サイト運営者日記「ぶらぶらうだうだ・・」

「タウンクリニックドットコム」「時代文化ネット」などサイト運営をするアナログ脱サラ(いつのまにか・・)親父のブログの何でも日記風ブログです。

当ブログは2018年3月よりURLが、
http://blog.livedoor.jp/chikao1216/
から
http://burauda.blog.jp/
に変わりました。サブドメインのため旧URLでアクセスしてもリダイレクトしてアクセスできます。
また名前も「サイト運営者日記・ぶらぶらうだうだ」に変わりました。

内容は「時代文化ネット」制作者が運営する日記で特にテーマはありません。
日常のサイト活動などにおいて見聞きした内容や、現在の社会や自身の生活などを通して感じたことなどをそのまま記載する形にこのたびリニューアルしました。
現在の掲載記事は以前の「穴狙い千ちゃん〜」「ちかお日記」に掲載されている記事をそのまま残してあります。
旧記事は「改修前」のカテゴリになっていて、「人気」???と記載があるのは人気があるかどうかは知りませんが、自分でまあまあ気に入っていた記事です。

改修前記事日記

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5月5日に実家の手伝いがありたまたま府中に行きました。

用事が終わって、車を駐車場にとめて駅に行くと
とにかく人が異常に多いと感じました。

連休のせいかな?
とも思いましたが、それだけではありません。

5月5日は大国魂神社で一番の祭り、「くらやみ祭り」の一番盛り上がる日だったのです。

もう忘れていました。

昔?は本当のくらやみで山車を引く祭りみたいでしたが、犯罪や痴漢が横行して今は照明をつけているそうです。

以前からこの祭りの時期は東京競馬場が開催期間で、特にG1シーズンということもありこちらも以前はGWとくらやみ祭りのピークが重ならないように配慮された時期もありました。
今は競馬人気も落ちて関係ないみたいですが・・

「くらやみ祭り」といえば、高校時代、野球部の練習や試合がないときに府中駅前のジャンボ(サクラコマース・西友)でたい焼きやポップコーン売りのバイトをしていましたが、その社長から
くらやみ祭りの時に
「おまえは神社の近くの方に行って焼きとうもろこしを売ってくれ、あと何人かよこすけどまかしたからな」
と言われ、生まれて初めて祭りの出店で売り子をしました。

場所は神社の手前の裏通りにあるさくらのパチンコやとモランボンがあるところで、とうもろこしを醤油で焼きながら売るというものでした。

たまたま応援できたやつが中学時代の仲のいい同級(以前別の話に出た二商のやつ)の弟でした。
顔も彼にそっくりで特徴のある顔をしていました。

また彼は府中工業だったのですが、かれの高校の先輩ということで一緒にいた私と同級のやつも一緒にきました。

そしたらたまたま同じ中学のよく知っているやつでした。
仲はそんなにはよくなかったのですが、そこそこは話したこともあるやつで、一日楽しく仕事ができました。

でも祭りの時のとうもろこしとかって、そんなに売れるもんではないと思っていましたが、それは大きな間違い、

とんでもないくらいよく売れました。

祭りの出店って儲かるんだね・・

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月曜日にサイトでお世話になっている知人のTAMAMIさんに会いました。

仕事の打ち合わせでしたが、雑談がはずんでしまい3時間くらい話していました。
長い時間付き合せてしまいすみませんでした。

その中で、こんな話をされていました。

「女はね、化粧するでしょ。そうするとそれは仮面になって、すごく強気な気持ちになって、強いことも平気で言えるのよね・・」

「そうなんだ」

「人間はね、仮面をつけるとね、強くなれるみたいね」

なるほど・・
そういえば、昔暴走族やツッパリがみんなそろいもそろってマスクしているのをよく見かけました。

彼らがそろいもそろって花粉症であることはないと思うので、

やはり仮面をつけていたのかもしれません。

マスクの上に少し見えている目で相手をじっと睨むと・・
なんともいえない恐怖の表情になります。

最近私自身でさえも、マスクをして外を歩きますが、そういわれてみるとマスクをしていると人や物を凝視する時にあまり抵抗を感じないかもしれないと思いました。

マスクは仮面・・

マスクはけっこう癖になりそう・・

☆☆☆☆☆

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スモールさんの八尾の記事を見て、またパクり気味ですが・・

八尾といえば、もうかれこれ20年前の夏を思い出します。

後輩と一緒に大阪に行くことになり、

後輩が勤めている会社の営業車で迎えに来ました。

ちょうど台風が来ていて、とんでもない暴風雨の中、夜の10時頃に出発、中央道に。

彼は「運転好きなので大丈夫ですよ」と言い、台風の中をひたすら運転。

ほとんど休みなく、120キロくらいで進み、

なんと夜中の2時くらいに大阪に到着。

彼の実家は八尾、
といってもこの時間なので、日本バルカーの工場に入り込み車で朝まで仮眠しました。

翌朝、彼の実家に行くとお父さんがむかえてくれました。

家は裕福ではなく、どこかの事務所風の建物の2階の間借りの借家で、一部屋と台所、玄関の踊り場というような感じでした。

彼には弟がいてプロボクサーでした。

大阪、特に南部や河内地方の少年はたいてい野球選手になるのが夢で、
それがかなわないとボクサーやお笑いへというのがパターンといわれています。

ボクサーであは赤井、井岡、亀田など・・
お笑いのジミーちゃんも高校までは野球少年だったそうです。

彼も八尾など河内地区では野球でならしていたそうで、同じ区域の桑田は同級でよく試合などであったそうです。
彼にいわせると、桑田や一つ下の野茂などは当時から化け物級の存在だったそうです。

彼も天理高校などから誘いがあったそうですが、家庭の事情で公立校にすすんで、高校以降は野球はやめてしまったそうです。

さてお父さんが、
「よう来てくれたね、泊まっていくか?」
みたいな事をいいました。

すると彼は
「泊まるとこはあるの?」

なんでそんなこと聞くのかな?
と思っていると、

お父さんは、
「いやあ、昨日あいつ(弟)にな、領地を取られてな、今は玄関までやられてな・・、そのうち玄関もやられて追い出されるかもな・・」

????

彼は
「そうか、それじゃ無理だな。よそにするわ」

「千○さん、聞いての通りだから、ほかさがそうや」

なんだ?なんだ?

