サイト運営者日記「ぶらぶらうだうだ・・」

「タウンクリニックドットコム」「時代文化ネット」などサイト運営をするアナログ脱サラ(いつのまにか・・)親父のブログの何でも日記風ブログです。

当ブログは2018年3月よりURLが、
http://blog.livedoor.jp/chikao1216/
から
http://burauda.blog.jp/
に変わりました。サブドメインのため旧URLでアクセスしてもリダイレクトしてアクセスできます。
また名前も「サイト運営者日記・ぶらぶらうだうだ」に変わりました。

内容は「時代文化ネット」制作者が運営する日記で特にテーマはありません。
日常のサイト活動などにおいて見聞きした内容や、現在の社会や自身の生活などを通して感じたことなどをそのまま記載する形にこのたびリニューアルしました。
現在の掲載記事は以前の「穴狙い千ちゃん〜」「ちかお日記」に掲載されている記事をそのまま残してあります。
旧記事は「改修前」のカテゴリになっていて、「人気」???と記載があるのは人気があるかどうかは知りませんが、自分でまあまあ気に入っていた記事です。

ブログネタ
創作短編物語 に参加中!

昔、学生時代に長野県などで民話の調査をしていましたが、地元に伝わる話で一番多く聞くことが出来たのは、「きつねに化かされた話」でした。

大雑把にいえば、たぬきも人を化かすようで、地元では昔から「山に行くときつねやたぬきに化かされるから気をつけろ」というような戒めがあるようでした。

でも具体的な話になるとなぜか山で人を化かすのはいつもきつねで、そういう話ばかりでした。

山は一人で行くと道に迷ったり、さまざまな危険があるから気をつけろということなのでしょうが、その題材はいつも彼らが悪役になるという設定でした。

それはおそらくまず昔はきつねやたぬきはひじょうに身近な動物で農作物を荒らしたりするほか、いろいろな習性にあるのでしょうが、大きな理由として考えられるのはその風貌にもあるのでは、と思っています。

もっと具体的にいえば、人間にも風貌がきつねやたぬきを連想させる人が数多く見られます。
それが長い歴史の中で、きつね顔の人は狡猾でずる賢く、たぬき顔の人は感情を表に出さないおとぼけタイプというイメージがこびりついているのではと思います。

私も仕事柄数多くの人と接しますが、そのようなイメージで先入観をもってしまうことも多々あります。

実際にはそうでないことも多いわけですが、意外にこのような昔からの言い伝えなどは馬鹿にできないことも多いのではとも思っています。

やはり長年の気の遠くなるような経験則の中で一般的な傾向というのは定着していくわけで、あながち間違っていないのかもしれません。

これはたとえ話ですが、現在の人間社会においてもこんなことがあるかもしれません・・

きつね顔の男の話

これは昔、昔・・・ではなく、現代、現代の話です・・

ある日私は仕事で不都合が生じて、取引先のA社という会社にクレームをつけました。
そして相手の会社A社の担当者と面談することになりました。

応接間に通されて待っていると・・

応接間に担当者が入ってきました。

顔は何となくですが「きつね」っぽい顔つきです。

担当者:「いやー、このたびは申し訳ありません」

私:「それじゃ困るんだよ、どうにかしてくれよ」

担当者:「それではこんな案でどうでしょうか?」

きつね顔の担当者は「ニヤッ」と笑いました。

ちょうどきつねが人を化かして、得意げになった表情に似ているように感じました。

{こいつ、おれを化かそうとしているな・・}

私:「お・おれは騙されねえぞ!、お前のようなきつねみたいなやつにはな・・」
と思わず言ってしまいました。

担当者は私のあまりに乱暴な予期しない反応にびっくりしました。

「いや、え・え・え・えー、そんな・・・・・こと言わないでくださいよ」と言うと、うろたえたせいか咳き込んでしまいました。
「コンッ、コンッ、コンッ!」
ちょうどきつねの声のように・・

それを見た私は、
「そおれ見ろ、やっぱりお前はきつねだな。」

担当者:「何をおっしゃってるんですか。私は誠心誠意申し上げてるんです。信じてください!」

私:「いや、お前はきつねだから信じられねえな。本当は後に尻尾があるんだろ?立ってみろよ」

担当者:「まさか。では見てくださいよ」

担当者はスッと席を立ち後を向きました。
そこにはズボンがあるばかりで、尻尾のようなものはありませんでした。
ただ、しばらく座っていたので、すこしズボンが空気でふくれていました。
ちょうど尻尾を隠しているように・・

私:「ほら、やっぱりそのふくらみは尻尾隠しているんだろ?白状しろ、このきつね野郎!」

担当者:「いいえ、けっしてそんなことはありません。私はきつねなんかじゃありません。それだったらズボンも脱ぎますから・・」

というと担当者はズボンも脱いでしまいました。

するとそこには立派な尻尾が・・・
なんてことはなく、擦り切れかかったパンツしかありませんでした。

担当者はすでに顔を紅潮させていました。

{まずい・・。きつねじゃなかった、どうしよう・・。でも本当は尻尾があるはずなのに・・}

私は本来文句を言いに来たのに、逆にどうしようもない状況に追い込まれてしまいました。

「いやあ、そうだね。尻尾はないね・・」

私はそそくさと逃げるように退散しました。

会社に帰ると、早速上司に呼ばれました。
上司:「今な、A社から連絡があってな。わかるだろ?何で呼ばれたか」

私:「いや、いえ、あの・・はい。何でこんなことになってしまったんでしょうか。やっぱり私が悪いんですよね?」

上司:「そうだな。おおかたきつねにでも化かされたんだろうよ!」

うーん、やられた・・

☆☆☆☆☆

ブログネタ
鉄道 に参加中!

新年おめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

昭和時代の鉄道全盛期時に大活躍した急行列車の変り種やつわものを思い出してみました。
参考は昭和48年時刻表です。キロは営業距離です。
私見ですが5列車ほど順番にとりあげてみたいと思います。
盛り上がらないままついに第1位です。

大社号
栄光?の第1位は急行大社号です。

この列車は意味不明、複雑怪奇、何のために?どのような経緯で運行が始まったのかきわめて理解に苦しむ列車です。
それくらい変り種で、ほかに類似したパターンの列車は昔も今も存在しないと私は思っています。
また一部編成は途中山間部のスイッチバック等ではないのに三回も方向転換するというところも変り種のひとつです。

とにかく国鉄、JR史上まれに見る異色列車であったと思っています。

運行は名古屋・金沢〜出雲市(下りは大社まで)
運行内容を下り列車で説明すると、
列車は全9両編成ですが、1〜5号車は金沢始発、6〜9号車は名古屋始発です。
車両は当時のキハ58などの一般急行型の気動車です。(形式は明確にわかりません・・)

・金沢発
朝の9時20分に金沢を列車は出発します。北陸本線を走り、敦賀に11時11分着、ここで名古屋発の列車と合流、併結されます。

・名古屋発
金沢発より一足早く、9時10分に出発します。東海道線で米原に10時19分に到着、ここで第1回目の方向転換をします。
10時25分に発車して北陸本線で敦賀に。金沢発より先の11時02分に到着して金沢発の編成を待ちます。

・敦賀から併結
名古屋からの編成はここで第二回目の方向転換になります。
敦賀から併結され9両の長い編成になった大社号は11時28分に敦賀を発車します。
ここからは小浜線に入ります。そして東舞鶴から舞鶴線で一駅の13時09分に西舞鶴に到着します。

西舞鶴からは宮津線に入ります。そして15時18分に豊岡着です。
ここでまた再度名古屋編成は第三回目、金沢編成は第一回目の方向転換をします。
豊岡を15時18分発で、ここからは一路出雲地方を目指し、山陰本線に入ります。

・途中で編成をスリムに
列車は山陰本線をひた走り16時54分に鳥取に到着します。
するとここで金沢からの編成のうち1・2号車を切り離してしまいます。

7両編成になって出発して18時32分に米子着です。
ここでさらに金沢からの残りの編成3・4・5号車も切り離してしまいます。
ということは金沢方面から乗車して米子以遠に行く人はここで名古屋からの編成に乗り換えなければならなくなります。

そういうお客さんがいたらの話ですが・・

そして5両編成になった大社号は19時41分に出雲市に到着します。
ここで急行列車としての運行は終わりになり、普通列車として大社線に入り119時56分に終点の大社に到着します。
名古屋から延々10時間46分の旅がここで終わります。

上りも全く同様ですが、始発は大社ではなく出雲市になっています。

なぜこんな列車が、誰が乗るの?
ここが一番不可解なのですが、思うに昔は成田さんとか、創価学会の富士宮詣とか大きな神社、仏閣、宗教団体などは全国に信者が散らばっているのでそのような人たちの参詣用に始まった列車なのではと想像します。
成田さんなどは今でもそのような列車が臨時ですが多数運転されています。

たとえばなぜ宮津線なのか?というのも、この間ツアーで山陰を回ったときに丹後地方は出雲地方の文化が広く浸透していて家のつくりなどでもその名残が残っているとガイドさんが説明していました。
つまり信者が比較的多い地域を通るためにわざわざ遠回りしてでも運行するというかんじなのかも知れません。

