サイト運営者日記「ぶらぶらうだうだ・・」

「タウンクリニックドットコム」「時代文化ネット」などサイト運営をするアナログ脱サラ(いつのまにか・・)親父のブログの何でも日記風ブログです。

当ブログは2018年3月よりURLが、
http://blog.livedoor.jp/chikao1216/
から
http://burauda.blog.jp/
に変わりました。サブドメインのため旧URLでアクセスしてもリダイレクトしてアクセスできます。
また名前も「サイト運営者日記・ぶらぶらうだうだ」に変わりました。

内容は「時代文化ネット」制作者が運営する日記で特にテーマはありません。
日常のサイト活動などにおいて見聞きした内容や、現在の社会や自身の生活などを通して感じたことなどをそのまま記載する形にこのたびリニューアルしました。
現在の掲載記事は以前の「穴狙い千ちゃん〜」「ちかお日記」に掲載されている記事をそのまま残してあります。
旧記事は「改修前」のカテゴリになっていて、「人気」???と記載があるのは人気があるかどうかは知りませんが、自分でまあまあ気に入っていた記事です。

2011年10月

ブログネタ
オリジナル作品 に参加中!

いつも営業などで外回りをしていると、いろいろな人たちに出会います。
世の中には本当にいろいろな人たちがいます。

そんな中で印象に残った人たちのことをいくつか・・

◆はくたかの女性
私の家は北陸の家系です。親戚も多く、今でも金沢のお寺の檀家なので頻繁に金沢に行きます。

いつも往復は新幹線で越後湯沢乗換え、特急はくたかを利用します。

何年か前に家の用事で金沢に行った、帰りのこと
その時も用事を終え、金沢からまだガラガラのはくたかに乗車しました。

いつも同じパターンなのですが、駅でスポーツ新聞とお茶と福正宗という地酒のワンカップを買い乗り込みます。

始発駅なので少し前から乗車できるので、発車前からスポーツ新聞を読みながら酒をちびりちびりと飲むのが習慣で、このときもそんなひとときを楽しんでいました。

と、発車間際に女の人が急いだ感じで乗ってきました。

そして私の隣の空席に座りました。年のころは40歳前後でしょうか?
「あ、隣の席なんだ」
と思いましたが、普通は女性は話しかけられたりするのを嫌う方が多いと思うので、必要がなければ話しかけないようにしていました。

しかしその人は違うみたいで、席についてしばらくすると、
「隣なんで、よろしくね」
みたいなことを言って話しかけてきました。

「え?」
少し戸惑いましたが、
「はい、こちらこそ」
と社交辞令気味に答えておきました。

実は私はいつも一人で列車に乗るときはたいていウォークマンを聞いています。
その時もそうしていました。

しかし彼女はそんなことはお構いなしに、また話しかけてきました。
「私は群馬から来てたのよ。いろいろ用事があってね。金沢は初めてで〜〜〜〜、〜〜」
といきなり自分のことを話し始めました。

積極的な人だな・・、と思いながら、話しかけられたので無視するわけにはいかないので
「へー、そうですか。たいへんですね」
などと当たり障りのない程度の返事をしていました。

「あなたは?」
彼女は今度は唐突に聞いてきました。

え?え?
いきなり切り込まれたので少し驚きましたが、なんとか動揺を押さえつつ・・
「私は親戚の用事で来ているんですよ」
というようなことを答えておきました。

「あ、そう。それでね私は金沢が初めてだから〜〜〜〜〜〜・・・・・」
とまた延々と話を始めました。

そんな感じでしばらく話に付き合っていると、車掌さんが検察にやってきました。

私たちのところまでくると、
彼女はきっぷを渡しました。

車掌さんは
「あれ、これこっちの反対側の席ですよ」
と言いました。
「まあ、今空いているから乗ってきたら替わってね」

彼女はしばらくそこにいました。相変わらず話を続けていました。
話はどんどん移っていき、たしか関東地方の風習がどう、とかそんな話になっていました。

ほどなく列車は高岡に着きました。
はくたかは金沢で空いていても、たいてい高岡、富山でかなりの人が乗り満席に近い状態になります。

この日も高岡でかなりの人が乗ってきました。

そしてやはり彼女の座っている席の人も乗ってきたのです。
「それじゃ、どうも」
彼女はそそくさと本来の自分の席に移動しました。

ちょうど私の席と通路を隔てて反対側です。

列車はすぐ発車しました。

やっと長い話から開放されて、さて続きの酒を飲みながら音楽を聴こうと準備をしていた時です。

「私は群馬から来てたのよ。いろいろ用事があってね。金沢は初めてで〜〜〜〜、〜〜」

彼女は先程とまったく同じことを、まったく同じようにまた隣に居合わせたお客さんに話し始めたのです。

とにかくびっくりしました。
また新幹線でもやるのかな?

◆中央線のおばさん
私は中央線沿線に住んでいるので仕事のときは必ず中央線を利用します。

ある日(かなり前ですが)いつものように電車に乗ると、電車は結構込んでいました。
朝作業をして午前のわりと早い時間にお客さんのところに行く用事がありました。

それでもなんとか座ることができほっと一息ついていました。

三鷹に着くと、ほとんど空席はなくなりました。

近くにひとつだけ空席がありますが、とにかく小さな子供でも窮屈なくらいの広さです。

そこへ中年のかなり太目のおばさんが乗車してきました。
おばさんは、ふとその隙間を一瞥しました、多分自分のサイズと席の隙間を計算していたのでしょう。

少し間がありましたが、急にその席めがけて突進を始めました。

「ぎょっ」

私も驚きましたが、一番驚いたのは多分その隙間の両側に座っていた人でしょう。どちらも男性でした。

「無理だろう?」
「無理、無理!」
「無理だな・・」

近くにいる乗客は皆、言葉には出しませんが暗黙の了解のように納得していました。

しかしおばさんの決心はまったく揺らいでいる感じはありませんでした。

どどどどど、と席に近寄り、

「ドスン!」

まずはその隙間に大きなおお尻を落とし込みました。

「ひゃっ」

両側の男性はたじろぎました。

そこへおばさんのさらなる一撃が
「グリグリグリ」
「グリグリグリ」

とお尻と腰を上手にくねらせて、そうちょうどドリル穴にねじをねじ込むような要領で・・

もう両側の男たちはたまりません。

「ひえー!」

男たちの体はその強烈な圧力に押されどんどん反対側に押し出されました。

そして仕上げです。

「ぐいっ!」
今度は腰を後に押し込みました。

これで完成です。

反対側から見ると、おばさんは自分の領地はもちろんのこと両側の男の領地も大きく侵略することに成功しました。

お見事でした。

両側の男はしなだれ、そして窮屈そうにひざをせばめていました。

私も含め車内の人たちもしばし圧倒され、同時に感動で無言になりました。

「俺のとなりじゃなくてよかった・・・」

☆☆☆☆☆

あれ?もう朝だ、まだ作業が一部途中でした・・サボっている場合じゃない

ブログネタ
地震。。。 に参加中!

先日このブログでもリンクで紹介した、東日本大震災をある程度感知していたとされるブログ「地震くるみる」 (個人で地震予知を研究されている方の日記)では、まだ日本においてもかなり大きな地震の発生を警戒されているような感じの記事が続いています。

そんな中皆さんご存知だと思いますが、今度は先日トルコで大地震が発生しました。
内陸型で建物が多数倒壊して大きな被害になっているようです。

建物の様子などを見ていると相当な揺れだっとのではと思います。

私は阪神大震災は経験しませんでしたが、親戚が殆ど関西にいるのであの地震の3ヵ月後に見舞いも兼ねて関西を訪問しました。
最初は別の用事があったので特に被害はなかった大阪狭山でしたが、次に宝塚と三田(住所は北区鹿の子台ですが)の親戚に行きました。

そのとき車で宝塚(といっても雲雀丘です)から三田まで車で向かう途中は完全に倒壊したままの家などがそのままになっていて大変驚きました。

目の前で見るとテレビなどで見る印象とはまったくちがうショッキングな情景でした。

当時幸いにも三田の家は大丈夫で、宝塚の家は多少の被害を受けたようです。
一番被害があったのは甲子園にいた親戚で、たしか屋根が落ちて怪我をされたというようなことを聞きました。

また元実家があった豊中(といっても伊丹空港の近くです)は大阪府ですがかなり被害を受けていました。
当時はもう空き家でしたが、数年後に用事で家の中に入ると2階などは外側からもわかるような亀裂が入り、中の家具が倒れて鏡などは割れていました。

トルコではまだ救助が続いているようですが、生還者が多くいらっしゃることを祈っています。

そんなこんなで地震のことをまたいろいろ考えるようになってしまいました。

たびたびブログ内でもふれていますが、私地震も今回たまたまいわき市小名浜で震災に遭ってしまいました。

あの時3月15日にやっと東京に戻ってきて数日後に「3月11日の日記」という題でそのことを書きました。
内容的には大部分は地震にあうまでの経緯と地震前後の様子を中心に書きました。

その後のことは諸事情もありあまり詳細は書きませんでした。

一部は正確に憶えていませんが、その後のことをここで思い出してみたいと思います。

地震後に、
「どうやって帰るの?」と言われ
どの程度の状況か当時まったくわからない状態だったので、取引先の事務所の固定電話で必死に何回もダイヤルして地元のビジネスホテルになんとか連絡をつけましたが、
「休業しております」「電話に出ない」など泊まれる、泊まれない以前の状況のようでした。

頼み込んでその取引先のご自宅に何とかなるまで、いさせていただくことになりました。

ただご主人はそれどころではなく、まず破損した工場の片付けや、水が止まってしまったので水の確保に走っていました。

津波は小名浜では浸水したのは一部を除いては海岸から1キロ前後のところまでしか浸水しなかったようです。
後で調べてみたり、地元の人に聞いたところでは私がいたところは地震発生と同時に火災になった道の向こうの大きな工場のおかげで来なかったとのことです。
工場が盾のような感じになったようでした。

