サイト運営者日記「ぶらぶらうだうだ・・」

「タウンクリニックドットコム」「時代文化ネット」などサイト運営をするアナログ脱サラ(いつのまにか・・)親父のブログの何でも日記風ブログです。

当ブログは2018年3月よりURLが、
http://blog.livedoor.jp/chikao1216/
から
http://burauda.blog.jp/
に変わりました。サブドメインのため旧URLでアクセスしてもリダイレクトしてアクセスできます。
また名前も「サイト運営者日記・ぶらぶらうだうだ」に変わりました。

内容は「時代文化ネット」制作者が運営する日記で特にテーマはありません。
日常のサイト活動などにおいて見聞きした内容や、現在の社会や自身の生活などを通して感じたことなどをそのまま記載する形にこのたびリニューアルしました。
現在の掲載記事は以前の「穴狙い千ちゃん〜」「ちかお日記」に掲載されている記事をそのまま残してあります。
旧記事は「改修前」のカテゴリになっていて、「人気」???と記載があるのは人気があるかどうかは知りませんが、自分でまあまあ気に入っていた記事です。

2012年02月

ブログネタ
自然現象全般(気象、地震など何でも) に参加中!

火曜日は夕方から夜に昔からの知人が昨秋にお亡くなりになったという話を聞き、その娘さんにお会いしてお線香をあげさせていただきました。

その後同行した人(元同じ会社の人)と別の客先に行き、さらにその後中野で遅くまで飲んでいました。
前職時代から大変お世話になっていたので、大変残念でした。

そして一晩たち、起きると一面の銀世界。

朝の段階で家の近くの道は雪が積もっている状態でした。

前日の朝の天気予報では南岸低気圧が発生するが、雨か雪のような予報で、
「もう春も近いのかな?」

などと甘く考えていました。

ところが思いのほか冷気が残っていたようでこのありさまです。

この日は昼前に多摩地区、国立、立川に用事があり午前中に準備をして出発しましたが、
この時間には靴がスボッと埋まるくらい積もっていました。

苦労して駅まで歩くと、中央線は遅れているとのことで大変でしたが、なんとか仕事を終えて戻りました。

簡単に測ってみると大体10センチ以上は積もっていたようです。
雪201202291
写真は家と駅の間で撮影しました。
雪201202292

上が道路に完全に積もっている様子で、下はジブリの前あたりです。

もう気温も高いので夕方には半分以上溶けてしまいました。

上記の南岸低気圧はたびたび春先の日本に大きな被害をもたらしてきました。
私が子供のころにはこの低気圧のことを気象の本などでも”台湾坊主”と記載していて天気予報などでもそのようにいっていたのをおぼえています。

過去の日本の行いの問題もあったのでしょうか?この言い方は適切でないということになったのでしょうか、その後は南岸低気圧という言い方に変わっています。

2月はまだシベリア高気圧(冬の寒気をもった大陸の高気圧)が優性で、日本付近には冷たい空気がたまっていますが、台湾付近には気圧の谷が出来やすくなり、ちょうどこの付近に坊主の頭のような形に等圧線が丸みを帯びたところで発生するのがこの南岸低気圧です。

それで前述のような呼び方になりました。

名前のユーモラスさとはうらはらにこの低気圧は大変な暴れ低気圧で、南岸沿いに北上してくるときに元からある寒気と南からの湿った暖気が交錯して急速に発達します。

それで冬はめったに雪の降らない太平洋岸にも大雪を降らせます。

くわしくは下記のURLをご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%B2%B8%E4%BD%8E%E6%B0%97%E5%9C%A7

今回は都心ではあまり積もりませんでしたが、山梨、多摩地方、埼玉、群馬などで一時十数センチ〜20センチくらいの積雪になりました。

親は雪国育ちですが、私は温暖な都会育ち、転びこそはしませんでしたが、悪戦苦闘、
特に立川駅前の踏み固められてしかも溶けかかった圧雪は手強かったです。

スキー場とは違いますね。

一雨ごとに春が近付いているということもいえるのでしょう。

ブログネタ
創作短編物語 に参加中!