またこの付近は天橋立など著名な観光地もあり、金沢や名古屋からだとこのダイヤであれば観光列者としても使えたのではと思います。

あとは地域都市間の輸送列車としての役割も担っていたのでは思います。
ひとつの運用で金沢ー敦賀、名古屋ー米原〜敦賀。敦賀ー小浜・舞鶴、豊岡ー鳥取ー米子ー松江ー出雲などです。
長距離運転なので相当な数の都市間輸送に対応できるのではと思います。

そして下りは出雲市から大社までの大社線の通勤通学用帰宅用の普通列車としても機能します。

参詣列車としての当初の目的があるとすれば、少なくとも往路にあたる下りは大社まで行かないと意味がなくなるので下りのみ大社行きというのもうなずけます。

逆に上りは出雲始発で、大社発ではありませんが、これは運行距離が長く朝に出発しなければならず、朝イチで大社からの帰りの参詣客が乗車するニーズはほとんど無いと想像できるのでこれも納得できる話です。

大社線はすでに廃止になりました。前述のツアーで出雲大社にも行きましたが、大社に到着寸前に廃止になった大社駅の堂々たる駅舎をバスの車窓から眺めることができました。
国の重要文化財になっているそうです。

大社号という名前でありながら上りは大社からではなく出雲市発というこの変り種列車ですが出雲大社自体日本の神社の代表格であり、出雲市発着というだけでも十分大社号と名乗ってもいいくらいなのかもしれませんね。

結局主体になっていた名古屋編成は昭和57年に廃止されてしまいました。

その後は金沢編成も含め、一部区間だけ別列車に分割されてしまいましたが、全国的な急行列車の衰退や小浜線電化の流れで派生的に残っていた部分も廃止されてしまいました。

こんな列車が今も存在したら結構楽しいですし、それが逆に目玉になって人が集まるかもしれないと、私はそんなふうに思います。

ブログネタ
創作短編物語 に参加中!

◆前説
最近テレビでたまにみかける「宅配寿司・銀のさら」のコマーシャルはここしばらくのCMの中でも大変な傑作だと個人的に思っています。
何回見てもプッ、と笑ってしまいます。

いずれは飽きるのでしょうが、あのセンスがあれば第二弾、第三弾も期待できるのでは、と密かに期待しています。

同じように思っている人も多いと思うのですが・・

◆本題
それからこれも全然関係ない話で、どうでもいいような話ですが・・

最近よく本格的な水族館がテレビで紹介され、以前はこのような施設では決して見れなかったような大きなサメなどが紹介されるのを見ます。

そこでひじょうに不思議に思っていることがあります。

それは飼われているサメにはことごとくコバンザメが付着していることです。

コバンザメは文字通り、サメなどに付着して栄養や安全を得るという種類の魚みたいです。
人間の世界でいうとこれ以上ないような悪口になってしまう傾向がありますが、きわめて効率のいい生き方をしている生物であるともいえます。

でも海洋などならいざ知らず、水族館にいるサメになぜコバンザメがついているの?
とどうしても不思議になります。

わざわざコバンザメも捕まえてきて、装着しているのでしょうか?

そもそももっと不思議なことがあります。

自然の海洋のコバンザメはどんなタイミングで付着するのでしょうか?

ジンベエザメみたいなおとなしくて肉食でないものは別にして、大きくて獰猛な人食いざめにどのように近付き、どんなタイミングでくっつくのか?

サメの生態よりその秘密のテクニックのほうがはるかに興味をそそります。

そういえば人間社会のコバンザメ野郎も気が付くといつの間にか付着しているのを見かけます。

やはりコバンザメは魚も人も最上のテクニシャンです。

ほら今日もあの恐怖の上司が私に向かってきます。

「こらあ、なんだ!この成績は?」と言いながら。

ふと見ると、背中にはしっかりあのコバンザメ野郎がひっついていて、
そこからこちらを睨みながら、ニヤリと薄笑いをうかべ、小さな声で
「コラ・・、ナンダコノセイセキハ・・」

うーん、やられた・・・

☆☆☆☆☆

ブログネタ
鉄道 に参加中!

昭和時代の鉄道全盛期時に大活躍した急行列車の変り種やつわものを思い出してみました。
参考は昭和48年時刻表です。キロは営業距離です。
これから私見ですが5列車ほど順番にとりあげてみたいと思います。
あまり盛り上がらないままですが、今回は第2位です。

◆五葉、そとやま
この列車はどちらも同じ区間で運転されていました。ただ五葉号の運転経路の正反対がそとやま号となっていました。
何のことかきわめてわかりにくいと思います。

というのもどちらも始発駅、終着駅とも盛岡です。

どういうことかというと盛岡から山田線・釜石線を経由してまた盛岡に戻ってくるという循環列車だったということです。
片方は釜石からまわり、片方は宮古からまわるという形です。

★五葉号
この列車の経路は、
盛岡12時35分発(東北本線)→花巻13時10分(釜石線)→釜石14時59分(山田線)→宮古16時17分→18時24分盛岡着
というダイヤでした。

★そとやま号
この列車の経路は、
盛岡8時54分発(山田線)→宮古11時13分→釜石12時25分(釜石線)→花巻14時13分(東北本線)→14時47分盛岡着
というダイヤでした。

もちろん実際に一周すべて乗車する一般客などは存在するわけもなく、なぜこのような運行形態になったのかを考えてみました。

結局たまたまこの地域は大きく循環する形で鉄道が敷設されていたので、さまざまなニーズにこたえる条件の列車をすべてまとめて一周してしまうことにより運用効率を上げようというのでないかと思っています。

現在もこの地域は原則的には鉄道の需要や、周辺の都市の状況は変わっていないうえにさらに過疎化や鉄道離れが進んでしまい、
そしてご存知のとおり今年の3月に東日本大震災がおこり甚大な被害が生じました。

この列車の沿線では宮古は特に大きな町ですが、ここはほかの地域からの交通事情がひじょうに悪く、山田線の中でも盛岡ー宮古間は山深い北上山地を越えるため時間もかかり現在もそれは解消されていないようです。

昔、学生時代に陸中山田出身の友人がいて、正月などに実家に帰るのも大変だったそうです。
ある年などは大晦日の夕方の6時すぎくらいに電話があり、「もうこの時間だと帰れなくなった、どうしよう」と言っていたのをおぼえています。
結局新幹線で盛岡まではかなりの時間まで大丈夫なのだそうですが、問題はその盛岡からみたいでした。

特急や普通列車も含めこのような循環型の列車は山手線、環状線以外では、武蔵野線がありますが、定期列車では地方交通線においては現在も過去にもほかにはほとんど例がないのではと思います。

震災で大きな被害があった山田線の釜石ー宮古間はいまだに開通していない状況が続いています。

早くの復興を祈っております。

ブログネタ
競馬穴狙い予想 に参加中!

2011年の競馬は25日の有馬記念で中央競馬が終わり、今日の東京大賞典で地方も事実上幕を閉じます。

今年は4冠を達成したオルフェーヴル騎乗の池添騎手、大逆転でリーディングを勝ち取った福永騎手の活躍が目立ちましたが、個人的にはほかにも目立たないところで注目できる話がありました。

年末についに荒尾競馬が廃止になりましたが、地方競馬のトップジョッキーの技術をよく観察することができました。

それは金沢競馬のトップジョッキーの吉原寛人騎手です。

12月3〜4日のWSJに出場して、初日は人気薄の低ランクの馬も含め2戦2勝、最後の最後に世界的なムルタ騎手に逆転され優勝を逃しましたが、大健闘しました。

でも実は私が注目したのは一般のレースです。
吉原騎手は当日の一般レースにもいくつか騎乗しましたが特に気をひいたのは、
3Rで騎乗した10番人気のボーイフレンドです。

2Rでやはり12番人気という超人気薄のチェリムという馬で1番ゲートで騎乗しましたが、その時は経済コースをうまくまわりましたが、3〜4コーナーの馬の手ごたえが怪しかったのでしょうか、無理に勝ちに行くレースは見送りました。

ところが3Rで全く同じ1番ゲートで騎乗したボーイフレンドでは違いました。

3コーナーあたりまでは同様に内の経済コースで脚をためる乗り方でした。
しかし3〜4コーナーあたりで今度は馬の手ごたえがあると感じたのか、隣や後を目視で気にしだしました。
あとは地方の小回りで鍛えた立ち回りと、絶妙の追い出しのタイミングで直線脚を伸ばし2着に食込みました。

これはさまざまな状況判断や追う技術などトータルでの好騎乗がその段階での馬の力以上の実力を引き出したたまものではと感じるような騎乗に感じました。

金沢競馬も大変な状況が続いていると思いますが、来年も吉原騎手が中央競馬で騎乗する機会はかなり増えるのではと思っているので、来年は狙い撃ちしてもいいのではと思っているくらいです。

あと馬ではこれも年末の12月11日の中山6Rの2歳ダート1800メートル戦で3着になったヴィンテージイヤーに期待しています。
このレースはきわめて出入りの激しい展開になりました。スローっぽい流れから、急に仕掛けが入り早くなり、さらにゴール前は消耗戦になりました。
そんな中、最後方から向正面すぎあたりから仕掛け、ロングスパートをかけて、さらに直線でもまだ伸びて3着に粘ったこの馬の地力はかなりのものと思いました。

今後も順調であればオープンでも通用するのではと思っています。

それから今年の中央競馬で一番タフなレースは?と考えましたが、本当に馬にとって辛いレースになったのは多分超ハイペースになった天皇賞・秋ではと思います。
特に先行した馬の消耗は相当なものだと思っています。本来はこのレースが、と思いましたが、あまりにハードだったため一部の馬以外は疲弊してしまい、次走も全くだめな馬が続出してしまいました。

そういう意味では春に行われた大阪杯が後々を考えるとひじょうにレベルの高いレースだったといえると思います。

しかし天皇賞・秋出走の先行した馬たちも疲弊したため次走は大きく負けましたが、次々走以降は逆に疲れもとれ、さらにタフなレース経験も積んだということで注意が必要だと思っています。

この先金杯(G3)以降、中距離のG2レースが沢山ありその時のメンバーが出走してくると思いますので、人気にかかわらず狙ってみたいと思っています。

年末はどうしようもないくらい不調でしたが、来年はぜひ頑張りたいところです。

ブログネタ
鉄道 に参加中!