ご主人の車に同乗して家に向かう途中も道は大きく隆起して、電柱も傾いているものが多かったのを憶えています。
ただ全部が倒壊しているような家はなかったと思います。

家に着いても10〜20分に一回くらいは「ガタ、ガタ、ガタ」
と余震が襲いました。当日はほぼ一晩中そのような状態が続き、多分被災地域の人で無事だった人も眠れた人は殆どいなかったのではと思います。
余震は多くはだいたい震度3〜4くらい?という感じでした。

皆急に地震に見舞われたので、そのような備えをしている人はやはり少ないと思いますが、地方なのでそれなりに備蓄のある方が多いようで近所や知人などと協力して水や食料の確保につとめているようでした。

ただお世話になった家でも夕方の段階でまだ全員と連絡がついていないようでした。

高校生の息子さんがまだ帰ってきていないようでした。

その高校は小名浜と永崎というところの間の小さな岬のようなところの高校のようでした。

実際に後で動画の記録で見たのですがもちろん小名浜も大きな被害を受けましたが、永崎以北はさらに大変な被害があったようです。

その家にはその地区に家がある親戚もすでに避難してきていて、第一波のあとに家に戻ろうとしたらさらに大きな第二波に見舞われ危なく流されるところだったと言っていました。
足くらいまで水につかったと言っていました。

ちなみにネットでだれかが撮影したいわき市永崎の津波の様子の動画がありましたので、参考までに。
http://player.video.search.yahoo.co.jp/video/8c1aa2030109ebeb26ee2df4d1385aea?p=%E3%81%84%E3%82%8F%E3%81%8D%E5%B8%82%20%E6%B4%A5%E6%B3%A2&b=1&of=&dr=&st=&s=&pd=&ma=&rkf=1&from=srp

そして夜前くらいに親戚などはほぼ無事が確認できたようでした。

幸い電気は回復していたのでその後はひたすらテレビをつけっぱなしの状態で、皆ある食料で食事をして、こたつを囲んで一晩をすごしました。

私も家の人に「遠慮しないで食べてね」
とは言われましたが、この先どういう状態がどれくらい続くかもわからないので、遠慮してしまい殆ど食事には手をつけませんでした。

お茶だけはなぜか地震直後に破損したパチンコ屋の自動販売機が稼働していたので、一本買ってありましたのでそれをチビチビ飲んでいました。

ところが夜から朝にかけてのニュースなどを見ると、とんでもない状態になっていることがだんだんわかってきました。
「いつ東京に帰れるのだろうか」

仕事の期限などもありましたが、それ以上に家族と地震直後の固定電話以来まったく連絡が取れなくなっていたので津波には遭わなかったことも連絡できていませんでした。

でもテレビなどではるかに深刻な状況になっている地域がたくさん放映され、これぐらいの状況であれば自分のことは自分で何とかするしかないんだということを自覚しました。

翌日はスーパーの買出しを手伝いました。
後で聞いたら東京も同様だったようですが、パニックが起きて食料の争奪戦がおこっていました。

レジに約2時間くらい並びました。当然水や米などは皆無です。
並んでる時も比較的大きな余震があり店の屋根からぶら下がっている大きなガラスがゆれました。
店員はあわててガラスの下にいる人をその場所からずれてもらうように誘導していました。

この先どうなるだろう?本当に心配になってきました。

家に帰ると落ちた瓦の掃除を手伝いました。落ちた分だけでなく、緩んでいる物もすべてはずしてしまわないと危険なのだそうです。
屋根に上っている人から屋根の横にはしごで登り、瓦を受け取り、下の人に渡す役をしましたが、そのときも余震が起こったらどうしようとかなり恐怖でした。
幸い作業中に余震はありませんでした。

その晩大きな余震がありました。震度5でした。
本震ほどではありませんが、恐怖感が残っていて思わず飛び出しそうになりました。

またその日の午後福島第一原発で爆発事故が起きました。
現地のみならずいわき市あたりでも放射能漏れの恐怖も襲いました。
当時はまだどの程度の事故かまったくわからない状態だったので、比較的近い地域の人は皆同じように思われたと思います。

大津波警報はなかなか解除されませんでした。
そのとき地元の知人が言っていたのですが、津波はずっと押し引きを繰り返し続いていたようで、翌日の明け方まで続いていたようです。
ネット動画などで津波の様子が流れていますが、実際には救助など関係の人以外は海岸近くには一切近寄れない状態が翌々日くらいまで続きました。

その時聞いた話では、私がサイトなどでも掲載している水産関係の飲食施設などはほとんど全滅状態とのことでした。
安否の話もまったくわからないようでした。
皆自分の身内の安否を確認するのが精一杯だったようです。

そして問題はいつ電車が動くかということでした。
JR常磐線はいわき以北はとてつもない被害を受けたようでした。電車や駅が津波に流されているニュースなどもやっていました。
いわきから水戸の間のことはテレビなどではほとんど触れませんでした。

結局取手以北でも1ヶ月近く、水戸以北はさらに数週間不通だったようです。

3月13日の段階ではどうにもならなくて当たり前だったようです。

しかもこれに加え、計画停電のニュースが流れ、さらに交通手段が制約されることになりました。

3月14日の朝、とにかく東京に向けて出発することにしました。
帰り方はわかりませんでしたが、むこうの家の人は、
「福島空港で臨時便が出るニュースをやってたから、タクシーでいけるところまで行って避難所で泊まって空港まで行ってみたら。キャンセル待ちみたいだけどね」
と教えてくれました。

そうするしかないかな、とも思いましたが、ニュースでやってるということは相当の人たちが押しかけているに違いないし、キャンセルなんて出るのだろうか?
とも思い、国道6号線が通じているかわかりませんが、このルートは逆に北に行く必要もないし、もしかしたら水戸まで行ければ何とかなるかもしれないと思いそちらのルートで帰ることに決めました。

そして以前にも書きましたが、家の固定電話を借りてタクシー会社に片っ端から電話をして交渉をしました。

燃料不足、渋滞、北茨城付近の津波被害がすごくまだ海岸沿いは危険などの状況で、なかなか交渉は成立しませんでした。

「一社だけ日立までならいいよ」という会社があらわれました。
よかった!

とにかく1キロでも東京に近づきたい気持ちでした。

タクシーに乗るとけっこう順調に進みました。

6号バイパスから勿来で6号に入り、海沿いに入りました。
実際のところはわかりませんが見た目には勿来は想像していたほどの被害には見えませんでした。

ところがそこから北茨城の大津港、磯原と進むとすごい光景に豹変しました。

特に海岸沿い付近は家が何軒も連続して完全につぶれている状態のところもありました。
また流れてきた材木のようなものなどがそこらへんじゅうに散乱しているところもありました。
目をおおうような光景です。

またいわきは地震後すぐに電気は回復しましたが、こちらは皆停電しているようでした。

そして3/11日記に書いたように駅間の線路上に電車が停車したままでした。かなり海岸に近いところで地震と同時に停車したようでした。
乗客は皆電車を降りて避難したのでしょうか。

しばらく行くと6号線はようやく海岸沿いから離れました。
少しほっとしました。この日もタクシー乗車中に茨城で震度5の余震がありました。

高萩から日立もみな停電していました。信号が消えていて大きな交差点には警官が出ていました。

東京も含め当時ガソリンスタンド渋滞というのが発生していて、この地域も買出しとGS渋滞でいたるところで大渋滞が起こっていました。

「日立に着くけど、どうする?」
「水戸までなんとかお願いできませんか?」
「いいよ、このさいだから。困っているみたいだしね」

ありがたい言葉でした。
私を乗せた運転手さんは元は東京の人で、たまたまいわきに長年勤めそこで退職したのでまだ働こうということで現地でタクシーの運転手をはじめたようです。

また渋滞の中で6号線を進みました。
よく見るとこのあたりも揺れは相当ひどかったようで、数メートルもあるような神社の大きな石碑がそのまま倒れていたり、国道沿いの石塀が100メートルくらいにわたって全部倒れているところもありました。

ひたちなかからバイパスに入ると国道も道が数十センチ単位で隆起して大変な状況でした。
なんだかんだでやっと水戸に到着しました。
水戸駅の近くで車を降りました。時間は12時すぎ。小名浜を出発して約4時間くらい経っていました。

水戸の町は静まり返っている感じでした。
パッと見では大きな被害に見えませんでした。

まず泊まるところを確保しようと重い荷物を抱え駅西側のホテル街を歩いてまわりました。
ところがよく見ると皆玄関や入口のアプローチなどが大きく破損していて、人の気配はありませんでした。
思っている以上に水戸の町も地震で被害を受けていることがわかってきました。

結局ホテルどこも休業しているようでした。

「まずい」
それで駅を越えてターミナルのほうへ行こうとしました。
ところが水戸駅は立ち入り禁止になっているようでした。
水戸駅は最新の駅ビルが完成して、自由通路や陸橋で駅の両側が結ばれていましたが、大きく破損して危険な状態になっているとのことでした。

反対側まで歩くしかありませんが、駅の地図によると「千波湖」の方の橋まで線路を渡るところはないようです。
これが歩いてみると大変な距離でした。
約30分かけて反対側の中心街のほうに着きましたが、そこはさらに厳しい状態でした。

駅前のビルはガラスが割れたビルがたくさんあったようで歩道のいたるところが立ち入り禁止になっていました。

まず宿泊施設をさがしましたが、先程同様まったくだめでした。
タクシーの運転手に聞いたら15分くらいの知り合いの旅館はやっているよ、と親切に調べてくれました。
ただ木造というのを聞いて、正直このときは頑丈な建物でないと泊まる気分にはなれませんでした。

交番に相談に行くと、
「それならこの近くの三の丸小学校というところに避難所があるからそこに行ってくれ」といわれました。
最終的にはそうするしかないと覚悟しました。

まだ寒かったので野宿出来るような状態ではありませんでしたし、かなり衰弱していたので危険だと思ったからです。

ただ幸い水戸は水が一部出始めていて、トイレにはいることができました。

いわきではトイレは自宅でタンクに貯めた水で流す以外は屋外のトイレはすべて閉鎖されていました。
そういうこともあり人の家のトイレを使うのは気が引けて、ずっと我慢していました。

そしてもしかしたら路線バスを乗り継いで土浦あたりまでいけるかもしれないと思い、ターミナルで調べてみました。
しかし地域の路線バスは動き始めていましたが、友部までが精一杯のようでした。