聞いてみると、この家では常に家の中で領地争いが起きていて、今は弟がどんどんお父さんの領地を侵攻して、ついに玄関以外をすべて制圧してしまったとのこと。

つねに稼ぎやなんやらで、勝負が行われ、代償で家の中を支配しているそうです。

その日は王将でご飯を食べ、私の狭山のおばさんの家に二人で泊めてもらいました。

おばの家には女の子の従兄弟がいたのですが、彼のワイルドな感じが気に入ったのか、3人で一晩中話していました。

八尾、そんな町でした。

☆☆☆☆☆

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高校野球の話になったので、ついでに制服の話です。

今となってはどうでもいいような話ですが、当時は制服は高校ではひじょうに重要な問題でした。

埼玉にいたはるか昔の時代は隔離された町に住んでいたというのもあるのでしょうが、中学や高校では男子は普通の学生服、女子はセーラー服というのが当たり前だと思っていました。
というより、他の制服を見たことすらありませんでした。

ところが東京に来たら当時から華やかでとりどりの制服がありました。

うちの姉などは中学でも埼玉時代のセーラー服をそのまま着ていて、逆にそれがすごく目立っていました。
本当に紺地に白いラインが入った普通のセーラー服で東京では当時でもほとんど見かけることはありませんでした。

私の中学は府中市の中でも新しいほうで他の中学はすべて学ランでしたが、標準服というブレザーの制服でした。
でもよその上級生は入学が近隣の中学なので前の中学の制服を着ていて、私の学年でもなぜかクラスで何人かは学ランを着ていました。

そして高校を受験することになるわけですが、
多摩地区の都立高校は範囲が広く、7・8・9学区といっていました。

古い高校は学校群といって2〜3校がグループになり合格するとどこの高校に行くかはわからないというシステムでした。

でもそれらの高校の多くは私服通学が出来る学校で、レベルも高いところが多く、
学力上位順からいえば72群立川・国立、74群三鷹・武蔵、75群府中・神代、73群北多摩・昭和など・・

これらのほかに単独校というのが多数ありほとんどは新設校でした、
国分寺など一部をのぞくと学力的には難しい学校は少なく、ほとんどの生徒は地元に近い単独校に行くという雰囲気でした。
単独校のなかでは唯一歴史が古い町田高校は私服校でした。

私は私服の学校を受けようとしましたが、学力が足りないからやめろと学校からとめられました。
それで調布北を受験したのですが、この学校はできて間もなかったのですがそんな簡単に入れる感じではなく実はヒヤヒヤもんでした。

また大きな特徴は制服が変わっている、ということでした。

なんと茶色のブレザーにグレーのズボンという異様な色の制服でした。
(現在は紺とグレーという一般的なものに変わってしまいましたが)

最初はけっこう、とういうよりかなり抵抗がありましたが不思議なものですぐ慣れてしまいました。

また当時の都立は皆自由な校風が多く、Tシャツや色シャツなどを皆自由に着ていて、靴も革靴でなくても大丈夫でした。

当時の東京西部や多摩の都立校はほとんどが私服かブレザーでしたが、まだ一部学ランの学校が残っていました。

谷保の五商、八王子の二商、八王子工業、府中工業、多摩などは学ランでした。

高校時代やそれ以降も二商の友人とよく遊びに行きましたが、学ランを着ていると男っぽく見えて、かっこいいのでうらやましかったのをおぼえています。

今は私服だった南多摩や北多摩、神代などもブレザーの制服ができているようで制服が好まれる時代になって来たのかもしれません。

大学時代に荻窪高校から来た人が、「荻窪は私服でなくて学ランだよ」と言っていました。
都立では珍しいパターンです。

今でも小山台高校は都立では数少ない学ランの制服みたいです。

またビックリしたのでは板橋区にできた新設の都立高は制服が学ランになっているようです。
学ランといってもPL学園や明星のような紺のボタンなしのおしゃれな学ランみたいです。

時代とともに文化や流行もどんどん変わっているようです。

今の流行はどんな感じなのでしょうか?

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健康雑学 に参加中!

2月7日の早朝でした。

心地良い朝の眠りを中断する、携帯電話のベルが鳴り響きました。
「何だろう?こんな朝早く・・」

出てみると姉からの電話でした。

朝早くの電話はあまりいい知らせであるはずはなく、いやな予感がしました。

「今施設から電話があってね。〜がねえ・・」

聞いてみると施設にショートステイしていた家族を、朝施設の人が起こしに行ったら呼吸はしているけどまったく反応がなく、救急搬送されたとの知らせでした。

23年前に脳梗塞をおこし言語と右半身が麻痺して以来、不自由な生活をしていたのですが、再発することもなく過ごしてきましたが・・ついに再発?

