サイト運営者日記「ぶらぶらうだうだ・・」

「タウンクリニックドットコム」「時代文化ネット」などサイト運営をするアナログ脱サラ(いつのまにか・・)親父のブログの何でも日記風ブログです。

当ブログは2018年3月よりURLが、
http://blog.livedoor.jp/chikao1216/
から
http://burauda.blog.jp/
に変わりました。サブドメインのため旧URLでアクセスしてもリダイレクトしてアクセスできます。
また名前も「サイト運営者日記・ぶらぶらうだうだ」に変わりました。

内容は「時代文化ネット」制作者が運営する日記で特にテーマはありません。
日常のサイト活動などにおいて見聞きした内容や、現在の社会や自身の生活などを通して感じたことなどをそのまま記載する形にこのたびリニューアルしました。
現在の掲載記事は以前の「穴狙い千ちゃん〜」「ちかお日記」に掲載されている記事をそのまま残してあります。
旧記事は「改修前」のカテゴリになっていて、「人気」???と記載があるのは人気があるかどうかは知りませんが、自分でまあまあ気に入っていた記事です。

改修前記事東日本大震災

ブログネタ
■旅行大好き■ に参加中!
またまた番組宣伝になりますが、今年で三年連続で出演いただきます。

いわき観光まちづくりビューロー・サンシャインガイド1407
一般社団法人いわき観光まちづくりビューローのいわきサンシャインガイド・鈴木真奈美さん
がFM世田谷『坂井賢太郎の昭和バンザイ』に観光のPRで出演します!
(2014年7月17日・7月24日放送)
いわき観光まちづくりビューローホームページ

おもな内容は、
・毎年恒例の小名浜港で盛大に行われるいわき市花火大会
・平七夕祭り
・いわき踊り
・フラガール甲子園
など盛りだくさんです。

ネットでもリアルタイムで聴けますので、ぜひ時間にゆとりのある方は聴いてください!

番組のご案内
放送は通常のラジオ放送はもちろん、ネット上でリアルタイムのみ聴取が可能です。聴取可能地域以外の方は下記のURLをご利用ください。
聴取用画面のURL(ネット環境があれば日本全国どこでも可能)
※画面にご案内がございますが若干のPC環境の整備が必要になります。
・放送局:FM世田谷・・83.4MHz
・放送日:2014年7月17日(木)および7月24日(木)の22:00〜22:30
・番組名:『坂井賢太郎の昭和バンザイ』
・ラジオ聴取可能エリア:東京都23区西部(世田谷区、杉並区、中野区、渋谷区、練馬区、新宿区など)および多磨東部地区(武蔵野市、三鷹市、調布市、狛江市など)
・スマホをご利用の方は、下記URLにラジオ聴取専用アプリのご案内がございます。
FM世田谷のホームページ

ブログネタ
風景の写真 に参加中!

東日本大震災以来、当時小名浜港のすぐ近くにいた関係もあり海に近いところに行くことができませんでした。

一年たってそんな気分もだいぶ和らいできました。

日曜日は仕事関係で横浜のベイサイドマリーナの集まりにご招待いただきました。
久しぶりに海辺の心地良い風にあたってきました。


ついでに海の写真も撮ってみました。

ホームページ用に使えれば、という目的もありますが、一部をご紹介します。

望遠でうつしましたが、
相変わらず腕はまったく上がっていません・・・

ピンボケ・・・
横浜ベイサイドマリーナからの東京湾1

横浜ベイサイドマリーナからの東京湾2

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東北地方☆みちのくの旅 に参加中!

サイト活動の一環でいわき市の観光情報をご紹介します。
今回は下記の観光関係の統括をされている社団法人いわき観光まちづくりビューロー様からのお知らせです。
この情報は私がサポータをしている非営利活動特定法人(NPO法人)ふるさとテレビにも地域振興情報として発信しました。
今週のなかばごろにはアップされる予定でニュースリリース画面でご覧になれます。
ふるさとテレビホーム
ふるさてテレビニュースリリースのページ

また4月中には当サイトでご掲載いただいている、「小名浜港観光遊覧船・いわきデイクルーズ様」も運航を再開される予定という情報が入ってきました。詳細はまだ未定ですが、港が地震や津波で甚大な被害を受け震災以来運航を休止していたのがやっと再開のメドが立ったという話です。ただまだ詳細は確定していないようですから必要がありましたら直接お問合せください。
当サイト・いわきデイクルーズ様のページ

前置きが長くなりましたが、お知らせです。
社団法人いわき観光まちづくりビューローさんから、いわき市の観光PRのお知らせです。
参考:いわき観光まちづくりビューローホームページ

