サイト運営者日記「ぶらぶらうだうだ・・」

「タウンクリニックドットコム」「時代文化ネット」などサイト運営をするアナログ脱サラ(いつのまにか・・)親父のブログの何でも日記風ブログです。

当ブログは2018年3月よりURLが、
http://blog.livedoor.jp/chikao1216/
から
http://burauda.blog.jp/
に変わりました。サブドメインのため旧URLでアクセスしてもリダイレクトしてアクセスできます。
また名前も「サイト運営者日記・ぶらぶらうだうだ」に変わりました。

内容は「時代文化ネット」制作者が運営する日記で特にテーマはありません。
日常のサイト活動などにおいて見聞きした内容や、現在の社会や自身の生活などを通して感じたことなどをそのまま記載する形にこのたびリニューアルしました。
現在の掲載記事は以前の「穴狙い千ちゃん〜」「ちかお日記」に掲載されている記事をそのまま残してあります。
旧記事は「改修前」のカテゴリになっていて、「人気」???と記載があるのは人気があるかどうかは知りませんが、自分でまあまあ気に入っていた記事です。

2010年08月

ブログネタ
鉄道 に参加中!
8月30日はいわきに遠征でした。
少しは涼しいかと思いましたが、結構蒸し暑く、粉スポドリもやはり底をつきまた現地で追加買いをしました。

いわき市観光街づくりビューローさんという第三セクターのような社団法人さんの方と会うために、普段あまり行かない内郷というところに行きました。前回車で行ったので、電車で降り立ったのは初めてです。

ところが、先方の方の急用で面会が夕方になり、急きょ電話で小名浜の水産業者の方に車で迎えに来てもらい小名浜で打ち合わせになりました。

新サイト「いわき市・小名浜港発うまいもん市場」の打ち合わせです。
試行錯誤の繰り返しですが、9月4日に福島市にある某メディアに売り込みに行く予定です。まだまだ途上なので先は長くなりそうですが、コツコツ積み上げて行きたいと思っています。

夕方に泉から再び内郷に行き、先方にお会いして帰路につきました。
写真は夕暮れ前の内郷駅です。
いわき市市内ではめずらしく昔ながらのレトロ駅舎でした。
常磐線内郷駅100830
今回は期間中なので18切符で行きましたが、暑い中右往左往でバテバテになり、帰りは勝田まで普通に乗りましたが、根性が無いのでそこから柏までは特急に乗ってしまいました。

勝田ではまた前回おいしかった駅そばを食べました。
最近以前からのグルメブログを再開しましたので、駅そばのことはそちらで近日中に書く予定です。このブログのリンク欄からご覧になれますのでぜひご覧下さい。

ちなみに勝田・水戸から特急に乗るときは回数券が圧倒的に安くこちらがイチオシですが、回数券がないときは柏で降りてしまうと大幅に安く乗車できます。

ちなみに私は新松戸から武蔵野線で帰りました。

ブログネタ
見たまま・感じたまま・ありのまま日記 に参加中!

話が前後しますが、8月26日の夜に以前勤めていた会社の友人に久しぶりに会いました。当日は相変わらずの猛暑で家で粉から作ったスポドリでは足りず、新たに買って飲むくらいでした。

この暑さはいつまで続くのでしょうか?

この日は浅草の歯科医院に用事があり訪問しました。
夏休み期間中ということもあり、浅草は観光客で混雑していましたが、皆暑さで日陰や水辺を求めて右往左往という状態に見えました。
なんといってもスカイツリーを吾妻橋や東武鉄橋越しに撮影する人が目立ちました。
浅草駅100826
浅草ガード100826
写真は浅草駅と東武線の駅ガードです。どちらも出来た頃は最新の技術で建てられたものだと思いますが、今ではレトロの部類になってきました。
東武浅草駅は松屋デパートと一緒の建物になっていて、大阪の阪急梅田駅のような構造です。松屋は外から華やかな造りですが、冷房を求めて中を散歩してみたら、一部改装中の状態でした。