二年前に転んで外傷性のくも膜下出血をおこしさらに障害が悪化しましたが、ここにきて順調に回復をたどっていたので寝耳に水のような衝撃が走りました。

まったく状況がわからないまま、待機することになりました。

昼前くらいにやっと行き先の病院などがわかりました。

そして午後になりまた連絡がきました。

するとなんと、回復したとのことでした。

症状は一過性の脳梗塞とのことで、
意識を一旦失っていたらしいのですが、数十分後に意識が戻ったとのことでした。

とにかくほっとしました。
当日は仕事は結局すべてキャンセルになりました。

☆☆☆☆☆

一過性の脳梗塞・・

実は今回の家族ほどひどくはありませんでしたが、私も経験があります。

約十年前、まだサラリーマン時代の話です。

約17年勤めていたその会社で今だから言ってしまいますが、実はいわゆる「パワハラ」(パワーハラスメント)と思われる待遇を受けていました。

きっかけは何かの時に口答えか何かをしたというように記憶しています。
当時の上司は社内でも変わり者と言われていて、平気でそういう行為をするようなタイプでした。

また会社の業種的にもそのような文化が残っていて、社内でも当時は私のような目に会っていた人はかなりいたと思います。

約半年くらいそのような状態が続きました。

精神的にはなんとか大丈夫でしたが、だんだん体調が悪化してきました。

というのも冬場になり寒くなってきたのに、一日中外に出され、お客さんを回らされました。

食事や休憩をするような場所はほとんどなく、コンビニの肉まんを店頭で食べたり、駅前で携帯を使い2時間くらいセールスの電話を毎日のようにしていました。

たしかクリスマスイブの翌日くらいだったと思いますが、ある朝会社で来店したお客に対応しようと席を立ちカウンターの方に歩こうとしました。

そのときです。

左目から見える景色が変になりました。
すべてが波打っているように波目模様にみえました。

そして歩こうと思い一歩足を出しましたがバランスがとれなくて歩けません・・

「え?」

何が起こったのか自分でもわかりませんでした。
片手を机にかけて歩こうとしましたが、反対側に大きく傾いてしまい、まったく歩けない状態でした。

「どうしよう。もしかしたら・・」

他の人も少し様子がおかしいと感じたのでしょうか、私の様子を見る人もいました。

左目のまだら波の景色はしばらく続きました。

このまま死んでしまうかもしれない・・

本当にそういうふうに感じました。

ところが数分後、急に元に戻り始めました。

そして何事もなかったように普通になりました。

ただ熱があるような感じになり、頭が少し痛んできました。気分も少し悪くなってきました。

すぐに近くの病院に行き、検査をしたら血圧が下で100を越えていました。
私はどちらかというと低血圧でしたのでびっくりしました。

午後に専門の病院で検査をすると一過性の脳梗塞を起こしたのだろう、という診断をされました。

仕事の内容や状況をありのままに話すと、医者は
「その仕事はできれば長く続けないほうがいいね。もし今度再発したらこんなもんではすまない可能性もあるよ」
と言われました。

その日は家に帰してもらい、2〜3日静養しました。

これを機会に会社を辞める決意をかためました。

その後私は転勤してその環境から逃れることができましたが、数ヵ月後に会社を辞めてしまいました。

そしてそのまま今に至っています。

あのときの景色がグニャグニャに見えた感覚は今でもはっきりとおぼえています。
多分一生忘れることはないと思います。

「一過性の脳梗塞」

この言葉を聞いた時、そんなことを思い出してしまいました。

思い出したくもない思い出ですが・・これが現実の話です。

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人の好みはさまざまで、異性の好みも全く同様です。

ちなみに私は元NHKアナウンサーのくぼじゅんこと久保純子さんみたいなタイプが好きです。

びっくりしたのは、ネットで調べたらなんと私と同じ高校の出身でした。
全く知りませんでした。

以前職場の同僚の女性に
「千○さん、どんな女性が好みなの?」
と聞かれ、
「くぼじゅんみたいなのが好みだね」
と言うと、
「なるほどね〜」
と妙に納得していたのをおぼえています。
何でかな?

要はどちらかというとさっぱりしたタイプの顔が好きだということかもしれません。

この好みを話すと、くぼじゅんには失礼になるかもしれませんが、
「千ちゃん変わってるねーー」
と皆に言われます。

自分ではなぜ他の人がくぼじゅんをいいと思わないのが逆に不思議なのですが・・

また他にも南果歩、松島菜々子(これはまともか)などなど・・・

といっても理想と現実はかなりギャップがあり、そういうタイプの女性と付き合ったことはなく(これははっきりいっても・て・な・いということなのでしょうが・・)

今まで付き合った人は皆前述の好みとは全然違うタイプです。

特に一番長い間付き合った人は、一般的にはすごく濃い顔というタイプでした。
本人も「私ってトルコ人みたいだねって言われるの」とよく言っていました。

血液型も皆ばらばらで、妻も入れるとすべての血液型がそろっています。
星座だけはなぜかみずがめ座の人が多いようです。(いわゆる1〜2月生まれ?)

当然のことですが、モテナイ男なのでそんなに人数はいませんが・・

いずれにしても結局そばにいて親しみを感じると結構簡単に好きになってしまうようです。
もちろん相手がOKすればの話ですが・・

また顔かたちなどという問題ではないところでもうひとつ大きな好みのポイントがあります。

これも「え???」

という話になってしまいますが・・

それはメガネをかけた女性が好きだということです。
理由は自分でもわかりません。

メガネをかけた女性と付き合ったことは今までありません。
ど近眼なのに車を運転する時でさえ、かたくなにメガネをかけない人はいましたが。
「見えてるの?」と聞くと、
「うん、大丈夫。ぼやけてる」
「オイオイ・・」
かたくなでした。

考えらないことかもしれませんが、もしメガネをかけた女性に誘惑されたら一発でだまされてしまうかもしれないと思っています。

そういう時も
「メガネかけたままね」
なんて言ってしまいそうです。

だれかメガネをかけた女性を紹介してください!
年齢は不問です。
なんちゃって・・

結局私は女性ではなくて、メガネが好きなのかな・・

☆☆☆☆☆

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東京は7月がお盆です。
東京といっても府中市など多摩地方はお盆は8月。
以前はよく夜に車やバイクで通りかかると旧甲州街道沿いなどでは凡灯篭がでていました。

ここのところ昨年秋以降に他界された身内の方のいる家では、お盆だからね、などという話を聞きました。

私の家は両方金沢の家ですが、金沢も意外に思うかもしれませんがお盆は7月です。

両家とも墓だけ金沢に残し、戦後はほとんど関西に住んでいたのですが、関西はお盆は8月。
ですがこればかりは変わらずにお盆は7月でした。

そんなことをいろいろ思っていたら、お盆の時期に母方の祖母(いわゆる私のおばあちゃん)が夢に出てきました。
しばらくは墓参りもしていないので、お盆なので出てきたのかな、などと思っています。
家の中でしたが、手を合わせました。

実は母方のおばあちゃんは私が高校の時に亡くなりましたが、たしか当時もう80歳をこえていました。
正確に憶えていませんが母によれば、おばあちゃんはなんと明治28年生まれだったとのことです。

明治28年って?

明治28年は1895年、そう19世紀生まれです。

そして母方の祖父、いわゆる私のおじいちゃんはなんと明治15年くらいの生まれだったと言っていたように記憶しています。

なぜ数字が正確でないかというと、母からそのような話を聞いたのもはるか昔で、私がそれを正確に憶えていないからです。

明治15年ころというと?

新橋ー横浜間に日本で初めて鉄道が開通してまだ10年くらいしか経っていないころです。

本当に・・・?

