サイト運営者日記「ぶらぶらうだうだ・・」

「タウンクリニックドットコム」「時代文化ネット」などサイト運営をするアナログ脱サラ(いつのまにか・・)親父のブログの何でも日記風ブログです。

当ブログは2018年3月よりURLが、
http://blog.livedoor.jp/chikao1216/
から
http://burauda.blog.jp/
に変わりました。サブドメインのため旧URLでアクセスしてもリダイレクトしてアクセスできます。
また名前も「サイト運営者日記・ぶらぶらうだうだ」に変わりました。

内容は「時代文化ネット」制作者が運営する日記で特にテーマはありません。
日常のサイト活動などにおいて見聞きした内容や、現在の社会や自身の生活などを通して感じたことなどをそのまま記載する形にこのたびリニューアルしました。
現在の掲載記事は以前の「穴狙い千ちゃん〜」「ちかお日記」に掲載されている記事をそのまま残してあります。
旧記事は「改修前」のカテゴリになっていて、「人気」???と記載があるのは人気があるかどうかは知りませんが、自分でまあまあ気に入っていた記事です。

2011年12月

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創作短編物語 に参加中!

◆前説
最近テレビでたまにみかける「宅配寿司・銀のさら」のコマーシャルはここしばらくのCMの中でも大変な傑作だと個人的に思っています。
何回見てもプッ、と笑ってしまいます。

いずれは飽きるのでしょうが、あのセンスがあれば第二弾、第三弾も期待できるのでは、と密かに期待しています。

同じように思っている人も多いと思うのですが・・

◆本題
それからこれも全然関係ない話で、どうでもいいような話ですが・・

最近よく本格的な水族館がテレビで紹介され、以前はこのような施設では決して見れなかったような大きなサメなどが紹介されるのを見ます。

そこでひじょうに不思議に思っていることがあります。

それは飼われているサメにはことごとくコバンザメが付着していることです。

コバンザメは文字通り、サメなどに付着して栄養や安全を得るという種類の魚みたいです。
人間の世界でいうとこれ以上ないような悪口になってしまう傾向がありますが、きわめて効率のいい生き方をしている生物であるともいえます。

でも海洋などならいざ知らず、水族館にいるサメになぜコバンザメがついているの?
とどうしても不思議になります。

わざわざコバンザメも捕まえてきて、装着しているのでしょうか?

そもそももっと不思議なことがあります。

自然の海洋のコバンザメはどんなタイミングで付着するのでしょうか?

ジンベエザメみたいなおとなしくて肉食でないものは別にして、大きくて獰猛な人食いざめにどのように近付き、どんなタイミングでくっつくのか?

サメの生態よりその秘密のテクニックのほうがはるかに興味をそそります。

そういえば人間社会のコバンザメ野郎も気が付くといつの間にか付着しているのを見かけます。

やはりコバンザメは魚も人も最上のテクニシャンです。

ほら今日もあの恐怖の上司が私に向かってきます。

「こらあ、なんだ!この成績は?」と言いながら。

ふと見ると、背中にはしっかりあのコバンザメ野郎がひっついていて、
そこからこちらを睨みながら、ニヤリと薄笑いをうかべ、小さな声で
「コラ・・、ナンダコノセイセキハ・・」

うーん、やられた・・・

☆☆☆☆☆

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鉄道 に参加中!

昭和時代の鉄道全盛期時に大活躍した急行列車の変り種やつわものを思い出してみました。
参考は昭和48年時刻表です。キロは営業距離です。
これから私見ですが5列車ほど順番にとりあげてみたいと思います。
あまり盛り上がらないままですが、今回は第2位です。

◆五葉、そとやま
この列車はどちらも同じ区間で運転されていました。ただ五葉号の運転経路の正反対がそとやま号となっていました。
何のことかきわめてわかりにくいと思います。

というのもどちらも始発駅、終着駅とも盛岡です。

どういうことかというと盛岡から山田線・釜石線を経由してまた盛岡に戻ってくるという循環列車だったということです。
片方は釜石からまわり、片方は宮古からまわるという形です。

★五葉号
この列車の経路は、
盛岡12時35分発(東北本線)→花巻13時10分(釜石線)→釜石14時59分(山田線)→宮古16時17分→18時24分盛岡着
というダイヤでした。

