前回無罪になった親分、またもや裁判をかかえています。
今回も子分との絡みがありました。
子分は逃げ切れないと思い、一部白状してしまったのです。
ところが親分は今回も相変わらず頑として認めません。
裁判では子分の白状したことが証拠になるかが焦点でした。
裁判官「それでは、判決を言い渡しますが、その前に一言・・」
親分「えっ?」
裁判官「おい親分さんよ、このままだと俺はあんたに無罪を言わなくちゃいけないんだよ」
親分「そうか。やはりわかってくれたんだな判事さんも。はっはっはっ」
裁判官「ちょっと待てよ」
親分「何だって?」
裁判官「あんたのことは俺は本当はやったんじゃねえかと思っているんだよ」
親分「何いってんだ。あんた裁判官だろ?俺がやったっていうんなら証拠を出せよ!」
裁判官「サスペンスでもこの「証拠を出せよ」というのはほとんど犯人のセリフなんだよ」
親分「何をわけのわからないこと言ってんだ。お前は法律の番人だろ?」
裁判官「わかった、わかった。それならこういうふうに言えばいいかな。もしあんたが無罪になっちゃうともうあんたは二度と罪を償うことはできなくなるんだよ」
親分「あたりめえだろ。無罪なんだよ、俺は」
裁判官「それにな、もう「私は実はやりました・・」なんて絶対にいえなくなっちまうんだよ」
親分「そんなこと言うわけねえだろ。無罪なんだよ、俺は」
裁判官「一生、それを背負って生きていくことになるんだぞ」
「いいのか?え?いいのか?」
「それにな、お前さんの子分たちはあんたはもしかしたら本当は黒なんじゃねえか?って思っている奴も結構いると思うんだよ」
「そのうちにな、そういう奴らはあんたのことをどう思うかな?」
「きっと、態度には出さないけど、心から信頼なんか微塵もできなくなっちまうんじゃねえかな。俺はそれが心配でな」
親分「お前な、勝手なこと言ってんじゃねえよ。自分で話を進めるなよ」
「それじゃ、まるで俺は犯人みたいじぇねえか」
裁判官「証拠はねえけどな・・」
親分「なにーっ、お前はそれでも裁判官か?」
裁判官「ああ、裁判官だよ。俺も人間だからな・・」
親分「だったら何だってんだよ」
裁判官「今だったらまだ間に合うんだよ。白状しちまえよ。このまま無罪になるほうがつらいことになるぞ」
親分「お前はデカか?」
「俺は白状なんかしねえよ」
裁判官「それじゃあしょうがねえな」
親分「しょうがねえとはなんだ」
裁判官「それでは判決を言い渡す」
やっと裁判官は判決文を読み始めました。
「親分は・・・、無罪」
親分「そうこなくっちゃ」
裁判官「ただし・・」
親分「なんだ?」
裁判官「これは証拠がないから無罪っていうことだ。無罪と無実はちがうんだよ」
親分「なにー?」
裁判官「この国の法律ではこの話は無罪にするしかないということだ。疑わしきは罰せず、というでしょ」
親分「おめえが一番疑っているんじゃねえか・・」
これを傍聴していたマスコミは当日の夕刊では「証拠がないけど本当は?」的な記事で埋め尽くしました。
原告側はおろか、被告側も親分にとってはなんとも後味の悪い雰囲気になりました。
親分「こりゃ、大変なことになった。有罪よりもつらくなっちまった。もう後戻りもできねえし・・」
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さてこんな裁判は現実にはないと思いますが、
法律やルールなんて、しょせんあとからできた枠組みで、実際に法を犯したかどうか、また法で裁けるかどうかと現実の問題と大きなギャップがあるのかもしれません。
この話では裁判官、親分どちらに問題があるのか?はたまた両方とも問題があるのかは定かではありません。
でもこんなことは我々の生活や仕事の中では程度は違えど、よくあることかもしれません・・
あるニュースを見ていて思った次第です。
連日意味不明の内容で恐縮です。
昨日のも自分の文章に嫌悪感さえおぼえてしまい、削除しようとログインしたら、
「あのねのね・・」
というのをみて
「それならもう一丁!」
ということになりました。
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