをいうのもおこがましいのですが、鳩ヶ谷市では多感?な少年時代を10年以上過ごしました。

「君は育ちはどこなの?」といわれれば、
「え・え〜っと」と少し考えながらも「やはり埼玉県の鳩ヶ谷市ですかね」
というと思います。

といいながらも流れ者の私は東京都在住は30年を超え、人から見たら正真正銘の東京人であるとは思いますが・・

以前仕事で浦和の美園に行った時、自分の昔住んでいた住宅が取り壊されて高層住宅になっていたことをブログにも書いたことがあります。
当時は昭和30年代にできたコンクリ(とは言いがたいバラック風のものでしたが・・)長屋風の建物でした。多分当時から住んでいる人は殆どいないのではと思います。

そのときに続き、街の名前さえも市町村名からは消えてしまうことになったわけです。

これからは
「君は育ちはどこなの?」といわれたときは、
「え・え〜っと、何て言ったらいいかなあ」と独り言を言いながら
「埼玉県の川口市の、あの、知ってます?昔は独立していたんですが・・、鳩ヶ谷っていうところを?」

と言わなくてはならなくなりました。

今はそこそこ知られているでしょうが、10年も経てば

「はあ??、何それ?知らねえな、詳しくわかるように説明しろよ!」
と言われるでしょう。

それでなくとも昔から、
「鳩ヶ谷です」というと
「ああ、ああ、わかる熊谷ね」

とよく言われました。

今回川口市に併入されましたが、この地域は数奇な運命をたどっています。

もちろん大昔は殆どの町は細かく区分けされた地域別の町や村で構成されていたようです。
ただ川口市というのはご存知の通り、昔から鋳物が盛んで、県内でもいち早く市制が施行されたようです。

その時は当然川口駅を中心とする中心部だけだったみたいです。

今川口市になっている北部や東部の農村部、いわゆる安行地区はまったく別で安行村など全然別の共同体でした。

戦後すぐの大きな町村合併などで安行や今回の鳩ヶ谷も含む地域もすべて一旦すべて川口市になりました。

もとから鳩ヶ谷市は足立区の入谷地区以外は県内ではすべて川口市と隣接していて、川口市の中にすっぽり入っている形でしたので当然と言えば当然のことだと思います。

ところがその後一度鳩ヶ谷は川口から分離、北足立郡鳩ヶ谷町となりました。安行などもそのとき一回分離出され北足立郡安行村(のちに安行町)になりました。

それがまた高度成長の大きな市町村合併で安行が再度川口市に編入されました。多分昭和40年になる寸前くらいだと思われます。
そのときに浦和東部でいわゆる大門といわれていた地域で独立していた美園村も浦和市に編入されたようです。

鳩ヶ谷、特に、私が住んでいた里(大字の名前です。いかにも・・という名前ですが)はこの安行は歩いてすぐで、大門(美園)などもひじょうに身近な地域でした。

そして安行や美園が消滅したことで鳩ヶ谷だけが独立した状態で川口や浦和などがどーん、とある中でぽっかり存在していました。
もう孤立していると言ったほうがいいのかもしれません。

そしてついに今回の合併です。いかにも合理的でなるべくしてなったという話でしょうがないとは思いますが、やはり少しだけさみしい話ですね。

鳩ヶ谷は埼玉高速鉄道が開通するまで、長年鉄道がなく、経済的にも文化的にも大きく遅れをとっていました。

サイギン以外まともな都銀やスーパーもできたのはだいぶ後でした。

一番驚いたのは、会社に入った後にたまたま赤羽にいた友達と遊びに行き相当振りに当時の住宅の友人に紹介して会ったとき、国道(122号)沿いのデニーズが23時で閉店してしまったことです。
都内では当時はありえない話でした。

言葉は東京に近いので殆ど東京弁ですが、当時は隔世された閉鎖社会なので実は地元では下記のようなことばを使っていました。

「あいけんえし」「とりとり」「みったねえ」「はっとばす」などなど

これが方言なのかはわかりませんが、ほぼこれが全国共通の言葉と信じ当たり前に日常使っていました。
大体はわかると思いますが、意味わかります?

以前一部はこのブログでも触れましたが、最初のことばはネットで調べたら、なんと「埼玉県鳩ヶ谷市で使われていることば」とあるサイトに出ていました。

「ええ?他の町でも使っていないんだ、うちの町だけなんだ」

これにはびっくり、会社の同僚で浦和の原山のやつがいたので、聞いてみたら
「はあ?知りませんよ、そんな言葉」
と言われてしまいました。

そういえば与野も同じ運命だったね、でも与野は政令指定都市だからね・・

「鳩ヶ谷、頑張れ!、鳩ヶ谷万歳!!」

もう手遅れです・・


☆☆☆☆☆

ブログネタ
.気になったニュース38 に参加中!