★そとやま号
この列車の経路は、
盛岡8時54分発(山田線)→宮古11時13分→釜石12時25分(釜石線)→花巻14時13分(東北本線)→14時47分盛岡着
というダイヤでした。

もちろん実際に一周すべて乗車する一般客などは存在するわけもなく、なぜこのような運行形態になったのかを考えてみました。

結局たまたまこの地域は大きく循環する形で鉄道が敷設されていたので、さまざまなニーズにこたえる条件の列車をすべてまとめて一周してしまうことにより運用効率を上げようというのでないかと思っています。

現在もこの地域は原則的には鉄道の需要や、周辺の都市の状況は変わっていないうえにさらに過疎化や鉄道離れが進んでしまい、
そしてご存知のとおり今年の3月に東日本大震災がおこり甚大な被害が生じました。

この列車の沿線では宮古は特に大きな町ですが、ここはほかの地域からの交通事情がひじょうに悪く、山田線の中でも盛岡ー宮古間は山深い北上山地を越えるため時間もかかり現在もそれは解消されていないようです。

昔、学生時代に陸中山田出身の友人がいて、正月などに実家に帰るのも大変だったそうです。
ある年などは大晦日の夕方の6時すぎくらいに電話があり、「もうこの時間だと帰れなくなった、どうしよう」と言っていたのをおぼえています。
結局新幹線で盛岡まではかなりの時間まで大丈夫なのだそうですが、問題はその盛岡からみたいでした。

特急や普通列車も含めこのような循環型の列車は山手線、環状線以外では、武蔵野線がありますが、定期列車では地方交通線においては現在も過去にもほかにはほとんど例がないのではと思います。

震災で大きな被害があった山田線の釜石ー宮古間はいまだに開通していない状況が続いています。

早くの復興を祈っております。

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競馬穴狙い予想 に参加中!

2011年の競馬は25日の有馬記念で中央競馬が終わり、今日の東京大賞典で地方も事実上幕を閉じます。

今年は4冠を達成したオルフェーヴル騎乗の池添騎手、大逆転でリーディングを勝ち取った福永騎手の活躍が目立ちましたが、個人的にはほかにも目立たないところで注目できる話がありました。

年末についに荒尾競馬が廃止になりましたが、地方競馬のトップジョッキーの技術をよく観察することができました。

それは金沢競馬のトップジョッキーの吉原寛人騎手です。

12月3〜4日のWSJに出場して、初日は人気薄の低ランクの馬も含め2戦2勝、最後の最後に世界的なムルタ騎手に逆転され優勝を逃しましたが、大健闘しました。

でも実は私が注目したのは一般のレースです。
吉原騎手は当日の一般レースにもいくつか騎乗しましたが特に気をひいたのは、
3Rで騎乗した10番人気のボーイフレンドです。

2Rでやはり12番人気という超人気薄のチェリムという馬で1番ゲートで騎乗しましたが、その時は経済コースをうまくまわりましたが、3〜4コーナーの馬の手ごたえが怪しかったのでしょうか、無理に勝ちに行くレースは見送りました。

ところが3Rで全く同じ1番ゲートで騎乗したボーイフレンドでは違いました。

3コーナーあたりまでは同様に内の経済コースで脚をためる乗り方でした。
しかし3〜4コーナーあたりで今度は馬の手ごたえがあると感じたのか、隣や後を目視で気にしだしました。
あとは地方の小回りで鍛えた立ち回りと、絶妙の追い出しのタイミングで直線脚を伸ばし2着に食込みました。

これはさまざまな状況判断や追う技術などトータルでの好騎乗がその段階での馬の力以上の実力を引き出したたまものではと感じるような騎乗に感じました。

金沢競馬も大変な状況が続いていると思いますが、来年も吉原騎手が中央競馬で騎乗する機会はかなり増えるのではと思っているので、来年は狙い撃ちしてもいいのではと思っているくらいです。

あと馬ではこれも年末の12月11日の中山6Rの2歳ダート1800メートル戦で3着になったヴィンテージイヤーに期待しています。
このレースはきわめて出入りの激しい展開になりました。スローっぽい流れから、急に仕掛けが入り早くなり、さらにゴール前は消耗戦になりました。
そんな中、最後方から向正面すぎあたりから仕掛け、ロングスパートをかけて、さらに直線でもまだ伸びて3着に粘ったこの馬の地力はかなりのものと思いました。