前回無罪になった親分、またもや裁判をかかえています。

今回も子分との絡みがありました。

子分は逃げ切れないと思い、一部白状してしまったのです。

ところが親分は今回も相変わらず頑として認めません。

裁判では子分の白状したことが証拠になるかが焦点でした。

裁判官「それでは、判決を言い渡しますが、その前に一言・・」

親分「えっ?」

裁判官「おい親分さんよ、このままだと俺はあんたに無罪を言わなくちゃいけないんだよ」

親分「そうか。やはりわかってくれたんだな判事さんも。はっはっはっ」

裁判官「ちょっと待てよ」

親分「何だって?」

裁判官「あんたのことは俺は本当はやったんじゃねえかと思っているんだよ」

親分「何いってんだ。あんた裁判官だろ?俺がやったっていうんなら証拠を出せよ!」

裁判官「サスペンスでもこの「証拠を出せよ」というのはほとんど犯人のセリフなんだよ」

親分「何をわけのわからないこと言ってんだ。お前は法律の番人だろ?」

裁判官「わかった、わかった。それならこういうふうに言えばいいかな。もしあんたが無罪になっちゃうともうあんたは二度と罪を償うことはできなくなるんだよ」

親分「あたりめえだろ。無罪なんだよ、俺は」

裁判官「それにな、もう「私は実はやりました・・」なんて絶対にいえなくなっちまうんだよ」

親分「そんなこと言うわけねえだろ。無罪なんだよ、俺は」

裁判官「一生、それを背負って生きていくことになるんだぞ」

「いいのか?え?いいのか?」

「それにな、お前さんの子分たちはあんたはもしかしたら本当は黒なんじゃねえか?って思っている奴も結構いると思うんだよ」

「そのうちにな、そういう奴らはあんたのことをどう思うかな?」

「きっと、態度には出さないけど、心から信頼なんか微塵もできなくなっちまうんじゃねえかな。俺はそれが心配でな」

親分「お前な、勝手なこと言ってんじゃねえよ。自分で話を進めるなよ」
「それじゃ、まるで俺は犯人みたいじぇねえか」

裁判官「証拠はねえけどな・・」

親分「なにーっ、お前はそれでも裁判官か?」

裁判官「ああ、裁判官だよ。俺も人間だからな・・」

親分「だったら何だってんだよ」

裁判官「今だったらまだ間に合うんだよ。白状しちまえよ。このまま無罪になるほうがつらいことになるぞ」

親分「お前はデカか?」

「俺は白状なんかしねえよ」

裁判官「それじゃあしょうがねえな」

親分「しょうがねえとはなんだ」

裁判官「それでは判決を言い渡す」
やっと裁判官は判決文を読み始めました。

「親分は・・・、無罪」

親分「そうこなくっちゃ」

裁判官「ただし・・」

親分「なんだ?」

裁判官「これは証拠がないから無罪っていうことだ。無罪と無実はちがうんだよ」

親分「なにー?」

裁判官「この国の法律ではこの話は無罪にするしかないということだ。疑わしきは罰せず、というでしょ」

親分「おめえが一番疑っているんじゃねえか・・」

これを傍聴していたマスコミは当日の夕刊では「証拠がないけど本当は?」的な記事で埋め尽くしました。

原告側はおろか、被告側も親分にとってはなんとも後味の悪い雰囲気になりました。

親分「こりゃ、大変なことになった。有罪よりもつらくなっちまった。もう後戻りもできねえし・・」

☆☆☆☆☆

さてこんな裁判は現実にはないと思いますが、
法律やルールなんて、しょせんあとからできた枠組みで、実際に法を犯したかどうか、また法で裁けるかどうかと現実の問題と大きなギャップがあるのかもしれません。

この話では裁判官、親分どちらに問題があるのか?はたまた両方とも問題があるのかは定かではありません。

でもこんなことは我々の生活や仕事の中では程度は違えど、よくあることかもしれません・・

あるニュースを見ていて思った次第です。

連日意味不明の内容で恐縮です。
昨日のも自分の文章に嫌悪感さえおぼえてしまい、削除しようとログインしたら、

「あのねのね・・」
というのをみて

「それならもう一丁!」
ということになりました。

☆☆☆☆☆

ブログネタ
随筆・ノンフィクション・自由研究 に参加中!

表題のことばはほとんど意味不明ですが、普段何気なく感じたり、聞いたりしている世間の雑音が人間にとっていかに大切であるかということをふと感じたので書いてみました。

静穏
勉強などをしていると、近所の子供の声がうるさくていらいらした覚えのある方は多いと思います。
私もその一人ですが、実は音のない世界に人間は耐えられない、ということを以前何かの本で読んだことがあります。

たとえばまったく音が遮断された空間に入れられたとします。

すると最初は大丈夫らしいのですが、そのうちだんだんおかしくなってくるそうです。

1日もたつと何も音がないのにいろいろな音が聞こえてくるそうです。
もちろん空耳です。

そして2日たつとほとんどの人は気が狂ってしまうというのです。

実際にそんな空間は人工的に作らない限りなかなか存在しないので安心といえば安心ですが・・

「シーーン・・・・・・・・・・・・・・・・・」

もう耐えられない・・

「うぉおお!」

慣れ
これも大事なことみたいです。

人間はある与えられた環境にたいして適応する能力があります。

たとえば皆よくある経験ですが、サラリーマンで転勤すると新しい人間、知らない人間の中に放り込まれます。

また営業などの仕事であれば全く知らないお客さんの担当になります。

最初のうちは名前もなかなか覚えられません。

そして神経がずたずたになるほど疲れるはずです。

それが日がたつうちにだんだん慣れてきます。

3ヶ月もたてば職場では同僚をなんのためらいもなく「けんちゃん」とか「太陽にほえろ」バリに「やまさん」などと愛称で呼んでいる自分に気付きます。
お客さんともすっかり慣れ親しみ、一部の苦手なお客さんでなければ友好関係ができていることが多いはずです。

もしいつまで経っても慣れない自分がいるとしたら・・

これも数日であればともかく、数ヶ月も続くと拷問に近い状況になります。

毎日ピリピリした緊張感が続き、飯ものどを通らないような日々になり、しまいにはやはりおかしくなってしまうのではないでしょうか。

朝の会議・・

皆注目・・・

「あ・あの・・、き・きょうの・・よ・よていですが・・、あのあの・・・」
緊張でかみまくりです。

お客さんにも・・

「あ・あの・・、せ・せん・・せんちゃんですが・・、あのあの・・・」

相手も慣れないので
「な・なんだ・・・、何なんだ・・、お前は、何が目的だっ、えっ?」

もう耐えられない・・

「うぉおおおおお!」

忘却
これもきわめて重要です。

誰でも思い当たる部分があると思いますが、嫌なことはいつの間にか忘れて、いいことはいつまでも憶えているということってよくあると思います。

もちろんいいことも忘れてしまうとは思いますが、人間は生まれてからとんでもない数のさまざまな経験をします。

いちいちおぼえているとこれも気が狂ってしまうでしょう。

たとえばもてない男がいて、十代から好きになった人に常にアタックを続けたとします。
ところが運悪くすべてふられてしまったとします。

一回一回彼は本当に真剣にアタックしてきました。

だからふられるたびに大きなダメージを受けます。

それがすべて忘れることができないので記憶の中でどんどん蓄積してきます。

「高校時代のしずかちゃん、大学一年の時のみなみちゃん、大学二年のときのまりこちゃん・・・・・」

延々と彼の頭の中には彼女たちの存在が消えない状態になります。

もう最近は目の前にいる、本当は真剣に思っている相手が、「まりこ」なのか「しずか」なのか、はたまた「みなみ」なのか判別さえ難しくなります。

そんな時にたまたま以前と同じ名前の「しずかちゃん」という娘があらわれてしまいました。

もう耐えられない・・

「うぉおおおおおおおおおお!」

要は「うるせえな」と思いながらも雑音のなかで、「またこれか・・まあ二回目だしなんとかなるさ」と思い、「あれ、俺何考えてたんだっけ?」
と過ごしていることは意外と健全なのかもしれませんね。

何が大切かといえばこの3つに限らず、意外ですが身近に空気みたいに感じているものや、そんなこと当たり前だと思っていることほど大切なものはないのかも知れません。

夜中に作業をしていたら、ふとそんなことを考えてしまいました。

「あっ、そう。それがどうしたの?」という話でした。


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創作短編物語 に参加中!

以前NHKの番組「ダーウィンが来た」でオットセイの生態についての特集がありました。

群れで海辺でのったりしているオットセイたち。
しかしそこには種の存続のためにし烈な生存競争が繰り広げられている・・

オットセイは一夫多妻制で、力のあるほんの一部のオスがたくさんのメスを連れてハーレムを形成します。
他の多くのオスはあぶれて、いじけたように隅っこでコソコソ暮らす、そんな内容でした。

種の存続のためには、優秀なオスの遺伝子が多くのメスによって継承される、
乱暴ではありますが、一理ある、たしかそんな内容でした。

他にもいろいろな生態が紹介されましたが、その部分が特に強烈に印象に残りました。

そんな内容を見て「なるほど!」

納得して眠りにつきました。

そして一晩たっぷり寝て、朝起きると・・
というより、目覚ましが「ジリリリリリ」と鳴ったので止めようと思い、時計に手を伸ばそうとしました。
しかし・・

「アレ?」

手が伸びない・・

慌てて自分の手を見てみると、手であるはずのところには小さなヒレのような物がついていました。

そうです。私はオットセイになってしまっていたのです。

もしかしたらアシカでは?とも思いました。
オットセイとアシカは似ています。私は違いがよくわかりません。

でもなぜか、私はアシカではなくオットセイであると自分で確信しました。

昨日テレビを見ていたからでしょうか?