最後の望みをかけて携帯の残り少ないバッテリーで茨城の知人に電話をかけてみました。
と、なんと出てくれました。
ただ彼もガソリンが入手できなくて、牛久あたりまでしか出られないとのことでした。

話の中で「つくばに行く臨時バスは出てる」というと。
それなら「つくばから牛久方面にまたバスがあるはずだからもし大丈夫だったらもう一回連絡してくれ」
とのことでした。

まだつくばのバスは間に合う時間でした。

あわてて今度はタクシーで反対側にまわり、つくば行きの臨時バスに乗ることにしました。
「何時間くらいかかりますか?」
「そうね、だいたい3時間くらいはかかるよ。下道だし渋滞がひどくてね」
「トイレは?」
「ないからここで済まして」
と言われました。

あまり何日も用を足していなかったうえに、食べ物もほとんど食べていなかったので、小用だけ足して乗車しました。

バスはどれくらい乗っていたのかあまり記憶がありません。乗ったらとにかく眠くて熟睡してしまいました。
考えてみたらこの3日間合計しても何時間くらい寝たのでしょうか。

つくばに着くと運良くひたち野うしく行のバスに乗ることができました。
つくばから都心へのつくばエクスプレスは計画停電でこの日は午前中しか運転していませんでした。

やっと首都圏に帰ってきました。
もう夕方の6時をまわっていました。

そこから車で龍ヶ崎の知人の家に泊めてもらいました。
このあたりもかなり地震もひどかったのと、水もやっとこの日に出始めたとのことでした。

カレーを出してもらいましたが、あまりの空腹と衰弱で体調が悪く残してしまうような状態でした。

翌朝彼の通勤と一緒に出るので、朝5時半過ぎに出発、関鉄の龍ヶ崎駅まで田んぼ道を約40分歩きました。

そこからバスで取手に出るとのことでした。

地震の影響で取手からの常磐線はまだ不通でした。本当だったらバスで佐貫に出るのだそうです。

バスは出発からほぼ満員でした。取手行きはこの後午前10時くらいまでないそうです。

佐貫、藤代とバスは進みましたが途中であふれるくらいの人がバス停にいましたが、途中からは満員通過になってしまいました。
私も立っていて大きな荷物があったのですがどうにもならないくらいの混雑でした。
あの人たちはいつになっらバスに乗れたのだろうか、今でも気になっているくらいです。

バスは約1時間で取手に着きました。
今度はふだんでも混雑するので有名な常磐線です。
常磐線は取手から先は牛久付近から先で線路が大きく破損したそうで当分開通できない状態のようでしたが、
取手以南は地震の被害は少ないので開通していましたが、計画停電の関係で各駅停車は運休、快速も約30分毎という乗客数からしたら考えられないような間引き運転でした。

電車も取手でほぼ満員でした。
天王台、我孫子、柏、松戸と駅に着くたびに並んでいる人たちだけで満員になるような人数の乗客が駅にあふれていました。

体が一ミリも動かせないくらいの状態で北千住に到着、たまらず降りてしまい、日比谷線へ。

日比谷線はなぜかそれなりの本数を運転しているうえ、逆に計画停電の関係ですべて始発でした。
おかげで座ることもでき、恵比寿までずっと日比谷線で行きました。

間引きのない山手線、中央線を乗り継ぎやっと東小金井に到着しました。
家に着いたのはお昼少し前くらいでした。

家に帰り固定電話で家族や親戚に無事の連絡しました。
皆ほっとされているようでした。

ふだん私たちはいろいろなサービスを当たり前のように使ったり、受けたりしています。
今回それがどれくらいありがたいものなのかを身にしみて感じることができました。

ブログネタ
楽しく!仕事を成功させましょう! に参加中!

男女雇用均等法が施行され25年になります。
実際今まで勤めていたり、独立して以後見ていた印象は、法律だけ整備されたという感じでした。

ところが近年なでしこジャパンやプロゴルフなどアスリートの世界でも日本人の女性は飛躍的な活躍を遂げています。

男性はどうしたのか?お前は?

と言われてしまいますが、今の時代はビジネスでも女性の時代といっていいのかもしれないと思います。

先週から今週にかけて、仕事絡みでさまざまな人と会う機会がありました。
とてもいい勉強になりました。

まずこれは女性ではありませんが、仕事のかたわら活動している「ふるさとテレビ」の関係で私のサイトの取引先の方からあるNPO法人の方をふるさとテレビに紹介してほしいという依頼がありお引き合わせのセッティングをしました。

お会いしてみるとその方は元刑務官で作家の方でテレビなどにも出演されている著名な方でした。

テレビで刑務所関係のコメントやそういう関係のドラマの監修などもされているそうです。
最近では人気ドラマ「相棒9の16話・もがり笛」の刑務所関係の監修をされたとのとことです。
また来週24日の20時から日本テレビの「世界まる見え!特捜部」という番組に出演されるそうなのでもしよろしければご覧になってください。

と一見派手な感じに聞こえるかもしれませんが、実際にはひじょうに地道にコツコツと活動をされている方だということがよくわかりました。
ましてや普通の人たちとはかなり離れた分野で、そして難しい大変な仕事をされているようでした。

そして長年の刑務官の勤務という、すごい現場を実際に経験されてきたすごみと説得力がありました。

また先週末にある方のご紹介で、フリーペーパーを発行している会社の社長さんにお会いすることができました。
私の仕事と密接な関係がある業種です。同時にデザインやロゴなどの制作、ウェブなども請け負っているそうです。

その社長というのが女性の社長でした。

お話をしてみると社員を何人も雇い、新聞の折込に10万部くらい発行しているだけあって、ひじょうに俊敏な対応をしていただきました。

ご年齢も若い感じで、会社もどんどん発展するのではと感じました。

今までの私の仕事の身辺でも現場で活躍する女性がたくさんいらっしゃって、仕事でもかなり助けていただいています。

一般論ですが日本では女性に関しては、どこの家の出だとか、どこの大学だとか、どこの会社にいたとかというようなことは原則通用せず、今の現場で何ができるか?ということがストレートに問われていると感じます。

今後は変わっていくと思いますが、やはり今までの日本でのビジネスにおいては女性は不利を背負っているというのは否めないところです。

だから逆に自立されて活躍されている方は本当に実力がある方が殆どだと感じます。

また別の角度から見る話になりますが、これも確率論ですが、仕事がらみで問題を起こすのも男性のほうが圧倒的に多いと今までの経験では感じます。
つまり信用できるという部分でも明らかに女性のほうが上を行っている、と個人的には思っています。

私もそのような人たちにちゃんと応えられるよう頑張らなくては、と思った次第です。

でないとすぐ切られてしまうということになるからです。

「あんた、だめね」
「もう用はないわよ」

なんて感じでね・・・

ブログネタ
競馬のことならなんでも に参加中!

先日から私の勝手な流れで池添騎手の話が続いてしましたが、それに付随してもうひとつだけ。

少ししつこくてすみません。

大きくは報道されませんでしたが、ご存知の方も多いかもしれませんが。
先日スプリングSを快勝したカレンチャンは栗東・安田厩舎ですが、
実はそのお兄さんにスプリングソングという馬がいました。

厩舎は栗東・鶴留厩舎、池添騎手の師匠です。

スプリングソングはデビュー時から注目され、NHKマイルC6着、夏を越えて古馬との混合戦セントウルSでも3着、G1を狙える器として厩舎期待の馬になりました。

その後も順調に重賞でも好走して、昨年の京阪杯でついに重賞初制覇。
鞍上は3回だけほかの騎手が騎乗はしましたが、それ以外はすべて池添騎手でした。

年が明けて高松宮杯に向けて期待が高まりました。
年明け初戦のシルクロードSではハンデ57キロ、ここからが勝負になります。

そのときに昨日少し触れましたが、このレース前でグリーンチャンネルの取材で池添騎手は「鶴留調教師のために『なんとか一花咲かせてあげたい』」というコメントをしました。

そのひとことがひじょうに心に残り、
個人的に実力もある馬だと思っていたので、スプリングソングの追っかけがはじまりました。

シルクロードSでは本命、続く阪急杯では4頭ボックスの一角、本番の高松宮記念でもスプリングソングとアーバニティーを穴軸で馬券を買いました。
(競馬ブログ参照)

結果は残念ながら、7,4,7着でした。

でもまだ秋にチャンスが残っています。

G1の後スプリングソングは4/23にオーストラリアTに出走、ハンデ57キロながらパドトロワの2着に入り順調な再スタートを切りました。

しかしその後悲劇がおこりました。
なんと5/8に急死してしまいました。

鶴留調教師も池添騎手も本当に残念だったと思います。

動物とはいえ無念の死を遂げたスプリングソングの思いを乗せたのか、その後のカレンチャンの大活躍。

ダービー制覇、三冠奪取も大きな話ですが、
カレンチャンでG1を勝ったことが池添騎手にとっては本当に大きな意味があったし、うれしかったのではと思います。

いつも競馬のブログに事務的に当たらない馬券予想を繰り返していますが、
ずっと見ているとやはりいろいろなことがあるんだな、と感じてしまいます。

また思い起こすと、ほかの騎手のコメントでしっかり覚えているものってあまりないけど、池添騎手のコメントはいろいろな意味で本当に印象深く、振り返るとそのコメントで結構馬券を買っているのだということにも気付きました。

ブログネタ
高校野球 に参加中!