昭和時代の鉄道全盛期時に大活躍した急行列車の変り種やつわものを思い出してみました。
参考は昭和48年時刻表です。キロは営業距離です。
これから私見ですが5列車ほど順番にとりあげてみたいと思います。今回は第3位です。

◆ちどり3号
今回は広島から松江方面へ運行されていた急行ちどり3号です。

この列車がなぜ変り種かというと、当時は珍しかった地方都市相互発着の夜行列車だったということです。
ちどり1・2号は昼間の列車でとりたてて大きな特徴はありませんでしたが、この3号は夜行列車としては異色の存在だったといえると思います。
またさらに珍しいのは急行列車として走行する部分のほとんどの部分が幹線ではなく、地方ローカル線であったということです。

当時は中国山地越えの路線や山陰線は気動車や客車列車ばかりの地域で、朝晩の通勤通学輸送と空いた時間(夜中)の車両の効率運用に役立っていたのかもしれません。
また広島県と島根県は人的な交流が多いとの事で輸送の需要も大きかったのだと思います。

それにしても現在の芸備線の三次以遠や木次線は当時からは考えられないくらい鉄道としては寂れてしまった感があります。
芸備線の交通の要衝である備後落合は元からジャンクションとしては大事な駅でしたが、街は小さく、この間偶然テレビで見たらさみしい山の中の駅という風景でした。

また木次線も今はレールバスのみの運行されるような線区になってしまっているようです。
この地区は道路の発達で鉄道需要は大幅に落ち込んでしまったようです。

さてちどり3号の運行内容を説明すると、
広島からの列車は、山陽本線岩国発で22時56分に岩国を出発します。広島までは普通列車です。
広島から急行になり23時55発、芸備線経由で三次を経て、備後落合から木次線に入り宍道に5時2分着、ここから山陰本線になり5時22分に松江に到着します。
さらにここから普通列車になり終点の鳥取には7時57分着です。

また反対方向は米子22時40分発で松江までは普通列車で同じ経路で終点広島には5時ちょうどに到着です。

つまり木次線と山陰線のだぶって運行している区間は厳密には山陰線で、この区間以外はすべてバリバリのローカル線のみの運転ということになります。

当時も現在も全国でもこのような夜行列車はきわめてめずらしい存在だったといえると思います。

ブログネタ
安くて美味しい駅弁・駅グルメ に参加中!

2012年1月12日(木)から新宿の京王百貨店で恒例の第47回元祖有名駅弁と全国うまいもの大会が開催されます。

今回はやはり東日本大震災の復興を願う見地から、東北地方の駅弁や名産品の販売を中心に行われる流れになりそうです。

ただ毎年評判のいい駅弁たちも健在で、また多くの人が訪れそうです。
ここのところ初日の早い時間に立ち寄っても大行列状態でかなり買うのには苦労しそうです。

私のポリシーとして出来る限り1000円未満の駅弁を中心に買いたいと思っています。

個人的に今回の注目は、1000円ですが以前水戸駅で販売され、数年前に販売を中止していた印籠弁当が復活(大洗駅)ということで注目しています。
ほかでは盛岡駅の比内地鶏特製とりめし(950円)、仙台駅のまるごと帆立づくし(750円)、三河安城駅のひつまぶし釜めし(930円)、鳥取駅の元祖かに寿司(980円)などを買いたいと思っています。

また毎年買っているいかめしも今年も買いたいと思っています。

しかし時代の流れか古くからの名物駅弁がチラシからはなくなっているものもあり、八戸の小唄ずしは見当たりませんでしたが今回はないのでしょうか。

仕事の合間に行くのでなんとか時間が取れればと思っています。

くわしくは専用のホームページ「駅弁大会への道12」でご覧になれます。

ブログネタ
鉄道 に参加中!

昭和時代の鉄道全盛期時に大活躍した急行列車の変り種やつわものを思い出してみました。
参考は昭和48年時刻表です。キロは営業距離です。

これから私見ですが5列車ほど順番にとりあげてみたいと思います。今回は第4位です。

ニセコ3号
この列車は不思議な列車で、上り下りともまったく異質な列車といってもいいでしょう。

上りニセコ3号 根室ー函館間(釧路ー札幌間は季節運転)
当時のファンの間では有名だった列車です。車両は気動車で、何といっても全国でも指折りの長距離急行でした。

8時30分に根室を出発、釧路には11時着。釧路から根室本線をひた走り滝川から函館本線に。
18時02分に札幌、小樽を経て山線経由で終点函館には何と23時05分着でした。

走行距離は815キロにおよび、時間は14時間35分にもなりました。

昭和48年時刻表では釧路ー札幌間は季節運転になっていましたが、当時は長距離急行の変り種として話題になった列車です。

この列車がなぜニセコという愛称だったのかは理解に苦しむところもありますが、当時は函館から札幌方面の山線経由の急行はニセコ、海線経由はすずらんというふうに分けられていたのではと思います。
複数の列車の集合体というところでしょうか。

ただ本当に根室や釧路方面から札幌以遠に用事がある場合は有効な列車のひとつだったといえるかもしれません。
というのも特に冬は顕著ですが、当時の北海道の道路事情はきわめて悪く列車で行くしかない状況が容易に想像できるからです。

私も以前鉄道で北海道を何回か回りましたが、その当時は稚内から札幌や釧路方面から札幌以遠はバスなどもほとんどなく、列車が安価なうえに一番便利な手段だったと記憶しています。
今は大幅に改善しているとは思いますが・・。

下りニセコ3号 函館ー札幌間
こちらはオーソドックスな山線経由の列車でしたが、この3号だけの大きな特徴がありました。

それは客車列車だったということです。
車両運用の都合もあるのでしょうが、昼間の定期列車の急行で客車列車は昭和48年でも珍しい存在になっていました。

私は昭和51年に松本ー大阪間のちくま1号という客車急行に乗りましたが(名古屋ー大阪間は新幹線に乗ってしまいましたが・・)季節運転のうえ、12系になっていました。

このニセコはずっと昔ながらの旧型客車で運行していたようです。

そしてオールドファンには懐かしい、あのSL牽引だったそうです。

私は実際に乗車したり、撮影したりの経験は全くありませんが、文字通りニセコ越えに挑む雄姿を撮影しにファンが通ったというような記事を雑誌でよくみかけました。

いつまでSLが引いていたのかは私自身は知りませんが、昭和40年代に入っても続いていたようです。

このへんはあまり詳しくないので、詳しい方がいたら教えていただきたいと思っています。

昭和59年頃に北海道に行ったときも函館ー札幌を夜行で往復したのを憶えていますが、何に乗車したかはもう忘れてしまいました。
夏場でどの列車もひじょうに混雑していたのは憶えています。

私はそのころの定番だった北海道ワイド周遊券を使用しましたが、そのような旅行者が大量にあふれていてどの列車も座れないことが多く、床にかばんを置いてそれを枕にして寝ていました。

その時も道内だけで夜行列車に7〜8回(7〜8泊)は乗車しました。
でも同じ条件で同年代の人ばかりで男も女もなくけっこうその場限りの友達ができ、すごく楽しかったのを憶えています。

いまや北海道も列車でまわること自体至難の業になりつつあります。

ブログネタ
日記 に参加中!

今日は聞いてびっくりのつわものの話です。
◆その1・セールスマン
私は以前証券会社を退社した後、保険会社でフルコミッションのセールスマンを何年かしていました。

その時の知り合いの話です。

保険会社というのは契約を取るとその保険料に見合ったコミッションが給料としてもらえます。
私のように一般的な保険の場合は大きな金額になることはありませんが、法人などは場合によっては「え?こんなに・・」
というほどの金額になることがあります。

そういう意味では大きな契約が取れるとひじょうにいい商売ということになりますが、逆にそのような大きな契約を短期で解約されてしまうと信じられないような大きなリスクが返ってきます。
それは社員でも代理店でも共通なのですが、社員の場合はさらにその解約額が査定という数ヵ月ごとの社員資格についての評価にも関係してきます。

つまり短期で大きな解約をされると、

・その契約でもらったコミッションの大部分を返さなければいけなくなる。
・その契約で失った分のマイナスの成績を2〜3ヶ月以内に埋めるような成績をあげないと社員としての存続のの危機になる。

というようにダブルのきわめて大きなリスクを抱えてしまうことになります。

さてある私の知人の話です。
その人はある時、ある法人の大きな契約を解約されてしまいました。
その理由は税務の制度が変わったせいです。

税務の制度はよく報道などで話題になっている、税法の改正のほかにも常に行われています。
ある意味、これは今まで認めていたけど、今月からは認めないよ、みたいなことが頻繁に行われています。