日本の数ある百貨店の中でも古い歴史のある建物で、あちらこちらに昔の面影があり、なんとか残ってほしいものです。

東武のガードもよく見るとがっしりした頑丈な昔ながらのつくりで、昔の浅草駅全盛の頃を彷彿させます。

さて午後に新橋に移動、ニュー新橋ビルのアンテナショップに用事で訪問しました。前述の夕方の約束も新橋なので便利なのはいいのですが、時間が空いてしまい、少々困りました。

なにしろこの猛暑です。皆外回りで時間が空いた人は、冷房の効いたところをさがしてさまよい歩く感じになってしまいます。

用事が終わりSL広場の横のニュー新橋ビルの温度計は夕方近いというのにまだ34℃です。(写真)
ニュー新橋温度計100826
しょうがないので汐留方面に行き、冷房はありませんが、屋外の風通しのいいテラスのような無料休憩所でしばらく書類などの整理も兼ねてひと休み。
汐留すずめ100826
と近くになんとすずめが一羽・・・。
こちらを見ています。カメラを向けてもひるみません。
人馴れしているのでしょうか?
「オレの場所に勝手に長居しやがって、あいさつなしか?あ?」
と言っているようにも見え、
「すいません、しばらくいさせてください。」
とあいさつしてしまいました。

冗談はこれくらいにして、時間が近づき、SL広場に戻ると、夕方で待ち合わせの人で賑わっていました。
新橋SL広場100826
やっと前述の友人と会い居酒屋に行きました。
彼は出身が大阪で、長く今は閉店してしまった天王寺の某支店にいた方です。私より少し前に退社してしまいました。

たまたま新宿や多摩地区の支店にいたときの友人の関係でかなり前から知り合いでしたが、たまたま私が荻窪にいた時に退社した同僚と親友で、私が転職する時も大変お世話になった方です。

転職した職場でも私は彼の天王寺某支店時代の同僚と一緒に活動していました。

当時はわりと頻繁に連絡をしていましたが、それぞれいろいろと違う方向での活動が多くなりご無沙汰していました。

皆こんな年なので、いろいろと大変なこともあるみたいですけど、お元気そうで何よりでした。

そんなこんなで猛暑がつづく一日が終わりました。
猛暑は当分続きそうですが・・・。

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勝っても負けても阪神タイガース に参加中!
こんなテーマに投稿しましたが、実は阪神ファンではないので悪しからず。

今日テレビ東京の「なんでも鑑定団」の再放送を何気なく見ていたら、巨人の金やんこと金田正一投手が前人未到の400勝をしたときに巨人の全メンバーがサインをしたサインボールが鑑定に出されていました。
そしたらなんと50万円の価値があるということがわかり盛り上がっていました。

金田投手はもとは国鉄(現ヤクルト)の投手でしたが、引退する前は巨人で投げていて、そのときは巨人も黄金時代でした。

川上監督、王、長島、堀内、高橋一三、高田などそうそうたるメンバーなのでそれも当然かなと思いました。

それを見ていたら昔のもったいないことをした思い出がよみがえりました。

それは、これもはるか昔の話ですが、今三田に住んでいる私の叔母が結婚したてのころの話です。

叔母は結婚してしばらくは甲子園に住んでいました。
甲子園球場に住んでいたのではなく、西宮市には甲子園という地名があるので・・(ご存知とは思いますが)
また別に阪神ファンだったからではなく、急行が止まるので旦那さんの通勤に便利だったからです。

家は甲子園駅から浜のほうに少し歩いたあたりでチンチン電車の浜甲子園までは行かないあたりで、こじんまりした貸マンションに住んでいました。

叔母は私たち姉弟のことを自分の子供のようにかわがってくれました。赤ちゃんの時などはおしめも変えてくれたくらいです。
そのため叔母が結婚してもしょっちゅう甲子園に遊びに行っていました。