ー記ー
東北で春が一番最初に訪れるいわき市へお越し下さい
『フラガール』の生まれた街いわき市!
1スパリゾートハワイアンズがグランドオープン!
 ・新ホテル 「モノリスタワー」も好調。
 ・ビーチシアターもリニューアルオープンし、270°のパノラマで楽しめます。
・ウォーターパーク(プール)も新たに改造。トロピカルムード満点!
スパリゾートハワイアンズ・グランドオープン1
スパリゾートハワイアンズ・グランドオープン2
2アクアマリンふくしま
震災以降、県外に避難していた、トドのイチローが1年ぶりにアクアマリンふくしまに帰ってきました。また、昨年生まれたゴマフアザラシの「きぼう」が春休みに1の誕生日を迎えます。これを記念して、3月17日からスプリングイベントを開催! 
イチローときぼうグッズがもらえるキャンペーンを実施。さらには、桜の花と金魚の
コラボレーション展示やキッズ向け参加型イベントなど、盛りだくさん。

3その他の観光施設
いわき市石炭・化石館(ほるる)や、いわき・ら・ら・ミュウ、小名浜美食ホテル、勿来関跡など、たくさんの見どころ満載!

4交通案内
 市内は、常磐自動車道と磐越自動車道の高速道路2本が走り、ICが5カ所、JRの各駅が14駅と各所へのアクセスが非常に便利!
 また3月17日より上野―いわき間を走る特急「スーパーひたち」号は最新型車両での運転が始まりました。(E657系電車・一部列車のみ)
例年、4月上旬には、桜も見ごろを迎えます。
どうぞ、HPをチェックして、お越しください。

 ◆FM放送でいわき市の観光をPR!
FM世田谷・坂井賢太郎の猫ふんじゃった収録写真
第26代サンシャインガイドいわきの遠藤美保さんがFM世田谷のラジオ番組に出演して、いわき市の物産や観光をPRします!
放送内容のご案内
放送はネット上でリアルタイムのみ聴取が可能です。下記のURLをご利用ください。
・放送局:FM世田谷・・83.4MHz
・放送日:2012年4月7日(土)および4月14日(土)の21:00〜21:30
(各30分・2回に分けて放送)
・番組名:「坂井賢太郎の猫ふんじゃった」
FM世田谷のホームページ 
(トップページ上段・インターネット配信中のボタンから入れます)
※画面にご案内がございますが若干のPC環境の整備が必要になります。
※文章、写真等は社団法人いわき観光まちづくりビューロー様およびFM世田谷様の作成・撮影です。  
(編集:タウンクリニックドットコム)

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地震。。。 に参加中!

昨年の3月11日の13時35分くらいに福島県いわき市の常磐線・泉駅の売店で何気なく福島銘菓の「ままどおる」を買いました。

「ままどおる」は福島県郡山市の三万石の製造する銘菓で、県内ではゆべしと並ぶ、全国区のお菓子です。


小名浜には学生時代に友人の関係でよく遊びにいっていましたがそれからしばらくはほとんどご無沙汰していました。
脱サラしてからしばらくして、仕事でいわき市に頻繁に行くようになりました。
多分2〜30回は行っているのではと思います。


しかし私は名前は聞いたことがある程度で「ままどおる」のことはほとんど知りませんでした。
一応県内ということで泉駅の売店に置いてあるのを見てたまに買うようになりました。
妻は以前からこのお菓子を知っていたみたいで、土産に買っていくと喜ぶのでというのもありました。

2010年の秋に郡山経由で会津に日帰り旅行に行ったときなどは、郡山はご当地なので夫婦で「ままどおる」の違うバージョンなどもさがしてごっそり買い込んだくらいでした。


ですからこの日も何気なく土産に買うつもりだったわけです。

ところが・・
一時間後にあの大震災が起こってしまいました。

たまたまその日は財布にはそこそこのお金、バッグにはタバコが3箱くらい入っていました。
偶然ですがタバコは前日に買ったものがそのままで、お金は集金したお金がまだ家に入れる前という状態でした。

でも食料は二日酔いで食べ残した調理パンが半分くらいしかありませんでした。

地震の後しばらく知人の家で避難生活を送りましたが、東京もそうだったようですが食べ物、飲み物はほとんど手に入らない状態でかばんの中にあった「ままどおる」はいわば心の支えになりました。

でも避難させてもらいお世話になっているので、地震の翌日にスーパーに長時間並んで買出しをした後に、皆さんでどうぞと差し上げました。
当然といえば当然の話ですが・・

3日ほど滞在して出発、東京を目指し1泊2日かけてなんとか帰り着くことができました。

それから昨年の7月、今年の1月、2月と3回ほど小名浜を訪ねていますが、いずれも駅の売店で「ままどおる」を必ず買っています。

だからどうだという話ではないのですが、大震災から11日で一年になりますが、直接的な話では「ままどおる」を見ると震災を思い出してしまいます。

でも地震の後に少しでも私の心の安心にも寄与してくれ、そして食料が全く底をつき長期的にも確保が難しい環境になった状態で他の家に避難させてもらったときに少しでも貢献してくれたわけですから「ままどおる」には助けてもらったと思っています。

ミルクたっぷりでしかもシンプルな美味しさ、甘い物は苦手ですが、これは結構美味しいと思っています。

「ままどおる」万歳!