特にここ数年社会情勢の大きな変化でより頻繁にこのような見直しが行われています。
一般のニュースなどではあまり表立って報道されないのでですが、企業などにとってこれはきわめて大きな問題になります。

このような話はお願いします・・、的なことは一切通じないので甘んじて受ける以外になくなります。

そしてその金額は年間保険料にすると4桁を越えるような金額だったそうです。

これは人生を揺るがすような大問題です。

一瞬にしてこのままだととてつもない金額を返還したうえに、職も失ってしまうというピンチに陥りました。

さてどうするか、

普通の人だともうどうしようもできないというのが実際の話だと思います。

しかし彼は違いました。

ほんの短期間のうちにその失った金額を越える契約を取ってそのピンチを乗り越えたそうです。

保険だけでなく、さまざまな業界で大きな契約を取ったなどという武勇伝はたくさんありますが、
このような絶体絶命のピンチを乗り切った話というのはなかなかありません。

ちなみにその数ヶ月のトータルの成績で言えばほとんどプラスマイナスゼロのセールスマンでしかないということです。

でもその話を聞いた時に私は感動しました。
多分一生で一度聞くかどうかという話だと思いました。

◆その2・昼寝
これもある知人の話です。

これは私が以前何回かお会いした著名な印鑑屋さんの社長から聞いた話です。

この社長さんは以前違う商売をしていたそうです。

その商売はひじょうに有名だったり、有力な方と会うことが多い仕事だそうです。

そうすると相手は超大物ですから、失礼や粗相があると大変なことになってしまいます。

あるとき社長さんがその先である有力な方の自宅に会いに行ったそうです。
なかなか会えないどころか、家に入れてもらうのも大変だったそうです。

何度かチャレンジしたすえにやっとの思いでその方の家に入れてもらうことができたそうです。

そしてその家の門を通り、玄関から家に上がり、部屋の中に入ったそうです。

とにかく緊張で心臓が飛び出しそうだったそうです。

そして部屋でご本人を待っていたときのことです。

ふと、そのまた奥の間でだれかがいるのに気付いたそうです。
「なんだ?誰だ?」

と見てみると、なんと、
そこには同じ会社の先輩がすでにいたのだそうです。

しかもそこで昼寝をしていたそうです。

「この人はどんな心臓をしているんだ?」

その印鑑屋の社長さんはこんなにびっくりしたことは今までも、その後もなかったそうです。

仕事はもちろん日々の努力も、人への誠意も、毎日の勉強も重要です。
でももっとほかにも必要なことがいろいろあるんですね。

どんな苦境に陥っても乗り越えてしまう精神力やとてつもない強い心臓も大きな変えがたい財産だと思ったしだいです。

☆☆☆☆☆

ブログネタ
鉄道 に参加中!

先日来年春のJRダイヤ改正の話を書きましたが、昭和時代の鉄道全盛期時に大活躍した急行列車の変り種やつわものを思い出してみました。

参考は昭和48年時刻表です。キロは営業距離です。
これから私見ですが5列車ほど順番にとりあげてみたいと思います。今回はまず第5位です。

5位・下り紀州1号・2号 名古屋ー天王寺
下りと特記したのは上りは途中駅始発のためです。
名古屋から関西本線で亀山を経て、紀勢本線で和歌山、阪和線で天王寺に至る列車です。走行距離は500キロにおよび、時間は9時間24分かかりました。

当時この区間は特急くろしおの一部や普通列車もほぼ同区間を走行していて、通しで乗る人はわずかと思いますが、なぜか長距離列車が数多く残っていました。

これは思うに、名古屋近辺は高山線、中央西線とも気動車急行の牙城で、紀伊半島は関西線、紀勢線、参宮線ともまったく電化されていませんでしたので車両運用もある程度柔軟性を持たせることが可能だったのかもしれません。

また学生などは県境の関係で新宮を越えて乗る人が少なかったのではと思いますが、特急や急行は新宮や紀伊勝浦ですべての乗客が入れ替わるとは限らず優等列車はそのほうが効率よく運行できたのではと思っています。

そしてリアス式海岸が続くため開発が遅れ、高速道路網や道路整備が遅れ、鉄道に大きく依存していたのかもしれません。

今は天王寺ー新宮が電化され、関西に近いこともあり電化区間は大きく便利になりましたが、逆に非電化の新宮ー亀山間は当時よりさらに不便になった感があります。

たとえば名古屋ー天王寺間では
名古屋を5時55分に普通列車和歌山市行(921レ)が出発、ついで8時19分に急行紀州1号天王寺行が出発、さらに9時35分に特急くろしお5号天王寺行が出発しました。

途中、11時50分ごろ尾鷲の2つ先の九鬼駅で急行紀州号は普通列車を追い越します。
次に普通列車は13時25分に新宮に到着、約30分ほど停車します。ここで後発の特急くろしおに追い抜かれます。

結局急行紀州号はくろしおに追い抜かれることなく16時32分に和歌山、17時43分に終点の天王寺に到着します。
特急くろしおは17時15分に和歌山、18時10分に天王寺に到着。
普通列車(921レ)は19時26分和歌山に、そして終点和歌山市には19時37分に到着します。

距離で言えば後に「南紀」と名付けられた寝台車連結の夜行の普通列車は天王寺ー名古屋を走っていたのでそちらのほうが長距離走行でしたが紀伊半島の昼間の客車普通列車では最長でした。

さて当時はそんな長距離の特急や急行がたくさん走っていたため、天王寺駅は数多いホームを持ち、しかも東京でいえば上野駅のような昔の風情を残した情緒ある駅でした。
関西は昔は近距離は圧倒的に私鉄が栄えていたのですが、長距離になると断然国鉄でした。
特に天王寺はこれも上野駅同様に長距離列車用の行き止まりのホームがたくさんありこれも旅情をさそいました。

十数年前に見たときはまだ昔の風情を残す駅でしたが、今も残っているのでしょうか?
残っているとするとある意味取り残されてしまったともいえるのですが・・。

今では1時間で走ってしまう(当時もそうでしたが)名古屋ー大阪(市内)を9時間以上かけて走っていた急行列車でした。

ブログネタ
美味しいもの に参加中!

知人で、不動産関係のコンサルをしている社長さんが年末にイベントを開催します。
夏場に一緒にいわきの観光協会に同行していただいた方です。
私もシステム会社の知人と一緒に行きたいと思います。

飲みすぎに注意!

        ー記ー

第一回 全国地酒祭りin 日本橋!
≪入場無料、飲食物は有料です≫
「全国の酒自慢の酒蔵が自慢の地酒を紹介」
お気軽にご来場できます。

開催日程
2011 12/26、27、28(3日間)
11:00〜21:00

会場
東京都中央区日本橋室町1-5-3福島ビル2F
地図はこちらです
(日本橋三越本店正面、島根県アンテナショップのビルです)

イベントホームページ
 日本橋地酒サイト

イベント内容
・地酒の試飲即売会
・地酒と肴の飲食コーナーの設置
・東北を中心とした物産展
<飲食ブース>
 大吟醸500円、吟醸・純米など300円(チケット制)
 全国のおつまみ有り
<販売ブース>
 気に入った地酒やおつまみを購入できます。

特別協力
ホテルオークラ元総料理長 牧野シェフによるおつまみの販売
「地酒に合わせたシェフのおつまみをお楽しみいただけます」

主催 リアブル・アセット・パートナーズ(オフィシャルホームージ )

協力 名酒センター、日本酒ライスパワー・ネットワーク

ちなみに飲んだり、買ったりできるお酒は以下のとおりです。
・石本酒造 (新潟県)【越の寒梅】
・マスカガミ (新潟県)【萬寿鏡】
・末廣酒造 (福島県)【末廣】
・花の舞酒造 (静岡県)【花の舞】
・駿河酒造場 (静岡県)【天虹】
・酒井酒造 (山口県)【五橋】    
・富久錦酒造 (兵庫県)【富久錦】 
・今西清兵衛商店 (奈良県)【春鹿】
・一本義久保本店 (福井県)【一本義】
・中谷酒造 (奈良県)【朝香】
・湯川酒造店 (長野県)【十五代九郎右衛門】
・簸上清酒 (島根県)【七冠馬】
・名手酒造店 (和歌山県)【黒牛】
・中国醸造 (広島県)【一代】
・土田酒造 (群馬県)【誉國光】
・増田徳兵衛商店 (京都府)【月の桂】 
・日本酒ライスパワー・ネットワーク

ブログネタ
恋愛 に参加中!

人の好みはさまざまで、異性の好みも全く同様です。

ちなみに私は元NHKアナウンサーのくぼじゅんこと久保純子さんみたいなタイプが好きです。

びっくりしたのは、ネットで調べたらなんと私と同じ高校の出身でした。
全く知りませんでした。

以前職場の同僚の女性に
「千○さん、どんな女性が好みなの?」
と聞かれ、
「くぼじゅんみたいなのが好みだね」
と言うと、
「なるほどね〜」
と妙に納得していたのをおぼえています。
何でかな?