あまりよく行くので向こうに友達がいたくらいです。

当時そのマンションは甲子園球場に近いということもあり、上の階に阪神の選手が住んでいました。吉良という選手で投手でした。

一軍と二軍を行ったりきたりという感じだったようです。

その吉良選手はいい人で、頻繁に遊びに来る私のために、サインボールをプレゼントしてくれたのです。

当時は阪神は巨人のライバルという感じで、巨人のメンバーも強力でしたが、阪神もすごい選手がたくさんいました。

吉良選手は中でも特に活躍していたスター選手だった、江夏投手、田淵選手、藤田平選手の三人からサインをしてもらったボールをプレゼントしてくれました。

それはもう当時は大感激で、大事に大事にしまっていました。

ところが何年もたち、何度か引越を重ねるうちに、いつのまにか無くなってしまいました。

今考えると、なんという大失態か、と思います。
今も大事に持っていたら・・・。

残念です・・・。

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おうちでごはん に参加中!
そうめんといえば、夏です。
今年は猛暑、特にそうめんが美味しいはずです・・が、
そうめんは関西では普通にあたりまえにメジャーな食べ物ですが、以外に関東ではあま好まれていないケースが多いように感じます。

考えてみれば関東はそば、群馬や埼玉北東部など北関東ではうどんなどが名産で私も大好物です。

偶然私の家系が殆ど全員、関西&北陸なのでそうめんは、特に子供の頃は本当によく食べました。

夏休みになるとあたりまえのように「昼ごはんどうしよー」
「そうめんでもする?」

みたいな感じに記憶しています。
そうめんがたくさん作られているのは小豆島、揖保川沿い、奈良の三輪地方が有名ですが、特に三輪そうめんは高級だそうです。

西名阪の売店などでも売られています。

さてその食べ方は、単にめんつゆにつけて食べる以外に色々なバリエーションがありました。
めんつゆの場合でも、必ず干ししいたけをたくさん入れて出汁をとり、食べる時にもしいたけがつゆにたくさん入っていて美味でした。

そのほかでひじょうに今でも美味しかったと記憶しているのは、
キムチと一緒に食べる食べ方です。
よその家はわかりませんが、当時は「朝鮮漬」といって家庭でそうめん用に自家製の薄味のキムチがありました。
内容もいわゆるキムチとはかなり違っていてりんごなどもはいっていました。
これを汁ごと器に入れて、そうめんを中に入れて食べます。
多分これは関西風だと思います。

次の食べ方は、そうめんを煮てしまう食べ方です。
味付けは身欠きにしんで出汁をとり、あとしょうゆ味にしてなすを入れて煮込み、その中にそうめんを入れてまた煮込みます。
伸びてしまうのでは、思われるかもしれませんが、逆にその方がそうめんにつゆがしみこみ美味しいのです。
これは四季を問わず、ご飯のおかずでよく食べました。
最近あの味が食べたくて、家で作りましたが、身欠きにしんは高いので出しじゃこで作りましたが、これでも十分美味しかったです。

この食べ方もずっと関西かと思っていたら、この間偶然NHKの「ためしてガッテン」で金沢のご当地グルメをテーマにやっているのを見ていたら、この食べ方とそっくりの食べ方が出てきました。
どうやら北陸の食べ方だったようです。

最初のキムチのほうも市販されているキムチを普通のめんつゆに入れて食べてもすごく美味しかったので、ぜひ試されてみてはと思います。

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.気になったニュース33 に参加中!

最近高齢者や女性の方の間で登山が流行っているということをメディアなどでよく耳にします。
行き先は高尾山のようなハイキングから、本格装備の北アルプスまでさまざまみたいです。

ところがそれに絡んだ事故も増加しているようで、記憶に新しいのは昨夏の北海道・大雪山系の遭難などで、さらに今年も多数の事故のニュースが流れています。
特に秩父でのヘリコプター墜落事故も遭難事故の救助の途中でおこり、さらにその取材をしようとした方々が遭難事故に遭われました。