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東日本大震災に対して「何か」できること に参加中!

土曜日
土曜日は福島県いわき市に仕事で出張しました。
大国馬上建築様とホームページの打ち合わせをしました。

打ち合わせの後、社長の息子さんと食事などのために車で小名浜から北の海岸沿いを少し車でまわりました。

私自身も東日本大震災当日、小名浜港近くで地震にあい数日間現地で避難していましたが、当時は危険な状態だったので海岸や港に近付くことができませんでした。

また昨夏に訪問した時も時間の関係もあり、港には行きませんでしたのでその惨状を目にすることはありませんでした。

もう一年近く経っているので小名浜港はほぼ観光施設なども大方営業を再開していました。
ただよく見ると漁港近くの店や旅館、民家などは大きなダメージを受けた状態のままになっているようでした。

看板やシャッターなどは津波のために大きくへこんだり、破損しているところがたくさんありました。
息子さんの話だと、こちらでも家の一階が完全に水没するところまで浸水したとのことです。

以前ブログにも書きましたが、息子さんは消防団に入っていたので地震直後に海岸沿いの民家で救助活動を行っているところに津波の大きな第二波がきて、胸の辺りまで水につかってしまい危うく難を逃れたとのことでした。

私のサイトに掲載いただいている魚市場の向かいの飲食店も一階が全滅で9月ごろにやっと営業再開にこぎつけたそうです。
月曜日に電話で話しましたが、漁もまだ禁止になっているとのことでまだまだ大変な状況が続いているとのことです。

魚市場付近から、三崎公園という突端で少し高台になっているところを過ぎて北側に行くと、さらに大きな被害を受けた地域になります。
永崎海岸から中之作、江名という地域になります。
このあたりは山が急に海岸になっていて、その間のせまい平地に民家などがたくさんありますが、津波の直撃を受けてかなりの被害を受けました。

車で走っていくと、民家のうちあちらこちらに何もない更地になっているところがかなりありました。
津波で流されたり、全壊になった家だということです。

道路の標識やガードレールなどもいまだに大きく傾いたり、大きくへこんだままになっていました。

また永崎海岸は夏はこの近辺では大きく賑わう海水浴場なのですが、地震と津波によって砂浜が完全に消滅してしまいました。

息子さんによるともっと北に行くと塩屋崎、そして久ノ浜という地域でここはさらに甚大な被害を受けたそうです。
津波で流されたうえに、火災が発生してほとんどの民家が大きな被害を受け、人的な被害も甚大だったそうです。

小名浜の中心街も地震、津波のあとにさらに大きな余震が続き、住宅も転居が必要な方がたくさんいる状況です。
私がホームページを管理しているお店もその一軒です。

原発の風評被害の問題も加わりまだまだ問題は山積みですが、一刻も早い復興を願います。


日曜日
日曜日は今度は逆にいわき市の外郭団体である社団法人いわき観光まちづくりビューロー様が東京にいらっしゃいました。
というのもメディア関係の知人の手配でラジオに出演することになり、そのお取次ぎをしたので私も収録に立ち会いました。

出演されたのはいわゆる「観光大使」のような仕事をされている女性で、その部署の方も付き添いでいらっしゃいました。その女性の家も津波で流されて大きな被害を受けてしまったそうです。

昨年から復興のためにフラガールと一緒に全国各地をめぐっているとのことです。

また今回名産のイチゴを持ってきていただきました。放送用でしたが私もお土産にいただきひじょうに美味しかったです。

2月8日には「フラガール」でおなじみのスパリゾートハワイアンズも新しいホテルも加えグランドオープンになります。

まだまだ完全復活には時間はかかるかもしれませんが、一歩一歩復興に近づけて行くしかないのでできることはお手伝いさせていただければと思っています。

ブログネタ
地震。。。 に参加中!