要はどちらかというとさっぱりしたタイプの顔が好きだということかもしれません。

この好みを話すと、くぼじゅんには失礼になるかもしれませんが、
「千ちゃん変わってるねーー」
と皆に言われます。

自分ではなぜ他の人がくぼじゅんをいいと思わないのが逆に不思議なのですが・・

また他にも南果歩、松島菜々子(これはまともか)などなど・・・

といっても理想と現実はかなりギャップがあり、そういうタイプの女性と付き合ったことはなく(これははっきりいっても・て・な・いということなのでしょうが・・)

今まで付き合った人は皆前述の好みとは全然違うタイプです。

特に一番長い間付き合った人は、一般的にはすごく濃い顔というタイプでした。
本人も「私ってトルコ人みたいだねって言われるの」とよく言っていました。

血液型も皆ばらばらで、妻も入れるとすべての血液型がそろっています。
星座だけはなぜかみずがめ座の人が多いようです。(いわゆる1〜2月生まれ?)

当然のことですが、モテナイ男なのでそんなに人数はいませんが・・

いずれにしても結局そばにいて親しみを感じると結構簡単に好きになってしまうようです。
もちろん相手がOKすればの話ですが・・

また顔かたちなどという問題ではないところでもうひとつ大きな好みのポイントがあります。

これも「え???」

という話になってしまいますが・・

それはメガネをかけた女性が好きだということです。
理由は自分でもわかりません。

メガネをかけた女性と付き合ったことは今までありません。
ど近眼なのに車を運転する時でさえ、かたくなにメガネをかけない人はいましたが。
「見えてるの?」と聞くと、
「うん、大丈夫。ぼやけてる」
「オイオイ・・」
かたくなでした。

考えらないことかもしれませんが、もしメガネをかけた女性に誘惑されたら一発でだまされてしまうかもしれないと思っています。

そういう時も
「メガネかけたままね」
なんて言ってしまいそうです。

だれかメガネをかけた女性を紹介してください!
年齢は不問です。
なんちゃって・・

結局私は女性ではなくて、メガネが好きなのかな・・

☆☆☆☆☆

ブログネタ
鉄道 に参加中!

来年の3月のJRのダイヤ改正は大がかりなものになりそうです。
特に私のような懐古趣味の人間には残念なものとなりそうです。

まずテレビなどでも報道されていますが日本海縦貫線を走る長距離のブルートレイン「特急日本海」が廃止になります。

日本海は最初は急行でしたが、特急に昇格後は最盛期には2往復が走っていました。
一時は人気列車で寝台券も取りにくかったようです。

また同時に現在大阪ー新潟間を走っている、これも伝統の急行「きたぐに」も廃止になることになりました。
デビュー時はもてはやされた月光号でお馴染みの電車寝台列車(583、581系)も完全になくなります。

車両としても北陸線でこの春に姿を消した寝台電車改造車両(419系)につづいての廃止で磐越西線を走る快速の運用以外で、この寝台電車車両も定期運用からはほぼ全廃になります。

きたぐに号は一度乗車しました。もう電車化された後ですが、新潟から大阪までB寝台に乗車しました。
私が乗ったときはすでにかなりガラガラでこわいほどでした。

きたぐにはご年配の方だと、大惨事になった昭和47年の北陸トンネルでの食堂車火災でおぼえている方も多いと思います。(私もそちらに近いほうですが・・)

この年は偶然名古屋^熊本間の夜行急行阿蘇も火災をおこしていて、これらの事故以降、当時は急行でも長距離列車では当たり前だったのですが、旧型車両による食堂車はどんどん営業休止になったのをおぼえています。

考えてみれば昭和の後半は日本海縦貫線は優等列車の宝庫で、大阪ー青森間に前述の日本海、昼行の特急白鳥、桜島・高千穂廃止後には日本一の長距離急行だった前述のきたぐに、新潟行きの寝台特急つるぎ(前身は急行)、金沢ー青森の長距離昼行急行しらゆきなど個性豊かな列車がたくさんありました。

このほかに夜行で富山ー大阪間に昼も走っている急行立山3号というのもありました。こちらには相当昔ですが福井から京都まで乗ったことがあります。
たまたま北陸に行き、翌日京都で人と待ち合わせをしていたので利用したのですが、
でも出る時間は遅すぎ、着く時間も早すぎでやはり日本海やきたぐにが優先されるダイヤでした。

特急白鳥も新津から大阪まで乗りました。ひたすら乗り続け、いい加減飽きてしまい早く着いてくれ、というくらいでした。
全線を乗りとおす人などいたのでしょうか?

この改正で残るブルートレインはあけぼの、北斗星だけになるそうですが、厳密には急行はまなすと不定期ですがグリーントレインのトワイライトエクスプレスになります。

また急行列車も前述のはまなすを残すのみになります。

結局今走っているブルトレはすべて青森駅を通過するので、揃い踏みなどはないにしても日本海縦貫線にファンが大挙して集まりそうです。

北陸がなくなるとき、たまたま金沢に急用ができたのですが、当然寝台券が取れず困ったことがありますが、同様のことがまた起きるかもしれません。

世の中懐古趣味に人や旅情好きの人はかなり多いと思うのですが、逆手に取ってビジネスにする手段は本当に尽きていたのかは正直疑問が残ります。

JRは何を目指しているのでしょうか?このまま先細りの運営をするのでしょうか。
多分机上で論議しているところですべて結論が出てしまっていると思いますが、
やったことないけど、やってみようか!、このまま世情に押し流されて縮小の一途をたどるのが到達点なのでしょうか?

といっても平日はガラガラで、下手すると夏休みでも空席だらけではしょうがないのかもしれませんね。

ほかにも個人的には昨年金沢の帰りに利用した189系あさま色の妙高号が半減、草津号も半減、あさぎり号は御殿場止まりになり私がきわめて好きだったJRの車両(白と青の車両)のほうが廃止になるそうで、これもひじょうに残念です。

さらには新幹線の100系、300系もなくなり、北陸線で国鉄型急行車両として唯一活躍する475系も新車の投入が進み大幅に淘汰されそうです。

背景には老朽化と東日本大震災の後の大きな利用客の減少ということなのでしょう。

この間話した能登の親戚の人も困り果てていましたが、震災以降観光客が大幅に減ってどうしようもない状態が続いているそうです。

他の線区も通勤時間帯の増結以外は後ろ向きな大幅な合理化の改正のようです。

乗りたい方、見たい方、写したい方は今のうちかも・・

また線路、駅など膨大な敷地と大きな利便性を有するこの設備を利用すれば、前例にとらわらなければ、さまざまな活用が可能なのではと思います。
車両の中の使い道そのものを民間に委託して、安全に運行するだけという利用法もありうるわけで、いろいろ検討の余地はあると思います。

鉄道ほど大きな利便性や安全性を有し、旅情を提供して、大規模な輸送も可能な手段は他にないわけで、革新的な利用法が出てくるのを願っています。

ブログネタ
金融情報あれこれ に参加中!
「ミラクルエイト」という言葉が以前一部の業界の人たちの間で使われていました。
昔右肩上がりの経済成長が続いている時代に、債券運用などに携わる人たちの間では、表題の「ミラクルエイト」という言葉がありました。これは運用における一種の格言で、「長期債(10年ものの国債)の実勢金利(マーケットでの債券の流通利回り)が8%に近付いたら目をつむって買っておけ」というような内容でした。

債券は株式と違い資金を調達した発行体が期間がきたら、出資者に元本を返済しなくてはいけません。もちろん期間中は約束した金利を支払うことも必要です。
つまり簡単に言えば、銀行の預金などとほとんど同じ構造になっています。
 原則的には新規に発行したときに購入して、償還(いわゆる満期)に元本を受け取るという形式で保有するものですが、日本国債など保有者が多く、信用力も高く、流通が可能なものは途中の期間でも売買が可能になっています。
売買価格は当然その時の売りたい人、買いたい人の値段の折り合いがつく価格になります。この辺は株式と同じような相場ということになります。
ただ株と違うのは発行体がつぶれない限り、途中でもらえる金利や最後に受け取れる金額がすでに決まっているので、その合計に対して今、いくらの値段であれば売りたいか、買いたいかの折り合いということになります。

 たとえば100円で発行して、1年間に3%の金利を払い、10年後に100円で償還(満期)になる国債だと、

・あと5年後に償還、本来100円のものがその時は110円で流通していると、途中で買った人は、110円で年間3円の金利を5年間もらい、5年後に100円を受け取ることができます。

その場合、最初の元本の110円に対し、5年間で金利15円と償還の100円を足した合計115円のお金を手にすることが出来るという勘定になります。

とすると、110円が5年間で115円になるということで、1年あたり1円ずつプラスになるということになります。
そこから1年あたりの金利換算成果は110円、で1円で、利回り約0.9%ということになります。

 また同じ条件のものが90円で購入できたとすると、その場合、最初の元本の90円に対し、5年間で金利15円と償還の100円を足した合計115円のお金を手にすることが出来るという勘定になります。
とすると、90円が5年間で115円になるということで、1年あたり5円ずつプラスになるということになります。
そこから1年あたりの金利換算成果は90円、で5円で、利回り約5.5%ということになります。

つまり最初に発行したときは市場の金利が3%だったのが、5年後に前者は1%になって、後者は5.5%に成ったということになるわけです。
 ※途中購入なのでこの場合は5年間の金利になるのですが、話が複雑になるので大雑把な話になるのでご了承ください。