なぜ祖父母がこんな時代の人だったかというと、母の両親とも連れ子同士で再婚した、今でいうバツイチ同士だったからだとのことです。

しかも母が生まれたのは、祖母が37歳くらい、祖父が50歳をこえていたそうです。

当然私が生まれたのは、おじいちゃん(母方の)が亡くなって十数年後だそうで、母が高校生の時に他界されたそうです。

祖父母の話なのに自分でもビックリです。

そうするとそのまた親は、当然江戸時代の人間だということですね・・・。

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※解説(レバタラの世界です)
競馬予想ブログ中央競馬予想日記で触れましたが、新しい試みです。
「藁しべ長者」という昔話のように一攫千金を元手に財産を構築できるかの実験です。WIN5以外にも運用方法は自由です。今回はWIN5、三連単で挑戦です。

◆WIN5
前回は2戦までは突破しました。今回はやはり最初の安芸Sがネックになると考え、最初は3頭にしました。
勝ってもクラスが変わらない4歳馬と内目の枠の馬を中心に考えてみたいと思います。
・安芸S
ギンザナイト、メイショウヤワラ、メイショウトリノ

・ホンコンJCT
ヒカルアカツキ

・上越S
トーセンアドミラル

・垂水S
ダノンスパシーバ

・安田記念
ダノンヨーヨー、スマイルジャック
以上600円。


★三連単(400円)
東京11R安田記念
・ダノンヨーヨー1着付け、アパパネ、スマイルジャック流し2点
・ダノンヨーヨー1着付け、アパパネ、ビューティーフラッシュ流し2点

以上合計1000円。

◆2011年の成績
★6/5の購入金額・・1000円
★6/5までの購入金額・・4000円
★5/29の的中金額・・0円
★5/29現在の残金・・0円

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スモールさんへ

馬場入場曲は当然、おっしゃるとおりです。
即刻すべての入場曲を以前のものに戻すべきだと、思っております。

個人的には、関東一般レースの「白馬のギャロップ」という曲が気に入ってました。
競馬場でこの曲を聴くと、酒を買いに行きたくなります。
まだお昼くらいのレースで負けが込んでいないので、心に余裕があるのでしょう。
一般の勤め人が真昼から堂々と酒を飲める場所はそうそうはありません。
なんでこんな曲名を知っているのかというと、当然ネットで調べました。
大体こういう曲に名前がついていること自体最近まで知りませんでした。

次に好きなのは関西特別レースの入場曲「サラブレッドマーチ」です。
関東の競馬場や場外では長らく関西のレースを買うことはできませんでした。
今ではすべての場ですべてのレースを買えますが、馬場入場曲はなかなか耳にすることができませんでした。

◆先週の検証
今週の競馬はまったくダメでしたが、先々面白そうな馬は見つけることができました。2頭います。

一頭目は、京都障害未勝利を圧勝したリリーハーバーです。
この馬はダート短距離の条件戦ばかりを使われていた馬で、今回障害なので芝中心の長距離と全くちがう条件でのレースでした。
時計はレコードよかではありませんでしたが、逃げて常に他の馬に競りかけられている状態でストレスの多い展開なのに、最後は突き放しての快勝でした。
相当スタミナと根性がないとできない芸当だと思います。
もしかしたら芝の長距離でも相当な力を発揮する可能性があるのでは、と思っています。
もう7歳ですが、障害でこの後も好走できれば賞金を加算して、芝の長距離ハンデ重賞などに出走してくればかなり面白いのでは、と感じました。
このような経緯では、高齢もあり重いハンデはありえないので軽量で出走できるメリットもあります。

もう一頭は土曜日の紫野特別を快勝したランリョウオーです。強い4歳世代ですが、南半球産なのでまだ1キロ斤量が少ない出走ができます。
超のつくスローな展開で先行馬の戦いになりそうでしたが、最後方から次元の違う脚で楽々差し切りました。
この馬実は春先に500万下の身でありながら、1000万木津川特別に出走、直線抜け出したガンダーラに今回同様並ぶ間もなく差し切り勝ちをしています。
負かしたガンダーラもそのあと千里山特別を2着、1000万を勝ち、さらには5月1日準オープンの錦ステークスを快勝してすでにオープン入りしています。

今回も当時も2着馬を子供扱いしている勝ち方で、秋のG1や重賞戦線で台風の目になる可能性は十分です。
大阪杯でヒルノダムールとエイシンフラッシュと鼻面の勝負を演じたダークシャドウとともに大きな期待ができそうな一頭です。

◆オークス展望
あとオークスですが、桜花賞の逃げ馬がNHKマイルでもハイペースで善戦して、一緒に先行したエイシンオスマンが皐月賞、NHKマイルで健闘したことを考えると、桜花賞でそのフォエバーマークをあっさり差しきった上位三頭は相当な地力なのではと思います。
残念ながら一番期待していたトレンドハンターが故障で引退してしまいましたが、あとの2頭はタフなレースやコースで勝ち負けになるくらいなので、今回も上位の確立大と思います。
また左回りに賭けて、桜花賞をパスしてオークスで勝負のマイネイサベルも前走は脚ならしのうえ道悪ということで今回は注意だと思っています。
ほかは初距離もあり予想がきわめて難しいレースになりそうです。でなくても当たらないんですから・・。

◆話かわって
さて急に話がかわりますが、今日は北陸の話を少し、

北陸地方というのはいわゆる富山、石川、福井の3県を指します。
北陸地方の方言をほかの地方の人で真似をしてみて、と言ってもほとんどの人は出来ないのではと思います。

なぜかというとまずひじょうに人口自体が少ないから、都会では行き会うこと自体少ないと思います。

また多くの人は大阪、ついで名古屋、一部は東京に出てきているようですが、ほとんどの人に共通しているのは地元以外では地元の方言はしゃべりません。

私の両親も金沢の人間です。父親はアクセントなどは少しおかしかったのですが、いわゆる露骨な方言自体はほぼ使いませんでした。
地元に残っている以外の親戚のほとんどは大阪に住んでいますが、言葉の端々や細かい表現で金沢の言葉がたまに出ても、ほぼ普通に関西弁で話します。

全国のほかのハッキリした方言の地域、たとえば九州、関西、名古屋、東北・北関東などの方は都会に出てくると、いくらかは直すにしてもそのままの地元の言葉で話す方が多いようです。
ところが北陸の人はどの県の方も都会では原則方言でしゃべりません。
不思議です。

山陰の方も多少その傾向があるようです。叔父にも鳥取の方がいますが、もちろん浪花っ子とは違いますが普通に大阪の言葉でしゃべります。

そして北陸の方は同じ県でなくとも、都会で北陸の人間を見つけるとかなり親近感を覚えるようです。
人数が少ないというのも関係あるのでしょう。

東北なども同じ傾向があるようですが、違うところは東北は県別や藩別でかなり仲間意識が強いようです。
たとえば福島だと浜通り、中通り、会津ではそれぞれがまた意識があるようです。