いずれにしても、そんなバカなことが・・・

でも現実に私はオットセイになっていました。

いそいでベッドからおりて、階段を這うように降りて、ダイニングに向かいました。
すると部屋に入る前に妻の声がしました。

「あら、あなた、起きたの?」

ダイニングに入ると、そこには一頭のオットセイがいました。

妻もオットセイになっていました。

何ということでしょうか?

いくらテレビの強烈な印象があったにしても、一晩にして皆オットセイになってしまうとは?

我が目を疑いました。

でもできるだけ平静を装い、

「ああ、今起きたんだよ」

「見てのとおりだから、ご飯はないわよ」

妻も自分がオットセイになっていることを自覚しているようでした。
変わり身の早い奴だ・・

「ああ、わかったよ」

「それからね、これ書いておいたから。あなたも書いてね」

見るとそれはなんと離婚届でした。
あとは私の署名、捺印の部分だけでした。

「何で?いきなり・・」

「外に出ればわかるわよ」

妻は多くを語りませんでした。

何でこんなことに・・・

そうだ会社に行かなくては・・
あわててヒレで扉を開けて、玄関から外に出ました。

「え?」

私はさらに大きく驚愕しました。

そこには海岸線が広がっていました。

そして海岸には大量のオットセイたちが打ち上げられたように群れていました。

昨日テレビで見た光景そのままです。

とにかくどこかに行かなくては・・

ヒレを使って少し前に進むと、

いきなり

「グワーッ、ガガガーッ」

大きな叫び声を上げて巨大なオットセイが襲い掛かってきました。

ドスン!

「ヒャーッ」

さらにもう一撃
ガツン!

「ギャーッ」

私は大きく吹っ飛ばされました。
体に痛みが走りました。

それでも相手は攻撃の手をまったく緩めません。

また襲い掛かってきました。

そして今度は噛み付いてきました。

ガブッ!

痛いっ

なんとかのど笛に噛み付かれるのは防ぐことができましたが肩のところに噛み付かれました。

ヒーッ

と、よく見ると。このオットセイは?

そうだ、うちの会社のいつも私をこき使っている、あの課長にそっくりでした。
なんで課長に似ているかというと、姿はオットセイですが課長がいつも使っているメガネだけはかけていました。

「手がないのにどうやってメガネをかけたんだろう?」

そんな流暢なことを考えているヒマはありません。
とにかくこの状態を回避しなくては・・

痛みをこらえながら
「か・課長、な・なんで、こんなことするんですか〜〜」

課長は噛み付きながら
「グワーッ、お前の嫁さんは俺がもらうぞ〜〜っ!」
と叫びました。

「課長、そんな無茶言わないでください。課長にはあんなきれいな奥さんがいるじゃないですか〜〜」

「あれも俺の嫁さん、お前の嫁さんも俺の嫁さんだ〜〜」

「え、え〜〜?」

そうだ昨日の番組の通りだ。
これはとんでもないことになった、どうしよう・・

オットセイとなった今はすでに強い男がすべての女性と結ばれる、中身まで変わってしまったのでした。

「わかりました。わかりました。考えますから、離してください」

課長のオットセイはやっと私を解放しました。

「グワーッ、離婚届、判押しとけよ〜〜っ!」

そういうと課長は一旦他のところへ行ってしまいました。

しかししばらくすると、向こうの方で
「グワーッ、お前の嫁さんは俺がもらうぞ〜〜っ!」
と大きな叫び声が聞こえました。
そしてやはり「ギャーッ、痛いッ!」
と悲鳴が聞こえました。

よく聞くとあの声は後輩のHの声でした。

他でもやってやがる、なんて奴だ。

これは大変なことになった。
毎日こんな事が続いたら身がもちません。

思案に暮れていると。

すぐ近くから

「グワオーッ、これでも食らえ〜〜っ!」

叫び声とともにまた別の大きなオットセイが襲い掛かってきました。

「ヒャーッ」

見るとこんどは後輩のYでした。
やはり見た目はオットセイですが、あの生意気な平ったい目は紛れもなくあいつの目です。

人間だった頃からいけ好かない奴でした。彼はいつも人の手柄を横取りするようなやつでした。

そしてオットセイになったらさらにエスカレートしているようでした。
こいつにだけは嫁を取られたくない・・

そう思い戦おうと思いましたが、相手は巨体でしかも悪い性格と勝てる要素はあまりありません。

とっさに思い切り逃げ出しました。

「グワーッ、グワーッ、グワーッ、待てえ〜〜っ!」

誰が待つか・・。
後から叫び声が追いかけてきましたが、なんとか振り切りました。

そんなこんなで家に帰ると疲れ果てていました。

妻は
「早く書いてね。弱い男は興味がないの」
妻は完全にオットセイに浸りきっているようでした。

私はしょぼくれてテレビをつけました。
するとなぜかまた「ダーウィンが来た」の再放送をやっていました。

こんないつもやっていたっけ・・

と思いましたが、なんとなく見入っていました。

今日はカンガルーの特集でした。
カンガルーのオスは乾燥した砂漠地帯を結婚相手をさがして毎日ひた走ります。
そしてメスを見つけると、求婚します。

でもそんな簡単にはいきません。
やはりライバルのオスがたくさんいて当然争いになります。

よくテレビなどで見かけますが、カンガルーは手足が強く、ボクシングのようなけんかをします。
これはメスをめぐってオス同士がけんかをするときの話のようです。

まけたカンガルーはさらに相手を求めて走りつけます。
乾燥、高温と厳しい中なのでやがて力尽き、死んでしまうカンガルーのオスも多いようです。
砂漠の中にオスの骨が残されている映像が映し出されました。

「どの動物も大変なんだな」

今の状態もすでに大変ですが、カンガルーにはもっとなりたくないと、思いました。

そしていつの間にか寝てしまい、朝が来ました。

「え、え〜〜?」

そうです。
恐れていたことがおきてしまったのです。

今度は私はカンガルーになってしまったのです。
なんてことでしょう。

もうこれから起きることが大体想像がつきました。

ダイニングに行くと
妻は離婚届をピラピラさせて
「早く書いてよ!」

事態はさらに悪化していました。

「もうほかの動物になるまでは走り続けるしかないな、どうせ外は砂漠なんだろ?」

そして玄関のドアを開けた瞬間です。

バキッ!