このことから債券が高くなる状態というのは金利が下がっていくということになり、逆に債券が価格が安くなるということは金利が上昇していくというこになるわけです。

ひじょうに前置きが長くなりましたが、このことを踏まえると、金利が8%近くまで上昇するという状態は金利が大きく上がった状態ということがいえると思います。

つまり種々の原因で債券価格が大幅に下落したということです。 このような局面では債券はひじょうに安価で購入することが可能になり、まずは保有しているだけで大きな成果が得られることが確定できます。
というのは株式と違い決まった金利をもらい、しかも何年か後に約束された償還金が保障されているからです。
でもそのような状況なら金利が高い状況なので、銀行などで預金しても同じような効果が得られるはずで、債券を買うことの独自の効果は期待できません。

しかし債券は前述のように常時流通しているので、例えばその翌年などに大きく金利が下落し始めると本体の流通価格もさきほどの論理で大きく上昇して短期で値上がり益が出る可能性があります。
これが債券を運用する中では、最大の大きな果実といわれていました。 つまり償還まで保有するもよし、場合によっては常に有利な価格で換金することが出来る状態になるわけです。

「ミラクルエイト」というのは日本では長期金利はどんなに上昇しても8%を越える状態はさまざまな要因から考えにくく、8%近辺のときに買っておけば先述のようにきわめて有利な資金運用が可能になるという、格言だったわけです。

これは過去の世界経済が安定していた時の話であったということになります。
そしてこれは先進国の国債など信用力の高いものであれば、原則すべてあてはまる話になっていました。

ところがところが、

ここのところの米国のサブプライムローン問題やヨーロッパの信用不安などで、信用力の高い国債などが、信用力の低下によって大きく売られて、価格が大きく下落する局面が多く見られるようになりました。
この問題はここ最近特に顕著になってきています。

元来債券市場での運用者は、保有者が安定している、直接参加する個人投資家や素人の投資家が少ない、長期で大きな金額を保有しているなどの要因からプロの市場といわれています。
ですので多少はあるにしてもパニック売りや、狼狽売りなどが株に比べて少ないといわれています。
また保有者は権力中枢にも近い、調査・情報力や知識が高いなどの要因から他の経済現象にさきがけて価格変動が起こるケースさえあるといわれています。
つまり一般の人たちが既成事実として表面化して把握する前に、資金の移動がはじめる可能性が高いというふうに考えています。

今「ミラクルエイト」の神話はくずれ、イタリア、フランスなど主要先進国の国債の価格が下落をはじめています。
このさきの世界情勢に大きな波乱が起こる可能性というのも現実的になってきていると、警戒しておく必要が出てきたと感じています。

今回さかんにニュースで欧州の一部の国債の利回りが7%超え?というニュースを見ていて、「ミラクルエイト」の話を思い出して取り上げてしまいました。

ところが現実はもっと深刻な局面に入ったと感じています。

たとえば、今資金運用をしている場合、(証券投資の場合ですが)

・為替を分散する
(為替は相対評価なので日本の円が世界で独歩高が続かなければ多少和らげることができますーといいつつも独歩高状態に近いですが・・)
・資源のある大国(米国、中国など)や明らかに他の国より将来的に発展しそうな国(????)などにも分散する
・債券も発行体を分ける・相場が下落すると利益があがる商品も一部運用に組み込む
(現代は運用技術の進歩でそのような金融商品はたくさんあります)
・株式などでは銘柄を分散する
(円高、円安でそれぞれ利益が出る会社に分けるのも一法です)

などまったく個人的な見解ですが、上記のようなポートフォリオの見直しを検討されてもよいのでは、と思っています。

今までの経緯でもことが起こってから、身動きをしようとしてもなかなか判断もつかず、タイミングもはかりづらくなります。

株式なども、ここまで世界や国内が騒然となると、本当に必要な物資や技術(水、食料、資源、エネルギー、医療、介護、輸送など)やセキュリティー、防犯、防災などこれからの時代を反映するようなことに関係した会社の株などは逆に一時的に下がっても、見直されるときがくるかもしれないと感じています。

こうなると一番もろいのはサービス業なのかもしれませんね・・

つぶしが利かないっていうのは、こういうことなのだと、つくづく感じています。

サービス業の男よりの戯言

ブログネタ
創作短編物語 に参加中!

私はしがない営業マン。

はるか前の話ですが、会社の後輩でT君という人がいました。

彼は気はやさしくて力持ち、かどうかはわかりませんが、いつも穏やかでおとなしい人でした。

でも体は大きくて身長は180数センチもあり、がっちりした体にくわえ、精悍なというより、大変ごつい顔つきをしていました。

ちょうどプロレスラーの体で顔が悪役商会みたいな感じでした。

最初の頃、彼の人間性がわかるまでは我々先輩も少し遠慮して接していました。

「ほらT!ちゃんとやれよ。お前ぶっ飛ばすぞ!」
なんて言ったら、

「ほう〜、やってみろよ。え?どうやってぶっ飛ばすんだよ、先輩よ、こうやるのか?」

「バキ、バキ、ボキ・・」
「ぐわぁ〜!」

なんてことになったら大変なので・・

でも彼はまったくそんな心配はない人で、何があっても、いつもおとなしく、穏やかでした。
またどちらかというと気弱なところもありました。

ある日・・
彼と一緒に車で営業に出ることになりました。

もちろん後輩である彼が運転手です。

そして出発してしばらくしたところで事は起こりました。

私たちの車が他の車とあやうく接触しそうになってしまったのです。

「危ねえなぁ」
車の中で相手には聞こえないので、私は舌打ちをしながら言いました。

もちろん相手もそう思ったのでしょう。
中には二人組みの男が乗っていました。

よく見るとかなり柄の悪そうな兄さんたちでした。

「まずい」

変なやつとかかわりになっちゃった。
そう思いました。

案の定、一人が車を降りてきました。

「おい!○※▲△×○◎△・・・・・!!」

何か大声で叫んでこっちに来ます。

「やばい・・どうしよう」

めんどくさいことになりそうです。
もしかしたら一発殴られるかもしれない・・

そう思うとけっこうびびってきました。

「ああ?○※▲△×○◎△◇◎○・・・・・!!」
彼はまだ大声で何か叫んでいます。

多分『どうしくれるんだ、この野郎、降りてこいや。ぶっ飛ばしてやる!』
とでも言っているのでしょう。

彼は私たちの車のすぐ近くまできました。
見るからに悪そうな感じで、肩をいからせています。

私のほうを睨みつけています。

そしてふと、となりの運転席にいる後輩のTのこともちらっと見ました。
方向が悪くて、Tのことはよく見えなかったようです。

すると彼は今度はポケットに手を突っ込みました。

『そうか、私は弱そうだけど、Tは見た目はかなりでかくて強そうなので、さらに威圧しているんだな』
と思いました。

『絶体絶命だ・・』

ところが、彼は急に
「あれ?」
と言いました。

「あった」

そしてなんと手を突っ込んだポケットから小銭入れを出しました。
そしていきなり近くの自動販売機でジュースを買いました。

『なんだ?』

そして缶ジュースを買うとそそくさと車に戻り、そして出発してしまいました。

おお、危なかった・・。

それにしてもTの見た目の威力は絶大でした。

天井につく位の高い座高で、こわもてで・・

今日ばかりはTに感謝しました。

「おいT、ありがとうお前のおかげで助かったよ。一時はどうなるかと思ったよ」

Tはしばらく前を見て黙っていましたが、やがて
「いやあ、僕も怖くて、怖くてちびりそうでしたよ・・、ほらこんなに顔が引きつって硬直してしまいましたよ」
と言いながら、やっとこちらを振り向きました。

そのときやっと、彼らが逃げるように退散した理由がわかりました。

そこにはこの世のものとは思えないぐらいの、巨大で恐ろしい形相で、目の前にある獲物に飛び掛らんと思うような凶暴な表情をした男の顔がありました・・

☆☆☆☆☆

ブログネタ
好きなB級グルメと言えば? に参加中!

B級グルメの祭典、B1グランプリが開かれました。

最近はご当地の焼きそばというのが本当に流行っています。
今年も岡山のひるぜん焼きそばが優勝しました。
(開催地の姫路に近いというのもあるのかもしれませんが・・)

考えてみたら、今年台風の中を旅行に行き、最初に当地で立ち寄ったのが「蒜山高原」でした。
ところが焼きそばソースは買わずにそばを買ってしまったのを少し後悔しています。

ところで最も身近なB級グルメといえば、日本人に昔から生活に密着していて、手軽に食べられ、親しまれているそばやうどんではないでしょうか。

関東の人はうどん・そば、どっちが好き?
と聞かれれば、多くの人がそばと答えるのではと思います。
実際私もそばのほうが好きです。

逆に本場の四国や関西では多くの人がそばよりうどんが好きなのでは、と思います。

それくらいうどんは関西中心の食べ物であり、四国や関西が本場といわれています。

たしかに讃岐に行った人から土産でもらううどんはとても美味です。

そして関西の人は「うどんでも食いに行くか」と、関東の人が「そばでも食うか」という時同様、日常的に使いますし、今の時代はわかりませんが、昔は大阪で年越しそば以外でそばを食べたというより、そばを茹でたのを見た記憶はまったくありませんでした。