今後も順調であればオープンでも通用するのではと思っています。

それから今年の中央競馬で一番タフなレースは?と考えましたが、本当に馬にとって辛いレースになったのは多分超ハイペースになった天皇賞・秋ではと思います。
特に先行した馬の消耗は相当なものだと思っています。本来はこのレースが、と思いましたが、あまりにハードだったため一部の馬以外は疲弊してしまい、次走も全くだめな馬が続出してしまいました。

そういう意味では春に行われた大阪杯が後々を考えるとひじょうにレベルの高いレースだったといえると思います。

しかし天皇賞・秋出走の先行した馬たちも疲弊したため次走は大きく負けましたが、次々走以降は逆に疲れもとれ、さらにタフなレース経験も積んだということで注意が必要だと思っています。

この先金杯(G3)以降、中距離のG2レースが沢山ありその時のメンバーが出走してくると思いますので、人気にかかわらず狙ってみたいと思っています。

年末はどうしようもないくらい不調でしたが、来年はぜひ頑張りたいところです。

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鉄道 に参加中!

昭和時代の鉄道全盛期時に大活躍した急行列車の変り種やつわものを思い出してみました。
参考は昭和48年時刻表です。キロは営業距離です。
これから私見ですが5列車ほど順番にとりあげてみたいと思います。今回は第3位です。

◆ちどり3号
今回は広島から松江方面へ運行されていた急行ちどり3号です。

この列車がなぜ変り種かというと、当時は珍しかった地方都市相互発着の夜行列車だったということです。
ちどり1・2号は昼間の列車でとりたてて大きな特徴はありませんでしたが、この3号は夜行列車としては異色の存在だったといえると思います。
またさらに珍しいのは急行列車として走行する部分のほとんどの部分が幹線ではなく、地方ローカル線であったということです。

当時は中国山地越えの路線や山陰線は気動車や客車列車ばかりの地域で、朝晩の通勤通学輸送と空いた時間(夜中)の車両の効率運用に役立っていたのかもしれません。
また広島県と島根県は人的な交流が多いとの事で輸送の需要も大きかったのだと思います。

それにしても現在の芸備線の三次以遠や木次線は当時からは考えられないくらい鉄道としては寂れてしまった感があります。
芸備線の交通の要衝である備後落合は元からジャンクションとしては大事な駅でしたが、街は小さく、この間偶然テレビで見たらさみしい山の中の駅という風景でした。

また木次線も今はレールバスのみの運行されるような線区になってしまっているようです。
この地区は道路の発達で鉄道需要は大幅に落ち込んでしまったようです。

さてちどり3号の運行内容を説明すると、
広島からの列車は、山陽本線岩国発で22時56分に岩国を出発します。広島までは普通列車です。
広島から急行になり23時55発、芸備線経由で三次を経て、備後落合から木次線に入り宍道に5時2分着、ここから山陰本線になり5時22分に松江に到着します。
さらにここから普通列車になり終点の鳥取には7時57分着です。

また反対方向は米子22時40分発で松江までは普通列車で同じ経路で終点広島には5時ちょうどに到着です。

つまり木次線と山陰線のだぶって運行している区間は厳密には山陰線で、この区間以外はすべてバリバリのローカル線のみの運転ということになります。

当時も現在も全国でもこのような夜行列車はきわめてめずらしい存在だったといえると思います。

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安くて美味しい駅弁・駅グルメ に参加中!

2012年1月12日(木)から新宿の京王百貨店で恒例の第47回元祖有名駅弁と全国うまいもの大会が開催されます。

今回はやはり東日本大震災の復興を願う見地から、東北地方の駅弁や名産品の販売を中心に行われる流れになりそうです。

ただ毎年評判のいい駅弁たちも健在で、また多くの人が訪れそうです。
ここのところ初日の早い時間に立ち寄っても大行列状態でかなり買うのには苦労しそうです。

私のポリシーとして出来る限り1000円未満の駅弁を中心に買いたいと思っています。

個人的に今回の注目は、1000円ですが以前水戸駅で販売され、数年前に販売を中止していた印籠弁当が復活(大洗駅)ということで注目しています。
ほかでは盛岡駅の比内地鶏特製とりめし(950円)、仙台駅のまるごと帆立づくし(750円)、三河安城駅のひつまぶし釜めし(930円)、鳥取駅の元祖かに寿司(980円)などを買いたいと思っています。

また毎年買っているいかめしも今年も買いたいと思っています。

しかし時代の流れか古くからの名物駅弁がチラシからはなくなっているものもあり、八戸の小唄ずしは見当たりませんでしたが今回はないのでしょうか。

仕事の合間に行くのでなんとか時間が取れればと思っています。

くわしくは専用のホームページ「駅弁大会への道12」でご覧になれます。

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鉄道 に参加中!