私は人並みにハイキングなどはたしなみましたが、学生以降に本格的に山行などした経験は殆どありませんし、臆病なのでこれからもありません。

ただ昔「山は恐いな」と実感した経験があるので今回の多重事故をみて思い出しました。

昔、むかし、はるか昔の話です。
学生だったころ、当時の先生が自分が大学時代に利用していた大学の合宿所が山梨県の上野原にありました。
合宿所といっても古い民家のようなつくりで山麓にありましたがいわゆる山小屋のような建物でした。
上野原といっても、鶴川という川沿いに駅からバスで1時間半くらい奥に入った秘境に属するような山里です。山を越えるとちょうど東京の秘境といわれている桧原村あたりの場所です。

先生は当時の教え子を何人か連れて、夏休みに自炊のキャンプに行きました。
私もそのメンバーの一人でした。
要はその合宿所に泊まるだけなのですが、山から清水を引いているのとトイレくらいしか設備はなく、そこに泊まる=キャンプということになるわけです。

昼は目の前の川で川遊び、夜は肝だめしなどそれは楽しいひとときで、いい思い出になりました。
一年目にあまり楽しかったので、二年目は大幅にメンバーが増えて再度このキャンプが企画されました。

そして初回同様に初日に川遊びをしていたときに、皆で本流に流れ込む沢を奥に登ってみようということになりました。
まあ天気もよく増水する可能性も小さいし、小さな沢なのでそんなに大変ではないと思ったからです。

ところが実際に登り始めるとかなり大変でした。なにしろ道がないので沢の流れを道代わりにしなくてはなりません。
また大きな段差があるところはよじ登るような感じになってしまいます。

それでもかなりの距離(1時間くらいでしょうか)を登ったときに事件はおきました。

小さな滝つぼのようなところまできて小休止して、これからその滝の段差をよじ登ろうと皆で準備していた時です。
「がらがらがら」
と大きな音がして皆がそのほうを見ました。
するとメンバーの一人の本当に20〜30センチくらい横に大きな、直径大体60〜70センチくらいの岩がそのがけの上から崩れ落ちてきたのです。

そのメンバーはもう足がすくんで、顔色がなくなって棒立ちになっていました。

山によく行く人なら「ああ、落石ね」というくらいの話かもしれませんが、実際直撃されたらどんなことになっていたのか、と考えると寒気がしました。

一行は急激にテンションが下がり、というより誰が言うともなく全員一致で一瞬にして下山を始めました。
下山中も足元も危険ですが、皆がけの上にどうしても目がいってしまいます。
とにかく急いで逃げるように無事に下山することが出来ました。

埼玉時代に住宅の近くの裏山やちいさな崖などでよく遊んでいましたが、やはり全然規模が違います。
大体あんな大きな岩は裏山には存在しません。
最近テレビで北アルプスの難ルートを登ったりする映像がよく放映されますが、いつ何が起こっても不思議のないようなきわめて危険な場所に見えてしまい、見ているほうがハラハラします。

やはり山は恐いので、家でおとなしくしていようと思います。

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鉄道 に参加中!

今地方の状況が大きく変わってきています。
大資本の参入、構造不況などにより生き残りをかけた厳しい戦いが繰り広げられています。
地方私鉄もその余波をまともに受けて、銚子電鉄や夷隅鉄道のように比較的話題になって持ち直しているところもありますが、次々に廃止されてきているのが現状です。
またまた北陸の話題で恐縮ですが、北陸鉄道もその一つだと感じています。

北陸鉄道は地元では北鉄と略されていますが、今や普通の大人の乗客を見かけるのは至難の業です。
私は北鉄の浅野川線の沿線に近い親戚が多数住んでいてたまに利用します。

頻繁に行っているのにもかかわらず、たまにです。
というのも殆ど地元の人は車を使うため、行きます、と連絡すると金沢駅まで迎えに来てくれます。

なのでたまにどうしようもない状況で電車に乗ると、乗客は殆どが高校生か高齢の方ばかりです。
通勤時間帯以外はほとんどそんな状況のようです。

北陸新幹線の開通を見込み金沢駅前は大きく変わり、北鉄の駅もなんと地下駅になりました。
車両も井の頭線で使用していた立派な車両が使われていますが、いつまで存続するのか・・