「ぎゃああああああっ」

メガネをかけた巨大カンガルーがいきなり強力なパンチを出してきて、それがもろに私の顔面にヒットしました。

そして課長カンガルーは言いました。
「おめえは人間だろうが、オットセイだろうが、カンガルーだろうが逃がさねえぞ、覚えとけっ!」

☆☆☆☆☆

ブログネタ
鉄道 に参加中!

私見ですが、日本の観光はきわめて一元的な思考だと思っています。

何かがヒットするとすぐにそれにあやかろうとすべてがそれに群がる・・
そんなことを繰り返してきたように思います。

先日テレビのある番組で伊豆熱川温泉の惨状がルポされていました。
テーマパークが流行れば、美術館が流行れば、昭和の後半にかけて雨後の筍のようにあちらこちらにできました。

今はかなり多様化しているとはいえ、ゆるキャラ、道の駅、ご当地B級グルメ、駅弁、サービスエリア、工場見学など・・

商業ベースに乗せるためには致し方ないのかもしれませんが、全国どこもかしこも皆一緒です。

これではすぐ飽きてしまいます。

多様化への対応が、一極化にかわってしまう繰り返しになって、結局衰退への道を早めているような気がしてなりません。

そのために古い施設を取り壊して新しい施設に変えてしまいます。
一回取り壊してしまった古い施設はもう取り返しがつきません。
なぜかと言えば仮に建て替えてもそれはすでに新しい物であり、古きを好んだり、文化財的な価値はまったくないからです。

日本の長年培った伝統の文化をそのまま残す、そんな考え方をシンプルに実行している感があるのが表題の大井川鉄道と秩父鉄道です。

単にSLを復活運転しているだけではなく、引っ張る客車やほかの車両、駅舎なども出来る限り昔のままの状態を保全しようとしている努力が見えます。

単なる金儲けの観光客誘致とちがう視点がそこには見えます。
多分老朽化などに対応するために大変な努力をされているのでは、と思っています。

それが逆に一般の観光客からも大きな支持を得ています。
しかもどちらも地方交通線という地域社会の生活も支えています。

最近テレビなどで海外の保存鉄道が多々紹介されています。
欧米だけでなく、アジアなどでも一度保存しようとしたものについては、出来る限り手を加えずに残そうというシンプルが気概が感じられます。
今いろいろ言われている隣の大国でさえ、文化保全については日本より進んでいると感じます。

商業ベースにしようという目先の視線と人の繁栄やアイディアにあやかろうとする短絡的な思考がかえって今の衰退を招いている根源のように思えてしかたありません。

伊豆の熱川にはバナナワニ園という全国でも珍しく歴史もひじょうに古いテーマパークがあります。
今でも健在です。
私も3回くらい行きましたが、飾り立てた要素が少ない分、シンプルに楽しめます。

何年か前にハウステンボスの運営会社が倒産したというニュースが流れました。
引き継いだ経営者が優秀で、今も立派に存続させているようで、その努力が広く知られ始め、今度テレ東のカンブリア宮殿でも取り上げられるみたいです。

昭和の後半にかけて全国で星の数ほど存在したテーマパークも今は風前の灯火で、残された施設もいずれは文化財に近い価値を生み出すのではと思っています。

前出のバナナワニ園、明治村、館山フラワーパークなど今も残っている施設の踏ん張りを期待したいところです。
流行の施設に飽き飽きした人たちには全然次元の違う感動や、楽しみを与えてくれると思っています。

話が大幅にそれましたが、今度の3月17日のダイヤ改正によって昔懐かしい特急「日本海」や急行「きたぐに」などが廃止になり夜行列車自体もほとんど壊滅状態に追い込まれます。

もちろん安全確保や老朽化への対応など高いハードルがたくさんありますが、のぞみ300系の最終列車の指定券が30秒で完売になったことなどを考えても、評価されているものは評価するべきではないかと感じます。

たとえばブルートレイン、これは外国の豪華列車をヒントに大衆の人も利用できるように考えられ、デザインのよさもあり永遠にこの人気は失われることはないと思います。

この間上野駅の大連絡橋の上の駅ナカを見てビックリ。すべて若い女性向けの値段の高い施設に変貌していました。

上野駅にはそのよさや人気の意味があったはずで、どこの駅にいってもあるような施設をいまさらつくって、しかも値段も高くなり、はるか先まで存続すると思っているのでしょうか?

商業ベースに乗せようとすればするほど、衰退する、そんな気がしてなりません。

お客さんは本物や他では見れないオリジナリティーを求めているのですから・・

ブログネタ
ブログ全般 に参加中!

夜中に中島みゆきの記事を書いたところ、

男か女かわかりません?が、「まりこ」と名乗る人物からコメントが入りました。
男だったら「まりお」じゃないといけなくなるので、多分女の姿をした狼かもしれません。

早速内容どおりにウキウキして返信などをしてしまうと多分ひどい目にあうので、コメントの内容をそっくりコピペしてヤフーの検索にかけてみたところ・・

あるわ、あるわ・・
ほぼ同じタイミングでコメントしまくったのでしょう、
大量に同じフレーズ入りの大量のブログが検索でヒットしました。

「まりこ」はその晩は大活躍、夜通しブログにコメントしまくっていたのでした。

こんな時は皆そのメルアドに一斉に1MB以上の画像を添付して、

「こんな俺だけど、いい?」

とイノシシの写真か何かを送りつけてあげたら、さぞ喜んでいただけるかもしれないと思いました。

「おい、まりこ、お前の目的は何だ? 地球侵略か? 今夜もほかで大活躍か?」
「あっ、そうか、今晩はほかの名前だよね?」

こんなものに引っかかる人がいまだにいるんだろうか?

ブログネタ
自分にとっての名曲とは? に参加中!