昭和時代の鉄道全盛期時に大活躍した急行列車の変り種やつわものを思い出してみました。
参考は昭和48年時刻表です。キロは営業距離です。

これから私見ですが5列車ほど順番にとりあげてみたいと思います。今回は第4位です。

ニセコ3号
この列車は不思議な列車で、上り下りともまったく異質な列車といってもいいでしょう。

上りニセコ3号 根室ー函館間(釧路ー札幌間は季節運転)
当時のファンの間では有名だった列車です。車両は気動車で、何といっても全国でも指折りの長距離急行でした。

8時30分に根室を出発、釧路には11時着。釧路から根室本線をひた走り滝川から函館本線に。
18時02分に札幌、小樽を経て山線経由で終点函館には何と23時05分着でした。

走行距離は815キロにおよび、時間は14時間35分にもなりました。

昭和48年時刻表では釧路ー札幌間は季節運転になっていましたが、当時は長距離急行の変り種として話題になった列車です。

この列車がなぜニセコという愛称だったのかは理解に苦しむところもありますが、当時は函館から札幌方面の山線経由の急行はニセコ、海線経由はすずらんというふうに分けられていたのではと思います。
複数の列車の集合体というところでしょうか。

ただ本当に根室や釧路方面から札幌以遠に用事がある場合は有効な列車のひとつだったといえるかもしれません。
というのも特に冬は顕著ですが、当時の北海道の道路事情はきわめて悪く列車で行くしかない状況が容易に想像できるからです。

私も以前鉄道で北海道を何回か回りましたが、その当時は稚内から札幌や釧路方面から札幌以遠はバスなどもほとんどなく、列車が安価なうえに一番便利な手段だったと記憶しています。
今は大幅に改善しているとは思いますが・・。

下りニセコ3号 函館ー札幌間
こちらはオーソドックスな山線経由の列車でしたが、この3号だけの大きな特徴がありました。

それは客車列車だったということです。
車両運用の都合もあるのでしょうが、昼間の定期列車の急行で客車列車は昭和48年でも珍しい存在になっていました。

私は昭和51年に松本ー大阪間のちくま1号という客車急行に乗りましたが(名古屋ー大阪間は新幹線に乗ってしまいましたが・・)季節運転のうえ、12系になっていました。

このニセコはずっと昔ながらの旧型客車で運行していたようです。

そしてオールドファンには懐かしい、あのSL牽引だったそうです。

私は実際に乗車したり、撮影したりの経験は全くありませんが、文字通りニセコ越えに挑む雄姿を撮影しにファンが通ったというような記事を雑誌でよくみかけました。

いつまでSLが引いていたのかは私自身は知りませんが、昭和40年代に入っても続いていたようです。

このへんはあまり詳しくないので、詳しい方がいたら教えていただきたいと思っています。

昭和59年頃に北海道に行ったときも函館ー札幌を夜行で往復したのを憶えていますが、何に乗車したかはもう忘れてしまいました。
夏場でどの列車もひじょうに混雑していたのは憶えています。

私はそのころの定番だった北海道ワイド周遊券を使用しましたが、そのような旅行者が大量にあふれていてどの列車も座れないことが多く、床にかばんを置いてそれを枕にして寝ていました。

その時も道内だけで夜行列車に7〜8回(7〜8泊)は乗車しました。
でも同じ条件で同年代の人ばかりで男も女もなくけっこうその場限りの友達ができ、すごく楽しかったのを憶えています。

いまや北海道も列車でまわること自体至難の業になりつつあります。

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日記 に参加中!