先日このブログでもリンクで紹介した、東日本大震災をある程度感知していたとされるブログ「地震くるみる」 (個人で地震予知を研究されている方の日記)では、まだ日本においてもかなり大きな地震の発生を警戒されているような感じの記事が続いています。

そんな中皆さんご存知だと思いますが、今度は先日トルコで大地震が発生しました。
内陸型で建物が多数倒壊して大きな被害になっているようです。

建物の様子などを見ていると相当な揺れだっとのではと思います。

私は阪神大震災は経験しませんでしたが、親戚が殆ど関西にいるのであの地震の3ヵ月後に見舞いも兼ねて関西を訪問しました。
最初は別の用事があったので特に被害はなかった大阪狭山でしたが、次に宝塚と三田(住所は北区鹿の子台ですが)の親戚に行きました。

そのとき車で宝塚(といっても雲雀丘です)から三田まで車で向かう途中は完全に倒壊したままの家などがそのままになっていて大変驚きました。

目の前で見るとテレビなどで見る印象とはまったくちがうショッキングな情景でした。

当時幸いにも三田の家は大丈夫で、宝塚の家は多少の被害を受けたようです。
一番被害があったのは甲子園にいた親戚で、たしか屋根が落ちて怪我をされたというようなことを聞きました。

また元実家があった豊中(といっても伊丹空港の近くです)は大阪府ですがかなり被害を受けていました。
当時はもう空き家でしたが、数年後に用事で家の中に入ると2階などは外側からもわかるような亀裂が入り、中の家具が倒れて鏡などは割れていました。

トルコではまだ救助が続いているようですが、生還者が多くいらっしゃることを祈っています。

そんなこんなで地震のことをまたいろいろ考えるようになってしまいました。

たびたびブログ内でもふれていますが、私地震も今回たまたまいわき市小名浜で震災に遭ってしまいました。

あの時3月15日にやっと東京に戻ってきて数日後に「3月11日の日記」という題でそのことを書きました。
内容的には大部分は地震にあうまでの経緯と地震前後の様子を中心に書きました。

その後のことは諸事情もありあまり詳細は書きませんでした。

一部は正確に憶えていませんが、その後のことをここで思い出してみたいと思います。

地震後に、
「どうやって帰るの?」と言われ
どの程度の状況か当時まったくわからない状態だったので、取引先の事務所の固定電話で必死に何回もダイヤルして地元のビジネスホテルになんとか連絡をつけましたが、
「休業しております」「電話に出ない」など泊まれる、泊まれない以前の状況のようでした。

頼み込んでその取引先のご自宅に何とかなるまで、いさせていただくことになりました。

ただご主人はそれどころではなく、まず破損した工場の片付けや、水が止まってしまったので水の確保に走っていました。

津波は小名浜では浸水したのは一部を除いては海岸から1キロ前後のところまでしか浸水しなかったようです。
後で調べてみたり、地元の人に聞いたところでは私がいたところは地震発生と同時に火災になった道の向こうの大きな工場のおかげで来なかったとのことです。
工場が盾のような感じになったようでした。

ご主人の車に同乗して家に向かう途中も道は大きく隆起して、電柱も傾いているものが多かったのを憶えています。
ただ全部が倒壊しているような家はなかったと思います。

家に着いても10〜20分に一回くらいは「ガタ、ガタ、ガタ」
と余震が襲いました。当日はほぼ一晩中そのような状態が続き、多分被災地域の人で無事だった人も眠れた人は殆どいなかったのではと思います。
余震は多くはだいたい震度3〜4くらい?という感じでした。

皆急に地震に見舞われたので、そのような備えをしている人はやはり少ないと思いますが、地方なのでそれなりに備蓄のある方が多いようで近所や知人などと協力して水や食料の確保につとめているようでした。

ただお世話になった家でも夕方の段階でまだ全員と連絡がついていないようでした。

高校生の息子さんがまだ帰ってきていないようでした。

その高校は小名浜と永崎というところの間の小さな岬のようなところの高校のようでした。

実際に後で動画の記録で見たのですがもちろん小名浜も大きな被害を受けましたが、永崎以北はさらに大変な被害があったようです。

その家にはその地区に家がある親戚もすでに避難してきていて、第一波のあとに家に戻ろうとしたらさらに大きな第二波に見舞われ危なく流されるところだったと言っていました。
足くらいまで水につかったと言っていました。

ちなみにネットでだれかが撮影したいわき市永崎の津波の様子の動画がありましたので、参考までに。
http://player.video.search.yahoo.co.jp/video/8c1aa2030109ebeb26ee2df4d1385aea?p=%E3%81%84%E3%82%8F%E3%81%8D%E5%B8%82%20%E6%B4%A5%E6%B3%A2&b=1&of=&dr=&st=&s=&pd=&ma=&rkf=1&from=srp