秋の高校野球新人戦東京都大会も段々と佳境に入ってきました。

当初仕事関係の人(三高OB)と予想していたセンバツ候補も順調に勝ち進んでいてたはずだったのですが、個人的には大きな波乱になりました。

最近の競馬と一緒で高校野球の予想も大きくはずれている状況になりつつあります。もちろん希望的観測も含めての予想だったのですが・・。

二人の間の話では日大三高が敗れた後は、以下の学校が最有力ではという結論になりました。
「久我山、帝京、二松学舎、成立、八王子、日大鶴ヶ丘」

ところが、ベスト8が出揃って準々決勝の組み合わせはというと、下記のようになりました。
・東亜学園ー郁文館
・日大豊山ー関東一
・日大鶴ヶ丘ー帝京
・都府中東ー駿台学園

実際に予想というか期待通りに勝ち上がったのは帝京と日大鶴ケ丘だけでした。

高校野球も地図がだいぶ変わってきているのを感じます。

注目はやはり郁文館です。
一緒に予想した彼の話では、日大三高を破り、破竹の快進撃を続けている郁文館というのは居酒屋チェーン「和民」の渡辺氏が経営する学校みたいです。
最初はフロックかな?と思っていましたが、その後の試合結果を見るとまったくそんなことはなく、実力があるのだということがわかってきました。

そして甲子園やサッカーで有名になると知名度もレベルもどんどん上がっていくようです。

身近な例でいうともう敗退しましたが、八王子高校です。八王子は私立ですが、以前は一般的な都立の併願校で例えは悪いですが学力でいえばごく平均的なレベルでした。
京王線の沿線ではごく普通に一般的な生徒が通うような学校でしたが、野球やバスケなどスポーツに力を入れてからは学力のレベルも相当高くなっているようです。

まえにたまたま病院の待合室の週刊誌を読んでいたら、東大の合格高校別一覧というのがありましたが、なんと八王子からも毎年数人ずつ合格者を出していることがわかり驚きました。

八王子は地元では「ハチガク」と呼んでいますが昔のハチガクからは考えられないような変化です。

関東一、成立、東亜学園なども同様のようです。

大阪などでもかなり前からですが、野球などスポーツの名門は皆ほかの分野でもハイレベルになっていたり、いつの間にか大手大学の付属になっていたりでビックリです。

北陽のほか上宮、清風なども同様のようです。

一番驚いたのは初芝高校です。

小さい頃初芝に一つ下の従兄弟が住んでいましたが、
「た○ちゃんなぁ、初芝はええとこやで、なんせ初芝高校いうところがあってな。超エリート校で地元では怖いもんなしや」
とことあるごとに聞かされていました。

以前の大阪(今はわかりませんが)は東京以上に文化や風土に地域差があり、大雑把に言うと神崎川(服部、三国付近)以北および淀川以東とそれ以外(大部分ですが)は別の文化圏といってもいいくらいの差が当時はありました。(全般論ですが)
今でも曽根以遠の阪急宝塚線、千里線、北急の沿線はリトル東京と言われているというのを聞いたことがあります。

昔難波に行くと言ったら祖母が「難波に行ったら、上を見たらならんぞ。人さらいがおって、『こいつはおのぼりさんやさかい、さらって売り飛ばしたるわ』いうことになるからな」
というようなことをいわれたのを憶えています。

話は戻りますが、彼は大人になるまでずっと初芝にいましたが結局地元のエリート校には行きませんでした。
でも若気のいたりで一時はかなり活躍されたみたいでしたが、今は仏壇屋の親父になりました。
しかし当時の外見はそのまま(月亭可朝+たかじん÷2風)で、初対面の時はうちの妻を大いにびびらせました。

ところが初芝高校は今はなんと有名私大の立命館の傘下になっているとのことで、当時と状況は一変しているみたいです。

少子化で学校経営も大変になり、特に私立校は学費が高いので何かしらの大きなメリットや付加価値がないとやっていけなくなっているのでしょうが、以前ならした学校でも数年で奈落の底に落ちてしまうくらいの厳しい獲得競争が続いているようです。

私のようにお気楽でどこが甲子園出るんだろう?などと言っているのではなく、学校の経営者やスポーツのために入った生徒などは血のにじむような努力を重ね、勝ち取った栄冠がもたらした変革であり、本当に頭が下がる思いです。

そういう意味では野球の大会も思っている以上に真剣勝負で、学校の部活などという域を超えて、選手も学校も命運をかけての勝負ということになるのかもしれません。

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今朝池添騎手の話を書きましたが、ほかの競馬に関するブログなどをいろいろ読んだところ、

「菊花賞に向けて騎乗停止になることを恐れて大事に乗っていたのだろう」とか
「外のコースロスはやはり致命的だった。騎乗ミスではない」
など多数の意見がありました。

本当にその通りだと思います。

騎乗ミスなどはまったくなかったというのは当初から同感です。
というかフェアに乗ればあれが精一杯でそれでも3着にもってくるのだから騎乗自体はたいしたものだと思っています。
昨年の池添騎手からは考えられないくらい進化しているのが、素人目にわかりました。

前にアンカツのことを書きましたが、勝負に徹するという意味ではプロですが、フェアな騎乗ということに関しては疑問符がつく点も多いと思っています。

池添騎手も二世騎手でありますが、父親は障害ではならしましたが、平地では大きな実績もなく調教師になってから頭角を現していた感が強く、しかも親子鷹のように歩んできたというイメージです。

今回はレース後のコメントのみにおいて、「え?こんなこというんだ」と思い書いてしまいましたが、

例えば来春に定年で引退になる鶴留調教師のために「なんとか一花咲かせてあげたい」など人の心に残るコメントも多数残しているジョッキーだと思っています。

そのままストレートに出してしまうというところは逆に好きなところでもあり、当然菊花賞においても馬券はともかくぜひ三冠を達成してほしいと思っています。(馬券は穴狙いなので、穴馬を一頭さがし、人気二頭に買うつもりです)

また勝ち星数だけにこだわる騎手ではなく、馬をデビューから一貫して乗り続け、大事に育てていくという騎手であることも賞賛にあたいします。

それについては蛯名騎手なども同様におもっていますが、えてして馬は強くなると、陣営はすぐ外人や一流どころに乗り替わりますが、一人のジョッキーと馬でじっくり信頼関係をつくり大きな花を咲かせるということを貫いているようにも思え、エイシンアポロンのときなどたまには気持ちが入りすぎるのかもしれませんが、それはそれでいいのかもしれません。
実際、皐月賞は池添騎手にのってエイシンアポロンをヴィクトワールピサの対抗にして馬券を買ったくらいです。その時でエイシンアポロンからは降ろされてしまったようですが・・・

いずれにしても昨日の記事は「いろんな事情を抱えているのに言い過ぎだね」と反省している次第です。

ほかの記事に関しても、部分的なことを書いたつもりですが、自分のことを棚にあげて「どうでもいいようなことなのに偏っているのは自分のほうかも・・」みたいな部分も多々あると思います。

読まれて不快な気分になった方もいるかもしれないので、この場を借りておわびいたします。
悪意はありませんのでご理解いただければと思います。

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◆ホエールキャプチャ
のっけから競馬の話になりますが、牝馬の三冠の最後のレース・秋華賞が昨日京都競馬場で行われました。

今年ダービージョッキーになり、先日カレンチャンを短距離の女王に導き、来週はオルフェーブルで牡馬の三冠馬を目指す池添騎手の乗った1番人気のホエールキャプチャは3着に敗れました。

ホエール陣営(スタッフ)は昨年からG1で2着、3着を繰り返すこの馬にどうしてもG1を取らせたいと渾身の仕上げと準備をしてきたがそれは儘なりませんでした。

サンスポサイトによればレース後池添騎手は、「枠順がすべてだった、スタートも良かったのに内に入れることができず・・・云々」という談話を残していました。

実際そういう部分も大きいと思ったので「ああ、なるほどね」とそんなふうにも思いましたが、

これはかなり問題発言であり、他では毒のあるコメントをたびたび書いていますが競馬関係ではあまりこのようなことに触れない私も「え?」と思う発言でした。

もちろん私も穴馬マイネイサベルを中心に馬券を買い、馬券は惨敗でした。だから負け惜しみに聞こえるかもしませんが、以下のように思います。

まず京都の内回り2000メートル、開幕まもなく高速馬場という条件は池添騎手の言うとおり間違いなく内枠が有利です。

これは皆周知のことでそれも念頭に馬券を買っています。ただその事実を主催者側の、それも実際に騎乗している主力のベテラン騎手があっさり敗戦の理由にしてしまったことが大きな問題だと感じました。

これは京都の開幕直後の内回り2000は内枠が絶対有利ですよ、とお客さんに対し完全に認めてしまった、ということになります。

そしてレースを見る限り勝ったアヴェンチュラの実力は高く、抜け出す脚の速さはホエールを上回っていると感じました。その上岩田騎手がそのような有利な条件を最大限に利用した好騎乗も光りました。
もしホエールが内枠でも勝てなかったかもしれない、というのがレースを見ていた実感です。

つまりアヴェンチュラの陣営もホエール陣営に負けないくらいここに勝負をかけていたということだと思います。

池添騎手としては馬主さんやスタッフに対して力負けではないんだ、という配慮もありあんなことを言われたのかもしれませんが、
馬券を買って池添騎手の生活を支えているのは、競馬ファン、つまりお客さんです。

今年大活躍してこの後も大きいところを狙う騎手が、自分のメンツというものもあるのでしょうが、結果を枠順のせいにするのは??と思わざるを得ません。

池添騎手は昨年の皐月賞直前に騎乗するエイシンアポロンを
「もう絶好調です。負ける気がしません。勝ち負けです!」
というような意味のコメントをしていましたが、結果は惨敗。

それ以降見ていて彼はあまりレース前には強気な発言は控え、謙虚に振舞っているように感じました。
そういう姿勢もここのところの大活躍につながっていると感じていたくらいです。

明らかに妨害されたとか、不利があったのならともかく、枠順がすべて、などと一流ジョッキーがレース後に言ってしまったら馬券を買っている人はどうなるのでしょう。

私のように100円玉で遊んでいる人はともかく、今回など大枚はたいている人も沢山いたはずで、
「それならレース前から言ってくれよ」と思ったに違いありません。

次回菊花賞、池添騎手は今回にも増してきわめて多大なプレッシャーを背負うことになります。
ここまできたら達成してほしい、と穴党の人間でも思っているくらいなのでぜひ頑張ってほしいものです。
敵はほかの馬ではなく、自分の中にあるのかも知れませんね。

それにしてもスモールさんは今回も見事でした。特に内枠有利とはいえキョウワジャンヌは今までの経歴ではなかなか買えない条件と個人的には思っていたのですばらしいと感じました。


◆アパパネ
同日に東京競馬場で開催されたエリザベス女王杯の前哨戦「府中牝馬S」で昨年の牝馬三冠馬で今年春に宿敵で現在最強馬の一角のブエナビスタさえも退けた「アパパネ」が14着に惨敗しました。

前述のサンスポサイトにも大きなコメントはありませんでしたし、レースを見ている感じでもなぜ惨敗したのか不思議な感じでした。

春のブエナビスタに勝った後、安田記念でも同じように着外に敗れましたが、今回はメンバーもそこまでではなく、着順も大きくくずれました。

理由は他にありそうです。

このようパターンで立ち直った馬は、名馬では過去にもトウカイテイオーなどくらいしか見当たらず、今後が注目です。

◆九州電力
さて話題がかわりますが、あの九州電力の会見
びっくりしました。その会見からは形上は非をみとめていますが、反省のかけらも感じられませんでした。

少なくとも民間企業のビジネスマンの発言とは思えません。
「あなたの給料はどこから出ているの?」

先日ニュースでたまたま九州電力の来春の新入社員の内定式の様子が報道されました。
そのときに挨拶をした上司が
「あなたたちもスタートから厳しい船出になるので頑張ってください」
という旨のスピーチをしていました。

確かに言うとおりです。

でもよく考えてみたら、
「私たち先輩社員が大きなミスをしてこんな状態になってしまいました。大変だけどこれからよろしくお願いします」
という状態では?と思います。

競争相手がいなく、よほど制度が変わらない限り舞台から降ろされる心配がない企業のおごりでしょうか?