今日は聞いてびっくりのつわものの話です。
◆その1・セールスマン
私は以前証券会社を退社した後、保険会社でフルコミッションのセールスマンを何年かしていました。

その時の知り合いの話です。

保険会社というのは契約を取るとその保険料に見合ったコミッションが給料としてもらえます。
私のように一般的な保険の場合は大きな金額になることはありませんが、法人などは場合によっては「え?こんなに・・」
というほどの金額になることがあります。

そういう意味では大きな契約が取れるとひじょうにいい商売ということになりますが、逆にそのような大きな契約を短期で解約されてしまうと信じられないような大きなリスクが返ってきます。
それは社員でも代理店でも共通なのですが、社員の場合はさらにその解約額が査定という数ヵ月ごとの社員資格についての評価にも関係してきます。

つまり短期で大きな解約をされると、

・その契約でもらったコミッションの大部分を返さなければいけなくなる。
・その契約で失った分のマイナスの成績を2〜3ヶ月以内に埋めるような成績をあげないと社員としての存続のの危機になる。

というようにダブルのきわめて大きなリスクを抱えてしまうことになります。

さてある私の知人の話です。
その人はある時、ある法人の大きな契約を解約されてしまいました。
その理由は税務の制度が変わったせいです。

税務の制度はよく報道などで話題になっている、税法の改正のほかにも常に行われています。
ある意味、これは今まで認めていたけど、今月からは認めないよ、みたいなことが頻繁に行われています。

特にここ数年社会情勢の大きな変化でより頻繁にこのような見直しが行われています。
一般のニュースなどではあまり表立って報道されないのでですが、企業などにとってこれはきわめて大きな問題になります。

このような話はお願いします・・、的なことは一切通じないので甘んじて受ける以外になくなります。

そしてその金額は年間保険料にすると4桁を越えるような金額だったそうです。

これは人生を揺るがすような大問題です。

一瞬にしてこのままだととてつもない金額を返還したうえに、職も失ってしまうというピンチに陥りました。

さてどうするか、

普通の人だともうどうしようもできないというのが実際の話だと思います。

しかし彼は違いました。

ほんの短期間のうちにその失った金額を越える契約を取ってそのピンチを乗り越えたそうです。

保険だけでなく、さまざまな業界で大きな契約を取ったなどという武勇伝はたくさんありますが、
このような絶体絶命のピンチを乗り切った話というのはなかなかありません。

ちなみにその数ヶ月のトータルの成績で言えばほとんどプラスマイナスゼロのセールスマンでしかないということです。

でもその話を聞いた時に私は感動しました。
多分一生で一度聞くかどうかという話だと思いました。

◆その2・昼寝
これもある知人の話です。

これは私が以前何回かお会いした著名な印鑑屋さんの社長から聞いた話です。

この社長さんは以前違う商売をしていたそうです。

その商売はひじょうに有名だったり、有力な方と会うことが多い仕事だそうです。

そうすると相手は超大物ですから、失礼や粗相があると大変なことになってしまいます。

あるとき社長さんがその先である有力な方の自宅に会いに行ったそうです。
なかなか会えないどころか、家に入れてもらうのも大変だったそうです。

何度かチャレンジしたすえにやっとの思いでその方の家に入れてもらうことができたそうです。

そしてその家の門を通り、玄関から家に上がり、部屋の中に入ったそうです。

とにかく緊張で心臓が飛び出しそうだったそうです。

そして部屋でご本人を待っていたときのことです。

ふと、そのまた奥の間でだれかがいるのに気付いたそうです。
「なんだ?誰だ?」

と見てみると、なんと、
そこには同じ会社の先輩がすでにいたのだそうです。

しかもそこで昼寝をしていたそうです。

「この人はどんな心臓をしているんだ?」

その印鑑屋の社長さんはこんなにびっくりしたことは今までも、その後もなかったそうです。

仕事はもちろん日々の努力も、人への誠意も、毎日の勉強も重要です。
でももっとほかにも必要なことがいろいろあるんですね。

どんな苦境に陥っても乗り越えてしまう精神力やとてつもない強い心臓も大きな変えがたい財産だと思ったしだいです。

☆☆☆☆☆

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鉄道 に参加中!