そして夜前くらいに親戚などはほぼ無事が確認できたようでした。

幸い電気は回復していたのでその後はひたすらテレビをつけっぱなしの状態で、皆ある食料で食事をして、こたつを囲んで一晩をすごしました。

私も家の人に「遠慮しないで食べてね」
とは言われましたが、この先どういう状態がどれくらい続くかもわからないので、遠慮してしまい殆ど食事には手をつけませんでした。

お茶だけはなぜか地震直後に破損したパチンコ屋の自動販売機が稼働していたので、一本買ってありましたのでそれをチビチビ飲んでいました。

ところが夜から朝にかけてのニュースなどを見ると、とんでもない状態になっていることがだんだんわかってきました。
「いつ東京に帰れるのだろうか」

仕事の期限などもありましたが、それ以上に家族と地震直後の固定電話以来まったく連絡が取れなくなっていたので津波には遭わなかったことも連絡できていませんでした。

でもテレビなどではるかに深刻な状況になっている地域がたくさん放映され、これぐらいの状況であれば自分のことは自分で何とかするしかないんだということを自覚しました。

翌日はスーパーの買出しを手伝いました。
後で聞いたら東京も同様だったようですが、パニックが起きて食料の争奪戦がおこっていました。

レジに約2時間くらい並びました。当然水や米などは皆無です。
並んでる時も比較的大きな余震があり店の屋根からぶら下がっている大きなガラスがゆれました。
店員はあわててガラスの下にいる人をその場所からずれてもらうように誘導していました。

この先どうなるだろう?本当に心配になってきました。

家に帰ると落ちた瓦の掃除を手伝いました。落ちた分だけでなく、緩んでいる物もすべてはずしてしまわないと危険なのだそうです。
屋根に上っている人から屋根の横にはしごで登り、瓦を受け取り、下の人に渡す役をしましたが、そのときも余震が起こったらどうしようとかなり恐怖でした。
幸い作業中に余震はありませんでした。

その晩大きな余震がありました。震度5でした。
本震ほどではありませんが、恐怖感が残っていて思わず飛び出しそうになりました。

またその日の午後福島第一原発で爆発事故が起きました。
現地のみならずいわき市あたりでも放射能漏れの恐怖も襲いました。
当時はまだどの程度の事故かまったくわからない状態だったので、比較的近い地域の人は皆同じように思われたと思います。

大津波警報はなかなか解除されませんでした。
そのとき地元の知人が言っていたのですが、津波はずっと押し引きを繰り返し続いていたようで、翌日の明け方まで続いていたようです。
ネット動画などで津波の様子が流れていますが、実際には救助など関係の人以外は海岸近くには一切近寄れない状態が翌々日くらいまで続きました。

その時聞いた話では、私がサイトなどでも掲載している水産関係の飲食施設などはほとんど全滅状態とのことでした。
安否の話もまったくわからないようでした。
皆自分の身内の安否を確認するのが精一杯だったようです。

そして問題はいつ電車が動くかということでした。
JR常磐線はいわき以北はとてつもない被害を受けたようでした。電車や駅が津波に流されているニュースなどもやっていました。
いわきから水戸の間のことはテレビなどではほとんど触れませんでした。

結局取手以北でも1ヶ月近く、水戸以北はさらに数週間不通だったようです。

3月13日の段階ではどうにもならなくて当たり前だったようです。

しかもこれに加え、計画停電のニュースが流れ、さらに交通手段が制約されることになりました。

3月14日の朝、とにかく東京に向けて出発することにしました。
帰り方はわかりませんでしたが、むこうの家の人は、
「福島空港で臨時便が出るニュースをやってたから、タクシーでいけるところまで行って避難所で泊まって空港まで行ってみたら。キャンセル待ちみたいだけどね」
と教えてくれました。

そうするしかないかな、とも思いましたが、ニュースでやってるということは相当の人たちが押しかけているに違いないし、キャンセルなんて出るのだろうか?
とも思い、国道6号線が通じているかわかりませんが、このルートは逆に北に行く必要もないし、もしかしたら水戸まで行ければ何とかなるかもしれないと思いそちらのルートで帰ることに決めました。

そして以前にも書きましたが、家の固定電話を借りてタクシー会社に片っ端から電話をして交渉をしました。

燃料不足、渋滞、北茨城付近の津波被害がすごくまだ海岸沿いは危険などの状況で、なかなか交渉は成立しませんでした。

「一社だけ日立までならいいよ」という会社があらわれました。
よかった!

とにかく1キロでも東京に近づきたい気持ちでした。

タクシーに乗るとけっこう順調に進みました。

6号バイパスから勿来で6号に入り、海沿いに入りました。
実際のところはわかりませんが見た目には勿来は想像していたほどの被害には見えませんでした。

ところがそこから北茨城の大津港、磯原と進むとすごい光景に豹変しました。

特に海岸沿い付近は家が何軒も連続して完全につぶれている状態のところもありました。
また流れてきた材木のようなものなどがそこらへんじゅうに散乱しているところもありました。
目をおおうような光景です。

またいわきは地震後すぐに電気は回復しましたが、こちらは皆停電しているようでした。

そして3/11日記に書いたように駅間の線路上に電車が停車したままでした。かなり海岸に近いところで地震と同時に停車したようでした。
乗客は皆電車を降りて避難したのでしょうか。