実際には激しい雷雨の中で50メートル以上の鉄塔に登ったり、台風の中などで命がけで電力の供給のために働いている社員のためにも
あのような態度はやめてほしいものです。

◆小沢一郎氏
スモールさんも触れていましたが、小沢さんの裁判が始まりました。
以前から国会で説明を・・が繰り返されていますが。

真相がどうなのか、ことの善悪はわかりませんが、裁判で係争中の人がほかの場で自分の主張や見解を述べるのは係争上はかなり大きな不利を背負うはずです。
なぜかといえば事前に相手方がそれを知ってしまい、公判前に対応されてしまう可能性があるからです。

「そんな問題じゃないだろう」と思うかもしれませんが、実際に裁判経験や訴訟になりそうになったことがある人はすぐわかるはずです。

真実がどうあれ、裁判は事情を何も知らない裁判官に判断がゆだねられているからです。
また心証などが入り込む余地はなく、陣営はお互い立証責任を負ってしまうというのが現実だと思います。

こういうことが良いのか、悪いのかは別にしてさまざまな事例や事態を解決しなくてはならないので致し方ないのかもしれません。

今国家で相当数存在する弁護士出身の議員さんはそんことは百も承知のはずで、こういうこと自体がすでにある意味「いやがらせ」的なことになると感じています。

◆放射能騒ぎ
世田谷区の放射能騒ぎ、幸いにもまったく別の要因でした。

あの時テレビに映されまくった、そして一部の民放のように線量計まで持ち出され、
「今、こんな数値です」
などと報道された家の方や身内の方、近隣の方は同思っていたのでしょうか?

まずこのような事態になった経過も不思議ですが、実際に公的な機関による正確な計量も行われ、因果関係も明らかにならないうちにはっきり言ってまったく必要のないあおるような報道をしたメディアに対していろいろ感じていたのではないでしょうか?

このようにメディアが冷静さを欠いているようだと「正確な情報を提供しろ!」

などと言われ、実際に驚くような事実がわかった時に冷静に対応できるのでしょうか。

情報を要求するのであれば、聞くほうも腹をくくっておく必要があるのではと感じてしまいました。

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70's&80's 邦楽アーティスト に参加中!

柳ジョージさんが亡くなってしまいました。まだ63歳だそうです。

「ブルース、横浜、倉庫や半暗い古ぼけたライブハウス」

ステージなど見たことはないもぐりファンです。もちろん濱っ子でもありません。

ただ親戚に米軍の人がいて、小さい頃その絡みで何度かわざわざ横浜や横須賀にいったことがあったので曲から連想するイメージがすごく近くて、好きなグループでした。

そういう環境で育っていないので、あこがれていたのかもしれません。

昔、金がないので友&愛で借りた、「YOKOHAMA」をテープにとって擦り切れるくらい聞きました。

もう手元にテープなどあるわけないので、さきほどネットで聞いていました。

まったく意表をついたニュースだったので・・、残念です。

さみしいのでついでに中島みゆきだ、村下孝蔵だと聞きました。(殆どレコード持っている曲ですが・・)
一人でコップ酒飲みながら・・・

ライブハウスといえば、東福生の埃臭い「UZU」というところはどうなったんでしょうか?
福生もそういう町で、ここ日本?というようなところもけっこうあります。
都心のものとちがい、時代物の外国映画に出てくるような、掘っ立て小屋ふう倉庫みたいなところでした。

学校時代に友人が「UZU」出るので、40度の熱を押して台風の中を車で行ったことがあります。
狭い、暗い、空気悪い中、轟音でめまいがして、正直いうと演奏の音楽のメロディーもわかりませんでした。

ストーンズだったのですが、かろうじてブラウンシュガーだけ、聞き分けることができました。

でもある意味文化財みたいなところでした。
こういうものが今後新たにできることはまずないと思います。

ちなみに聴いた歌のリンクです。

◆柳ジョージ(解散後のライブと思われます)
・酔って候
http://www.youtube.com/watch?v=o6_z6GabGE8
・フェンスの向こうのアメリカ
http://www.youtube.com/watch?v=a_TMRhISrlU
・本牧綺談
http://www.youtube.com/watch?v=JtxHd2ucvHs

◆中島みゆき
・ピエロ
http://www.youtube.com/watch?v=-UGbkP5upvk
・遍路
http://www.youtube.com/watch?v=7Inq0O60X_w

◆村下孝蔵
・絵日記
http://www.youtube.com/watch?v=aIgtKSazrUA
・夢の跡
http://www.youtube.com/watch?v=qsXRXqOOTgQ

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地域文化2 に参加中!

前回書いた「鳩ヶ谷市消滅」において山野氏よりご指摘をいただきました。

私が、”安行が昔鳩ヶ谷同様一旦川口に編入された旨”および”安行が村から途中で町に昇格した”の二件は違っていて、安行は川口に編入され、分離をした事実はなく、その後の編入時に町に昇格しないまま編入された、とうことです。

まずはいい加減な記載をしたことをお詫びいたします。

これはどの県や町でも学校で自分の住んでいる町や県のことを専用の教科書で学習すると思いますが、私も同様の授業を受けました。そのときに教科書で勉強した内容を、憶えているつもりで書いたものでした。

まったくでたらめに書いているわけではありませんでしたが、かなりいい加減な過去の記憶を元に検証などをしないで書いてしまいましたのでこのような記載をしてしまいました。

具体的には埼玉県民の方は皆知っていると思いますが、「郷土さいたま」という教科書と地元だけの「はとがや」という教科書のおぼろげな記憶をもとに書いたわけです。
昭和35〜40年ころの再編は当時は住民にとっても周知の部分もあり大きな間違いは無いと思いますが、昔の再編は取り違えて間違って憶えていたということです。

いずれにしてもひじょうにお詳しいですね。他のコメントを読んだ範囲では地縁のある方ではないようなのでよく勉強されているのですばらしいと感じた次第です。

私も地理的なことはひじょうに好きだったので、一時地名辞典などを買って自分で勝手に研究したこともあります。
特に川や土地利用などについての関心が高く、地方に行く列車に乗るときはどの川をどこで渡るか、など他の人には同でもいいようなことにも興味がありました。
土地利用も同様で、首都圏や関西圏などの国土地理院の地形図などを買い23区内にどれくらい農地が残っているかなどを調べたこともあります。

マニアックな話はそれくらいにして、今日は表題のテーマで少し、十分マニアックですが・・

東京の西多摩に多摩川の支流で秋川という川があります。
この川の呼び方は、これだけ情報が行き渡った現在でもかなり誤認されているように思います。

都内でもこの川の名前を「あきかわ」と呼ぶ人がきわめて多いからです。
最近はNHKなどでは徹底していますが、民放では下手するとアナウンサーでも「あきかわ」と呼ぶのを見かけます。

この川の正式名称は「あきがわ」です。
地元では皆かならず「あきがわ」といっています。この川を「あきかわ」というと西多摩ではもぐりだと思われる一番の指標になるくらいです。

私はたまたま立川の職場で7年くらい働いていました。
しかもお客さんの多くがこの地域(福生、秋川、八王子)に集中していたのと、これもたまたまですが、地域内に住んでいる女性と何年かお付き合いしていたというのもあり当時はその文化にどっぷりつかっていました。

八王子から青梅に抜ける国道411号も「あきがわかいどう」、旧秋川市も「あきがわし」(現・あきるの市)です。

一番よく間違われるパターンはテレビなどで「あきかわけいこく」という人がきわめて多いことです。
でもそのほうが言いやすいですし、ゴロもいいよな、とは思います。

人名も秋川さんという人は殆どというか皆「あきかわ」さんであり、逆になぜこの川の名前だけ「あきがわ」なのかどちらかというとそのほうが不思議なくらいです。
そういえば秋川市も消滅したんだった・・

それから道路や特殊な地名の地元での呼び方(通り名、通称)も結構面白い(俺だけ?)と思っています。

たとえば前述の多摩地区でいうと、
府中市に分倍河原という駅がありますが、地元の学生や地元に密着している人、ほぼ全部に近いくらいの人が「ぶばい」と呼んで、下の「かわら」つけないで呼んでいます。
もとから難読の駅名のひとつですが、これには大きなわけがあり、
分倍河原という駅名はいわゆる「分倍河原の合戦」の部分をとっているのではと思われるからです。
この地域は多摩川が暴れ川だったため、あちこち流れを変えていたようで、下河原、中河原、宿河原など河原がつく地名がたくさんあります。

ただ現実には地元の町名や字名などでは中河原、分倍河原、下河原などという名前はもう存在しなくなっています。

分倍河原近辺には分梅(ぶばい)町という地名が残っています。

そのため地元では今流行の略式などではなく、逆に今の正式な町名も含めていることと、近辺に河原という地名が多くいちいちつけると面倒くさいので「ぶばい」と呼んでいるというところだと思います。