先日来年春のJRダイヤ改正の話を書きましたが、昭和時代の鉄道全盛期時に大活躍した急行列車の変り種やつわものを思い出してみました。

参考は昭和48年時刻表です。キロは営業距離です。
これから私見ですが5列車ほど順番にとりあげてみたいと思います。今回はまず第5位です。

5位・下り紀州1号・2号 名古屋ー天王寺
下りと特記したのは上りは途中駅始発のためです。
名古屋から関西本線で亀山を経て、紀勢本線で和歌山、阪和線で天王寺に至る列車です。走行距離は500キロにおよび、時間は9時間24分かかりました。

当時この区間は特急くろしおの一部や普通列車もほぼ同区間を走行していて、通しで乗る人はわずかと思いますが、なぜか長距離列車が数多く残っていました。

これは思うに、名古屋近辺は高山線、中央西線とも気動車急行の牙城で、紀伊半島は関西線、紀勢線、参宮線ともまったく電化されていませんでしたので車両運用もある程度柔軟性を持たせることが可能だったのかもしれません。

また学生などは県境の関係で新宮を越えて乗る人が少なかったのではと思いますが、特急や急行は新宮や紀伊勝浦ですべての乗客が入れ替わるとは限らず優等列車はそのほうが効率よく運行できたのではと思っています。

そしてリアス式海岸が続くため開発が遅れ、高速道路網や道路整備が遅れ、鉄道に大きく依存していたのかもしれません。

今は天王寺ー新宮が電化され、関西に近いこともあり電化区間は大きく便利になりましたが、逆に非電化の新宮ー亀山間は当時よりさらに不便になった感があります。

たとえば名古屋ー天王寺間では
名古屋を5時55分に普通列車和歌山市行(921レ)が出発、ついで8時19分に急行紀州1号天王寺行が出発、さらに9時35分に特急くろしお5号天王寺行が出発しました。

途中、11時50分ごろ尾鷲の2つ先の九鬼駅で急行紀州号は普通列車を追い越します。
次に普通列車は13時25分に新宮に到着、約30分ほど停車します。ここで後発の特急くろしおに追い抜かれます。

結局急行紀州号はくろしおに追い抜かれることなく16時32分に和歌山、17時43分に終点の天王寺に到着します。
特急くろしおは17時15分に和歌山、18時10分に天王寺に到着。
普通列車(921レ)は19時26分和歌山に、そして終点和歌山市には19時37分に到着します。

距離で言えば後に「南紀」と名付けられた寝台車連結の夜行の普通列車は天王寺ー名古屋を走っていたのでそちらのほうが長距離走行でしたが紀伊半島の昼間の客車普通列車では最長でした。

さて当時はそんな長距離の特急や急行がたくさん走っていたため、天王寺駅は数多いホームを持ち、しかも東京でいえば上野駅のような昔の風情を残した情緒ある駅でした。
関西は昔は近距離は圧倒的に私鉄が栄えていたのですが、長距離になると断然国鉄でした。
特に天王寺はこれも上野駅同様に長距離列車用の行き止まりのホームがたくさんありこれも旅情をさそいました。

十数年前に見たときはまだ昔の風情を残す駅でしたが、今も残っているのでしょうか?
残っているとするとある意味取り残されてしまったともいえるのですが・・。

今では1時間で走ってしまう(当時もそうでしたが)名古屋ー大阪(市内)を9時間以上かけて走っていた急行列車でした。

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美味しいもの に参加中!

知人で、不動産関係のコンサルをしている社長さんが年末にイベントを開催します。
夏場に一緒にいわきの観光協会に同行していただいた方です。
私もシステム会社の知人と一緒に行きたいと思います。

飲みすぎに注意!

        ー記ー

第一回 全国地酒祭りin 日本橋!
≪入場無料、飲食物は有料です≫
「全国の酒自慢の酒蔵が自慢の地酒を紹介」
お気軽にご来場できます。

開催日程
2011 12/26、27、28(3日間)
11:00〜21:00

会場
東京都中央区日本橋室町1-5-3福島ビル2F
地図はこちらです
(日本橋三越本店正面、島根県アンテナショップのビルです)

イベントホームページ
 日本橋地酒サイト

イベント内容
・地酒の試飲即売会
・地酒と肴の飲食コーナーの設置
・東北を中心とした物産展
<飲食ブース>
 大吟醸500円、吟醸・純米など300円(チケット制)
 全国のおつまみ有り
<販売ブース>
 気に入った地酒やおつまみを購入できます。

特別協力
ホテルオークラ元総料理長 牧野シェフによるおつまみの販売
「地酒に合わせたシェフのおつまみをお楽しみいただけます」

主催 リアブル・アセット・パートナーズ(オフィシャルホームージ )