北陸の場合は少し違うように思えます。
福井でも、石川でも、富山でも、他の県でも同じ北陸ならかなり親近感を覚えるようです。

これは私の個人的な感想なので違ったらすみません。

こんなことがありました。

結婚してすぐ金沢に墓参りして報告するために夫婦で金沢のお寺さんに行きました。

そこでお坊さんと(今は故人です)と奥様にも当然ご挨拶しました。

奥様「今日はどちらからおいでたの?」
私「東京です。」
奥様「遠い所たいへんねえ」
私「今日は妻も一緒にきたので、ご紹介します」
お坊さん「ほうー、奥さんはどこの出身か?」
妻「東京なんです」
私「ただお父さんは関西の舞鶴なんですが、本当は氷見に本家があって大元は富山の氷見の人らしいですよ」

と言った途端、お坊さんの表情が急に変わりました。
なにやら上機嫌な顔になりました。

「ほうか、ほうか、富山の顔しとる」
「うーん、うーん、・・というこっちゃ」
なにか一人で納得してにこにこでした。

お寺を出てから妻が言いました。
「富山の顔ってなあに??」
私「いや、わからない」
妻「なにを喜んでたの?」「私ってほめられてたの?」
私「・・・・・」

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証券マン時代にひじょうに馴染みが深くなり、家にも近いうえ、元いた会社に今も妻がつとめている関係で荻窪は今でもよく立ち寄ります。
先週末も元勤めていて、今は妻の職場である会社の支店で歓送迎会がありました。
もう離れているのでめったに顔をだすこともなかったのですが、今回今でも親交がある元後輩が東北のはるか遠い支店に転勤になってしまったので会が終わるころを見計らって挨拶に寄りました。

仕事の帰りに荻窪で下車してその店の前に行くと、一次会を終えた社員たちが見せの外にたくさんいました。
まずはその後輩に挨拶しました。元気そうでしたが家族で引越すとかでかなり疲れている感じでした。
向こうでも頑張ってほしいと思います。

ついでにほかの人にも何人か挨拶しました。
今回異動してしまう支店長も実は私が元勤務していた池袋支店で一緒に働いていた方でした。
当時私は新宿支店にいたのですが、不景気などもあり廃店になってしまい、池袋に統合されて二店合併という形になりました。
新宿支店のほとんどと、元からの池袋のメンバー、さらに歩合外務員も何人かいて大所帯でした。

支店長は当時の次長でしたが、出世されて、今度は本店で部長職のようです。

また妻が働いている総務課の上司にも挨拶しました。女性の上司で会社でも有名な元気でバリバリの方と聞いていました。
実際ご挨拶してみたら、その通りでした。
ひとつ面白いと思ったのは以前に職場の写真か何かでその上司の女性の写真を見せられていて大体容姿を知っていたのですが、
お会いして話したときの声が、その写真を見て自然にイメージしていた声と全くビンゴでした。
人間の声ってある程度は顔や容姿とリンクしているのでしょうか。不思議です。

話は変わりますが、実はその数日前に全然別の用で荻窪に行ったときに当時働いていた時に足繁く通っていたスナックのママさんが亡くなったらしいという話を聞いていました。
ここのところ公私共にそのようなことがたくさんありましたが、勝手に厨房の中に入っても怒られないくらい馴染みだったのでひじょうにさみしい気持ちでいました。

最近はもっぱら荻窪では、ページを作らせてもらっている花屋というラーメン屋さんで一人で飲むか、打ち合わせで飲むかのどちらかということが多くなっています。
たまに前出のスナックに寄ることもあります。もう経営者がかわってしまっていますが、以前から慣れ親しんでいる中国人の女性がまだいるのと、相変わらず安くて歌い放題なのでストレスがたまると寄ることもあります。
今もお客が来ない日などもありどうやって運営しているのか不思議ですが、そんな日はずっとその人と話し込んでしまいます。

3月に行った時などは、夕方すぎの7時くらいから客は私だけで、結局12時の閉店までほかの客が来なくて貸切状態でした。
これで3千円くらいなので、安いですよね。長時間話し込んでしまうので私のことはほとんど知られてしまっています。
私も相手の人が、昔どこで働いていて、今どこに住んでいて、旦那さんがどうでとか、子供が小学生でどうだとかなどほとんど聞かされて知っている状態です。
何分の電車で帰るということまで知らされています。
カラオケの歌も全部把握されていて、最近は歌ったことがない歌を探すのはもうほとんど至難の業になっています。

以前働いていた時、その店にいた女の子ともそんな感じで仲良しの友達みたいでした。
もう働いていないし、時効かなと思うので書いてしまいますが、彼女が私のためにわざわざ焼酎のボトルを入れてくれて、自分は世間話用のマグカップを準備していて、ずっと世間話をしていました。
その娘も当時結婚していてだんなのことを「○○ちゃん」と呼んでいて、いつもひたすら「○○ちゃん」の話を聞かされていました。

しかし店をやめた後、「○○ちゃん」とは別れてしまい、ほかの店のお客さんと結婚したようです。
ところが最近聞いた情報では、その人ともだめになって、今はまたちがうお客さんと一緒になったそうです。

今はたまに花屋でそこの昔からの常連の人と会い、一緒に行くこともありますが、
いつまで店が続くのかわかりませんが、私にとっては数少ない癒しの場なので続いてほしいと願っています。

歓送迎会の様子をみていて思ったのですが、私は個人商売なのでそういう催しとはほぼ無縁になってしまいました。
少人数で飲むとか、忘年会なども提携している会社さんやお客さんなど商売がらみのところがほとんどです。

送別会なども当然なく、縁が切れるときは男女関係ではありませんが自然消滅か、けんか別れかどちらかです。

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はるか昔、学生時代に筒井康隆氏が書いた「俗物図鑑」という長編小説を読みました。
本来「タイムトラベラー」などSFものが主要な作品ですが、彼の持ち味は世の中を鋭い洞察力で観察して、人と全く違う視点で分析し、強烈なブラックユーモアで書いたショートショートのほうにあると感じていました。
それを長編化したようなものが表題の小説で、長いのですがあっという間に読みきってしまいました。

その中で彼の未来予想的なメディアの姿が、未来のテレビ番組の場面として書かれています。
詳しい内容は忘れましたが、ここではさまざまな評論家がでてきます。
当時は評論家といえば、「政治」「経済」「料理」など一般的な分野しか存在してなかったので、彼が作り出した評論家の分野は、
「こんなのあるわけないだろ」みたいな分野ばかりでしたが、風刺的で妄想的な小説としてはひじょうに楽しく読むことができました。