ここまで読んで「そんなことどうでもいいじゃない・・」と思う方が殆どだと思いますが、
これが不思議なもので、よそから来た人も皆その「ぶばい」という呼び方が心地いいみたいで
慣れてきたり、一回でもそういうやり取りをすると殆どの人は「ぶばい」といういうようになるから不思議です。

地名なども心地良く言えるということも大切なのかもしれませんね。

また話が飛びますが、大阪の国道で大阪市内から、池田、宝塚付近をぬけて、三田、篠山、福知山から舞鶴方面に「国道176号線」という道路があります。
ナンバー国道ではありませんが、宝塚から先の山間部は山が険しくこの区間を抜ける大きな道路はこの道しかなく、また休日でなくても慢性渋滞でも有名になっています。

実は三田や宝塚辺りの人たちはこぞってこの道を「いなろく」と呼んでいるようです。
176だから「いなろく」たしかに、うまい言い方です。

東京近辺では街道名や、たとえば20号線、246とかそのままストレートで呼ぶのがほとんどなので、やはり関西の人たちは少しでもアレンジして呼ぶという文化なのでしょうか。

これもご存知の方が多いと思いますが、東京の多摩東部に「東八道路」というのがあります。
これはいわゆる公式な通称で、認定された通り名なのですが、以前この道路のすぐ近くの高校に通っていましたが、当時地元では「東八道路」という人はほぼ皆無で、皆「30メートル道路」と呼んでいました。

だから今、ほぼすべての人が「東八道路」という状態になってもすごく違和感があります。

また鳩ヶ谷の話になりますが、国道122号(日光御成街道)が東北自動車道につながるようになって便利になりましたが、当時東北自動車道を地元では東北自動車道とよぶひとはいませんでした。
なんと呼んでいたかというと「東北縦貫」と呼んでいました。

今はそんな呼び方をする人はまったくいないと思いますが・・。

そんなこんなでまたどうでもいい話に終始してしまいました。
もう夜が明ける・・・

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全然知らなかったのですが、今晩ニュースで表題の話が流れ大変びっくりしました。
というより少しショックです。

最近の大きな市町村合併・統合の流れでしょうか、埼玉県の鳩ヶ谷市が10/11から川口市に吸収合併されることになりました。

私は特に故郷もない人間でこのようなことをいうのもおこがましいのですが、鳩ヶ谷市では多感?な少年時代を10年以上過ごしました。

「君は育ちはどこなの?」といわれれば、
「え・え〜っと」と少し考えながらも「やはり埼玉県の鳩ヶ谷市ですかね」
というと思います。

といいながらも流れ者の私は東京都在住は30年を超え、人から見たら正真正銘の東京人であるとは思いますが・・

以前仕事で浦和の美園に行った時、自分の昔住んでいた住宅が取り壊されて高層住宅になっていたことをブログにも書いたことがあります。
当時は昭和30年代にできたコンクリ(とは言いがたいバラック風のものでしたが・・)長屋風の建物でした。多分当時から住んでいる人は殆どいないのではと思います。

そのときに続き、街の名前さえも市町村名からは消えてしまうことになったわけです。

これからは
「君は育ちはどこなの?」といわれたときは、
「え・え〜っと、何て言ったらいいかなあ」と独り言を言いながら
「埼玉県の川口市の、あの、知ってます?昔は独立していたんですが・・、鳩ヶ谷っていうところを?」

と言わなくてはならなくなりました。

今はそこそこ知られているでしょうが、10年も経てば

「はあ??、何それ?知らねえな、詳しくわかるように説明しろよ!」
と言われるでしょう。

それでなくとも昔から、
「鳩ヶ谷です」というと
「ああ、ああ、わかる熊谷ね」

とよく言われました。

今回川口市に併入されましたが、この地域は数奇な運命をたどっています。

もちろん大昔は殆どの町は細かく区分けされた地域別の町や村で構成されていたようです。
ただ川口市というのはご存知の通り、昔から鋳物が盛んで、県内でもいち早く市制が施行されたようです。

その時は当然川口駅を中心とする中心部だけだったみたいです。

今川口市になっている北部や東部の農村部、いわゆる安行地区はまったく別で安行村など全然別の共同体でした。

戦後すぐの大きな町村合併などで安行や今回の鳩ヶ谷も含む地域もすべて一旦すべて川口市になりました。

もとから鳩ヶ谷市は足立区の入谷地区以外は県内ではすべて川口市と隣接していて、川口市の中にすっぽり入っている形でしたので当然と言えば当然のことだと思います。

ところがその後一度鳩ヶ谷は川口から分離、北足立郡鳩ヶ谷町となりました。安行などもそのとき一回分離出され北足立郡安行村(のちに安行町)になりました。

それがまた高度成長の大きな市町村合併で安行が再度川口市に編入されました。多分昭和40年になる寸前くらいだと思われます。
そのときに浦和東部でいわゆる大門といわれていた地域で独立していた美園村も浦和市に編入されたようです。

鳩ヶ谷、特に、私が住んでいた里(大字の名前です。いかにも・・という名前ですが)はこの安行は歩いてすぐで、大門(美園)などもひじょうに身近な地域でした。

そして安行や美園が消滅したことで鳩ヶ谷だけが独立した状態で川口や浦和などがどーん、とある中でぽっかり存在していました。
もう孤立していると言ったほうがいいのかもしれません。

そしてついに今回の合併です。いかにも合理的でなるべくしてなったという話でしょうがないとは思いますが、やはり少しだけさみしい話ですね。

鳩ヶ谷は埼玉高速鉄道が開通するまで、長年鉄道がなく、経済的にも文化的にも大きく遅れをとっていました。

サイギン以外まともな都銀やスーパーもできたのはだいぶ後でした。

一番驚いたのは、会社に入った後にたまたま赤羽にいた友達と遊びに行き相当振りに当時の住宅の友人に紹介して会ったとき、国道(122号)沿いのデニーズが23時で閉店してしまったことです。
都内では当時はありえない話でした。

言葉は東京に近いので殆ど東京弁ですが、当時は隔世された閉鎖社会なので実は地元では下記のようなことばを使っていました。

「あいけんえし」「とりとり」「みったねえ」「はっとばす」などなど

これが方言なのかはわかりませんが、ほぼこれが全国共通の言葉と信じ当たり前に日常使っていました。
大体はわかると思いますが、意味わかります?

以前一部はこのブログでも触れましたが、最初のことばはネットで調べたら、なんと「埼玉県鳩ヶ谷市で使われていることば」とあるサイトに出ていました。

「ええ?他の町でも使っていないんだ、うちの町だけなんだ」

これにはびっくり、会社の同僚で浦和の原山のやつがいたので、聞いてみたら
「はあ?知りませんよ、そんな言葉」
と言われてしまいました。

そういえば与野も同じ運命だったね、でも与野は政令指定都市だからね・・

「鳩ヶ谷、頑張れ!、鳩ヶ谷万歳!!」

もう手遅れです・・


☆☆☆☆☆

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レモンケーキって憶えている人が多いと思うんですけど、今売っているところが少なくなっていて手に入りにくくなっています。

外側が砂糖たっぷりでレモンの香りがする白いもので覆われ、中はしっとりしたスポンジケーキ。

甘い物がかなり苦手な私でも、「すごく美味しかった!」といえるお菓子です。

そんな話を家族としていたら無性に食べたくなってしまいました。

最近仕事で行く先でもレモンケーキを売っている店がないか調べてしまうようになりました。

私が調べたところ、井の頭線の永福町駅の新しい駅施設にできたケーキ屋さんで先日発見!しました。

ただ比較的近いとはいえ、仕事が入らない限りなかなか行く機会もありません。
また通りがかりによろうとしても、時間のタイミングが悪かったり、次の用事の関係で降りることが難しく、買えていませんでした。

そこでネットで調べてみると、やはり「レモンケーキのあの懐かしい味が食べたい!」という声が多いようでさまざまな情報やサイトが掲載されていました。

その中で比較的詳しく載っていた「レモンケーキ食べ隊」というサイトで「フランセ」(FRANCAIS)というお店(全国チェーンのようです)で売っている「横濱ハニーシトロン」というケーキが昔のレモンケーキとほとんど同じ物だということがわかりました。

そしてついに土曜日に立川に行く用事がありました。
前述のサイトでフランセの店が伊勢丹の立川店にあることを調べておいたので、さっそくついでに買いに行くことにしました。

売場に行くと、期待通り「横濱ハニーシトロン」が置いてあり私としては珍しく8個も買ってしまいました。
1個の値段は税込126円です。

家に帰り家族で食べると、
「う〜ん!やはり昔食べたあの味でした。美味しい!!」

また立川に行くたびに買ってしまいそうです。

なお上記の「フランセ」さんではネット通販もやっているようです。

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今日はいろいろ感じまたままの日記です。

そういえば東京都高校野球秋の新人戦で月曜日に2回戦に挑戦した都立高校はすべて敗戦してしまいました。

ネタパクリになりますが(ごめんなさい)、スモールさんをはじめあちこちのブログに書かれていますが、シンボリルドルフについてひとこと書こうと思いましたが、実際によく知らないので書けません。

シンボリルドルフは1983年デビュー、当時私は競馬は一切やっていませんでしたし、ほとんどテレビでもレースを見ていませんでした。

競馬場でバイトしていたのは1982年でその前年でした。ちょうどメジロティターンとルドルフの狭間の競馬人気のかけらもない時代でした。

当時は府中に住んでいたので、競馬はひじょうに身近な存在で競馬場のバイトも友人からごく自然に話がきて当たり前のように働くようになりました。

府中は競馬の町で中心部には競馬ではサクラの冠で有名なさくらコマースが経営する商業施設が沢山ありました。

西友の地下には本家の食品スーパーさくらコマース、米倉斉加年さんのCMで有名な焼き肉屋のモランボン、家の近くにはさくらサンリバー(現在は閉店)、パチンコもさくらとさくらづくめでした。
ですので1978年のダービーでサクラショウリが初めて優勝したときなどは府中の町は大きく盛り上がりました。
私は元からの市民ではなく、比較的新米市民でしたので事情はあまりわかりませんでしたが町中が盛り上がっていた記憶があります。