協力 名酒センター、日本酒ライスパワー・ネットワーク

ちなみに飲んだり、買ったりできるお酒は以下のとおりです。
・石本酒造 (新潟県)【越の寒梅】
・マスカガミ (新潟県)【萬寿鏡】
・末廣酒造 (福島県)【末廣】
・花の舞酒造 (静岡県)【花の舞】
・駿河酒造場 (静岡県)【天虹】
・酒井酒造 (山口県)【五橋】    
・富久錦酒造 (兵庫県)【富久錦】 
・今西清兵衛商店 (奈良県)【春鹿】
・一本義久保本店 (福井県)【一本義】
・中谷酒造 (奈良県)【朝香】
・湯川酒造店 (長野県)【十五代九郎右衛門】
・簸上清酒 (島根県)【七冠馬】
・名手酒造店 (和歌山県)【黒牛】
・中国醸造 (広島県)【一代】
・土田酒造 (群馬県)【誉國光】
・増田徳兵衛商店 (京都府)【月の桂】 
・日本酒ライスパワー・ネットワーク

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恋愛 に参加中!

人の好みはさまざまで、異性の好みも全く同様です。

ちなみに私は元NHKアナウンサーのくぼじゅんこと久保純子さんみたいなタイプが好きです。

びっくりしたのは、ネットで調べたらなんと私と同じ高校の出身でした。
全く知りませんでした。

以前職場の同僚の女性に
「千○さん、どんな女性が好みなの?」
と聞かれ、
「くぼじゅんみたいなのが好みだね」
と言うと、
「なるほどね〜」
と妙に納得していたのをおぼえています。
何でかな?

要はどちらかというとさっぱりしたタイプの顔が好きだということかもしれません。

この好みを話すと、くぼじゅんには失礼になるかもしれませんが、
「千ちゃん変わってるねーー」
と皆に言われます。

自分ではなぜ他の人がくぼじゅんをいいと思わないのが逆に不思議なのですが・・

また他にも南果歩、松島菜々子(これはまともか)などなど・・・

といっても理想と現実はかなりギャップがあり、そういうタイプの女性と付き合ったことはなく(これははっきりいっても・て・な・いということなのでしょうが・・)

今まで付き合った人は皆前述の好みとは全然違うタイプです。

特に一番長い間付き合った人は、一般的にはすごく濃い顔というタイプでした。
本人も「私ってトルコ人みたいだねって言われるの」とよく言っていました。

血液型も皆ばらばらで、妻も入れるとすべての血液型がそろっています。
星座だけはなぜかみずがめ座の人が多いようです。(いわゆる1〜2月生まれ?)

当然のことですが、モテナイ男なのでそんなに人数はいませんが・・

いずれにしても結局そばにいて親しみを感じると結構簡単に好きになってしまうようです。
もちろん相手がOKすればの話ですが・・

また顔かたちなどという問題ではないところでもうひとつ大きな好みのポイントがあります。

これも「え???」

という話になってしまいますが・・

それはメガネをかけた女性が好きだということです。
理由は自分でもわかりません。

メガネをかけた女性と付き合ったことは今までありません。
ど近眼なのに車を運転する時でさえ、かたくなにメガネをかけない人はいましたが。
「見えてるの?」と聞くと、
「うん、大丈夫。ぼやけてる」
「オイオイ・・」
かたくなでした。

考えらないことかもしれませんが、もしメガネをかけた女性に誘惑されたら一発でだまされてしまうかもしれないと思っています。

そういう時も
「メガネかけたままね」
なんて言ってしまいそうです。

だれかメガネをかけた女性を紹介してください!
年齢は不問です。
なんちゃって・・

結局私は女性ではなくて、メガネが好きなのかな・・

☆☆☆☆☆

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鉄道 に参加中!

