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スモールさんお見事でした。私は沈没でした・・。
ただ「藁しべ・・」は他のブログを作って続けようかと思っているくらいで、今のところやる気満々です。

ところで内閣不信任案を提出してしまう話が浮上しているというニュースが流れました。
難しい政治的なことはわかりませんが、要は原発問題、震災復興など問題山積みで今の内閣ではついていけないので、引きずりおろしてしまおう、というふうに感じました。

たしかにいろいろな問題が行き詰まり、そうしたほうがいいのかもしれません。

では、それを提出する人たちには、何か秘策があるのでしょうか?
もしあるのなら先にそれを世間に問うてほしいところです。

公開する手段は無数にあります。
名案であれば、世間は賛同します。
自然と信頼はそちらに向かいます。

もし今政権の中央にいる人たちが聞く耳を持つ人であれば、取り込み、発案者を重用することになるはずです。

人の責任を追求するために、政治家になっているのではなく、皆国政に参加するためになっているのが原点なのではと思います。

権力を取れないと何もできないというのであれば、権力を取ってもその権力を守ることがハードルになってしまい、本末転倒になります。

このようなことを語ると、いろいろと反論されるかもしれません。
「世の中きれい事じゃないだろ」とか
「じゃああんたが立候補しろよ」とか
「皆立場やしがらみがあるんだよ」とか

その通りだと思います。
それだったら今まで通りのやり方で、このようなときでも不信任案を出して引きずりおろして名案もないのにまた同じように喧々囂々を繰り返せばいいのだと思います。

先ほど述べたようなやり方で、出所や正誤はともかく実際に世間の支持を得た人たちも出てきています。
たとえばあちらこちらの県知事さんや某大都市の市長さんです。

「きれい事じゃない」のは、自身の心のあり方の問題で、商売や活動を正当にちゃんとやっている人は五万といらっしゃいます。

「立場やしがらみを守ること」が過去に国や、政府や会社などで起きた問題をずっと悪化させて引きずってきた一番大きな原因だと思います。

世の中を潤滑に、活発にするにはより多くの人の賛同と協力が必要になると思います。
また人はさまざまであり、人間はほぼ間違いなくいいところと、悪いところを両方持ち合わせているはずです。
そして先のことはだれもわかりません。

友好的な関係を多く築き、出来る限り多くの意見や状況に耳を傾け、先々のリスクを想定できる限りの能力で予測して対策を打つということが必要なのではと思います。

ですのでいくら名案を持っていても、人の協力をより多く得られる状況を作ることができなければ効果は薄れるはずです。

ということは不信任案などというやり方では、また新たな火種や対立の構図ができることになる可能性があります。相互に補完し、アドバイスできる対立関係にはなりえないと思います。

お互いに歩み寄って、相手の意見を聞いて、正しいと思えばそれを認めてあげる、
それにはケンカを売ってしまうと全部破壊されてしまいます。

対立しあって嫌っている相手の指示に心から従う人はいません。法律などの強制力を使って言うことを聞かせる、ということになってしまいます。

法律は絶対的なルールですが、それが先にあるのではなく、話し合いで解決できないギリギリのラインを超えたものを解決させるのが法律というルールなのではと感じています。

すでにその時点で、その名案?は効果のない案に変わってしまっています。
また話し合いで解決してしまえば、法改正の必要があっても簡単に出来るはずです。

いいアイディアも大切ですが、人間同士の友好関係や信頼関係を拡張するほうがよほど先決の問題だと思います。

商売でどうしても食い込みたい組織などに提案をするのに、事前にご紹介をいただいたり、潤滑にできるように根回しをすることがあります。
これは当然必要なことなのですが、相手はどう思うかというと、
「○○さんの紹介だから話を聞いてあげなくちゃいけないな」とか「○○さんの顔をつぶすわけにいかないからな」
と、いずれにしてもストレスになります。
とすると本当にその人たちが私を必要としているかということがひじょうにあいまいになってしまいます。
最終的には無理に契約してもらっても、いい関係にはなりにくくなってしまいます。
いい関係をつくるには、本当に必要でなければ、
「今は必要じゃないみたいですから、また必要な時やこちらでお役に立てると思われることがあったらお声をかけてください」
と言ってしまったほうが得策であるといわれています。
もちろん本当に必要なタイミングであれば、堂々と提案すればいいわけです。

無理やり紹介されて売りつけられた、というのが最悪です。
このような関係になるとほぼ間違いなく相手は心を開かなくなり、本当に必要な時もよそと契約してしまうことが多いと思います。

不信任案は相手を裁判で訴えるのとほぼ同じと考えます。
仮に成立しようがしまいが修復不可能な対立関係を生んでしまいます。

たとえは違いましたが、自分を最大限に活かしたいのなら相手を本当のところで思いやり、本当の友好関係を築くのが一番の近道ではないでしょうか。
そしてしがらみや立場に執着することが一番の遠回りになってしまうのではと考えます。

大体一般の大多数の国民にとっては何党であるか?などということはほとんど関係なく、実際に何をしてどういう結果を出したかだけが問題だと思っていると思います。
何党?とかに縛られている人はしがらみや立場に縛られて生活や仕事を組み立てている人なのかもしれません。
言い換えれば、しがらみが介在しても、その中で真の信頼を得ていればこわがる必要は少ないし、それで壊れる関係はもとからしがらみつながりだったということだと思います。

〜あまり儲かっていない自営業者のたわごと