それ以前もハイセイコー以降、キタノカチドキ、カブラヤオーなどのスターホースがでてきましたが、昔まだテレビで競馬を見る一般大衆(未成年なので当然ですが・・)だった私の印象ではトウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスが戦った時代のほうが記憶があり、スターホースというとそちらの印象になってしまいます。
特にその世代はほかにも伏兵がいてダービーで人気薄のクライムカイザーが勝利して皆をびっくりさせたのは結構憶えています。
また3頭の中で特に人気が高かったテンポイントが雪の中のレースで骨折、治療の甲斐なくなくなってしまったのは国民的な悲劇として大々的に取り上げられていたので殆どの人は憶えているのではないか、と思います。

これをきっかけにハンデ戦の斤量問題、番組構成まで問題になったとのことです。(本で読みました)

それにくらべるとルドルフは?と考えると、やはり強すぎたことくらいで一般庶民にはほとんど印象に残っていません。名前だけ有名だった、という感じです。
スモールさんの言うとおりその仔のトウカイテイオーのほうは歴史に残るような実績はありませんでしたが、スターホースとしては抜群の人気になっていたように思います。

そういう意味ではその直後に亡くなったサッカーボーイのほうが実績はありませんが特別な印象を残したのでは、と思います。

そもそもその名前が、1986年にダービーで一番人気で沈んだラグビーボールとダブってしまうので、また早熟で評判倒れ?などというイメージがあったのでは?というところもあります。

ところがこちらは本物でした。

しかも最強世代にいながらすぐ引退してしまったこと、そして何といってもあの函館記念で強敵を相手にぶっ千切って日本レコードを樹立したというのが最大のインパクトではと思います。
そして種牡馬になっても時代の流れで長距離血統がどんどん衰退する中で孤軍奮闘、ステイヤーをどんどん輩出した功績は大きいのではと思います。

いずれにしても個人的な印象は別にして、両馬とも競馬の発展に大きく寄与した馬であることは間違いないと思います。

土曜日に用事で立川に行きましたが、たまたま当日の東西のメインレースがシンボリルドルフ追悼レースという冠がつくということで、ちょうどタイミングよく用事が終わったので場外に行きました。
そしてその冠名入りの馬券が目的で両メインレースの馬券を購入しておきました。
当たったら馬券自体はなくなりますが、それはそれで利益になるのでと思いましたが、まったくそんな心配の必要はありませんでした。

☆☆☆☆☆

さてまったく話変わりますが、世界は災害、温暖化、経済低迷など大きな問題が山積みです。
ニュースで欧州信用不安が現実化するニュースが流れました。

欧州の金融機関がギリシャ国債の影響で破綻することになったのです。

ロシアショック、日本のバブル崩壊、アメリカのサブプライムローンに続き欧州の金融不安も完全に表面化してきました。

これはきわめて深刻な問題であるといってもいいのではと思います。

というのもここのところ懸命に欧州で修復を図っていたのですが、結局民間の金融機関に影響が出てしまったからです。

たぶんこれは氷山の一角でこのような問題をかかえている金融機関が多数あるのではと想像できます。

これも問題の本質が解決でできず、目先の資金支援のみで問題が先送りになっているせいではと思います。

日本やアメリカもそうですが、国の財政と民間の経済成長を促すのは至難の業です。

どちらも原則は相反した政策が必要になるからではないでしょうか?

また国債というのは最後の砦であり、お金の置き場所としての信用が失われてしまうと、人々はお金を失わないように投資を控え、資金は引き揚げるようになります。

こうなると資金は入らない、価格は下落する、さらに資金の引き揚げが起こるという悪循環が始まります。

そのうち現物、たとえば生活に必要なエネルギーや金属資源や食物資源などを持っているかどうかが問題になってきます。

当然各国はその資源を守ろうとして自国に都合のいい政策を主張します。

人間も動物です。生きていくために必要なものはまず確保したいからです。

そして景気が最悪なのに物価(特に生活資材)の大きな上昇や物不足が起こります。

そうなると資源の奪い合いが始まり、保護政策が台頭し、さらには戦争に発展するケースも出てきます。

米国債のデフォルト危機、欧州の信用不安、日本の大災害などの基盤を考えると、
十数年くらい先のレベルで考えても、世界経済が大きく発展する構図は考えにくいのではと思います。

まあここまで心配するのはオーバーかもしれませんが、逆にどういうことが起きたら悪循環が断ち切られ、いい流れになるのか?というイメージがまったくわいてきません。

回避して、先送りする連続では、実態は時間の価値の喪失も加わりさらに悪化するのではと思います。

発展しすぎた技術や運用手法、責任も利益も皆で分かち合うということができないくらい細分化して複雑なシステムになってしまった組織や国家、

そしてその中でそれぞれの歯車になっている人たちの立場や生活を守るためには、一個人や一組織レベルではその間違いやかけ違いを修正することはおろか、認めることもできない状態になっているのではないかと思います。

文明が発達しすぎたのが大きな原因なのかもしれませんね・・。

大きな波乱が起こらないことを祈っています。

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高校野球 に参加中!

来春のセンバツ出場をかけて、高校野球の秋の東京都本大会がこの三連休から始まりましたが、早速波乱のスタートになりました。

というのもまた一部の私立有力校が都立に敗れました。

ブロック予選で日大三や国士舘が敗れたことを以前当ブログでも紹介しましたが、今回は以下のような結果です。

すべて1回戦で、
・都立足立西6−2創価
・都立小平4−2堀越
・都立小山台5−4東海大菅生
などとなっています。

早実も都立では強豪の足立新田を7−4でからくも破りました。
また桜美林は6−7で八王子に敗れました。ただ八王子は昨年も甲子園にあと一歩、春も関東大会進出と近年は東京ではトップクラスの実力です。

あと明星が日大桜ヶ丘に勝ち、2回戦で都立府中東と府中市同士の対決になります。勝ったほうが全都ベスト16です。

それから先輩が監督で応援していた元世田谷工の都立総合工科は同じ都立の文京に3−4で負けてしまいました。
残念でした。

月曜日は2回戦8試合が行われます。勝てば全都ベスト16です。

都立では小山台、小平、東大和、足立西が私立の有力校に挑戦します。

スモールさんの母校の久我山は今度の土曜日に岩倉と対戦のようです。

この間日大三OBの仕事仲間と話したのですが、久我山、帝京が双璧、あとは二松学舎、成立、八王子、日大鶴ヶ丘あたりが有力ではという素人同士での結論でした。

あと三高にかった郁文館も順調で都立葛西工に圧勝、2回戦で都立紅葉川と対戦です。

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鉄道 に参加中!

プロ野球では強いのに灰色の球団といわれた地味なチームカラーとちがい、阪急は電車では関西ではつねにトップの座を守っています。
まず梅田駅は多分私鉄の駅では日本最大のターミナル駅だと思っています。
昔からライバルと常にスピードとサービスでし烈な競争を続けてきたため、早くから洗練され、発展を続けてきたのだと思います。

そんな阪急の中できわめて地味ですが、味がある路線が今津線です。

阪急宝塚から今津までそんなに長い路線ではありませんが、福知山線が電化されるまでは、宝塚付近と西宮など神戸方面をショートカットした唯一の路線でした。

私は今津線に実際に乗ったことは2回しかありません。
というのも競馬ファンでもない限り、今津線の沿線に用事がないかぎり乗る機会はほとんどありません。

豊中など宝塚沿線から甲子園など神戸方面に行く時は梅田に出るのが普通で、池田あたりまでは当然の経路でした。
宝塚線の急行は石橋からは各停になるので時間がかかるというのもありました。これは今も一緒だと思います。

ところが一度だけ甲子園の高校野球を見るのに思い切って今津線経由で行ってみようと思い、実行しました。思い立った日が吉日です。

とにかく一度乗ってみたかったからです。通常とは逆に最初は豊中から宝塚にでました。

さてそこから今津線に乗り換えです。
そこにはもう本線からはほとんど姿を消していた旧型車が停まっていました。

阪急の車両は昔から旧型も新型もすべてマルーンという色で、一色の車両に統一されています。
JRなどの旧型電車と似ている塗装ですが、少しむらさきがかっていて独特の色です。
そして車内も新旧同様で木目調の壁に統一されています。
新型の場合は金属を木目調にしたような明るい感じですが、旧型車は木材を使ったものでしかもよく研かれていて、ボロイという感じではなく重厚な、歴史を感じる豪華な感じでした。
よく洋館などである木目調の家具のようなイメージです。

宝塚線なども昔はたくさん旧型車が走っていましたが、その当時は箕面線や能勢電軌などくらいで長い路線で旧型車はほとんどなくなりつつありました。
当時今津線はすべて旧型車で運行していたようです。

電車は宝塚を出るとすぐ宝塚歌劇場やファミリーランドなど遊戯施設の敷地内を走ります。

阪急はもとより、小林オーナーが宝塚劇場のために同時に鉄道会社をつくり電車を開通させたといわれいいるくらい「宝塚」というのは阪急発祥の地でもあるわけです。

ファミリーランドは今は時代の流れもあり閉園してしまいましたが、私は2回ほど遊びに行ったことがあります。

一度は今北新地で焼き鳥屋をやっている従兄弟と行きました。
もう一回は母の友人のご子息がいろいろ身体の都合もあり、どうしても甲子園で野球が見たいということでわざわざ横浜から大阪に来た時に案内しました。
その時はたしか野球は阪神戦がなく、ウェスタンリーグの阪神戦を案内しました。詳しいことは忘れましたがそのときに別の日ですがなぜか宝塚も行ったと記憶しています。

宝塚ファミリーランドは東京でいえば花やしき遊園地みたいなところで絶叫マシンなどを楽しむのではなく、本当の昔ながらの遊園地でした。
しょぼい乗り物ばかりで、すぐ目が回る臆病な私には最適の遊園地だったといえます。

個人的に一番の目玉は今津線が敷地内を通っているのではと思うくらい近いところを通るので、それが他の遊園地などとは決定的にちがっていました。
本当の鉄道がまるで遊園地の中の乗り物と思えるくらいでした。