ところが20年以上経ってよくよく考えてみたら、現在テレビなどに出てくる評論家は、
「ラーメン評論家」「鉄道評論家」「駅弁評論家」「節約評論家」「収納評論家」・・・などなど数え切れない分野の評論家が出てきています。

筒井氏はまだご健在のようですが、この事態を当時予想していたのか、いないのか、いずれにしてもたいしたもんだと思います。

たしかに10年くらい前から、テレビチャンピオンなど、マニアックな素人がプロをはるかに超えるような知識を身につけ登場して世間を驚かせました。
一部はメディアで活躍、一部はネットなどで活躍しているようです。

私自身も調べ物などをする時に彼らのサイトを見ることも多く、大変重宝しています。

その反面メディア、特にテレビでは出所不明の評論家たちがあふれるように出てきているのも現実です。

最近は某FPの中年女性ではありませんが、どこから出てきたのかいつのまにかお茶の間の間に定着してしまった人たちも多くなっています。
先日テレビでその某FPのおばさまを見てて、かなり痛烈に自説を主張していたので、
「この人は昔どんな関係の商売をやっていたのかな?」と、
興味が出てきて調べてみたら、詳細はわかりませんがOLだったのが、ルポライター的な商売をやりたくて有名な方に師事していて、途中でFPに路線を切り替えたというふうに書いてありました。

評論家の中にはきれいな若い女性で明らかに「もしかしたら、容姿なども関係あるんだね・・」
というふうに感じる人もいます。

でも今や有名なあの「駅弁おばさん」みたいに、「そういうことはまずないな」(ごめんなさい)
という人もいます。
彼女は有名になるまでも、毎日駅弁を食べまくって、”駅弁評論家”をめざして頑張っていたのでしょうか。
もしかしたら「最初はこんなじゃなかったんだけど、駅弁評論家になるために毎日10個駅弁を食べていたらこんなになっちゃったのよ」(勝手な憶測です・も一度ごめんなさい)
ということかも知れませんが・・。
※ちなみ彼女は大酒飲みみたいで、テレビなどでもかなりおもしろいので個人的はかなりファンですのであしからず。

いずれにしても私が一番興味があるのは、
こういう人たちが評論する内容ではなくて、
彼らがどうやって世の中に出てきたのか?
どうやってどのようなルートでテレビ局の眼にとまるようなところまでのぼってきたのか?
という処世術のほうです。

そういう意味ではみんなたいしたもんだと思います。
ある意味、そういう人たちを集めて「どうやってその分野の評論家になったか」という全集本や番組をやってみても面白いかもしれませんね。

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経済 に参加中!

以前長年証券会社で営業をしていましたが、私が入社したのはバブルが始まる寸前の1986年春でした。
入社以来3年半は株価は異常に上がり続きました。
当時個人の株取引は事実上非課税で、0・55%の売却時の取引税だけでした。(ただ同一銘柄を大量に保有すると当然配当に対する税がかかり、支払い調書が出てしまいましたが)
当然個人の株式投資資金には不穏な資金もかなり流入していたと思われます。

税務当局はそのような事態の改善と税収アップなどを狙ってか、株取引の利益に税をかけるために、段階的にいわゆる現在の申告分離に移行していきました。

問題は施行のタイミングでした。
というのも実際にその移行政策を実行しはじめたのは、いわゆるバブルがはじけて大暴落が始まった後でした。

そして完全に申告分離に移行が完了した前後で日本株は一旦当時の大底(最安値)を記録しました。

どんな的確な政策でも施行するタイミングを誤ったり、ずれたりすると意味がないどころか、無意味な足かせになってしまいます。
それからひととき大きく株価は戻しましたが、さまざまな要因で右肩上がりとは程遠い流れは続いています。

金融界は当時欧米とくらべ約20年くらい遅れているといわれていました。
さらにこれは多くの日本人の体質といわれていますが、他人と違うことを出来る人が少ない、とか、結果が出ないと施策を実行できないという風土がありこれが拍車をかけていたように思います。
一般論ですが金融のマーケットや相場ではこのような部分は著しく不利になるといわれています。
理由は簡単で、たとえば株は誰も見向きもしないつまりまだ結果も出ていない周りの人が誰も買っていないよう時期に安い値段で入手して、大半の人が注目したような結果が出て、周りの人が皆買っているような時期の高い値段で売ることが一番大きな利益を生むからです。
つまり早く先回りした者が明らかに有利になるわけです。
どんな優良な企業の株でも買うタイミングによっては大きな損害をこうむるわけです。
そしてなによりも日本市場が世界に解禁され、そんな日本の金融界の総合力の弱さを見透かされて、外人投資家にいいように振り回されてしまったというのが当時の印象です。
もちろん私もその末端の一員でしたが・・
つまり競争力の高い自動車や電機などの日本企業の強さ、世界的なレベルの有能な日本人科学者、器用でコツコツ頑張り高いパフォーマンスをつくった日本が誇るものづくりの数々の中小企業などとは完全に別物であるということを金融界は思い知らされました。
それは日本という国が優秀なのではなく、前述の彼ら自身が職業人として優秀であり、そして強い人間力だったのだということです。
そのあとはご存知の通り、星の数ほどあった金融機関はどんどん統合、縮小を続け、今はかなり凝縮してしまいました。

証券税制やバブルの問題はその象徴的な例で、器を超える、中身が形成されてしまうと、その中身自身がまた新たな大きな火種になったり、問題を引き起こしてしまい、結局当初考えていたよりはるかに大きな犠牲をはらうという結果になってしまう、ということが現実におこりました。

先日もふれましたが、テレビなどを通して今の震災やさまざまな状況を見ていて、ふと思いました。
もしかしたらすでに日本は現在の許容量を超える過剰な数の企業や事業、設備になってしまっているのでは、と・・
特に今回は人間にとってもっとも大事な尊い人命や、健康、食料、生活、そして自然の脅威などという根源的な問題もかかえています。
金融などという一業界の話ではありません。

今当たり前と思っていることを、大きく状況が変わった今、先を読んですべて見直してみる、
ということも必要なのかもしれない、と感じました。
当然自分自身もその一人ですが・・
結果がでてから対応しても手遅れになりますし、

今の器に、すべて入りきるのか?、入りそうならそれでよし。
もし入らないなら今の入れ物の大きさを正確に知り、
思い切って今の器にはいる量に一回縮小できるものはしてしまう。
あふれ出してしまえば、それは共倒れになることです。
そのうえで将来的に入れ物を大きくするにはどうしたらいいのか?
を真剣に考え、実行する。

リーダーにはそんな先読みの力と勇気と早い決断が求められているように思います。
さらに早急な復興対策や緊急な災害対策も求められているわけですから、相当大変ですね。

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ひとりごと に参加中!