スモールさんの記事に中島みゆきの話が出ていました。

ネタぱくりになってしまいますが、その話は賛同したので・・

かくいう私も中島みゆきフリークの一人です。
ごっそりレコード、CDを持っている状態です。

特にスモールさんの話に出ていた初期の名曲「時代」は私も大好きです。

年がばれますが、最初に聴いたのは中学時代です。
このころは毎晩のように布団の中でラジオの深夜放送を聞いていました。

当時はそれが流行で、午前1時からは賑やかな若者向け番組、3時からはトラックの運転手さんなど深夜に働いている人向けに歌謡曲、演歌番組が主流でした。
八代亜紀などは特にトラックの運転手から好まれ、このような番組が育てたスターだと言っても過言ではないと思っています。

TBSラジオで午前3時からやっていた「歌うヘッドライト」。
ノンノンこと江川範子さんの金曜深夜、石渡のりこさんの木曜深夜は特によく聴いていました。

この番組でこの「時代」をはじめて耳にして、大変な衝撃を受けたのをおぼえています。

一般的には歌、特に流行歌の多くは恋愛など、人の情の歌がほとんどです。
この歌も当然そうなのでしょう。
中島みゆきの何かの経験などによって生み出された物だと思います。

ところがこれは恋愛だけではなく、人生全般の他のどんなことにも全く同じように思える、というか聴く側が思うことが出来る歌詞であった、と感じました。

嫌なこと、絶望、不安、さみしさなど今まで生きてきて数限りなく経験されている方が多いと思いますが、

この歌を聴くと、楽になり、

そして「まあ、いいか」と思い、

そして「さあ、また出直すか」

という気分になるから不思議です。

歌詞で言うとやはりさびの

「まわる、まわるよ、時代はまわる、別れと出会いをくりかえし、今日は倒れた旅人たちも、生まれかわって歩き出すよ」

という一節を聴くと、
肩に乗った重石が取れるように楽になりました。

最初に聴いた当時の中学生の私には当然そんなことはあまりありませんでしたが、

その後さまざまなことが起きるたびに

「この歌が救ってくれている」、と思っていますし、これからもきっとそれは続くと思います。

たった何百円のレコード1枚がかけがえのない財産に思える、そんな気持ちになれる歌のひとつです。

多分逃げ場のない苦しみにあえぐような苦労をされてきた人たちのなかにも、ふとした機会にこの歌に出会い、救われた方もたくさんいるのでは、と思います。

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創作短編物語 に参加中!

その1−携帯電話で・・
これは以前にもこのブログで簡単に書いた記憶があります。

ある日私は仕事で新宿の高層ビル街に行きました。

仕事が終わり、帰ろうかと駅に向かって歩いていると、

ふと50メートルくらい向こうで若い女の人と男の人が二人で話しているのに気付きました。

と、急に女の人が何かで男の人を叩いたように見えました。
「パキッ!」
結構大きな音がしました。

それと同時に「○×▲△◎◎◎!!」
と女性が大きな声で叫んだように聞こえました。

「なんだカップル同士で痴話げんかか、それにしても人前で派手だな・・」

と思い通り過ぎようとしました。

そのときです。
二人はついに取っ組み合いを始めました。

「穏やかじゃないな。本格的にけんかになったんだな。たいへんだね」
それでもそんなふうに思いました。

すると男性は女性の攻撃をやっと食い止めたようで、たったまま女性を押さえつけました。

「少し変だな・・」
そう感じた私は
「大丈夫ですか?」

と二人に近付きました。

すると男性は
「警察を呼んでください」

「え?」

「知り合いじゃないんですか?」

「全然、いきなり殴られたんですよ」

女性はまだ興奮して、押えられていてもまだ暴れていました。

見るとリクルートの学生か、ビジネスで回っている感じのスーツを着ていました。

たしか聞けばそこで肩が触れたとか、何かささいなことで言い合いになり、いきなり携帯で顔を殴られたとのことでした。

女性はまだ
「○×▲△◎◎◎!!」(さっきと同じですが・・)
と意味不明のことを叫んでいました。


そのうち人が集まってきました。

たくさん来たので私はもういなくてもいいと思い、その場を離れることにしました。

というのもその女性は、そんな大柄でもなく、合コンなどでは結構人気になりそうなかわいい感じでしたが、

牙をむいている野獣のような状態で、きわめて危険に見えました。

正直少し怖くなってきたのもあります。

もし押えている彼の手を振り払うことができたら、
協力者のようにふるまった私にも襲いかかってくるかもしれない・・

「○×▲△◎◎◎!!」(また同じですが・・)
とか何とか叫びながら、持っていたボールペンで刺してくるかもしれない、と思ったからです。

「そんな、おおげさな」
と思われるかもしれませんが、本当にそれくらい興奮状態に見えました。

彼女は上はスーツで下はスカートでしたが、自分がスカートをはいているのを忘れているくらい、下半身をバタバタさせて大暴れしていました。
そこには色気などは全くなく、かえってそれがまた恐怖を倍化させました。

何か面白くないことがあったのでしょうか?

「そうよ!お前のせいなんだよ!」

もしかしたらあの尖ったヒールであちこち蹴られるかもしれません。

「あいたっ、痛い!」

さらに持っているバッグを振り回して、私の顔を直撃するかもしれません。

「ぐぇっ」
さらにもう一撃
「ぎゃっ、ぎゃああああっ」

想像しているだけで寒気がしてきました。

「しっかり押えといてくれよ、俺は逃げるから・・」
根性のない私は・・

その後どうなったのか逃げ出した私には知る由もありません。

その2−ある日の電車の車内で
先日ある電車に乗ったときの出来事です。

私が座った向かいに若い学生風のカップルが座りました。
電車は少し混んでいましたが、席の前に立つ人はいない、そんな程度でした。
 
彼らは異様にイチャついていました。

皆さんも経験あると思いますが、見せよがしに公衆の面前でイチャつく、はっきりいってむかつくカップルの状態です。

また二人ともビジュアル系で、男はイケ面、女はアイドルのような感じでした。

「むかつくな・・」

多分私だけでなく、周りの乗客はみなそう思っていたのでしょう。

皆無視をしているふりをして本を読んだり、寝ているふりをしたりしているようでした。

私もウォークマンを聞いていましたが、やはり結構気になり、音楽にはなかなか集中できませんでした。

そんな状態が続き途中の大きな停車駅が近付いてきた、そのときです。

「バキン!」
きわめて大きな音がしました。
と同時にその女が男をいきなり叩きました。

平手でしたが、思い切り叩いたようですごい音がしました。

しかも頭を狙ったのでしょうが、すこしずれて顔の一部にも当たったようです。

ウォークマンで音楽を聞いていてもはっきり聞こえる音で、音楽の中のひときわ大きなドラムの音よりも大きな音に聞こえました。

女性は叩いた後で男に何か小さな声で話しかけました。
よく聞こえませんでした。

男は「いつものことだよ」という感じで、大きく反応しませんでした。

しょっちゅう叩かれているのでしょうか?