ところで宝塚は遊興施設だけでなく、昔は大きな温泉地でした。都会の近くで大きな温泉旅館が立ち並ぶ場所は多分宝塚を置いて他にはなかったのではと思います。
ただ今はこちらもかなり衰退してしまったようで、一部のホテル以外はほとんどなくなってしまったようです。

そんなこんなで電車は武庫川を渡り、南下します。

しばらく何駅か行くと、今度は山陽新幹線の高架をくぐります。
今は電化された宝塚線(福知山線・当時は非電化単線で殆どは長距離の客車列車で短距離で乗る人はほとんどいませんでした、というより乗った人の話も聞いたことがありません)などあるので、新幹線など珍しくなくなりました。
しかし当時は北急・御堂筋線は新大阪に直接着くので、新幹線の高架を見れて頻繁に走っている線は京都線の並行区間とこの線だけでした。伊丹線もそうですが現地に用事がないと乗る機会は殆どありません。
走っている新幹線に出会える可能性のある数少ない路線でした。
阪急神戸線や阪神や京阪から新幹線はみれません。

さてそして今津線最大のクライマックスです。

西宮北口駅が近づきます。

北口は阪急神戸線の主要駅で特急も停まります。
今津線は南北、神戸線は東西の路線で当然交差しますが、普通の鉄道は所沢のように合流して分かれるか秋葉原のように立体交差をします。

ところが当時は多分日本でここだけだったと思いますが、平面で線路が交差するという駅でした。

つまり今津線の線路と神戸線の線路が直接十字に交差していました。

交差が近づくと電車は超徐行になります。そして「ゴト、ゴト」と音をたてて神戸線の線路を渡っていきます。
もちろん神戸線も同様だったのですが、今津線に乗っているほうがはるかに臨場感を味わえました。その光景は今でも鮮明に憶えています。

また北口の駅前には当時甲子園球場に次ぐ収容人員を誇った、西宮球場がありました。周りの建物も大きな球場なので駅前にそびえるその姿は迫力がありました。

私は大の阪急ファンでしたが、実際に西宮球場で野球を見たことはありませんでした。
阪急ファンはそんな人種が多かったと思います。というよりあまり阪急ファン自体にめぐり合うことがなかったのですが・・。
心の中だけ熱狂的なファンという感じです。

そして北口を出ると、ほどなく終点の今津です。そこから阪神に乗り換え甲子園に行きました。

普通に行くより多分30分以上は余計にかかったはずです。
でも大満足でした。

しかし今は旧型電車も、宝塚ファミリーランドも、平面交差もすべてなくなってしまいました。
おまけにその関係で宝塚から今津に行く直通もすべてなくなり、事実上宝塚ー北口間と北口ー今津の別路線になってしまったようです。

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今週の重賞予想 に参加中!

ちまたでは(もちろん私見です)競馬のG1スプリンターズSに外国の強豪馬が来日して盛り上がっていますが、表題のように競馬では世界的に統一された実力の物差し(レーティング)というものが取り沙汰されるようになってきました。

いわゆる実力を数値化したものです。
私は専門家ではないのでこの数値云々に言及するのはやめておきますが、この数値がどの程度信頼に値する物なのかを考えてみました。

というのも今回来日したロケットマンはこの数値が125と近年来日した馬の中でもずば抜けているからです。

レーティングは前にテレビで見ているかぎりでは、自国のハンデキャッパーが原案的な数値を出して、それを国際的な権威のある何かしらの組織で吟味して修正するような感じではじき出されるようなことを以前に見たことがあるような気がします。
数値の単位はポンドでイギリスを中心とした欧州が今でもこの方面でも実権をにぎっているように感じます。

もちろん国内のすべての馬に国際的なレーティング評価はありませんが、すべてその数値は影響を受けてはじき出されていると考えていいと思います。

そのテレビでは日本の元ハンデキャッパーがかなり高い評価(高い数値を与えた)馬に対し、レーティングを決めている機関に異論を唱えられたというような内容だったと思います。

当時日本の競馬レベルは世界レベルでないことからそのような評価をされたというようなことだったと思います。

レーティングはハンデキャップの数値でもあり、以前はフリーハンデという言い方もされていました。
つまり実戦でハンデキャップレースを組んだ時に背負わせる斤量という前提で考えられています。

今回のロケットマンが125ですが、香港のラッキーナインが117、グリーンバーディーでも114と高い数値です。
それにくらべると日本馬はかなり低評価で最高のダッシャーゴーゴーで114、それ以外はすべて111以下、元から背負う斤量が少ない牝馬は3〜4ポイントほど上乗せできるのですがそれでもエーシンヴァーゴウが108、カレンチャンが106という状態です。

レーティングだけで見たら場合によってというか、これが本来の実力でそれを遺憾なく発揮してしまえば外国馬のワンツーツリーというのが一番順当な結果であるともいえます。

ただ大きな問題があります。これはレーティングを決めている人たちがその数値に対し具体的な責任を負わないという現実です。

それにくらべ国内のハンデキャップレースにおいて、たとえばJRAの場合であればそのハンデの重量を決めるハンデキャッパーは重大な責任を背負っています。

なぜかというとその斤量が実際のレースが具体的に確実にレース結果、ひいては勝ち負けを支配してしまう大きな要因になるからです。

ですからハンデキャッパーはきわめて正確、的確に馬の実力を判定しなくてはいけません。
直後にレースで結果が出てしまうからです。

たとえば高いハンデの馬が想像以上の圧勝をしてもいけませんし、低いハンデの馬が半周遅れくらいで惨敗するのも困るわけです。

ということはどのような結果が一番望ましいかというと、よくゴール前一線などといわれますが実際にそのようなケースはまれです。
ではどうしたら成功かといえば、勝つのも負けるのも中ぐらいのハンデの馬であれば不思議と見た人も
「ああ、ハンデ戦らしいな」と納得する確率も高くなります。

昔は高いハンデの馬をコンマハンデといって、よく見かける56.5とか57.5という評価で勝ち負けのさじ加減を調整するといわれていました。

もちろんこれも大きな戦略でハンデキャッパーの能力のみせどころですが、いつもコンマハンデの馬が勝ち負けに絡んでいるとギャンブルという性格上見透かされてきてしまいます。

個人的な見解ですがハンデ戦は中間のハンデの馬の吟味からはじめる、これが得策のようです。

といいいつつも日本のハンデキャッパーはひじょうに優秀といわれています。

これは他国にはない精密な分析能力が日本人の特性であることの証明であるともいえます。ですのでなかなかボロ?(決まったパターン)を見抜くことはできません。

さて今日のスプリンターズS、もちろん走ってしまえば結果はわかりますが、総じて言えば国際的な短距離レースで実績のない日本馬はレーティングではなかなか高評価は得られていません。

もちろん仕上げ方、騎手の腕、馬場状態の理解度などもありますが、前哨戦で117の香港馬と108プラス4くらいの日本の牝馬がほぼ互角の勝負を演じました。

その牝馬はその前のハンデ戦で55.5というハンデで小差ですが惨敗でした。

現状でのハンデキャッパーの国内馬の評価はダッシャーゴーゴーが58.5キロ、ヘッドライナーが58キロです。
ハンデ評価はわかりませんがサンカルロ、ビービーガルダンもその近辺の評価と考えます。
55.5、57.5などの次の評価は前出のエーシンヴァーゴウ、アーバニティです。
またその評価で好走しているダッシャーとヴァーゴウはさらに0・5キロアップしていると考えてもいいかもしれません。

ハンデ評価などは単なる検討のひとつの資料に過ぎませんが、この数値は日本で競走馬の実力を判定する能力ではトップクラスのプロフェッショナルが、大きなリスクを背負いながら、あらゆる角度から算出したきわめて的確に近い資料で、
特に強い馬に関してはその馬が楽勝してしまわないようにギリギリのところに設定した数値であると考えています。

これを検討に活用するのも有効だと思います。

また数多いハンデキャップレースが単なる馬の競争ではなくいかに奥の深い話であり、そういう部分でも楽しめる対象であると段々思うようになってきました。

もしこれをご覧になった方も今日のG1レースもそんな角度でも楽しんでみては、と思います。

ちなみに夜は世界で最大の競馬の祭典のひとつ「凱旋門賞」です。
昨年当レースで惜敗したナカヤマフェスタと春の天皇賞・ヒルノダムールが出走します。

ここで好走することが日本の馬のレーティングを高め、ひいいては世界の強豪馬がどんどん来日する環境をつくる流れになるのでぜひとも上位入線を期待しています。

最初のテーマに戻りますが、逆に考えたら、こういうレースで好走馬がたくさん出てくると、その馬自身が海外レースで活躍しなくても国際的なレーティングはどんどん高くなっていく可能性があるというふうに思います。
ですから今回の125という評価にたいしても、思っているよりも差は少ないという考え方が出来るかもしれません。
日本が国際的に短距離馬を量産している国であれば、このレーティングの差はほぼ決定的な差になってしまい、すでに勝負前に勝負の大半が決しているレースに臨まなくてはいけないという状態になるのではと思います。
しかし21戦17勝、2着4回というのは、ボクサーで言えば33戦33勝30KOという感じなので、仮に地方競馬でもこういう馬はとことん強いのかも知れませんが・・。
なにしろドバイや香港のレベルの高いG1を勝っているのですから・・。アウェイでやったら結果はみえていますね。

スプリンターズSの予想は競馬ブログに書きましたが、個人的にどうしても社台の多頭出しが気になっています。
中では一番人気になっているサンカルロはもちろん強そうですが、ムラガあって実力がなかなかわかりづらいアーバニティがどうしても気になっています。アーバニティはハンデキャッパーの評価は57.5ですが、はまるとそれ以上と思えることもありますし、見る影もなく惨敗する時もあります。

でも走る時があるということは本来は底知れない実力があるのかも知れません。
気分よく走れば・・、かなり怖い存在です。

また嵌ればG1級という馬は、たいてい実績から大きなレースでは必ずその可能性の評価でそこそこ人気になるケースが多いのですが、この馬は負けるときにあまりひどい負け方をするので常に人気がないといってもいいかもしれません。
一時のステイゴールドなどと似ています。
まったく人気がないので、複勝の100円くらい買ってもいいかななどと思っています。

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