しばらく行くと6号線はようやく海岸沿いから離れました。
少しほっとしました。この日もタクシー乗車中に茨城で震度5の余震がありました。

高萩から日立もみな停電していました。信号が消えていて大きな交差点には警官が出ていました。

東京も含め当時ガソリンスタンド渋滞というのが発生していて、この地域も買出しとGS渋滞でいたるところで大渋滞が起こっていました。

「日立に着くけど、どうする?」
「水戸までなんとかお願いできませんか?」
「いいよ、このさいだから。困っているみたいだしね」

ありがたい言葉でした。
私を乗せた運転手さんは元は東京の人で、たまたまいわきに長年勤めそこで退職したのでまだ働こうということで現地でタクシーの運転手をはじめたようです。

また渋滞の中で6号線を進みました。
よく見るとこのあたりも揺れは相当ひどかったようで、数メートルもあるような神社の大きな石碑がそのまま倒れていたり、国道沿いの石塀が100メートルくらいにわたって全部倒れているところもありました。

ひたちなかからバイパスに入ると国道も道が数十センチ単位で隆起して大変な状況でした。
なんだかんだでやっと水戸に到着しました。
水戸駅の近くで車を降りました。時間は12時すぎ。小名浜を出発して約4時間くらい経っていました。

水戸の町は静まり返っている感じでした。
パッと見では大きな被害に見えませんでした。

まず泊まるところを確保しようと重い荷物を抱え駅西側のホテル街を歩いてまわりました。
ところがよく見ると皆玄関や入口のアプローチなどが大きく破損していて、人の気配はありませんでした。
思っている以上に水戸の町も地震で被害を受けていることがわかってきました。

結局ホテルどこも休業しているようでした。

「まずい」
それで駅を越えてターミナルのほうへ行こうとしました。
ところが水戸駅は立ち入り禁止になっているようでした。
水戸駅は最新の駅ビルが完成して、自由通路や陸橋で駅の両側が結ばれていましたが、大きく破損して危険な状態になっているとのことでした。

反対側まで歩くしかありませんが、駅の地図によると「千波湖」の方の橋まで線路を渡るところはないようです。
これが歩いてみると大変な距離でした。
約30分かけて反対側の中心街のほうに着きましたが、そこはさらに厳しい状態でした。

駅前のビルはガラスが割れたビルがたくさんあったようで歩道のいたるところが立ち入り禁止になっていました。

まず宿泊施設をさがしましたが、先程同様まったくだめでした。
タクシーの運転手に聞いたら15分くらいの知り合いの旅館はやっているよ、と親切に調べてくれました。
ただ木造というのを聞いて、正直このときは頑丈な建物でないと泊まる気分にはなれませんでした。

交番に相談に行くと、
「それならこの近くの三の丸小学校というところに避難所があるからそこに行ってくれ」といわれました。
最終的にはそうするしかないと覚悟しました。

まだ寒かったので野宿出来るような状態ではありませんでしたし、かなり衰弱していたので危険だと思ったからです。

ただ幸い水戸は水が一部出始めていて、トイレにはいることができました。

いわきではトイレは自宅でタンクに貯めた水で流す以外は屋外のトイレはすべて閉鎖されていました。
そういうこともあり人の家のトイレを使うのは気が引けて、ずっと我慢していました。

そしてもしかしたら路線バスを乗り継いで土浦あたりまでいけるかもしれないと思い、ターミナルで調べてみました。
しかし地域の路線バスは動き始めていましたが、友部までが精一杯のようでした。

最後の望みをかけて携帯の残り少ないバッテリーで茨城の知人に電話をかけてみました。
と、なんと出てくれました。
ただ彼もガソリンが入手できなくて、牛久あたりまでしか出られないとのことでした。

話の中で「つくばに行く臨時バスは出てる」というと。
それなら「つくばから牛久方面にまたバスがあるはずだからもし大丈夫だったらもう一回連絡してくれ」
とのことでした。

まだつくばのバスは間に合う時間でした。

あわてて今度はタクシーで反対側にまわり、つくば行きの臨時バスに乗ることにしました。
「何時間くらいかかりますか?」
「そうね、だいたい3時間くらいはかかるよ。下道だし渋滞がひどくてね」
「トイレは?」
「ないからここで済まして」
と言われました。

あまり何日も用を足していなかったうえに、食べ物もほとんど食べていなかったので、小用だけ足して乗車しました。

バスはどれくらい乗っていたのかあまり記憶がありません。乗ったらとにかく眠くて熟睡してしまいました。
考えてみたらこの3日間合計しても何時間くらい寝たのでしょうか。