すごい昔?に乗ったときは、金沢駅前の電停のような古く。低いホームに古ぼけた木床の車両がぽつんと停まっていて、階段を上るような要領で乗車する本格的な地方私鉄でした。
車内は体の倍くらいある荷物を持った行商のおばさんがたくさん乗っていて賑やかだったのを憶えています。

私の親戚がいる地域は内灘町、粟崎あたりでこのあたりは沿線風景は殆ど変わっていなく田園と河口付近の猟師町的な風景も残され車内から眺めることも出来ます。
ただそれは電車の沿線だけで周辺は大きく変わり、内灘などは新興住宅地と化し完全なベッドタウンになっています。

なんとかトコトコ走る電車が永く存続することを願っています。

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北陸地方の旅[富山県・石川県・福井県] に参加中!

6〜7〜8月といろいろなことでバタバタで全く書く余裕がありませんでした。
競馬ブログのみ先々の構想もあり書いていましたが、ハズレまくり回収率もかなり下落してしまいました。

スモールさんの記事にユースホステルの話が出ていたので、その話に付随して・・。

私は旅行好きですが、ユースは殆ど利用したことがありませんでした。
何度か北海道を旅行したときも、昔で言う「カニ族」ばりのエキネか夜行列車宿代わり作戦でまわりました。
「カニ族」というのは昔は長い旅行を安く上げるために、大きなリュックを担いで列車の車内も横歩きになるためそんな名前がついたそうです。
なぜそんな大きな荷物なのかというと中に毛布だの何だのと、生活財がたくさん入っていたそうです。
中には洗面器や鍋、やかんまで入れている人もいたとか、いないとか・・・。

また駅の待合室は北海道の場合、夜行列車が真夜中に通過する大きな駅は一晩中開放されていて、いつも満員だったようです。
特に旭川駅は格好の場所でした。夜行列車がほぼ消滅した今はわかりませんが・・。
ただ小さな駅は、やはり火を使ったりする輩がいて、保安上の問題で当時も閉鎖されていたようです。

今でも思うのですが、北海道の駅の一部を簡易的な宿泊所として、夏季のみ格安で提供したら、旅行者も増えるし面白いと思うのですが・・。
なかなか難しい話ですが・・。

さて問題のユースにただ一度泊まったのは、石川県の能登半島の先端にある「禄剛崎ユースホステル」です。しかも真冬です。
友人と北陸を旅行して、能登半島に行き輪島の民宿に宿泊しました。そこからバスで禄剛崎方面に行き途中で降りて歩いて、能登半島先端である禄剛崎にむかいました。
金沢は両親の育った地でもあり頻繁に行っていましたが、まともに観光をしたことがなく、特に能登は行ったこことすらありませんでした。

バスをありて歩きはじめて数時間が経ちましたが、目の前はひたすら冬の荒れ狂った日本海で、だんだん夕方が近づいてきました。
やっとのことで先端の禄剛崎に到着した時はとっぷり日は暮れてしまい暗くなっていました。

さてどこか宿のあるところを捜そうと、地元の人に聞こうとしましたが、人も殆どいません。
やっと人を見つけて聞いたところ。ここは宿も無いし、バスはもう終わっているから無理だね・・、という答えでした。
ただその人は「ああ、そうだ。そこに一軒だけユースホステルっていうのがあるよ。ただやってるかな〜?」
と言いました。
とにかく場所を教えてもらい、訪ねると、
「ああ、いいよ。そのかわりすぐご飯だけど、大丈夫?」
「よかった〜。しかも食事も食べられる」
本当に救いの神でした。
他に客人はいないと思っていたら、関西の女子大生の二人組が先客でした。
彼女たちもここで日が暮れてしまい、ここに泊めてもらったとのことでした。

翌朝皆で禄剛崎の雄大な眺めを堪能して、珠洲駅から能登線の急行で4〜5時間かけて金沢に戻りました。

今はまだ在るのでしょうか?
ひとのネタで記事を書いてすいませんでした・・・。

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