それにしても見た感じでは相当痛かったはずです。

音がいいと痛くない、とよくいいますが、見た感じではあれは音も痛みもともなう一撃に見えました。

私だったら涙ぐんでいたかもしれません。(少しオーバーですが・・)

まわりにいた人たちも少しびっくりして叩かれた瞬間に、いっせいにカップルを見ました。
でもどのような反応をしていいのかわからないのか、皆すぐ自分の世界に戻るふりをしたように見えました。

このカップルはこの先どうなるのでしょうか?

完全に力の加減をすることをしらない女。

何か気に食わないことがあると

「バキッ」「バキッ」

「ぐえっ、ぐええっ」

その叩いた音と想像した光景が反復した状態のまま私も、ほかの乗客も電車を降りました。

そんなこんなで、
「時代は確実に変わっている・・」
と確信しました。

今日は以上です。

☆☆☆☆☆

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.気になったニュース40 に参加中!

飛ぶ鳥を落とす勢いのO市長・H氏が政経塾のようなものを募集したところ、数千人におよぶ希望者が殺到したというニュースが流れました。
これからの日本はしばらくはこれがトレンドになるのでしょう。

しかしふと感じたことがあります。
今日は多少理屈っぽいので、ご辛抱を。

中身の正誤や賛否はわかりませんので一切コメントは避けますが、
ゼロから全てを構築してきたH氏はたいしたものだと思いますが、それに群がる人たちが同質であるとはとても思えない、ということです。

古来から日本で言えば大きく変換し、新しい時代を切り開いた開拓者というのが時代の節目には必ず存在しています。

たとえば

戦国時代の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康
今ドラマで話題の平清盛、源頼朝
明治維新の西郷隆盛、坂本龍馬などは誰でも知っている人たちです。

また戦後の焼け野原から日本経済を再生させたものづくりのパイオニア、松下、ホンダ、ソニーなども同様だと思います。

皆に共通しているのは
言葉は悪いですが、それ以前の時代では下の下の、まったく社会から注目されないような環境からほとんど自力でのし上がってきたということです。
逆にそのような状態でないとそういう人たちは誕生していないのでは、と思えます。

もちろんその踏み台になってしまっている人たちも多々いたのではと思います。

何が言いたいのかというと、
変革や成功はすべて自分で考えて、自分で決断して、自分で切り開いていかないと実現できないのではということです。
人の敷いたレールに乗る前にまず自分でやってみる、大海原に出てみる、というのが一番大事な精神なのではと思います。
それは組織に属するとか、属さないとかそんな了見の話ではなく、自分自身がどう生きるかという生き方や考え方の問題だと思っています。

年齢も関係ありません。70にして起業、成功している人はいくらでもいます。

商売でも同様ですが、看板や技術、つながりがないところから何かを始めるのはとてつもないエネルギーが必要になります。

私も自営をはじめて数年、いまだ大きな日の目をみることも無い状態です。
もしかしたら一生そうなのかもしれません。
それでも毎日コツコツと歩を進めるしか方法はありません。

事業にしろ、政治にしろ皆同様だと思っています。
そこには勇気、感性、タイミング、運、柔軟で明晰な考えも必要です。

強力な応援者やパートナーも必要です。

さらにいえば強力なライバルや妨害者も必要なのかもしれません。
もまれて強くなるといいますから。

H氏のような人が国中から雨後のたけのこのように出てくる・・
このような状態が一番なのかもしれません。

まったく無名だから失う物やしがらみは何もなく、見栄を張る必要もなく、自由で柔軟な発想で前進する・・

過去の時代の英雄たちも、世界を見回しても、最悪の状態の中からより強力なパワーが生まれてきたように思います。

ユダヤ人、華僑の人たちも松下やソニーの創始者もおかれた環境を逆手にとって強靭な精神力で繁栄を手に入れることができたのかもしれないですね。

そういう意味では今の殺伐とした状況の中ではいずれそのような人たちが出てくるのかもしれないとおもっ次第です。

さあて、能書きはこれくらいにして、またコツコツと歩を進めなくては・・いけないね・・

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競馬観戦記 に参加中!

日曜日に下北沢の歯科の女医さんに、東京競馬場の馬主席に招待されました。
東京競馬場馬主席12025
聞くと、知人に中央競馬の個人馬主さんがいて、当日席を用意してくれたのとのことでした。
めったにない機会なので喜んで観戦に行きました。

いつものように普通に私服で行こうと思いましたが、よく考えてみると馬主席なのでどうしようかと思いました。

そしてやはり仕事用のスーツで行くことにしました。
一応ネクタイもリュックにしのばせておきました。

するとやはりスーツ、ネクタイ着用ということでした。
東京競馬場馬主席12026
冬場なので少し寒かったですが、天気もよく、写真のように富士山も大きく見えました。
東京競馬場馬主席12027
馬券は・・・
いつものようにだめでしたが・・

楽しかったです。

話変わりますが、いつも見ている地震予知を研究しているブログ「地震くるみる」で微振動などの関係でかなりそれなりの規模の地震の危険度が高まっている状態だと書いてありました。
ご注意ください。

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健康雑学 に参加中!

2月7日の早朝でした。

心地良い朝の眠りを中断する、携帯電話のベルが鳴り響きました。
「何だろう?こんな朝早く・・」

出てみると姉からの電話でした。

朝早くの電話はあまりいい知らせであるはずはなく、いやな予感がしました。

「今施設から電話があってね。〜がねえ・・」

聞いてみると施設にショートステイしていた家族を、朝施設の人が起こしに行ったら呼吸はしているけどまったく反応がなく、救急搬送されたとの知らせでした。

23年前に脳梗塞をおこし言語と右半身が麻痺して以来、不自由な生活をしていたのですが、再発することもなく過ごしてきましたが・・ついに再発?