さらに言えば、名古屋(これもある意味関西に含めて考えていいとすれば・・)でも味噌煮込みうどんという強力な食べ方が存在しています。

しかしどうしてどうして・・、

関東地方以北でもうどんがひじょうに有名な地域はけっこうあります。

もちろん全国的に有名な群馬の水沢うどんや秋田の稲庭うどん、山梨・富士吉田の吉田うどんは皆さんご存知だと思いますが、これらはかなり限定された地域のものです。

私たち関東人にとって、もっと身近でうどん文化が広範囲で浸透している地域があります。

それは栃木県の佐野市や群馬県の館林市、埼玉県の加須市などがある利根川流域の地域です。

加須のうどんは最近のご当地グルメブームでかなり有名になっているようですが、同じような環境である対岸の群馬、栃木県でもうどんは大変親しまれています。

昔証券会社に勤めているとき、それなりの大手のお客様で栃木県の佐野市出身の方がいらっしゃいました。
あるお客様の近所の方で、紹介していただきお客様になっていただきました。

いろいろな事業を手広くされている中小企業の経営者で、顔もよくテレビに登場するようなちょい悪の大物政治家みたいないかつい感じの方でした。
言葉は関東弁がなおらなくて少し訛っていました。

そのため怒らなくてもこわい感じで、気の小さいセールスマンだった私は少し遠慮がちに接していたのをおぼえています。

それでも段々と取引を増やしていただき、頻繁にご自宅にうかがうようになりました。

ある日、いつものように受け渡しに行くと、社長が、
「お前、今日は昼飯を食べていけ」
といわれました。

午後の取引もあるし、社交辞令だと思い、
「いやあ、今日は急いでますんで」
とさりげなく断ろうとすると、

「いや、もう作ってるんだから、食べてけ」
というではありませんか。

ああ本気で言われたんだ、とそのとき初めて気付きました。

けっこう取引もしてくれるし、そこそこの友好関係は築けていましたが、なかなか入り込めない部分もあり、正直に言えば「少し苦手?」というふうに思っていました。

躊躇していると、

「ほらできたぞ!」

出てきたのは茹でて、水で冷やしたうどんでした。

『なんだ、うな丼でも用意してくれたのかと思ったら、うどん?』

しかも他にはお椀しか出ていません。

でも何か今までの展開とは違ってきたように感じ、
「それじゃ、ありがたくいただきます!おつゆはあるんですか?」
と言うと、

「おつゆは味噌だ。ほら味噌もってこい」
と奥さんに味噌を頼みました。

「はいはい、いつものね」
奥さんも佐野の方でした。

「え?味噌ですか?」

「そうだこれがうまいんだ。とにかく食べてみろ」

へえ、聞いてみると、お椀にうどんを入れて、味噌だけまぶして食べるということでした。

しかし、食べてみると、

『う・うまい・・』
これが本当に美味しくて驚きました。

味噌は普通の味噌を少し甘くした感じですが、しっかり辛味も残っていました。また豆粒が入っている田舎風の味噌でした。

「どうだ、うまいだろう!」

「いやあ美味しいです。びっくりしました。こんな食べ方があるんですね。ありがとうございます」

「これは俺たち(夫婦)の田舎の佐野の食べ方なんだ。うどんも向こうから取り寄せてるし、味噌も特製なんだぞ」

冷うどんをこんなふうに食べることは初めてのうえ、うどんの美味しさと味噌の美味しさが加わり美味しいを飛び越え、感動の域に入りました。

私の実家では昔から肉味噌に茹でた温うどんを絡めジャージャー麺という食べ方をしていましたが、
(ジャージャー麺は本来は中華麺で食べるものということをだいぶ後にしりましたが)
いずれにしてもその味ともまったく違う味で、とにかく本当に美味しかったです。

食べ終わると、社長はうどんの入った大きな箱を持ってきました。
「お前のために半分やるよ。一人暮らしなんだからちょうどいいだろ。簡単に食べられるからな」
と言って、2〜300グラムくらい入った袋を10個くらいくれました。

「あ・ありがとうございます!」

そのことがとてもうれしく、その日から家に帰ると美味しいうどんがたくさんあるので幸せな気分になりました。

うどんの袋はよく見ると、佐野市の「鶴里」という会社が作っているようでした。

美味しいのであっという間に食べてしまいました。

でもまだまだ食べたくて、ついには「鶴里」に電話して、大箱入りで取り寄せをしてしまったほどです。

考えてみると、そのことがあってからなんとなく苦手だったあの社長とも心が少しは通じ合えたような気持ちになりました。

もしかしたら向こうも少しそんなふうに感じていたのかもしれません。
以心伝心といいますから・・

聞いてみると社長には私より年上の息子さんが二人いて支店の経営を任せていたらしいのですが、別に住んでいたみたいなので、私を見て息子のように思ってくれたのかもしれません。

それにしても、あの時のうどんと味噌の見事なコラボされた味が今でも忘れられません。
もちろんその時のあの社長のあたたかいもてなしも含めての話ですが・・

☆☆☆☆☆

ブログネタ
競馬のことならなんでも に参加中!

競馬のエリザベス女王杯はイギリスから遠征で昨年の覇者スノーフェアリーが快勝しました。

今年はシンメイフジの大逃げできびしいペースになり底力が試されるレースになりました。

最後の直線は後から追いかける馬も持久力のない馬はすべて追い込みが聞かない状態になり、上位に残った馬は相当な地力がある馬ばかりでした。

そんな中、昨年の覇者で今年の凱旋門賞3着のスノーフェアリーが最後に間をこじ開けて抜け出し勝ちました。

着差以上に強い勝ち方だったと感じました。

これが世界最高級のレースで上位に入る馬の底力なのだと実感しました。

もちろん当日このレースのみの騎乗で唯一勝てるコースを瞬時に選択したムーア騎手もやはり一流ジョッキーなのだと思いました。

馬も騎手も世界のレベルはまだまだ相当なものであることを見せつけられたというのが実感です。

普通であればあの状態で勝ちに行くというのは考えられないくらい絶望的な位置取りだったと思っています。

あと前走大敗で復活にかけていたアパパネが3着に入りました。
アパパネは今まで56キロ以上の斤量はすべて入着を逃していましたが、今回は多分上位に残れなかったら引退する覚悟くらいの状態だったのではと思います。

馬券的には今後反動がこわいとは思いますが、心情的にはひじょうによかったと思いました。

また蛯名騎手の好騎乗も光りました。

大逃げは番手ではなく好位でという大原則と、最後に直線での追い出しのタイミングもよく最後にばてたホエールキャプチャを捕まえました。

さて今度はマイルCSです。
注目は天皇賞で記録的なペースで逃げたシルポート、同じく天皇賞で超ハイペースに巻き込まれた馬たちがどういう走りを見せるか楽しみです。

また次週のジャパンカップではこのスノーフェアリーを凱旋門賞であっさり負かして1,2着になった3歳牝馬が来日です。
勝った馬は外国調教馬でありながら社台の吉田氏の部分所有の馬でもあり、大注目です。

ベストの状態での出走を願っています。

あいかわらず馬券ははずしましたが、世界レベルのレースを見れたことで大変満足でした。

ブログネタ
起業家への道  スキルを磨く方法 に参加中!

今日は少しまじめな話を

最近土日で出かける機会が多くなりました。

先々週の日曜日はある方のご紹介で、茨城県の常陸太田というところに行きました。
常陸太田は水戸のすぐ北にある町ですが、私が行ったのは市町村合併で併合された旧里美村という山間の地域です。

そこで岩魚やヤマメを瞬間冷凍して旅館などに仕出ししている会社の社長さんに会ってきました。

いろいろと私がお手伝いできることがあればというような話をしてきました。
これからどういう展開になるのか相手の方の都合もあるのでわかりませんが、私に出来ることはご協力できればと思っています。

次の週の土曜日はずっとフランスに行って活動している画家の長尾周二先生が一時的に帰国されたので、会ってきました。

先生は帰国後は武蔵小金井に滞在しているので、隣の駅で楽でした。

長尾氏は例年帰国すると京都の法然院や長野、名古屋の美術館やギャラリーで個展や展覧会を開催していましたが、今年は向こうでの活動が軌道に乗り始めたので国内での開催はしないつもりだ、と言われていました。

私は絵心はなく、美術館系の業界にも疎いのですが、彼のように海外でコツコツ活動している方は結構いるようです。

たまにニュースやテレビ番組などで知りますが、美術だけではなく音楽やスポーツ、ビジネスなどあらゆる分野で海外で活躍している人が増えています。

成功すると突然テレビなどで紹介されますが、聞くと最初に足を踏み入れた時の苦労は並大抵でないようです。

私も会社員をやめて以来、やっている活動は今や本業からかなり離れてしまい、初めてその分野の専門家などと話をすることも多々ありますが、国内であっても最初はかなり大変だという実感があります。

言葉も通じない異国で、やりたいこととはいえ、大きなリスクを背負って飛び込んでいく勇気は賞賛に値すると思います。

とても真似ができないな・・、という思いです。

前述の岩魚の社長も同様で、最初は料理人でもなんでもなかったのに、今は旅館の板さんなどからも絶大な信頼を得ているとのことです。

最初に何かを始めるときには誰でも当然それなりの知識ややる気、ネットワークがあると思います。
それでないとその事業をやってみようとはなかなか思わないはずです。

もちろん好きだ、とかやりたいというのは大前提ですが・・

しかし実際に始めると素人の趣味の延長や専門家であってもどこかの看板で商売をしていた者の場合は、多くの業界ではすべて一旦清算されて新参者になります。

その場合まずは飛び込んでいく勇気が一番大切ですが、そのあとは孤独感との戦いになると思っています。

ほとんどの起業者はやる気があって始めるので、普通であれば努力を惜しむような人はいなくて、皆本当に頑張るはずです。

ところがまわりは当人のことを自分たちのいる世界に新たに侵入してくる者として捉えます。

そうするとまず味方になるのか、または侵略者なのかなどいろいろと思うことになるはずです。

新入社員のように皆同じ立場ではなく、自分だけが新参者のうえ、相手はそれぞれ自分で組み立てて商売や仕事をしているのでだまっていたら永久に相手にされないと考えてもいいと思います。

そういう活動をはじめてしばらくたつと、軌道に乗る乗らないとか、行き先があるないにかかわらず強烈な孤独感に襲われます。

これは多分多くの普通の人間にとっては一番の強敵であり、このような状態で当たり前、とかまったく気にならない状態にならないと、仕事以前の問題になってしまいます。

ですので、詳細の経緯は書きませんでしたが、岩魚の社長や長尾周二氏のような方は
先々どうなるとか、正しいかどうかなどは置いておいても「これはすごい」と思ってしまいます。

戦後生まれの方に限定すると、生まれてからよほど特殊な環境の人をのぞいて現代の日本人はほとんどが同じような環境で子供から育っていくのでは、と思いますが、
彼らはいつの間に勇気や孤独に耐えうる強靭な精神力を身につけたのでしょうか?