地震の影響で日本国中まだまだ大混乱ですが、表題のとおりの連絡がありました。
それも2件も・・

最初は高校の同期生の訃報でした。
以前も同じ野球部の同僚、同じクラスの女子で卒業後も何人かで集まって一緒に飲んだりしていた人、同じクラスの男子、隣のクラスに男子とすでに4人の方がここ10年くらいの間に亡くなっていたのですがまた亡くなってしまいました。

もうひと方は今朝(昨日ですが)、連絡がありました。
元勤めていた会社の同期の人です。
今名古屋にいる元同期の人からいきなり電話がありました。
「今、大丈夫?いい知らせじゃないんだけど・・」
これを聞いた瞬間に「ああ、だれか亡くなったんだな」
と感じました。
それもご本人が・・、本当に驚きました。
同じ学校卒で、配属もすぐ近く同士で、当時その近辺の有志で「○○会」などという会を作り
皆で朝方まで、へべれけになるまでしょっちゅう飲んでいたメンバーです。

彼は私より少し前に退社してしまい、その後1〜2回電話で話したくらいであまり連絡を取り合うこともなかったのですが、
まさかと思いました。

きわめて残念です。
ご冥福をお祈りいたします。

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勝っても負けても阪神タイガース に参加中!
こんなテーマに投稿しましたが、実は阪神ファンではないので悪しからず。

今日テレビ東京の「なんでも鑑定団」の再放送を何気なく見ていたら、巨人の金やんこと金田正一投手が前人未到の400勝をしたときに巨人の全メンバーがサインをしたサインボールが鑑定に出されていました。
そしたらなんと50万円の価値があるということがわかり盛り上がっていました。

金田投手はもとは国鉄(現ヤクルト)の投手でしたが、引退する前は巨人で投げていて、そのときは巨人も黄金時代でした。

川上監督、王、長島、堀内、高橋一三、高田などそうそうたるメンバーなのでそれも当然かなと思いました。

それを見ていたら昔のもったいないことをした思い出がよみがえりました。

それは、これもはるか昔の話ですが、今三田に住んでいる私の叔母が結婚したてのころの話です。

叔母は結婚してしばらくは甲子園に住んでいました。
甲子園球場に住んでいたのではなく、西宮市には甲子園という地名があるので・・(ご存知とは思いますが)
また別に阪神ファンだったからではなく、急行が止まるので旦那さんの通勤に便利だったからです。

家は甲子園駅から浜のほうに少し歩いたあたりでチンチン電車の浜甲子園までは行かないあたりで、こじんまりした貸マンションに住んでいました。

叔母は私たち姉弟のことを自分の子供のようにかわがってくれました。赤ちゃんの時などはおしめも変えてくれたくらいです。
そのため叔母が結婚してもしょっちゅう甲子園に遊びに行っていました。

あまりよく行くので向こうに友達がいたくらいです。

当時そのマンションは甲子園球場に近いということもあり、上の階に阪神の選手が住んでいました。吉良という選手で投手でした。

一軍と二軍を行ったりきたりという感じだったようです。

その吉良選手はいい人で、頻繁に遊びに来る私のために、サインボールをプレゼントしてくれたのです。

当時は阪神は巨人のライバルという感じで、巨人のメンバーも強力でしたが、阪神もすごい選手がたくさんいました。

吉良選手は中でも特に活躍していたスター選手だった、江夏投手、田淵選手、藤田平選手の三人からサインをしてもらったボールをプレゼントしてくれました。

それはもう当時は大感激で、大事に大事にしまっていました。

ところが何年もたち、何度か引越を重ねるうちに、いつのまにか無くなってしまいました。

今考えると、なんという大失態か、と思います。
今も大事に持っていたら・・・。

残念です・・・。

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見たまま・感じたまま・ありのまま日記 に参加中!

生粋のどこ育ちでもない私が言うのもひじょうに気が引けるのですが、最近方言、特に大阪弁(関西弁)が巷では広がり出してきている感があります。
メディアのお笑いタレントの影響が多いのだとは思いますが、よくよく見れば皆人間的魅力にあふれた人も多く、もっともだとは思います。

「めっちゃ」とか全国的な言葉になりつつあるように感じますが、私が極めつけの大阪弁と思っているのは、「ばば」です。
どういう意味かって?
大方の人はご存知だと思いますが、例えば、
「ばば、しとったで」「ばば、ふみよったわ」とか・・、もうおわかりですよね。

これほど、適格にイメージできる言い回しがあるのかと思うほど、すごいピッタリの表現だと思っています。
最初に言ったのは誰で、何で生まれたのか・・。
簡単に想像できますが、でもこの二文字に集約したということに敬意すら感じています。

これ以上こんな話をしていると、炎上してしまうのでやめておきます。
というか、炎上するようなアクセスはありませんが・・。

さてほかにも私の知るところで、地方によって、いろいろ日常的に使われる表現があります。

たとえば、金沢(北陸は全部そうらしいですが)では。言葉のはしばしに「なあーん」という表現を入れます。
意味は色々あるみたいですが、
「なあーん、大丈夫や」というような感じです。

その微妙な使い方が違うとすぐ化けの皮がはがれるのも方言の特徴で、難しい側面もあります。
本当に使っている人はそれが、特に子供の頃は、本当に全国共通語だと信じて使っている状態でないと、自然には使えないものだと思います。

どこのやからかわからない私のような人間でも、わずかにかそういう言葉はあったのですが、
ほとんどそのようなカルチャーショックを経験したことはありません。

昔書きましたが、そのわずかなものとは、
じゃんけんを「あい、けん、えし」(埼玉県のごく一部と思われます)
豚汁を「メッタ汁」(北陸で親の影響です)
くらいです。どちらも日本中そういうふうに言っていると、指摘を受けるまで信じていました。

今、ご当地グルメ同様、方言がみなおされつつあるのって、逆の反動なのかもしれませんね。

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介護タクシーというものがあるのを、知っている方も結構多いと思います。
でもどういう車両で、どういうふうな仕組みになっているのか、ということを詳しく知っている方は意外に少ないのではないかと思います。
私も長年身近にそのような状態の人がいたのですが、実際に利用したケースはずっとなくて、最近になり利用せざるを得なくなり初めてその仕組みを知りました。