つくばに着くと運良くひたち野うしく行のバスに乗ることができました。
つくばから都心へのつくばエクスプレスは計画停電でこの日は午前中しか運転していませんでした。

やっと首都圏に帰ってきました。
もう夕方の6時をまわっていました。

そこから車で龍ヶ崎の知人の家に泊めてもらいました。
このあたりもかなり地震もひどかったのと、水もやっとこの日に出始めたとのことでした。

カレーを出してもらいましたが、あまりの空腹と衰弱で体調が悪く残してしまうような状態でした。

翌朝彼の通勤と一緒に出るので、朝5時半過ぎに出発、関鉄の龍ヶ崎駅まで田んぼ道を約40分歩きました。

そこからバスで取手に出るとのことでした。

地震の影響で取手からの常磐線はまだ不通でした。本当だったらバスで佐貫に出るのだそうです。

バスは出発からほぼ満員でした。取手行きはこの後午前10時くらいまでないそうです。

佐貫、藤代とバスは進みましたが途中であふれるくらいの人がバス停にいましたが、途中からは満員通過になってしまいました。
私も立っていて大きな荷物があったのですがどうにもならないくらいの混雑でした。
あの人たちはいつになっらバスに乗れたのだろうか、今でも気になっているくらいです。

バスは約1時間で取手に着きました。
今度はふだんでも混雑するので有名な常磐線です。
常磐線は取手から先は牛久付近から先で線路が大きく破損したそうで当分開通できない状態のようでしたが、
取手以南は地震の被害は少ないので開通していましたが、計画停電の関係で各駅停車は運休、快速も約30分毎という乗客数からしたら考えられないような間引き運転でした。

電車も取手でほぼ満員でした。
天王台、我孫子、柏、松戸と駅に着くたびに並んでいる人たちだけで満員になるような人数の乗客が駅にあふれていました。

体が一ミリも動かせないくらいの状態で北千住に到着、たまらず降りてしまい、日比谷線へ。

日比谷線はなぜかそれなりの本数を運転しているうえ、逆に計画停電の関係ですべて始発でした。
おかげで座ることもでき、恵比寿までずっと日比谷線で行きました。

間引きのない山手線、中央線を乗り継ぎやっと東小金井に到着しました。
家に着いたのはお昼少し前くらいでした。

家に帰り固定電話で家族や親戚に無事の連絡しました。
皆ほっとされているようでした。

ふだん私たちはいろいろなサービスを当たり前のように使ったり、受けたりしています。
今回それがどれくらいありがたいものなのかを身にしみて感じることができました。

ブログネタ
地震 に参加中!

今年は本当にぶったまげるようなことがたびたびおこっています。
その中でも本当に驚いたのは、

東日本大震災の時に小名浜港の近くにいたときのことです。

車のラジオで、大津波がくるから避難するようにとニュースが流れ町は大混乱におちいりました。
あちこちでサイレンは鳴りっぱなし、
逃げる車で大渋滞、

交通整理や藤原川の堤防を見張るためか、おまわりさんと消防の人がおおぜいでていました。

近くに高台もなく、近くの消防署は混乱中で入れてももらえず(当然ですが・・)、

あー、どうしようと焦っていたときです。

ふと見ると、一人の高齢のご婦人が道を歩いていました。
慌てている様子もなく、ゆっくり歩いていました。

と、見ると、
なんと犬を連れて散歩をさせていました。

様子を見に行くという感じでもありません。
いつもの散歩の時間なのでしょうか。
いずれにしても肝がすわっているのか、
とにかく驚きました。

ブログネタ
三陸沖の地震、大丈夫でしたか? に参加中!

前日遅かったので、少し寝坊。今日は水産加工業者さんと打ち合わせや新規でHPを依頼したいという業者さんと面会がありました。
本来青春18きっぷでと思っていましたが、間に合いそうもなく急いで出発。
上野駅に着くと、ちょうど10時30分発フレッシュひたち間に合ったので、乗車。
水戸で降りて、ここから18きっぷ使用で12時13分発普通列車に乗車しました。
13時34分に泉駅着、今日はバスで直接うかがうことになっていたので、バスに乗り業者さんの会社に14時くらいに到着しました。

早速サイト、HP、アンテナショップの話などをしていましたが、しばらくすると常務さん(先方)の携帯が何度か鳴りました。
「あ、電話ですか?」
「いや、地震だ」
「??」
実は私は携帯の緊急地震速報を知りませんでした。
テレビなどで見ていると、最近よくこの速報があり、たまにはあまりたいした地震でない場合もあります。
このあいだも東北で地震があり、余震が続いていたのでその関係かな?などと思っていると、
警報どおり少し揺れ始めました。
すぐおさまるかな?と思っていると、結構大きく揺れ始めました。
「え?大きいぞ」
常務と私はすぐ会社の事務所から外へ出ました。

外へ出ても揺れはおさまらずどんどんひどくなってきました。
そのうち大きな振幅の横揺れに変わってきました。
これはもしかしたら相当大きな地震か?