勉強になりますのひとことでした。

ブログネタ
鉄道 に参加中!

先日偶然仕事で東京駅を通った時、時間が少しあったので構内の駅弁売場を見学しました。

中央口コンコースの大きな店舗にはさまざまな駅弁がおいてあります。

仙台や米沢、小田原、小淵沢など東京以外の名だたる有名駅弁が手に入る時代になりました。

そこから新幹線の改札方面に行くと、急いでいる人向きなのでしょうか?
東京駅の駅弁を中心においている売店もありました。

一応何が置いてあるのかな?とチェックすると・・

「あれ?」

そこには東京駅の駅弁に混じって、あの駅弁大会でも人気になる北海道・厚岸駅の「氏家のかきめし」が置いてあるではありませんか。

値段は高いのですが、思わず買ってしまいました。

そして次に訪問したシステム会社の事務所で食べました。

システム会社の人にも、かきを一粒試食してもらいました。
「濃いねえ。美味しいよ」

写真など詳しい内容は現在更新をサボっているグルメブログに書きたいと思います。

氏家のかきめしは、相当前に北海道の北の果て、かきの産地で有名な厚岸の名物駅弁として全国的にも有名な駅弁だったそうです。

それが一時さまざまな理由で販売を中止していました。

それが近年の駅弁ブームで復活、当地以外の小売店などのイベントを中心に再度ブレイクしてきました。

それでもなかなか首都圏でも店頭で販売されているのを見かけることはありませんでした。

私も現地で買ったことはありませんが、京王の駅弁大会以来の購入です。

厚岸は約25年前の冬、学生時代に北海道の大学でひぐまの研究会に入っていた友人を訪ねた時、彼の車で流氷を見に行った時に通りました。

でも厚岸には立ち寄らず、となりの浜中の「霧多布」(きりたっぷ)というところで泊まりました。

当時はこのあたりの知識はまったくなく、ただ案内されただけという感じでした。

彼は高校時代は山岳部で、大学でも授業にはほとんど出ずにそのサークルの活動に没頭していたようで、特に道東から道北にかけては頻繁に行っていたようです。

泊まる旅館なども観光客などがまったく行かないようなところがほとんどでした。

彼はそのまま北海道の蘭越というところで農業をやっています。

話が戻りますが、駅弁もこの30年くらいで大きな変遷を遂げました。

昔の有名な駅弁で今も健在のものも沢山ありますが、いまや販売を中止しているものもたくさんあります。

憶えている範囲で北からたどると・・

・苫小牧
ここでは王子サーモンのスモークサーモンを駅弁にした「サーモン寿司」というのがあり、これは今も健在なようです。
もうひとつ「ししゃもチップ寿司」というのがあったと記憶しています。これは今は販売していないようです。
ししゃもはご存知の魚ですが、本当のししゃもかどうかは不明です。チップというのはたしかヒメマスのことだっと思います。
もちろん食べたことはありませんので、受け売りですが・・
当時この2つの寿司は苫小牧の有名駅弁でした。なにしろ他で食べることができない味でしたので・・
最近はサーモンの寿司などどこでも手に入る時代ですが・・

・黒磯駅
昔は乗り換えや、機関車の付け替えなどで交通の要衝として栄えた駅がたくさんありました。
このような駅は昼間はほとんどの列車が停車、しかも停車時間が長いことが多く、駅弁や駅そばの店が繁盛しました。
たとえば横川駅の「峠の釜飯」などはその典型です。ほかにも表題の黒磯、大船、米原、沼津、塩尻、直江津など同様の駅がたくさん存在しました。

黒磯駅は直流と交流の接続駅でした。この駅もご多分に漏れず有名な駅弁がありました。
なかでも当地の伝説を題材にした「九尾寿司」と「九尾釜飯」は旅行者にも大変好評だったようです。

現在黒磯は現地業者の駅弁販売は中止されてしまいました。

最近宇都宮の業者が販売を始めたようですが、前述の名物駅弁は姿を消してしまいました。

私が十数年前に夫婦で日帰り旅行で黒磯に行った時はまだ販売していました。
そのときは迷わず「九尾釜飯」を買いました。
ほかの釜飯駅弁とは若干違う中身でもあり、大変美味しくいただいたのを憶えています。

・ます寿司あれこれ
駅弁のます寿司というと当地でも郷土料理として有名な富山の源の「ますの寿司」があまりにも有名です。
サクラますの身と美味しい米、立山の笹のコントラストが美しく、食欲をそそります。

ところがます寿司の駅弁はほかにもけっこうあります。

特に歴史があるのは醒ヶ井養鱒場のますを活用しようということでできた米原駅のます寿司で、これが最古参のようです。

昔大阪と東京を行き来することが多かったので、途中下車して買いました。
当時は虹鱒の姿寿司ふうでひじょうに特徴がある駅弁でした。

また富士宮養鱒場のますを使用した静岡駅のます寿司も歴史があるようです。
これも大阪と東京を行き来した時に買いましたが、白身のますと赤身のますが半々ずつの押し寿司でした。

米原も静岡も内容は変わりましたが健在のようです。

それから現在は姿を消しましたが、中央線の立川駅でもます寿司と姿寿司ふうの鮎寿司を販売していました。
両方ともたしか350円くらいの値段だったと思います。鮎寿司は買ったことがあります。

・余談
そういえば押し寿司で思い出しましたが、金沢の駅弁業者「大友楼」(実際は地元の加賀料理の料理屋さんです)が販売している笹寿司も最近脚光を浴びているようです。

加賀の伝統料理という意味では大友楼さんは大変な老舗ですが、笹寿司に関していえば、一般の北陸の人には「芝寿司」という会社のものがもっともポピュラーな笹寿司であるといえます。

ここ近年は芝寿司さんは自由が丘GARDENなどの高級品スーパーに出荷していて、芝寿司の笹寿司は東京でも気軽に手に入るようになりました。

地元の人は「笹寿司」というより「芝寿司」とよんでいるくらいメジャーな食べ物です。

ブログネタ
.気になったニュース38 に参加中!

お腹をたいへんすかしたライオンがいました。

ライオンは最近数々の狩りに失敗していました。

「グウッ」
お腹が鳴りました。

「このままでは・・」

ライオンは考えました。
次の狩りは失敗できません。

「そうだ、同じせまいリングの中に誘い込んでしまえば」

ライオンはけんかには自信がありました。
でも図体が大きいせいか、小技は苦手でした。

ライオンはわなを仕掛けました。

でも大雑把なのでみえみえでわなにはなかなか獲物はかかりません。

それでも何頭かかかってきました。

でもこれではお腹いっぱいになりません。

そこでもっとお腹がいっぱいになる獲物に狙いをさだめました。
そう、昔から子分だったヒョウです。
ひょうは体は小さいけれど、分をわきまえていたのと、すばやい動きと切れのある知恵で生き抜いてきました。

「もうお腹がペコペコでがまんならん。しょうがないもうヒョウのやつを・・」

狙いをさだめられたヒョウはわなの近くにきました。
でもなかなかわなに近づきません。

でも段々と警戒を解いてわなに近づいてきました。
なにしろ昔からの親分ですから、めったなことはないだろう・・

もしかしたら・・
もうすぐ・・

動物は最初は単なる単細胞生物だったそうです。
その後地球の歴史の中で、それぞれまったく違う形態で生き残りをかけて変遷を遂げてきました。

肉食獣、草食獣、鳥、魚、そして人間・・

魚同士でも生きるためであれば大きな魚は小さな魚を食べてしまいます。
当たり前の話ですが・・

小さな魚は食べられないためにさまざまな防衛手段を遺伝子に記録してきました。

保護色、毒、群れて暮らす・・など

人間も動物、まったく同じことが言えます。

大きな肉食獣と、小さな草食獣をせまい同じリングに放したらどういうことになるか?

前向きな意見とは程遠いですが、近頃問題になっている、あの問題って、そういう風に思えてしょうがないんですが・・

いかがなもんでしょうか?

というより、そういう事態にならないことを祈っています・・
何か大きな危険を感じます・・

ライオンというよりジャイアンだね・・
「お前の物は俺のもの。俺のものは俺のもの」

☆☆☆☆☆

↑このページのトップヘ