二年前に転んで外傷性のくも膜下出血をおこしさらに障害が悪化しましたが、ここにきて順調に回復をたどっていたので寝耳に水のような衝撃が走りました。

まったく状況がわからないまま、待機することになりました。

昼前くらいにやっと行き先の病院などがわかりました。

そして午後になりまた連絡がきました。

するとなんと、回復したとのことでした。

症状は一過性の脳梗塞とのことで、
意識を一旦失っていたらしいのですが、数十分後に意識が戻ったとのことでした。

とにかくほっとしました。
当日は仕事は結局すべてキャンセルになりました。

☆☆☆☆☆

一過性の脳梗塞・・

実は今回の家族ほどひどくはありませんでしたが、私も経験があります。

約十年前、まだサラリーマン時代の話です。

約17年勤めていたその会社で今だから言ってしまいますが、実はいわゆる「パワハラ」(パワーハラスメント)と思われる待遇を受けていました。

きっかけは何かの時に口答えか何かをしたというように記憶しています。
当時の上司は社内でも変わり者と言われていて、平気でそういう行為をするようなタイプでした。

また会社の業種的にもそのような文化が残っていて、社内でも当時は私のような目に会っていた人はかなりいたと思います。

約半年くらいそのような状態が続きました。

精神的にはなんとか大丈夫でしたが、だんだん体調が悪化してきました。

というのも冬場になり寒くなってきたのに、一日中外に出され、お客さんを回らされました。

食事や休憩をするような場所はほとんどなく、コンビニの肉まんを店頭で食べたり、駅前で携帯を使い2時間くらいセールスの電話を毎日のようにしていました。

たしかクリスマスイブの翌日くらいだったと思いますが、ある朝会社で来店したお客に対応しようと席を立ちカウンターの方に歩こうとしました。

そのときです。

左目から見える景色が変になりました。
すべてが波打っているように波目模様にみえました。

そして歩こうと思い一歩足を出しましたがバランスがとれなくて歩けません・・

「え?」

何が起こったのか自分でもわかりませんでした。
片手を机にかけて歩こうとしましたが、反対側に大きく傾いてしまい、まったく歩けない状態でした。

「どうしよう。もしかしたら・・」

他の人も少し様子がおかしいと感じたのでしょうか、私の様子を見る人もいました。

左目のまだら波の景色はしばらく続きました。

このまま死んでしまうかもしれない・・

本当にそういうふうに感じました。

ところが数分後、急に元に戻り始めました。

そして何事もなかったように普通になりました。

ただ熱があるような感じになり、頭が少し痛んできました。気分も少し悪くなってきました。

すぐに近くの病院に行き、検査をしたら血圧が下で100を越えていました。
私はどちらかというと低血圧でしたのでびっくりしました。

午後に専門の病院で検査をすると一過性の脳梗塞を起こしたのだろう、という診断をされました。

仕事の内容や状況をありのままに話すと、医者は
「その仕事はできれば長く続けないほうがいいね。もし今度再発したらこんなもんではすまない可能性もあるよ」
と言われました。

その日は家に帰してもらい、2〜3日静養しました。

これを機会に会社を辞める決意をかためました。

その後私は転勤してその環境から逃れることができましたが、数ヵ月後に会社を辞めてしまいました。

そしてそのまま今に至っています。

あのときの景色がグニャグニャに見えた感覚は今でもはっきりとおぼえています。
多分一生忘れることはないと思います。

「一過性の脳梗塞」

この言葉を聞いた時、そんなことを思い出してしまいました。

思い出したくもない思い出ですが・・これが現実の話です。

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東日本大震災に対して「何か」できること に参加中!

土曜日
土曜日は福島県いわき市に仕事で出張しました。
大国馬上建築様とホームページの打ち合わせをしました。

打ち合わせの後、社長の息子さんと食事などのために車で小名浜から北の海岸沿いを少し車でまわりました。

私自身も東日本大震災当日、小名浜港近くで地震にあい数日間現地で避難していましたが、当時は危険な状態だったので海岸や港に近付くことができませんでした。

また昨夏に訪問した時も時間の関係もあり、港には行きませんでしたのでその惨状を目にすることはありませんでした。

もう一年近く経っているので小名浜港はほぼ観光施設なども大方営業を再開していました。
ただよく見ると漁港近くの店や旅館、民家などは大きなダメージを受けた状態のままになっているようでした。

看板やシャッターなどは津波のために大きくへこんだり、破損しているところがたくさんありました。
息子さんの話だと、こちらでも家の一階が完全に水没するところまで浸水したとのことです。

以前ブログにも書きましたが、息子さんは消防団に入っていたので地震直後に海岸沿いの民家で救助活動を行っているところに津波の大きな第二波がきて、胸の辺りまで水につかってしまい危うく難を逃れたとのことでした。

私のサイトに掲載いただいている魚市場の向かいの飲食店も一階が全滅で9月ごろにやっと営業再開にこぎつけたそうです。
月曜日に電話で話しましたが、漁もまだ禁止になっているとのことでまだまだ大変な状況が続いているとのことです。

魚市場付近から、三崎公園という突端で少し高台になっているところを過ぎて北側に行くと、さらに大きな被害を受けた地域になります。
永崎海岸から中之作、江名という地域になります。
このあたりは山が急に海岸になっていて、その間のせまい平地に民家などがたくさんありますが、津波の直撃を受けてかなりの被害を受けました。

車で走っていくと、民家のうちあちらこちらに何もない更地になっているところがかなりありました。
津波で流されたり、全壊になった家だということです。

道路の標識やガードレールなどもいまだに大きく傾いたり、大きくへこんだままになっていました。

また永崎海岸は夏はこの近辺では大きく賑わう海水浴場なのですが、地震と津波によって砂浜が完全に消滅してしまいました。

息子さんによるともっと北に行くと塩屋崎、そして久ノ浜という地域でここはさらに甚大な被害を受けたそうです。
津波で流されたうえに、火災が発生してほとんどの民家が大きな被害を受け、人的な被害も甚大だったそうです。

小名浜の中心街も地震、津波のあとにさらに大きな余震が続き、住宅も転居が必要な方がたくさんいる状況です。
私がホームページを管理しているお店もその一軒です。

原発の風評被害の問題も加わりまだまだ問題は山積みですが、一刻も早い復興を願います。


日曜日
日曜日は今度は逆にいわき市の外郭団体である社団法人いわき観光まちづくりビューロー様が東京にいらっしゃいました。
というのもメディア関係の知人の手配でラジオに出演することになり、そのお取次ぎをしたので私も収録に立ち会いました。

出演されたのはいわゆる「観光大使」のような仕事をされている女性で、その部署の方も付き添いでいらっしゃいました。その女性の家も津波で流されて大きな被害を受けてしまったそうです。

昨年から復興のためにフラガールと一緒に全国各地をめぐっているとのことです。

また今回名産のイチゴを持ってきていただきました。放送用でしたが私もお土産にいただきひじょうに美味しかったです。

2月8日には「フラガール」でおなじみのスパリゾートハワイアンズも新しいホテルも加えグランドオープンになります。

まだまだ完全復活には時間はかかるかもしれませんが、一歩一歩復興に近づけて行くしかないのでできることはお手伝いさせていただければと思っています。

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創作短編物語 に参加中!