来年の3月のJRのダイヤ改正は大がかりなものになりそうです。
特に私のような懐古趣味の人間には残念なものとなりそうです。

まずテレビなどでも報道されていますが日本海縦貫線を走る長距離のブルートレイン「特急日本海」が廃止になります。

日本海は最初は急行でしたが、特急に昇格後は最盛期には2往復が走っていました。
一時は人気列車で寝台券も取りにくかったようです。

また同時に現在大阪ー新潟間を走っている、これも伝統の急行「きたぐに」も廃止になることになりました。
デビュー時はもてはやされた月光号でお馴染みの電車寝台列車(583、581系)も完全になくなります。

車両としても北陸線でこの春に姿を消した寝台電車改造車両(419系)につづいての廃止で磐越西線を走る快速の運用以外で、この寝台電車車両も定期運用からはほぼ全廃になります。

きたぐに号は一度乗車しました。もう電車化された後ですが、新潟から大阪までB寝台に乗車しました。
私が乗ったときはすでにかなりガラガラでこわいほどでした。

きたぐにはご年配の方だと、大惨事になった昭和47年の北陸トンネルでの食堂車火災でおぼえている方も多いと思います。(私もそちらに近いほうですが・・)

この年は偶然名古屋^熊本間の夜行急行阿蘇も火災をおこしていて、これらの事故以降、当時は急行でも長距離列車では当たり前だったのですが、旧型車両による食堂車はどんどん営業休止になったのをおぼえています。

考えてみれば昭和の後半は日本海縦貫線は優等列車の宝庫で、大阪ー青森間に前述の日本海、昼行の特急白鳥、桜島・高千穂廃止後には日本一の長距離急行だった前述のきたぐに、新潟行きの寝台特急つるぎ(前身は急行)、金沢ー青森の長距離昼行急行しらゆきなど個性豊かな列車がたくさんありました。

このほかに夜行で富山ー大阪間に昼も走っている急行立山3号というのもありました。こちらには相当昔ですが福井から京都まで乗ったことがあります。
たまたま北陸に行き、翌日京都で人と待ち合わせをしていたので利用したのですが、
でも出る時間は遅すぎ、着く時間も早すぎでやはり日本海やきたぐにが優先されるダイヤでした。

特急白鳥も新津から大阪まで乗りました。ひたすら乗り続け、いい加減飽きてしまい早く着いてくれ、というくらいでした。
全線を乗りとおす人などいたのでしょうか?

この改正で残るブルートレインはあけぼの、北斗星だけになるそうですが、厳密には急行はまなすと不定期ですがグリーントレインのトワイライトエクスプレスになります。

また急行列車も前述のはまなすを残すのみになります。

結局今走っているブルトレはすべて青森駅を通過するので、揃い踏みなどはないにしても日本海縦貫線にファンが大挙して集まりそうです。

北陸がなくなるとき、たまたま金沢に急用ができたのですが、当然寝台券が取れず困ったことがありますが、同様のことがまた起きるかもしれません。

世の中懐古趣味に人や旅情好きの人はかなり多いと思うのですが、逆手に取ってビジネスにする手段は本当に尽きていたのかは正直疑問が残ります。

JRは何を目指しているのでしょうか?このまま先細りの運営をするのでしょうか。
多分机上で論議しているところですべて結論が出てしまっていると思いますが、
やったことないけど、やってみようか!、このまま世情に押し流されて縮小の一途をたどるのが到達点なのでしょうか?

といっても平日はガラガラで、下手すると夏休みでも空席だらけではしょうがないのかもしれませんね。

ほかにも個人的には昨年金沢の帰りに利用した189系あさま色の妙高号が半減、草津号も半減、あさぎり号は御殿場止まりになり私がきわめて好きだったJRの車両(白と青の車両)のほうが廃止になるそうで、これもひじょうに残念です。

さらには新幹線の100系、300系もなくなり、北陸線で国鉄型急行車両として唯一活躍する475系も新車の投入が進み大幅に淘汰されそうです。

背景には老朽化と東日本大震災の後の大きな利用客の減少ということなのでしょう。

この間話した能登の親戚の人も困り果てていましたが、震災以降観光客が大幅に減ってどうしようもない状態が続いているそうです。

他の線区も通勤時間帯の増結以外は後ろ向きな大幅な合理化の改正のようです。

乗りたい方、見たい方、写したい方は今のうちかも・・

また線路、駅など膨大な敷地と大きな利便性を有するこの設備を利用すれば、前例にとらわらなければ、さまざまな活用が可能なのではと思います。
車両の中の使い道そのものを民間に委託して、安全に運行するだけという利用法もありうるわけで、いろいろ検討の余地はあると思います。

鉄道ほど大きな利便性や安全性を有し、旅情を提供して、大規模な輸送も可能な手段は他にないわけで、革新的な利用法が出てくるのを願っています。

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