今年はびっくりするような災害が次々と起こります。

ご存知のように日本列島は今回台風12号によって甚大な被害を受けました。

個人的にも東日本大震災のときに福島県いわき市の小名浜に居合わせてしまい、津波に流されることは逃れましたが、数日間のわたって避難生活を送ることになったりとかなりの目にあいましたが、またもや気をもむような状態になりました。

8月の末に大型の台風12号が南海上で発達をはじめました。

表題のように私は9/4から山陰地方に旅行に行く予定になっていました。

当初台風の経路と予定は8/31ころか9/1ごろに日本列島に接近、もしくは通過というような感じだったので「まあ大丈夫かな」というふうに思っていました。

ところが台風は特殊な気象条件が重なり、8月の末ごろに南海上で停滞してしまいほとんど動きがなくなりました。

しかも規模も大きく、さらに例年であれば東にそれていくようなコースのところが、逆にどんどん西によれてしまい、日本を直撃するコースに変わってきました。

ニュースなど周知ですが、台風接近前から各地で大雨が始まっていました。

そして9月に入り、やっと台風も動き出しました。

ところが動きが遅く、まったく進まない状態です。

各地の雨も降り続き、すでに記録的な大雨になりつつありました。

そして9/2にまたもや停滞、ほぼコース取りが見えてきましたが、その後動き出した後も自転車並みの速度です。

さらに進路はなぜかいつのまにか山陰地方にむいていました。

9/3の前日になると近畿地方や、山陰地方も雨脚がひどくなってきました。

周知のように紀伊半島がどこよりもひどく、その後大変な災害になりましたが、テレビの報道では山陰地方なども相当な状態になってきました。

鳥取県の大山の雨量は9/3には800ミリ近くに達し、東郷池という湖があふれ出し、米子や安来ではがけ崩れや浸水が起きているようでした。

ところが台風はまだ四国付近でノロノロ状態。

「どうなるんだろうか。中止?」
「行ったら行ったで危険?」
いろいろ思いがめぐりました。

台風の影響で関東地方や中部地方も一部で大雨になっていて、奥多摩方面などは避難勧告もでていました。

3日の夜中に山陰方面に台風が接近、逆に山陰の雨は一段落しましたが、今度は行く経路上の兵庫県などが1時間100ミリ近いような豪雨になりました。

ネットで調べると、兵庫県や岡山、山陰地方の高速道路、主要道路、鉄道などはほぼ麻痺状態のようでした。

出発まであと数時間というのに・・。

結局朝5時に出発するころに台風は山陰沖に達しました。ところがまだ速度は自転車並みです。

東海道新幹線は強風もおさまったのでほぼダイヤどおりに動いていました。
大阪まで新幹線で行き、そこからバスの予定です。

途中富士川、琵琶湖付近の野洲川や愛知川などは信じられないような増水をしていました。

大阪はもう雨が止んでいましたが、そこから先はひどいようで、道路事情が心配でした。
添乗員さんによると、今さっき高速が通れるようになったとのことですぐに出発しました。
「何時につくかわかりませんがとにかく行きます・・」とのことでした。

中国道に入ると早速雨風が強くなってきました。
途中市川、加古川、揖保川などを渡りますが、普段はきれいな清流の川です。
ところが今日は荒れ狂って、川が一部氾濫しているところもありました。
11台風12号米子付近
(米子付近)

そんなこんなで大山のふもとを通過、米子に入りました。
大山から流れている川には川沿いに延々と土嚢が積まれていました。

また途中で渡る川も洪水の寸前のような状態でした。
11台風12号斐伊川
(斐伊川)

やっと出雲大社に到着、大雨の中を参拝して、玉造温泉に向かいました。

出雲から玉造は宍道湖の湖岸を走りますが、写真のように道路ぎりぎりまで水位が上昇していました。
11台風12号宍道湖1
11台風12号宍道湖2
本来は道路の下にもう一段低い堤防があり、そこが歩道や建物になっているのですが、建物は浸水というより水没していました。
11台風12号宍道湖3

翌日は玉造から松江に向かいました。

松江市内の宍道湖と中海を結ぶ川も一杯一杯に増水していました。
11台風12号松江市内
松江城から宍道湖方面の写真をとりましたが、写真の湖上に見える林のようなものは、本当は島だそうです。
11台風12号宍道湖4
島も水没していて、背の高い木しか見えていない状況でした。

やっと午後から天気は回復してきましたが、途中で見えた日本海は高波がたっていました。
11台風12号日本海鳥取
またその翌日にテレビニュースで流れていた、あふれていた東郷池を通りましたが、なんとか水は引いていました。

山陰地方はがけ崩れや氾濫などはひどかったのですが、人的な大きな被害はなかったようです。

しかし全国的には平成になってからの最悪の台風被害になってしまいました。

もうこれ以上災害が起こらないことを祈っています。

↑このページのトップヘ