人間は動物です。
人間の顔は当然動物ですから、よく見ると何かしらの動物に似ていることが多いものです。

その中でも抜群に目立つ動物はというと・・・、それは「たこ」です。

たこは魚介類の中でもとりわけ独特の形、というより風貌をしていると思います。

「たこ入道」など・・その容姿はユーモラスでもありますが、時には威圧的で凶暴な姿をしているとも思えます。

人間にもこの「たこ」と風貌が似ている人をよく見かけます。

昔の学校時代などを思い出せば、学校中で一人くらいは、皆から「たこ」と呼ばれている奴がいたのでは・・。

ご多分に漏れず、私の学校時代にもそういう奴がいました。

それは中学校時代、そう中学に入学した時の話です。
クラス分けがあり、私のクラスの生徒たちも教室に一同が集まりました。

そしたら、そうです、いました、いました・・
顔は人間ですが、よく見ると集団の中で8本の足をグニュグニュ動かしているあの「たこ」が〜

いやそれじゃ本当の「たこ」になってしまいますので、今回は真面目に・・

そう、顔が「たこ」そっくりの奴がやはり一人いました。

彼は私とは違う小学校から来たので初対面でした。
ただ彼と同じ小学校から来た友人たちは
「おい、たこ!」「たこ!」「たこっ」
と彼を名前で呼ぶ人はいない状態でした。

言われてみると
顔は人間ですが(当たり前です・・)、口がひじょうに特徴がありやはり「たこ」のように前に口を丸めて突き出したようになっていました。

「なるほど・・」

これでは「たこ」と言われてもしょうがないなと思うほど似ているように見えました。

また口だけではなく、目もかなり腫れぼったくて、ちょうど「たこ」の目の感じと似ているように見えました。

「なるほど・・」

また同様に思いました。

本人も相当気にしているようで、
だんだん慣れてきたころに私も調子に乗って
「たこ」と呼んでしまいました。

すると彼は激怒していきなり私を叩いてきたくらいです。

しかし当時はそんなふうに思っていましたが、よくよく考えてみると実際には少し口が丸く突き出て、目が腫れぼったいくらいでそれ以外は完全に人間の姿です。(当然ですが・・)

「そこまでは似ていないよな・・」
だんだんとそんなふうに思ったのをおぼえています。

でもその後数十年彼とは会ったこともなく、顔さえ正確には思い出せないくらいの年月が経ってしまいました。

こうなると人間の記憶というものは不思議なもので、彼の「たこ」っぽい特徴だけが強烈に記憶に刻み込まれ
徐々に初対面だった当時よりはるかに「たこ」に近い印象になっていきました。

しまいには彼の姿は首から下は普通の人間で、顔だけが「たこ」そのものという印象にさえなってしまいました。

よくこういうことってあると思いますが、若い頃とてもきれいでかわいいと思っていた女性は長年会わないとそのいい印象だけがイメージとしてどんどんふくらみ、心の中で絶世の美女のようなイメージに育っていくというようなのと似ている感じです。

そんな女性もしばらく振りに実際に会うとまあまあではあるが別段たいしたことないことが多いものです。

私は多分もう彼とはよほどの偶然がない限り会うこともないと思うのでこの妄想はどんどん膨らんでしまう状況が続いています。

そして今もそれはどんどんエスカレートしてしまっています。

この文を書きながらも私の心の画像では、完全な「たこ」の顔をした人間の姿だけが思い出されてしまう状態になっています。

実はかくいう私も同様かも知れません。
多分全体的な印象だと思いますが、昔学校時代の友達に「かわうそ」に似ているね・・、などといわれたことがありました。

自分ではそんなに似ているとは思ってはいませんでしたが・・

でもそういうふうに思っていた友達とも、私はたびたび転居したこともあり、おそらくこの先も会う機会などないと思います。

私を「かわうそ」に似ていると思っていた人たちは、何かのきっかけで偶然私のことを思い出す機会があったとすると・・・

首から下は普通の人間で顔は完全な「かわうそ」という私のイメージを浮かべているに違いありません・・

スーツを着てすましてるけど顔は「かわうそ」・・・?

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食品のお買い得情報 に参加中!

前回の記事「371系特急あさぎり号に乗車」の余談です。

御殿場線の松田駅で列車を降りましたが、このまま連絡通路で新松田駅に行くのは面白くないので、JR松田駅の改札をそのまま出てみました。

駅舎は昔ながらの木造駅舎でローカル線そのものです。

そしてその駅舎の半分を利用して地元の人たちのスーパーのような店がありました。
面白そうなので見物していると、店頭に出ている野菜の中で地元・秦野産のぎんなんがビニール袋に入れて販売されていました。

それがその量が半端ではなく殻付ですが多分500グラムはあるのではないかというくらい大量に入っていました。しかも値段は250円と格安です。
都会のスーパーでは20〜30個入くらいが精一杯のはずです。
しかし先ほど書いたようにこちらは200〜300個は入っている感じです。
これは珍しい、と思いさっそく買ってみました。

家に帰ると袋を開けて、あのぎんなんの特有のにおいにびっくり・・

さらに妻に聞くと割る道具がなくても紙袋に入れてレンジでチンするだけで大丈夫ということで、その通りに5〜6個温めて食べてみました。

味は抜群!・・というかやはり普通のぎんなんでした。

でもこの袋を見て思ったのは・・

おそらく今回買ったぎんなんは、私が今まで生まれて四十ウン年生きてきた中で通算で食べたぎんなんの数より確実に多いのではと思ったしだいです。

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鉄道 に参加中!

あさぎり号371系1
先週の木曜日に仕事で真鶴方面に行きましたが、往路に今度の3月17日ダイヤ改正で姿を消す371系電車の特急あさぎり号で途中まで行きました。

この電車はJR東海の車両で以前は御殿場急行と言われていたあさぎり号(小田急線内は特急)が、特急になり沼津まで延長された時にJR側の車両として登場したという記憶があります。
約20年間活躍してきました。
あさぎり号371系2
小田急の車両と基本的には同じ車両なのですが、JR車両(371系)は車両のカラーが青と白という東海道新幹線と同じカラーということもあり高いグレード感が漂い人気の車両でした。

しかも同型の車両としてはJRでも大変珍しいのですがわずか1編成(7両)しか存在しないという貴重な車両でした。

私もこの車両は大好きでした。といっても眺めてばかりでしたが・・。

今回沼津延伸も御殿場どまりに変わり、減便されすべて小田急の車両になるということで、新宿から松田まで乗車しました。

新宿駅ではもう見れなくなるのがわかっているからか、平日の午前中だというのに結構ファンが写真を写しにきていました。

松田の手前では目の前に雪で真っ白になった大きな富士山が迫り絶景も見ることができました。

写真は上が新宿駅、下が松田駅でのものです。

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