などと思っていると、今度は急に激しい横揺れに変わってきました。
「ひやーっ」
ごぉ〜と地面が鳴るような音がしてきました。
ほとんど立っていられない状態になりました。

目の前にある和風の立派な民家もガシャガシャと音をたてて、上下にバウンドするように揺れ始めました。
地面のうなる音と、民家のバウンドする轟音があたりにひびきわたりました。
もしかしたらこの家は倒壊するのでは・・?

とんでもない大きな地震になってしまった・・。
その轟音と揺れがピークになったとき、目の前の家も大きくバウンドして屋根の瓦がバラバラと落ちて、下に止めてあった車に降りかかりました。
車のガラスが割れる音が響き渡りました。

と同時にやっと揺れはおさまりました。
「何があったんだ?」

ほとんど腰を抜かしそうでしたが、我に返り工場の裏側に様子を見に行きました。
となりのパチンコ屋さんの大きな屋根の一部も崩落していました。

常務さんは工場の状態を見に行き、ほかの従業員の方と片付けを始めました。
工場は壊れた物は少ないようですが、一部破損したものもあるようでした。

いっせいに町中のあちこちでサイレンがなり始め、目の前の呉羽の工場が火災になったみたいで煙がモクモクではじめました。
「これは大変なことになった・・」

「津波は大丈夫ですか?」
「どれくらいの地震だったんですかね?」
全く状況はわかりません。

「大丈夫だよ。ここは海から少しあるし、ここまでくるのは相当な津波だよ」

といわれていました。
いずれにしても私はこの辺の地勢などは全くわからないし、このあたりは小高いところは相当行かないとないので逃げようもありません。
工場の前の道には車が殺到してきて動かなくなりました。

海(小名浜港)からはだいたい1キロ半くらいだそうです。
地図( http://www.mapfan.com/m.cgi?MAP=E140.53.17.8N36.56.46.0 )
「大丈夫なんだろうか?」

とにかくどうにもならないので津波が届かないことを祈り、運を天にまかせました。

その時、隣のパチンコ屋さんに救急車が来て、しばらくすると発車していきました。
けが人が出たのでしょうか。

そのうち急に空に黒雲がたちこめ真っ暗になってきました。そして冷たい強い風が吹き始めました。
そして雪が降り始めました。
天気も急変したようです。

やっと従業員の方の車のラジオからニュースを聞くことが出来ました。
震源は宮城県沖、マグニチュード8.4
各地に大津波警報です。津波は10メートル以上です。
「え??」
これを聞いた常務たちもびっくり。
「10メートルだとここもくるぞ!」

と話していいると、また大きな揺れがおこりました。
余震です。かなりの揺れです。
町のサイレンもなりっぱなしです。

またしばらくすると大きな余震です。
「ガタガタガタ」

「なんでこんなことになってしまったんだ・・」
といってもはじまりませんが。


でもなぜかこの場所には津波はきませんでした。
「よかった。生きのびた・・」
本当に真剣にそう思いました。

その日からしばらくは、危険な上に当然列車も動いているはずもなく、常務さんの家に置いてもらうことになりました。

それから間断なく続く余震と、水が出ない毎日に悩まされ、やっと3/14の朝に津波注意報も解除されたので、東京に帰るために出発しました。
ところが燃料や渋滞、津波の恐怖の問題などもあり、タクシーは国道6号で日立方面に行くのは難しいようでした。

やっと行ってくれるタクシーがありいわきを出発しました。
運転手さんがいい方で、さらに水戸まで延長して乗せてくれました。

テレビではあまり触れませんが、国道6号線はいわきから水戸までは全部通行できるようです。

ただ磯原から高萩〜日立にかけては海岸沿いは津波にやられた家や町がそのままになっていて、今大きな地震があったらどうしようというような区間が続きかなり恐怖を感じます。
電気もまだのようで、おまけにガソリン渋滞も拍車をかけて渋滞が続きます。
磯原駅近くにはダイヤでいうと14時過ぎにいわきを出た普通電車がそのまま線路上で立ち往生していました。
地震と同時に停車したようです。

水戸まで約4時間。水戸も町はかなり被害を受けていました。立派な駅ビルも危険ですべて立ち入り禁止になっていました。
そこからつくばセンターまで2時間バスに乗り、計画停電の関係でつくばEXがないのでバスでひたち野牛久に。
そこで竜ヶ崎の知人の家に泊めてもらいました。

翌日バスで取手に。そこからやっと電車に乗れて、なんとか東京に帰ってきました。

この数日間のことは一生忘れない、というより忘れられないと思います。
置いてくれた常務さん一家、親切なタクシーの運転手さん、泊めてくれた竜ヶ崎の知人に感謝です。

早くの復興をお祈りいたします。そして守っていただいたことを忘れずに何かの時に、お手伝いできることはしていきたいと思っている次第です。

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