人はある部分が少し退化するだけで、劇的にというと言いすぎですが、何も出来ない状態になってしまいます。
車の乗降、トイレで用を足すなどはご本人にとって特に大きなストレスになってしまいます。

それは、車椅子から地力で立ち上がることが出来るかどうかです。
それができると、多少窮屈ですが普通の乗用車に乗ることが出来ます。

ところが前述のことができなくなると、自動車のせまい入り口から座席に座り込むことだけの動作でも、人の介助をかりても相当な時間とストレスを伴う状態になってしまいます。
それでは自動車の入り口を広くすればいいのでは、と考えますが、引き戸式のワゴンなど入り口の広い自動車は今度は段差が大きく、いずれにしても乗車は難しくなっています。

逆にそのような状態の人が気楽に乗り込める状態の車が出来ると、今度は乗っていて急ブレーキなど少しのトラブルでも大きなリスクが生じるのではと思います。
シートベルトをしていても、自分で立ち上がれない状態だと当然急な変化には対応できません。

前置きが長くなりましたが、介護タクシーというのは実にシンプルな仕組みになっています。
スロープを使って車椅子ごとワゴン車の中に乗ってしまい、中で車椅子を固定してしまうという方法をとります。

この程度の仕組みで乗り込みの面倒が簡単に解消して、かなりの安全も得られます。

今、買物が出来ない地方の高齢や体にハンデのある方のためにいろいろなサービスが始まるなどさまざまな新しい事業が始まっています。

この介護タクシーの普及や、このような車両の一般への販売(もちろん運転者を登録制にして一定の技術訓練が必要だと思われますが・・)なども今後大きく前進してほしいものだと思っています。
またトイレの改善なども急速に進んでいますが、早く画期的なアイデアが出ればと願っています。

今日は少しまじめに社会問題について考えてみました。

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帯状疱疹になってから、飲酒と髭剃りを禁止されていましたが、やっと髭剃りの許可がでました。
このような経験はなかなかないので、ひげが伸びた時、一部剃った時、全部剃った時の写真を撮りました。

はっきり言ってひじょうに醜いのですが、家庭の医学ではないですがこんな風になるのですという参考に掲載します。
帯状疱疹画像1
帯状疱疹画像2
帯状疱疹画像3

上からひげが伸びた状態、一部剃り、全剃りです。

ひげをそってもたいして変わらなかったりして・・
ちなみに発疹はしばらくは消えないようです。

見苦しいものを失礼致しました。

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ここのところ体調がおかしいので医者に行ったら、帯状疱疹という病気だと言われました。
私はこう見えても(???)、歯(ボロボロですが)や風邪関係、胃腸関係以外は何か特別な病気になったことはなかったので、けっこうビックリしました。
たしかお彼岸の三連休あたりから少し風邪気味でした。
それは何日かでよくなったのですが、火曜日の横須賀の日の夜に業者さんと会っていた時に、何か食べるとのどが痛く、左のリンパ腺あたりが痛く、風邪はよくなったのに・・と思っていました。
翌日のいわき遠征の時もそれは治らず、その翌日(木曜日)の仕事中のときに口の中の左側だけ舌や歯ぐきが痛くなり、唇にできものが出来てきました。
木曜の夜にはかなり痛んできました。そこでやっと妻に少しおかしいんだ、言うと医者に行った方がいい、と言われました。

金曜の朝には痛みもひどくなり、できものも口の周り全体に広がってきました。
口の中も左側は舌も含め全体的に腫れてきて、痛いのと腫れて隙間がなくなり食べ物を食べるのも一苦労になってきたので、近所の皮膚科に行きました。

お医者の先生は問診票を見て、私の顔を一目見るなり「ああ、これは帯状疱疹ね」といいました。

帯状疱疹ってたまに周りの人がかかった話を聞きましたが、まさか自分がかかるとは思ってもみませんでした。
過労やストレスが重なると発症するとのことです。

みなさんも気を付けてください。

当分ひげを剃ることもできないそうで、安静も必要だそうです。仕事の計画が大きくくるってしまいました。
さらに先月から入院していた家族の関係で行く予定だった日曜日の実家の用事や来週の水曜日の病院からリハビリ施設への転院で車を出すことも出来なくなってしまいました。(多分)
また仕事関係で来週に茨城や横須賀といわきに用事があるのも微妙になってきました。
どうしようか〜、という感じです。
また新たなストレスになってしまいます。
おまけに先日買ったテレビが土曜に届くので、置けるようにしておかなくてはならず・・・・・
ちょっと大変ですが、まあしょうがないですね。
しばらく安静です。安静も健康維持には重要と思います。

もちろんアルコールも当分はダメなようです。

しかくん「あたりまえだのクラッカーだろ!!」

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.気になったニュース29 に参加中!

中央競馬予想日記にも書きましたが、急用で朝一で金沢に行かなければならなくなりました。
どら猫第二弾を書こうと思っていましたが、また改めて

そういえば先日中島みゆきの歌「サヨウナラを伝えて」の話を書きましたが、題名から間違えていました。
「サヨナラを伝えて」でした。失礼致しました。

金沢は雪が降っているようです。寒そうです。

冬季オリンピックで高橋大輔がメダルを獲得しました。すごいです。

あと私の好きな俳優さんの藤田まことさんが亡くなりました。残念です。
「京都殺人案内」はもう新作は見られなくなってしまいました。

もう出発時刻が迫っているのでこれくらいにしておきます。

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独り言 に参加中!

先日買い換えた新しい中古車が皆の病院の送り迎えでフル回転です。
姉の車なのに実際にはいまだ私しか運転していません。

しかも姉の駐車場にとまっているのになぜかキーはいつも私が持っている状態です。

こんなことに役立てるために買ったはずじゃなかったんだけどね・・
かなり複雑です。

約20年前にも車がフル回転の時期がありました。
そのときも家族が長く入院してしまい。それまで乗っていたスターレットから中古のマーク?に換えました。

当時は毎週伊勢原や厚木の山奥(遠い!)の病院を往復しました。
そんなことが1年半くらい続きました。

それを考えると家の近くの病院というのは体力的には随分楽であると思います。

地方では産婦人科などの診療のために毎回車で1時間以上運転して行くというような話をテレビのニュースでやっていましたが、都会に住んでいるということは本当に強みなんだと実感しました。

 

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